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2017年12月に作成された記事

保護者のイチャモンは、教師が子どもと「ふれあう時間」が減少すればするほど増える

 私が2000ぐらいの事例を集めた結果からいえる大原則は
 
「子どもとふれあう時間が減少すればするほど、イチャモンが増える」
 当たり前のことですが、保護者はわが子がどのようにあつかわれているかに最大の関心を持っています。
 担任がわが子のことをじっくりと見ていてくれるという安心感があれば、多少のトラブルは、すぐに解決に結びつくことが多いと思います。
 しかし、合理性がどこまであるのか疑わしいような教育改革が、学校現場で渦巻いています。教師は職員室で書類に目を通しているか、パソコンに向き合っている状態です。
 私が学校現場を歩き回ってみて、教師が子どもと接する時間が大幅に減ってきている実態を実感しています。
 子どもと教師が接する時間が減れば減るほど、行きちがいが発生する可能性が高くなります。
 また、同じように忙しく立ちまわっている保護者と子どもの間にもズレが生じることでしょう。それは教師と保護者とのズレにもなります。
 もし、子どもと教師が接したり、話したりする時間があれば、かりにトラブルが生じたとしても、それが大きくこじれることはないと思います。
 しかし、その時間やゆとりが学校現場から急速になくなっていることが問題です。
 重ねていうと、だからこそ、子どもたちの前に教師を「戻す」ということがいま、緊急に求められていると思います。
 保護者のみなさん、学校というところに、ぜひ一日でも二日でもいいから、先生に小判ザメのように張りつくかたちで、いっしょに動いてみてください。
「そんなヒマないわ」と思われたら、一時間でも結構です。
 いま学校の教師が、どのようなサイクルで、どう行動しているか、見ていただくと、よくわかるはずだと思います。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

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学級崩壊を回復する具体的な取り組みとは

 

 学級崩壊を回復するにはどうすればよいでしょうか。それには、
1 校内体制づくりをする
 まず、管理職が、崩壊学級を全教職員で援助することを伝え、協力を取りつけます。
 管理職は担任を責めてはいけません。
 問題解決のため、チームをつくり、支援体制を確立します。
2 緊急の保護者会を開く
 できるだけ早く、緊急の保護者会を開きます。学校が積極的に対応する姿勢を示し、協力を要請します。保護者会の内容は
(1)
学級の実態を伝える。
(2)
保護者の言い分を十分に聞く。
(3)
学校から、決意と具体策を示す。
(4)
保護者に協力を呼びかけます。
 子どもたちも「なんか先生がやるみたいだぞ」という雰囲気になってきます。
3 学級生活を総括し、再契約をする
1)
多くの子どもが傷ついていること、学習が遅れていることを説明します。
2)
学級生活をふり返り「このままでいいのか」「今、学級にどんなことを思っているか」を紙に書かせます。
3)
教師がそれをまとめ、学級の現実をみんなで確かめます。
4)
教師から今後の対策を提案します。
(1)
居心地のいいクラスにするために、ルールを見直す。
(2)
いったん学級を小グループに分割する。
 理想的には1グループ6人くらいです。私が介入に入った学級は3グループ(担任、教頭、教育相談担当)で各10人でした。
 座席はグループごとに座り、他のグループと距離を置き、グループ単位に進めます。
(3)
個人的な話や悩みの受付け窓口をつくる。
5)
クラスを分割して協力する教師の立ち会いで、再契約を宣言します。 
6)
授業
 プリントを使った個別学習から始めます。グループごとに教師がついて面倒をみます。
 プリントの内容は、教科書の大事なところだけに精選します。
 授業は担任が全体に指示を出し、各グループを担当する教師が子どもたちを指導します。
 早く終わった子には、発展教材をやらせたり、本を読ませたりします。
 全員が終わったグループは、おしやべりをするようにしてもいいです。
4 対応の留意点
 子どもたちは、徹底的に教師にくってかかります。
「自分たちは、先生から悪く思われている」と思っています。だから、絶対に叱ってはダメです。常に説得的に語ります。
 一つの作業に集中して取り組みません。一回の作業量を減らし、細かくチェックしながら進めます。
 始めは、子どもが自分で丸つけをするか、教師がチェックします。
5 指示と注意、話し方を変える
(1)
「これからどうするか」という視点をもつ

  過去のことを持ちださないで「こうしたほうが○○だよ」と言います。
(2)
グループ活動ができるようにする
 教師の指示に従わず、反抗する悪循環を断ち切っていきます。
 グループのように小さい集団だと、教師の指示が自分のこととして感じられるので、練習すると、グループ活動ができやすくなります。
(3)
教師全員が歩調を合わす
 教師全員が同じ方法で注意を与えるようにする。ポイントは、受け入れやすいように、子ども一人ずつ、叱らずに説得するように語りかけます。
(4)
担任が指導方法を練習する
 子どもたち「一人ひとりの存在を認めながら、子どものためを思って指導している」ことを、的確に伝える練習をします。
6 グループでゲームや遊びをする
 簡単なルールのゲームや遊びをして、人間関係の緊張を和らげる。
7 各グループを集めてゲームや遊び
 担任がリーダーシップをとって、人間関係づくりとルールを守る体験をする。
8 グループで共同活動をする
 各グループで調べ学習や詩集をつくり、まとめて発表会をする。
9 学級全体での生活を再開する
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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保護者は苦手という教師が多い、保護者によい教師だと言われるようになるにはどうすればよいか

 保護者は苦手という教師が多い。そういった教師に共通する傾向は「どうつきあっていいのかわからない」からである。次のようにつきあってみたらどうだろうか。
(1)
保護者との会合をふやす
 保護者の本音は、教師と仲よくしたいのである。その願いにこたえるには、しばしば顔をあわせて、人間的な接触を深めることである。
 教師も保護者も、ともに交わりの能力が衰えてきているから、顔を合わせることを増やしていかなければ、相互理解は深まらない。
 学級通信だけ配布していれば、保護者との協力関係がすすむというものではない。
 しばしば顔をあわせていると、本音なとどがでて、両者の垣根も除かれていく。
(2)
ざっくばらんに率直に接する
 若い教師のなかには、保護者の前に出ると、
 
「バカにされないようにしよう」
 
「ケチをつけられないようにしよう」
 
「保護者が感心することを言おう」
 と、そんなことばかり気にしている例が多い。
 そうではなく、もっとざっくばらんに率直に接することである。
 わからないことは、わからないと正直に言えばよい。
(3)
教師くささを捨てる
 教師くささを捨て、一般的な社交儀礼にのっとって、交際すればいいのである。世間知らずの教師では、いまどきの保護者と楽しく談笑できないだろう。
(4)
子どもの悪口はいわず、子どものなかにある良い面を知らせる
 教師の接しかたひとつで、保護者の態度も変わってくる。それには、保護者に子どもの悪口を言わないことである。
 親は教師からの、わが子の非難の言葉にうんざりしているのである。
 保護者に子どもの話をするときは、子どものよい考えや行為を取り出して、知らせるようにする。
 そうした子どものとらえかた、人間観が保護者を変え、教師への信頼を回復させるのである。
(5)
保護者と一緒に考えていく
 教師が子どもの指導で困っていることは、実は、保護者も困っていることが多いのである。
 だから、保護者の責任を追及したってはじまらない。
 保護者といっしょに学習し、研究しながら「どうしたら、子どもがよくなるか」さぐることである。
 こうやってつきあっていくうち、お互いの気心も知れて、保護者の不信感、警戒心もうすらぎ「教師にだけは隠しておきたかったこと」も「先生にだけは話しておく」ようになる。
 親が「いい先生だ」といえば、子どもも「いい先生だ」となりやすい。子どもの指導が成立する条件が整うことになる。     
(
家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)

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私は教師として「プロならこの場面、どう指導するのだろうか」と考えるようにしている

 私は「プロならこの場面、どう指導するのだろうか」と、常々、考えるようにしている。
 例えば、子どもを叱る場面。プロならば、子どもによって言う言葉を変えるだろう。その子の心に響く言葉を言うように努めるだろう。
 教師が指導をする前に、一呼吸置いてみる。そして、プロならば、どう指導するかを考えてみるのだ。
 私の場合は、周りに実力のある教師がいたので、その人ならどうするかを考えるようにしていた。
 そして、行動した後で、自分の指導を振り返るようにしていた。
 例えば「あの場面で、あとひと工夫、何かできなかっただろうか」と、放課後に、一人で反省していた。
 そして、今日一日の行動を日誌に記録していった。今日の指導の姿をつづっていた。
 日誌には「あの場面は、別の行動のほうがよかったのではないか」という自己反省の記録も多く残されている。
 新任の教師は、つい感情的に指導したり、行き当たりばったりで指導したり、といったこともあるだろう。
 しかし「プロならどう行動するだろうか」と考えれば、それだけでも進歩である。プロの言動を考え、今の自分よりも少し上の行動をめざす。
 こうすれば、前よりも少しましな指導ができるようになるだろう。
 こうしたことを繰り返して、プロらしい指導がだんだんと板についてくるのだと考えている。
 若い教師は、他のクラスの学級運営が気になるものだ。すばらしい学級運営をしているように見えるものだ。
 若い教師は、自分のクラスだけが、何だか、がちゃがちゃとうるさい。そんな劣等感をもちやすい。自分の周りの教師がすばらしく見えるのが若い頃である。
 しかし、実はどのベテラン教師も、苦労を重ねてきたのだ。おおっぴらに話せない過去の一つや二つはある。
 学級崩壊をしたとか、いじめで困ったとか、保護者のクレームに悩まされたとか、様々な困難に出会って、それを乗り越えて今のすばらしい姿があるのだ。
 だからこそ、今、必死になって学級経営をして、良い学級になっているのである。
 それを若い教師は
「力を抜いて学級経営をしているのに、すばらしい学級ができている。自分には力がないのだろうか」
「自分も余裕ある振りをしよう。努力しなくてもいいのかもしれない」
と、勘違いする。偽りの余裕でごまかそうとする。
 ベテランを見て真似すべきは、余裕の裏に隠れている必死さである。
 若い教師は、もっと貧欲に学び、もっと汗を流して行動した方がいい。
 今、しなくてはならないことに全力投球している教師が、子どもからも保護者からも慕われる実力派の教師になっていくのである。
 いかなるプロと言われる教師も、ある日、突然プロ教師になったわけではない。自分の理想を必死で追い続けようとする教師だけが、プロ教師になるのである。
 私は、そういう意味で、プロといわれる教師が歩んできたプロセスこそ、注目すべきだと考えていた。
 そして、めざすべきプロ教師が、自分と同じ年齢のときに、どのようなことをしていたのかを知るように努めてきた。
 そして、同じ年齢のときの実践や教育への情熱に負けないよう、意識して行動するように努めた。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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子どもが反抗期で、ちょっと注意しただけでも「うるせぇー」と怒鳴ります、どうすればよいのでしょうか

 中学生になった息子は反抗期で、ちょっと注意しただけでも「うるせぇー」と怒鳴ります。
 こんな息子の言動が理解できず、何を考えているのか聞いても、親には口をきこうとさえしません。
 毎日、はれものに触るようにして毎日を送っています。どのように対応したらよいのでしょうか。
 子どもは反抗期を通して、精神的にも身体の面でも、子どもから大人へと成長していきます。
 反抗の表れ方には個人差があります。子どもの性格、育ち方、親子関係のあり方などによって表れ方が異なると考えてよいでしょう。
 親への反抗が激しい子どもは、理由がなくても常にイライラしています。
 甘えられる、支配できる、信頼できる人には、理由がなくても感情をついぶつけてしまいます。
 後になって「あんなこと言わなければよかった」と、自己嫌悪が起きたりします。さらに自分に腹を立てたりしてしまう。そんなことを繰り返しています。
 この「甘え」は母親に対して最も強く起こります。口をきいても「小遣いよこせ」「めし早くしろよー」「うるせー」の三種類ぐらいで、命令形です。
 そんな子どもの態度や言葉づかいを親がむきになって、直そうと注意しても、反抗期にはほとんど効果はありません。
 反抗期の子どもを持つ親は、対応の線引きをしっかりつければ、気持ちのうえでも楽になります。線引きのポイントは、
(1)
小学生あつかいしない。中学生として許せる範囲をひろげる。
  その分、責任も生じることを日ごろから理解させておく。
(2)
外食に、親と一緒に行くか、行かないかなどの、非社会的なことは、本人の意思を尊重する。
(3)
法律に触れる行為には、親が絶対に許さない姿勢が大切です。
(
牟田武生:1947年生まれ、民間教育施設「教育研究所」を設立し、特に不登校の子どもの援助活動を中心に行う実践家)

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高圧的に文句を言ってくる保護者に、どう対応すればよいのでしょうか

 Aくんは、級友に何度もちょっかいをだしたり、悪口を言ったり、いたずらをしたりします。教師が注意をすると、ふてくされます。
 そのAくんの父親が、突然、学校に怒鳴り込んできました。
「うち子が悪いわけではないのに、他の子と一緒に怒られたと言っている」
「いったいどういうことだ。怒った教師を出せ」
 まず、落ち着いてもらおうと、会議室に案内しました。
 教頭、学級担任、教科担任など、指導に関わった先生数名で話を聞くことにしました。
「グループで何か調べている時に、遊んでいる子がいて、グループ全員が怒られた。うちの子は遊んでいなかったと言っている。どうして怒られるのか」
「社会科の時間に図書室でグループで調べていました。Aくんのグループはふざけっこを始めたので、注意しました。しばらくしてまた始めたので、もう一度注意しました」
「うちの子はやってないと言っている」
「その時、本人もふざけっこをしていたと言っていたのですが」
「前にも、やっていないことで怒られたと言っている。どういうことだ」
「それは、いつ頃のどんなことでしょうか」
「いや、それはよく分からない」
 話をしているうちに、父親は子どもから聞いている話との食い違いや自分の思い込みに気づいたようで、少しずつトーンダウンしてきました。
 高圧的になる人は、高圧的にならざるを得ない理由があります。弱みを隠そうとして高圧的になるのです。
 自分の弱さや辛さを守るために高圧的になっています。
 高圧的な保護者が守ろうとしているのは何かに気づくことです。
 それは、子どものことかも知れません。保護者自身や家庭のことかもしれません。
 まず、保護者が守ろうとしていることに共感しましょう。
 その際、守ろうとしてことを、それとなくほめるようにします。
「お子さんが学校できちんとやっているかどうか、いつもご心配してくださっているのですね。ありがとうございます」
などです。
 そして、保護者が落ち着いたところで、あらためて事実をはっきりとさせます。冷静に事実のみを確認していきます。そして、了解をいただくようにします。
(山中伸之:1958年生まれ。栃木県公立小・中学校教師。実感道徳研究会会長 日本群読教育の会常任委員)

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教師が子どもたち一人ひとりとつながり、子ども同士もつながるにはどうすればよいのでしょうか

 若かりし頃の私は「学級を統率しよう」と権力を握るため躍起になっていました。周りの権力をもった教師は腕力が強く声の大きい威圧感のある男性教師でした。
 私も腕を組んだり、腰に手をやったり、命令口調で荒っぽい言葉を使ったりしました。
 だが、二十歳代のただのお姉ちゃん教師が、生徒たちを不必要にムカつかせ、あえなく権力闘争に敗れてしまいました。私は自信をなくしてしまい、教師も辞めようと思いました。
 そんな時、私を救ってくれたのは、愛知学院大学教授 深山富男氏の
「生徒を人生を生きる仲間と感じて生活していきなさい」
という言葉でした。今でも先生の表情も声の感じも、はっきりと覚えています。
 
「共に生きる仲間」というふうに生徒のことを考えたがありませんでしたから、衝撃でした。それからは、生徒との関係がスムーズになっていきました。
 生徒をコントロールする対象とは考えず、共に苦楽を分かち合う人生の仲間と感じられれば、学級が教師も含め最高のチームになるのは時間の問題です。
 教師が生徒とつながるために私は、本音で話し動く、口ではなく実行する、生徒が間違った言動をすればその理由を尋ね、道理を理解させ、どうすればよいか考えさせる、ようにしています。
 教師と一人の生徒がつながると、そのつなげ方を、他の生徒はじっと見ています。自分と重ね合わせて見ています。
 教師のつなげ方が生徒たちの心にバチッとはまったら、見ている生徒ともつながるし、生徒同士もつながってしまいます。
 共に生活している者たちが互いに理解しあい、思いやりを持ち合い、温かいチームになることができます。
 そのためのコツは、痛みと弱みを共有することです。
 人はできたり、強かったりする部分だけではありません。弱い痛みをもっています。人に見せたくない部分を見せ合えば、あとは何も怖いものはありません。
 まず教師が自己開示することが一番効果的です。私には弱みや痛み、傷がいっぱいあります。大学をも教員採用も浪人している。若い頃はダメな教師、息子はいじめを受け私は母として捨て身で戦った。
 いじめや人権の道徳の授業で息子の話をしたとき、何人もの生徒たちが教卓に寄ってきて、涙を浮かべ「先生、実は私の弟もそうなんです」
 そうなると「親が離婚して、母と二人暮らしなんだ」「おれんちは別居中」などと、本当の気持ちの交流になっていきます。
 クラスが安全基地、ここに来れば癒され、立ち上がれる。クラスがそんな家になっていくのです。
 心が揺れている中学生が聞いても役に立たないのは一般論です。ではどんな言葉がけがよいのでしょうか。
 それは、教師が一人の人間として、わき上がってきた感情や思いを「私はこう思うよ」と伝えることです。導くのではなく、一人の人間として対峙するのです。
(
堀川真理:1963年生まれ、新潟市公立中学校教師。学校心理士、カウンセラー。カウンセリング・ワークショップ「サイコドラマ新潟」主宰) 

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転勤して担任を受け持ったたが、学級の荒れや保護者対応に、身も心も疲弊してしまった

 A教師は授業も特別活動も熱心に取り組み、熱意を持って子どもに接してきた。転勤するまでは特につまずくことなく、農村部で3校の学校を経験し教師の仕事に燃えていた。
 都市部の大規模校に転勤し、5年生の担任となった。教育熱心な親が多かった。
 1学期途中から、女子3名が問題行動を起こすようになった。禁止している物を学校に持ってくる、授業中に出歩く、エスケープする、集団で万引きをした。
 保護者の協力を得ることが必要と考え、問題を起こす子どもの親を呼んで話をしたり、家庭訪問もしたが、一向に改善されなかった。
 1学期後半には3人に追随する子どもも出てきたので学級会で考えさせたり、校長と相談し、保護者会を開催した。
 しかし、保護者会では
「男の先生なのだから、しっかり子どもたちを締めてくれると期待していたのに」
「担任や学校の指導が悪い」
と学校批判の会のようになってしまった。
 A教師は弁解に終始するしかなく「よそから来た新米教師として、親から値踏みされている」ような嫌な感じを抱いた。
 その後、学年主任が中心になってA教師をサポートし、子どもたちへ様々な働きかけを行った。しかし、3人が「それ嫌だ」と言い出すと周りの子も同調したり、注意してもその場限りで効果がなかった。
 学級の指導に行きづまりを感じるようになっていった。まじめな子の親から「何とか早く学級を立て直してほしい」と苦情が寄せられた。
 
「にっちもさっちもいかない」という気持ちが強くなり、疲れがとれずに、だるい感じが続き、出勤したくない気分に襲われる日が多くなった。真剣に教師をやめることを考えるようになった。
 転勤直後ということが、対応を難しくした。慣れない土地柄や学校風土の違いから、それまでの自分のやり方がうまく通じない。
 
「少しでも早く周りの期待に応えて、しっかりとしたクラスにしなければ」という焦りから、子どもや保護者への対応が空回りしてしまった。
 そうなると、全体を見渡したり、長期的に考えたりして行動することができなくなり、行きづまりばかりが浮きあがって、身体も心も疲弊してしまうことになった。
 結局、1年間、精神的に苦しい状況が続き、やめたいという気持ちが常に頭から離れなかった。
 クラスの子どもが6年に進級したときに、違う学年の担任になったことで気持ちが楽になった。そのまま6年にもち上がっていたら、教師をやめていたかも知れないとA教師は語った。
(
古川 治:1948年生まれ、大阪府公立小学校教師・指導主事・校長、東大阪大学教授を経て、甲南大学特任教授)

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子どもにトラブルがあったとき、教師が保護者に謝罪のことばを軽々しく口にしてはいけないのでしょうか

 新任の教師に「あなたの困っていることは?」と問うアンケートの結果を見ても、圧倒的に「保護者対応」が一位を占める状況にあります。
 保護者が訴訟を口にするような世の中です。今や教育の現場で「訴訟のための保険加入」を勧める動きがあり、結構な数で個人加入者が増えていると聞きます。
 教師が「自分の身は自分で守らなければ、誰も守ってくれない社会になっていることを自覚せねばならない時が到来している」のだと思うと、悲しい気持ちになります。
 教師の研修会で法律の専門家は、何か事件があったとき
「教師は、保護者にすぐに『すみません』という言葉を言ってはいけません」
「それが法廷では、法的な謝罪を意味することになります」
「非常に危険だということを教師は分かっていない」
と、講演した。
 ほんとうに、そうなのでしょうか。
 その研修会を受講した教師たちは
「もし、法律の専門家の言うようにやっていたら、学校と保護者の関係がもっと大変なことになるのではないか」
「学校現場では通用しないのではないか」
と話していた。
 私たち教師は、法律の専門家が言われるように、保護者に謝罪してはいけないのでしょうか。
 私は保護者に謝罪してはいけないとは思いません。むしろ、子どもに最初に発する言葉として
「○○ちゃんにも辛い思いをさせて、お母さんにも心配かけたねえ。ごめんね」
と謝罪するのが適切ではないかと思うのです。
 教師が、そうした場面に直面して、子どもや保護者の気持ちに寄り添うことばかけをするからこそ、まるく収まるものがあります。
 例えば、もめごとで、△△ちゃんが○○ちゃんにケガをさせたとき、法律の専門家が言うように
「○○ちゃんと、△△ちゃんの、もめごとで、○○ちゃんがケガをしたのですね」
「因果関係が立証されていないので、正確に時系列で調べてから、お返事します」
と言うと、保護者の怒りは倍増すること間違いなしです。
 初期対応で、ケガをした子どもとその保護者に癒しのことばをかけないと、問題が大きくなります。
 ケガをした子どもとその保護者へ癒しのことばをかけないから、問題が大きくなり、初期対応に失敗したと言われます。
 私たち教師は法律の専門家ではありません。
 したがって、道義的な謝罪のことばも法的には「謝りを認めたこと」になるのかもしれません。
 しかし、学校では日常、子どもや保護者の心に添うようなことばがけが大切だということは、学校では当たり前のことだと思います。
 謝罪のことばがあるからこそ、対応が進むのではないでしょうか。 
 管理職が教師が謝罪したことばの真意を伝え、法的にも守れるような働きかけをしてくださるのが、法律の専門家と言われる人たちの立場ではないでしょうか。
(
西林幸三郎:大阪市公立小学校教師、大阪市教育委員会教育相談室長、校長を経て、大阪芸術大学初等芸術教育学科教授。児童虐待防止協会執行理事、大津市いじめ事件に関する第三者調査委員会委員、「NPO法人こころの子育てインターねっと関西」運営委員、臨床心理士)

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私が新任で担任して起きた、いじめ、保護者のトラブル、パニック事件とは

 初任で小学校4年の担任になりました。夏休みに子どもたちは大きく変化しました。ギャングエイジに突入し、先生よりも友だちが最強な時期となったのです。
 9月になって、子どもたちは落ち着きがなくなりました。
 話には聞いていたものの、子どもたちの変化に驚き、戸惑いました。どう接したらよいのか、迷いが生まれました。
 運動会が9月下旬にあるので、熱いさなか、連日練習ざんまいの日々でした。
 運動会当日の朝、子どもたちは興奮して騒がしくしていました。
 Aさんを真ん中にしてクラスの4名がキャッチボールをしていました。Aさんにわざと当てて、いじめているような様子が見られました。
 あわててやめさせましたが、十分な指導をすることができず、保護者を交えた指導にまで発展し、11月頃まで尾を引きました。
 運動会の準備や学年の仕事、初任者研修などに追われ、子どもたちと向き合う時間が少なかったこと、子どもの変化に気づけていなかったことを思い知らされた事件でした。
 いじめ事件が発生した後、落ち着くまで時間がかかったこともあり、クラスの中にはぎこちない雰囲気が漂っていました。
 Cさんの母親は、わが子がクラスの中で浮いているのではないかと気にしていたようです。その中で、BさんがCさんの母親のことを「○○さん(男性ミュージシャン)に似てるね」と言ったことが大きな問題になりました。
 Cさんの母親は、わが子のみならず、自分もバカにされているのではと、感情的になったのです。最終的には「弁護士を呼ぶ!」との騒ぎにまで発展してしまいました。
 この件を経験して、保護者が孤立し、思い悩むことのないよう、日頃からの連携が大切であると、しみじみ感じることになりました。
 2月のある日の掃除の時間に、いつもリーダーシップを発揮するDさんが「オバケがいる!」と叫びました。私は「大丈夫、いないよ」と言って、5時間目の準備のために職員室へプリントを取りに行きました。
 教室に戻ってみると、クラスは大騒ぎになっていました。やんちゃな子がクラス中に「オバケがいる」と言いふらし、恐がりな子たちは泣き、他の子どもたちも「見える」と言いだし、パニック状態になっていたのです。
 パニック状態がエスカレートし、45分間泣き続ける集団ヒステリー状態になり、私はなすすべもなく立ちつくしてしまいました。指導教員から学級崩壊と言われました。
 私が、クラスの統率力がなかったせいで収束できなかったのか、もっと効果的な話し方があったのか、今でもどうすればよかったのかがわからない事件となりました。
(
山田桃子:小学校教師)


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子どもの指名や評価に「ひいきがある」と保護者に言われたとき、どうすればよいのでしょうか

 教師は教育実践上の具体的な指導方法については、法的に一定の裁量権が認められています。
 指名の方法、評価の方法について著しく不合理で裁量を逸脱するような場合を除いて、保護者の意見に従う義務はありません。
 法的な観点から、学校は意見のあった事項について、評価の根拠や特定のつながりがないかを検証し、裁量の範囲内のものかを判断することになります。
 通知表の作成については、直接定めた法律上の規定はなく、記載内容は学校(校長)の裁量権の範囲内にあります。
 教師Aは学級のどの子にも公平に接しているつもりでしたが「○○さんをひいきにしていませんか」と、ある保護者に言われてしまいました。どのようにすればよいのでしょうか。
 教師A自身、そんなつもりはないと思っていても、周りがそのように見ていることはよくあります。
 もちろん、指摘してもらった保護者には、感謝を表します。
 もしかすると、教師A自身、指名や評価の方法に何か問題があるかもしれません。
 指名については、挙手している子どもだけでなく、座っている子どもへも積極的に行い、誰を何回指名するかも教師がコントロールすべきです。
 また、評価の基準については、子どもたちや保護者に可能な範囲で事前に公表し、特に年度始めには「○○だったら、△△」と具体的に伝えましょう。
 また、「ひいきされている」と思われている子どもへの配慮も必要です。
 周囲の子どもたちからそう思われていることで、嫌な思いをしていないか、嫌がらせを受けていないかなどを把握する必要があります。
 特定の子どもをひいきにしていると思われても、教師は「自分は公平に子どもたちに接している」という気持ちをしっかりと持ちましょう。
(
丸岡慎弥:1983年神奈川県生まれ、大阪市公立小学校教師。教育サークル「REDS大阪」・銅像教育研究会代表、事前学習法研究会会長)
(
大西隆司:1976年奈良県生まれ、弁護士)

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教師は電話の対応や保護者対応を誰からも教えられない、保護者のクレーム電話にどう対応すればよいのでしょうか

 教師は電話の対応を誰からも教えられないし、保護者との対応もほとんど学ばない。教師は自己流や見よう見まねでやっている。
 当然、保護者からクレームの電話があると、その対応にとまどう。どう対応すればよいのでしょうか。考えられる対応の方法をつきに示すと、
(1)
保護者の言いたいことを真摯に受けとめようと努める。
(2)
保護者の言い分を否定したり、さえぎったりせず、保護者が話したいことをじっくりと十分に聞く。
(3)
保護者の話を聞き終わったら「ご迷惑をおかけしました」など、保護者の気持ちを、やわらげる言葉をかける。
(4)
保護者の感情的な言葉に惑わされたりして、教師が感情的にならない。
(5)
教師は保護者を理屈でやりこめないで、穏やかな表現を使う。
(6)
教育の専門用語などを使うことは避ける。
(7)
高圧的な言葉づかいをしない。
(8)
用件をメモし、自分一人で急いで解決しないようにする。
(9)
教師は自分の手に負えないと判断したら、すぐに応対できる人に代わる。
(10)
面談の機会をつくり、じっくりと話し合うようにする。
(11)
クレームがあったことを主任、教頭などに伝達する。
(12)
回答を求められれば「いつ頃までに」「誰から」「どんな方法で」伝えるか話す。
(13)
処置はスピーディーに行う。
 教師は保護者との日常の関係を良好にしていることが大切である。何か起きたからと、その場のみ、コミュニケーションに努力しても効果があがらない。
 信頼感は、日常の取り組み態度から判断されることが多い。信頼される教師は努力して信頼されるようになろうとした結果である。
 保護者に信頼されようと努力することがコミュニケーション技術を高めるのである。そのためには、
(1)
保護者の立場を考え、率直、開放的に話し合いができる雰囲気を教師がつくる。
(2)
保護者が理解しやすい言葉づかいや行動をとる。
(3)
保護者に誠実な印象を与える。
(4)
問題解決に役立つように話し合いを進める。
(5)
良い結果になるよう、導く努力する。
(
高階玲治:1935年生まれ、小・中学校教師、北海道立教育研究所、盛岡大学教授、国立教育研究所企画調整部連絡協力室長、ベネッセ教育研究所所長、ベネッセ未来教育センター所長を経て教育創造センター所長)

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子どもが楽しむ笑いのある授業にするには、どう演出すればよいか

 授業をしている教師は脚本家であり舞台監督であり、演出家でもあると私は思っています。
 授業のシナリオを書き、必要な環境を準備し、子どもの動きや反応に向き合いながら、子どもが夢中になってくれるよう演出していく。
 遊び心を持ってつくる授業にはその思いの分だけ熱のようなものがこもります。
 その熱が子どもに伝わるからこそ、子どもたちが夢中になる授業が実現できるのではないか。そう思って様々な演出を夢中で試行錯誤しています。
 作文の授業で、私が次の一文を板書します。「悲しくて(    )歩いていました」
 さて、この(  )の中にはどんな言葉が入るかな、と聞くと(トボトボ)と書いた子どもがいました。
 その子どもを指名して前に出てきてもらい「どんな感じなのか歩いてみてくれる?」と実際にみんなの前でやってもらうと、その子は肩を落として、下を向いて、歩いてくれました。
 すかさず私が「確かに悲しそうやなあ」とコメント、子どもたちから笑い声がおき、教室がわきました。
 動作やジェスチャーなどを子どもたちにさせることは、授業を盛り上げる一つの演出になるのです。
 授業中に子どもを指名して発表させるとき、私は状況によって次のように使い分けるようにしています。
(1)
賛成か反対か挙手させる
(2)
まず、意見をノートに書いて、それを読みながら発表させる
(3)
隣同士で話し合いを合をさせてから、どちらか一人に「ペアの意見」として発表させる
(4)
意見が分かれたら人数の少ないほうから発表させる
(5)
一つの列を選んで順番に発表させていく
(6)
言いたい子全員を立たせて発表させる
(7)
教師は指名せず、言いたい子どもに自分で起立して発表させる
 授業中、脱線気味の子どもを注意すれば教室の空気が壊れることがあります。
 同じ子どもに何度も注意していると、次第に空気が淀んできます。クラスの雰囲気を壊さないために、「さっぱりとしたユーモア」を交えて次のように注意するようにしたのです。
「○○ちゃん、もし次、後ろ振り向いたら、きみの真横に森川先生のパネルを立てるから」
「○○ちゃん、スイッチ押したら、穴があいて落ちていくよ」
 笑いの素材は「子どもの言葉」の中にあります。授業における「笑い」で大切なのは「子どもの言葉で笑わせる」ということです。
 笑いをつくるきっかけは教師のツッコミであっても、笑いの主役はあくまで「子ども」にしたいと思うのです。
 子どもがツッコミを入れるからおもしろいのです。例えば、赤ちゃんの話は私のクラスの子どもたちの大好物です。少し、いたずらを仕掛けてみましょう。
「高い高~い。かわいいよね。赤ちゃんは。○○くん、きみもこうやって大事に育ってきたんやで~」「ほ~ら、高い、高~~~い」天高く赤ちゃんを放り投げるジェスチャー。
 子どもたちは、間髪入れずに「あかんやん」クラス中が大爆笑です。
 ここでこの子なら「こう言ってくれるだろう」「こんなことをしてくれるはず」というようなことを想像できるのは担任だけです。
 そのために、授業中の空気をよみとり、その子がお笑い担当なのか、笑いの受け手側にいるのか。子どもの性格や、生活の調子がいいときか、悪いときか、細かな観察が必要です。
 言葉に温かく対応できるクラスをつくろうとする教師の思いが、教師のツッコミを生み、笑いにつながる「子どものひと言」を生むのです。
 子どもたちが一番聞きたいのは自分のことやクラスの友だちが出てくる話です。
 話の中に個人名を入れて、鮮度が高いうちに具体的なエピソードを話してみましょう。子どもたちの食いつきは明らかに変わってくるはずです。
 教師の話し方を磨いてくれるのが、子どもたちの反応です。大きな笑いが起こった。反応が薄かった。子どもたちの様子を見て、ウケた話は記録しておくようにして、次に生かします。
 子どもたちが話を聞くとき、教師が一方的に話をすると、途中で飽きてしまうことがあります。そうならないようにするには、どうすればよいでしょうか。
 例えば、教師が子どもに「わかる? わかるよね? どうなったか!」といった「話の中に共感できる」ことが出てくれば、子どもたちを話に巻き込むことができます。話すときは「共感」の飛び石を置きましょう。
 話力をつけるために大切なことは、日ごろから「ストーリー思考」でいることです。
 遭遇したおもしろい話を「いかに子どもたちにリアルに話すか」を念頭に置きながら頭の中で話すことをくり返します。
 子どもたちはここで笑ってと、冒頭からオチまでをまず考えます。私は毎日のように、どう話したら子どもたちが笑ってくれるだろう、ということを考えています。
 授業で、うわあ、これはうまい伝え方だなあ、子どもがノッているなあ、という場面では必ず「話し方」に工夫があります。
 教師がそれまで蓄積してきた技が凝縮されてその空気をつくりだしているのです。話がうまくいったときはメモをします。常に意識していなければ話し上手になることはありません。
(
森川正樹:兵庫県生まれ、兵庫県私立小学校教師。研究教科は国語科。教師塾「あまから」代表、教師の笑顔向上委員会代表、基幹学力研究会幹事、読書会「月の道」主宰)

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「お前は絶対に必要な人間なんだ」と言われれば、そこが子どもにとって安心して過ごせる居場所になる

 私がスクールカウンセリングをはじめた頃、すべての教師に反抗的な態度をとる女生徒のカウンセリングを引き受けた。
 女生徒は青春の孤独と悩みを抱かえていた。カウンセリングをはじめて半年ほどして退学した。
 最近、その女生徒が8年ぶりに私の病院を訪ねてきた。大学を卒業し、今は就職して親から自立して暮らしていると報告してくれた。明るく前向きに生きる大人の女性になっていた。
 「生徒指導のN先生と、吉田先生の二人が私の味方になってくれたから私は絶望せずにすんだし、いまこうして生きていられるんです。そのことをお伝えしたく、お訪ねしたんです」
 彼女が退学したとき、私は無力感にとらわれた。が、ささやかながら力になれたことを知って、肩の荷がおりた気分だった。
 どんなに意を尽くし、こころを込めて接しても、子どもがわかってくれない。しかし、そう見えても、心の中で徐々に変化が起こっている。外からは気づきにくい。子どもの成長とはそういうものだ。
 大事なことは、そうした子どもの回復力を信じて接することだと私は思っている。
 子どもがどんなに親に反抗しても、親は自分の子を見捨てないでほしい。どんなに手を焼かせる子でも、いつか必ず親の心情を理解するときがくるのだから。
 思春期の子どもは、自分は親や社会にどう見られているのだろうか、本当に必要とされているのだろうか、という不安を感じている。
 そんな宙ぶらりんの心理が問題行動の背景になっていることが少なくない。
 親や周囲の大人から「お前は絶対に必要な人間なんだ」と言われれば、そこが子どもにとって安心して過ごせる居場所になる。
 そんなことは口で言わなくても、わかっていると思うかもしれないが、子どもの様子が心配なら、あえて言ってほしい。何よりの支えになるはずだ。
(
吉田勝明:1956年福岡県生まれ、精神科専門医)

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新任で担任を受け持った一年間は困難や苦悩に満ちたものでした

 私の新任教師としての教師生活そのものが困難で苦悩の日々でした。
 経験不足や仕事がわかっていないことからくるものでした。指示や指導が適切でなく、子どもたちがどうすればいいのかわからなくて、困っている状況は毎度のことでした。うちのクラスだけ遅かったりしました。
 職場の教師は 「わからないことがあれば聞いてね」と言ってくれるけど、すべてがわからないので時間がかかり、それにつきあってもらえるという雰囲気がないから、結局何も聞けなくなってしまう。
 
いつ、どのタイミングで何を聞いていいかもわからなくて、そのことが次の失敗へとつながっていきました。
 新任者研修の出張の日に、T男が学校を抜け出しました。その日からT男との格闘の日々が続きました。
 私を小バカにし「あっそ、よかったね」「無理ー、拒否ー」「こっち見んといて」「なんで先生がきめんねん」「死ね」と暴言を投げつけてきます。
 クラスの子にも暴力、暴言、落書き、嘘をついたり、学校で一番の問題児となりました。
 そんなT男がいるクラスで、私はまともに授業も指導もできないのですから、子どもの不満はたまってきます。正直に言って、T男がいなければどれだけ楽だろうかと思った。
「クラスの雰囲気づくりには遊びが有効よ」と言われ、ドツジボールをしてみると、ケンカが始まります。
 何をしても悪循環に陥る中で、私と子どもたちの関係は悪化していきました。
 子どもの不満は保護者にも伝わり、保護者も不満を持つようになりました。口に出して攻撃してくる保護者がほとんどいなかったことが救いでした。
 T男とのことは苦悩の一つだったけど、それでもなんとかやってこられたのは、二人とも阪神ファンだったことです。T男と野球をしているときは、あの挑発的で憎々しいまでの表情が嘘のような、子どもらしい表情でした。
 これから先、今までと違う関係をつくっていけるかも知れないという前向きな気持ちを持たせてくれた。
 T男の家を家庭訪問したとき、家での楽しみがほとんどないことを知りました。T男の問題行動の背景には、育ちの中でのしんどさがあることが見えてきました。
 それが困難を受けとめるクッションのようになり、学校でどんなことができるか前向きに考える回路が出来るようになりました。
 初任者研修で私と同じように苦悩を抱えている教師がいることを知って、希望や勇気を与えてくれました。
 その教師は保護者対応でトラブルがあった。でも、親の言い分を理解しようと努め、その親の生活を知ることで、自分の考え方をもう一度とらえ直していった。
 
「あ、私だけじゃない。やっぱり、その子や親の生活を知るって大切なことなんやな」と安心させてくれました。
 学校の職場では、じっくりと同僚教師と話す時間がありません。そんな中で、サークルや研究会の仲間たちとのつながりは本当に大きなものでした。
 それらの場で、自分の困難や苦悩を語り、吐きだしていました。そのために、その時感じたことをメモに書き残していました。書き残したことで、自分の状態を客観的にみることができたのだと思います。
 それと、サークルや研究会で仲間が必死に生きていこうとしている姿や話を聴くことで励まされ、勇気づけられました。
(
石垣雅也:1974年生まれ、滋賀県公立小学校教師。滋賀教科研会員)

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学級崩壊の原因に子ども、保護者、教師がどのようにかかわっているか

 学校現場では学級崩壊の原因は何であるか問われます。まじめな教師は自分自身の問題と、常に問われているような感覚に陥って精神的にまいってしまうこともあります。
 学級崩壊が生じるときの原因は、大きくわけると、子ども、保護者、教師、社会と4つに分けることができます。その内3つについてとりあげてみます。
1 子ども
(1)
子どもは内面にいらだちや不安を抱いている
 学級崩壊の発端となる子どもとしてあげられるのは、内面に「いらだちや不安を抱いている」ということです。それが教師に対する反抗やいじめなどの行動で表現するわけです。
(2)
周囲の子どもたちは楽な方に流れる
 正義感はあるが、立ち向かわない。周囲の子どもたちが、まあ楽な方がいいやと、学級崩壊を助長する傾向があります。自分に火の粉がかからないようにしようというタイプの子どもたちが多いときに起こりやすい。
(3)
ルールを守らない
 ルールなんて守らなくていいんだ、という感覚を持っていて反発する子どもがいます。
 ルールを守らないと他の人と仲良くすることが難しくなる、という経験が少なくなっています。クラス全体にそういった空気が漂うと学級崩壊が広がりやすくなる。
(4)
教師の言うことは正しく、守らないといけないという気持ちが減少している
(5)
集団行動が困難な子どもたちが増えている
 身辺の自立ができないような子どもが増え、きちんとすることができず、集団が苦手な子どもたちが増えている。
(6)
幼児期に受けた教育やしつけなどの個人差が大きくなっている
 幼児教育や家庭でのしつけなどが、以前よりも子どもたちの間で差が大きくなっている。
(7)
年上の人を敬い尊敬する感覚が乏しい
 大人をばかにしている子どもたちが増えています。父親的な権威が失墜して教師を敬わなくなっているのです。教わるという関係が崩れ、軽く受け取られて、学級崩壊が起こりやすくなっています。
(8)
生活経験が乏しくなり、対人関係がへたになっている
 少子化時代で、きょうだいケンカして仲直りするといった経験が少なくなっていて、対人関係がへたになっているのです。
2 保護者
 保護者が教師を尊敬していないと、子どもたちは敏感に反応して真似ていることがあります。
 そういう意味では、学級崩壊の発端となる子どもの保護者は教師や学校に対しての信頼感が少ないという特徴があります。
 現代社会は知らない者同士が寄り集まっていて、誰しも疑心暗鬼になっています。
「今年の担任は大丈夫だろうか?」と信用していないために、教師への質問や要求は多くなります。こういう状況の中では、ささいなことでトラブルに発展していきます。
 結局、担任を信用していないので、話し合って妥協するとか、解決するということが、なおざりにされて、どっちが正しいのかと迫ってくる保護者が多くなっているのです。
 ますます教師が安心して教育することが出来にくくなっています。
 家庭でのしつけの部分を教師におしつけたりする保護者も学級崩壊につながる子どもたちの親としてあげられます。
3 教師
(1)
教師への求心力が低下している
 以前、教師は信用され尊敬されてきたので、自ずと求心力は備わっていたのですが、現代では教師が自ら努力して身につける必要が起こっているのです。
 教師という仕事は、対人関係を中心としていて、子どもたちみんなを引き上げる力を必要とする職業なのです。
(2)
柔軟性に欠ける
 
「○○でなければならない」「△△するべきだ」が強すぎるガンコな教師は、現代の学校ではうまく指導できなくなっています。
 最近の保護者のあり方とずいぶん食い違ってきているためにズレが生じているのです。
 それは、子どもたちにも反映されてきていて、強く指導しようとすると子どもたちに反発されて、うまくいかないことがしばしば起きています。
 
「以前うまくいっていた指導が通らくなった」という教師の言葉が聞かれます。
 子どもたちの姿と教師の姿に大きな隔たりがあるとうまくかみあわいのです。柔軟性が求められます。
(3)
人間関係が苦手
 子どもたちとうまくいっていても、保護者のほうから問題が投げかけられてくることもあります。
 それは信頼関係づくりの失敗ということになるのですが、教師自身、対人関係、特に大人との人間関係が苦手な教師にそういう事態が起きるときがあります。
 そういう場合は、決まってその教師は管理職や周囲の教師間でも孤立していて、周りから不信感を持たれているのです。つまり学校の中で信用を失っているときも学級崩壊の発端になります。
 また、それは学校全体の雰囲気に問題があったり、教師間の連携に障害があったりもしますので、管理職の責任でもあります。
(
川畑友二:長崎大学附属病院、関東中央病院神経精神科医長を経て、クリニック川畑院長。児童分析臨床研究会代表)

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子どもが問題行動をしたとき、子どもを理解して叱るためにはどうすればよいのでしょうか

 まず、子どもの起こした問題行動に対しては、親自身が心を平静に保つことが求められます。そのためには
「ア」:あわてない
「イ」:いらいらしない
「ウ」:うろたえない
「エ」:遠慮しないで、全容が分かるまで冷静に話を聞く
「オ」:怒らない。何も理解しないうちに子どもを怒らない。
「ニ」:逃げないで、子どもと一緒になって解決していきましょう。
 問題が起こった時には、その背景を理解することによって、子どもの心の動きや問題の深さがわかります。そしてそのことが、今後の問題行動の予防にもなります。
 子どもが悪いことをしたら
「そのような悪いことをする気持ちがどうして起きたのか」
「どうして、そのような間違った行動をしたのか」
「その時、葛藤、苦しみ、良心の痛みがなかったのか」
を親が理解し、子どもの問題点を整理することが大切です。
そのためには、
「カ」:過去のことを整理する。問題行動に関連する過去のことを整理しましょう。
「キ」:気持ちを聞く。感情を深く分かってあげる。
「ク」:苦しみを理解してあげる。
「ケ」:結論をなぜ出したのか。
「コ」:行動した気持ちや思いの変化を考える。
 そうすることの中に、子どもが自然と誤りに気づくテクニックが潜んでいるのです。
 子どもが問題行動を起こした時に、その気持ちや苦しみを親が理解して「誤りを正す」のと、何も理解しないで「頭から誤りを正す」のとでは、親と子どもとの信頼関係は全く異なってきます。
 最後に、「悪いものは、悪い」と、親の考えを明確に伝えることにしましょう。子どもを叱るときには、
「サ」:先取りした注意をやってはいけません。
   「もう一度、同じことをしたら承知しないよ」
   といった、先取りした注意は「親は私のことを信用していない」と、子どもの心を傷つけます。
「シ」:しっかりとした態度で叱る。
「ス」:すっきりと分かりやすく。
「セ」:責任の所在を明確にする。
「ソ」:「相談はいつでものるからね」と伝えてあげましょう。
 たとえ、親が受容し、子どもを理解しても、子どもに反省がなければ、人間として成長できません。悪いことをしたときは、子どもを叱ることが必要になります。
(
牟田武生:1947年生まれ、民間教育施設「教育研究所」を設立し、特に不登校の子どもの援助活動を中心に行う実践家)

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教師に反抗的な態度をとる子に、どう対応すればよいのでしょうか

 教師の揚げ足をとったり、指示をわざと聞き流したりするような子がいる場合、他の子どもたちもその雰囲気にのまれないよう、教師は毅然とした態度をとることが必要です。
 教師に反抗的な態度をとる子は、教師がイライラするような言動をあえてとります。
 教師が感情的に対処すると、その子との関係が悪くなり、周囲の子どもたちも「振り回されている教師のせいで、学級の雰囲気が悪くなる」と感じています。
 どう対応すればよいのでしょうか。
(1)
学級のルールを明確にする
 反抗的な子どもに対しては「なんだ、その態度は!」と言うのではなく
 
「みんなでこのルールを守ろうと決めました。だから、これは認められません」
と言えるように、おりに触れ、ルールを学級全体で確認したり、教師の考えを学級全員に伝えたりする時間を設けます。
 それと、子どもが教師に反抗的な態度をとったとき、教師とその子との一対一の対立構造にせず「これは正しいことですか?」と、みんなでルールを確かめるようにします。
 多くの子どもたちが同じように判断する中では、教師に対して無茶なことを言いづらくなります。
(2)
教師は子どもたちに対する言葉づかいに気をつける 
 教師が子どもたちに言った言葉に
 
「さっきは、こう言ったくせに」
 
「あの子にはこう言ったのに」
 などと、反抗のきっかけにします。
 教師は、ていねいな言葉づかいを心がけます。話す速さもゆっくりと
「○○さん、それはこういうことですね」
と、落ち着いた口調で、その都度違うことを言わないように気をつけながら話します。
(3)
ながながと説教しない
 その場で、態度を改めさせ「ごめんなさい」と言わせようとすると、話が長くなり、雰囲気も悪くなります。待たされている子どもたちもうんざりします。
 それが反抗的な態度を助長します。さらに、周囲の子どもたちまで同調してしまうと、指示が通らなくなってしまいます。
 深追いをせず、いけないことを「いけない」と伝えたら、すっと切り替えて授業を進めます。時には反抗的な言動をあえて取り上げないようにします。
 周囲の子どもたちを意識することが、実は、反抗的な態度を取る子どもへのアプローチになるのです。
(4)
一対一でゆっくり話せる場を設ける
 まずはその場で「どうしてそう思うの?」などと、子どもの話を聞く姿勢を見せます。時間をとり、一対一でゆっくり話せる場を設けます。
 その子が安心して自分の思いを話せるようにします。マイナスの感情を言っても、一度は「わかるなぁ」と共感的に受けとめます。内容によっては「悪かった」と謝ることも必要です。
 教師とその子との関係だけでなく、いろいろな面から原因を考えていきます。
 たとえば、教師の言動に不満を持っている、強く見せたいと思っている、どこまで許されるのか探っている、自分を認めてもらえなかった経験が多い、もっと注目して欲しいと思っている、ことなどが考えられます。
(5)
その子が認められる場を作る
 その子のよさが認められる場面を意識的に作ります。また、休み時間に、その子の興味あることを、他愛なくおしゃべりすることもその子にとって嬉しいことです。受けとめてもらえ安心感にもつながります。
(6)
周囲の子どもたちの受けとめる力を育てる
 「みんなもイライラすることってない?」と問い、本音を子ども同士で聞き合う場をつくると、行動の背景を想像しようとする子が育ち、共感的な温かい声かけを子ども同士でもできるようになります。
(
横田陽子:北海道公立小学校教師)

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授業中に問題を起こす子どもにかかわりすぎるな

 一番こわいのは問題を起こす子どもではなく、問題を起こす子どもに教師がかまいすぎることによって、その他大勢の子どもたちから、反感を持たれることです。これが学級崩壊の始まりにもなります。
 ですから、子どもたちが集団のとき、特定の子どもに関わり過ぎてはいけないのです。「問題を起こす子どもにかかわりすぎるな」が基本原則です。
 古いタイプの指導というのは「まじめな子どもたちが、教師が他の子を指導しているのを待ってくれる」という前提でやっていたのです。この子たちに、いわば甘えて指導していたのです。
 でも、今の子どもたちは、すぐ我慢できなくなっています。これが小学校低学年から中学年の学級崩壊の基本パターンです。
 ですから、教師は問題を起こす子どもに振り回されてはいけません。
 問題を起こす子どもにも一応指導はします。いったん指導を入れたら、集団場面では、できるだけかまい過ぎないことが大切です。
 なぜならば、問題を起こす子どもたちは刺激が欲しくて問題を起こしているからです。かまってあげるとエサをもらったようなものです。
 では、どうすればいいかというと、できるだけ、まじめな子ども、頑張っている子どもにかかわることです。
 一斉授業というのは、基本的に全員の子どもたちが静かに聞いてくれるということを前提にして成立しています。
 ですから、問題を起こす場面では、一斉授業はできるだけやめにします。個別学習や班学習の時間を多くします。
 教師は机間巡視を多くし、まじめに頑張っている子どもと心の結びつきを深めていきます。
「まじめに頑張っている子どもがかまってもらえる学級づくり」が何といっても一番大切です。
 でも、この当たり前のことが、学校であまりやられていない。教師は問題を起こした子どもに一生懸命にかかわります。それで、まじめな子どもが放っておかれることになります。
 そうすると、まじめに頑張る気がしなくなります。これが学級崩壊のきっかけとなるのです。
 問題を起こしたりする目立つ行動をした子どもに指導を入れるとしたら、個別場面で入れてください。
 個別場面での指導をていねいにやりましょう。こういった子どもは愛情不足だったりするのです。しっかり個別場面でかかわってあげましょう。愛情不足の心にエネルギーを補充してあげましょう。
 個別場面でやるべきことを、集団の場面でやってしまうと学級全体がおかしくなります。このことを押さえておいてください。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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教師が新たな自分に出会う喜びを得るには、どのようにすればよいか

 教育がむずかしくなったと言われます。「子どもが変わった」「親が変わった」「学級崩壊」と思い当たることは、いくつもあります。
 確かに状況の深刻さは予想以上であると、私も危機感を強めています。しかし、私はこんなときだからこそ教育はやりがいのある仕事だと思いたいのです。
 私は悪戦苦闘という言葉が好きです。子どもは教師にとって、思うようにならない存在です。生きて動いています。泣いたり笑ったり、喜んだり悩んだりしています。日々その連続です。
 そんな中で子どもを人間として自立させていく営みは、まさに悪戦苦闘の日々です。「どんなことが子どもにとってよいのか」と問い続ける教師の姿です。
 それは教師自身が自らの在り方を問い直し「自分を変えようとする営み」を抜きにして語れません。
 そうした実践の中で私たちは、あるときフッと、またあるときは徐々に「教師としての新たな自分にめざめていく」のではないでしょうか。
 それが「教師としてのやりがい」につながっていったときは、教師冥利に尽きます。
 私も校長として三校の小学校に勤務してきました。まさに悪戦苦闘であり、試行錯誤の連続でありました。具体的に取り組んできたことは
(1)
教職員と、学校経営や授業実践、学級経営などを雑談的に語り合っている。
(2)
教室訪問を気軽に行き合ったりして、教師同士が互いにひらかれた実践活動を心がけることのできる職場づくりをする。
(3)
職員室だより「あじさい」を発行し、職員の真摯な実践活動に私自身が学んだことを掲載し、互いに「学び合う教師」として精進する。 
ということです。
 
「明るく元気に実践し、学び合う教師」は、私の憧れです。私はこれまで、そんな教師たちとたくさん出会ってきました。
 厳しさの中で挑戦し、困難から逃げることなく、楽しむかのごとく実践する多くの教師との出会いでした。
 子どもを主人公にした学校づくりに汗を流し、実践してきた何人もの教師の姿を思い浮かべることができます。
 また、自らを変えようと、ひたむきに実践して、教師としての新たな自分に出会い、めざめていった教師もいます。
 学校は零細企業だと私は思います。事務職員を含めた教師一人ひとりが、その学校の子どもたちを育てる当事者なのだという意識こそ大切です。いまこそ、学び合う教師たちでなくてはならいと私は思います。
 教師は、まず同じ学校現場にいる仲間の教師に学びたいものです。仲間と学び合ってこそ、その学校を活性化させ、教師の資質を磨き、めざめさせていくのだと確信するからです。
 しかし、それはキリキリと胃が痛む思いで、実践することではありません。むしろ、明るく元気に「まっ、いいか」と肩の力を抜き、取り組む中で「新たな自分に出会った喜び」「熱中して燃える、やりがい」を得ることができるのだと思うのです。
 私が校長として教師を見ていると苦しく、つらい思いを持った教師が多かった。そんな中で「学び合う教師集団」としての本領が発揮されていたと思う。
 
「信頼される教師になるために」「教師として情熱を燃やすことのできる自分になるために」と、先生方の努力はひたむきであったなと思います。
 そして、徐々に、またはある日突然「新たな自分」に出会い、みずみずしい感性、しなやかな姿勢、ひらかれた大きな度量を感じ取っていく教師たちであったな、と思うのです。
 学校は一枚岩の実践を大切にします。しかし、それ以上に大切なことは、一人ひとりの教師の願い、持ち味が、学校の連帯の中で生かされているかどうかだと、私は思います。 
 学校は校長のリーダーシップによって変わると言われます。
 そのリーダーシップも校長がぐいぐい引っ張っていくような経営ではなく、教職員の知恵や願い、夢やロマンを引き出し、それを学校づくり(子どもを育てる営み)に生かし実現していくものでありたいと私は念じています。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)

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手のかかる子どもと出会うことで、あなたを真の意味で教師にしてくれる

 ある年、ADHD(注意欠陥/多動性障害)の障がいをもつ子を担任した。医師は「薬の服用なしでは、教育は極めて困難」と診断した。にも関わらず薬の服用はしていなかった。こだわりがあり、嫌なことや苦手なことは絶対やろうとしない子だった。
 体育の授業を無理やりやらせるとパニックになると聞いていた私は見学することを認めた。しかし、周りの子が納得しないから、用具を倉庫から出すなど、できる範囲で手伝いを頼んだ。手伝いができたときはしっかりとほめた。
 私は高跳びの授業の基礎としてゴム跳びをやっていた。ゴム跳びなら自分にもできそうだと、やりたいと言い始めた。できたことをほめると、少し自信が出てきたようであった。
 二学期の運動会の練習のため、私は体育の時間に一学期から倒立を少しずつ行った。次々と学級の子どもたちは倒立ができるようになっていく。それを見ていて自分も頑張りたいという気持ちがでてきたのだ。
 やがて倒立ができるようになった。その小さいとも思える成功体験があったからこそ、これまで欠席していた運動会に参加する意欲が生まれた。これまで嫌なことから逃げていた子が、運動会の練習を休むことなく頑張り、運動会に参加し組体操を成功させたのである。
 強引な指導が一切通用しないという、この子を担任したとき、私の教育観はかなり変化した。
 
「教育とは、成功体験をもとにして、子どもの内なるやる気を引き出し、そして弱い自分に打ち克つように激励してやることが大切だ」ということを腹の底から学んだのである。
 問題を抱かえていた子を担任したときに、初めて教師は今までの指導法をふり返り、反省し、そして成長していくのだということを学んだのもこのときである。
 小学校高学年で低学年の計算ができない。そんな子を担任したこともある。今日できるようになったと思ったら、次の日には計算の仕方を忘れている。漢字も同じ。様々なやり方を試行錯誤しても進歩が見られない。
 そんなとき、カタカナ一つ、文字の発音一つ習得させるのに、数か月も一年かけてやる実践があるのを知った。糸賀一雄さんの障がい児の教育記録である。
 教えても教えても、また忘れてしまう子どもを前にして
 
「いかなる深渕も、一個また一個と、絶ゆる間もなく小石を投じていれば、やがては淵も平地と化すであろう」
 という言葉が印象に残った。
 ここまでの覚悟をもって教育する気概があるのかと、自分に問わざるを得なかった。
 問題を抱かえた子を目の前にして、指導を続けていく中で、今までの教育観がゆさぶられ、教師としてのあり方を根本から問い直さざるを得ないことがある。
 わずか一ミリの成長に全力を費やせるかどうか。
 手のかかる子があなたを、真の意味で教師にしてくれるのである。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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生徒指導が得意になるためには、どのような秘訣があるでしょうか

 生徒の指導に迷いはつきものです。叱るのかほめるのか、突き放すべきか寄り添うべきか、厳しく接するのか優しく接するか、断固として貫くべきか自主性を尊重すべきか、などと迷います。
 考え方が明確でないから迷うのです。
 生徒の指導というものにはマニュアルが存在しません。10人の生徒には10人の物語があり、10種類の指導が必要です。
 10種類の処方箋を身につけるのではなく、処方箋のつくり方を知るほうが早道なのです。だからこそ考え方が大切なのです。
 生徒指導にマニュアルが存在しないので、先輩の実践から学ぶことです。ただ真似をしても、生徒が違えばうまくいきません。
 マニュアルはなくても「考え方」はあります。この考え方を身につけると大きな失敗を減らすことができます。これから起きるだろうという問題も予測し、早めに的確な対応ができます。
 教師の経験だけでは指導できません。
 先輩の実践から「ここだ!」という秘訣やコツを会得するのです。ここが自分とは違う優れたところを見つけるのです。それをメモすれば、指導力は磨かれます。 
 教育書を読まずに経験だけに頼っていては、考え方はいつまでも増えません。
 教育書で学んだ考え方は、自分流に修正します。新たな考え方で実践し、また修正します。別の考え方があれば、つき合わせてさらに修正して実践します。教育という仕事はこのくり返しです。
 生徒を指導するには、原因となるものを見つけて方針を立てます。それには、困った場面や困った生徒をよく観察することです。
 教師が生徒の話を聞き、それを読み解くことに意味があるのです。読み解くには時間と根気が必要です。
 表面的な原因ではなく、根っこを見つけるのです。根っこだと思う根っこを指導すればよいのです。
 生徒の指導に行き詰ったときの打開策をあげると、
 先輩教師に相談する、実践家の本を読む、保護者に相談する、生徒の友だちに知恵を借りる、学級でアイディアを募集する、学級通信を使って世論を喚起する、などが考えられます。
 あの先生が言うと指導が入るのに、自分が言っても生徒は従わないことがあります。ここには簡単な原理が働いています。
 好きな人から何か言われても「そうかも」と思ってしまうのに、嫌いな人から同じことを言われてもムッときて反論したくなります。
 ましてや尊敬している人から言われると、反省してしっかりやろう、という気になってしまうものです。
 仮に、いろいろな技術に熟達していても、生徒に好かれ尊敬されていないと、生徒は納得してくれません。
 特に、生徒指導の場面では、どうしても「好かれて尊敬されている」ということが大切になるのです。
(吉田 順:1950年生まれ 37年間横浜市立小・中学校に勤務した。担任32年、生徒指導部長16年、学年主任13年などを兼任した。生徒指導ネットワークを主宰。生徒指導コンサルタントとして全国の学校と関わる)

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さまざまな失敗や保護者とのトラブルから学んだことは何か、どうして教師を続けてこられたか

 私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。教師になって失敗と自信喪失の連続であったと、六年間をふり返って表現できるかもしれない。
 教師生活二年目に小学校三年を担任した。A子が教室の後ろの席でおしゃべりしていたので「おしゃべりしたいなら、家に帰ってすればいい。教室にはいらない」と注意したら、かばんを持って教室を飛び出した。
 あわてて呼びもどしたとき、私に対する不満が爆発し「先生なんかきらい!」と言われた。A子は泣きながらも胸の内を話してくれた。
 家では母親に姉と比べられ自分はダメだと思うようになっていた。学校でも家でも怒られてばかりだと。
 この件で保護者と話し合う必要性を感じ、職員室でA子の母親と話し合った。
 私は今回の出来事の詳細を説明し、今後の支援のあり方を相談するつもりであった。しかし、私への不満が矢継ぎ早に飛び出してきた。
 母親は「家では先生の悪口しか言いません」「先生のことは最初からあきらめていました」と言われた。
 胸につきささる言葉で、ぼう然自失で母親の目を見ることもできなかった。教師として言ってはいけない言葉を発したことを、わびることで精一杯であった。
 4月からA子や母親から発せられていた私への不満の信号を、その場その場できちんと受け止め、解決しようとしていたら、こんな事態にはならなかったかもしれない。思い返せば、心当たりはいくつもあった。
 自分の発する一つ一つの言葉の重み、それが子どもや親にどれほど大きな影響を与えるか、ということを痛感させられる貴重な機会であったと今は思う。
 教師になって四年目、自分に欠ける「一人ひとりの子どもをじっくりみる」ということを支援学校で勉強してみたいと考えるようになった。
 支援学校に赴任して、C男というADHD(注意欠陥多動性障害)の子の担任になった。登下校で乗るスクールバスの中で暴れ、けがを負わせるという事件が起きた。
 その後も学校や家で自傷、他害行為を繰り返し「もう、どうしたらいいのかわかりません」と母親が言ったが、まさに私も同じ気持ちであった。
 なぜC男が暴れるのか、ストレス源となっているのは何なのか、どうすれば落ち着いて過ごせるのか、母親と何度も話す機会をもった。
 母親からは、家で暴れる原因は学校でのストレスではないかとか、私のC男へのかかわり方のまずさを責められたこともあった。
 落ち込んでいる暇はない。とにかく考えられるありとあらゆる手だてを一緒に考えていった。「約束カードを作って、守れたらシールをはろう」「C男の好きな歌を一緒に歌ってみよう」など、そのたびに一喜一憂した。
 ここまで一人の子どものことを考えたのは初めての経験であった。格闘を繰り返す中で、C男のよだれを汚いと思わない自分がいた。
 親になったことのない自分が、親と同じ気持ちで子どもに「こうなってほしい」と願った。C男の行為がおさまってきたとき、母親と一緒にC男の成長を喜ぶことができた。
 C男との出会いによって、私は教師としてはじめて本気で一人の子どものことを考えることができたのだと思う。
 言い換えれば、一人ひとりの子どもに「こうなってほしい」という、強い願いをもっていなかったということである。
 こんなふうに、私はさまざまな失敗や保護者とのトラブルを繰り返してきた。そのときは、私は教師に向いていないと自信を失い、もうやめてしまいたいと思った。
 何度も泣いたし、辞表の書き方を考えたこともある。そんな私がなぜ、今も教師をやめずに続けてこられたのか。
 それは「教師をやっていてよかった」と、思える瞬間があるからだ。
 まず、子どもの笑顔を見たとき。落ち込んだ状態で教室に行ったときも、子どもの笑顔を見ると「がんばらなきゃ!」と気合いを入れ直すことができる。
 「できた!」というときの子どもの顔も私の心の支えである。
 私は学級通信に保護者の意見や感想を無記名でアンケートをつけています。手厳しい意見もありますが「うちの子が明るくなりました。先生が担任でよかった」といった、励まし、認めてもらえる声を見つけたときは元気がでます。
 このような言葉は、今でも落ち込んだとき、やめたくなったときに、思い出しては自分を励ましています。
 こうして振り返ると、私は失敗をしてこなければ、何も学べなかっただろうということである。まさに「失敗の中から学ぶ」教師生活であった。
 教師という職業はつらいことや嫌なことが百あれば、うれしいことは一つかもしれない。 
 でも「教師をやっていてよかった」と思えることが一つでもあるのは確かである。その一つを求め、私はこれからも教師を続けていくつもりです。
(
山崎準二編著。B女性教師、小学校、支援学校、教職歴6年)

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叱ると怒るの違いがよくわかっていない子どもや教師が多い、どうすれば理解できるようになるか

 叱ると怒るの違いをよく分かっていない子どもや教師が多い。
 怒るとは「自分中心の感情で相手に接すること」
 叱るとは「相手の存在を認め、成長を願って強く意見をすること」
 です。
 教師が子どもに怒ってしまうから、教師と子どもの関係がマイナスになってしまう。
 叱った内容がどれだけ浸透するかは、どれだけほめたかによるものなのです。
 よく、子どもが教室で「先生に怒られた!」と口にします。
 私は、その度に
 
「あなたたちは、先生が叱っているのに『怒られた』という言い方をする。違いますよ」
 
「怒ったんじゃなくて、叱ったんだ」
 と、正します。
 もし「怒ると叱る」の区別を子どもたちがわかっていないときは
 
「ごめんね、先生が正しい叱られ方を教えていなかったからだ」
 と、言います。
 子どもたちは「怒ると叱る」の違いは理解すべきことなのです。
 崩壊した学級の子どもたちは、教師に強く注意されると舌打ちして、反抗したりします。教師の陰口を言ったりします。
 だから私は、クラス全員の前で「正しい叱られ方」は何かを聞きます。
 正しい叱られ方は五段階あります。
(1)
受容
(2)
反省
(3)
謝罪:悪かったと思って、おわびする
(4)
改善:良くするために改善する
(5)
感謝:ありがとうございましたと思う気持ち
です。
 子どもたちに「五段階ある正しい叱られ方は何だと思う?」と尋ねます。
 
「一つ目は受容、二つ目は反省。三つ目は何だと思う」と聞きます。
 子どもたちはいろいろ言うけど、分からないときは「それは、謝罪だ」と。「これが言えることは、とてもすばらしいことだ」と教える。
 
「四つ目は何だろう」と尋ねます。
 子どもたちは分からない。「それは、改善だ」と。「悪かったと思って、お詫びするんだったら、良くするために改善しないとね」と。
 
「最後の五つ目は何だと思う?」
 ここだけは時間をかけます。で「感謝だ」と、言います。「ありがとうございましたと思う気持ち」
 これが正しい叱られ方だと。
さらに、こう付け加えます。
「ほめることと、叱ることは同じことをめざしているんだ。だから叱られても、ありがとうと言えれば、あなたたちはぐんぐん伸びていける」
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

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若手教師は授業を時間通り始められないことに悩んでいます、どのようなアドバイスをすればよいのでしょうか

 多くの若手教師は、授業を時間通り始められないことに悩みを抱かえています。しかし、現実的には、それができない状況にあります。
 まず、若手教師が、始まりの時刻を守って始める努力をしているか見きわめます。教師の心構えが子どもたちに映るからです。
 授業の始まりの時間になっても。座席についていない子どもが多いと、授業を始め、授業に集中させるのに時間がかかります。時間通り授業を始め、授業に集中させることはとても大切なことです。
 私は、どのような指導をすれば、授業が時間通りに始まり、子どもたちが集中するのだろうか、と考えて、工夫しながら取り組んでいます。
 ここで注目したいことは、若手教師の意識が「授業の始まりのみに焦点が集まっていないか」ということです。
 子どもたちが、学習に対して受け身になっていると、仲間としゃべっていたり、他の事をしたりしています。
 このような子どもたちの姿があると、授業の始業がそろっても、授業をすぐに始めることはできません。
 授業をすぐに始められない原因が、子どもたちの授業に向かう姿勢だと認識する必要があります。
 物事を始める前には、私たちは必ず「3つの準備」をしています。授業ならば
(1)
物の準備
 教科書、筆記用具、その他学習用具をそろえる。
(2)
身体の準備
 座席につき、姿勢を整える。
(3)
心の準備
 学習のめあてや願いをもつ。
 事前に授業の学習内容を明確にし、子どもたちに見通しをもたせておけば、必要な準備をし、座席に着いて、意欲をもって学習に取り組むことができます。
 重要なこととは、必ず「3つの準備」をしているということです。
 若手教師の場合、みんなそろって授業を始めることにばかりに焦点があたり、子どもたちが座席につき、姿勢を整えることしか意識していないことがあります。
 そのため、「身体の準備」がそろえば、
「必要な物はそろっているか確認しよう」
「勉強を始める気持ちになっていますか」
と、子どもたちに働きかけ「3つの準備」がそろってから、授業を始めます。
 このことを確認するために、若手教師に「授業を始める前に必要な準備は何か」と、尋ねるようにします。
 
「3つの準備」を答えられなければ、運動会や遠足などへの取り組み準備など具体的な例を示すとイメージしやすくなります。
 その後、若手教師が「3つの準備」を意識して、子どもたちへ指導を行うことになります。
 どのように指導したらよいか、わからない場合は、
「座席について姿勢を正していたことは、身体の準備ができているということ」
「机の上に○○があれば、物の準備ができたということ」
「ノートに日にちを書くことは、心の準備ができているということ」
というように、子どもの行動と「3つの準備」を結び付けるように支援します。
 「身体」「物」「心」の「3つの準備」を意識させ、子どもの行動と「3つの準備」をつないだ支援をしましょう。
(
須田敏男:1954年岐阜県生まれ、元岐阜県公立小学校教頭・全国教頭会副会長)

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力のあるたくさんのプロ教師と接してきたが、プロ教師の共通点と、素人教師との違いとはなんでしょうか

 私は全国の研究会をまわり、力のあるたくさんのプロ教師と接してきた。プロ教師にはつぎのような共通点があることに気づいた。
1 仕事が早い
 メールを送ったら、すぐ返信されてくる。手書きの手紙を送ったら、即返事が返ってくる。誰に対しても返事が早いというところがすごいのである。
2 常に向上し続けるための手だてをとっている
 学ぶのを止めたら、力は下がっていくと考えている。
 必ず何かを自分に課している。若いうちから、実力を磨こうと人一倍努力している。 
 本を読む。セミナーに参加する。文科省の答申を隅々まで読む。教育論文をチェックする。
 自分の授業を録音や録画して、自分をチェックしたり、自主的に研究授業を定期的に行い100回達成することをめざしている教師もいる。
 ある教師は研究授業を一度見ただけで、検討会で授業者の言葉を全て再現してみせた。プロ教師は素人にはできないことができるものだと、ほれぼれしたのを覚えている。
3 人間的に甘えがない
 信念をもとに行動しているから、自然と芯の強さが表れる。
 何ごとも自分が主体となって、独立心を持って自分で何とかしようとし、できない言いわけをしない。
 プロ教師の考え方で、私が印象に残った言葉は
「実力は、上がるか下がるで、現状維持はない。つまり、プロとして生きるか、アマとして生きるか、二つに一つしかない」
 学び続ける教師の実力は向上し続ける。やがて、子ども、保護者、同僚から信頼を集めるようになる。
 すると、次々と重要な仕事を任されるようになる。こうして、ますます実力が上がって行くサイクルができあがる。
 反対に、学ばない教師の実力は、現状維持にはならず、下がり続けるのである。プロとの差が開きすぎると、困ったことに自分とプロの差が見えなくなり「自分はまんざらでもない」と思えるようになる。
 教師の世界は、実力の世界である。どんなに経験を積もうが、どんなに年をとろうが、最終的に「子どもを伸ばしたかどうか」で判断されてしまう。
 だからこそ、教師の実力を高めることが大切だと、プロ教師は考えている。そして、高い理想を追い求めている。子どもたち全員を伸ばしたいと本気で考えている。
 子どもは誰でも可能性をもっており、それを伸ばせないのは教師の力量不足の問題だととらえている。
 高い理想を追い求めているからこそ、プロ教師の行動は、他の教師と変わってくるのだろう。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」に入賞)

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子どもと関わるときに、してはいけないこと、すべきこととはなんでしょうか

 昔から言われている子育ての知恵をごぞんじですか。
 乳児は肌を離すな。幼児は肌を離して手を離すな。少年になったら、手を離して目を離すな。青年期に入ったら、目を離して心を離さないようにと。
 思春期の子どもと向き合うときに、してはいけないことがあります。
1
 子どもと対等になって衝突しない
 子どもが罵詈雑言をぶつけてきたときカチンとくるのは、子どもと同じ精神年齢になっているからです。子どもと同じレベルになると、衝突が起きるので、同じレベルにならないことが大事です。
2 子どもを傷つける言葉を使わない
 今の多くの子どもたちは荒い言葉を使います。子育てで「荒い言葉しか、かけられてこなかったのだろう」と私は思います。大事にされなかった子どもは、相手を大事にすることができません。
 子どもに優しい言葉をかけるようにしてください。
3 ガミガミ言わない
 過去にさかのぼって怒らない。話が長引くと、いやになってしまいます。目の前のことだけを短く(3分以内)さとすこと。
4 子どもを追いつめたり、つきはなしたりしない
 やりすぎは禁物です。「勝手にしなさい」といった言葉は子どもの心を深く傷つける。
 子どもが思春期になれば、安心して生活できる環境を整えましょう。「待ってやること」が大事です。
 だから、距離をとって「いつも見守っているよ」というメッセージは伝えてください。
 大人が子どもに話を聞いてもらいたいのであれば、大人が子どもの思いを聴いてやることです。そのうえで話すと、最低ひとつは、子どもの心に入っていきます。
 子どもの問題行動に大人の問題が隠れていることはよくあります。
 大人がそれに気づくと、子どもへの対応が違ってきます。大人が自分をふり返り、ありようを考えることで、再生のきっかけになることはたくさんあると思います。
 子どもを変えようと考えないで、大人がちょっとした工夫や努力をしてみてください。子どもの態度にも変化が生まれてきます。
 気持ちが揺れる思春期だからこそ「ほめる、認める」が必要なのです。そのためには
 まず、子どもにまなざしを注ぎ続ける。つぎに子どもの言葉にじっと耳を傾ける。
 そうすれば、必ずといってよいほど、ほめるべき言葉が出てきます。子どもをほめていくうちに、大人の喜びも増えるはずです。
 「どうせ自分なんて」と口ぐせの自己肯定感の低い子どもには、できてあたりまえのことでもほめるようにします。
 そういう子どもたちは、反抗的な態度をとって強がっていても、精神的には弱りきっています。
 成長するには水やりが欠かせません。ほめることは愛情という水やりです。
 Iメッセージで「がんばりを見ていて、私も励まされたわ」と、子どもの行動をどう感じたか伝えるとよい。
 できるだけ肯定語で「さとす」ことも大事です。「○○するな」ではなく「○○しようね」とか「○○をしてみるといいよ」という言い方を心がけましょう。
 何よりも大事なのは、叱った後には、その何倍も「その子の良いところ」をほめてあげることです。大人が「心から心配しているんだ」というメッセージが伝わってこそ、子どもは素直に謝ることができます。
 子どもと向き合うとき私が心がけていることは、声を荒げないこと。目を見て話すこと。
 声を荒げると、子どもも声を荒げます。強い言葉を出しても、子どもの心に入っていくわけではありません。
 目を見て穏やかに話すことは、子どもと向き合う出発点です。「私はこれをあなたに伝えたいのよ」という思いを込めてていねいに話してください。
 そして、必ずほめて終わること。「最後までよく聞けたね」「がんばったね。ご苦労さん」と声をかけて終わります。
 子どもの自尊感情を高め、お互いの絆を確かめる言葉かけは、とても大事です。
(
土井高徳:1954年福岡県生まれ、里親。心に傷を抱かえた子どもを養育する「土井ホーム」代表)

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保護者が学校に来てすごい剣幕で不満をぶちまけるとき、どう対応すればよいのでしょうか

 ともかく聴くことです。すぐに弁解しようとせず、説得しようとせず、逃げずにひたすら聴くことです。
 保護者が自分の思いをぶちまけないうちは、教師が保護者に何を言っても反発されるでしょうから。
 教師が保護者の話をひたすら聴けば、そうやって教師が正面から聴いてくれたことに感謝されることもあると思います。
 保護者に誤解がある場合もあるでしょうが、誤解をとくのは保護者の話の最後の方でもできます。
 また、やり場のない怒りや不安を保護者がぶつけに来ておられるのだと思えば、聴く方にも余裕が生まれます。
 ただし、学校に反省すべきところがある場合は、むろん素直に認めてください。
 聴く教師は大変でしょうけれど、保護者と学校とのあいだに信頼関係をつくるチャンスでもあるのです。
(竹内健児:1962年生まれ、徳島大学准教授、立命館大学心理・教育相談センターカウンセラー、法政大学学生相談室主任心理カウンセラーを経て、奈良大学臨床心理クリニック専属実習指導教員。臨床心理士)

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子どもが思うように変わらないとき、子どもを変えるには、どのようにすればよいのでしょうか

 子どもが思うように変わらない。学力を伸ばすことができない。問題行動が減らない。
 こういう時に、教師の人間性というものがあらわになります。
 ある教師は、それをどこまでも子どものせいにします。職員室で子どもの悪口を言い、自分がどれほど一生懸命にしているのかを声高に言ったりもします。
 しかし、残念ですが、そうした教師が子どもを変容させるということは少ないようです。
 逆に、それとはまったく正反対の教師がいます。そういう教師は、まず周りの教師に質問しに行きます。
「物語の指導がどうしてもうまくいかないんです」
「子どもの忘れ物が減らない時はどうすればいいんですか」
「絵の具の塗り方は、何をどう指導すればいいのですか」
というように、同僚の教師にたずねてまわっているのです。
 そして、教えてもらったことは、とにかくすべて実際におこなって確かめていきます。
 つまりは、まず自分の方法を疑い、改善しようとしているわけです。
 自分の現在持っているやり方だけにこだわって、うまくいかなければ、子どものせいにしている教師は、盲腸の手術の技術しか持たない医師が、胃潰瘍の患者に対して「あんたはどうして盲腸じゃないんだ。盲腸なら治せたのに」と言っているように滑稽です。
 子どもを変えるために、自分を変える覚悟を持ちたいものです。
 うまくいかない時は、まず、自分の教育方法を疑って、やり方を変えてみるのもよいのではないかと思います。
(山田洋一:1969年北海道札幌生まれ、私立幼稚園に勤務後、北海道公立小学校教師。「北の教育文化フェスティバル」代表、「お笑い教師同盟」副代表、「実感道徳研究会」副代表)

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荒れる学級から学び、新任教師を成長させたものは何でしょうか

 四月、中村先生が新任教師として私の学校に赴任してきました。緊張感の中にも笑顔の素敵な女性で、すがすがしい雰囲気を漂わせていました。
 小学校三年の担任になり「教師になることが夢だったんです。子どもの可能性を生かしてやりたい」と嬉しそうに語ってくれました。
 しかし、そんな抱負もつかの間、顔が引きつってくるのに時間はかかりませんでした。教師としての技量はまだまだ未熟でした。子どもたちはまったく言うことを聞かなくなってしまったのです。
 授業が始まっても席に着こうとしない、人の話を聞かない、あっちこっちでケンカ騒ぎが起こってしまう。教室は混乱し、中村先生はパニック状態になってしまいました。
 中村先生は連日のように起きるトラブルで、毎晩寝る前、ふとんの中で涙を流していました。
 荒れる学級をなんとかしようと、次第に管理する姿勢に変わっていったようです。言葉づかいも荒くなり、行き詰った状態になってしまったのです。とうとう体調不良でダウンしたまま夏休みを迎えたのです。
 夏休み明けの彼女は、それまでのロングヘアーをばっさりカットしてきました。同時に大変身しました。知ったかぶりしていたのをやめ、わからないことは子どもたちに教えてもらおうと努力よるようになった。
 肩の力が抜けてきて、とってもリラックスして子どもたちに向かうことができるようになりました。
 四月から「いいクラスにしたい。他のクラスに負けないでやりたい」と、頑張る中村先生に子どもたちは反発するようになりました。
 中村先生は「子どもたちにバカにされているようで、自分の弱さをさらすと、子どもになめられてしまう」と思った。
 それが、子どもたちと悪戦苦闘する中で、子どもたちのやる気を引き出すコツを見つけたと言えるでしょう。
 四月当初、中村先生は固く硬直した教師でした。子どもたちにとって魅力的な教師になれないと私は思っていたのですが、柔軟な思考やユーモアがでるようになってきました。
「私、教師になってよかったと思う」と中村先生は回想しながら言います。
「一学期のころの私は、バカにされてはいけないと見栄を張って子どもに向かっていました。そんな私を子どもたちはちゃんと見抜いていたのです」
「いつも、これ以上、学級が目茶苦茶になったらどうしよう、子どもに嫌われたらどうしよう、バカにされたらどうしようと思う日々でした」
「怒ってばかりで、それでいて叱るべきときには、叱れずにいたような気がします」
「子どもたちと心から笑ったり楽しんだりすることができなかったように思います」
「学年主任の先生に『子どもと一緒に悩んでやったり、遊んでやったり、いっしょに掃除をしたりできる先生に』と、諭されたことが、いまようやくわかってきました」
「三学期は、子どもと一緒に長なわとびをして毎放課後、遊んでいました。それは『遊んでやっている』という気持ちではなく、みんなと一緒に遊んで楽しんでいるという気持ちに変わってきたような気がします」
「子どもと自然に関わり、いろいろ話をすることができました」
「自分が心から笑わなけりゃあ、子どもも心から笑みは見せないのです。わからないことを『わからない』と子どもに言うことは、ちっとも恥ずかしいことではないのですね」
 教師の仕事は情熱に技術が伴って本物です。どこか肩の力の抜けた彼女の振る舞いに、私たちもほっと安堵の胸をなぜ下ろしたのでした。
(
前田勝洋:1942年生まれ、元愛知県公立小学校校長。学び合う教師を常に意識して小中学校を学校行脚)


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学級崩壊を最後に食い止めるものはなにか、どこで食い止め、どう対応すればよいのでしょうか

 小学校六年のある学級で子どもたちが反抗し、授業や、学級で行う活動がいっさい成立しなくなりました。
 管理職が協力し、卒業式までにはなんとか普通のクラスにもどし、整然と卒業式に参加できるようにという目標を立て、教頭と学年の教師、生徒指導主任から二人が常時はりつきました。
 授業をする担任のそばでにらみをきかせ、子どもたちの行動や態度を厳しく指導し続けました。二か月の集中的な対応で、学級はひとまず整然となり、なんとか格好がつくようになりました。
 しかし、子どもたちが担任にぶつける不満が強まりました。張り付きの教師がいなくなる給食の時間など、反抗がエスカレートしました。
 結局、子どもたちが学校にいる間は、二人の教師が必ず担任に張り付くという形で卒業式を迎えました。
 私の友人の教師も学級が荒れ、担任して始めての経験だと言って苦しんでいました。私が見聞したところ、学級の崩壊の程度は「なれあい型の中期」くらいでした。
 学級のルールが崩れ、教師の指示がいきわたらず、教師に反抗したりして教師に対する信頼が低下していました。
 友人の教師が子どもたちとの絆の種を必死にまき、育てていたので、完全な学級崩壊にはならないと私は確信しました。
 担任と子どもたちの関係がうまくいかないと、とかく担任は子どもたちと距離をとりたくなるものです。
 しかし、友人の教師は、こんがらがった子どもたちとの関係の中で、自らかかわり一つ一つ対応していました。
 私が学級を見学していた時、廊下に出ていた男の子に「担任の先生はどうですか?」と聞くと
「細かいところまでいちいち注意したり、考えさせられたりと面倒くさいけど、俺たちのことを心配してくれているんだよな」
とポツリと言いました。
 管理職も同僚教師も、教師のそういう姿勢に打たれ、できるかぎり援助したいと言っていました。
 教師と子どもたちとの心のつながりを、つらいからといって教師が切らないこと、それが完全な学級崩壊を食い止める最後の砦だと私は思います。
 学級崩壊の当事者の教師はとてもつらい。周りの教職員は話を聞いてあげたり、がんばりを認めてあげることで、教師と子どもたちとの間の心の絆を育てる意欲を失わないように支えたいものです。
 学級崩壊にいたったら、教師は子どもたちが起こす事件と被害を食い止めるだけで精一杯です。
 崩壊した学級の子どもが言いました。
「勉強が遅れていることはわかっているよ。でもあのクラスにみんなでいると、自然とああいうふうになっちゃうんだ」と。
 学級集団のマイナス回転を止め、プラス方向に回転させるためには、よほど効果的な対応を持続させなければなりません。
 だからこそ、学級が「少し変だな」と感じたら、すぐに具体的な対応を施し、子どもたちとの絆を保ち、子どもたちの学習権と人権を保障すことが必要なのです。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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