新任一年目に担任になって、子どもを自由させて空回りし荒れ、学級づくりで大失敗した
教師になって新任一年目で四年生の担任になりました。子どもたちに
「先生は頭が悪い、わかってくれない、教え方がへただ、こんな先生のクラスになりたくなかった、替わってほしい」
と言われ、ショックを受けた。しかし的を射ていた。
私は教師になりたかった。念願の教師になり、あふれんばかりの希望と理想でいっぱいだった。
「自由で生き生きと子どもたちが活動している授業」をイメージして、自分のクラスの子どもたちは自由にさせた。子どもたちに、窮屈さのない自由な気持ちを味わってほしかった。
しかし、その結果「この先生は怖くない」と、子どもたちは好き勝手、やりたい放題になり、私の話を聞かなくなり、クラスはめちゃくちゃになってしまった。教室から出て行く子、乱暴な子、無気力、いじめが激しくなったこともあった。
何度となく先輩の先生に相談をした。みんな親切にアドバイスしてくれた。言われたことを全部やったのに、何も変わらない。
「こんなに一生懸命やっているのに、子どもたちは、なぜわかってくれないのだろう」そんな気持ちばかりが大きくなっていった。
一学期の通知表を一目見たB男は、私の目の前で破った。そのとき「先生は僕のことを理解してくれない。僕の話を三回も聞いてくれなかった」と言った。
雷に打たれたようだった。私は自分のことで精一杯で子どもの話を聞いてあげていなかったのだ。自分を認められないほど悲しいことはないだろう。子どもの話を聞いて喜んだり、悲しんだりすることをB男の事件で教えてくれた。
また、一学期に先輩に教えていただいて、行ったドッジボールも、子どもたちがやりたいと思わなかったために盛り上がらなかった。
五年生からドッジボールの挑戦状をたたきつけられるかたちで提案してもらった。子どもたちは練習に励んだ。私はびっくりした。子どもたちは正直だ。
新任の一年を振り返ると「自由で生き生きした子ども」の姿をはき違えていた自分が見えてくる。子どもに媚びていただけの自分であったのではないか。子どもは、すぐにそんなつまらない大人を見抜く。
子どもたちはいつも「今の自分よりもすごい自分に成りたがっている」存在である。
子どもたちは、息が詰まるほど真剣に話し合ったり、悩みながら考えを書いたり、問題を解決したり、できるように何回も練習したり・・・・。自分が知りたい、解決したい、やってみたいと思って取り組んでいるときが、精神的に自由なのだ。
子どもたちは、そんな場や機会を待っているし、欲しがっているのに、私は自分がやりたいことばかりを提案して、子どもの気持ちや考えから始めようとしなかった。
子どもの考えが生まれてくるのを待ったり、考えが生まれる手助けをうまくしたりしてあげることができなかった。
子どもたちは、さぞ、窮屈だっただろう。山のように課題を残した一年であったが、私にとって宝の山となった一年でもあった。
一年の終わりには、子どもたちが「先生なかなか頑張ったじゃん」と言われ、手紙と色紙をもらった。私は涙が止まらなかった。
今でも、初任のときの経験は私の教職生活の中でのバイブルとなっていることが多い。私の一番の先生は子どもたち。いいことも悪いこともすべてにおいて、いつも子どもたちと本気で向い合うこと。そこからしか何も見えてこない。
(山崎準二編著。K小学校教師、女性、教職歴13年)
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