教師に向いていないと思いつつも、つらい日々を乗り越えられたものはなにか
私が大学生のときは、子ども一人ひとりとじっくりかかわり合う大切さを知り、どんな子どもとも、一人の人間としてかかわっていこうと思っていました。
教師になっても、そのことを忘れずやっていこうとしました。しかし、現場はやりづらく、自分自身、実践力がないことにイライラしていました。
泣き虫な私は、放課後よく泣いていました。そのたびに「あなたは弱い。強くなりなさい」と言われました。
私は喉が弱いので、大きな声が出しづらいのですが「声が小さすぎるから、子どもに伝わらない」と言われました。良い教師(ビシッと子どもをしつけ、大きい声を出しオーラがあふれる教師)にはなれない私でした。
むりやり自分を変えようとすると、体調を崩したり、逆に子どもたちから気持ちが離れていくような感じになったりしました。
「強い先生」ってなんだろうと、気持ちがゆらぎ、涙が出てしまう。そんな日々を過ごしていました。
そんなとき、私を励ましてくれたのは同期の同僚で、私が泣いているとき、話を聞いてくれ、心強く感じました。
また、外部のサークルでも、私の話をじっくり聞いてもらい、元気がでました。そのサークルのベテラン教師から
「強い先生も必要なんだけど、あなたみたいな『やわらかい』先生が通用しない学校は、子どもたちにとってもかわいそう」
と言ってもらいました。何度、この言葉に励まされたことでしょう。
「このままの自分で、子どもたちと過ごしていいんだ」と心が軽くなりました。
初めて担任をもったときの、うれしさは今でも覚えています。でも、その喜びや楽しさは一気に小さくなっていきました。
その理由は、まず、事務仕事に時間がかかり、周りの教師から置いていかれるような感じがしました。
そして、隣のクラスの担任についていくのに必死な日々が続きました。なんでもテキパキこなし、私にもそれを要求しているような雰囲気でした。私は追い込まれ、子どもとの関係もぎくしゃくしていきました。
「先生が子どもたちになめられている」と、管理職、隣のクラスの担任、保護者からいわれるようになりました。
私は「なんとかしたい」「わかっている!」と思っていると、子どもたちに怒るだけで、子どもに私の気持ちが伝わらないような気になり、あせり、追い込まれました。
そんな中、私を支えたのは、子ども、同僚、外部サークルの三つでした。
子どもとは、うまくいくか不安の連続でしたが、小さな、小さなうれしさを共有することが、私の希望となっていきました。
同僚と夜遅くまで話し合ったときもありました。ある日「悩むこともあるけれど、決して千葉さんの指導力不足とかじゃないから、泣かないでね。とにかくみんな見方だから」と書いた同僚の手紙が机のうえに置いてありました。
忙しい職員室のなかでは、みんなが敵に見えたり、自分だけが劣って見えたりしてしまいます。だけど、そんなことはない。だれかが見ていてくれると、希望がもてました。
私がどんなに苦しくても「子どもと共にいるそのままの自分を大切に」していけたのは、仲間とかかわっていたからです。
「私は教師に向いていない」「もう子どもとかかわれない」と思っても、みんなの励ましや、私の気持ちを聞いてくれる場があったからこそ、明日も学校に行こうと思え、子どもがいとおしく思えました。
子どもとの何気ない会話に笑顔になったり、「先生わかったよ」と、授業中、目を輝かせる一面をみたり、どんなトラブルがあっても、子どもと過ごす日々は希望にあふれていると思います。
教師仲間と、苦悩と希望を多く伝えていったりすることが、私にとっての教師である希望です。そういった場があることに、私は励まされています。
まだ教職四年目で、自分のスタイルは模索中です。まだわからないことばかりですが、自分の感情と素直につきあいながら、自分を大切にこれからもやっていきたいです。
(千葉春佳:1986年生まれ、公立小学校教師)
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