荒れた子どもや学級を立て直すためには、どのようにすればよいのでしょうか
キレやすい子どもたちは、動物的な勘のような鋭さで、自分に迫ってくる危機を感じとり、自分が傷つくまえに「ウルセエ、むかつくんだよ。くそババア」と攻撃的な姿勢をとるような気がします。
自分に迫るものをつねに危機として感じとるというのは、他者に対する不信、自分の存在に不安をかかえているように思います。
教師にその思いはなくても、子どもがくり返し傷つけられ、自分の存在にたいする肯定的な感情を育んでこなかったからでしょうか。。
正義感をふりかざした顔でだれかが近づいてくると、「もうぼくを傷つけるのはやめてくれ」と鋭く反応し、正しいことであっても、人間的な感情で受けとめきれず、反発してしまうのではないでしょうか。
私は、この子どもたちとともに生きていくにあたって、命令や怒声、罰などをふりかざす「力による教育」はいっさいやめようと思いました。
それが子どもたちの心を傷つけ、人間への信頼や連帯から遠ざけ、攻撃性をいっそう助長してしまうであろうことが予測できるからです。
まず、「あなたが、あなたでいることを、私はそのまま受け入れるよ」。そういう気持ちで子どもたちと生きていこうと思いました。
特に学級の指導で気をつけていたのは、子どもたちの攻撃的な感情を助長するような雰囲気をつくらないこと。ゆっくりとした時間の流れのなかで対応することをこころがけていました。
朝の会で一人ひとり名前を呼んで、「守るくん、ねこのチャトラは元気ですか」と、ふと思いついたことを語りかけます。それから、心にのこったことを一つ二つ話します。
そして、一日の予定について話します。子どもたちのいらだちや攻撃性は、この一日の予定を知ることでかなり弱められるようです。見とおしをもつことが人間らしい努力を生みだす力になっていきます。
体育の授業は、おにごっこ、手つなぎおに、「網投げた」などの遊びを全員で楽しみました。笑顔がこぼれてきます。
とくに「網投げた」のあそびを子どもたちは好みました。遊び方は簡単です。最初わたしが漁師になってあと全員魚になります。体育館の一方の端に魚となった子どもたちが並び、漁師となった私がもう一方の端に立ちます。
「網投げた!」と大声をあげて、子どもと私は体育館を交差するように駆け抜けていきます。そのとき、漁師である私にタッチされたらアウトです。捕まったらこんどは反対に漁師に加わります。
横にステップを踏んでタッチをかいくぐることは許されますが、後ろに逃げることは許されません。スピードとフェイントの勝負です。
漁師の数がどんどん増えてきて、そのなかを逃げきるのはスリルがあって楽しいのです。どんなすばしっこい子も最後は、クラスみんなにワーッととり囲まれて捕まってしまいます。汗びっしょりで。
こうして、からだを動かすことをめんどうくさがっていた子どもたちが、マットなどに全力を出しはじめました。
子どもたちの気分や感情とていねいにつきあっていくのですが、普通のクラスからみれば荒れているように見えます。しかし、一概にそれが悪いとは言えない気がします。
感情の処理をていねいにしきれない子どもたちが、お互いの要求をぶつけあいながら学び学校生活を送るということで、教師から命令されるのではなく、自分から自覚していく時間が必要だろうということです。
教室で、体育で、遊びやゲームをよくしました。「無人島」とか「人数づくり」とか「ジャンケンゲーム」とか「シェーハ」とか。短い時間をちょっとつかって楽しみました。
学校にはこういうゆったりとした時間が流れることが必要ではないかと、思いました。
いらだちやむかつきを表現し、傷つけあうことばが飛びかっていた教室に、授業への集中や読書への集中の快さを創りだすことはとても大切なことだと思いました。
一週間に一度だけど、図書室でみんな静かに本を読むようになりました。文字を読み、イメージを広げ、夢中になって心躍らせる体験は、子どもたちの内面を充実させていくでしょう。
絵本の読み聞かせをしました。右手の指できつねの”コンちゃん”をつくって一人芝居をしました。
「やあ、みんな、こんにちは。ぼく、コンちゃん。先生、本読んでよ」
「よし、じゃあ、読むとしよう。『三びきのやぎのガラガラどん』、始まり、始まり」
心をこめて小さな声で読みつづけていきました。シンとして聴いてくれます。「おもしろかったあ」読み終わると、みんな、ほうっと肩の力を抜いて笑っていました。六年生の教室であることがうそのようです。
子どもたちがわたしに信頼をよせ、心を開きすっかり身をゆだねてくれているのです。こんな瞬間、子どもたちがとてもいとおしくなります。子どもたちは、人間として一人ひとり尊敬され、ていねいにあつかわなければならない。そんなふうに強く想うのでした。
教室に何冊もの本を持ち込んで紹介しました。「1年1くみ1ばんワル」「キャプテンがんばる」「それゆけズッコケ三人組」など。
子どもたちは、少年や少女の時代を輝いて生きたいと願っているように見えます。荒れているように見えて、じつは少年たちの生きることへの願いのようにも思えます。
しかし、荒れている状況を放置するわけにはいきません。荒れの向こうに見える子どもの要求を聞きとりながら、人間的に生きることへの喜びに結びつけていかなければなりません。
子どもたちは希望をもつことではじめて人間的な生き方に心をよせ、みずからを変えることに挑戦しはじめるのですから。
こんにちの子どもと教育の危機のなかで、希望と未来が一度に切り拓かれるような指導のマニュアルはありません。
私たちにできることは、子どもに徹底して寄り添い彼らの深い要求を聴きとること、そして自己の停滞を打ち破り教師としての新しい一歩を踏み出すことではないかと思います。
誰もが歩いたことのない未知の草原や荒野を、道草を楽しみながら子どもとともに歩み、希望を創りだしていくのです。
(山崎隆夫:1950年静岡県生まれ、元東京都公立小学校教諭。都留文科大学非常勤講師、「学びをつくる会」「教育科学研究会」会員)
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