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担任に不満を持つ保護者との出会いが私の教員人生に大きな影響を与えた

 初めて学校に赴任したとき「自分こそ世界で一番優秀な教師だ」と、私は思っていた。
 新任で五年生を担任し、初めの頃こそ、若い教師ということで、多くの保護者から笑顔で歓迎を受けた。
 しかし、時が経つにつれて「学習の進度が遅い」とか「教室が汚い」とか「子どもの言葉づかいが悪くなった」といった不満が保護者の間から出てくるようになり、それとともに保護者の顔から笑顔が徐々に消えていった。
 私自身も保護者に会うのがおっくうになり、保護者会の日は私が不登校になりそうであった。
 そのような状況を感じて私なりに、子どもと休み時間、一緒に遊ぶとか、子どもが提案してきた早朝のマラソン練習に付き合うなど、少しずつ努力をしていたが、保護者にはならなか理解してもらえず、苦情はいっこうになくなることはなかった。
 五年生も終わりに近づき、学年末の保護者会が行われた。学年末ということもあり、保護者の私への批判は、ますます拍車がかかった。
 次々に出される私の実践への不満、保護者会の雰囲気は重苦しいものになっていった。そして、いつも私に一番厳しい苦情をいう学級代表のお母さんがスッと立ち上がって発言を始めた。
 私は、路整然と完膚なきまでに私の批判が語られると想像した。重っ苦しい気持ちを通り越して「どうにでもなれ」と、開き直ってしまった。
 しかし、その母さんから語られた言葉は
「皆さん、いろいろとご意見があると思いますが、先生が担任されて、私たちの子どもがたくましくなったのは、どなたも感じることではないでしょうか」
「私は、先生のこの面を大切に見守っていきたいと思います」
ということだった。
 今までの重っ苦しい教室内の空気がこの発言でガラッと変わった。発言の最中に何人かの保護者のうなずく姿も見えた。
 私はこのお母さんのひと言を聞いて
「ああー、私はこのひと言で生きて行ける。これからの教員生活、死にもの狂いで努力していきたい」
と、思った。
 教師は誰でもみんないい教師でありたいと願っている。ただ、一生懸命努力しても人間関係のゆがみや、相互理解の不足などによって、自分の持ち味が発揮できない場合がある。
 そのようなとき、保護者のひと言でやる気を起こしたり、反対に意欲を失ったりする。私の場合、あの厳しい学級代表のお母さんがいたおかげで、やる気が出て努力する教師になれたと思う。
 このお母さんが厳しかったのは「本音で私の実践を見つめてくれていたからだ」と、思うようになった。
 
「子どもや保護者と、ともに本気で、人生を一緒に生きることの大切さ」を、私はこの母親との出会いで学んだ。
 その後、六年生の担任として、自分の実践を保護者にしっかり伝えようと、学級通信を毎日出した。その結果、子どもに毎日、日記を書かせることになった。
 また、学級通信が授業の資料にもなった。さらに、学級通信に後押しされて、実践を最後まで頑張りぬいた。
 初めのうちこそ、苦手だった保護者会が、私の学級経営の重要な柱の一つになった。
 一人の母親との出会いが私のその後の教員人生に大きな影響を与えたのである。
(
西島興蔵:元東京都公立小学校管理職)

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