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挫折した不良少年が、なぜ教師となり、ヤンキー先生と呼ばれるようになったのか、その生き方とは

 僕は立派な先生ではありません。少年時代、僕は哀しい不良少年でした。自分の弱さから目をそらし、誰にも心を開かない少年でした。
 僕が生まれてすぐに両親が離婚。すぐに父親が再婚するも、物心ついた時から孤独を感じ「反抗」という形でしか自らを表現することができなくなっていきました。
 中学生になると髪を染め、酒にタバコ、更にバイクを乗り回し喧嘩を売る毎日。強く見せたかった。高校進学後も孤独を紛らわせるために、暴れに暴れ、気づけば一年生で番長に。手のつけられない悪ガキでした。
 そして16歳の時、事件を起こし当然のように、高校から追放され、生まれ育った家からも追われ、里子にだされました。
 全てを一瞬に失った僕は、何もできない、何も知らない「子ども」だったんだということを心の底から思い知らされました。
 僕の何が間違っていたのか、これからどうやって生きていけばいいのか、里親さんに与えてもらった部屋に1年間、膝を抱かえながら、引きこもり、孤独の中で考え続けました。
 今までの生活から抜け出したい一心で、やり直そう、もう一度学校に行こう。本当の友だちを作ろう、大嫌いだった先生と、改めて心を開いて向き合おうと決心しました。
 
「やり直しを賭けようとする者の過去は問わない」という記事が新聞に掲載されているのを見て、高校中退生や不登校を受け入れる、北海道の北星学園余市高校の門を叩きました。
 先生たちは一生懸命だった。下宿の人も、あたたかく、地域の人たちもみな優しかった。
 僕が問題を起こしたとき、担任の安達先生は、満面の笑みで、あなたは「宝物だから」と指導された。初めて心から温もりを感じたのです。僕は変わり、先生や友と向き合うようになった。
 高校を卒業し、大学に進学して弁護士になろうとひたすら法律を勉強しました。しかし、司法試験を直前に控えて、バイク事故を起こしてしまった。内臓を激しく損傷し、意識不明の重体なった。
 事故の一報を聞いた安達先生は病院に駆けつけ、意識が朦朧としている僕に、涙しながら「死んではダメ、あなたは私の夢だから」と、何度も何度も伝えてくれた。
 あの瞬間、苦しんできた全てが肯定された気がした。この事実だけあれば俺は生きていけるって。何としてでもこの温もりに執着したいって思いました。
 救われた命だから、世の中に傷つき涙している子どもたちがたくさんいる。これからはその子どもたちに寄り添いながら生きていこうと。安達先生の歩いてきた教育の道を歩いていこう、教師になろうと思った。
 大学を卒業して北海道の大手進学塾に就職。塾の講師として、教育の場に飛び込みました。そして教師として母校に帰りました。
 多くの編入生を受け入れていた余市高校は心に大きな傷を負った生徒が多く、赴任早々から問題は山済みでした。かつての自分がそうだったように一筋縄ではいかない相手に対し、とにかく全力で向き合ったのです。
 昔の僕のような生徒たちに、大切なことを教えてあげるために、そして、なによりも、あの日、心に宿した「ありがとう」を思いだけでなく、行動で伝えたかったからです。
 いわゆる普通ではない教師としての歩みがテレビ局の方の目にとまり、2003年「ヤンキー母校に帰る」というドキュメント番組が全国放送され、連続ドラマ化や映画化されました。
 ヤンキー先生と呼ばれるようになり日本中から注目されました。たくさんの著書も出版し、講演もしました。横浜市の教育委員や、国の教育再生会議の室長も務め、国会議員にもなりました。
 でも、私はあの頃と何も変わっていません。変わってしまったなら、その瞬間、昔のようにさみしい人間に戻ってしまうことを誰よりも知っているからです。
 挫折を知らない大人が唱える「きれいごと」ではなく、本当に暗く、悲しい少年時代を乗り越えてきたからこそ伝えられる、祈りにも似た、子どもたちへの思い、
「『あなたは、僕の夢です』共に歩いていこう」
 この時代のど真ん中で、泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、後悔したりしながら、私はただ、あの日みた夢の続きを、子どもたちと一緒に、追いながら生きていこうと思っているだけです。
(
義家弘介: 1971年長野県生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、塾講師、母校の教師となり活躍し2005年に退職する。横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる)

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