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2017年8月に作成された記事

保護者に子どものよいことを伝える「電話感謝デー」で、教師と保護者の信頼関係をつくる

 子どものよいことを電話で保護者に伝える「電話感謝日」をはじめた。
 2週間に一回、木曜日に私は名簿を見ながら保護者に電話をかけている。つけた名前は「電話感謝デー」です。
 
「もしもし、溝部です。今日はいい電話ですよ」と言って話し始める。
 
「ええっ、そんなことがあったんですか」と、お母さんの喜ぶ声がうれしい。
 1軒目、2軒目、3軒目と進む。だいたい5軒目あたりが本命だ。はじめはウォーミングアップをかねて軽やかにかけるものの、5軒目あたりが近づくとちょっぴり手に汗がにじむ。
 あれは、たしか11月頃のことだった。電話感謝デーも4周目くらいになった時、いつものように、子どもの「よい出来事」をお話しし、電話を切ろうとした。
 すると、お母さんから「本当にそれだけですか?」と、聞き返された。
 
「そうですよ。今日は電話感謝デーといって、よいことを連絡する日なんですよ」と言うと、
 
「そんなことはないでしょ。それだけで学校の先生が連絡してきますか」と、きつい調子で問い詰められた。
 ああ、本当はこれが言いたかったんだ。それを半年もがまんしていたのか。
 それでも、お母さんが本心を話してくれたことがうれしかった。
 
「お母さん、本当によいことをしたから電話したんですよ。悪いこともお知らせします。でも、それと同じくらい、よいお知らせもしたいんですよ」と、私も本心を話した。
 大人同士が信頼の糸をつなぐには時間がかかる。けれど、思いが通じるとうれしいもの。
 6軒目、7軒目。これでおしまいだ。最後のほうには、いい夢が見られそうな保護者を入れる。これくらいのクールダウンは、許してくださいね。
 これを続けていると、
 
「うちにも、電話感謝デーの日がきましたか。待っていました」と、そう言って、喜んでくれる保護者も出てきた。
 電話で保護者が少しでも喜んでくれるのなら、やってみようじゃありませんか。
(
溝部清彦:1958年大分県生まれ、小学校教師。全国生活指導研究協議会指名全国委員)

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教師と学校に文句を言ってくる親が協力するために、大事なことはなんでしょうか

 学校に文句を言ってくる保護者は「困った親」として、クレーマーとかモンスターペアレントとして敬遠されます。
 教師は親の様子を嘆き、親は教師の状況を嘆き、お互い批判的な眼差しを強めます。学校と保護者との関係は実によそよそしいものになってしまいます。
 「困った親」を「困っている親」として見るという見方に立てるかどうかが肝心なことではないか。
 「困った子」「困った親」といった見方から、保護者と教師、子どもと教師とのすれ違いが生じてきてしまうのです。荒れる、暴れる、ものを壊す、人を傷つけるなど、問題を起こす「困った子」は、実は本人が困っているのだという認識が必要です。
 私は、親と共同して子どもを育てるために「対話」を大事にしました。対話は、直接会って話をする方法と、連絡帳を使って文章で対話する方法とがあります。
 対話による会話は、消えていってしまうという点が利点でもあり、欠点でもあります。おしゃべりは、やがて忘れられます。都合のいいことだけが頭に残ります。
 気持ちや考えが試行錯誤の状況であるときは、会話による意思疎通が大事です。新しい発見があったりするでしょう。
 連絡帳は、文章で確実に思いを伝えていくことができます。くり返し読み返すので、忘れないどころか、読むたびに印象が深まっていきます。
 私が対話を大事にして「困った親」を解決していった実践例を紹介します。
 私はクレーマーの保護者A(以降A)がいる小学校の二年生の担任になりました。
 前年の一年生のとき、つぎのような出来事がありました。
 Aさんの子ども(以降a)が自己中心的で他の子どもの気持ちを考えない言動に、まわりの子どもたちから言葉による攻撃がありました。
 Aさんから「aがいじめられて、学校に行きたくないと言っているので休ませる」と、電話があり、その後、aさんは学校を休み、Aさんから担任への抗議の電話が続きました。
 担任が家庭訪問しても、一方的な担任批判となり、登校させる話にはなりません。学校に来て校長にも抗議するようになりました。
 やがて、Aさんはわが子がB子にいじめられたと弁護士を立てて、B子の親を相手に損害賠償請求したのです。B子の親は子どもを裁判に巻き込ませたくないので金銭的な和解に応じました。
 年度末の三学期になり、Aさんは「B子を転校させろ」と言ってきました。それで異例の学級編成替えをすることになりました。
 私は二年生を担任するにあたって、aさんが四か月におよぶ長期欠席の後、登校できるのだろうか。親と学校の間に生じた不信感をどのように乗り越えていったらよいのか考えました。
 
「困っ子」は「困っている子」、「困った親」は「困っている親」だという思いを強く胸に抱いて指導する準備を始めたのです。
 親とのていねいな対話が大事なので、連絡帳を預かり、翌日応答するようにしました。aさんのよい言動を連絡帳に書くようにしました。また「子どもたちは、子ども同士のトラブルから学ぶ」ということも連絡帳に書きました。
 友だちづくりを中心にした集団づくりの成果が表れて、aさんは成長してきました。aさんの学校での様子のよいことを中心にAさんに具体的に伝えました。問題点も伝えましたが、こみいったことは会って話したり、電話をしたりしました。
 7月になって、Aさんの問題点が表れました。子どものトラブルを、わが子のいい分だけ聞いて客観的に判断しないのです。Aさんから私に電話があり「Cくんのわが子に対する不愉快な言動が変わらないなら、私は何らかの方法を考えざるを得ません」と、前年と同じ脅しをしてきました。
 私と会いたくないということから、電話でのやり取りとなりました。私は、Aさんのわが子の言い分だけで判断している客観性のなさと、Cくんへの偏見について考えを改めるように迫りました。Aさんも言いたいことを言いました。
 十分聞いたので「aさんの成長をだいなしにしないように」と言って、こちらから電話を切りました。
 やはり、子どもは子どもの中で育つものです。aさんの場合もそうでした。朝の会、帰りの会を大事にして、苦情を出させ、不満を家に持って帰らさないようにしました。
 子どもたちの中で起きたトラブルは、話しい合いを通して解決させていくようにしました。そのうち、1日を振り返って、友だちを認めたり、感謝することが増え、認められる喜びを知ることになったのです。
 二学期の合同誕生日会で、aさんは班の出し物で、ナレーター役をして、ひょうきんさを見せ、みんなを笑わせました。aさんがいると学校が楽しいという声がでるようになりました。aさんはCくんとも仲よくなっていきました。
 12月の生活科のイベントで、誘いを受けてAさんも他の保護者と共に生き生きとお手伝いをするようになり、保護者同士の輪づくりが実ってきました。
(
大和久 勝:1945年東京都生まれ、元東京都公立小学校教師。大学講師、全国生活指導研究協議会常任委員、『生活指導』隔月刊編集長)

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規律のある学級にするために、すぐできる方法とはなにか

 荒れた学級では、教師の指示が通らない。学級を荒らさないためには、規律を打ち立てる必要がある。
 規律を打ち立てるためには「しつけを一つずつ徹底して教えていく」と、効果的である。まずは、一つを徹底するのである。
 しつけで有名な三原則(哲学者森信三が示した)は、
(1)
あいさつをしっかりする
 あいさつがきちんとできるようになるだけで、学級の雰囲気がピリッと引き締まったものになる。
 そして、教師の指示があったら、さっと動ける子どもになっていくのである。
 例えば、朝のあいさつで、隣の子とおしゃべりをして、声を出していない子どもがいたら
「とってもいい声で、あいさつできている人がいました。が、残念。三人は声を出していませんでした。朝のあいさつを気持ちよくすることから、一日が始まります。もう一度しましょう」
 教師が、あいさつができているかどうかを鋭く見て、できていない子どもの数まで言うから、子どもたちはドキッとする。「この先生には、ごまかしがきかない」と思うようになる。
(2)
返事をする
(3)
後始末をする
である。
 あいさつ、返事、後始末にこだわってみる。これが学級経営の急所である。
 あいさつ、返事、後始末を一つずつ教え、だんだんとできるようになってくれば、学級の雰囲気がガラリと変わる。規律ある学級に変化してくる。
 この三つのしつけ以外にも、私がこだわっているしつけがある。それは、
(1)
目の前に落ちているゴミを拾う
 できていない事実をとらえ、全員に指導する機会をもちたい。
 例えば、図工の授業の後で、ゴミが落ちていたとする。誰もそれを拾わずにほうっておいたら、指導のチャンスである。
「大変残念なことがありました。教室にゴミが散らかっているのに、誰も拾おうとしないのです。そんなみんなの姿を見て、残念に思ったのです」
「そんな人に、何か大きな目標が達成できると思いますか」
「小さなことにすら気づけない。気づいてもめんどうだと思ってやらない。そんなことで、自分の夢をかなえるための努力ができると思いますか」
「今日は残念でしたが、次は、みんなならきっと拾えると思います。先生が拾って片づけるようではダメなのです」
 そして、拾っている子やゴミを落とさずに片づけている子をほめる。こうして、小さなことを大切にする子に育てていく。
(2)
提出物の向きをそろえて出す
 宿題やプリント、ノートなどの提出物を、教師の方に向けて出すことができるようにしたい。目上の人への最低限の礼儀だけは教えておきたい。
(3)
机をそろえる
 座席を離れるときや、授業が始まる前、帰る時などに、さっと机の向きを整えるようにする。
 すぐに机の位置と向きがそろえられるように、机の下にマーカーで印をつけておくとよい。
 これらは、たいへん小さなことである。だが、こういった小さなことができるようになると、大きな変化が子どもに訪れる。
 やることが、だんだんと丁寧になり、不思議と落ち着いてくる。
 教師が大切にしたいしつけを、一つずつ教えていくことで、規律あるクラスへと変わっていく。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)


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若い教師が、難しい場面も苦しくならずに乗り切るためのコツとは

 若い教師は、まず、子どもたちと接するのと同じように、保護者とも早めにつながることを意識するとよいでしょう。
 懇談会が苦手であれば、学校の子どもたちの様子を写真をスライドにして流すなどして、伝えるとよい。保護者とつながるよい方法は「よいことで電話をする」ことです。教師のことを信じてくれる保護者は増えると思います。
 子どもたちはキレたり、暴れたり、泣いたり様々なことをします。子どもたちは、うまくいかなかったことがあったり、苦しんだりしながら成長していきます。
 子どもたちが何か問題を起こしても「よし、子どもが成長できるチャンスだ」と思って指導できるくらいの気持ちで臨んでいきたいものです。
 クラスで気になる子どもは必ずいます。その子しか意識できなくなり、叱ってばかりいると、クラスはどんどん悪い方向へすすんでいきます。こうしたときほど、一人の子に固執しないことが大切です。私は叱らないで関わる時間を増やすようにしています。
 そんなときほど、周りの子を見るという意識を持つ必要があります。クラス全体に指導していくことが大切です。指導の仕方を工夫し、ほめたり、促したり、誘ったりしながら、子どもたちが納得できる方法で行いましょう。
 休み時間は様々な方法で子どもたちと関わってみましょう。遊んだり、子どもたちの興味関心のあることをおしゃべりしたりすると、子どもたちとのつながりも強くなります。
 保護者でも同僚でも、自分の応援してくれる人を増やしていくようにします。とにかく、報告・連絡・相談をして、いろいろな人に聞いて学ぼうとする姿勢を大切にしてください。謙虚に一生懸命に頑張っていれば、応援してくれる人は増えていきます。
 学ぶ姿勢がなくなったら、教師としては失格だと私は考えています。勉強だけでなく、あらゆることを学びたいという気持ちがかかせないのです。
 授業には様々な方法や考え方があります。その方法や考え方にしたがって取り組んでいくと、必ず成果が出てきます。しかし、気をつけなくてはいけないのが「子どもたちが見えているか」です。
 どんな素晴らしい方法でも、「いつもそうやってきたから」と疑問をもたず、その方法のために子どもたちを動かしてしまってはいけません。
 大切なことは、子どもを第一に考え「子どもたちのために方法や考え方がある」ということです。
(
長瀬拓也:1981年岐阜県生まれ、横浜市立小学校教師、岐阜県公立小学校・中学校教師を経て京都市私立小学校教師。2004年に「第40回わたしの教育記録」(主催/日本児童教育振興財団)新採・新人賞を受賞。授業づくりネットワーク理事、教育サークル「未来の扉」代表代行、『教師になるには』編集代表、クラス・マネジメント研究会代表)

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荒れた子どもや学級を立て直すためには、どのようにすればよいのでしょうか

 キレやすい子どもたちは、動物的な勘のような鋭さで、自分に迫ってくる危機を感じとり、自分が傷つくまえに「ウルセエ、むかつくんだよ。くそババア」と攻撃的な姿勢をとるような気がします。
 自分に迫るものをつねに危機として感じとるというのは、他者に対する不信、自分の存在に不安をかかえているように思います。
 教師にその思いはなくても、子どもがくり返し傷つけられ、自分の存在にたいする肯定的な感情を育んでこなかったからでしょうか。。
 正義感をふりかざした顔でだれかが近づいてくると、「もうぼくを傷つけるのはやめてくれ」と鋭く反応し、正しいことであっても、人間的な感情で受けとめきれず、反発してしまうのではないでしょうか。
 私は、この子どもたちとともに生きていくにあたって、命令や怒声、罰などをふりかざす「力による教育」はいっさいやめようと思いました。
 それが子どもたちの心を傷つけ、人間への信頼や連帯から遠ざけ、攻撃性をいっそう助長してしまうであろうことが予測できるからです。
 まず、「あなたが、あなたでいることを、私はそのまま受け入れるよ」。そういう気持ちで子どもたちと生きていこうと思いました。
 特に学級の指導で気をつけていたのは、子どもたちの攻撃的な感情を助長するような雰囲気をつくらないこと。ゆっくりとした時間の流れのなかで対応することをこころがけていました。
 朝の会で一人ひとり名前を呼んで、「守るくん、ねこのチャトラは元気ですか」と、ふと思いついたことを語りかけます。それから、心にのこったことを一つ二つ話します。
 そして、一日の予定について話します。子どもたちのいらだちや攻撃性は、この一日の予定を知ることでかなり弱められるようです。見とおしをもつことが人間らしい努力を生みだす力になっていきます。
 体育の授業は、おにごっこ、手つなぎおに、「網投げた」などの遊びを全員で楽しみました。笑顔がこぼれてきます。
 とくに「網投げた」のあそびを子どもたちは好みました。遊び方は簡単です。最初わたしが漁師になってあと全員魚になります。体育館の一方の端に魚となった子どもたちが並び、漁師となった私がもう一方の端に立ちます。
 
「網投げた!」と大声をあげて、子どもと私は体育館を交差するように駆け抜けていきます。そのとき、漁師である私にタッチされたらアウトです。捕まったらこんどは反対に漁師に加わります。
 横にステップを踏んでタッチをかいくぐることは許されますが、後ろに逃げることは許されません。スピードとフェイントの勝負です。
 漁師の数がどんどん増えてきて、そのなかを逃げきるのはスリルがあって楽しいのです。どんなすばしっこい子も最後は、クラスみんなにワーッととり囲まれて捕まってしまいます。汗びっしょりで。
 こうして、からだを動かすことをめんどうくさがっていた子どもたちが、マットなどに全力を出しはじめました。
 子どもたちの気分や感情とていねいにつきあっていくのですが、普通のクラスからみれば荒れているように見えます。しかし、一概にそれが悪いとは言えない気がします。
 感情の処理をていねいにしきれない子どもたちが、お互いの要求をぶつけあいながら学び学校生活を送るということで、教師から命令されるのではなく、自分から自覚していく時間が必要だろうということです。
 教室で、体育で、遊びやゲームをよくしました。「無人島」とか「人数づくり」とか「ジャンケンゲーム」とか「シェーハ」とか。短い時間をちょっとつかって楽しみました。
 学校にはこういうゆったりとした時間が流れることが必要ではないかと、思いました。
 いらだちやむかつきを表現し、傷つけあうことばが飛びかっていた教室に、授業への集中や読書への集中の快さを創りだすことはとても大切なことだと思いました。
 一週間に一度だけど、図書室でみんな静かに本を読むようになりました。文字を読み、イメージを広げ、夢中になって心躍らせる体験は、子どもたちの内面を充実させていくでしょう。
 絵本の読み聞かせをしました。右手の指できつねの”コンちゃん”をつくって一人芝居をしました。
 
「やあ、みんな、こんにちは。ぼく、コンちゃん。先生、本読んでよ」
 「よし、じゃあ、読むとしよう。『三びきのやぎのガラガラどん』、始まり、始まり」
 心をこめて小さな声で読みつづけていきました。シンとして聴いてくれます。「おもしろかったあ」読み終わると、みんな、ほうっと肩の力を抜いて笑っていました。六年生の教室であることがうそのようです。
 子どもたちがわたしに信頼をよせ、心を開きすっかり身をゆだねてくれているのです。こんな瞬間、子どもたちがとてもいとおしくなります。子どもたちは、人間として一人ひとり尊敬され、ていねいにあつかわなければならない。そんなふうに強く想うのでした。
 教室に何冊もの本を持ち込んで紹介しました。「1年1くみ1ばんワル」「キャプテンがんばる」「それゆけズッコケ三人組」など。
 子どもたちは、少年や少女の時代を輝いて生きたいと願っているように見えます。荒れているように見えて、じつは少年たちの生きることへの願いのようにも思えます。
 しかし、荒れている状況を放置するわけにはいきません。荒れの向こうに見える子どもの要求を聞きとりながら、人間的に生きることへの喜びに結びつけていかなければなりません。
 子どもたちは希望をもつことではじめて人間的な生き方に心をよせ、みずからを変えることに挑戦しはじめるのですから。 
 こんにちの子どもと教育の危機のなかで、希望と未来が一度に切り拓かれるような指導のマニュアルはありません。
 私たちにできることは、子どもに徹底して寄り添い彼らの深い要求を聴きとること、そして自己の停滞を打ち破り教師としての新しい一歩を踏み出すことではないかと思います。
 誰もが歩いたことのない未知の草原や荒野を、道草を楽しみながら子どもとともに歩み、希望を創りだしていくのです。
(
山崎隆夫:1950年静岡県生まれ、元東京都公立小学校教諭。都留文科大学非常勤講師、「学びをつくる会」「教育科学研究会」会員)

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保護者からのクレームがなく、保護者の信頼を得る対応をするにはどうすればよいか

 私は保護者からのクレームをほとんどもらったことがない。なぜ、クレームが出なかったのだろうか。それは「子どもが頑張っている」「子どもが伸びている」という事実があったからである。
 子どもが成長している事実があればクレームは出ない。これがクレームを未然に防ぐ第一条件である。
 子どもが伸びたという事実を一つ一つつくっていれば、クレームはでないものである。教師として「子どもを伸ばしているのだ」という筋を通せばよいのである。
 年度始めのクレームを未然に防ぐには、先回りして、教師の意図を説明しておくとよい。学級通信などで説明しておけばすむことである。
 担任のことがよくわかっていないので「宿題はもっとださないのですか」といった「よくわからなくて不安だ」という気持ちから保護者のクレームがでるのである。
 担任していると、子どものトラブルのことでクレームがくることがある。もしもクレームが出た場合、私が必ず心がけていることがある。
 それは「迅速に」「誠意をもって」「解決に徹する」である。大切なのはスピードである。クレームを聞いたその場で、すぐに解決のための行動を始めるのである。
 ポイントは「保護者が納得するまで、細かな点まで配慮して解決にあたる」ことである。
 例えば「子どもがけんかをして、本人がとても気にしている差別的なことを言われた」といったとき、差別的な発言を許すような雰囲気の学級経営をしていることに保護者が怒っているのだ。
 だとしたら、誠意ある解決のための教師の行動は、
(1)
けんかの理由を聞き、悪かったところを、お互いに謝らせる。
(2)
差別的な発言は、理由があろうと許されないことを話す。
(3)
クラスの子ども全員に差別的な発言をしていないか、振り返る機会をとる。
 こうした対処を、その日のうちにとったうえで、保護者に連絡する。担任の誠意が伝わるよう連絡帳でなく、電話か直接会うのがよい。
 
「このように対応しました。ご心配をおかけし、大変申し訳ございませんでした。以後、差別的な発言が出ないよう、担任として注意してまいります」と。
 迅速、かつ誠意ある対応に、保護者は担任に対する信頼を増すことになる。クレームがきても落ち込まないことだ。それよりも、クレームを、信頼を勝ち取る機会にしてしまえばよいのである。
((
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)


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百ます計算などの陰山式学習法は、どのようなものだったのか

 陰山英男が兵庫県朝来町立(現在は合併により朝来市立)山口小学校在職当時、同僚教師や保護者なども巻き込んで基礎学力向上のためのメソッドの開発を進め、岸本裕史先生が提唱した百ます計算やインターネットの活用、科学実験、そして日常の生活を見直すチェックシートの活用など、さまざまな工夫を重ねて、成果を上げる。
 陰山学級の国語と算数の偏差値が全国平均を大きく上回った。山口小学校を卒業した陰山学級で学んだ50人ほどの子どもたちが、1999年高校を卒業し、その2割が国公立大学に合格した。NHKのクローズアップ現代に取り上げられた。
 百ます計算は足し算、引き算、かけ算、割り算の四種類があり、低学年用には、25ます計算や64ます計算もある。
 任意に記された縦・横10個の数字を、ます目にそって左から右へ、全部で100個の計算を解く。そして同じ数字が配列された問題を二週間、学校と家庭で行い、計算速度を記録する。
 目標タイムの基本は二週間で初日の半分に縮めること。もしくは、2分(割り算の場合は5分)にすること。できた子どもの所要時間を告げる。
 
「まだまだ君たちのタイムは伸びる」と子どもたちに言う。早くできた子どもは、プリントを裏返し、同じ数字を10回足したり、引いたりする「エレベータ計算」を始める。
 数字は百ます計算を始める前に黒板に書いておく。百ます計算で得られることは、計算力アップで子どもに自信をつけさせること。集中力をやしなうこと。
 特に勉強ができない、行動に問題のある子どもたちは元となる計算力が弱いぶん、成長するときは格段の伸び方を示す。百ます計算は、陰山は岸本裕史先生より学んだ。学年ごとに段階的に百ます計算を進展させる。
 新しいクラスを担任すると、陰山は子どもたちに
「これから、この百ます計算のプリント(同じ数字の並びを毎日やることが大事)を、時間を測ってやってもらいます。先生は予言します。2週間後にあなたたちのタイムは半分になっています」
と言うと、子どもたちは半信半疑で取り組みますが、陰山は経験的にそうなることを知っています。
 百ます計算の時間が短くなっていくと子どもたちをほめます。ほめると子どもたちはやる気になってまた伸びます。子どもたちは自信ができると、意欲的になり、飛躍的に成長します。百ます計算によって鍛えられた集中力によって思考力も伸び、文章題も解けるようになります。
 百ます計算を実践しても効果がでないのは、百ます計算の本質を知らないまま使っているからだと陰山は言います。
 学力をつけるには、まず子どもたちの生活習慣を健全(早寝・早起き・朝ごはんを食べる)にして、そのうえで基礎基本の学習と読み書き計算のトレーニングを行い、さらに多様な学習をするようにする。そのことをしっかり理解してほしいと述べています。
 百ます計算さえさせればよいと、早寝・早起き・朝ごはんの正しい生活習慣なしに、寝不足のまま、朝ごはんも食べないで百ます計算をさせたらキレる子どもがでてきても不思議ではありません。
 百ます計算を行うことで子どもが伸び始めると、それを見て保護者も変化し、学校の言うことを信じて子どもの生活習慣を正してみようと協力的になると陰山は言います。
(
陰山英男1958年生まれ、元兵庫県公立小学校教師、広島県公立小学校長を経て、立命館小学校副校長、立命館大学教育開発推進機構教授。元大阪府教育委員委員長)

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子どもに主役意識を持たせることが大切、そのために教師の主役意識が育っているかが問題である

 よほど気をつけないと、授業ではよく挙手する子を中心に進め、どんどんやれる子に活躍の場を与えてしまいます。その方が効果があがると思うからです。
 教育の効果は、まだよく育っていない子が、よく育つことです。
 学習などの場面で出番を与えられなかった子は、教師の目の届かぬ場面で主役になって、学級や学校を崩壊させていきます。そんなことになったら大変です。
 どの子も、一人ひとりがかけがえのない役を負っているのだということを教え、それを実感できるように、子どもに主役意識を持たせることは大事です。
 子どもに「あなたも主役なのよ」と担任が励まし、少しでも勉強に成果が見えると「なかなかやるじゃない」と、ほめます。ほめることの教育的な効果はてきめんです。
 そのためには、子どもよりも先に、教師に主役意識が育っているかが問題です。ただ一度きりの人生の主たる舞台である職場に、生き甲斐に満ちていなかったら、人生はつまらないものになってしまいます。
 他校から転任して日の浅い人は、校長の言うことが前任校と違う、学年の人と親しみにくい、子どもの気風が肌に合わない。そのたびに「前の学校はよかった」と思う。よくあることです。
 でも、一日も早く「この学校は私の学校、この子どもたちは私の子ども、私こそ、この学校の主役」と、心からそう思う修業が大事です。
 どこを探しても、完ぺきな理想の職場など、まずありません。出来のよくない子ども。肌の合わない同僚、方針の明確でない管理職。不足だらけの施設・設備。こなしきれないほど多い仕事など。
 赴任しての第一印象をそう語る人もいます。主役意識の育っていない人はそれでもう、やる気を失ってしまいます。
 そして心の中で「ひどい所に来たもんだ。この学校はこれまでいったい何をやってきたんだろう」と、次の日から職場生活は味気ないものになってしまいます。
 ところが、主役意識の育っている教師は違います。「これまでの人たちはここまでやったんだ。今度はいよいよ私の出番だ」と、次の日から張り切って出勤してきます。
 教師の仕事のほとんどは、教師と子どもが触れ合う場で行われるのです。主役とは、教育という仕事の主役です。教育の仕事の対象は子どもです。
 子どもは教育という仕事の最も権威のある評価者です。ほかの誰からもほめられなくても、子どもからほめられるのが教師の仕事の醍醐味です。
 子どもから「うまい!」「よくやる」「先生、大好き!」と言われることをこそ目ざすべきです。教師の主役意識はそうして育ちます。
 主役意識の育った教師のもとでは、必ず子どもの主役意識が育ちます。
(
船越準蔵:19262015年 秋田県生まれ、秋田大学附属中学校教師、秋田県教育庁指導主事、教育次長、中学校長、秋田県中学校会長を務めた)

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学級崩壊を立て直すには、教師として何が求められるのでしょうか

 学級崩壊や授業崩壊を克服した教師は例外なく「学び続ける」人である。原理原則を学ぶのみならず、常に新たな情報を求めて動いている。その蓄積の中で知的に磨かれ実力も高まっていく。
 私も学級崩壊の「立て直し請負人」ともいうべき教師たちを知っているが、どの教師も例外なく魅力にあふれている。自らを高めることで周囲を幸せにしている。それが彼らの魅力を形作っているのだ。
 学ばない教師は教える資格がない。学ばないことは「ゼロ」ではなく「マイナス」の結果さえ生み出すことになるからだ。
 新採教師で激しい学級崩壊を立て直した鈴木恒太小学校教師を私なりに整理した。
激しい学級崩壊を立て直す教師の三つの条件は
1 芯の強さがある
 学級崩壊した学級を担任すると精神的に疲弊する。それは半端なものではない。神経を擦り減らす。
 毎日、ギリギリの緊張感を経験しながら、子どもたちに変容をうながす指導をしていくには、圧倒的な心の芯の強さがないと、まず無理だ。
 その芯の強さは、激しく荒ぶる子どもの事実を目の前にして「絶対にこの子どもを育てる」という「強烈な信念」から生まれる。
 使命感を持って仕事をしている人間は、よくない結果を人や環境のせいにはしない。あくまで自分自身の責任であると決め、改善の努力をする。
2 人間として魅力的で知的で格好よさがある 
 子どもたちは教師に知性を求めている。発する言葉の一つひとつが知的であるか。対応はスマートであるか。知的好奇心を満足させてくれる教師を求めている。知性のきらめきは見た目にも表れる。自信となって、である。自信のある人は魅力的だ。
 人間としての明るさ、清潔感は絶対条件だ。単にイケメンや美人であればよいとうことではない。イケメンや美人でも学級崩壊する。
 荒れた子どもたちは感受性が鋭い。教師に対する感性も人並み以上である。教師を見る目は厳しい。
 学級崩壊を立て直す教師は、この絶対条件を持っている。この条件をそなえていない教師には、荒ぶる子どもたちの前で語る土俵にさえ立てない。
3 子どもに対する対応力、教師自身への対応力がある
(1)
子どもに対する対応力がある
 激しく荒れた子どもたちは、「・・・・しなくてもいいか?」など、無数のアドバルーンを教師に叩きつけてくる。かれらは、教師に対する喧嘩のプロである。
 巧妙に教師を挑発する暴言や問題行動を繰り返す。かれらは教師の心を深くえぐり、傷つけるコツをよく知っている。
 これらに、いかにイライラせずに、子どもの言動を叱りつけるだけでなく、手を変え品を変えて指導の手を入れ続けられるか。
 対応力の具体的なスキルがなければ、激しい荒れには対応できない。対応力は当意即妙な「語り」や、一瞬のしぐさや返事でなされることもある。今までどれだけ嫌な思いや人生経験をしたかにかかっているところもある。
 基本的な授業力や楽しい授業ができるというのは、当たり前の条件である。
(2)
教師自身への対応力がある
 
教師は悩む時期、苦しい時期が必ず来る。その時、自分自身を許すことが大切だ。学んだからすぐにできるわけではない。努力が形に表れるまでには時間がかかる。
 それまで、「がんばっているが結果がでない自分を許す」のだ。「大丈夫。きっとよくなると唱える」のである。それで笑顔が戻る。私にもそういう時期があった。
(
長谷川博之:1977年生まれ、埼玉県公立中学校教師、埼玉教育技術研究所代表理事、TOSS埼玉志士舞代表。全国各地のセミナーや学校で講演や授業を行っている)

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私語で騒がしい教室を変えるには、どのようにすればよいのでしょうか

 まず考えられるのが、最低限のルールについて、その善し悪しを明示して毅然たる態度で叱ることです。学級崩壊が広く知られるようになった現在でも、教室の秩序維持に貢献しています。
 ただし、叱ることが効力を発揮するのは、教師の言葉に十分な説得力がある場合に限られています。
 例えば、ザワザワしている子どもたちに「静かにしなさい」をくり返しますが、「なぜ静かにする必要があるのか」を子どもたちが納得できるように説明できる教師は案外少ないのです。
 そういう言葉の力の弱い教師が、いくら「毅然とした態度」で子どもたちを叱っても、逆効果になることが多いのです。
 叱ることだけが「騒がしい教室」をなくす方法ではありせん。
 例えば、子どもたちがザワザワし始めた教室で教師が、子どもたちが楽しくなるような「つかみネタ」をぶっつけてみて、子どもの関心を教師に向かせます。
 国語の授業であれば、授業の冒頭でちょっとした漢字遊びをします。「3分間で木のつく漢字をできだけたくさん集めましょう」というような遊びです。ちょっとした漢字遊びが子どもたちの気持ちを授業に誘導します。
 あるいは、黒板にクイズ型の問題を板書して「夏目漱石の作品として間違っているのはどれ?①吾輩は猫である②舞姫③坊ちゃん」というように、こんな三択なら、だれでも参加できます。
 面白い学習クイズをしてみたりして、教室のザワザワを学習に向けた集中へと導く空気づくりをすることは十分に可能です。
 さらに「騒がしさの中で学ぶ」方法があります。
 従来の「静かに」「座って」学ぶスタイルから「明るく」「アクティブ」な学び合いに変えるのです。
 例えば、合法的な立ち歩き活動です。「何かを見て、短い感想文を書く」「賛成・反対の理由の文を書く」「ふり返りの文を書く」ときです。
 教師が教える授業も必要です。しかし、子ども同士が学び合うグループ学習も必要です。グループが苦手な子も慣れると楽しく学べます。
(上條晴夫:1957年山梨県生まれ、小学校教師(10年)、作家、教育ライターを経て東北福祉大学教授。NPO法人「授業づくりネットワーク」理事長、お笑い教師同盟代表、専門は教育方法学・表現教育)

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教師になって三年、「前の担任と比べて授業がへただ、担任を代えてほしい」と言われた、どうすればよいのでしょうか

 私は教師になって三年目です。小学校四年の担任をしています。少し教師の仕事に慣れ、保護者との関係づくりのコツも身についてきたと、自信も持てるようになっていました。
 しかし、二学期末の保護者会でA子の保護者から「前の担任と比べて、あなたは授業がうまくありませんね」と言われたのです。
 
「えっ」と思い、とまどっている私に、前の担任と私を比較し始めました。
「理科の授業は、前の担任は実験もしっかりやらせてくれ、子どもも興味深く授業を楽しみにしていました」
「先生は説明してドリルをやらせるだけなので、子どもも理解しないまま教科書が進んでいくようですね」
「前の担任は、学級通信も毎日出してくれましたが、今は週に一度だけですね」
などと言われ、私の気持ちは沈んでいきました。
 その後、学校に来て、校長に「担任を代えてほしい」と訴えました。保護者の間で私の力のなさが噂になっているかと思うと、私はますます自信がなくなりました。子どもたちの顔を見ていても、その後ろに親の非難する姿が見えてきて、私は神経がまいってしまいました。
 先輩教師からアドバイスをもらい、三学期は授業の準備を今まで以上にしっかり行ったり、学級通信も毎日出したりして、がんばってみました。学級通信には担任への要望を書く欄を設けて、親の声を聞くようにも努めました。
 三学期末の保護者会は個別懇談ではなく、学級懇談で、この一年間の子どもたちの成長や学級の様子を伝えました。
 けれども、意見交換のときにA子の保護者に「先生の努力はわかりますが、私は学校に期待していませんから、学力は塾の先生につけてもらっています」と言われました。
 全体の場で言われたことで、私は教師を続ける気も失せ「いったい、この私にどうしろと言うのですか」と捨てゼリフの一つも言いたくなりました。
 このような場合、どのように対応したらよいのでしょうか。
 以前でしたら、このような発言は、公の場ではまずありませんでした。もちろん教師の未熟さもありますが「学校に期待していませんから」は、その人の考えであり、それを全体の場で公言するのは、人をおとしめるのが目的のクレーマーです。
 無理な抗弁をせず、先輩に相談したり、カウンセリングを受けたりして、新年度からの再起を期して準備をととのえ、再挑戦してください。
(
諏訪耕一編:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの塾」、「浪合こころの相談室」を開設した)

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教え上手な教師はモデルとなる子どもを想定して授業をする 

 クラスを、できのいい人、中ぐらいの人、思わしくない人の三つのグループに分け、それぞれのグループで一人ずつ典型的な人を想定します。すぐれた教師はこういうモデル抽出を活用しています。
 上中下に分布したうちの、上ランクの子しか授業内容が理解できていないようであれば、もう少し掘り下げて、中ランクの子まで届くようにし、下のランクの子どもへの手当ては授業の後半に集中させようといった策をとるのです。
 今日の授業のねらいを達成するためには、Aくんのやる気を刺激してみようとか、B子ちゃんにわからせたらこの授業は成功だなどと、特定の一人を選んで、その子の意欲を引き出し、理解を深めるよう授業を行うのです。
 教材を発掘するときにも、ある特定の子どもを思い浮かべて「あの子を熱中させるのに、このネタは適切だろうか」などと考える。
 また、授業中にモデルの子に質問を集めて
「そんなことまで知っているのか、キミはすごいなあ」
「でも、あとでもう一回質問するぞ。もうちょっとむずかしいことを聞くからな」
などと、その子を中心にして進めていく。そうすることで、理解をほかの子どもに広げていくのです。
 こうしたやり方は、授業を一人の子どもだけに偏らせはしないかと思う人がいるかもしれません。しかし、代表的な「個人」を通じて全体は見えてくるものです。
 モデルの子どもを基準にすることで、ほかの子どもの理解度などもよくわかってくる。だから、グループ全体への理解を図りたいときこそ、全体を代表する個人への浸透を心がけなくてはなりません。
 むろんモデルにすべき一人は、いつも特定されているわけではない。ケースバイケースでそのつど選択します。
 私の経験からいうと、最大公約数的な平均的な子どもをモデルに選んだときは、授業が無難なものになり、おもしろみに欠けることが多い。全体の理解度も中程度で終わってしまいがちです。
 もっとも大きな成果が望めるのは、やはり意欲が薄い、ノリが悪いといった子どもをターゲットにして
「この子の心をつかむにはどうしたらいいだろう」
と、工夫する場合のようです。
 それは失敗するリスクも大きいのですが、うまくいったときの全体への波及効果は最大となり、教師の技量向上にも通じていくからです。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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新任の教師が追いつめられるのは、どのようなときでしょうか

 新任の教師が追いつめられるときには、つぎの二つのことが関係しているようです。
(1)
子どもとの関係がうまくいかないとき
 新任の教師は、子どもを愛しながら日々を送るのですが、子どもたちは、だれもが素直に教師のいうことを聞いてくれるわけではありません。
 それに、困難な事情を抱かえる子どもがいると、教室は落ち着きを失っていきます。このことが「みんな、私が悪いのだ」と、若い教師の心をさいなみます。
(2)
子どもの指導に、保護者や管理職から批判されるとき
 新任の教師なら、子どもの指導をめぐって誰もが悩みを抱かえるものです。学級が落ち着かないと、管理職から指導の弱点や問題点の指摘、責任の追及がはじまります。
 これに、保護者の批判の声が重なると、若い教師には、それが心を病むほどの鋭い痛みや傷となります。
 例えば、授業参観で、子どもの笑顔があったのに、参観の後、保護者から「いったいあの授業は何ですか」という感想があると、深い挫折感でいっぱいになります。
 こうした、日頃の指導に対する意見には、心がつながる仲間の教師にグチを言ったりしながら、それなりに乗り越えていくことができます。
 しかし、モンスターペアレントと思われる保護者からの執拗なクレームがあると「もう、辞めたいな」と思うことがあります。
 例えば「うちの子がいじめられているのでないか」「先生は、わが子の言い分をちゃんと聞いてくれているのですか」といった内容の連絡帳や電話が毎日のように続くと、電話の音を聴いただけで、身の縮む思いがして、暗い淵に落ちこんでいくような気がします。
 このような問題は一日や二日で解決できないことが多くあります。数か月かけて子どもの納得や笑顔をとおしながら信頼を得るように、教師が精神的に苦しみながら打開しなければならないことがあります。
 だからこそ、学校の責任者である管理職は「クレーム」を寄せられている教師たちの声を聞きとり、支えていかなければならないのです。
 必要なときは、管理職が担任に代わって保護者の前に立ち、保護者の子育ての悩みを聞き取りながら、学校と保護者が共同して歩むようにしていかねばならないと思います。
((
山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

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