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教師がまじめなだけでは、子どもたちはついてこない、教えるのに笑いや明るさが不可欠である

 私が笑いや明るさにこだわるのは、その楽しさに満ちた教室の空気が子どもたちの学習意欲を醸成してくれるからです。そこには自分自身の苦い体験も手伝っています。
 教師になりたてのころ、四年生から六年生まで受け持ったクラスの子どもたちに、私は「ネクラ」という、らくいんを押された経験があるのです。その記憶はいまでも鮮明に残っています。
 卒業式のときに「先生がもっといい先生になるにはどうしたらいいか、気がついたことがあれば教えてくれないか」と、子どもたちに尋ねてみたのです。
 すると、ある子どもから「先生は、まじめで一所懸命だけど、ちょっと暗い。ゆとりがなく、おもしろみがない感じがする。もっと明るくしないと、子どもたちから嫌われるよ」という答えが返ってきました。
 私は自分では明るい性格のつもりでいましたから、その言葉が意外なうえに、頭をガツンとなぐられたような気もしました。
 私が笑いや明るさを心がけるようになったのはそれからのことです。子どもたちの前で、努めて明るくふるまうようにする一方、笑いやユーモアに関する本を買いあさり、それを笑い話のネタにして子どもたちに話す。明るくユーモラスな人を観察して自分でも真似てみる。そういう努力をしたのです。
 ユーモアは人間性からじわりとにじみ出る「しずく」のようなものです。数年たったころ、明るさが身についたのは事実で、努力すれば自分の「人間性」を変えることもできるのだと感じたものです。
 それとともに授業にもゆとりが生まれて、まじめなだけで人を教えることはできない。そこに明るい、楽しいという条件を加えなくてはいけないことも分かってきました。
 教える技術のなかに明るさ、楽しさという「人間性」を込めなくては、教わる子どもたちを動かし、育てることはできない。そういうことが実感を通して理解できるようになったのです。
 そして「子どもは教師の鏡」という言葉どおり、私が明るくなると子どもたちの態度も目に見えて明るくなっていきました。子どもたちのユーモア感覚の伸びとともに、学力や人間性も成長していくことが明かに感じとれるのです。
 それが大人であれば、ユーモアは精神的なゆとりや人間的な幅の広さの指標となるのでしょう。
 ともあれ、笑いや明るさは子どもたちを教えるのに不可欠な要素です。しかめ面の厳しい「北風」の接し方では、教わる子どもたちの能力や可能性は身を縮めるばかりです。
 教える人は、温かく明るい指導によって、子どもたちを包み、その力を最大限に伸ばしていく太陽のような存在であるべきなのです。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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