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2017年6月に作成された記事

学力を身につけ勉強大好きという子どもに変えるには、どうすればよいのでしょうか

 計算練習をやっても、たいして頭を使うわけではないし、考えをつけるうえでほとんど役に立たない。だから文章題とか、もっと難しいことをやらないと頭がよくならないと思っている人はとても多い。
 おそらく9割以上の人はそう思っていることでしょう。そういう思いは、親だけでなく、多くの教師もそう思っています。私もそうでした。
 しかし、川島隆太教授()が、ごく単純な計算に取り組むと、計算をつかさどる左頭頂葉だけでなく、前頭葉・頭頂葉・後頭葉と、脳全体が活動していることが発見されたのです。
 脳神経細胞同士のつながりが強化され、太くなり情報が非常に流れ易くなっていく。計算練習は、まさにそういう働きをする勉強でと言えます。
 読み書き計算の力は、毎日毎日の短時間集中型の勉強を継続して取り組むなかで、子ども自身がびっくりしたり、感動したりするほど、目覚ましく伸びていくのです。
 学力を身につけるには、毎日、ほんの少しの時間でよいのです。そう、小学校一年生であれば、日に10分、三年生なら30分、六年生であれば60分、それだけの時間を、読み書き計算の練習に当てるのです。
 こつこつと続けてさえいけば、一学期間に驚くばかりの伸びを示します。この体験は、子どもを勉強大好きという子に変えていきます。取り組んだ子には、自信と誇りをもたらします。「やったらできる子なんだ」と、その子の人格の発達に好影響を及ぼします。友だちに親切で、学級の仕事もよくやり、信頼される子どもへ成長します。
 子どもたちの未来は、確かな読む力、書く力、計算力という学力の基礎をしっかりと身につけるかどうかにかかっています。
 読み書き計算という地味な勉強は、子どもが根気よく、粘り強く、勉強や仕事を続けていく心性を育てあげていく効果的な学習です。読書好きの子にすること、書き取りの練習を毎日続けていくこと、計算が正しく早くやれるように、こつこつ勉強を積みあげていくことは、学力と人格をつくりあげていきます。
 読書は、文字や文章を読むことによって、新しい知識や考え方を吸収していくことができます。内容そのものは、活字を読むことを通して理解していくのです。ということは、書かれている文章の中身を明確にイメージ化しないと理解できないということです。
 テレビといった映像文化は、読書という文字文化に比べると易しい文化です。目で見、耳で聞くことを通じて瞬間的にわかる文化です。
 文字文化は、読み書き計算といった学力の基礎を身につけなければ理解すらできません。その習得には月日がかかり、相当な習練を要します。その獲得の過程では、集中力・持続力・継続性といった力がしっかりと身についてきます。
 貧しい家庭の子どもでも、多少恵まれた家庭の子どもでも、学力や人格が発達するするためには、学力の基礎としての読み書き計算の力が確かであるということが土台になります。それなくしては、高い水準の学力や知性をわがものとすることができません。
 学力を身につけるには、毎日、ほんの少しの時間でよいのです。そう、小学校一年生であれば、日に10分、三年生なら30分、六年生であれば60分、それだけの時間を、読み書き計算の練習に当てるのです。
 漢字は新しく教わるとき、漫然と同じ字を百字帳に書き続ける練習は効果があがりません。できれば、その字の成り立ちや意味もいっしょに教わると、たいてい一生の間、その記憶は保持されます。
 漢字が読めるというだけでなく、書くことも、その意味も、そして文の中での使われ方も併習させていくことが適切なやり方です。
 実際の文章の中での使い方も一回きりではなく、日を置いて何回か練習させたり、別の使い方をすることによって、子どもの身についた力に体化していくのです。
 物語文学などの読み物は、子どもの心を豊かにします。優しさ、思いやり、美しさや正しさなどを教えてくれます。すぐれた感動的な物語を読むことで、他の本も読みたくなったりするものです。
 文学の授業では、子ども同士が自分の体験に照らしあわせての意見や感想を出しあうことで、教師も含めて、その作品を深く理解していくことができるのです。せかせかした授業では、決して読み物好きの子にすることはできません。
 日本語では概念的・抽象的思考をするとき、必ずといってよいほど熟語を使います。熟語の意味が分からないでは、読み通すことすら困難となります。
 計算の練習も、やはり広い意味での世界を認識するうえでの初歩的な勉強になっているのです。
 例えば、小数や分数を教わるとき、それまでの四則演算だ得た認識では、想像もできなかった数の世界がひらけてきます。小数で、1より小さくて、0より大きい数があるということを知ります。
 また、ある数に小数をかけると、答えが元の数より小さくなってしまいます。これは、子どもにとっては、全く新しい世界の発見であり、知的ショックそのものとなります。
 計算力も算数の学力を伸ばすうえで、分析と総合の能力をつけていく大切な勉強なのです。
 特に顕著なのは、わり算練習です。これは全体と部分をつかむ力、それに分析と総合の力なしでは、正しい答えを求めることはできません。例えば、61403÷768を計算するとき、正しい答えは8よりもちょっと少ないかなと見極めてから、実際の演算に移ります。暗算で概算して、見当をつけてからやると桁間違いしません。
 習熟してくると反射的にできるようになりますが、そこまでになるには、反復練習を続けて練習しないと、すらすらできるようにはなりません。
 わり算が自由自在にできる域に達した子は、算数のよくできる子になります。その反対に、わり算でつまずいた子は、勉強の嫌いな子になっていきます。
 計算力は、練習密度の濃さに比例して伸びていきます。だらだらとしたやり方では力はつきません。わきめもふらず少なくとも10分は集中して続けます。それを毎日やっていくことです。
 かけ算九九は、ゼロの段を含めると全部で100題あります。その100題を正しく書き切るには、小学2年で2分、3年なら100秒で完答します。この速さでやれるようになるには相当量の練習を積まなければなりません。10000題は必要です。多いように思われますが、10分で500題やれる子であれば20日でできます。
 家族の人よりも速くできれば、大喜びするようになります。勉強嫌いだった子も勉強大好きの子に蘇えってくれます。この100マス計算は、子どもに自信を持たせる最良の勉強法です。
 最も基本となる一けた同士のたし算や、くり下がりのある15ひく7といったひき算には、いろいろなやり方があります。他の友だちの知らないやり方を見つけたり、いろいろと工夫して発見した方法を発表すれば、先生も、友だちも心からほめてくれます。子どもの向学心を高めてくれます。
 計算の練習に時間を浪費すべきではないといった考えの教師や大人は意外に多いですが、実は漢字や計算の練習によって、能力や勉強への気力を格段に高めていくのです。
 学力の優劣は、学力の基礎である読む力・書く力・計算力にほぼ規定されます。学力の高低は、その土台である言語能力によってほぼ定まります。なかでも、書きことばにどれだけ習熟し、活用できるかが学力の指標になります。
 書きことばの習得は、教科書だけでなく、広汎な読書への取り組みによってなされます。
 小学校4年あたりからは、学校で教わる勉強も、日常的・体験的な世界から、非日常的・理論的・抽象的な勉強が多くなってきます。そのとき用いるのが、漢字の合成によってできている概念語・抽象語です。漢字は、論理的・抽象的思考の世界へ向けて、子どもたちを離陸させるうえで不可欠な力として機能します。
 計算も、いままでとちがった小数とか分数など日常的に使わない数などが出てきます。計算練習は、抽象度の高い考えや処理ができる能力がおのずと発達してきます。
 毎日こつこつと学級で10分ほど、また家庭でも10分ほど基礎基本の計算練習をしっかりやっていくと、やがて小学生なのに、大人を追い越すぐらい正しく速くできるようになります。
 計算練習を毎日の基本的な生活習慣として取り組ませるとよい。計算は練習の過程で、努力や集中力にほぼ比例して、正確性と敏速性が上伸します。その中で計算のやり方や意味も分かるようになってきます。
 計算練習は、打ちこみの度合い応じて、計算力がぐんぐん伸びていきます。当初の1か月ぐらいはあまり著しい進歩はありませんが、100日ほど、毎日10分ぐらい練習を続けていくことによって、子ども自身が自らの伸びを実感することができます。
 そして、ある日、親や兄姉をみごと追い越すまでになります。このときこそ、子どもが勉強大好きな子に変身します。子どもに誇りと自信をもたらします。
 自らの集中力×持続力×継続によって、こんなに計算がすらすらできるようになったのか、その喜びと感動は、自分を見直す契機となります。
 小学生時代の6年間は、子どもの発達を主導するのは、学力の獲得と習熟にあります。低学力のままでは、人格の発達もはかばかしくありません。
 教わることがよく分かり、読み書き計算の力を、毎日こつこつ続けてやっていくことにより、学力が身についていく-学力の体化がなされていくのです。
 学んだことが分かる、覚えたというだけでは、体化した学力にはなりません。反復的・再生的・応用的な練習を通じて学力は体化します。練習が少なくては、せっかく覚えたものも身にはつきません。
 読み書き計算という学力の基礎がしっかりと身についてくると、すべての知的活動にゆとりがもたらされる。読書速度も速くなります。知的好奇心が多様に広がり読書分野も広くなります。
(
岸本裕史元:19302006年、神戸市生まれ、小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)結成し、代表委員)
(
) 川島隆太:1959年千葉県生まれ、東北大学加齢医学研究所教授、医学博士。子どもたちが将来やりたいことができる大人になるには、(1)早寝早起きで、小学生であれば夜9時までに寝ましょう。(2)朝ごはんをおかずと一緒にモリモリたくさん食べること。(3)家にいるときは、家族と話をしたり、本を読んだりするように意識すること。(4)学校などでしている勉強も公文も、自分たちのさまざまな能力を上げる力を秘めている。

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若い教師は日常、学級づくりなど、どのように実践しているのでしょうか

 若い教師たちと話し合っていると、仕事の忙しさ、「授業の進度や掲示物を学年で合わせるように」と注意されるなど同僚の教師との関係づくりのむずかしさや、保護者が怖いという声も聞かれました。
 今日の学校がおかれている厳しい状況をそのまま反映したものですが、それにしても、若い教師が感じている窮屈さは尋常ではありません。
 その一方で、これほど厳しい状況のなかでも
「聞くことと、待つことを大切して子どもと関わっていきたい」とか
「子どもと通じ合えたと思える瞬間があるから、この仕事はやめられない」
といった、子どものそばに立ち続けたいという強い意志を、若い教師たちが持っていることに感動をおぼえました。
 おそらく、全国には、同じ思いを持つ若い教師たちが、泣き、笑い、そして少しずつ成長する日々を送っていることでしょう。
 どんなにすばらしい実践でも、その教師と子どもたちとの教室の文脈のなかで生まれたものです。同じやり方をしたからといって、自分の教室でうまくいくとはかぎりません。
 それよりも、悪戦苦闘しながらも、自分らしく生きようとしている「教師仲間たち」の思いにふれることが、困難な現実と格闘している若い教師たちをはげますことになるのだと思います。
 若い教師仲間たちがどんなとり組みをおこなっているのか集めてみました。そこには、若い教師の教育観や子ども観を垣間見ることができます。
1 座席の決め方
(1)
席替えはクラスの大事なイベントです。新しい人間関係がそこで生まれます。最初は名簿順、その後の席替えは「いろんな子と関係を作ることが大切」と伝えて、必ずくじ引きにします。
(2)
席替えは「くじ引き、先生の案、好きな人どうし」など、毎回どれにするか子どもたちと相談してから決めます。メリット・デメリットを話し合い、子どもたち自身で方法を決めるので、後から文句をいいっこナシになります。クラスの状況によって、けっこう変わります。
2 朝の会・帰りの会
(1)
1年生でも日直ができるよう、セリフの書いた紙を見えるところに貼っておきます。
 スピーチは朝、日直が必ずやる。原稿の型をつくっておき、前日の空いた時間や放課後に子どもを呼び、いっしょに考えるようにした。自分で考えられる子は原稿だけを持って帰った。
(2)
帰りの会で「今日、輝いていた人」「今日あった、いいこと」などを出させます。「今日、○○ちゃんが手伝ってくれた」とか、私が気づかなかったことを話してくれます。
(3)
今日、よかったことを言ったり、係からのお知らせを言います。帰りの会は短く。
(4)
帰りの会で「今日のステキ」というコーナーをつくった。
 友だちについて「やさしくしてもらったこと」「頑張っていたこと」「ステキなところ」を発表しあう。友だちからほめてもらえることで、自己肯定力が芽生える。「ステキな行動をしよう」とクラスのみんなに広まっていく。
3 給食
(1)
毎日、担任は一グループずつ回って子どもといっしょに食べる。お誕生日の子どもがいたら、係の子が前にでて、牛乳でカンパイ。
(2)
一班4人にして、一人一役リーダー制にすると、全員が責任もつことができてよかったです。給食リーダーが班員に声をかけて机を移動、マットを準備させ、静かに座ってるようにします。準備OKの班から日直が呼んで給食を取りに行くようにすると、静かでスムーズに早くできます。
(3)
デザートなどがあまったときには「おかわり券」方式にしました。一人一回使ったらもうそれ以降は使えない。このおかげで「今日は使わない」という子がいるので、じゃんけんで争奪戦という場面がありませんでした。
4 掃除
(1)
「キレイになったよ。ありがとう」と声をかけて回る。
(2)
一生懸命やっている子たちをとことんほめます。「このクラスは掃除が早くてうまい」とクラス全体をほめると、掃除のやる気もアップするし、みんなで協力するようになっていきます。
(3)
「天国と地獄」「剣の舞」など、テンポのよい曲を15分くらいかけます。毎回15分意識して掃除ができます。 
5 休み時間
(1)
外遊び(おにごっこ、ドッヂボール・・・・)します。
(2)
けん玉、ビー玉、おはじき等を教室に置いています。
(3)
外で遊ぶ時間にします。家に帰ったら外で遊ばない子が多い。体を動かすことはとても大事なことです。
(4)
とにかくいっしょに遊ぶ。子どものありのままの姿が見えるし、信頼関係ができる。先生が遊びに入ることでクラスのみんながいっしょに遊ぶようになる。男女仲よくなる。
6 教室掲示
(1)
子どもたちが集中しにくくならないよう、教室前面黒板の周辺は、あまりいろいろ貼らずスッキリさせる。
(2)
学習した内容は廊下側の壁に、各教科ごとに模造紙にまとめて掲示しています。子どもたちが前に学習したことを思い出すのに役立つようです。
 後ろの壁には、全員の「顔写真」と「めあて」がはってあります。
 そのそばに付箋紙がたくさん置いてあり、友だちのがんばっているところや、ありがとうを伝えたいことなど、自由に書いて、顔写真の下に貼っていけるようにしてあります。 書いてある内容は、帰りの会や学級通信でも紹介します。
7 係活動
(1)
面白かったのは「給食の時間を楽しくするお笑い係」で、曜日代わりでコントや「などなど」をやってくれました。
(2)
係があることでクラスが楽しく、明るくなる。みんなで必要な係を考え出し合って決めます。例えば、レク係、ギネス係、音楽係、お笑い係などです。できるかぎり自分がやりたい係になるようにします。
8 楽しい生活づくり
(1)
学級通信に子どもの作品をたくさん載せるようにした。高学年のとき、ユーモア詩を載せたことで、クラスの空気が変わった。
(2)
お誕生日会を2,3カ月に一回計画している。席替えしたときに、班対抗ジャンケン大会をする。
(3)
学期に1,2回お楽しみ会などの集会を開きます。司会進行、飾り付けなど、すべての仕事を子どもたちに任せ、教師はサポート役に回ります。やる前「みんなで楽しむ会にする!」と確認します。
9 叱る
(1)
頭ごなしに叱って、心が通じなくなってしまったことがよくあった。
「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」と最後に問うと、子どもから「謝る」など出てくるので、お互い納得した解決ができたと思う。
 叱る言葉は一切言わず、聞くことに徹したことで、本心が出てきて解決の糸口が見つかった。
(2)
子どもに理由や願いを聞く。方法が間違っている場合は、間違っていると言い、願いは認める。納得するまで話は聞く。
(3)
ゆっくりていねいな言葉で話すように心がけています。感情的、一方的にならないよう努力して聞く姿勢を大切にしています。
(4)
先生が叱るときのポイントを子どもたちに提示しておく。
「命に関わる危険なことをしたとき」「人を傷つけた、いじめをしたとき」「うそをついたとき」
この3つがあったときは本気で叱る。
(
佐藤/隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

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保護者に信頼されるにはどのように接すればよいか、そのポイントとは

 学校と家庭の協力は、対等の関係で協力し手を結ぶものです。これまでは、学校や教師の言い分に保護者が従い、協力するものと思い込んできた傾向があります。
 今は、学校は教育サービスを提供する場だと考える必要があると思います。したがって指示的な話し方などは避けるようにします。
 教師は話し方や、話の聞き方など、保護者に対しては社会人として接し、それでいて気配りもできる。つまり、世間の常識を心得ている人になればよいと思います。
 教師は子どもを指導することが仕事ですから、その指導が確かなことが保護者から信頼される第一条件です。
 そして、保護者の意見に耳を傾けることのできる柔軟さも、教師には大事だと思います。保護者の意見の適否は後から考えればよいでしょう。
 保護者が発言すると、文句か批判としか受けとれないようなかたくなな教師の態度は、保護者との心の距離を広げてしまいます。教師は、人間関係づくりに巧みになってほしいし、それをおっくうがらないことです。
 ささいなことで、人間関係がつくられもするし、崩れもします。保護者の問い合わせに対する返事や連絡はすみやかに行うようにします。
 返事することを忘れたり、そのままにしたりすれば、誠実さが無いと思われます。大人同士のかかわりでは「忘れた」では済まされません。誠実さは、人間関係の土台です。
 言い訳、釈明、言い逃れはしない、爽やかさも必要なことです。詫びるときは詫び、主張することは、言葉を選びながらもきちんと話しましょう。
 大ふろしきを広げて「あれも、これも実践する」などと公言せず、できることから小出しに実践する慎重さも必要です。
(飯田 稔:1933年生まれ。千葉大学附属小学校に28年勤務、同校副校長を経て、千葉県浦安市立浦安小学校校長。千葉経済大学短期大学部名誉教授。学校現場の実践に根ざしたアドバイスには説得力がある)

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授業はテレビを見るように面白くないとチャンネルを替えられる、エンターテイメントとしての授業をものすごく要求されている

 全国有数の名門といわれる私立中学校の家庭科の女性教師。赴任して五年目。担任は受け持ったことはないが、女の子たちの話し相手になっている。「親しみやすい、上品なお姉さん」という印象だ。その教師にインタビューした。
 うちの学校は教師一人ひとりに専門性を強く求めていますから、授業も自由にできるんですよ。「わたしはこれについては誰にも負けません、だからこういう授業をやります」とアピールして、教務主任か校長がOK出せばできます。
 その一方で、教師どうし、お互いにアドバイスも何も言わない。「はい、今日からお願いね」という感じでしたから。「自由にやってみて」と、聞いても教えてくれない。 
 もうパニックでしたよ。他校の先生を訪ねて、資料を借りたり、テスト問題の作り方も指導してもらってました。
 今の学校に赴任するとき「他の学校の子よりも、礼儀正しくて、聞き分けがいいんじゃないか、大人みたいな感じなのかなあって」。だけど、そんなことなかったですね。
 いま、1,2年生のクラスの女子20人ぐらいを相手に授業をやってますけど、年々幼児化っていうんですか、進んできていますね。
 教室に行ったら、クラス全員がベランダの陰に隠れてたこともありましたよ。反抗しているわけじゃなくて、遊んでほしいんですね。無邪気ないたずらなんですよ。授業やりたくないから、五分でも10分でも、そうやって時間を短くしたいという気持ちがあるんでしょうけど。
 まあ、いちがいには言えませんけど、甘えてくる子の多くは、家が厳しいですね。「この学校に入れるには、受験準備をして、厳しくしつけておかないと」という親の思惑があるのか、家でのしつけが厳しい分、その反動が学校で出てきてる気がします。
 でも、中学校に入ってから、いわゆる落ちこぼれる子もいるんですよ。算数が数学に変わって、むずかしくなって、できなくなる場合もあるし、中学に入ったとたん、努力しなくなる子もいます。
 テストはできても、授業中に教師の話を聞かない子が年々増えているみたいです。そういう子は、塾に行ったり、家庭教師をつけてるんですよ。授業は聞かなくても、あとで教えてもらえばいいやという感じですね。
 いちばんしゃべりたい年頃ですから、授業中にしゃべるのは、しょうがないんでしょうけどね。でも、それを
「いつもあんたたち、騒いでる!」なんて言おうものなら、もう、大変。ふてくされちゃって、シラーッとしちゃいますからね。
 何で騒いでいるのか、把握してから注意しないといけない。
「前の授業が大変だったかもしれないけど、そろそろ気分を切り換えたら?」
45分、じっと話を聞いているのは、大変だと思うけど」
とか言ってあげると、「○○先生の授業は聞こう」となる。
 授業自体だって、テレビを見ているような感覚で聞いていますからね。おもしろくなければ「チャンネル替えちゃえ」みたいな、エンターテイメントとしての授業をものすごく要求されるわけですよ。
 たとえば、授業でビデオを見るとき「今日のは、ちょっとホラービデオになってるよ」と言うと「なんだろう、なんだろう」って、子どもは興味を示したけど、実際見たのは、食品添加物の安全性を考えるビデオ。
 教科書や参考書に書いてあることだけでなく、子どもたちが好きそうな言葉を使ってあげたり、最近話題のテレビの話を織りまぜないと、ついてこない。
 教材研究はもっぱらテレビでやっています。ドラマでも、クイズでも、お笑い番組でも、よく見るようになりました。
 いま、テレビではどういう情報が流れているのか。家庭ではどんなことが話題になっているのか。それを全部想像して、授業でしか教えられないことはいったい何だろうって考えるんです。
 たしかに時間も手間もかかるけど、わたし自身、そのほうがおもしろい。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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学級崩壊を起こさない注意の方法や、指導が難しい子はどうすればよいか

 注意や叱責で子どもたちを動かそうとする教師は意外と多くいます。最初は教師の注意が怖くて、子どもたちは注意されたことに従うことが多いでしょう。
 しかし、それは教師の怒りを収める対応にすぎないので、子どもは同じような行動を繰り返します。そして、子どもは教師の注意や叱責にだんだんなれてきます。
 したがって、注意や叱責で子どもを動かしている教師は、だんだんと自分の指示が通らなくなってくるのです。これは学級崩壊で苦しむ八割近くの教師が陥る盲点です。
 注意や叱責だけで子どもたちを動かそうとしないことが大切です。注意のあとの指導が大事なのです。 
「何を怒られたよく分からなかったけど、先生はとても怒っていた」と、教師の怒りだけに子どもたちの注意がいってしまうのは、注意の仕方としては失格です。
 そう考えると、注意や叱責で子どもを動かそうとするよりも、ほめて子どもを動かすほうが、次の指導に向かわせやすいすいことがわかるでしょう。
 学級集団に対して注意をするときは、子どもたち一人ひとりが自分の問題ととらえるようにするようにします。自分は関係ないという子どもがいると、学級全体に注意が浸透しないのです。
 その意味では、教師が行う注意が、学級全体になされるべきなのか、個別グループの子どもたちになされるべきなのか、個人になされるべきなのかという事前の吟味は必ず必要です。
1 学級全体に注意するとき
(1)
子どもの不安の強さに応じた注意をする
 教師の注意は、すべての子どもに同じように受け取られているわけではありません。平気な子どももいれば、注意に委縮する子どももいるわけです。強く注意し過ぎたなと思ったら、委縮した子どもをフォローしてあげることが必要です。
 従って、不安な子どももその内容を理解できるレベルがいいのです。
(2)
注意は短く簡潔にする
 人から注意されるのは嫌なものです。したがって、教師は注意する目的をしっかり定め、その方法を吟味し、簡潔に伝えることが効果的なのです。
(3)
気の緩みのミスは注意し、試行錯誤の失敗はその原因を分析させる
 怠慢やさぼりから起こってしまったミスは、なあなあで済ませると、ルールが崩れてきますから、小さなことでもキチンと指摘し、注意することが大切です。
 しかし、試行錯誤したうえの失敗は、意欲をほめ、次はどのようにすれば失敗しないかを分析させることが必要です。
(4)
子どもが気づかない問題は、注意するのではなく、質問や例え話をして考えさせる
(5)
教師の感情をつけ加える
 注意する内容を冷静に説明したあと「先生はとてもかなしかったな」と、自分の感情をサッと付け加えることで、子どもが反省する意欲を高めるのです。しかし、グチは逆効果になります。
(6)
注意したあとは、単純作業を
 注意したあとは、教師も子どもも気まずいものです。そこで、子どもが一人で作業ができるドリルなどを30分くらいやらせるのです。作業しながら教師の注意について考え心に定着させていくのです。 
 そしてその後は、その問題に言及しないで、次の授業に取り組むようにするわけです。
2 子ども個人に注意するとき
 教師の注意が子どもに受け入れられずに反発され、教師が特定の子どもと感情的にやりあってしまうことがあります。頻繁にあると、子どもたちの教師に対する信頼感が徐々に低下してしまいます。
 学級には、教師の感情を逆なでするような発言をしたりバカにしたような態度をする子どもがいます。このようなとき、事前に対応する言葉がけを身につけておけば、感情的になることを防ぐことができます。
(1)
注意するタイミングと場所、時間を考える
 他の子どもが見ている前で注意を受けた場合、子どもはプライドをひどく傷つけられたと感じます。
 注意する場合は、子どものプライドを傷つけない配慮が必要です。そのためには、注意するタイミングと場所、時間の長さを、その子に合わせることが必要なのです。
(2)
子どもの抵抗を軽減する
 まず、子どもが教師の言葉を素直に聞く姿勢をつくり、子どもの反発を少なくする関わりが大切です。例えば「きみも気づいていると思うが・・・・」という具合に前置きして、いきなり叱責しないような配慮が必要です。
(3)
注意する内容は現在の行動や態度だけにしぼって短く
(4)
フォローの仕方も計画に入れて注意する
 注意のあとのフォローは、子どもたちの感情の高まりを静め、冷静にどのように行動すべきかを考え、行動に移す意欲を喚起します。
(5)
責任のとり方、今後の対応の仕方を確認する
 例えば、掃除のさぼりを注意されたら、今日のさぼりをどのように責任をとるのか、明日からどのように取り組むのかを考えさせ、確認することが必要なのです。
3 指導の難しい子どもの対応
(1)
教師に感情をぶつけてくる子ども
 教師が感情的に対応したら指導ではなくなります。まず、教師が感情的になってしまう自分の問題は何かを考えることです。
 次に、感情的にならないよう、いったん断ち切る言葉がけや対策を事前に決めておくことです。例えば「これ以上話していたら、先生もキレちゃうから、あとはお昼休みに相談室でじっくり話しましょう」と、その場をいったん収めてしまうのです。
(2)
反抗的な子どもへの対応
 反抗的な子どもには、教師が途中でその言動を否定しないで、最初にどんどんしゃべらせるのです。その後、具体的な事実を提示し、そのことについて認めさせます。
 そして、対応策を教師がいくつか示して、そのなかから選ぶようにさせます。最後に、その内容を復唱させて、終わりにします。
(3)
注意すると言い訳ばかりする子どもへの対応
 注意しても言い訳ばかりして、徹底的に自分の責任を回避し、教師の言葉じりをつかまえて、逆に攻撃してくるような子どもです。
 こういう子どもには、少し淡々と接し、言いたいことを言わせた後に、「ではどうすれば いいの」と逆に質問します。
 答えられなかったり、「別に」とごまかしてきたら、「案がなければ先生が言ったようにやってみて。あとで違うやり方を思いついたら、伝えに来てください」と終わりにするのです。
(4)
聞く耳を持たない子どもへの対応
 このような子どもへの対応は、必ず一対一になれる場所と時間を確保してからする必要があります。教師はその子どものそばに寄り、感情面を中心にトーンを落として淡々と語ってあげます。
 最後に「きみはどう思う」と質問します。返事がなかったら、「先生の言ったことを考えておいてね」と伝えて帰します。
 反応がないからといって、その子どもに必要な注意を怠ってしまうと、それは他の子どもたちに転移します。教師が他の子どもを注意したとき「A男は同じことをしても、何も言われないじゃないか」と反発され、新たな問題行動を起こした子どもにも、注意しづらくなるのです。
(5)
自分は悪くないと言いはる子どもへの対応
 友だちをなぐって泣かしてしまったのに、自分は悪くないと言いはるタイプの子どもです。このような子どもは、まず心を十分に受け入れることが必要です。
 
「きみがA男をぶってしまった気持ちは、先生もわかるような気がするよ。もし先生が君の立場だったら、絶対にぶたなかったとは言い切れないものな。そのとき君はどういう気持ちだったんだい」
という具合に子どもの感情や思いを引き出し、受け入れてあげるのです。
 その後、今度同じようなことがあったら、どうすればよいのか二人で話し合い、暴力に訴えない他の行動の仕方を二人で確認するのである。
(6)
「別に」と言って心を閉ざす子どもへの対応
 このような子どもは教師に対して強い抵抗を持っています。子どもは、自分が説明したところで、教師にはわかってもらえないだろうというあきらめや、自分は教師に嫌われているのだという強い思いです。
 したがって、教師の質問に無理やり答えさせようとする必要はありません。しばらく待って「何か言いたくなったら、いつでも言いにおいで。きみが心に嫌なことがなく生活できるほうが、先生もうれしいからね」と伝えて帰します。
(7)
うぬぼれの強い子どもへの対応
 勉強やスポーツができる、家が金持ちであるなどという理由で、うぬぼれの強い子どもがいます。こういう子どもは、教師を軽んじ、注意してもたかをくくって、受け答えする場合があります。
 こういう子どもには、うぬぼれることへのいましめを一般論として、そして教師の感情も合わせて伝え、子どもの考えを語らせるのです。
 例えば「少し勉強ができるからといって、成績の悪い子どもをバカにするのは情けないと先生は思うんだけど、君はどう思う」という具合です。
(8)
あまのじゃくな子どもへの対応
 教師の注意に反抗して、反対なことをするタイプの子どもです。
 このような子どもには「こういうと君は怒るかもしれないけどね・・・・・」と言って、機先を制した前置きをゆっくりし、怒らないで話を聞こうとする姿勢を促すことも有効です。
(9)
プライドの高い子どもへの対応
 このような子どもは、最初にプライドを傷つけられると、注意をまったく聞かない状態になります。
 したがって、事前にプライドを満たす言葉がけをしておき「あとA、Bができるともっといいね」とより高いレベルになるためのアドバイスのような形で注意するのが有効です。
(10)
ものごとを投げやりにする子どもへの対応
 
「面倒臭い、もうこれでいいよ」と取り組みに対して投げやりで、その結果もおもわしくない子どもがいます。
 その投げやりな態度をいくら指導しても、なかなか変わらないと思います。逆にふてくされて、取り組むこと自体を放棄してしまうことも少なくありません。
 こういう子どもは、自分がいくら頑張ってもたいした結果は残せないんだとあきらめている子どもです。したがって、できる範囲で頑張ったらいい結果に結びついたとか、教師や周りの子どもから認められたという体験を積み重ねることが大事なのです。
 そのため、取り組む際に個人指導で「この辺を工夫するととてもおもしろいよ」という具合にビジョンを与え、意欲を喚起してあげることが必要です。
 そして、こまめに取り組んでいる態度をほめてあげたり、質問したりして取り組んでいることに教師が興味を持っていることを伝えてあげることが大事です。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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どのように叱れば子どもは変わるのでしょうか、そのポイントとは

 僕の怒りは本物です。でもこの怒りは、僕にとっても子どもたちにとっても必要な感情だと思っています。
 子どもたちに成長してもらいたい。子どもたちに自分の可能性を信じてほしい。だからこそ、子ども自身があきらめようとする時に、僕は悔しさと共に怒りを感じる。それは愛情の裏返しなのです。
 でも僕は、その怒りをそのまま子どもにぶつけることはしません。本来の目的は、子どもたちの可能性を引き出すことだからです。怒りを冷静にコントロールして、子どもたちの成長のために使うこと。これが、僕にとって「叱る」ということです。
 叱った後には必ず、子どもたちにフォローを入れています。フォローとはつまり、なぜ叱ったのか、理由を明確にして、本人が納得できるまで話し合うということです。
 そして、叱られた子どもが大切なことに気づき、少しでも成長が見えたら、必ずその子をほめます。「叱る」は「ほめる」と、セットになって初めて意味を持つものだからです。
 子どもたちがルールを守らない、やるべきことをやっていない時に叱らなかったら、子どもは本当に大切なことに気づけない。成長するチャンスを失ってしまうと思うからです。
 子どもたちを叱ろうとする時、僕にはすでに、叱った後で子どもたちが自信にあふれ、笑顔で動き出すシーンのイメージができ上がっています。
 ポイントは、子ども自身に考えさせることです。「きみのやったことに対して、きみ自身はどう思うんだ」と、まずは問いかけてみる。
 叱る側の愛情に裏付けられた怒りが伝われば、子どもは必ず誤りに気づいてくれます。そして、間違いを正すにはどうするべきかを、自力で考え始めるのです。
 考え始めたら、自分で答えを出すまで根気強く待ってあげること。一緒に考えてあげるという姿勢が重要です。
 根底にあるのは、もちろん子どもへの愛情です。子どもの可能性を信じ、成長を願う心です。
 叱るのにはとても大きなエネルギーが必要ですが、子どもの成長はきっと、その何倍もの希望を僕たちに与えてくれます。それは、叱ることで得られる、僕たちにとっての最大のご褒美なのだと思います。
 子どもは一人ひとり個性を持っています。ですから、こういう叱り方がいいとはいちがいには言えません。
 まず、子どもをまっすぐに見て、その子にとって今一番必要な「叱り方」がどういう形かを見きわめることが大切です。
 では、どうやって子ども一人ひとりの性格を見きわめるかといえば、それは「感じる」ということです。見た瞬間パッとわかる子もいれば、コミュニケーションを重ねて、なるほど、そういう性格なのかとわかる子もいます。
 大切なのは、こちらが愛情と関心をもって見ること。そうすれば、その子の性格が自ずと見えてきます。
 また、叱り方は、その子の性格だけでなく、僕との信頼関係の深さによっても変えます。
 たとえば、その子が自分に自信を持っていて、かつ僕を信頼してくれているという関係であれば、あえて「テニスをやめろ!」というような叱り方をすることもあります。叱咤激励することで、発奮してくれるからです。 
 中には、叱るべきでない子もいます。たとえば、その子が何をすればよいか自分で判断できる場合です。叱ることで何かに気づかせる必要がない子です。
 もうひとつは、いじめなどがある場合です。精神的に想像以上のダメージを与えてしまうこともあります。
 こうした背景を含めて、まずは子どもをしっかりと見つめ、今、何を一番必要としているのかを見きわめてあげてください。
 子育ては、とかくストレスがたまるものです。一度はわからせたつもりでも、子どもはつい同じ間違いを繰り返してしまう。すると、つい感情的に叱ってしまいます。
 感情的に叱らないために、自分自身を「客観視」してみることです。第三者的に自分を見ると、気持ちは落ち着いてきます。
 実際に叱る前に、心の中で叱る言葉を言ってみる。すると、もう一人の自分が教えてくれます。「それは、自分が感情的に怒っているだけじゃないのか」と。
 冷静さが自然に戻ってくる。すると、子どもを成長させたいという本来の思いにも気づくことができます。
 ひと呼吸おくというクセをつけておくのもよいでしょう。自分を心理的に落ち着いかせてから、子どもと向き合うと、意外と冷静に叱ることができます。
 どんな状況であれ、絶対に使ってはいけない禁句があります。
(1)
子どもの可能性を否定する言葉
 「お前には無理だ」「あなたにはできない」こんな言葉を言ってしまったら、子どもの可能性を伸ばすために指導しているのに、可能性は消えてしまいます。
(2)
身体的なことを否定する言葉
 身体的なことは、自分の意志では変えられません。身長が高い低い、太っている痩せている、といったことは個性です。身体的なことを否定するべきではありません。コンプレックスとして心に植えつけられてしまいます。
(3)
兄弟や友だちと比べる言葉
 子どもに劣等感を抱かせる言葉です。子どもは自信とやる気を失ってしまいます。
(
松岡修造:1967年東京都生まれ、元男子プロテニス選手、スポーツキャスター、スポーツ解説者。日本テニス協会理事強化本部副部長)

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授業中に立ち歩く子どもがいると他の子に影響がある、どうすればよいのでしょうか

 授業中に歩き回ったり、教師の指示を聞いていないなどの問題行動の多い子どもは、一昔前までは、落ち着きのない子どもなどとも思われていた。
 現在、このような子どもの中には、発達障害と診断される場合もあり、その原因は「心の持ちよう」や「しつけ」とは関係のない脳機能の障害であることが一般にも知られつつある。
 その症状の度合いや内容は様々であり、子どもの反抗や自己中心的な態度との区別が難しく、教師の判断も困難である。
 勉強についていけないことや、他の子と衝突を繰り返すことで、自信を失ったり、学校生活を楽しめない状況に陥ることも考えられる。
 授業中に歩き回る、教師の話を聞いていない、理解していない、などの問題がみられた場合、どのような理由に基づくものであるのかを観察し、保護者や養護教諭、スクールカウンセラーなどと、共によく検討する必要がある。
 学習に困難を伴う学習障害(LD)や注意欠陥多動性障害(AD/HD)では、視覚や聴覚からの刺激に影響を受けやすいことや、集中できる時間が短いことがある。
 教師による観察では、どのような教科や活動で立ち歩きが目立つのか、など記録しながら把握するのが有効である。そのうえで
(1)
視覚から入る情報を減らすために、
 黒板と教師に近い座席に配置する。カーテンを閉め、外の景色を見えなくするなどの方法をとる。
(2)
学級全体の指示のあとに個別の指示を出す、などの方法で注意を促すとよいとされる。
また、
(4)
休み時間に体を動かす。
(5)
立ち歩きしそうになったら、プリント配布を手伝ってもらう。
など、体を動かしエネルギーを発散させることも有効とされる。
 立ち歩きなどの多動行動は、年齢が進むにつれて目立たなくなる傾向があるとされる。そこで、保護者は悲観的にならず、発達障害の子どもを専門に教育する学習機会の場と連携することで、子どもの能力を伸ばしていくことが必要と考えられる。
 多動行動は、一人で校庭や屋上への飛び出しや衝動的な行動もあることから、本人および周囲の子どもの安全を守るための注意が必要となろう。
 授業中に立ち歩く行動は、他の子に影響を及ぼす。他の子もふざけて立ち歩いたり、教師の注意に反抗的な態度をとるなど、授業や学級運営に支障がでる。
 多動行動のある子も含め、教室内のルール(チャイムがなったら席につく。授業中に立ち歩きしない。必要な場合には教師の許可をとる。など)を確認する必要がある。
 同調する子どもの中にも、授業の内容が理解できていない、興味を持っていない場合もある。授業内容の工夫や、学校組織によるサポート体制など検討する必要がある。
(
畑中綾子:東京大学高齢社会総合研究機構客員研究員、東京大学公共政策連携研究部特別研究員、香港大学上席客員研究員)

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やる気がない子を前向きにするにはどうすればよいか

「最近の子は、どこか冷めていて、やる気が感じられない」という声をよく聞きます。これまでの指導のやり方が通じず、なにを言っても驚かず、受け流されてしまう。そう悩む人が多いようです。
 しかし、本当になにを言ってもやる気を出さないのでしょうか。「決してそんなことはない」と、私は思っています。やる気を出すことはできるのです。やる気を引き出すためのコツがあるのです。そのコツは
(1)
「何度言ったらわかるんだ」と叱るのではなく「分からないんだな」と受け止める
 たとえば、高校野球で「なんだ、その投げ方は」と選手の悪いところを指摘して、より良い方向にもっていこうとするのは悪いことではありません。
 しかし、悪いところばかりを指摘していると、人は自分の欠点ばかりに意識が向いて、どんどん自信を失っていきます。積極的な心をなくして、人は成長できないのです。
 
「叱るのではなく、ほめて伸ばせ」と、よく語られています。しかし、ほめるには、何らかの良い結果を出していないと、ほめることはできません。無理にほめようと形だけのほめ言葉は、相手に見抜かれて効果は少ない。
 その代わり「認めてあげてください」。事実をそのまま受け止めてあげるということです。何度説明しても理解していない状態だったら「そうか、わからないのか」と言ってあげてください。
 そのうえで「どんなところが分からないんだ?」と聞けば、質問や相談をするようになります。認めてあげれば、安心感を感じて、積極的な気持ちになります。
(2)
「なぜ、できないんだ」と聞くのではなく「なにが理由だ?」と聞き「うまくいっているイメージ」をつくるようにする
 「なぜ、できないんだ」と聞くのは、言葉の裏に相手を責める意味合いが含まれています。
「なぜ」を「なに」に置き換えてみましょう。「なにが理由だ?」と質問されると、言われた方も理由を答えることに意識がいきますから、冷静に自分の行動をふり返りやすくなります。答えやすい雰囲気ができます。
 
人が行動するときには、どんな場合でもイメージが先行しています。脳はイメージ通りに実現しようとします。
 
「できなかった自分」をイメージしてしまうと、どうしてもそのイメージに引っ張られて失敗してしまうことになります。
 それよりも、うまくできたときの達成した状態をイメージできて、そのときの喜び状態を感じることができるようにサポートしてあげてください。イメージトレーニングの原則は
①すでに実現した状態、あるいは実現しつつある状態をイメージする
②細部までリアルにイメージする
③そのイメージに自分の感情を加える
(3)
「やりなさい」ではなく「やったらどうなるか」を伝える
 やらなければならないことはわかっているのに、なぜかやる気が起きないという人はよくいると思います。
 そのような場合は「やったらどうなるか」をイメージさせて、ワクワク感を与えれば、想像以上に頑張り出します。「頑張れば、その先に楽しいことが待っている」とイメージさせる必要があるわけです。
 目指す姿が明確になると、やるべきことは自然と浮かびあがります。
 
「楽しいこと」をやっていると脳の中にドーパミンという物質が分泌され、やる気や行動力が高まるようになります。
 人間の脳はワクワク感がないと「やるべき」という義務感だけでは集中できない仕組みになっています。
 なにか一つをやりきらせてみるとよい。いったん「なにかをやりきる」経験をさせると、自信がつき、あとは放っておいてもどんどん加速して成長していくものです。その最初の一歩を踏み出すサポートをしてあげることをこころがけましょう。
(4)
「夢がかなうかも」という気持ちにさせれば、どんどんやる気が高まる
 本当に何も夢を持ってない人はいません。ただ、叶うと思えないから、夢を持たないようにしているだけです。
 
「夢を考えてみよう。あくまで夢だから『これならできそう』というものでなくてもいい。『こうなったらいいな』ということを、自由に考えてみて」と私は言います。
 次に「夢だと思っていたけど、実現できるかもしれない」というイメージを持ってもらうための質問をします。具体的に細かく段階を区切って、夢を描いてもらうのです。
 最終的な夢が叶うまでの途中経過をイメージさせることで「夢が叶っていく過程」を頭の中で疑似体験してもらうのです。このワークをやると、単なる夢だったものが、どんどんリアリティを増していきます。
 夢を聞いても、漠然とした言葉しか出てこない子もいます。そういう子には「憧れの人」を聞くことで「こうありたい」とイメージを具体的に描くサポートをしてあげましょう。
「あの人のようになりたい」という気持ちが人を成長させます。
「あなたが尊敬する○○さんだったら、どんなふうに解決すると思う」「○○さんからどんなアドバイスがあると思う?」と問いかけて解決策をサポートすることができます。
 
「このように行動すれば、憧れている人のようになれる」というワクワク感は、自分の殻を破って成長するために大きな力になるのです。
 どうしてもワクワクする目標が見つからない子には、得たい感情を聞いてみるのも効果的です。たとえば「気持ちがいい」「うれしい気分」「やったぞという感じ」など。
 得たい感情が明確になれば「どうすればその感情が得られるようになるのか」を考えられるようになり、自然と目標が生まれ、モチベーションが上がってきます。
(
飯山晄朗:メンタルコーチ、経営コンサルタント。中小企業診断士、SBT1級コーチ、金沢大学非常勤講師、人財開発フォーラム 理事長、銀座コーチングスクール金沢校・福井校代表。家電業界でトップセールスマン、商工団体の経営指導員(11年間)を経て起業後は講演・研修講師)

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子どもたちとうまく対応している教師の共通点とはなにか

 教師の感覚と、今の時代に育った子どもたちの感覚がずれていても、それはごく自然なことです。子どもたちの心情を察することが難しくなったのもうなずけることです。
 大事なことは、かかわろうとする教師のほうで、自分たちの感覚とはずれているという事実をまず受け入れることです。
 今の子どもの特徴を前提とするのです。前提と考えておけば、必要以上に腹を立てることも、少なくなります。そして、そういう状態の子どもに見合った対応を、そのレベルからしていこうとするのです。
 私の調査したなかで、子どもたちとうまく対応している教師たちがいます。その先生方に面接した結果、大きな共通点があったのです。それは、
ささいなかかわりの中でも
「小さな言葉がけのレベルで、最近の子どもたちの実態をとりあえずそのまま受け入れ」
そのうえで
「それに対する対応を具体的に実施していた」
ということです。
 特に印象に残った中学校の男性教師がいました。一見厳しそうな先生でしたが、通りかかった生徒たちが、気さくに先生に声をかけていました。彼は
「叱れば、子どもたちがよくなろうと努力するなら、しつこく叱る」
「でも、今の子どもたちは頭から叱ると、へそを曲げて、叱った内容について努力しないばかりか、余計やらなくなる」
「子どもをよくしてあげたいと思ったら、子どもが自分から努力する方向に心を向けてあげないといけない」
「その方法を工夫しないといけないと思う。自分はそのことを、十年前に痛感した」
と言っていた。
 ただし、強調しておきたい点が一つあります。それは、子どもたちとの対応がうまい教師と、そうでない教師とには、能力的に大きな違いはない、という点です。
 子どもたちの実態を受け入れ、それに応じて、一つ一つ具体的な対策を取り入れているかどうかの差なのです。
 事前にそういう心構えをし、具体的な対策を立てておけば、子どもを叱りたくなる場面が少なくなり、自然とほめることが多くなります。
 このようななかで、教師と子どもたちとの人間関係が、だんだんと良好になっていくのでしょう。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者と連絡をとっていても、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか

 子どものことで、保護者と連絡をとり合っているのですが、毎回、態度や反応が異なる場合、どのように対応すればよいのでしょうか。
 
「保護者とのやりとりを記録する」ことと「保護者の言動の冷静な分析」が対応のポイントになります。
(1)
保護者との毎回のやりとりを記録する
 毎回、態度や反応が異なる保護者と連携を図るためには「記録を残す」ことが必須です。
 
「言った」「言わない」という争いや、「何も対応してくれない」というようなクレームに備えて、保護者とのやりとりはその都度記録しておくべきでしょう。
 やりとりするごとに、必ず記録をとるようにしてください。詳細でなくても構いません。日時、対応方法(連絡帳、電話、来校、家庭訪問)、内容などをメモに残します。記録を重ねていくことで、反応のパターンなどがつかめてくるはずです。
(2)
態度や反応が異なる原因が分かるだけでも楽になります
 保護者に精神疾患などがあれば、薬など処方されているはずですので、保護者が「落ち着かない」ことの原因の一つとして考えてみるとよいでしょう。
 その他にも、家庭内や仕事のことでうまくいっていないなど、一見不可解な態度にも、必ず原因があるものです。
 原因が分かったからといって、すぐに事態が改善されないかもしれませんが、こちら側の気持ちとしては楽になることも多いはずです。
(3)
保護者の言動を冷静に分析することで、必要な対応を把握するようにします
 連絡するたびに保護者の言動が異なり、精神疾患が原因であることが予想される場合でも、さまざまな手段で、積極的に情報を引き出すようにしてください。
 保護者が比較的落ち着いている状況の言動がどこにあるのか。また、情報を把握する中で、子どもへの対応の様子も見えてきますし、保護者の言動を一時的なものとして受け止めることもできるようになるでしょう。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)

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授業や学級経営がうまくいくために、教師はどのような力が必要なのでしょうか

 子どもに多くの知識を与え説明し、さまざまなものごとを覚えこませるのが授業であると思われがちです。
 教師の人格は、授業において言葉や態度から、まなざし、後ろ姿といった、しぐさにおけるすべてを通して子どもに伝わります。授業を通して子どもに伝わるものは、私たち教師の人格そのものです。授業の内容と、その授業を行う教師の人格とは表裏一体です。
 たとえば、同じような授業をしても、A教師の授業はわかるけど、B教師の授業はよくわからない、ということがあります。
 それは、子どもがB教師を拒否しているからです。A教師の授業がよくわかる、というのはA教師が好きだからです。教材を通して、A教師の豊かな人格が伝わったからです。
 授業のあるべき姿は、徹底した教材研究に基づく授業内容を追及する。人間性の豊かな教師が、子どもの可能性を引き出す授業を展開することです。豊かな人格を持った教師が、どうすれば子どもに伝わるか、いつも真剣に考えていれば、必ず子どもにわかる授業になります。
 その典型的な例が寺小屋です。人格者である指導者が読み書き算盤を教えるのが寺小屋方式です。松下村塾がいい例です。吉田松陰というすぐれた人格者が教えたからこそ、時代を変えていった数々の人材を輩出したのです。
 本当の意味での寺小屋方式のように、子どもに「どう生きていけば幸せになれるのか?」という問いと真剣に向き合う力を与えるのがすぐれた授業です。教師は人格を磨き、幅広い知識と豊かな人間性を身につけなければ、子どもを磨くことはできません。
 教師に必要な力とは、どういう力なのでしょうか。授業や学級経営がうまくいっていないと思ったら、つぎのことを確認してください。うまくいってないときは、そこに自分の弱さがあるのだと思います。
(1)
子どもの心を動かす力を持っている
 ただ「勉強しろよ!」と言っただけで子どもに伝わるでしょうか。子どもに自分から動いてもらうためには、教師には、子どもの心を動かす話術が必要になります。
 そのためには、どれだけ感動する話を持っているかが重要です。感動する話は、実際の人物の例を挙げていくのが一番いいと思います。新聞、雑誌、本などからもたくさんネタがあります。心が動くと、やる気を出します。やる気が出ると、自ら勉強するようになるのです。
(2)
子どもの心をつかむ力がある
 授業は、出だしの5分間がすべてを決めると言っても、言い過ぎではありません。動機づけがとても大切です。子どもの心をつかむかどうかで、授業のよし悪しが変わってきます。
 教室に入るときは「おはよう」と明るく、大きな声で入ります。笑顔と気合いの入った顔で入ります。やる気のない顔で、暗い感じで入ったら、それだけで授業はダメになってしまいます。
 うまく導入するために、私は絶対に話をしてから授業に入ります。授業が始まっていきなり「はい、36ページを開いて、今日はここからやります」と言う教師には「そんな授業だったら、やっていただかなくて結構」と私は言っています。
 導入は教師の人格が一番表れます。その人格によって、どのような題材を選ぶかです。
「今日、学校に来る途中、電車のホームを見たら、みんな朝からメールをやっていたんだよ。会話しなくていいのかなあ? みんなどう思う」
「そうだよねえ。メールだけじゃなく会話も必要だよね。英語も一緒でね。話したほうがお互いの意思の疎通がよくできるんだよ。じゃ、ちょっと今日は会話をしっかりやろうか」
というふうに日常と授業をつなげていきます。子どもの心をつかまなければ、どんなにいい授業をしても意味がありません。
(3)
子どもを認める力がある
 子どもにはそれぞれ生き方があります。人は自ら伸びていこうとするものです。それを認めてあげなければいけません。教師は子どもが自分なりの生き方を見つけられるためにサポートをしてあげるのです。
 カウンセリングのコツは、子どもの言うことを承認して、オウム返ししてあげることです。自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 子どもも、まだまだ未熟な面がたくさんあります。どうしても守らなければいけないルールを教えるようなときは、強く引っ張っていく必要もあります。
 そのようなときも、子どもの自分のなかで育っていこう、という気持ちをサポートすることを忘れてはいけません。完全に支配下において、一方通行にならないようにする。子どもが自ら考え、自分で答えを見つけ出せるように引き出してあげるのです。
 根底には常に子どもを認めていなければいけません。子どもも自分が認めてもらえると安心して、初めて教師という人間を認めるのです。
(4)
子どもをほめる力がある
 子どもに「わかる喜び」があると勉強しようとします。その「わかる喜び」は、ほめ方しだいで倍増します。
 例えば、子どもが正解して「はい、正解です」と言われるよりも「すごい、この問題は相当難しいんだよ!」と言われたほうがうれしくなるでしょう。私はそれを必ずやります。
 これは子どもにはうれしいものです。子どもの気持ちが乗ってきます。
(5)
子どもをフォローする力を持つ
 子どもが答えを間違えたら必ずフォローが必要です。子どもは自分の存在を認めてもらえるとうれしいのです。例えば、
教師「Aさん、この問題はどうですか?」
Aさん「わかりません」
教師「Bさん、この問題はどうですか?」
Bさん「○○です」と正解
教師「Bさん、よくやりましたねえ!」「Aさん、わかった?」
とAさんに戻ってフォローしてあげなければいけません。「Aさん、わかった?」があるだけで、自分のことを構ってくれていると思えるのです。
(6)
子どもを励ます力がある
 教師は子どもを「怒って動かす」のではなく、子どもが「自ら心を動かせられる」言葉、「子どもを信じ切る」言葉を、私たち教師は持っていなければいけません。
(7)
あきらめない情熱 前進する力がある
 教師に必要なことは、たっぷりと子どもに愛情を注いで、しっかりと向き合って、ひるまないことです。
 以前「とても怖くて、あの子には話ができません」と言ってきた新任の教師がいました。それを聞いて、厳しいと思われるかもしれませんが、私は
「じゃあ辞めてくれ。子どもと向き合えなかったらダメだ。ひるんであきらめるようだったらダメだろう」と言いました。
 子どもと向き合えなかったら何も始まりません。ひるんだり、見て見ぬふりというのは、教師として最もやってはいけないことです。
 絶対にひるまない、絶対に向き合っていく、そのためには私たち教師が決してあきらめないことです。いったん逃げると逃げくせがつきます。人を教え、育てるのに平たんな道などありません。いくつもの険しい山がそびえたっています。
 しかし、目の前にある山を登りきると、そこにはそれまでに見たことのない景色が広がっています。山を越えた分だけ、いろんなことがわかってきて、いろんなことが見えてくるので、進んでいく道を切り拓いていけるのです。
 子どもが伸びていくには「やればできる」と信じて、あきらめさせないことが大切です。そのためには、教師自身も、子どもに対してあきらめてはいけません。子どもが逃げたくなるときにサポートしてあげるのが私たち教師です。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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始業ベルがなっても教室に入らない子どもや、私語をなくすには、どうすればよいでしょうか

 教師が少しも変わらずに、子どもだけが変わることを願うのは無理です。教師が変わった分だけ、子どもが変わるのです。
 あなたの授業がその子にとって心躍る授業に変わり、あなたがその子から「先生大好き」と慕われる教師に変わることが、始業ベルが鳴っても教室に入らない子どもをなくし、私語をなくす道だと私は思います。
 始業ベルが鳴っても教室に入らない子は「先生、私にもわかるように面白い授業をして!」と言っているのです。
 あなたが、その子にとって心躍る、楽しい授業をするようになれば、その子は始業のベルを待ちかねて席につきます。
 私の信条は 「面白くも、おかしくもない授業など授業でない」です。
 筋の通った格調の高い、面白くない授業よりは、筋はそんなに通らなくても、多少格調に欠けるところがあっても「面白い授業が子どもを育てる」のです。
 この信条は、教師であるあなたと同じ悩みを何度も繰り返したあげくの私の信条です。
 
「出来」の異なるすべての子どもに行き届くように授業をすることは正直に言って不可能です。だから、授業は、子どもを「ひとり学びに突き放す過程」と考えるのがいいのです。
 自分の足で歩けるようになった子には余計な口出しをせずに、行く先(目あて)だけをしっかり教えて、道順さえも自分で考えさせて、ひとりで歩かせてやるのがいいのです。 
 授業に心躍る思いもなく、面白さもおかしさも知らぬ子は、まだひとり歩きのできない子どもです。
 子ども40人に教師が一人であるならば、教師はまず、そのひとり歩きのできない子に寄り添うのが人の道であろうと私は思います。
 同じ授業でも、面白いと思う子もいれば、面白いと思わぬ子もいる。肝心なのは誰のために面白い授業を工夫するかだ。
 頼みとするたった一人の教師が、もし、授業がわかって面白いと思う子だけを連れてどんどん歩いていってしまったら、残された子はどう思うでしょう。
 授業に取り残された子は、しかたなしに仲間と私語をし、退屈しのぎに漫画を読み、オレたちも居るぞと、少し大きな声を出して、出来る子をやじったりする。すると教師は叱責する。
 そういう毎日を繰り返していたら、学習の意欲を失って、学校を嫌い、教師を憎むようになるでしょう。そんな教室には入りたくないと思う子が出るのは当然です。
 面白くておかしい、心躍る授業は、その子のために工夫すべきだと私は思います。「キミのため、工夫した面白い授業が始まるゾ」と、始業ベルは鳴るべきものだと思います。
 ところが教師はどうか。授業がわからない子も仲間に入れ、励ましを与えているか。
「わかった人」を連発して、わかる子、出来る子と教師だけで授業を進めていないか。もしそんなことをするならば、それは「弱い者いじめ」「えこひき」です。
 教室でわかる授業を受けられなかった子は、きっと「弱い者いじめ」を始めます。やがて自分よりも弱い教師や親をもいじめるようになります。始業ベルは、教室に入りたくない子には何と無情に響くことか。
 始業ベルは、まだ、自分でひとり歩きして勉強することが出来ない子のために鳴るのです。どの子どもにも生きる喜びと勇気を与えるために鳴るのです。
 廊下に座り込んでいる子には「さぁ、今日もキミのために面白い授業を始めるぞ、きっとキミに声をかけてやるぞ」と鳴るのです。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校会長を務めた)



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担任に不満を持つ保護者との出会いが私の教員人生に大きな影響を与えた

 初めて学校に赴任したとき「自分こそ世界で一番優秀な教師だ」と、私は思っていた。
 新任で五年生を担任し、初めの頃こそ、若い教師ということで、多くの保護者から笑顔で歓迎を受けた。
 しかし、時が経つにつれて「学習の進度が遅い」とか「教室が汚い」とか「子どもの言葉づかいが悪くなった」といった不満が保護者の間から出てくるようになり、それとともに保護者の顔から笑顔が徐々に消えていった。
 私自身も保護者に会うのがおっくうになり、保護者会の日は私が不登校になりそうであった。
 そのような状況を感じて私なりに、子どもと休み時間、一緒に遊ぶとか、子どもが提案してきた早朝のマラソン練習に付き合うなど、少しずつ努力をしていたが、保護者にはならなか理解してもらえず、苦情はいっこうになくなることはなかった。
 五年生も終わりに近づき、学年末の保護者会が行われた。学年末ということもあり、保護者の私への批判は、ますます拍車がかかった。
 次々に出される私の実践への不満、保護者会の雰囲気は重苦しいものになっていった。そして、いつも私に一番厳しい苦情をいう学級代表のお母さんがスッと立ち上がって発言を始めた。
 私は、路整然と完膚なきまでに私の批判が語られると想像した。重っ苦しい気持ちを通り越して「どうにでもなれ」と、開き直ってしまった。
 しかし、その母さんから語られた言葉は
「皆さん、いろいろとご意見があると思いますが、先生が担任されて、私たちの子どもがたくましくなったのは、どなたも感じることではないでしょうか」
「私は、先生のこの面を大切に見守っていきたいと思います」
ということだった。
 今までの重っ苦しい教室内の空気がこの発言でガラッと変わった。発言の最中に何人かの保護者のうなずく姿も見えた。
 私はこのお母さんのひと言を聞いて
「ああー、私はこのひと言で生きて行ける。これからの教員生活、死にもの狂いで努力していきたい」
と、思った。
 教師は誰でもみんないい教師でありたいと願っている。ただ、一生懸命努力しても人間関係のゆがみや、相互理解の不足などによって、自分の持ち味が発揮できない場合がある。
 そのようなとき、保護者のひと言でやる気を起こしたり、反対に意欲を失ったりする。私の場合、あの厳しい学級代表のお母さんがいたおかげで、やる気が出て努力する教師になれたと思う。
 このお母さんが厳しかったのは「本音で私の実践を見つめてくれていたからだ」と、思うようになった。
 
「子どもや保護者と、ともに本気で、人生を一緒に生きることの大切さ」を、私はこの母親との出会いで学んだ。
 その後、六年生の担任として、自分の実践を保護者にしっかり伝えようと、学級通信を毎日出した。その結果、子どもに毎日、日記を書かせることになった。
 また、学級通信が授業の資料にもなった。さらに、学級通信に後押しされて、実践を最後まで頑張りぬいた。
 初めのうちこそ、苦手だった保護者会が、私の学級経営の重要な柱の一つになった。
 一人の母親との出会いが私のその後の教員人生に大きな影響を与えたのである。
(
西島興蔵:元東京都公立小学校管理職)

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担任に対し悪口を連絡帳に延々と書いてくる保護者にどのように対応すればよいか

 学校教育の具体的な内容については、法律的にも社会的にも、原則として学校に裁量権があり、個々の保護者は学校に対して意見を具申、あるいは苦情を申し入れる以外に、学校教育に反映させる方法はほとんどない。
 逆に、保護者の意向を完全に無視して学校教育が成り立つかはやや疑問のあるところであり、学校の活動に肯定的な理解を得るためにも保護者の意見を求めることが有益な場合もある。
 また、学校教育として不十分な点についても、学校外から苦情が寄せられる形で学校が状況を把握することが通常であるから、苦情により学校教育をより適切なものとするための契機として位置づけることは、一般論として建設的である。
 以上のことから、保護者からの苦情については
(1)
その内容が的確であり、かつ、改善等を要求する内容が学校教育にとって建設的なものである限り、十分に尊重すべきものである。
(2)
保護者がわが子に対する評価や処遇などの優遇措置を求めたり、保護者個人の悪感情を学校に攻撃的に向けてきた場合や、学校の適切な教育内容に対して誤った観点から修正を求める場合は、教師の受ける悪影響に対して十分な配慮が必要である。
 保護者からの苦情に対して学校は、速やかに事実を確認し、対応を検討していることを伝え、
(1)
特定の子どもを優遇することを求める場合
 
「子どもの健全な成長のためにそのようなことをすべきでない」と考える旨を伝えたうえで、少なくとも実施しないことが合理的である。
(2)
担任などに対する不合理な個人攻撃の場合
 担任に対し悪口を連絡帳に延々と書いてくるような、不合理な個人攻撃に対しては、学校として直ちに止めるよう強く申し入れることが必要であり、申し入れにもかかわらず、なお攻撃が続く場合は、法的対処を辞さない態度を明確に示すべきである。
 不合理な攻撃に対しては、標的となっている教師が学校内で孤立することのないよう学校として配慮し、組織として一体となって対応すべきであり、教師が個人として法的対応をとらざるを得ない状況に陥ることは、極力避けることが重要である。
(
星野 豊:1968年東京都生まれ、筑波大学准教授。研究分野は民事法学 、新領域法学)
(
「先生のための学校トラブル相談所-59の事例で学ぶ危機管理 」)

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若い教師が子どもとよい関係になり、魅力のある教師になるにはどうればよいか

 私は若いころ、毎日昼休みに子どもたちとバスケットボールに興じていました。サッカーをすることもありました。年齢を重ね、子どもたちとバスケットボールに興じながら築いた子どもたちとのつながりは、もう経験できません。若いからこそ、できる教育というのが確かにあるのです。
 フットワークが軽いということは教師に必要な資質です。何か生徒指導する場面が起こったら、すぐに現場に直行する。そして、とにかく子どもの横に寄り添う。その姿勢が必要なのです。
 常に現場にいると、先輩教師がどういう対応をするのか、自分の目で見ることができます。その空気を肌で感じることができます。この肌で感じるということが大切なのです。あとで話を聞いたとしても、その空気までは決してわからないものです。
 子どもたちと接する感覚を肌感覚で身につけられるか否かは、先輩教師の指導場面にいかに立ち会ったかで決まります。
 現場に立ち会っていれば、年齢が近いからこそできるフォローがあります。とにもかくにも、その子とじっくり話をしてみる。その姿勢が大切です。
 現場に直行するときは、どこからでも応援を呼べるよう携帯電話を持つ。筆記用具とメモ用紙は必ず携帯する。靴はかかとのあるもの。怪我用ハンカチやティッシュを持つ。子どもと格闘することもあるので尖ったものを身につけないようにする。
 子どもたちと人間関係を築くには、まずは一緒に大笑いする機会を日常的にもつことが大切です。人は一緒に笑い合った分だけ、仲よくなるものです。
 常に子どもたちと一緒にいて、バカ話をしたり、ゲームに興じたり、運動したり、遊び型コミュニケーションをとり続けることが大切です。
 子どもたちが悩みなど相談しやすいのは、やはり若い教師です。自分たちと感覚の近い人じゃないとわかってもらえないと感じるからです。相談に乗っても、教師が解決してあげようなどと思ってはなりません。
 子どもたちから相談をもちかけられたとき、大人として振る舞ったり、子どもに迎合したりするのではなく、教師自身が「中学生くらいのときに、感じていたことが感じるようになってきた」「まだ結論が出ていない」といったスタンスの話し方が最も子どもたちの心に響きます。
 相談に乗り始めたら、最後まで見捨てないという覚悟が必要です。途中でやめると、相手を傷つけることがあります。まれに、相談依存症の子どもがいます。距離をおいて一線をこえさせないことが大切で、常に周りの教師と情報交換しておくことが重要です。
 子どもたちから聞いた話は決して他の子に漏らしてはいけません。子どもとの人間関係が決定的に破綻します。
 教師も人間です。合う子、合わない子がいるのは当然です。「やんちゃな子を指導できなければ教師じゃない」といった思い込みは捨てましょう。
 自分にできる生徒指導、自分が得意な生徒指導の領域を増やしていく、そういう意識を持つのです。やんちゃな子の指導につきっきりになって、他の子どもたちが放っておかれると、普通の子どもたちがおかしくなってきます。普通の子どもたちを対象に目配り、気配りをすることも大切です。
 ウマが合う子であろうとなかろうと、楽しませることが大切なのです。あなたと接していて楽しさが説教を上回っていれば、子どもとの関係が壊れることはまずありません。
 若いうちは失敗して当たり前です。それを糧にして成長すれば良いのです。同じ失敗をくり返さないことに意識をむけましょう。失敗を経験すると周りの人たちの優しさが見えてきます。そんな経験も必要なのです。
 失敗をしたとき、隠すのが一番いけません。管理職や周りの教師の信頼を徹底的に失います。落ち込んでいる暇などありません。まずは解決に全力投球です。反省はあとでもできるのです。
 若い教師は可愛がられる人間になろう。
 若い頃に先輩教師に可愛がられた教師は、間違いなく、後輩を可愛がる教師になっていきます。子どもたちを可愛がる教師になっていきます。保護者ともコミュニケーションをとれる教師になっていきます。可愛がられることは教師にとって必要な能力なのです。
 将来、仕事ができると言われる教師は「なんでも楽しめる」という資質をもっています。壁をつくらず、まずは何にでも挑戦し、その楽しさを味わってみることです。
 人間的魅力とは「いろんなことを楽しめること」「それを独占せずにみんなで楽しもうとすること」のかけ算で測られます。
(
堀 裕嗣:1966年北海道生まれ、札幌市立中学の国語科教師。92年、国語教育研究サークル「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」代表。文学教育と言語技術教育との融合を旗印に長く国語科授業の研究を続けている)


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いい授業を見て、具体的な目標を創り、工夫しながら勉強する教師は必ず伸びる

 私が新採の頃は、まばゆいばかりの教師が身の回りに何人もいた。この教師たちはどんな勉強のしかたをしているか観察した。
 その結果の一つは「アンテナを高く広く張りめぐらしていた」ということである。
 その教師の机の上には、いつも見たことのない本が置かれていた。時には哲学書であり、教養書であった。小説もよく見かけた。その教師は子どもに
 
「勉強しない人は伸びない。先生も本を読んだりして一生懸命勉強しているんだよ。きみたちも先生に負けないように勉強して、立派な人になって下さいね。勉強ほど楽しいものはないからね」
と話していた。
 これに比べ私の机の上は、辞書と子どものノートだけであった。どんな本を読めばよいかわからなかったのである。私が多少、本を読むようになったのは若い頃、身の回りにいた教師の影響である。教育雑誌をいくつか購入し、広告で本をさがした。
 とにかく「情報入手のアンテナを張りめぐらせる」という感じであった。これが長年続いていた。
 では何のために本をさがし求め、情報を入手するのか。それは教材研究をするためであり、指導方法の研究をするためであり、カリキュラムを作成するためであった。
 教育大学附属小学校に入ったとき「これがプロだ」という集団に出会った。
 ある算数の専門の教師は、新刊が書店に出れば購入するという徹底ぶりであった。徹底的に読んで自分のものにし、新しい教材解釈に取り入れていた。
 研究授業のときは、いつもユニークな教材解釈を披露して見せてくれた。指導法も、新しい方法を取り入れ、自分の工夫を加味していた。しかも、その人らしさをなくすことなく。
 私は、その教師によくゆさぶられた。その教師のいわんとすることは「常識を疑ってみよ」ということであった。「あまりに常識的な解釈、ものの見方・考え方では、子どもが面白いと思わない」といいたかったようだ。
 理科の専門の教師は「毎日の授業そのものが研究だよ」と言っていた。
 あるとき、その教師のノートを見たら、左ページに授業の計画が書かれていた。右ページは白紙のままであった。「無駄なノートの使い方するな」と、その時思った。
 これは、浅はかなことであることが間もなくわかった。右ページは授業の経過や結果がぎっしりと書かれているのを見たとき、びっくりしてしまった。
 なるほど、これが「毎日の授業が研究だよ」といった意味だったのだと悟った。これは、早速まねしてやり出した。忘れないうちに休み時間に右ページを書いた。これは忙しくて大変だった。
 その理科の教師は放課後や時間のある昼休みなどに書いていた。「時間がたったら忘れてしまうのでは?」とたずねたら「忘れてしまうような授業なら、大したことはない証拠だよ。いい授業はいつまでも覚えているものだよ」と言った。私は脳天をぶんなぐられたようなショックを受けたことを、つい昨日のように思いだす。
 たくさんの授業を見て感動することも多いが「こんな授業をしてみたい」ということも結構ある。
 教師になって五年、マンネリになっていることに気づき、県外の研究会に参加した。奈良女子大学附属小学校で長岡文雄先生の授業を見た。そこには人があふれていた。教室には手づくりのポストがあった。
 授業が始まって五分もたたないうちに「これは面白い。まねをしてみたい」と思った。うわさのとおり「これぞ授業だ」という、すごい授業であった。
 その授業の指導案を見ると、学習活動は次の通りであった。
(1)
グループで作ったポストの模型について発表し、くらべ合う。
(2)
ポストで、うまく作ってあると思うところをみつけて、そのわけを話し合う。
(3)
ポストをあける郵便屋さんのまねをする。
 簡単すぎて、何をどうするのかわからなかった。ユニークな授業が展開されることなど、全く読みとれなかった。やはり、授業も、指導案も、見る人の実力ほどにしか見えないものだと後で思った。
 授業は、欠陥のあるポスト(例えば、屋根がない、投かん口の上のひさしがない、取集時刻がない、など)を使って「欠陥があると、どのように困るのか」考え合うのである。
 一般的なことを言う子どもは一人もいない。みんな体験にもとづいたものばかりで、実にユニークな発言である。
 長岡先生は「屋根なんかなくていいよ!」と、とても教師とは思えないことを言うのである。正しいことを教えるのが授業だと考えていたので、驚くばかりであった。
 教師がゆさぶるたびに、子どもがものすごい反論をする。教師の言うことに従うのが子どもだと考えていたので、これにも驚いた。
 それまで、教材は完全なものでなければと考えていた。ところが、欠陥ポストを使っての授業を見ているうちに、意味がわかってきた。
 欠陥のあるものは目につきやすい。それを発見させて、どうすれば完全なものになるか、考えさせることが、子どもの思考のすじ道からしても自然なことに気がついたのである。
 翌日、続きの授業を見た。多く子どもたちが郵便屋さんをつかまえて聞いたり、観察してきたりしていた。その観察のしかたの鋭さに舌をまいた。
 「これが本物の授業」だと思った。私に授業を求める心があったからこそ、この出会いがあったのだと思う。
 つまり、私が目ざしていたものが「具体的な形で見えた」ので「よし、こんな授業をしてみたい」ということになった。
 どんな子どもを育てればよいかも見えてきたのである。こうして、長岡文雄という一人の先人を追い続けることにしたのである。
 教師は子ども対象であるため、お山の大将になりやすい。お山の大将に共通していることは
第一に「視野が狭い」ということである。狭い世界で「自分が一番だ」と思いあがっている。
第二に「目あてのレベルが低い」ことである。大したことないのに、すごいことをやっていると勘違いしている。
第三に、周りの人々が嫌っているのに、全く気づいていないことである。
 教師は「いい授業を見る」「いい授業の話を聞く」などして情報を入手し「自分なりの、やってみたい授業のイメージを創る」とよい。目あてに近づけば、目あてのレベルを上げればよい。
 これができるかどうかが、お山の大将にならずに伸びるかどうかの分かれ目である。
 幸か不幸か、私には今も目ざしたい授業があり、それを追っている。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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子どもを育てるときの「ほめ方」「叱り方」の鉄則とは何でしょうか

 私は長い警察官生活の中で、道を踏み外した子ども、そしてその子を育てた親と接し、たくさんの話を聞きました。
 話を聞くと、一緒に住んでいるのに気持ちはすれ違い、かみ合ってないことや、お母さんが子どものために良かれと思っていたことが、子どものためになっていないことなど、家庭でさまざまな問題を抱かえていたことが分かってきます。
 子どもたちに不幸を生まないためには、子どもの頃からしっかりと、しつけを行うことが必要なのです。
 子育てにおいて愛情が基本なのは当然のことです。しかし、愛情に溺れず、どこかで冷静に距離をおいて子どもに接するのが親の役目なのです。
 叱るときも、本気で叱りながらも、怒りをぶつけてはいけません。あくまで親という役割の必要性からそうしているのです。
 子育ては、時代が変わっても押さえるべき「子育ての鉄則」は変わりません。私の長年の経験から確信をもって言えることです。やろうと思えば誰にでもできることです。
 子どもを育てるとき、子どもの「ほめ方」「叱り方」の鉄則とは
(1)
かわいがることと溺愛は大違い
 かわいがられたことのない子は、よい子に育ちません。しかし、溺愛ほど有害なものはありません。溺愛だけで「しつけ」のない親があまりにも多い。
 今の親は甘やかす傾向が強く、必要以上に子どもに迎合する親や「友だち親子」になっていて、叱らなければならない時に、それができず、むやみにかわいがってばかりいる親が多いのが懸念されます。
 子どもに甘く、子どもの要求をやたらに受け入れる親は、理解のある親だと思われたいのでしょうが、とんでもないことです。
 子どもが転んだら手を貸して起こしてやるといった子育ては避けるべきです。親が先回りしてやってしまうと、何かに耐えたり、我慢したりする、生きていく上で大切な力が子どもの身につかないのです。
 自分で立つことを学ばせることはとても大事なことです。それが「しつけ」であり教育なのです。
 子どもがキレて、わめくと「ああ、分かった、やってあげるからね」と助けてしまう。すると、子どもは駄々をこねれば何でも通るということを覚えてしまうのです。
 そんな子に育っていくのが最も恐ろしい。やがて親にとっていちばん苦労する子になってしまうのです。
(2)
叱ることを恐れない
 まるで腫れ物にさわるかのように子どもに接している親がいます。これが一番よくないと私は言っています。必要以上に子どもの機嫌をとってはいけないのです。
 叱るということを、あまり恐れてはいけません。叱り方さえ間違えなければ、子どもは親から離れることはありません。
 親は子どもに「間違ったことをしたら叱られる」のだということを教えるべきです。子どもは世の中のことを知りません。間違ったことをやって当たり前です。
 叱るべき時は厳しく叱る。そのかわりよいことをしたら、とことんほめる。抱きしめてほめてあげてください。その時に、親と子の結びつきができるのです。「叱る」「ほめる」という行為は、そういう意味でも大事なことなのです。
 気をつけることは、叱るときに感情的になると「怒る」ことになります。その分だけ愛情が抜けてしまうのです。子育てにおいて、感情と愛情はなかなか同居しにくいものなのです。そのことを忘れないでください。
 叱る時には、絶対に人の前で叱ってはいけません。子どものプライドを軽視してはいけません。ほかの子と比較はしない。自尊心を傷つけます。
 叱るときは肌を接して叱ってほしい。特に厳しく叱る時は、必ず子どものどこか(手を握るとか、頭に手を乗せるとか、肩を組むなど)に触っていてください。親が考えている以上に、子どもは孤独感と恐怖感を覚えるのです。
 叱ったあと、後味の悪さを引きずったままでは、親子の関係が離れ、やがて結べない距離になってしまいます。「きつく叱ったな」と思ったら、必ず「なり直し」(フォロー)をやってあげる。
「ね、分かった? お母さんの言うこと」「うん」などと、気持ちを寄せ合って、子どもが不安を引きずらないようにしましょう。
 毎日の子どもとの触れ合いの中で「叱る」より「小言」が多すぎると、子どもも「またか」と、うんざりするだけで、言うことを聞こうという気持ちにはなりません。
 これは、子どもに近づきすぎていることが原因です。子どもとの距離を少しとって口を出したいと思っても、子どもを信じて黙って見守ってみてください。
 自分で問題を解決することにより、子どもはものごとの処理能力を身につけた大人へと成長していけるのです。
(3)
子育ての責任者は親である
 何のために子どもをしつけるのでしょう。子育ての目的は、社会生活をするために必要なルール、作法や物事の善悪を判断する力を身につけさせること。
 そして、この子育ての責任は親にあることをよく自覚していただきたいのです。このことが分からず、他人や学校に文句ばかり言う親がいますが、子育ての責任はあくまで親だということを忘れないでほしい。
(4)
まずは、さきに「ほめる」
 
「ほめて」よいところを伸ばしていけば、やがて黙っていても悪いところは立ち枯れるものです。「よくがんばったね」と、よくできたところをほめた方が効果的です。
 ほめて自信をつけさせて「やればできるのだ」と暗示をかけて育てる方が大事ではないかと思うのです。やがて、この暗示が本物になるのです。
 
「あなたのいけないところはこれ、早く直しなさい」と、先に悪い点を言う親が非常に多い。そうではなく「今日はよいこと一杯できたね。明日はここをがんばろうね」と、よいところを指摘しながら励ますようにします。
(
星 幸広:1944年生まれ、千葉県警察官、千葉県鉄道警察隊長、警察庁警備局、千葉県少年課長、 千葉県警察署長、地域部参事官等を歴任し、千葉大学ジェネラル・サポーター。「子育て、しつけ」や「学校危機管理」に関する講演を全国的に展開 している)

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保護者との駆け引きがうまくできるようになれば、教師として一人前

 中部地方の公立小学校に勤務する40歳代半ばの教師。子どもや親からの相談にも気軽に乗る「頼りがいのある先生」でもある。その教師にインタビューした。
 教師側からすると、全般的に昔に比べて、保護者がうるさくなってきている。
 管理職から「親とのトラブルだけは避けてください」って言われます。それはどういうことかといえば、やっぱり「親に合わせろ」ってことなんです。
 でも、親に合わせろといっても、いろんな親がいるわけでね。だから具体的には「こまめに親と話をしなさい」というわけです。「とにかく連絡を取りあいなさい。親の要望を聞きなさい」と。
 つまり、子どもが具合悪くなったら連絡しなさい。ケガしたらすぐに連絡して病院に連れていきなさい。そういったことです。
 だから、私はとにかく親にはこまめに連絡を取るようにしている。何かあれば電話をかける。例えば、
「ちょっと今日は、気分が悪くて給食あんまり食べられんかったから、お家でもよく見てあげてください」とか。昔だと感謝されたんですけどね。今はもう何もないですわ。
 親は、やっぱり不安なんですね。子どもを毎日学校に預けるわけですから。それに今の学校はいじめやらいろんな問題があることを親だって知っている。
 だからこそ教師に期待するわけです。いろいろな問題に対処してほしいと期待するから注文も多くなる。
 でも期待の中身の半分は、じつは「しつけ」なんですね。親自身が子どもの「しつけ」に自信がないんです。いわゆるいい子のイメージは親の頭にあるんだけど、それにわが子がついてこない。
 私なんか小学校一年生ぐらいで、おとなしく教室で座っているほうが不思議だと思うんだけど、お母さんたちは、それが許せないんですね。
 それで、最初の授業参観なんかで、子どもたちがウワーって騒いでいるのを見ると
「これは先生に力がないんだ」
と思うわけです。きちんと座ってないのがすごく不安なのですよ。
 私が親とつきあううえで原則にしていることが三つあるんです。
 一つめは「何か問題が起きたときには、親と一緒に考える」ということです。
 ぶっちゃけた話、学校でのことだから私も頑張るけど、お母さんが、もし教師の私の立場だったらどうしますか。同じような事態になったとき家でどう対応していますか。と一緒に親に考えてもらう。
 つまり、こっちも覚悟を見せたうえで、親も巻きこんじゃうわけです。まあ、それでたいていのトラブルは解決しますね。
 二つめは「問題をひとりで抱かえない」ことです。
 親からクレームなどがあれば、できるだけ同僚や管理職に声をかけ、同僚も巻きこんで学校全体で取り組むということ。
 授業の空いている教師がいたら、集まってもらって話し合う。すると、結構いいアイデアが出てきたりするんです。
 だから私は日頃から口をすっぱくして言っているのは、どうしようもなくなってから人を呼ぶなよと。
 学級崩壊なんかになったら、もう対症療法しかないんだから「ちょっとやばいな」と思ったら早く言えよと言っているんです。
 三つめは「仲のいい親からは情報をどんどんもらいます」ということ。
 親たちとパイプをつくっておいて、ちょっとへんだなと思ったら、裏を取ってすぐに対応します。そうすれば大きな問題にはなりませんね。
 まあ、社会が変化して学校や教師に対する親の見方も変わってきたし、同時に親もすごく変わった。親だって子育てがうまくいかないとか、いろいろ悩みはあるでしょう。
 たとえば、手のかかる子がいて、その親が「いつもお世話になっています」と、ひと言いえるかどうかの差はすごく大きいと思うんですよ。
 やっぱり教師だって人間だから「お世話になって」って言われれば、じゃ、もうちょっと頑張ろうかなって思うわけですよ。そのへんがうまくないというか、自覚していない親が多いんですよね。
(
森口秀志:1966年東京都生まれ、フリーライター、エディター。大学在学中から教育・音楽・若者文化等をテーマにルポを発表)

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子どもを叱っても言うこと聞いてくれないとき、どうすればよいのでしょうか、その発想のポイントとは

 子どもをどう「しつけ」たらいいか分からない。いくら叱っても、子どもが言うことを聞いてくれない。言いたくないのに、いつも子どもに小言を言ってしまう。子どもと楽しく過ごしたいのに、気がつくと子どもを叱っている。
 私は、23年間の教師生活の中で、このような親たちの相談を何回も受けてきました。多くの親たちがこのような悩みを抱かえながら、毎日を手さぐり状態で生活しています。
 これらは、教師である私自身の悩みでもありました。私も教師になったときから、ずっと同じようなことで悩んできたのです。
 叱りすぎて。子どもの心が離れてしまったこともありました。毎日子どもと顔を合わせるのが、嫌でたまらなかったこともありました。
 そのような悩みと苦しみの中で、だんだん分かってきたことがありました。分かってくるようになってからは、毎日の子どもとの生活が楽しくなってきました。
 そして、子どもたちもグングン伸びていくようになりました。
 以前、わからなかった「子育てやしつけ」のポイントが少しわかるようになったのです。ほんの少し発想を変えるだけでいいのです。この「発想を変える」ことがとても大切だと思います。発想を変えて、初めの一歩を正しい方向に向けることがとても大切なのです。
 「子育てやしつけ」の発想のポイントとはどのようなことなのでしょうか。
(1)
「しつけ」より愛情
 
「しつけ」は愛情の後に来るものです。まず、子どもの心を親の愛情でいっぱいに満たしてやることが一番大切です。
 自分が愛されているということを実感させてやってください。子どもが親の愛情を実感し、心が満たされているとき、初めて、しつけも可能になるのです。
 子どもが愛されているという実感がないと、いくら子どもをしつけようとしても、何一つ身につきません。私はそういった例をたくさん見てきました。
 親たちも、みなそれぞれに愛情を持っているのですが、子どもが実感として親の愛情を感じることができていない場合があります。
 実際にコミュニケーションやスキンシップなどの触れ合いを通して、心と体で愛情を実感することができないと満たされないのです。
 自分が本当に親から愛されているのだということを、子どもはいつも実感していたいのです。それは、一度にまとめて受け取り、蓄えておけるようなものではないのです。
 親に愛されていると日々実感している子は、心が満たされます。心が満たされている子は、素直になれます。ですから、親の言うことを受け入れることができるのです。
 生活のしつけや決まりも、素直に受け入れることができるのです。
(2)
叱ることで「しつけ」ようとしない
 親がコミュニケーションやスキンシップなどの触れ合いを心がけているにも関わらず、親の愛情を子どもが実感できないでいるという場合があります。
 多くの親は、叱ることで「しつけ」ようとしています。でも、子どもはその度に嫌な気持ちになっています。その度に、少しずつ親の愛情への疑いが育っていくのです。
 子どもが人間として許されないようなことをしてしまったとすれば、「叱る」ことも必要でしょう。例えば、誰かを傷つけたり、卑怯なことをしてしまったとか、弱い者をいじめてしまったなどという場合です。
 でも、大人が感情的になって、声をあらだててとがめる必要が毎日あるでしょうか。
 私は、以前は、声をあらだてて子どもを叱ることがよくありました。私も、その度にいやな気持ちになるのが常でした。
 叱られる子どもは、うなだれて、しょんぼりしています。私を見る目も微妙に違ってきます。つまり、子どもの中で教師としての私の価値が低くなっているのです。
 感情的に叱ったり怒ったりするたびに、子どもたちが言うことを聞かなくなっていきます。指示や指導は効き目がなくなっていきます。なぜなら、指示や指導には、その人自身の人間性の裏付けが必要だからです。
 生活の中に「叱ってしまう流れ」から「叱らなくてすむシステム」を作ることに力を注ぐようにします。 
 例えば、私は叱らなくてすむように、小黒板を利用していました。小黒板に朝の流れを書いて、毎日帰り際に、係の子どもが教室の前の黒板に張りつけます。
 
「朝、八時までに、提出物を出しましょう」「係の仕事をがんばりましょう」「外で元気に遊びましょう」
 こうしておけば、朝、学校に来たときに、誰もが目にし、朝の八時までに提出することが出来るわけです。もうひと工夫して、教室にいる子どもたち全員で読むようにします。これはとても効き目があります。誰の耳にも聞こえるからです。
 たいていの場合、これで、どの子も朝の仕事がきちんとできるようになります。それぞれの問題に応じた方法を工夫すればいいのです。私は「改善」と言いながら工夫してきました。
(3)
子どもの短所に目をつぶり、長所を伸ばす決意をする
 
「しつけ」ようとしても、どうしてもできない子どもには、どうすればよいのでしょうか。目をつぶればいいのです。短所に目をつぶる代わりに、長所を伸ばす決意をするのです。実はこの短所に目をつぶるということが、大人にはなかなかできないのです。
 成長するためには人間は、どこを持って持ち上げてもいいんです。得意なこと、好きなこと、長所を持って上げてやればいいんです。
 人間全体が上がれば、苦手だったことや短所も、いつの間にか上に上がるんです。その子は幸せになるのです。
(4)
肯定的な言い方で、子どもをやる気にさせる
 ちょっと言い方を変えると、聴いている人は気持ちよくなります。
「脱いだ靴が揃えられていると気持ちがいいね」
という言い方は、肯定的な言葉を使っているので、聞いている人は気持ちがよくなるのです。それで、聞いている人は前向きにやってみようかなという気になるのです。
(5)
子どもをほめる
 人は誰でもほめられるとうれしいものです。心が温かくなって、やる気が出てきます。私は担任として、子どもを意識的にほめるようにしていました。
 子どもをほめられない人は、日頃の考え方がマイナス思考の人が多い。子どもをほめられるようになるためには、自分自身をプラス思考の性格に変えることです。生活や仕事を楽しんでいる人は、みんなプラス思考だということです。
 物事の肯定的な面を見つけ出して「いいね、いいね」「あなたのいいところはここね」と、それを話題にするようにします。
(
杉山桂一:1958年生まれ、公立小学校で23年間教師を務め2006年に退職。教育評論家として講演、執筆活動、無料メールマガジン(メルマガ大賞の教育・研究部門で5年連続第1位)の発行を続けている)

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教師が教育のプロとなるための条件とは何でしょうか

 指導力不足の教師がいる。子どもが大きく変化しているのに、教師の方が変化できないでいるのだ。わたしは、ほんのひとにぎりの教師が指導力不足に陥っているのであって、多くの教師は、そうでないと考えている。プロをめざしてがんばっている教師がたくさんいる。
 教育のプロとは、何だろうか。教師の場合、真のプロとはどんなところをみればよいのだろうか。幅が広くて、これとこれというようにはいかない。でも、何といっても
プロ教師の第一条件は
「子どもを引きつける授業ができる」 
ことであることは間違いない。
 授業ができないのに、理屈ばかりいって専門家ぶっているのは、本物ではない。
 わたしの夢は、子どもの前に立っただけで、子どもが集中し、語りかけてくるようなプロ教師になることである。
 子どもを引きつけるには、一つは、人間性である。子どもが「面白そうだ、何か話しかけてみたい」と、思うような存在感のある人間性でありたい。これをみがかなくてはならない。
 
「先生の笑顔をみただけで、勉強が面白そうに思える」
といった雰囲気をもった人間性である。こういう雰囲気をつくり出さなければならない。
プロ教師の第二条件は
「新しい角度からの『発問』ができる」  
ことである。例えば、
 
「どうして海の中を列車が走っているのでしょうね」
といった発問は、さり気ない発問のようにみえるが、実は深く広い教材研究の中から、にじみで出たような発問である。
 日本最初の新橋から横浜間の鉄道は、その三分の一は海の中に盛り土をして、その上を走らせたのである。
 明治のはじめの、しかも家も沢山ないような海岸を走らせるのに、どうして反対したのか。たぶん反対があってこのようになったのだ、といったことに気づかせるための発問である。
 発問のしかたで、授業は一変する。
「この紙で郵便ポストを作りたいのだが、どうだろう」
「バスの運転手は、どこをみて運転しているのでしょう?」
「東京23区に、牧場はあるでしょうか」
こういった発問は、子どもをゆさぶり、授業のあり方を変えてきた。
プロ教師の第三条件は
「明確な指示ができる」
ことである。
 明確な指示ができていれば、子どもはきちんと対応する。
 よくみかける指示は、何を指示しているのか、わからないものが多い。プロ教師の指示は明確である。
プロ教師の第四条件は
「オリジナルな教材をどれだけ持っているか」
である。
 教師は教え方のプロではあるが、教える内容のプロではなくなってしまっている。教科書ばかりに頼っている間に、自分らしい教材開発を忘れてしまったのではないかと、わたしは心配している。
 輪郭のはっきりした、その人らしい教材をもつことだ。これなくしてプロとはいえない。
 わたしが訪問する学校の教師たちは、毎年、新しい教材で授業をしてみせてくれる。ほんの少し努力しただけで、教材開発ができるのである。あとはやる気の問題だけである。
 面白いことに、一つの面白い教材を開発すると、次々に面白い教材がみつかる。教材を開発するには、関係的な見方・考え方をすることが得策である。
 例えば、いちじくを教材化すると、みかんや柿、りんご、梨、ぶどうなどが自然に教材化されるのである。
 つまり、一つみえるようになると、他のものがみえるようになるのである。
プロ教師の第五条件は
「対応の技術を持っているか」
ということである。
 子どもが発言する。それに対して教師がどれだけプロらしい対応の技術をみせるか、である。
「間」が大切である。
間ぬけになったり、間のびした対応ではどうしようもない。適度な「間」で、適切な対応をすれば、子どもはやる気を出して追及する。
 バスガイドの中には「対応の技術」にたけた人が多い。客を喜ばせるコツを心得た対応をする。
 ふだんから、子どもとのやりとりのしかたを工夫することだ。工夫しているうちに、あるときコツを会得することができる。
プロ教師の第六条件は
「板書の技能」
をあげたい。
 しっかりした板書ができなければ、とてもプロ教師とはいえない。
 わたしは、常に「芸術的な板書」をしたいと願って努力している。子どもを引きつけて離さない板書技能をみがきたいものだ。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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保護者に「この先生でよかった」と思われるための保護者会・懇談会のポイント

 保護者会・懇談会で信頼を得るためには、笑顔で対応し、具体的にほめることが信頼につながる。ここで大切なポイントは
(1)
笑顔
 何といっても笑顔だ。人間の印象はほとんど会った瞬間で決まるといわれる。それも、話す内容ではなく「表情」や「声」によって左右されるらしい。
 保護者もはじめは緊張している人が大半だ。笑顔はそうした保護者の緊張をほぐす役目も果たす。
 忙しい中、時間を割いてくれた保護者に感謝の言葉を述べ、常に笑顔で対応することが信頼につながる。
(2)
エピソードを語る
 学級で起こったさまざまな出来事、その中で特に子どもが活躍した場面や子どもの優しさが表れた場面などを具体的に語り、ほめていくのである。
 
「この先生、クラスのことをよく見てくれている」と保護者が思ってくれれば成功である。
 どうしても語るのが苦手だ、というのであれば、録画を用意するという手がある。休み時間や給食、掃除時間などに撮った録画を流すのは、保護者にとても喜ばれる。
(3)
時間を守る
 ほとんどの保護者は忙しい中、時間を作って出席している。そこで「保護者会は○時○分まで行います」と最初に告げた上で、その時間にぴったり終わるようにする。
(4)
学期末の懇談会で大切なのは、子どもの成長をほめること
 できるだけ具体的にほめなければならない。「朝の会」「授業中の発表」「ノート」「行事などでの活躍」など、場面を切り取り、具体的な描写を入れてほめるようにする。
 そのために日々、その場その場で少しずつ子どもたちの記録をつけていくようにする。
 
「もっと頑張ってほしいこと」や「保護者へのお願い」は、ほめた後、ほんの少し言うだけに留める。信頼関係があればこそ、担任の「お願い」も聞く気になるのだ。
(5)
日々のクラス運営が大切
 このような子どもの事実を作るには、やはり日々のクラス運営が大切だ。
 当然のことだが、保護者は「保護者会の教師」だけを見て信頼できるかどうか判断するわけではない。
 それまでに「今年の先生はどんな先生か」ということは、子どもを通して保護者の耳に入っているのだ。
 
「笑顔で対応し、具体的にほめる」ということは、保護者会や懇談会だけでなく、クラス運営にとっても大切なことだ。
 子どもに対しても、笑顔でほめ続ける。まずは、子どもから信頼されることが、保護者の信頼を得ることにつながるのだ。
(
岡倉光悦:大阪市立小学校教師。:TOSS大阪てんじん代表)

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若い教師は、どうすれば「子どもたちが必要とする」教師になることができるのか

 私が新任だったとき、教え子との決定的な出会いがあった。A子という強烈に個性的な子を、中学一年で担任した。彼女との出会いが、私の教師人生を決定づけたといってもいい。
 教師になる半年ほど前から、地域の子ども会の指導員のアルバイトをしていた。当時小学六年生だったA子は「いやだ」と言ったら「てこ」でも動かない。キレたらすべてを投げ飛ばす。
 口は誰にも負けないほど達者で、ちょっとした教師の弱みや隙をねらって、突いてくる。嫌いな教師は徹底して嫌い、こびようとする教師は鼻先で笑う。
 大きな体を揺らし、肩で風を切って学校中をかっぽしていた。でも、憎めないお人好しで、親分肌で、寂しがりや。勉強がからっきしダメ。読み書きもろくにしようとしない。鉛筆を持たせるだけで1時間かかることもあった。
 授業中はいろんな教師とぶつかった。教室を混乱の渦に巻き込み、挙句の果ては教室を飛び出した。これほどのスケールの子はそうそうお目にかかるものではない。
 先輩教師から「教育とは『今日行く』ということ。家庭訪問して足で稼ぐのが同和教育や」と言われ、子ども会指導員時代にすでにA子の家にも、頻繁に家庭訪問した。
 家庭訪問した翌日、A子はがんばってくれるだろうと、甘い期待を持って教室に入っても何も変わっていない。あいかわらずのわがまま勝手。
 
「お母さんの気持ちが分からんのか」と説教すると「うるさいんじゃ、おまえに何が分かるねん」とはね返された。
 一学期も終わる頃、A子の授業拒否、授業妨害はピークに達していた。授業妨害をめぐって、他の教科教師から苦言が来るし、学年会でも話題になった。
 私なりに、A子が「勉強を分かりたいけど、どうしようもなく分からない」と、苛立ち、押しつぶされそうになっているのが痛いほど分かっていた。
 放課後、残って勉強を教えることもあったけれど、長続きしない。クラスの子がかかわろうとするが「うるさいんじゃ、ほっとけ」の一点張り。ついにA子に匹敵するくらいのパワーの持ち主であるB子と正面衝突して、修羅場となった。
 仲裁に入った私がB子側に立っていると思ったらしい。裏切られたと感じたA子が「お前なんか、うっとおしいんじゃ、もう学校に来るな」と吐き捨てられた。
 わたしは悔しくて悔しくて、体を震わせた。「こんなに一生懸命、この子のことで昼も夜も考えている私が、どうしてこんな暴言を吐かれるのだ」と、私は教室を飛び出した。
 職員トイレに駆け込み、ドアを閉めて思いっきり号泣した。どれだけトイレに籠っていたのだろう。やっと気持ちが落ち着いて「今日はもう、帰ろう」と、トイレのドアを開けた。
 すると、そこにヌッとA子が立っていた。私の号泣を1時間以上聞き、ずーっと声もかけられずに立ちつくしていたA子がいた。でも、私は未熟だった。顔を背けて無言で出て行ってしまった。どうして「心配してくれてたんやね」と言えなかったのだろう。
 そして、次の日も、まるで何ごともなかったように、A子とのバトルは続いた。でも間違いなく、A子との友情は深まっていったと思う。
 私がA子を愛し、A子も私を必要としてくれていると感じられることがあれば、少々乱暴でもいいんじゃないかなあと考えている。
 新任まもなく結婚した私の結婚式にも、A子はクラス代表として数人の子らと参加してくれた。長男が誕生したときも、ベビー服を持って訪ねてきてくれた。
 間違いなくA子は、私の教師人生のスタートを方向づけてくれた教え子だと思う。
 日々、子どもたちとバトルをくり返しているあなたへ。「もう、教師を辞める」と思っては、気を取り直して頑張っているあなたへ。すっかり自信を失っているあなたへ。
 おめでとう。「大物」の子どもと出会えたあなたは、とてもラッキーな教師生活のスタートを切ることができたということ。格闘の日々の中で、これからの教師人生で宝物になるものを、きっと見つけられるはずです。
 若い教師がはじめから、子どもに「自分を開く」なんて、怖くてできないし、そんなにうまくいくはずもない。教師らしく説教しようとか、教師としての格好をつけても滑ってしまうこともしょっちゅう。
 
「どうして分かってくれないのか」なんて、恨みがましく思うより、真っ正面から直球勝負を挑んで、そして子どもにスカーンとホームランを打ち返されたらいいと思う。
 大事なことは、あなたがその子の存在を放っておけないということ。それは、その子のいいところも悪いところも、ひっくるめて、いとおしいと思えたら、もうこっちのもの。
 
「この日を迎えるために、自分は格闘してきたんだなあ」と、思える日がきっと来る。自分を信じて、子どもを信じて、進むしかない。
 私は「子どもとぶつかって泣くのは、プライドが許さない」「私はこんなに一生懸命なのに、どうしてあの子は分かってくれないのか」なんて、傲慢で薄っぺらな気持ちは、いつの間にか跡形もなく消えて、子どもの前で大泣きする教師になっていた。
 
「教師は、子どもたちによって教師にしてもらう」のだと、私は思う。
(
新保真紀子:徳島県生まれ、大阪府公立中学校教師(11)、大阪府人権教育研究協議会(7)等を経て神戸親和女子大学教授)

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いじめを早期発見するための具体的な方法とは

 「わが子がいじめられているのではと相談したけれど、担任の先生は具体的に何もしてくれなかった」などいう親のコメントをいじめ報道で目にすることがあります。
 教師が親の相談に対して何も行動を起こさなかったとすれば論外ですが、大抵の場合、デリケートな問題であるため事実関係をつかむのに時間がかかり、その結果、親との温度差が生じてしまい、教師不信となるケースが少なくありません。
 学校は「あってはならないいじめを早期に発見する」という視点で緊迫感のある対応をすることが望まれます。
 ですから、相談を受けた段階では、いじめは深刻な状態に進展していると考えるべきです。決して対症療法的な後手、後手の対応をしてはならないということです。
 それには、意図的、計画的に早期発見するため、つぎのような具体的な手だてに取り組むとよいと思います。
(1)
「帰りの会」で、自由に発言できる雰囲気をつくろう
 帰りの会で学級の諸問題を自由に発言しあえる雰囲気を醸し出したいものです。担任の一つの眼でなく、学級に担任以外の眼が育てば、いじめを早期に発見することもできるでしょう。
(2)
学級に「心のポスト」を設置しよう
 子どもたちの悩みや心配事を自由に投函できる「心のポスト」を設置すると、人前では発言できない子どもたちが担任に知らせることができます。毎日確認し、どんな些細なことでも即座に対応することが大切です。
(3)
週に一度、簡単なアンケートをとろう
 週に一度、曜日を決めてアンケートをとり、チェックをすれば、子どもたちの変化をつかむことができます。
 例えば、表題 「心のかがみ」
 つぎの項目に、はい、いいえのどちらかに○をつけましょう
 このアンケートは心の中にある悩みや不安をうつしだすかがみです。_ _組 名前_
「体調は良いですか」(はい)(いいえ)
「よく眠れますか」(はい)(いいえ)
「食欲はありますか」(はい)(いいえ)
「友だちとの仲は良いですか」(はい)(いいえ)
「いじめられていますか」(はい)(いいえ)
「いじめられている子がいますか」(はい)(いいえ)
「悩んでいることがありますか」(はい)(いいえ)
 など。子どもに、○だけを記入させるだけなので、用紙の配布から回収まで二分程度でできます。
 実施する曜日は、子どもたちの悩みや不安が蓄積される週の後半が望ましいと思われます。木曜日の下校前などが適当でしょう。回収は二つ折にして直接担任に手渡すようにします。
 問題があれば、その日のうちに電話をかけて、詳しく話を聞いてみることです。状況によっては、翌日に個別に話を聞ける機会をつくり、何気なく面談をすることが必要です。深刻な場合は家庭訪問して親を交えて話し合う必要があるでしょう。  
(4)
月に一度、個人面談をしてみよう
 月末の三日間くらいは、子どもたちと個人面談してみましょう。休み時間に空き教室などを利用して、一人一分程度、直接話し合います。質問は
「最近悩んでいることや心配なことはありませんか」のただ一つ。「ある」と応えた子には、その場ではなく、その日のうちに自宅に電話をかけてじっくりと悩みを聞きましょう。
(
小谷川元一:1959年千葉県生まれ、千葉県松戸市公立小学校教師、松戸市指導主事等を経て東京福祉大学准教授。子育て・教育支援スペース「こたにがわ学園」理事長)

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保護者に「若い先生だから」と信頼されていないと感じるとき、信頼されるにはどうすればよいのでしょうか

 若い教師は、経験が少ない、若いということで保護者は不安に思います。まず「ちゃんと教えてくれるか」という不安でしょう。教師に期待するのは、学習面や生活面の指導力です。
 それと同時に、子どもが先生が好きか、学校が楽しいかどうか、ということもあります。学校が楽しく、先生のことが好きで、一生懸命勉強している子どもの姿が見られることが、保護者からの信頼を得るポイントであると言えます。
 そこで、子どもががんばっている様子を家庭に伝えるようにします。そのことが、学校への理解や協力を得るための近道にもなります。
 
「今、何を学習しているか」「子どもたちがどんな点でつまずいているか」といったことを学級通信などで保護者に知らせていきます。
 一週間に一度でも学級通信を発行し、継続していくことでも「うちの担任は、学校の様子をよく知らせてくれ、子どもの様子もよくわかる。若くてやる気があるな」と、若さを評価してもらえることもあります。
 学級通信で大事なことは、子どものがんばりを多面的にとらえて伝えていくことです。そのもとになるのは、日頃の授業への取り組みや子どもとの関わりです。
 楽しい授業、わかりやすい授業を工夫していると、子どもを通じてそれが保護者に伝わるものです。「今日、先生とくじら雲に乗ったんだ」などと、子どもが家庭で楽しそうなに学校の話をすることで、担任の取り組みが保護者にも伝わっていきます。
 また「先生がわかるまで丁寧に教えてくれた」「できなかったけど、手伝ってくれたんだよ」など、一人ひとりの子どもに合わせた対応ができていれば、子どもの満足感にもつながります。
 このように、若くても、一人ひとりの子どもを大切にして、授業をおろそかにしなければ、保護者からの信頼は得ることができます。
 さらに気をつけたいことは、子ども同士の人間関係です。集団生活ではトラブルはつきものです。いじめや学級崩壊など、保護者は子どもの学校生活に敏感になっています。
 トラブルになったときのポイントは、子どもや保護者の言い分を十分に聞くことです。トラブルになる一番の原因は「先生は何もしてくれない」と思われてしまうことです。
 保護者や子どもから訴えがあったときには、時間を取って十分に話を聞きます。そして、相手が訴えたいことを、まずは受けとめることが重要です。その上で、具体的で目に見える対応をしていきます。
 その後、子どもと保護者が納得してくれたか確認することも必要です。個別のトラブルにどう対応してくれたか、ということが教師への信頼感につながってきます。
 子どもの人間関係のもとになっているのは学級です。子どもたち一人ひとりが楽しいと感じられるような学級集団づくりを意図的に行っていくように努力していく必要があります。
 学級集団づくりのもとになるのは、ルールとリレーションです。
 
「友だちの嫌がることをしない」「友だちの話は最後まで聞く」「掃除はきちんとやる」など学級にしっかりとしたルールが定着していると、子どもたちは傷つけあうことなく安心して生活することができます。
 したがって、いじめなども起こりにくく、授業もスムーズに進み、お互いを高めあうことができるのです。
 また、子どもたち同士の人間関係が希薄だと、温かみのあるふれあいは生まれません。ゲームや遊びを通して子ども同士がふれ合えるような取り組みをどんどん入れて、子どもたちがクラスのいろいろな友だちと接する機会をつくることが必要です。
 今の子どもたちは自分たちで人間関係を作っていく力が弱いように思います。子どもの実態に合わせて、教師のほうで人数や場所、やり方を決めて、子どもたちが安心して関われる場を作ってあげればよいのです。
 以上のような指導や援助を心がけていけば、子どもの姿を通して保護者からの信頼を得ることができるでしょう。
 子どもからの信頼を得やすいのも若いうちだからこそ、教師は自分の持っている資源を十分に生かし、保護者がわが子のことを思う気持ちを十分受けとめ、子どもに真剣に向かい合う姿を大切に、勉強を続けていってほしいと思います。
(
浅川早苗:山梨県公立小学校教頭。上級教育カウンセラー。日本カウンセリング学会認定カウンセラー。学校心理士。河村茂雄教授に師事し、Q‐Uを活用した学級経営について、校内研究会や各種研修会で講師を務めている)

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荒れている学級を担任して、どのようにして立て直していったか

 五年生は荒れている学級だった。ティームティーチングでなんとか学年末まで持たせてきた子どもたちだ。
 子どもたちの気持ちは担任から離れるばかりであった。二学期末から三学期にかけて臨時保護者会が何度か開かれ、保護者も二月頃は毎日授業参観に来ていた。
 問題は、担任が子どもたちの心をつかみきれず、体を張ってでも、とことんかかわってくれなかったことへの不満が出ていたようだ。
 その荒れていた学級の子どもたちが六年生になり、私が担任することになった。新しい学年になり、担任が代わったときは、学級を立て直すよい機会である。
 私は、つぎのような取り組みをした。
(1)
始業式の一日で子どもたちの名前を覚え、出席簿を見ないで呼名をして一声かける。
(2)
子どもの不満に耳を傾けながらも、YESとNOをはっきりさせる。
(3)
子どもが登校する前に教室で仕事をするようにして、子どもたち一人ひとりと挨拶をかわして迎える。
(4)
チャイムが鳴る前に教室に行き、チャイムと同時に授業が終わるようにする。
(5)
休み時間は子どもたちと一緒に遊ぶ。
(6)
掃除は一緒にする。雑巾がけなどいやがる仕事は、担任が先に立ってやり、範を示し、声をかけ一緒にやる。
(7)
できることは何でも一緒にする。
 ボスのKを取り巻く四人はなんとか理由をつけて手を抜こうとする。そんな時、命令だけでなく共に作業をする。
(8)
専科の時間も専科教師に了解を得て、ティームティーチングをさせてもらう。
(9)
やる気のない子には個別指導を続け励ましながら完成させる。
 諦めずかかわっていると「わかったよ。やるよ、先生もういいよ」と、どの子どももわかるときがくる。
 指圧や針の世界では、体の部位にツボがある。ツボをはずしていくら治療をしてもききめがない。荒れた子どもの心をつかむのも同じである。その子によってツボが違う。
 ボスのKは意外と情にもろいところがあり、話をしていて反抗的な態度のときと、涙もろく素直なときがある。
 あるとき子どもたちに、私が小学生のとき、母親に反抗したときの体験話をした。「母が悲しんで一人涙している姿を見て、私はとてもショックを受けた」と子どもに話した。「母の涙を今も忘れられない」と。
 その話を聞いて、ボスのKの目から大粒の涙がこぼれ落ちたのだ。母思いのKの一面を見た。Kの母親と連絡をとり、何度か家庭訪問をして、Kと母親と私の三者面談をして、自分を見つめさせる話し合いを持った。
 母親を悲しませたくないと思いながらも、級友の前ではワルを演じているのである。母親の思いに気づかせたことは、K自身をみつめさせ、自分に気づかせるのに役立った。
 教師は個々の子どもにかかわり、その子の心のツボをつかむことが大切だ。
 口や指示や命令だけしていて、教師が動かないのでは子どもはついてこない。子どもが見えていないだけ、子どもの心は教師から離れていくのである。
 一つできるようになったらよしとして、あれもこれもと望まない。たとえば
「着席して授業ができるようになったからよし」
「ノートや教科書が出ているからよし」
「人が話をしているとき、おしゃべりがなくなったからよし」
 小さな達成できそうな目当てを、子どもたちと話し合いながら決める。
 みんなで約束したことが、できるようになったかを確かめて、次のステップに移る。
 学び合い、支え合う雰囲気づくりの実践には、教師のおおらかさとねばりが基本である。
(
塚田 亮:元東京都公立小学校長)

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授業中に暴言を浴びせられたときどう対応すればよいか、予防するにはどうすればよいでしょうか

 かなり言葉づかいの荒い子どもがいます。教師を挑発することに快感を覚える子もいます。「クソジジィ」「クソババァ」といった罵声を浴びせられたことがある教師もいると思います。
 あまりにひどいので大声で叱ることがあります。大声で叱っても本人は平気なので、何度も叱っていると、その度に授業が中断し、学級が荒れてしまうおそれがあります。どうすればいいのでしょうか。
 教師も人間です。子どもの暴言にカーッとなることもあるでしょう。しかし、そこが勝負どころ。感情のままにまくしたてるのはやめて、ゆっくり深呼吸しましょう。   
 子どもの挑発に乗ってはいけません。相手のペースにはまって、ケンカを買わないことが重要です。
 なぜなら、教師がカーッとなって子どもと売り言葉に買い言葉のようになってしまうと、学級が一気に荒れてくるからです。
 学級を荒れさせる原因のひとつに「授業の中断」があります。子どもの挑発に教師が乗ってしまうと、授業が中断してしまいます。
 荒れる学級は、ヒートアップしやすく、熱気を帯びやすい。どうやってクールダウンさせるかがポイントです。
 まず、教師自身が子どもの挑発に乗らず、カーッとしないようにすること、自分自身をクールダウンさせることが大切です。
 子どもの挑発に乗らずに、一瞬、間をあけて、一呼吸置くことです。心の中で「1,,,・・・・・」と数えて、頭にのぼった血が下がっていくのを確認しましょう。
 そして、少し低めの穏やかな声で話かけます。例えば「○○さん、私はクソババァではありませんよぉ」と穏やかにたしかめるのもよいと思います。ヒートアップしている学級の雰囲気をスローダウンさせていきます。
 子どもを注意する時も、できる限り、授業を中断させない工夫が必要です。一斉授業の形をとらず、グループ学習や個別学習の時間を多くとるようにするのも一案です。
 荒れない学級をつくるには、ふだんから学級をクールダウンさせておくことが大切です。
 そのためには、たとえば、子どもの言葉づかいが荒くても、教師は一貫して、子どもを「○○さん」と「さん」をつけます。
 教師は子どもに「です、ます」調で話すようにするなど、ていねいな言葉づかいを保つことで、穏やかな雰囲気づくりを心がけたいものです。
 言葉づかいの荒い子どもが、どんな気持ちでそのような行動に出ているか、その背景にある「気持ち」を確かめてみるのもよいと思います。
 気持ちを確かめてもらうと、その子は「先生は自分を信じてくれているんだな」と感じて、教師の言葉を素直に受け取りやすくなります。「ああ、悪いことしたな、オレ」と思うかもしれません。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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保護者との個人面談でよい関係をつくるにはどのようにすればよいでしょうか

 保護者に笑顔がない場合でも、教師は笑顔で迎えたいものです。いきなり本題に入らず、子どもについてのさりげない話題から入ると、保護者の緊張感も和らぎ、話し合いもスムーズに進みます。
 学校生活の中で、子どもたちがふとつぶやいた一言や、ふと見せた意外な一面などを、さりげない話題として、日ごろから記録することを心がけておくとよいと思います。
 さりげない話題がきっかけとなって、家庭での子どもの様子を保護者が話してくれることもあります。
 面談中は努めて明るく話すようにします。子どもの失敗や直してほしいところなども、明るく話した方が保護者に安心してもらえ、好感度が上がります。
 個人面談は、教師が保護者に学習面や生活面で子どもの顕著な様子を伝えるのが目的ですが、保護者の中には話したいこと、聞きたいことがある人もいます。
「お子さんのことでご心配なことが、何かありますか」
「お聞きになりたいことや、ご要望が、何かありますか」
 と聞いて、必ず保護者の話を聞く時間を設けます。
 保護者の話を聞くとき最も大事なことは、共感的に聞くということです。話の内容や話している人の気持ちを受け入れながら聞くようにします。そうすれば、保護者は安心し信頼感を高めます。
 共感的に聞くには、うなずきながら聞く。時々、言っていることを確認し復唱する。保護者の気持ちを復唱するようにするとよいでしょう。
 保護者が聞いてあまりうれしくないことは言葉でさらりと伝え、よいことは具体的なエピソードにしたり、写真で見せたりします。こうすると保護者は子どものよい面が記憶に残ります。
 あまりよくないことを伝える際には、どうすればよくなるのか、その方法を伝え「ここを改めれば、こう伸びていきます」というように、よくなった未来の姿をイメージして伝えるようにします。こうすれば、よくないことも、よいイメージで伝えることができます。
 理想的には、よいことを伝えてから、よくないことを伝え、最後にさらによいことを伝えて終わるとよい。
 保護者に親しみを覚えてもらうには、くだけたところ、だめなところ、などを見せることが必要です。時には、保護者と世間話をしたり、趣味の話をしたり、ざっくばらんなところもあるとよいでしょう。ただし、肝心な話をさしおいてというのはいただけません。
 それは、保護者との距離感を縮め、関係をつくるための必要なコミュニケーションとも言えます。世間話や趣味の話ができるくらいに親しくなれば、学級経営もやりやすくなります。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校教師。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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