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2017年7月に作成された記事

叱り方に悩んでいる人は、どうすれば「よい叱り方」になるのでしょうか

 子どもを叱ったり、怒ったりするのは、子どもに伝えたいことがあるからです。ですが、感情的になったり怒鳴るだけだったりすると、子どもはなぜ叱られたのか、その理由がわからないままになることがあります。
 そこで、私はつぎのようにしています。
1 叱る前に「見る」
(1)
タイミングを見る
 声をかけるタイミングをみます。何かに夢中になっている途中では、話しかけられたくありません。
(2)
過程を見る
 結果だけを見ないで、その過程をみます。すると、かける言葉が変わってきます。
2 先にいいところを伝える
 言いたいことがあるときは、先にいいところを伝えてください。すると、その後の本当に言いたいことが伝わりやすくなります。
 人は聞きたくない話には耳を閉ざします。だから、先にうれしい話をして耳を開いてから伝える。すると、案外、聞き入れてくれるようです。
3 正論より共感
 人は共感してくれる人に心を許します。子どもの気持ちに寄り添うと「わかってくれているんだ」と思うでしょう。共感の気持ちが安心や信頼につながります。
4「あなたが悪い」でなく「ここが悪い」
 叱るときは、子どもが悪いのではなく、やったことが悪いのだと伝えてください。例えば「壁に落書きするのは悪いことよ」とやったことを否定するのです。
 子どもを叱るときには、子どもの自尊心を傷つけないようにしましょう。自尊心を傷つけない叱り方とは、本人を否定しないで、やったことを叱ることです。自分という人格を否定されたことにならないから、劣等感には結びつきません。
 大切なのは、子どもの気持ちを尊重する接し方です。とくに「叱る」ときには、子どもの失意、失望、自己否定などの負の感情をもたせないよう心がけてください。
5 原因の追究より次の行動
 私は以前、子どもの問題行動を「なんでこんなことをしたんだ?」と問いつめていました。子どもは「だって・・・・・」と言いわけするしかなく、会話は悪循環になるだけでした。
 そこで「なんでこんなことをしたんだ?」ではなく「どうしたらいいのかな?」と、聞いてみることにしました。「なんで」では、解決につながりません。
「どうしらいいのか」「何をすればよいのか」と、するべき行動が具体的にわかれば、子どもたちの体も気持ちも動きやすくなります。
 そのためには「どうする?」です。子どもはきっと、自分なりのアイデアで問題解決していくでしょう。
6 叱るときには深追いをしない
 叱るときは、ひきずらないように叱ることが大事です。叱るときには決して深追いをしない。人と比較しないで「さらっとひと言で」が秘訣です。
 叱られたところから、自主的に立ち直れるようにしてあげないと、子どもはいつまでも叱られた悲しみから抜け出すことができなくなってしまいます。
 子どもを「叱る」ことで悩んでいる人は、日々の暮らしのなかで、一回でも多く「ありがとう」と言いましょう。大人が子どもに言うのです。「ありがとう」は相手をほめることにつながります。
(
佐々木正美:1935年群馬県生まれ、児童精神科医。様々な大学や機関を経て、川崎医療福祉大学特任教授、横浜市リハビリテーション事業団参与。子どもの発達について幼稚園等と勉強会を重ねている)
(
若松亜紀:幼稚園教師を経て親子の集いの場「陽だまりサロン」オーナー)

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「叱らない」と「叱れない」とは違う、「叱れない」教師が増えている、どうすればよいか

 「叱らない」と「叱れない」を一緒にしてはいけません。「叱れない」から「叱らない」では困ります。
 叱る必要のある時にさえ「叱れない」と、クラスの雰囲気が悪くなります。
 でも「叱れない」教師は確実に増えています。叱れないとき、どうすればよいのでしょうか。
(1)
教師になるまで他人を叱る経験をしてこなかったので、どうやって叱ったらいいのかわからない。
 
「叱る」をテーマにした本を手にとって学んだり、同僚の教師に教えてもらったりしたらいいのです。
(2)
「叱る」と子どもに嫌われそうだから、叱ることができない。
 実際、きちんと叱られた場合には、そのことが原因で教師を嫌いになるなんてことは、あまりないのです。
 遠慮はいりません。子どもに遠慮しているという空気が伝わることの方が問題です。叱ることを恐れてはいけません。
(3)
「叱る」ことは、よくないから我慢している。
 叱る必要がある時に「叱れない」と、逆にクラスの雰囲気が悪くなります。叱ることを恐れてはいけません。
(
俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校教師、笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた。教材・授業開発研究所「笑育部会」代表)

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新採4年目で5年生の担任になり学級が荒れたが、キレた子の事件をきっかけに良くなっていった

 「高学年の子どもはこわいが、でも向き合える教師になりたい」という、ずっと抱えていた決意に挑戦するため、新採4年目で5年生の担任になりました。
 この子らは二年生のときに担任したので、きっと良いスタートができるだろうと、期待して始業式を待ちました。
 学級開きの日は、どことなく子どもたちと距離がある感じでした。ドギマギしながら「みんなで力を合わせて楽しく過ごせるクラスにしようね」と言う私の言葉は上滑りな感じでした。
 子どもたちの心の中が知りたくて「始業式の日」という題の作文を宿題で書いてもらいました。翌日、読んでみてショックをうけました。
「担任の先生が若い女の先生だと知って、お母さんが『大丈夫かなあ』、お姉ちゃんが『なめられないといいけどね』と、言っていました」
「わたしは、前の先生がいちばん好き」
など、私に対する不安や傷つく言葉を綴った作文がいっぱいありました。
 さらに、みんなで遊んで楽しい雰囲気をつくり出そうとしても、半数近くの子が「えーっ、やりたくない」といって、校庭の隅に座り込んでしまう。
 授業中は課題にとり組まず「ぼぉーっ」としている子が数人。注意すると「勉強する意味がわからない」「めんどくさい」という言葉が返ってくる。
 また、授業中のおしゃべりが止まらない男子が何人もいて、お説教で授業を中断することもしばしば。女子同士のいじめやいざこざも、後を絶ちません。
 でも、私が決意したことを落ち込むたびに思い出し、前に進む道を探しました。学習会に参加したり、教育書を読んだりして、高学年について学ぶと同時に、学年の教師に相談して具体的な指導方法などを教えてもらい、支えてもらいながら、日々を乗り越えていきました。
 クラスにささいなことですぐキレ、友だちを殴ったり物を投げたりするAくんがいました。教育相談の教師に相談すると「キレる問題」で校内研修会をしてもらうことになりました。
 研修会では「まわりの子どもたちの共感力が必要」「キレた後は、気持ちが落ち着くまでそっとしてあげたほうがいい」「その子が認められるような場をつくる」などの意見が出されました。
 私は「Aくんの切なさに、なんで寄り添おうとせず、逆に追いつめてしまっていたんだろう」と、胸が締めつけられ「つぎは過ちはくり返さないぞ」と心に誓いました。
 その研修会の直後、休み時間に、Aくんがキレて机を投げ、友だちの背中を殴るという事件が起きました。私が教室にかけつけたときは、Aくんは保健室に行ってしまった後でした。
 「Aくんのことをみんなで考えるチャンスだ」と思い、すぐに子どもたちを席につかせ、話し合いを始めました。何があったのか事実を確認した後「どうしてAくんはキレてしまったんだと思う?」と問いかけると「悪口をいわれたから」と子どもたち。
 子どもたちかAくんを非難し、話し合いが悪い方向へいったらどうしようかと思いましたが、子どもたちと真剣に話し合ってみるしかないと覚悟をきめました。
 
「悪口をいわれてキレてしまうAくんの気持ち、みんなわかる?」と聞いてみました。すると「わかるよ」という子が出てきたのです。「ほかにもいる」と聞くと、ほとんどの子が手をあげました。
 
「どうしてわかるの?」と聞くと、多くの子から次々とキレ体験がでてきました。そこにAくんが教室に帰ってきました。私は「気持ちが落ち着ける場所に行ったのは、えらい」と、ほめました。みんなのキレ体験をAくんに伝えました。
 
「みんなAくんの気持ちがわかるって。大丈夫だよ。キレちゃっても、今日みたいに気持ちを落ち着ければいいんだからね。みんなわかってくれるから」とAくんに言うと、Aくんは静かにうなずきました。
 クラスのみんなの気持ちがAくんに届いた瞬間でした。「このクラスの人たちはみんな優しいね。とても素敵なクラスだよ」と話しました。
 その後、不思議なほどAくんのキレる回数が減り、キレてしまったときも、自分からその場を離れました。そして自分から迷惑をかけた友だちに謝ることができるようになりました。何に腹が立ったのかを少しずつ言葉で伝えることもできました。
 友だちに共感してもらえるということが、こんなに大きな変化をもたらすということを私は実感しました。これから、いろいろあっても、クラスの子どもたちを信頼して前に進んでいこうと思えた出来事でした。
(
大山しおり:1979年生まれ、東京都公立小学校教師)

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親から不登校の相談があったときどのように対応しているか

 親から不登校の相談があったとき、つぎのように対応している。
 原因がどこにあろうが子どもが学校へ行かないということは、多くの親にとってはつらいことである。親として自信をなくし日常の会話さえも神経を張り巡らしておられ、それがまた子どもの神経を苛立たせるという悪循環もあります。
 不登校の親から相談があったときは、私は
「学校のことは、子どもさんから話されない限り話題にしないでください。それ以外のことは今まで通り、叱ることは叱って、ほめることはほめてください」
「学校のことを子どもさんから話され、返事のいるときは、お母さんはこう思うと、思っていることを伝えてください。わからないことはわからないと」
「返事のいらないことであれば、否定せずに聞いてください」
「あせらずに一緒にどうしたらよいか考えていきましょう」
と話します。
 親はすぐに結果が出なくても親の気持ちに寄り添って、話を聞いてくれる人を求めておられるのではないか?
 話の中で一つでもいいから、よい対応がないか見つけようと耳をこらし「お母さん、その対応はよいと思います。すごい!」と共に喜べる感覚が大事だと思う。
 親には「あせらないで」と言いながら、教師が「よい結果」と思えるものを出そうということにばかり気持ちが傾いたとき、親と同じペースで一緒に対応できずに、ときには親を「責めている」ように映ってしまうこともあるだろう。
 自分のこととして取り込まず、冷静な判断と共感する気持ちを併せ持つことの難しさをいつも感じている。
(
佐藤友子:元京都府公立高校養護教諭)

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親から不登校の相談があったときどのように対応しているか

 

 親から不登校の相談があったときどのように対応している。
 原因がどこにあろうが子どもが学校へ行かないということは、多くの親にとってはつらいことである。親として自信をなくし日常の会話さえも神経を張り巡らしておられ、それがまた子どもの神経を苛立たせるという悪循環もあります。
 不登校の親から相談があったときは、私は
「学校のことは、子どもさんから話されない限り話題にしないでください。それ以外のことは今まで通り、叱ることは叱って、ほめることはほめてください」

 「学校のことを子どもさんから話され、返事のいるときは、お母さんはこう思うと、思っていることを伝えてください。わからないことはわからないと」
「返事のいらないことであれば、否定せずに聞いてください」
「あせらずに一緒にどうしたらよいか考えていきましょう」
と話します。
 親はすぐに結果が出なくても親の気持ちに寄り添って、話を聞いてくれる人を求めておられるのではないか?
 話の中で一つでもいいから、よい対応がないか見つけようと耳をこらし「お母さん、その対応はよいと思います。すごい!」と共に喜べる感覚が大事だと思う。
 親には「あせらないで」と言いながら、教師が「よい結果」と思えるものを出そうということにばかり気持ちが傾いたとき、親と同じペースで一緒に対応できずに、ときには親を「責めている」ように映ってしまうこともあるだろう。
 自分のこととして取り込まず、冷静な判断と共感する気持ちを併せ持つことの難しさをいつも感じている。
(
佐藤友子:元京都府公立高校養護教諭)

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担任を通りこして、校長に苦情が持ち込まれたら、どうすればよいのでしょうか

 だれしも自分の悪い点を指摘されることは快いものではありません。
 ましてや自信をもって子どもを指導しているつもりの教師にとって「意見があるなら、直接言ってくれればいいのに」と、怒りの気持ちがわいてくる心情は無理からぬものと思われます。
 しかし、担任は常に子どもの「いたらぬ点を指摘」する側で、「自分の言動を振り返ることが少ない」ことを忘れてはならないと思います。
 担任である自分に対する数少ない苦情にさえ、落ち込むほどなのですから、1日に何度も注意を受ける子どもの気持ちは、どうなのかと考えてみることも必要と思います。
 
「子どもに善悪の判断を身につけさせるため」とか「この時期に、この子のいけない点を直しておかなければ」という大義名分が先立ち「性急に指導していなかったか」「長所より短所に目を向けていなかったか」を振り返るとよい。
 また直接、担任に苦情を持ち込んだら、よけい、わが子が辛い目に合うのではないかという、保護者の気持ちがあるではないか。
 担任にとっては辛いことですが、素直な気持ちになって、自分が指導者として大きく成長するための試練と受けとめ、学級運営を改善するよい機会にしていくよう、発想の転換を図ることが大切です。
 では、どうすればよいのでしょうか。
 子どもが元気な顔で毎日「ただ今」と学校から帰ってくると、保護者は安心して苦情など持ち込まないものなのです。
 子どもが毎日、楽しいと感じ、満足する学級にするには、
(1)
子どもの学習意欲がわく授業づくり
 授業は教師にとって「いのち」ともいうべき大切な切り札です。子どもが主体的に取り組み、一人ひとりの個性が生かされるような授業を意識した教材研究に取り組むことが求められます。
 子どもが興味・関心をもつ教材開発や、子どもの探究心が満たされ、調べ学習へと発展する教材研究などが必要です。
(2)
きめ細かな観察に基づく子ども理解
 子ども一人ひとりの個性が異なります。それぞれの好きなものや特技だけでなく、休み時間や登下校の様子に目を向けると、乱暴だと思っていた子がやさしかったり、友だち同士になると態度の変わる子がいたりするものです。気のついたことはメモしておきましょう。
 そして、子どもの良い点は、機会があったら、ぜひ保護者に伝えてあげましょう。 
(3)
学級内のもめごとに対する適切な処理
 子ども同士のいさかいはよくあることですが、一方がけがをさせられたりしたときは、その日のうちに解決し、仲直りさせてから帰すようにしましょう。
 相手の人権を著しく傷つける言動のあったときも、十分納得させることが大事です。常に公平な目で見、冷静に両者及び第三者の話に耳を傾けて解決していく教師の姿勢が、子どもや保護者の信頼をかち得るものです。
(4)
学級経営の方針や担任の誠意や人間性を平素から理解してもらうようにする
 学級経営の方針を理解してもらうよう、1年間の見通しをもって、学級懇談会や学級便りなどを利用して、具体的に知らせていく必要があります。
 また、連絡帳への返事の書き方、電話での対応、病気やけがをしたときの連絡やきめ細かな配慮を通して、教師の誠意や人間性が自然に伝わっていくものです。
 さらに、どんなに忙しいときでも余裕ある表情で接することを忘れなければ、この先生ならどんな小さな相談にも乗ってくれるのではないかと思われ、保護者は心を開いてくれることでしょう。
(
岸 ゆう子:元千葉県公立小学校管理職)

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教師になって約30年、私はどのようにして、楽しく教えることができるようになったのか

 私は、新任の着任式で子どもたちに「先生は・・・・」と挨拶したら、ある年輩の教師から「自分のことを『先生』などとは言わないのですよ。『私は』と言うのよ」
「先生という言葉は、相手が尊敬して言ってくれるものなのよ」
「自分で『先生は・・・・』なんて言ったらおかしいでしょう。言語感覚を身につけるといいわね」
と、たしなめられたことを思い出します。
 私は、言葉について敏感になりたい。授業で一番嫌いで不得意だった国語を自分なりに何とか向上させたいと思いました。そのために、研究会に参加したり、よい授業をたくさん見たりしていきました。
 新人時代には月一回、地域の国語研究会に参加しました。この教材文はこう解釈するといいんだとか、主題はこう読み取って、要旨はこう読み取らなくてはならない、主題や要旨に迫るために、どんな発問をしたらよいか、ということを勉強しました。
 国語は簡単な教科だと思っていたのが、急に難解な教科に変わりました。結婚して転勤するまでの二年間教えてもらいました。
 次の学校では、国語の授業に堪能な教師がいました。
「発問したら、子どもがどのように反応するか、考えなくてはいけない。想定する答えをいくつも考える必要がある」と教えてくれました。子どもの答えによって、その次の発問を工夫していくのです。
 そして、主要発問とそうでない発問を分けて考え、主題や要旨にせまっていくのだと教えてもらいました。
 その教師は「私は、悲しいお話では、必ず子どもたちを泣かせるの。それだけのめりこんで読ませることができるのよ」と言っていました。
 
「授業でそんなことができるなんてすごい」と憧れを感じました。この学校には一年間しかいませんでしたが、大きなものを学んだような気がしました。
 次に行った学校(六年間)では、私自身が子育てをしていたので、学校の外で学ぶことはできませんでした。しかし、教材文を読んで、どのように子どもに教えたらよいか、ある程度わかってきていました。
 次の学校(三年間)では、何をどのように教えたらよいか明確に指導してくれる教師に出会い懇切丁寧に教えてもらいました。国語の授業はどう作ったらよいのか、どういう発問がよいのかなどを教えてもらいました。
 長期研修生のテストを受けてみないかと、その教師に勧められ受け、合格して筑波大学の内地留学生(1年間)となりました。
 そこで学んだことは驚きの連続でした。当時、私は、子どもの側に立って学習を組織していくという単元学習の考えは全くありませんでした。
 授業をいかに、うまく流すか、子どもの感想をうまく取り上げて発問を組み立てて、いかにしたら自分の思っている方向に授業を組み立てたらよいかなど、私は授業を教師側の発想で作ろうとばかり考えていたからです。
 どうやら今までの自分の国語授業についての考えが根本的に違うのだということに気づいたのです。
 内地留学が修了し、転勤しました。そこの小学校の近くにある千葉大学の研究室に1年間、日参して教えを請いました。単元の作り方にヒントをもらい、子どもの作品をどう読むか、どう理解したらよいか学びました。
 自分の不出来さに何度も悩み、苦しみましたが、子どもたちとの学習はとても楽しく、こんな学習の世界があったのかと思うほど、一人ひとりの学習に効果的で、しかも意欲的・主体的に、学ぶ姿をたくさん見せてもらうことができました。
 今までの授業技術を求めていた時からは、全く考えられない、子どもが伸びる充実した学習ができました。教科書にしばられないで、眼前の子どもの姿を見ながら、国語の力を伸ばすための単元を、アドバイスを受けてつぎからつぎへと作っていきました。
 その後、私はどうしても、自分の実践を発表する場を持ちたくて、大学の教授をお招きして国語の勉強会をはじめました。隔月一回、どのように単元を作り、どう子どもを支援したらよいか教えを受けました。
 毎回、私の実践紹介があります。時には、私の実践に教授から容赦のない批判を受けることもあります。そういう時は、いい気になっていたり、子どもを間違えてとらえていたりした時でした。
 そういう時は大変ショックですが、また気を取り直して、よい実践をしようと勉強をしていきます。順に会員の実践紹介があります。会員は毎回レポート提出(A4判一枚)をします。
 会が終わると、全員、心地よい疲れと、明日への新たなパワーをもらって帰ります。
 私は、新人教師時代から今まで、国語教育にのめりこんで、どうやら何とか楽しく教えることができるようになりました。ひとつの教科をずっと研究してきたので、自分でも満足感があります。
 新人教師も自分の研究教科や研究分野を見つけて、長い期間研究していくのも興味深いことだと思います。そして、いつの日か、楽しく実りある授業をしてください。
 子どもが満足感を覚える学習をさせられるように、毎日が自分の力量を高めていく一歩だと思ってがんばってもらいたいと思います。明日の日本の教育は新人教師の手に委ねられているのですから、健闘を祈ります。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたっている)

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教え上手な教師とは、どのような教師でしょうか

 子どもを育てる教え上手な教師は、多く教えることよりも、少なくしか教えないことに知恵を絞る。なぜならそれが、子どもをより深く考えることに、導くきっかけになるからである。
 少なくしか教えないことが大切になってきます。花も水をやりすぎては根腐れしてしまいます。水は足りないくらいのほうが花もよく育つのです。
 けれども、私たち教師は、つい水をやりすぎてしまう。親切で熱心な教師ほど「なぜ、これがわからないんだ」と、あれこれ口をはさみ、手を出す、過剰な指導をしてしまう。
 子どもが自ら「はてな?」と疑問を抱き、好奇心を働かす前に、エサを口に運ぶように教えてしまう。
 そして、その教えすぎが「また、先生が教えてくれるだろう」という頼る心を植えつけて、子どもの主体性を損ね、依存性を育ててしまうのです。
 したがって、答えをすぐには教えない忍耐力が必要になってきます。
 子どもが考えはじめたら、しばらくだまって見守る。迷路に入ったり、堂々めぐりをはじめたら、少しだけヒントを与えて押してあげる。ふたたび考え出したら、また、しばらく見守る。
 この「待つ」と「押す」のくり返しが教える技術のツボであり、本当に子どもを育てることになるのです。
 教えていることが、教わっている子どもに、いかにも見え見えなのは失格です。「見えない」のが理想です。
 答えを隠したり、答えるまで遠回りさせたりしながら、大事なことほどすぐには教えない。最短距離では教えないことが肝要なのです。深く教えようとしたら、回り道を恐れないことが大切なのです。
 ただし、回り道するときに気をつけなければいけないことは「教え惜しみ」をしすぎないことです。解決がいつまでも得られないと、途中でざせつしてしまいます。限界が見えたら、解答を与えて疑問を氷解してあげることが肝心なのです。
 思考を深める高度な発問をする前に、子どもが思考の入り口まで誘導するやさしい質問が重要になってくるのです。「ポストの色は何色ですか」と、だれでも手をあげられる場面をつくるようにします。すぐれた教師ほど「どんな子どもも答えられる」問いをいくつか用意しているものです。
 あえて、やさしい課題に取り組ませて成功体験をさせて、それを次の、よりハードルの高い課題への意欲につなげていく。こうした「布石」は、必ず必要になってくるのです。
 少ししか教えない、大事なことほど教えない、正しいことばかり教えない、という「教え惜しむ」指導法によって、子どもたちの学ぶ意欲を引き出し、その考えを深く豊かに耕すのです。
「教え惜しみ」の技術の内容をかいつまんでいえば、
・答えをすぐには教えず、自分の頭で考えさせる
・すぐに答えを要求せず、ゆっくりと考えさせる
・あえて大事なポイントを隠してヒントだけ与える
・わざとあいまいなことや間違ったことを提示して、固定観念や既成概念に揺さぶりをかける
そのような「自ら考えさせる」技術を使うことで、子どもたちを深い思考へと誘導するのです。
 学校は、子どもを育てようとして、熱心な教師ほど、かゆいところに手を届かせるようにして、懇切ていねいに過剰に教えてしまうものです。
 しかし、何もかも教えようとすると、かえって少なくしか伝わらないものです。また、教えすぎは教わる人の考える主体性を奪ってしまうことにもなります。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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子どもにヤジられ、自信をなくした教師はその後どのようになったか、ストレスに悩む教師はどうすればよいか

 教師になって五年の小学校の女性教師だが、子どもに対して、赤面・視線恐怖を生じていた。授業でも、目のやり場に困る。顔が赤面し言葉が上ずってきるのがよくわかる。
 教師に向かないと思って、親に相談していたが「そのうち馴れるから」となだめられて、イヤイヤ授業を続けていた。子どもたちが騒ぐので叱ったところ、逆に子どもたちにヤジられて、すっかり自信をなくしてしまった。
 彼女は体調が悪いといって、学校を休みだした。一度休みはじめると、ますます自信を喪失し、出勤する気が起きなくなった。彼女は教師を辞めようとかと思ったが、一度、対人恐怖に効果的だと聞いていた森田療法を受けてみたいと思って来院した。
 森田療法の治療は「気分はあるがままに受け入れ、やるべきことを目的本位・行動本位にやる」ことである。彼女は、三カ月間の入院治療によって完全によくなって退院した。
 対人恐怖は、人嫌いではない。むしろ人好きである。人とよい関係を持ちたいと熱望している。人を恐れるのではなく、対人関係を恐れている。自分の視線が相手を傷つけたりして不快感を与えはしまいかと恐れている。
 よく思われたいと思う人の前に出ると緊張して、対人恐怖を起こすのである。彼女は「よい授業をしたい。子どもたちから、よい教師と認められたい」という願望が強すぎたためと思われる。
 逃げれば逃げるほど、症状は追いかけてくる。症状は自分の力ではどうにもコントロールできないものである。「赤面するな」「視線を気にするな」といくら自分に言って聞かせても、その通りにはならない。気分は「あるがまま」に受け入れることである。
 気分はともかくとして、行動は正常に保つことはできる。「できない」のではなく「しない」のである。赤面をしながら授業を続けることである。
 赤面して何が悪いのだろう。むしろ純情さの現われではないか。視線のやり場に困るというが、子どもを指すときはその子の顔を見ればいい。視線をそらしていれば、周囲から変な目で見られることになる。
 人の心の中は、わからない。しかし、その人が何をするかは、よくわかる。心をいじらないで、健康人らしく振る舞うことである。
 神経症はだれにでも起こってくるのだが、起こりやすい性格がある。それは神経質傾向の持ち主である。神経質な傾向とは、小心・取り越し苦労、勤勉、強い自己内省心、強い向上欲を持った性格である。
 この性格を前向きに発揮すれば、よい仕事もできる。つまり、周囲からもよい評価を受ける。
 ところが、何かのきっかけで、それまで外に向いていた精神的エネルギーが、向きを変えて自分の心身の変化をもたらすのである。
 人によって刺激をひどいストレスと感じる人もいれば、同じ刺激でもたいしてストレスに感じず、平然と受けとめている人もいる。
 強いストレスを受けて起こす反応は、人によってさまざまである。病的なまでに深刻になると、精神科的な診断がつく。ストレスがその人の価値観や存在意義をおびやかすものであれば、深刻である。
 
「私の責任だ。何とかして早急に解決しなければ」と思うと、居ても立ってもいられない。 しかし「こんなことは、よくあることだ。教師だけの責任じゃない。そのうちどうにかなるだろう」と放置しようと決めてかかると、大したストレスにはならない。
 問題を一人で抱かえ込むか、多くの人たちの協力を得るかによっても、ストレスを感じる程度が異なる。多くの人が協力してくれるとなると、気が楽だし、一人で考えるよりもよい結果が期待できる。
 ストレスはどこかで解消する必要がある。仕事以外に趣味を持つことも大切である。趣味は、時間と金を浪費することになる。しかし、リラックスするためには必要な潤滑油である。
 一般に職場で受けたストレスは、家庭で解消するのが普通である。家庭は憩いの場であるべきである。しかし、ストレスに悩む教師は、家庭がストレス発生の場であることが少なくない。
 平素から、家庭内の人間関係を中心に、家庭の平和を保つことに努力すべきである。独身の教師は、家庭がなければ、友人や学校の子どもたちとの交流を通してストレスの発散を心がけるべきである。
(
大原健士郎:1930年‐2010年、精神科医。浜松医科大学名誉教授。専門は自殺研究、森田療法など)

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私の12年間の教師としての歩みが学級通信の中にいっぱいつまっています

 私が大阪市立小学校に新任として赴任しとき、学級通信を発行しておられた先生が一人いました。30歳くらいの女の先生でした。その先生は「一枚文集」のような形や、ザラ紙四分の一ぐらいに学級のようすを少しのせたり、連絡を書いたりする内容でした。
 しかし、当時の私の目から見て、あまり学年の先生から「いい目」では見られていなかったように感じていました。保護者からは人気がある先生だったように思います。私は、その先生の実践は「すごいなぁ」と思っていましたが。
 
「学級通信をだしているから、学年の足なみがそろわない」といった、なんともいえない雰囲気を感じたのです。
 そして、二年目、四年生の担任になったとき「学級通信をだして非難されたら」と、私は非常に悩みました。
 おもいきって、年輩の先生に相談すると
「若いうちは、自分のやりたいこと、好きなことをやりなさい。あとは、私らがしりぬぐいしてあげるから」
「子どもたちは、いろいろな先生の特技や個性、専門から学びとっていくのだから。あなたの持っている力をだしなさい。学級通信はできたら管理職に見せなさいよ」
と言われました。この言葉に非常に勇気づけられ、目の前がパッと明るくなったようでした。
 学年としての足なみをそろえることは必要です。でも、学級はその担任のイメージなり、独自性もあるはずです。
 私は今でも、その女の先生のがんばりと、年輩の先生の言葉は、私を育ててくれたと思っています。こんな思いから、私の学級通信はスタートしていきました。
 私は、学校や学級は子どもが生き生きとできる場にしなくてはいけないと思っています。なんとか、楽しく、生き生きと生活できる場にして、わかる喜びを教えてあげよう。
「明日も来たい」「明日も何かあるぞ」そんな、ワクワクした夢や希望を持って帰らせたいと、私は思っています。
 ささいなことを認めてあげるひと言が必要だと思います。また、友だちのがんばりやよろこびや活躍に「拍手」を送れる子どもたちも必要です。
 二年間担任したAさんの作文は「毎日、学校へ来るのが楽しみでした」と次のように書いてくれました。
「前田先生は、怒ったらこわいけれど、やさしいところもいっぱいありました。けん玉やいろいろなコンクール、鉛筆削り大会、百人一首大会・・・・、いろいろなことをやったので、何か得をしたような気がします。二年間、とても楽しかったです。毎日、学校へ来るのが楽しみでした」
 私の12年間の教師としての歩みが学級通信「あせ・どろ」の中にいっぱいつまっています。
 子どもたちの学校生活の様子を保護者は切実に知りたがっています。私は、学級というのは、絶対に保護者からの支えがなくては豊かになっていかないという思いを持っています。
 学級通信「あせ・どろ」1000号を迎えましたが、新任以来、書き続けてきたのも学級を、教育を豊かにしていきたいという、私の願いからです。
 保護者がわが子だけでなく、学級の取り組みや学級のすべての子の生活に関心を持ち、時には意見や感想をいい合える関係って、すばらしいことです。子どもたちの成長にとっても大切なことです。
 学級通信が保護者同士の交流の場としても、共通の話題を提供するものとして必要なものになっています。
 学級通信は、私にとっては自分と学級づくりのバロメーターなのです。子どもの姿が見えなくては、子どもの願いが実感として伝わってこなくては、学級づくりはできません。
 学級通信は一人ひとりの子どもの姿や声が浮かんでこなくては書けません。
 学級が生き生きと活動しているとき、すばらしいこと、くやしいこと、ドラマが生まれたとき、発見・成功・失敗・感動があったとき、子どもの伸びる芽を確信したとき、もう書く内容は決まっているのです。
 教室の中には、書く素材なんていっぱいあるのだから、子ども一人ひとりの言動や願いを「とらえる目」を身につけることが何よりも大切だと思っています。
 初めて担任したとき、学級通信を仕上げるのに二時間以上かかっていました。今は一時間以内で書けるようになりました。
 でも、学級がうまくいっていないときや、子どもたちの生活が事実として浮かんでこないとき、やっぱり書けませんね。
 みんな、うまくいったことばかりではありません。私自身の失敗したことも多くありました。また、子どもたちとしっくりいってない時もありました。でも、どんな時でも、
「子どもたちを信じてやらないといけない」
「子どもの否定面だけを見て、判断したらいけない」
そう思い、とにかく12年間やってきました。
 これから先も、子どもたちの前で「愛やロマンを大きく膨らませ」子どもたちに語れる教師として、偉大な先輩たちに学び、子どもたちや保護者に学びながら、教室の中にとびこんでいきたいと思います。
(
前田睦夫:1954年大阪市生まれ、大阪市立小学校教師)

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教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのかを知り、自分を変えるとよい、また、まわりの教師の指導を見て学ぶことである

 教師は力量をつけるためにどのようにしてつければよいか。
(1)
教師は自分のどこが子どもたちに受け入れられ、どこが拒否されているのか、知り自分を変える
 教師の顔つき、からだつきから「怒るとこわい先生」とみられ、そのことが指導の武器になっている教師もいる。
 また、美人・美男子もそうで、逆の教師より指導の入りがよい。声の大きさ、明瞭さ、すてきな笑顔もそうだ。
 これは、嘘のような話だが、指導力不足に悩んでいた教師がいた。「太い縁取りのめがねをかけろ」と助言した人がいて、そのとおりにしたら指導が成立するようになったという。
 ということは、教師は、あらゆるものを用いて教育していることになる。
 とすると、自分のどこが子どもたちに受け入れられているのか、反対に、どこが拒否されているのか、知ることである。
 その結果、ユーモアに欠けるとすれば、その力をつけるように努めることだ。
 自分をらち外において「わたしの教育がうまくいかないのは、子どもの質が悪いからだ」と、子どものせいにしてはならない。
 自分を知り、自分を変えることである。
(2)
まわりの教師の指導を見て学ぶ
 一人ひとりの教師は、まさに個性的な存在で、それぞれが得意技をもっている。
 たとえば、率先して模範を示し、子どもを引っぱっていく教師もいれば、「泣かせの何とか先生」という説諭の名人がいて、この教師にこんこんと諭されると、どんな子どもも、泣きだしてしまうという芸の持ち主もいる。
 あるいは、討議、話し合いに長けていて、子どもたちと「ああだ」「こうだ」と激しく論争しながら、指導を貫いていく教師もいる。
 お母さんのようにやさしく包み込む教師もいる。
 それぞれの教師が、指導について、得意の型をもっている。あらゆる指導に精通し、使いこなせるようになればよいのだが、そんなことはできることではない。
 だから、とりあえず、得意な指導法を身につけることである。学校は教師が集団として教育しているわけだから、一人ひとりの得意技をだしあい、教師集団としての指導を確立すればよいわけである。
 といって、「これは苦手だから、だれかにやってもらおう」といつまでも逃げていてはいけない。それでは一生上達しない。授業や学級づくりなど、一人ひとりの教師に必要な指導力は、身につけなければならない。
 したがって、ほかの教師の指導法や得意技を盗み、まねしながら、自分の力量として身につけ、みがいていくようにしたい。
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)


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子どもの学ぶ意欲を保護者と教師が共同して育てるにはどのようにすればよいのでしょうか

 わが子の学ぶ意欲に関心のない親は一人もないといってよいでしょう。どこの懇談会でも話題になります。
 懇談会で 「うちの子はできが悪くてね。親が親だからしかたがないのかねェ」と言う親に懇談の場面で私は何度も出会いました。間違った情報が流れているのです。
 そういう親は、能力の低い親からは能力の低い子どもしか生まれないと思っているのです。私はそうしたとき、懇談している親にきっぱりと「能力は遺伝ではありませんよ。学力は伸ばせますよ」と。
 そして懇談では、つぎのことを必ず話題にしなければならないと思ったのです。
 私が教師をしてきた50(小学校、中学校、高校、大学)の体験から、遺伝どころか親を越えて力を伸ばした子は数えきれないほどいます。
 決して遺伝がどうこういう問題ではありませんでした。親子であっても、それぞれ違う人格なのですから、ちがう可能性があるのは当然のことなのです。また塾へ行かず、自学自習で目的を遂げた子どももたくさんいます。
 では、何が大切だったかと考えてみると、二つありました。 
 一つは、子どものもっている取り柄に気づかせ、そのことを自信にして学習意欲に結びつけていくこと。
 もう一つは、学習するとき「質問とくり返し」を大事にすることを教え、支援してあげるということです。
 つまり、自信をどう育てるかに眼を向けることが何よりも必要です。そのためには
「勉強以外のことで自信をもたせ、それをバネにして学習意欲に結びつけていくといいのですよ」と。
 たとえば「友だちが多い」「持久走が得意」「後かたづけができる」というようなことです。これを子どもに意識化させ「できるぞ、やれそうだ」と自信になるように励ましていくのです。
 でも、これたけでは、すぐに学習の意欲には結びつきません。さらに示唆を与えるのです。
「友だちが多いんだから、わからないことは質問したり、教え合ったりするといいよ」 
「持久走が得意でねばり強いんだから、学んだことをくり返し覚えていくといいよ」
「後かたずけができるんだから、きちんとした計画を作って学習すると力が伸びるよ」
というようにです。
 すると、子どもは勉強以外のことが学習に結びつくことに気づき、しだいに「やる気」をだしていくようになるのです。
 また、このことは、ほんとうの学力を身につけるうえでも重要な意味があります。というのも、本当の学力は成績のことをいうのではありません。自分で疑問を持ちながら真理・真実を解き明かしていくことの力のことをいいます。
 また、他の人と学び合いながら、そこで体得する認識・行動・感性の総合的なものをいうのです。
 したがって、子どもが自分の生活と行動に自信を持って認識の獲得に挑むようになることは、ほんとうの学力に迫る土台となります。それは、子どもの将来にわたって、学ぶ意欲を持続させる土台ともなるのです。
 親に「学習の方法がわからないので、つまずいているみたいです。どうしたらよいでしょう」と、相談されることがあります。
 大人たちが少し考え合ってみれば、子ども自分でやれることが二つ見つかります。それは
(1)
わからない点を友だちや先生に質問すること
 質問は、わからないことを見つけだして他の人に聞くことです。ですから「わかるため」というだけでなく、その子の自発性を培うのに大きな意味をもっています。
 また、疑問が解けて知的要求が満たされれば、自分の努力の成果ですから感激も大きいのです。
 
そして、友だち同士でやれば友情も深まりますし、先生に教えてもらえば多面にわたって見識を身につけることができるでしょう。まさに一石二鳥いや四鳥にもなるわけです。
(2)
学んだことをくり返しながら身につけること
 人間は何もかも覚えている人などいないでしょう。ですから大事なことは、くり返して覚えなければどんどん忘れてしまいます。一度学んだだけですぐ身につくということはありません。
 そこで、くり返し覚えるのですが、その過程で新しい発見をしたり珍しいことに出会ったりすることもたくさんあります。たとえば「保険」という漢字をくり返し覚えているうちに「検査」「倹約」のけんという字は「へん」がちがうことに気づいたという子どもがたくさんいます。
 ですから「くり返し」は記憶を確かにするだけでなく、想像・創意を豊かにする役割ももっているということができるのです。
 今の子どもが「くり返し」ができないのは「速くて便利な方法」を追求してきた社会が「やればできるはず」の子どもの力を封じ込めてしまっているのです。大人たちこそ反省しなければならないことなのです。
 懇談で親たちは「言われてみれば、そのとおりですねェ」と、うなずいてくれました。私は「今からでも決して遅くはない」ということを強調したいのです。
 それには教師が授業で「質問」を大事に扱い、それを「子ども同士の学び合い」で解決できるように指導することが大事です。
 また、親は「質問とくり返し」の大切さをわが子に話してあげ、時間と手間をかけて実行できるように励まし援助してあげるとよいでしょう。
 親と教師が共同して、その努力をすれば、必ず子どもの力を呼び起こすことができます。それが実行できてくると、生きる力となる学力が子どものものになっていくと思います。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)

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他職を経て教師になり12年、経験したこととは

 私は教師になるまでの十年間を地方公務員として過ごしました。直接子どもを教える仕事ではありませんでしたが、この間の経験が、後の教職生活の基礎となったと思います。
 教育センターでの仕事が私の人生を変える二の大きな出来事に出会いました。
 一つ目は、教育の現場を外側から見るという経験をしたことです。教育センターのロビーは展示室を兼ねています。市内の学校の展覧会などが開催されます。子どもたちの資質にそれほど大きな差があるとは思えないのに、作品にはかなりの違いがみられます。子どもたちの力を伸ばし発揮させる教師の影響力の大きさに驚きました。
 二つ目は、教育センターに勤務されていたF元校長との出会いです。人間性に触れ、教育のすばらしさを味わい、私もまた現場に出てみたいという思いが強くわきあがってきました。
「教師になりたい」という私の願いは家族から猛反対されました。教師である夫からは、教師は決して甘いものではない、母からは五歳と二歳という幼ない子がいるのに、という母親の立場からでした。
 人生はたった一度しかなく「今」という時間は二度ともどってこないので、夢はあきらめることはできませんでした。
 昼は仕事、夜は家事や育児、みんなが寝静まってからの勉強。しかし無事合格し、教職について赴任したのは奥多摩の緑豊かな小学校でした。自宅から一時間半ほどかかりました。
 教職はやりがいのある仕事で、毎日が充実し、遅くまではりきって働いていました。でも、母とわが子には苦労を強いてしまいました。
 半年たつと、道徳主任になり、東京都小学校道徳教育研究会(都小道)に入会しました。これが私と道徳教育の出合いとなったのです。
 転勤して、二校目で自分を変えた三つの契機は
(1)
教師としての力を高めようと努力した
 良い教師になるには、まず何か一つ、専門とするものを持つことだと思います。人間の力には限りがあります。「一徳は万徳に通ず」です。私にとっては、道徳教育がそれに当たります。
 道徳は人間が人間としてより良く生きていく心を育む大切なものです。教師と子どもがともに語り合い、考え合い、感動し合う心のふれあいの時間でもあります。
 私がつたないなりにも教師としての技量を高めることができたのは、都小道で、すばらしい授業を数多く見せていただいたおかげだと思っています。授業を見ることほど勉強になることはありません。
 また、東京都の教育研究員として研究をしていたとき、同じ研究員の教師と語り合い、教育にかける情熱にふれさせていただきました。私がくじけそうになったとき「私もやらなくては」と思いを新たにして、元気になって帰ることができました。
(2)
待つことを学んだ
 五年生の担任になったとき、一人の女の子が転校してきました。その子がいじめられました。
 いじめた子はすぐわかり、いじめた子と保護者を交えて真剣に話し合い、またクラス全員にも指導しました。しかし、心から納得していないような何かいやな雰囲気が残りました。
 クラスがいったん嫌悪な状態になってしまうと、元にもどすことは大変です。そうなる前に、先手を打っていかなければなりません。
 この出来事をきっかけに、私は教育相談の大切さをひしひしと感じました。深い子ども理解と、先を見通して問題を解決していく力を身につけることは、教師にとって欠くことのできないものだと思いました。
 そこで、スクールカウンセラー講座を受講する決心をしました。一年間通い続けた結果、自分が大きく変わっていったことを発見しました。それは「待つことができるようになった」ということです。
 私は「俺についてこい!」タイプの教師であったように思います。それまでの私では考えられないほど、ゆったりと子どもを見られるようになりました。子どもの個性の違いにどう対応し、どう伸ばしていくかを考えるようになってきました。
(3)
学校全体に目を向けることを学んだ
 校長先生から、保健主任などの仕事を任され、常に細やかな指導を受けました。自分のクラスのことだけでなく、学校全体を見渡せる人間になるようにという配慮であったと思います。
 私の教師としての理想は、体全体で子どもとぶつかり合うことです。そのためには、教師としての専門的な力量を磨くと同時に、人間として魅力のある人になりたいと願っています。
 ふり返ってみれば、あっという間に過ぎてしまった12年の歳月でした。うまくいかないときの方が多いような気がします。もともと根は楽観的な方ですが、落ち込むこともあります。
 悪いことのくり返しになったら、きっぱりと悪循環をたち切らなければなりません。そんなとき、私は一度、立ち止まってみることにしています。そして、次の二点を点検します。
(1)
子どもへの要求が高すぎないか
(2)
子どもへの要求が多すぎないか
 目の前のこの子たちの現在の実態をしっかり把握し直して、少しずつ目標を高めてやることが大切です。
 先輩が教えてくれた言葉に「教師の力以上の子どもは育つが、教師の想い以上に子どもは育たない」というのがあります。
 教師の意識が低いときや、もうこのへんでいいやと思ったとき、そこで止まってしまうような気がします。何としても、こんな子に育ってほしいという夢は、大きくもっていたいと思います。
 ずっと高学年を担任していますが、毎回子どもたちは違います。同じことのくり返しではなく、子どもたちの変化に柔軟に対応していけるような「しなやかさ」をもっていきたいと思います。
(
平林和枝:東京都公立小学校教師。道徳教育の著作多数あり)

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子どもとコミュニケーションをとり、毎日無理なくつながるには、どうすればよいか

 「子どもたち一人ひとりを大切に」というスローガンは日本中の学校で掲げられているでしょう。大切な考え方と言えます。
 しかし、子どもたち一人ひとりを大切にするために、具体的にどうしていけば良いか、あまり語られていないのが実情です。具体的にどう取り組めばよいのでしょうか。
 子どもたち一人ひとりを大切にするために、まず一番に心がけなければならないことは、毎日1回はクラスの子どもたち全員と一対一のコミュニケーションをとるということです。一日に1回も関わらないで、その子を大切にしているとは言えません。
 では、どうやって子どもたち一人ひとりとコミュニケーションをとるのか。おすすめなのが授業中に「机間巡視をしながら子どもに声をかける」ということです。
 机間巡視しながら「おっ、いいね」「すごい」などと、ほめたり、「もう少しでできるね」と励ましたりします。「おもしろいデザインの鉛筆だね」など、たまには授業と関係のないことを話しかけるのも良いでしょう。
 とにかく、1時間の授業で1回は子どもたち一人ひとりに声をかけるのです。これを一日5時間の授業で行えば、5回も声をかけることができます。
 その際、子どもとアイコンタクトをとって、優しく微笑みかけることができれば、さらに言うことなしです。目をあわせたほうが、子どもは教師とコミュニケーションをとったという実感を持ちます。
 こうしたことを行うために、1時間の授業で子どもたちの個人作業の時間を最低でも10分は取るようにします。
 教師が話をしてばかりの授業ではこうした取り組みはできません。子どもたちがじっくりと考える時間を確保するようにしましょう。
 この時間を確保することは、学力の向上にもつながります。ぜひとも教師がクラス全体に向けて話す時間を削り、子どもたち一人ひとりに声をかけるように心がけるとよいと思います。
(
滝澤 真:1967年埼玉県生まれ、1992年より千葉県公立学校教諭、台北日本人学校派遣教員等を経て、袖ケ浦市立小学校教頭。木更津国語教育研究会代表)

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通知表の成績について保護者に抗議されたとき、どうすればよいのでしょうか

 わが子の成績が、なぜこのような評価になるのか、根拠を示してと保護者に激しくせまられたとき、どうすればよいのでしょうか。
 通知表の成績について抗議する保護者には、次のような傾向があります。
(1)
わが子の努力や成果が評価されていないことで不満
(2)
塾などではよい成績なのに、学校の成績が塾のように評価されていない不満
(3)
日頃の教師の指導が行き届いていないのではないかという不安
(4)
日頃のテストなどではよい点数を取っているのに、その成績が通知表に反映されていないのではないかという疑問
 保護者の心の奥には、通知表が悪いということだけでなく、日頃授業で、本当に子どもを見てもらっているのかという不安もあるわけですから、安心してもらうように時間をかけて話し合うようにしていくことが大切です。
 不満を訴える保護者は、教育に関心がある人が多いものです。日頃の指導法について関心があるわけですから、授業中のことや、子どものことについて話し合い理解を深める機会にするといいでしょう。
「このごろ少し大きい声で本を読めるようになってきました。家でも読む応援をしてくださるからだと思っています。底力があるのだと思います」
というように、子どもの様子、特に親の気づかないよさを話題にして、家での様子をたずねると、保護者も心を開いて話に乗ってきてくれます。
 通知表への不満を解きほぐし、よさや可能性について話題を広げていくようにします。
 通知表の評価について教師の自信のない反応は、保護者に不信と不安を与えることになります。逆に放漫な態度はかえって反発されます。
 子どもがよくなるためには、どうしたらよいかについて考え合うために留意することは
(1)
優れているところ、得意にしている所を伸ばし自信をもたせる
(2)
もう少し努力をすれば、力が発揮できるところを見つける
(3)
親に協力してもらうところ、教師が引き受けるところはどこかを理解し合う
 保護者の一面的な思い込みで誤解をされないようにするには、子どもにとって今何が大切か、学習という話題で話し合うと理解が得られるものです。
 保護者の抗議に、感情的に対応してはなりません。腹がたっても、それをおさえることができてこそ、教師なのだと思うことです。
 保護者の言い分をよく聞いて、その後に教師が発言するといった、慎重さも大事です。問答無用といった姿勢をみせれば、わかり合える話も、わかり合えぬまま終わってしまいます。保護者との信頼関係は、一歩一歩築いていくものでしょう。
(
吉永高司:元大津市立小学校管理職)

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小学生が学級崩壊を経験し、その学級崩壊から学んだこととは

 小学二年生のとき、父の転勤で東京から地方の学校に転校しました。無口な男の担任の先生がいないところで、僕を含め四人ぐらいがいじめられていました。
 僕は小学三年生のときに学級崩壊を経験しました。毎朝学校に着くと、すぐけんかが始まって、若い女の担任の先生が来ても止まりませんでした。
 その担任の先生は「けじめをつけましょう」と口では言うけれど、叱るときもぐちぐちと迫力がないし、授業にめりはりがなくて、みんな学校に来るだけでストレスがたまっていました。
 初めは、いじめの中心だった三人の男の子が授業中に関係のないことを大声でいったり、先生を無視したり、トイレに行って帰ってこなかったりしました。
 特に、ストレスのたまりやすいAくんが爆発して、休み時間にみんなに八つ当たりをすると、みんなもどんどん爆発していき、何も対応できない担任の先生の授業を無視し始めました。この状態が一年間続きました。
 四年生になり、学校内では厳しいと言われている男の先生にかわると、ぴたりと止まりました。
 その担任の先生は休み時間になると、みんなと遊んでくれました。授業もメリハリがあっておもしろくなりました。
 子どもたち一人ひとりの話もよく聞いてくれました。僕たちに心のゆとりと、本当の優しさを教えてくれました。
 それからは、授業の妨害も、いじめも、けんかも、なくなりました。
 いま僕は六年生です。四月に父の転勤でまた東京の学校に転校してきました。
 今思うと、担任の先生が子どもたちに、どう接していくかで決まると思います。先生と子どもたちとの距離です。先生と子どもの心のピントが大切だと思います。

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先生の意識を変えると生徒が変わり伸びる、先生や学校を変えるには、どうすればよいか

 学校を変えるためには先生の意識を根本から変えなければいけない。私はシンプルなことから始めました。それは挨拶です。
 先生は教室に入ったとき生徒に挨拶します。学校は思い出や感動を生み出す場所です。それには先生の根底に「元気」が必要てす。元気の素になる最初の行動が「挨拶」です。
 私はいろいろな学校に行くことがあります。その学校の雰囲気は挨拶に一番表れます。先生が挨拶できないと生徒に伝播します。
 挨拶は、それだけでお互いにいい気分になります。人間はいつもちゃんと挨拶してくれる人のほうが好きになってしまうところがあります。
 挨拶は習慣です。単純に勇気も必要です。人としての徳においても大切です。人間関係を築くための最初の一歩が挨拶です。
 私は「先生は経験ではなく、志で決まる」と考えています。「志が高く、先生としてのあり方」が身についた先生は視点をはずしません。年齢にかかわらず、「志が高い先生」がいい教師です。
 志の高い先生は、その生徒のためにしてあげられることを常に考えています。志の高さは意識が高さといってもいいでしょう。「こうしたほうが、もっとよくなるだろう」「ここを変えていったらいいだろう」とすぐ気づきます。そして行動します。
 生徒を注意するときも、生徒がよくなるための注意と、先生の怒りを発散させるだけの注意ではまったく違います。志の低い先生は、その場その場で自分の怒りを発散させるだけの注意になりがちです。
 志の高い先生は生徒のことを考えた結果であり、その子のために必要だから注意をします。そうやって「志の高さをずっと持って、真正面からじっくりと生徒に向き合う」のがいい先生なのです。
 先生の志の高さは、三学期が終わったクラスの状態を見ればわかります。クラスの生徒は担任を映している鏡です。終業式のクラスの状態がその担任の状態を表しているのです。
 そのときに人格が豊かな、志の高い、心の温かい子どもたちに満ちあふれていたら、それは担任がそういう人だからです。
 反対に表面だけを追うような、表層的な部分だけで行動したり、ものごとを考える担任がいたとします。そのクラスは三学期の終業式のときには、そのような表層的な部分でしか生きられない子どもばかりのクラスになってしまいます。
 それは長年の教員生活で見ていて、すぐにわかります。よく「何年かたたないと教育は結果が出ない」と言います。そんなことはありません。たまたま悪いクラスにあたった、ということも先生から聞きます。 クラスがよくなるのも悪くなるのも担任しだいです。
 その結果、担任の志の高さが終業式の生徒に表れるのです。そして、学校の志の高さは卒業式を見ればわかります。卒業式は生徒も先生も涙して、なかなか帰りたがらないとき、それを見て私は、すべての担任のクラスがうまくいっている、と思います。
 私たち先生の仕事は3Kに近いものです。きつくて、汚くて、危険です。教材研究、ふだんの業務、部活動を完璧にこなそうとすると、ほとんど休みはありません。教室がいつもきれいな状態であるためには、泥まみれになって掃除もします。
 しかし、こんなに崇高な仕事はないと思っています。仕事してきて「よかった」「うれしかった」と卒業式に生徒と一緒に泣けるような仕事は他にありません。自分の幸せにも直結します。そんな素敵な卒業式を迎えられるように、先生は生徒と日々向き合っています。
 私は生徒を大事にするとともに、先生を大事にしました。先生を大事にしたら、先生が生徒を大事にしてくれます。
 職員室で、校長が先生の良いところをみつけて「ほめ」スターのようにスポットライトを当てて光輝かせてあげる。先生たちが職員室で輝けば輝くほど、先生は教室で子どもたちをスターにするのです。
 人は認められるとうれしくなります。自分を知ってもらえると安心します。校長である私は、先生のことを全部わかってあげなければいけません。
 新しい学校に赴任したとき、先生と面談して「どんな学校にしたいか」とじっくりと話しを聞いた。「生徒と真剣に向き合い、生徒一人ひとりを伸ばしていくことのできる学校」と先生の答えは皆同じだった。
 そして、学校の進むべき道を明確に決め、「子どもが安心して通えて、私たち先生を信用して、信頼して頼れる学校」とした。
 いばっても人は絶対に動きません。いくらかっこいいことを言っても、実際に態度で大事にしているという気持ちが伝わらなければ動きません。全部わかってあげて、真剣に向き合っていきます。私の志が先生に投影されて、先生が変わっていきます。その先生がそれぞれのクラスを変えていくのです。
 私は先生を大事にしましたが、そのなかでも特に着目したのは学校が好きな先生です。情熱があり、学校が好きな先生というのは、生徒が好きで、そして自分を伸ばしたいという表れでもあります。学校が好きな先生たちを中心に変えていったほうが、すべてうまくいきます。
 では、どうやって学校を変えていったのか。まず、学校が好きな先生に「授業をするから見に来てください」と言いました。授業はこうやるんだということを全部話しました。授業のやり方を覚えてもらい、もう一度、本来の自分を取り戻してほしかったのです。
 その後、学校が好きな先生から一気に広がり、授業を見にくる先生は、ものすごい勢いで増えました。しだいに、先生たちも恥ずかしさを捨てて、もうがむしゃらに学ぶんだ、というふうになっていきました。
 情熱的でない先生も、わかりやすい教え方を知ったとき、目を輝かせていました。やはり、先生になる人はみんな心に熱いものを持っていました。
 先生という職人は、腕のたつ職人の言うことはよく聞くものです。そのためには、校長が圧倒的にうまい授業や生徒指導をして見せる必要があります。そうすれば、職人である先生は、頭領である私についてきます。
 学校を変える主役は先生です。
 先生をまず変えます。生徒を変えるよりもまずは先生を変えます。重要なことは先生にワクワクしてもらうこと。先生が自己改善をし続けること。先生が変われば授業が変わる。授業が変われば間違いなく生徒が変わります。
 先生が一致団結しないと学校は変わらない。学校としてみんなが同じ方向に向かって努力すると、先生が伸び、生徒が伸び、学校が伸び良い結果が生まれます。
 学校の進む方向や道は、幅広く設け、ここで先生に好きなようにやってもらう。
 先生はそれぞれでやり方が違う。進む道が狭いと個々の先生の個性を殺してしまうので許容範囲を広くとる。目指すところが同じなので、共通の目的・哲学を根本的な部分で共有するようにします。
(
長野雅弘:1956年名古屋市生まれ、一宮女子高等学校、平安女学院中学校・高等学校等で校長を務めた後、 聖徳大学教授。学校改革において手腕を発揮。入学者が激減してつぶれるとまで噂された女子高校を授業のみの改革で2年目に人気校にしてV字回復させた。生徒のことを第一に考え「絶対に落ちこぼれをつくらない」「学校は感動製造工場」をモットーとし、真摯に生徒と教育に向き合い生徒とその保護者から信頼を寄せられている)


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教師になって20年経ち、経験したこととは

 教師になって20年経ち、少しは広い視野で学校というところを見られるようになって初めて、小学生でも中学生でも、ましてや高校生に至っては、気持ちのほとんどが学校生活以外を向いているという子どもが結構多いということがわかってきました。
 私の教員生活の中で、何となく気分がすぐれず疲れていたように感じていたのは、そういう学校に目の向かない子どもや、その保護者たちとの対応だったのではないかと、今なら思い当たるのです。
 学校嫌いの子どもが学校に来て、学校の仕組みからはみ出したとき、その子を指導したり、相談にのったりすることは、私にとってそれはとても難しいことでした。
 二つ目の学校は東京都立高校の伝統校でした。生徒の気質も私に合っていて、自分はいきいきと毎日を送りました。教師になって十年目、30歳前半のことです。
 授業もいろいろ工夫ができました。同じ世代の数人の教師で、お互いの授業を見せ合いました。そんなことが出来たのは、国語科の教師同士、仲が良かったからです。
 二人の教師が東京都の高校の国語教育研究会の研究授業をすることになったとき、自然と予行演習をしようということになりました。
 まず同僚たちが生徒の役になって模擬授業をしました。そのときには、実際の授業よりずっと質の高い質問が飛び交い、研究授業する教師は冷や汗です。
 しかし、本当はそういう授業を皆やってみたいのです。時間の経つのを忘れ、本当に充実したいい時間でした。
 こういう楽しさはもう二度と味わえないかもしれませんが、このことは今でも私の授業を支える基礎になっています。
 国語科はあたたかく、常に磨き合うという雰囲気でした。授業も共通教材でやっていました。解釈の仕方、文学や言語にかかわる専門のことや、授業についての言葉が飛び交っていて、日々活気がありました。
 このような、人生を楽しんでいるような教師たちの空気は生徒たちに伝わります。こういう状況下では、生徒は何でも教師に話してくれます。生徒の情報が学年の教師に伝わってきます。
 ○○という生徒が△△先生の時間にどんなことを言ったか、また何をしたかみんなわかっていますから、教師と生徒との絆が強くなります。
 こういう良い関係があると職員室にいるだけで、生徒の抱かえている悩みや迷いがある程度わかるのです。そして、教師自身もまた、自分の知らない分野に対して妙な劣等感を抱いたりしなくても済むようになっていきます。
 しかし、20年間の教員生活は順風のときばかりではありませんでした。初めての出産後、半年の育児休業をとっている間に、入学してくる生徒の様子も変わり、教員の構成が異動で大きくかわりました。
 さまざまに変わったところに戻ったとき、私は自分の居場所がなくなってしまったように感じました。
 二年の担任をしている途中で産休に入ったのですが、代わりに入ってくださった教師に遠慮し、復帰したあとは、この学年の授業にでることも控えたのですが、それがかえって自分の居場所をなくす結果になりました。
 このときは、初めての育児、そして仕事の両立という個人的に初めてぶつかる困難も重なったのだと思うのですが、退職したいと校長に申し出るところまで自分を追い込んでしまいました。
 しかし、申し出たあとで、とてもとても淋しく感じました。もうこの仕事ができないと思ったとたん、自分が教師という仕事を本当に好きだったと気付きました。
 そう感じていたとき、校長と教頭が、それは丁寧に引き留めてくださいました。今しみじみありがたいと感謝しています。
 自分は国語の教師として生徒といい授業を展開したいのです。あの国語科の若々しい雰囲気をどこかで追い求めている気持ちがあるのかしれません。
(
原田あけみ:東京都立高校国語科教師)

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保護者とどのように接すれば、クレームを生まず、信頼関係が深まるのでしょうか

 いま、保護者への対応に苦慮する教師が増えています。時代が変わっても、保護者はわが子を心配し成長を願っています。教師は「自分がこの子の親だったら、どう思うだろう」とその親の気持ちをしっかり受けとめる必要があります。
 日ごろから、保護者とどのように接すれば、クレームを生まず、信頼関係が深まるのでしょうか。それには
(1)
すばやく対応する
 すばやい対応は、教師の情熱が保護者に伝わり、保護者の信頼を深めるきっかけになります。「先生は真剣に考え、動いてくれた」となるのです。
 教師は、問題を把握した瞬間から解決に向けて行動を始めなくてはなりません。機を逸してはすべて無になります。対応の遅れは、保護者の教師への不信を増長させる原因になります。
 教師は保護者から苦情や相談を受けた後は、対策を立ててすぐに行動に移ります。保護者に「このようにしました」と連絡することが大切です。
 その成果は、子どもの変化に現われます。例えば「あれから、友だちと仲良くしています」と伝えましょう。子どもの変容という事実こそが、保護者の信頼を得る最大の方法なのです。
(2)
気になる子どもは、すぐ連絡を
 友だち同士のトラブルや教師の指導については、必ず子どもに納得させて帰らすのが基本です。たとえ完全に納得しなくても、下校前には、その子に目をかけて丁寧に接してあげましょう。「先生に心配してもらった」と感じれば、保護者も悪い気がしないはずです。
 子どもがスッキリしない顔で下校し「これは納得していないな」と感じたら、必ず保護者に連絡を入れるようにします。そうすれば、事情を正確に保護者に伝えることができます。手間を惜しまず連絡することが大切です。
 保護者に事実を正確に伝えるためには、当人だけでなく、周りで見ていた子どもたちからも情報を集め、原因や経緯を正確に把握する必要があります。必ずメモを取りながら行います。
(3)
保護者が来校するときは、笑顔で迎える
 苦情などで保護者が来校することがあります。そんなとき、保護者は、不満そうな顔で何か言おうという雰囲気が漂っています。それを見て、教師が緊張して身構える姿勢を見せれば保護者をさらに興奮させます。
 保護者が来校するときは、笑顔で対応し冷静になってもらうことが必要です。不思議なもので、笑顔で対応されると、それまで苦情を言おうと燃え上がっていた気持ちも、調子がくるい、少しは冷静になるでしょう。
 子どものケガや病気など特別な場合を除いて、「忙しいのに、子どものために、ようこそ」と、笑顔で保護者を迎えましょう。
(2)
保護者の勝手な言い分も、余裕を持って、共感しながら聞きましょう
 保護者の話を否定的に聞くと「自分の気持ちがわかっていない」と、保護者ますます教師を責める危険があります。
 保護者は自分勝手でわがままなことを言ってくることもあります。しかし「その気持ちわかります」という教師のひと言が、保護者の気持ちを和らげ、保護者との距離を縮め、話し合いを円滑に進めることにつながります。そのためには、余裕を持って保護者に対応する必要があります。
(4)
保護者が感情的になっても、冷静さを保つ
 保護者が感情をあらわにし、威圧的な態度を取ると、教師は慌ててパニック状態になることもあります。
 感情をぶつけてきた保護者に対しては「相手のペースにのらない」ことを心がけて対応します。相手の言葉をまに受けてカッとなったり、慌ててパニックを起こしたりしないようにします。
 教師は、自分が保護者の話し相手ではなく「誰かに話をしている」と考えるようにします。保護者の感情が「おさまるまで待とう」というくらいの気持ちで、心を落ち着かせることを第一に考えましょう。
 感情的になっている保護者の気持ちを分析しながら相手にしていると、冷静さも保てますし、後の対応にとても役立ちます。こちらが、冷静に対応していると、相手も冷静さを取り戻すようになります。話し合いはそれからでも十分にできます。
(3)
一人だけで対応しない
 一人で対応すると、後で思い違いが生じたとき「言った、言わない」と水掛け論になり、さらに大きなトラブルになる恐れがあります。特に経験の少ない教師は、複数の教師で対応するようにしましょう。
 話し合いに参加してもらう教師は、記録を取ってもらい、話し合いが一通り終わったら、話し合った内容を「ということで間違いありませんね」「これからは、この方向で指導することになりますね」などと、再確認してもらいましょう。
(4)
記録を残す
 後日、話し合いの経過や結果の確認が必要になることがあります。記録を残すことで、正確な事実確認をすることが可能になります。
 保護者が気分を害さないよう、話し合いをする前に「大事なことを忘れないように、メモを取っておきます」と、ひと言ことわっておきます。
 ずっと下を向いてメモを取っていては失礼です。「これは大切だ」という言葉やポイントをサッとすばやくメモするように心がけましょう。電話での対応も記録をします。
(5)
保護者への返事は慎重に
 保護者からの相談や苦情についての対応は、必ず学年主任や管理職に報告します。
 話の内容によって、その場で即答できるものもあれば、学年主任や管理職の指示を仰がなくてはならないものがあります。慎重さを欠いた安請け合い的な返事は、後で大きなトラブルのもとになります。
 学校のきまりはどうなっているのか。学年全体として考えずに、一人の担任の立場で返事(約束)をして良いのか。その場の雰囲気に流されていないか。早くその場から逃れたい気持ちがないか。など、気になることが出てきます。
 迷ったら即答しないのが鉄則です。回答を待ってもらい。主任や管理職に相談したうえで、回答しなくてはなりません。
(6)
保護者と一緒に考える
 保護者から子育ての悩みを相談されることがあります。親と教師は共に子どもの成長を考える協力者として対応しなくてはなりません。
 保護者から相談があった場合、保護者と一緒に考える姿勢を示すことも大切です。「どうすれば良いか」を保護者と一緒に真剣に考えるのです。
 教師が大まかな方針を提案し、具体的な方法を一緒に考えるようにします。例えば、わが子が「勉強がわからないと言っている」というものであれば、
「集中力が身に付けば成績も上がると思うので、良い方法を考えましょう」といった具合です。
 ズバッと解決策を示すよりも、一緒に考えながら導いてあげるほうが、保護者には心強く感じられ、後々頼りにもされるようになります。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良市立公立小学校教頭。「子どもを伸ばすためには、叱り方が大切」という主張のもと、「叱り方」研究会を立ち上げる。講演会や専門誌での発表活動を行っている)


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話しの通じにくい保護者には、どう対応すればよいのでしょうか

 話しの通じにくい保護者に、多くの教師が苦労していることを私は知っています。信じられないような話も、全国各地で聞きました。
 例えば、子どもが学校でケガをしたので家へ電話したところ、それほどのケガではないのに母親が救急車を呼び、教師たちが唖然としたという話があります。こうした事例は枚挙にいとまがありません。
 大人たちのモラルや良識の崩れは、子どもの荒れどころではないとさえ思います。もちろんこうした保護者とのつきあいは、容易なことではありません。
 電話などでは無理でしょう。つごうをやりくりして、家庭訪問して、直接話し合うのがよいと思います。若い教師は一人ではなく、ベテランの教師に同行してもらうのも必要なことです。
 子どもや保護者に信頼される学校づくりを強く意識して取り組まないと、保護者との深いつきあいをつくりあげることはむずかしいと思います。
 教師が保護者に気づかうべきことを具体的にあげると
1 話の通じにくい保護者には
(1)
話の通じにくい保護者ほど正確な情報がつかみにくい環境にあったり、保護者の生育過程が苦難の多かった場合が多い。したがって、時間をかけ、あきらめずに合意づくりを続けるようにする。
(2)
電話や家庭訪問がむずかしい場合は、手紙がよい。とりわけ厳しい生活状況下にある保護者には、励ます手紙が必要といえる。
 手紙で成果を生んだたくさんの実例があります。例えば、わが子に暴力をふるう父親が、女性教師の幾度となく出した手紙によって改心してくれたという話。
 ツッパリの子を放置していた両親が、教師の手紙によってわが子に目を向けるようになったという話など、明るい話があります。
(3)
教師だけで話が通じない場合は、他の人の仲介で合意づくりをするのもひとつの方法です。間接的に他の人がかかわってくれたことにより、教師の願いが実現した例もあるからです。
(4)
話の通じにくい保護者でも、わけへだてなく対応することが重要。「いつかわかってもらえる」ことを期待しながら。
(5)
子どもへの虐待のおそれがある場合や、保護能力に欠ける保護者には、当然のことながら児童相談所、人権擁護委員会などとの協議が必要です。児童福祉施設での保護も必要となってきます。
 自分だけで判断し対応するのは、決して好ましいことではありません。一刻も早くその子を苛酷な状況から救出するために、全教職員で話し合い、全校的な問題として考え合うことが大切です。
2 日常的な保護者とのつきあい
(1)
子どもに何か問題があったときだけ電話などで連絡するのではなく、進歩したこと、成長したことも伝えるとよい。
(2)
病気などで欠席した場合、すばやく電話してようすを聞くことが大切。保護者とのつきあいの大事なチャンスにもなる。
(3)
連絡帳・学級通信・学年便りなどは、事務的な連絡だけでなく、子どもの姿を記し、教師の思いや心が伝わる工夫をするとよい。
(4)
大事なことについては、電話でなく、必ず訪ねて対話する。
3 学級懇談
(1)
保護者が話しやすいように、日常の班・グループを活用した座席にすると効果的。
(2)
懇談のはじめは子どもたちの進歩してきた事実を伝え、家庭での進歩のようすも聞いてみる。そして、欠点や課題については、後半で話し合う方が充実する。
(3)
勉強について話題にするときは、具体的な資料を用意し、保護者に「よい点・悪い点」がよくわかるようにする。また保護者が何をすればよいかが理解できるように、具体的に提案する必要がある。
(4)
話すことに抵抗のある保護者が多い場合、小さな用紙を配布して「話したいこと・聞きたいこと」を書いてもらい、それにもとづいて懇談するもの工夫のひとつ。
(5)
学級の行事(お誕生会・レクレーション・体験学習など)には保護者の参加を求め、共同してすすめるよう工夫する。
(
坂本光男:19292010年、埼玉県生まれ、元小学校・中学校・高校の教師。教育評論家。日本生活指導研究所所長・全国生活指導研究協議会会員)


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子どもと「楽しいやりとり」でつながると、指導効果が上がり教室が明るくなる、どうすればよいか

 教師の皆さんは、授業を楽しんでいますか。教師にとって、授業は最も難しいものであり、最も楽しいものでもあります。
 その授業の楽しさの一つに「子どもたちとのやりとり」があります。教師からの問いかけに、子どもの意外な発言に思わず大笑いしたことは誰しもあると思います。
 楽しい「子どもたちとのやりとり」で子どもたちとつながると、教師の指導の効果があがり、教室が明るい雰囲気になります。
 子どもたちと「やりとり」する際、次の2点に注意する必要があると思います。
(1)
教師が子どもとのやりとりを心の底から楽しむ
 人が他人から受けとる情報の7割は、非言語コミュニケーションといわれています。
 目を大きく開けて驚いたり、手をたたいて大きな声で笑ったりするなど、表情、身ぶり手ぶり、声の変化などをフル活用して、子どもたちとの「やりとり」を心から楽しむことが、子どもたちとつながろうとする意思を示すことになります。
(2)
子どもたちの反応をよく見る
 教師だけが楽しんで、子どもが楽しんでいないのでは、意味がありません。子どもたちをよく観察し、タイミングをよく考えて取り組むといいでしょう。
 なかには、乗ってこない子もいるということも承知で取り組むといいでしょう。「これをやったら絶対にうまくいく」というものはありません。子どもたちと共にペースを合わせながらやってみてください。
 授業に多少の無駄な部分を意識的に設けることで、授業にメリハリができ、楽しい雰囲気ができて、子どもたちのやる気を引き出すことができます。つぎのように、子どもたちとの「やりとり」を楽しんでみてみださい。
(1)
ダジャレでおもしろい雰囲気を                        
 ちょっとしたダジャレで、子どもたちとの「やりとり」をつくりやすくなります。例えば、図形の学習で「平行四辺形はこうやって書くんだよ。へえ、こう書くのか、ってか」
(2)
反応が悪かったときこそチャンス
 授業で発問したとき、反応がなかったり、挙手が少なかったりするとき
「ごめん、今のは英語だった。きみたちにわかりやすいように、日本語でもう一度言うね」
と、もう少しかみ砕いた言い方で問いなおします。
 また、ダジャレに反応がなかった場合、教師が「今のは笑うところなんだけど」と言って笑顔で強制したりします。
(3)
グッスは魔法の道具
 子どもたちと「つながる」ためには、グッズなど使うと便利です。
 厳しく指導したいとき雰囲気が悪くなる恐れがあります。そのとき、ハンドパペットを使って、そのキャラになって話すと、感情的にならずに指導することができます。
 節分のときに、鬼の面をして授業をしたりすると、子どもたちは大喜びして盛り上がります。
(4)
雑談でつながる
 授業中の雑談が子どもたちと教師が「つながる」ことがあります。授業の流れの中で、教師自身の体験談や失敗談を話すと、教師の人間味や生活背景を子どもたちに示すことになります。
 また、子どもたちに人気のアニメやテレビ番組などについて雑談をすると、親しみをもってくれるようになります。
 授業内容に関連する歴史上の人物の人柄やエピソード、理科の実験の豆知識を話したり、流行りのキャラクター、時事ネタを混ぜて話したりすることで、子どもの頭に残りやすくなります。
(5)
隠すとワクワク感が
 教材を紙袋に入れて教室に持ってきて、わざと子どもたちに見せないと、子どもたちは「何々~?」と興味を引かれます。
 板書で重要な所を四角囲みに白抜きすることで知識をあえて隠すと、子どもたちの知的欲求を引き出すことになります。
(6)
板書をわざと間違える
 わざと間違えると、子どもたちは必ずといっていいほど反応してきます。そこで「そう、実はここはよく間違えやすい所だから、あえて間違えたんだよ。よく気付いたね」と、趣意を説明して正しい書き方を指導します。
(7)
子どもたち一人ひとりとコミュニケーションする
 子どもたちのやる気を引き出すには、個別に声をかけることが最も効果的です。教師に声をかけられ、ほめられたいのです。
 子どもたちに活動させたり、ノートに書かせたりするときは、机間巡視をしながら個別に声をかける大きなチャンスです。 
 ちょっとした声かけを毎日積み重ねていくことが、子どもたちのやる気を引き出すことにつながります。
 私たち教師がずっと不機嫌な顔をしていたら、子どもたちは当然、嫌な気持ちになるでしょう。子どもたちが気持ちよく過ごせるように、教師は毎日、笑顔で上機嫌に過ごす必要があります。
 でも現実には、仕事の忙しさ、子どもたちのトラブルなどで、余裕が失われ、笑顔でいられないときは、たくさんあります。しかし、笑顔で居続けようと意識することはできるはずです。
 
「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」という言葉があります。笑顔でいれば、自然と楽しい気持ちになり、声のトーンも明るくなり、優しい口調で話せるようになります。
 そのためにも、ふだんから、鏡の前で笑顔の練習をしましょう。続けることで、自然と笑顔でいられるようになってきます。
(
堀内拓志:三重県四日市立小学校教師)

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初任者や若い教師が授業の腕をあげるには、どのようにすればよいか

 ある初任者指導研修会で、私は次のように初任者の先生に問いかけた。
「あなたがたは、これから授業をいっぱい積み重ねていけば、そのうち授業の腕が上がっていくと思っていませんか?」と。
 すると、ほとんどの初任者の先生はこっくりとうなずいている。
「ああっ、やっぱりそうだったんだ!」と私は思った。
 このことが幻想であることは、すぐわかってくる。いっぱい授業を積み重ねている中堅やベテランの先生たちが、たいして上手な授業をしていない現実に気づいていくはずである。
 授業の腕をあげるためには「意図的な授業づくり」を試みていかなくてはならない。  
 初任者の先生の一番の不安は、どのように授業をこなしていったらいいかということである。初任者の先生がどんなところで悩み、つまずくのでしょうか。
 授業の準備はどうすればよいか。どんなに忙しくても授業づくりで「はずしては、いけないこと」がある。それは「この1時間で、子どもにたちに何を学ばせていくか」。これが抜けてしまうと、焦点がぼけてしまうので、子どもたちは学んだことが身につかない。どうするか
1 まず、ノート一冊を準備しよう。 
2 1時間目からの授業メモを記入する。 
(1)
その授業の本時目標をメモする。
(2)
「始め-中-まとめ」での発問や活動などをメモする。
(3)
授業後の反省を簡単に書く。
例えば、国語(物語文「大造じいさんとガン」)の教材研究は
1 教科書を、最低2回は読み、場面分けすることが必要。
2 指導書で次のことを確認する
(1)
単元目標を確認する
  場面の移り変わりに気をつけて、中心人物の行動や心情の変化を読む。
(2)
指導したいこと(具体目標) 
 大造じいさんの残雪に対する気持ちの変化を読み取る。
(3)
時数を確認-6時間
 指導書を調べることや、ネット検索が教材研究だと誤解しないことである。大切なことは、自分なりの教材研究ができるように力量を高めていくことである。
 初任者の授業を見ていると、共通しているのが、授業の8~9割を教師がおしゃべりをする。せめて教師のおしゃべりは5割に収めていく必要がある。残り5割は、子どもに次のような活動をさせる。
(1)
ノートに書かせる(書く活動)
(2)
どんどん発言させる(話す活動)
(3)
話し合いをさせる(話し合い活動)
(4)
作業や体を使う活動
 初任者の授業は、ほとんどが、一部の子どもが「挙手発言」する授業になっている。授業は、子どもの「全員参加」をどのように組み込んでいけるかにかかっている。全員参加すれば授業は安定していく。
それには、授業の基本的なかたちとして
(1)
学習課題を確認し、説明し、発問して子どもに考えさせる。
(2)
子ども一人ひとりが、自分が正しいと思う解答をノートに書く。
(3)
発表する。(教師がペア、グループ、座席の列などで、子どもを指名し発表させる。複数の発問で全員が発表できるようにする)
 授業をしていて、初任者が心配なのは「子どもたちに学力が身についているか」ということである。
 初任者は最初、初任者なりの授業しかできない。これは仕方がないこと。しかし打つ手はある。「基礎・基本」を毎日繰り返し練習させることである。
 どうするのか。例えば、国語は「漢字・音読」、算数では「計算、公式」をさせる。国語は新出漢字を毎日2,3字扱っていく。本時の音読を必ず5分取っていくようにする。
 算数は、授業の最初と終わりに5分間復習する。毎回することによって基礎的な学力が確保できるようになる。
 初心者が次のような状態で授業ができるようになったら、まずは合格である。
(1)
子どもたちの顔を見ながら授業をしている。
(2)
きちんとはっきりした声で子どもたちに話している。
(3)
子どもの間を机間指導できている。
 授業がまずいと、ざわざわし、落ち着かない子、つまらなさそうにしている子も目立つ。どうしたら子どもたちをひき付ける授業になるのだろうか。
 はっきりしているのは、すぐには授業技量を上げることはできないということである。指摘をうけても克服することは、なかなかできない。
 意識して積み重ねないと授業技量は向上しない。授業技術は、繰り返し行い、意識しなくていい程度の状態になって、初めて身につく。
 確実に授業技量を上げて行くには「一人研究授業」を私は提案したい。どうするのか?
 簡単に言えば、自分の授業を録音して、それを聞くことである。録画という方法もあるが、まず、肝心なのは自分の指導言「発問・指示・説明」である。そのことに集中したほうがいい。
 授業では、教材研究の成果は「指導言」に集約されるからである。それを向上させていくことが、授業技量を上げて行く大きなポイントになる。では「一人研究授業」は具体的にどのように行うのか。
1 自分の授業を録音する
(1)
研究授業ではなく、普通の授業がいい。
(2)
子どもたちには「先生が勉強するために録音するだけだから」と断ればいい。
2 がまんして聞く
(1)
はじめは最後まで聞き通すことは難しい。
(2)
自分の声、あいまいな発問や指示、説明に嫌気がさすためである。でも、その授業を、子どもたちは毎日聞いているのである。そう考えて、がまんして聞く。
3 自分の指導言「発問・指示・説明」の問題点(口癖、無駄な言葉など)をチェックし、きちんとメモをする。
 これを「月に一回」行う。でも、時間に余裕があれば、もう少し短時間に回数を繰り返しできればもっといい。
 例えば、1回目で次のような反省がメモされたとしよう。
(1)
話が一本調子で、暗い感じで話している。
(2)
だらだら話していて、指導言がめちゃくちゃだ。
(3)
フォローがほとんどない。
 2回目は、次のような視点を設けて、授業に取り組んでみよう。
(1)
指導言「発問・指示・説明」をきちんと区別できるようにしよう。
(2)
フォロー(いいね。すばらしい、その調子、ステキ)を入れるようにしてみよう。
 この研究法で技量が向上するのは「自分の授業を客観視することができる」からである。
 最初に録音した授業を聞くと、自分の声や話し方に嫌気がさす。あまりにも自分でイメージしているものと違っているからである。
「私は、こんな声や話し方をしているのか?」と、がく然としてしまう。
 でも、ここからである。この感想から、どのように立ち上がれるかが、これからの教師生活を決めてしまう。それくらい大きなできごとである。
(
野中信行:1947年生まれ、元横浜市立公立小学校教師、学級組織論を研究、実践を私家版で発行した。全国各地で教師向けの講座やセミナーを行っている)

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責任を他人のせいにする母親が増えてきています、よい父親になるにはどうすればよいか

 自分の子が具合の悪いことをしたとき、その責任を他人のせいにするのを他罰主義と言います。このところ他罰主義的傾向の母親が相当増えてきています。
 他罰主義的な傾向の強い母親は、たいていのことは自己中心的に物事を処理します。授業参観で授業中だというのに、顔見知りの親同士で、まったく授業とは無関係な話を平気で交わしています。
 他罰主義的な言動を親が示していると、子どもは自分の行いのよしあしをきめる指標を持たなくなっていきます。
 そのため、子どもは自己中心的な考えの子になってきています。自分が悪いのではなく、教師とか、友だちが悪いために、自分がその犠牲になっているのだというとらえ方は、子どもの心を貧しく、手前勝手な人柄にしてしまいます。
 他罰主義は、子ども心に「ぼくの言うとおりにしなかったから、殴ったり蹴とばしたのだ。悪いのはあいつだ」と、すべて自己中心的な見方や感じ方を助長することに手を貸すことになります。
 友だちをいじめたりしても、自分の不都合さは棚上げにして、すべて相手のせいにしたりします。成績が悪いのも、教師の教え方が拙いためだとし、自分が勉強を怠っていることに原因があると思わないようになります。
 そして、自分から努力していくことこそ、もっとも大切なことだということを知らないままで過ごすことになります。これでは、子どもの成長がひどく歪みます。
 よい父親になるにはどうすればよいのでしょうか。子どもにとって快いお父さんになるのは、かんたんです。
 ひとつは、わが子が大好きということです。もうひとつは、わが子のすてきな面や、すぐれたところを実感として知っていることです。
 そうすれば、わが子を尊敬するようになります。いつのまにか、ものの言い方も変わってきます。おのずとていねいな話し方をするようになります。
 そして、お父さんの得意技を伝授したり、幼少のころの遊びや風景や行事などを語って聞かせるようになります。
 悪い成績でも「いまは、あまり勉強していないからだよ。だから30点しか取れないのだよ。でも、これから百点まで伸びていく楽しみがあるじゃないか。こんどは50点ぐらいの点を取っておいでよ」と、プラス思考でわが子を認めていくようになります。子どもから見て、安心できることが、良きお父さんなのです。
 子どものよいところを知っているというお父さんは、愛情面だけでなく、理性面においても成熟した父親だといえます。
 大人の世界でもそうですが、相手のすぐれた点や、長所が分かるようになってくると、相手の人も自分を信頼してくれるようになってきます。そして、仕事もはかどり、職場の雰囲気ものびのびとしてきます。
 また、母親に対しても、
 
「しつけは、愛情と根気がいるよ。どなりつけたりしないことだ。微笑と優しさを通じてしつけるべきだ。うちで欠けているのは慈しみじゃないかな」と、少し機嫌のよい時を見計らかって、おだやかに妻に言うべきでしょう。
(
岸本裕史元:19302006年、神戸市生まれ、小学校教師。百ます計算の生みの親。1985年 「学力の基礎を鍛え落ちこぼれをなくす研究会(落ち研)(現「学力の基礎をきたえどの子も伸ばす研究会」)結成し、代表委員)

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教育は子どもとの関係づくりから始まります、どのようにすればよいのでしょうか

 子どもと大人が、よい関係をつくるのは大人の役です。学校で教師と話の通じない子が一人でもいたら、それは教師の責任です。教育はまず、子どもとの関係づくりから始まります。
 私が山深い里の学校から秋田市の学校に転勤しました。初めての町の子どもたちが、担任の私をわざと無視して繰り返すいたずらに、その都度、神経質に注意し説教をしていたのです。
 新参者の私は、同僚たちに負けてなるものかと、精一杯に立派な説教、厳しい注意を心がけました。
 ところが不思議なことに、同僚たちの平凡な注意に、ガキ大将たちがよく言うことを聞くのです。どうしてなんでしょう。
 教師と子どもとの間柄には、わずかの言葉で注意しただけで素直に従うという関係もあるし、教師が立派なことを言えば言うほど軽蔑し、厳しく注意すればするほど反発する関係もあるということを、私は子どもたちから、しっかりと教えられました。
 教育は、教師の知識や技術、発言する言葉によってではなく、教師と子どもとの信頼関係によって成り立つものであったのです。教育は、教師と子どもの人格の出逢い、人間性の触れ合いとして行われるものであったのです。
 知ったかぶりをして、おしゃべりをする私は、授業もキザであったし、子どもを支援する心遣いも不十分で、考えてみれば、子どもに尊敬され、信頼される実績は何もなかったのです。
 ただ、説教と注意だけは同僚に負けないほど立派だったと思うのですが、一人ひとりの子どもに対する愛の実績の伴わない言葉は、子どもの心に少しも響かなかったのです。
 必死に説教する私の言葉を、子どもたちは「関係ない」とはねつけていたに違いないのです。私が毎日のように注意し説教する子どもとの間には、熱い血の通う人間関係など何もありはしなかったのです。
 では、教師と子どもとの人間関係づくりは、どうればよいのでしょうか。
 それは、その子の上に、教師が温かい心を雨のように降り注いであげることです。できる限りの善意と親切の手を差し伸べてやることです。千回裏切られても愛することをやめないことです。
 
「ああ、こういう大人もいるのか、大人も信頼できるものなのか、私の先生はいい先生だ」と、疑い、警戒しながらも、子どもの心がそんなふうに動いてくれば、その子は教師の話を少しは聞くようになります。少しは話すようにもなります。
 子どもと教師との間柄は、人間関係が出来ている分だけ話が通じるのだと私は思います。人間はお互いに助け合って生きていく生き物ですから、いちばん助けてほしいところに助けの手を伸べてくれる人と人間関係が出来るのだろうと思います。
 問題行動を繰り返す子どもの心の奥には、大人の理不尽な仕打ちに傷ついて、血を流して泣いている所があるのです。問題行動は、助けを求める信号に違いないのです。
 いちばん助けてほしいところに助けの手を伸べてくれる大人がいれば、子どもはその人に温かい人間を感じ、凍った心も溶け出して少しずつ話をするようになるのだと思います。
 長い間に形成された大人不信を抱いた子と、心のつながりを持つことは、並大抵のことではありません。いっときの親切や、気の向いたときの言葉かけなどでは、人間関係はできません。
 それに、教師と子どもとの間にも相性みたいなものがあるらしくて、人によって、心の通じ合うのに長い時間がかかることもあるのです。
 そういう時こそ教師仲間の出番です。教師みんなの結束や、学年の連帯で、お互いに、自分ではやれない所を助け合うことです。
 ほかの教師のよさを子どもに語るのには、何の遠慮もいりません。ほかの教師が子どもに「○○先生は、陰ではお前のことをほめていたぞ」など、本人が言えば鼻持ちならぬ言葉も、他人が言えば美しいのです。悩みぬいている同僚のために、これぐらいのことは言ってあげられます。
 こういう教師集団の中で、未熟な教師も次第に成長し、いままでは通じなかった説教や注意が、その子の心の中に染み込むようになるのです。話の通じる関係づくりには、教師仲間の力添えも欠かせません。
 学校におけるその子の親は担任です。周りの教師は、決して自分だけがいい子になることなく、多少は悪者になっても、その子と担任の絆が結ばれるように手助けしてあげるのが人の道です。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校長会長を務めた)

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授業中、不安を感じる子や、おしゃべり、立ち歩く子がいるとき、どうすればよいのでしょうか

 授業時間は学校生活の中で多くの時間を占めるため、授業で子どものやる気を引き出すチャンスはたくさんあります。うまくいかないときがあっても、別の時間に取り返すことができます。
 1時間、1日の授業だけで、子どもたちとの関係が築かれるわけではありません。毎日少しずつ積み重ねていくことで、子どもたちとつながっていくのだと思います。子どもたちに安心感を与えられるように、子どもたちと粘り強くしっかりと向き合っていきたいものです。そのためには
1 授業に不安を感じている子どもたちには
 たくさんの子どもたちが集まる教室では、楽しいと感じ授業に臨む子どももいれば、「できるかなあ」と不安を感じている子どももいるはずです。
 私は「できるかなあ」と不安を感じている子どもたちが「大丈夫。一人じゃない」という気持ちを持つことができるようにしたいと思っています。
 授業でわからない課題に出会ったとき、仲間に聞いてもいいし、教師に聞いてもいい学級にしたい。
 
「一人ではできないことも、みんなと一緒だったらできるかもしれない」と、思えば、難しいことでも挑戦できるかもしれません。
 仲間の力をちょっとずつ借りながら、無理だと思っていたことも達成できたら「自分にもできた! 次もやってみようかな」と、次の意欲へとつながります。このような成功体験の積み重ねが自信へとつながると考えています。
 教科によっては、ある知識について「○○博士」と言われるくらい、とても詳しい子どもがいます。そのような子どもが活躍できる場面を意図的につくります。
「歴史博士の○○くん。よかったらみんなに、織田信長のこと教えてほしいんだけど」とお願いします。そして発表後「教えてくれたありがとう」と、たくさん学べたことを伝えます。
 教師自ら子どもに「教えて」と聞く姿勢を見せることで、「聞くことは恥ずかしいことじゃない」と子どもたちに思わせることができます。それと、認められた子どもと教師がつながります。このような場面を、いろいろな教科で少しずつ繰り返していきます。
 ペアやグループ学習で、わからないところを「教えて」とたずね「これは・・・・」と伝えている姿がみられたときは「いいね、こういう場面がたくさん出てくるにしたいよね」とすぐに子どもたちに伝えます。
2 授業中におしゃべりする子どもがいるとき
 授業に参加せずにおしゃべりをしていたり、ノートに絵を描いていたりする子どもがいます。以前、私は「サボっている」と、腹を立てて、その子を叱っていました。
 しかし、子どもの視点に立って、どうしてやりたくないんだろうと考えました。そうすると「やらないのではなく、やれない理由があるのかも」と思いました。
 勉強の内容がわからない。しかし、教室にいなくてはいけない。「どうしたらいいの? つらいよ」という訴えが、おしゃべりなどの行動に出ているのではないかと考えるようになりました。
 だから、叱るのをやめました。できるだけ寄り添うように声をかけ、どこでつまずいているのかを理解して支援するようにしました。具体的には次のようにしています。
(1)
そばに行って「○○くん?」と名前を呼び、授業に意識を向けさせる。
 
「はっ」として取り組み始める子もいます。「あ、しまった」と自分で気付いてできるようになる子もいます。
(2)
「今ね、この問題やっているんだけど、どうかな、できそう」と、やることを確認する。
(3)
やろうとした努力の跡を見つけて「ここまで頑張ったんだね」「ここから、わからなくなっちゃった? 一緒にやろうか」と、やろうとした意欲やできているところを認め、最後まで取り組めるように支援する。
 教師は気付かないうちに、教師という色のついた「メガネ」をかけてしまっているのではないでしょうか。ありのままの子どもの姿をとらえ、支援していくことで、子どもは「先生、わかってくれた」と感じ、やる気を出すことができると思います。
3 集中力がなく、立ち歩く子どもがいるとき
 声をかけても、それだけでは難しい子どももいます。先生に注目されたと感じ、注意されても繰り返します。
 以前の私は「なんとかしなければ」と、つい手をかけすぎて、一人の子どもにつきっきりになってしまったことがあります。しかし、子どもの行動は全く変わらず、学級も落ち着きがなくなってしまいました。
(1)
授業中に立ち歩いたり、不適切な発言には対応しない。自分の気持ちが抑えきれずに怒り出した場合も対応しない。
(2)
その子が頑張ったことや適切な行動ができた場合は、小さなことでも認めて思いっきりほめる。
 集団の中で不適応を起こす子に対して、私は「どんなあなたでも、先生は大切に思っている」という気持ちをもつようにしています。そして、子どもが「先生は自分の味方」と思えるように粘り強く寄り添います。
 適切な行動ができたときには思いっきりほめることを繰り返していくうちに、少しずつ変化が見られるようになるでしょう。
 毎日少しずつ積み重ねていくことで、子どもたちとつながっていくのだと思います。そして、子どもと教師の間に信頼関係が築かれ、安心感が生まれます。安心感はやる気へとつながります。
(3)
学級の他の子どもたちを大切にする。
 授業に参加しない子につきっきりになってしまうと、学級の他の子どもたちは、一生懸命に授業を受けているのに待たされることになります。「先生は○○くんをひいきにしている」という気持ちが出てきて、教師との関係が崩れてしまいます。
 教師はそれ以上は対応せず、他の子どもたちと楽しく授業を進めていくことも必要だと思います。子どもたちは、この対応を見て「先生は私たちのことも大切にしてくれる」と感じることができるからです。学級の雰囲気も温かくなります。
(
白根奈巳:愛知県名古屋市立小学校教師)


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