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子どもを大事にし、子どもから学ぼう

(1) 子どもはつまずきの天才 
・子どもはつまずきの天才である。
・3と3は5だとつまずく子は、その子なりの理屈、論理が必ずある。
・「子どもの論理」を知らないでは、私たちの仕事は実を結ばない。
・3と3は6だということを、感動をもって分からせる授業をしようと思ったら、3と3は5だとつまずく子を大切にすることだ。
・授業は「つまずいている子」の目玉が光ってくるようなものでないと、「つまずいていない子」にとってもたいくつなものだ。
(2)
子どものために学校がある
・川は岸のために流れているのではない。川のために岸ができているのである。子どもは学校のために来ているのではない。子どものために学校があるのである。
・子どものために「学校」があり、子どものために「教師」があり、子どものために「教育」がある。
・「いくらまわされても、針は天極をさす」、私の天極は子どもです。
・そういう中で信じることのできるものは、子どもだけだった。
・子どもは日本の未来である。
 
「民主々義」や「近代の精神」に子ども達を奉仕させるのではない。子ども達の幸せのために、すぐれた思想を奉仕させるのだ。
・「この子さえいてくれなければ……」と考えたこともある子どもを「この子がいてくれるおかげで……」と位置づけたときから教育は始まる。
・子どもの中に、ボス退治などと言って退治しなければならないような子どもはいません。
・学校の名前なんかちっともあがらなくてもいいんです。子どもが「あの学校に学んでよかった」と言ってくれるような学校をいっしょうけんめい築いていきましょう。
・国語研究の学校とかの看板をあげる必要はすこしもありません。強いてあげるなら、子どもを大事にしているという看板をあげましょう。
(3)
子どもから学ぼう、子どもの感動に学ぼう。
・子どもの胸の中の「ドキドキ」をキャッチする心を持とう。
・かわいい者たちのいじらしい程の善意を見てやろう。
・「子どもこそは、大人の父ぞ」(ワーズワース )
・幼い子どものことばに耳を傾けよう。そこには、私たちの心の帰着点である心のふるさとがある。 していることで子どもはものを言っている。
・私たちは「ことば」に頼り過ぎていないか。「体でものを言う」「生き方でものを言う」というのが、ほんとうの「ことば」であろう。
・Aちゃんは、ものは言わない。しかし、その動作の一つ一つは美しいことばだ。
・暴力も、あれは子どものことばだ。
・大人の目から見ると、困ったことばかりしている子どもでも、なぜそういうことをせずにおれないかという、そのわけを伝えたがっているのだ。
・「非行少年」というのは、ほんとうにわかってくれる人にめぐりあえないで迷っている「不幸少年」といえる。
(4)
子どもも生かされている
・私は教師になってからも、なかなか子どもという奴はかわいい奴だと思えませんでした。「かわいい」と「憎い」のどちらに近いかというと「憎い」方に近い、そういう私でした。
  
一番適切なことばは何だろうかと考えてみると「ずいぶんやっかいな奴だ」ということになるような気がしたものです。
・子どもが「やっかいだ」というのは、子どもが生きているからである。生きているからこちらの思うようにはなってくれないのであって、それはたいへん結構なことであるとわからせてもらったのはずっと後のことでした。
・生きているものは、みんな伸びたがっているし、花をつけたがっているし、実を結びたがっているとわからせてもらったのは、またその後のことでした。
・そして、生きているのではなくてどうやら生かされているようだぞ、と分からせてもらったのはさらに後のことでした。
 どす黒い、いやな荷物を、子どものくせにすでにいくつもいくつも背負っているけれども、それなりに光を求め、うるおいを求め、安らぎを求めずにはおれないように生かされているようだぞと分からせてもらったのです。
・生きているものは、光っている。
 どの子も子どもは星。みんなそれぞれが、それぞれの光をいただいてまばたきしている。
・子どもといういのちの袋の中には、いろんな宝物が入っている。その宝物は、子ども自身さえ知らずにいる。
・意味というものは、こちらが読み取るものだ。ねうちというものは、こちらが発見するものだ。すばらしいものの中にいても、意味が読みとれず、ねうちが発見できないなら、瓦礫の中にいるようなものだ。
・人間にくずはない。人生にむだはない。
・子どもは抵抗をほしがっている 
 反抗してみて、子どもは大きさに目覚める。
・子どもの中でも、早く引き抜いてしまわなければいけない「雑草」の方が、私たちが育てようとしている「作物」よりも、相当力が旺盛だ。
・子どもを大切にするということは、子どものわがままや衝動をのさばらせることではありません。本来の生き生きしたものを客観性のあるものにしてやること。
・個の尊厳を守るということと、「エゴイズム」を許容することとは違う。
・志が確立して、体力も能力も光を放ちはじめる。
・志を立てるということは、生活現実に密着した決断である。それは、生き方、何を目ざしてどのように生きるかという「現実との取り組み方」が問題となる。
・志を立てるのに大きな教育力になるのは、親や教師の現実への取り組み方、生き方である。
・中学校などの成績は、頭のよしあしの違いや、体力の違いなどよりも「志」のあるなしが基本である。
・「ぼくの十年先を見ていてください。」ということにならないと、人間はほんとうの人間になれない。
・志が確立して、体力も能力もその本来の光を放ちはじめる。
・志があいまいなものである間は、その人間に転換を与えるものにはならない。
・甘い夢は、毎日の生活現実まで変えていく力にならない。
 そればかりか、ちやほやされるスターになるとか、みんなからさわがれる歌手になりたいとかの夢は、具体的な生活現実をよけいつまらないものとして見るようにさえなる。
・教育という仕事は、子どもを自分の脚で歩けるようにしてやることだ。
(
東井義雄:19121991年 兵庫県生まれ 小中学校長、ペスタロッチ賞を受賞、地域の生活を取り上げる生活綴り方教育の代表的な実践家)

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