教師になって20年経ち、経験したこととは
教師になって20年経ち、少しは広い視野で学校というところを見られるようになって初めて、小学生でも中学生でも、ましてや高校生に至っては、気持ちのほとんどが学校生活以外を向いているという子どもが結構多いということがわかってきました。
私の教員生活の中で、何となく気分がすぐれず疲れていたように感じていたのは、そういう学校に目の向かない子どもや、その保護者たちとの対応だったのではないかと、今なら思い当たるのです。
学校嫌いの子どもが学校に来て、学校の仕組みからはみ出したとき、その子を指導したり、相談にのったりすることは、私にとってそれはとても難しいことでした。
二つ目の学校は東京都立高校の伝統校でした。生徒の気質も私に合っていて、自分はいきいきと毎日を送りました。教師になって十年目、30歳前半のことです。
授業もいろいろ工夫ができました。同じ世代の数人の教師で、お互いの授業を見せ合いました。そんなことが出来たのは、国語科の教師同士、仲が良かったからです。
二人の教師が東京都の高校の国語教育研究会の研究授業をすることになったとき、自然と予行演習をしようということになりました。
まず同僚たちが生徒の役になって模擬授業をしました。そのときには、実際の授業よりずっと質の高い質問が飛び交い、研究授業する教師は冷や汗です。
しかし、本当はそういう授業を皆やってみたいのです。時間の経つのを忘れ、本当に充実したいい時間でした。
こういう楽しさはもう二度と味わえないかもしれませんが、このことは今でも私の授業を支える基礎になっています。
国語科はあたたかく、常に磨き合うという雰囲気でした。授業も共通教材でやっていました。解釈の仕方、文学や言語にかかわる専門のことや、授業についての言葉が飛び交っていて、日々活気がありました。
このような、人生を楽しんでいるような教師たちの空気は生徒たちに伝わります。こういう状況下では、生徒は何でも教師に話してくれます。生徒の情報が学年の教師に伝わってきます。
○○という生徒が△△先生の時間にどんなことを言ったか、また何をしたかみんなわかっていますから、教師と生徒との絆が強くなります。
こういう良い関係があると職員室にいるだけで、生徒の抱かえている悩みや迷いがある程度わかるのです。そして、教師自身もまた、自分の知らない分野に対して妙な劣等感を抱いたりしなくても済むようになっていきます。
しかし、20年間の教員生活は順風のときばかりではありませんでした。初めての出産後、半年の育児休業をとっている間に、入学してくる生徒の様子も変わり、教員の構成が異動で大きくかわりました。
さまざまに変わったところに戻ったとき、私は自分の居場所がなくなってしまったように感じました。
二年の担任をしている途中で産休に入ったのですが、代わりに入ってくださった教師に遠慮し、復帰したあとは、この学年の授業にでることも控えたのですが、それがかえって自分の居場所をなくす結果になりました。
このときは、初めての育児、そして仕事の両立という個人的に初めてぶつかる困難も重なったのだと思うのですが、退職したいと校長に申し出るところまで自分を追い込んでしまいました。
しかし、申し出たあとで、とてもとても淋しく感じました。もうこの仕事ができないと思ったとたん、自分が教師という仕事を本当に好きだったと気付きました。
そう感じていたとき、校長と教頭が、それは丁寧に引き留めてくださいました。今しみじみありがたいと感謝しています。
自分は国語の教師として生徒といい授業を展開したいのです。あの国語科の若々しい雰囲気をどこかで追い求めている気持ちがあるのかしれません。
(原田あけみ:東京都立高校国語科教師)
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