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叱る人と叱られる人の間に愛がありますか

 私はカウンセラーとして、多くの人の苦しみや悩みと向き合っています。そのすべての中に、と言っても過言ではないほど、問題の奥底には親子のゆがみが横たわっている。
 そのゆがみが生じるキーワードは「愛された実感」があるか否かにあると言える。愛とは「理解と応援」である。なぜ悩み苦しむのか。親に理解されないままだと、否定された、と子どもは感じてしまう。
 人は愛されたい、認められたいと心で叫びながら生きている。今のまま、あるがままの自分を、まるごと愛されたいのだ。しかし、現実は「ここがダメ」「あれはいけない」と責められる。
 では、人はなぜ人を叱るのか。それは「叱る人が叱られる人の幸せを願うから」の、はずである。決して思い通りにするためではない。
 同時に、叱られた人が叱る人に対して、解ってくれていると確信しているからこそ、叱られてありがたいとも、嬉しいとも想えるのである。
 これは、両者が共にそういった思いがないと成立しない。いくら叱る人が「私はお前を思って言っている」と伝えたとしても、叱られた方が、思ってくれていると感じなければ、ただの迷惑な奴でしかない。
 よく「怒ることは、叱ることと違う」と言うが、互いに想いが通じなければ「また、怒っている」「文句を言われた」と受け取られてあたりまえ。
 叱り方には技術はない。必要なのは相手の心を理解する能力である。その能力によって、叱られる人に伝える言葉や態度が変化する。
 愛とは、愛し方の方法ではない。相手の想いを知ろうとすることと、無条件に応援する気持ちである。
 叱る人と叱られる人との間に、愛が存在するからこそ、心に響く人生のひとこまが生まれるのである。
(
田岡由伎:1954年神戸市生まれ、実業家、心理カウンセラー、エッセイスト)

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