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2018年2月に作成された記事

子どもが「反抗期だな」と感じたら、親はどうすればいいのでしょうか

 お子さんの反抗期、苦労していますか。わが子に「クソババァ」と言われて真剣に落ち込んでいませんか。
 子どもはこの時期、恐れと不安の中にいますから、ちょっとしたことでピリピリします。
「ウザイ」とか「うるせえ」とか「死ね」とか、この時期の子どもたちが言う言葉は普通です。別におかしなことでも、怖いことでも、不安に思う必要もありません。
 反抗期は、さらりと受け流すのがいちばんです。
 ひどい言い方をされたら、ユーモアと笑いで切り返しましょう。「じゃまや」と言われたら「あーら、失礼しました」と、どけばいいだけのことです。
 
「クソババァ」と言われたら「反抗期なんてこんなもの」と心で叫んで「なんですか、クソガキさん」とサラリと流せばいいのです。それができない場合、泥沼化する確率が高くなります。
 反抗期の背景を理解するだけで、イライラも腹立たしさも、少しは収まるというものです。
 思春期における反抗期は、子どもの心と身体が急激に変化することによって起こります。変化は危険です。
 彼らには「自立」のときが迫っています。けれど、親との決別は容易なことではありません。子どもは、これまでは、親を受け入れていればよかった。
 身体と心は急激に成長し「早く自立しろ」とあせらせます。短期間に親を断ち切るためには「いい子だった自分」を親にあきらめさせることが必要になります。それが、ひどい言葉や反抗的な態度になって現われます。
 親が「よし来た反抗期。そういう時期なのね」と安定感をもって受け止めることができれば、子どもの反抗はさほどエスカレートしません。
 子どもの反抗を上手にクリアできる親は「大人心」を持っている人です。
 大人の心を持つ人とは
(1)
物事を多方面から考えることのできる人
(2)
思いどおりにならない現実を受けとめ「他人(わが子も含む)は、自分の力で変えられない」と実感できた人
(3)
「事情があって、こういう行動に出ているのだ」と、考えられるようになった人
 思うようにならないわが子を受けとめきれず、自己中心的で、怒鳴り続けている親は「子ども心」のままでしょう。
 
わが子が反抗期を迎えたとき、大人心を持っている親は、子どもの反抗を受けとめられるのです。
 子どもが「反抗期だな」と感じたら、親はどうすればいいのでしょうか。
(1)
過剰に反応しない
 子どもの反抗的な態度や、きつい口調などに対して、過剰に反応しないことです。
 怒ってむりやり謝らせたり、腫れ物に触るようにビクビクしたりはしないこと。
(2)
子どもを「殿様」扱いにしない
 「お願いだから勉強して」「テストで何番になったら、ゲームを買ってあげる」というように、親が頼み込んで、子どもに何かしてもらうという姿勢は見せないほうがいい。
 家庭で「殿様」になってしまいます。
(3)
大人として成長させる
 反抗期が始まったら「自立した大人になってもらおう」という姿勢でかかわってほしいと思います。たとえば、手伝ってもらったら、丁寧な言葉で感謝するようにします。
 親子だから「かたづけなさい」なんて、命令調が当たり前だと思わないこと。「これやってください」と頼みましょう。
(4)
まず親が変わる
 子どもを変えようと思ったら、まずは親自身の言葉や対応を変えることから始めてください。
 反抗期のわが子を変えたいと思うなら、わが子を「よその国から、お預かりした留学生」として扱ってみるといい。「バハア」と言われても、異文化ですから仕方がない。
 あきらめて、通ずる言葉を使ってコミュニケーションをとるのです。ほとんどの問題は解決します。
 子どもに「こういう態度をとってほしい」と思うなら、親がそのような態度をとってください。親が変わるまで、子どもは変わりませんよ。
(5)
子どもが危ないことに巻き込まれそうなとき
 子どもが危ない方向に進もうとしている場合は、ここは親が覚悟してブレーキをかけたり、条件を付けたり、交渉したり、ということは必要な時期だと思います。
 思春期に入ったら、そういうこともあるかもしれないという覚悟はあったほうはいいと思います。
 そういう局面では、親としての絶対軸を示していいと思います。
 取り返しがつかないことについては、起こりうる危険なことは何かを考えて、そっち方向に行きそうだったら、ストップをかける。あるいは膝を突き合わせて親子で話し合うのも大事なことだと思います。
(
菅野 純:早稲田大学教授。専門は発達心理学)
(
菅原ますみ:1958年東京生まれ、お茶ノ水女子大学教授。専門は発達心理学)
(菅原裕子:ハートフルコミュニケーション代表)

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子どもが素直になる、私のやり方とは

 子どもは、自分が愛されていると感じると、素直に言うことを聞いてくれるものです。愛されていると感じるのはどのようなときでしょうか。
 たとえば、間違ったりミスしたとき、そっと助けてくれたり、励ましてくれたりしたときに「愛されている」と感じませんか。「先生がついている、大丈夫」と言って、わかるように教えてあげましょう。
 子どもが困っているときには、さっと、そっと、フォローしてあげましょう。そうしているうちに、子どもは素直に言うことを聞いてくれるようになるものです。
 すぐに、結果は求めなくていいのです。いつか誠意は伝わります。指導技術はいつか身につきます。
 若い教師はワザがなくて当然です。でも、自分はその子に何ができるだろう、という気持ちがあれば、子どもに共感したり、よりそったりすることが、だんだん具体的にできるようになっていきます。
 たとえば、子どもが転んだとき、気持ちさえあれば、子どもを見ていて、その子に手を貸したほうがいいのか、今は自分で立たせたほうがその子にとっていいのか、見えてくるようになるし、とっさの反応もできるようになっていきます。
 子どもたち一人ひとりに、自分は何ができるか考えましょう。それが、結果的に、クラスが素直に変わっていくことにつながっていきます。
(1)
あたりまえのことこそ、ほめよう
 「できてあたりまえ」という考え方を変えよう。発想を変えると、教師の見方が劇的に変わります。
 たとえば、子どもたちが作文を書いたとき、ほめることがむつかしい作文でも「書いたことをほめる」「題をつけたことをほめる」「名前を書き忘れなかったことをほめる」など、子どものやることすべて、ほめることろがあります。
(2)
子どものよいところだけを見る
 よいところが1%しかない、子どももいます。子どもたちのほんのわずかなよさを見つけることが大切です。
 あとは、見て見ぬふりをして、育ってくるまで、ほうっておきます。育ってくると、子ども自身で弱点を克服するからです。
 子どもは欠点を指摘されると「うるさいなー」「わかっているよ」「しつこいな」と、反発や落ち込みを招くなど、いいことはほとんどありません。
 しかし、子どもの1%でも、よいところを見つけてもらい、ほめられると、
「そうかな」「先生、ほめてくれる」
と、子どもが少しずつ変わっていき、心を開くようになります。
 心を開かないと、その先の指導には進めません。
 一番変わるのは教師自身です。「こんないいところがあったんだ」と気づくようになります。
 教師がいつもニコニコするようになりますから、子どもは安心します。「先生が変わった」と、教師の努力を感じるのです。
 できない子はいない。子どもができるように、ステップを細かくしてあげてください。細かなステップを必要とする子がいるだけだ。その子に合わせて「次の一手」を打ってみよう。 
(3)
子どもの心のコップを愛で満たそう
 「いくらやっても、子どもがかわらない」それは、心のコップが愛で満たされていないからです。
 愛された経験がないので、拒否するのです。教師の愛が本当かどうかを何度も試します。子どもの否定的な反応は、すべて「お試し」なのです。 
 
「この先生は違う」と子どもが思うようになるまで、ひたすら、愛を注いでください。
 子どもの心のコップを愛で満たしてください。愛が満ちると、うそのように問題がなくなります。
(4)
問題が起きたときが、チャンス
 クラスでは、いろいろな問題が起こります。「またか」「子どもが悪い」と相手のせいにしている限り、状況は変わらないと思います。
 ピンチはチャンスです。問題はステップアップのためにくるのです。私は毎日、鏡を見ながら3年間、言い続けました。
 
「困ったときが、チャンス」と、自分を思い込ませることが大切なんですね。
 
「困った!」と思ったときが、成長のチャンスです。「できていない」ということは、ものすごく伸びしろがある証拠。逆転の発想でピンチをチャンスに変えよう。
(
杉渕鉄良:1959年東京生まれ、東京都の小学校教師。「教育の鉄人」と呼ばれる実践家、子どもを伸ばす為に命をかける熱血教師。ユニット授業研究会代表。その実践スタイルは全国の教師、保護者から支持を受ける。2003年夏、日経スペシャル「ガイアの夜明け」に出演。PHP「VOICE」や、経済誌「プレジデント」での教育シリーズに取り上げられ、各方面からの注目も高い。ユニット授業、10マス計算、表現読み、指名なし発言など、子どもの可能性を引き出すため、さまざまな工夫を凝らした教育実践を行っている)

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保護者を教師の味方につけるための原則とは何でしょうか

 保護者を味方にしたいなら「子どもを変えること」が一番である。わが子が変わることこそが一番の近道だ。だが、子どもを変えることは、簡単なことではないが、努力すれば道は開けると思う。
 しかし、教師の保護者へのアプローチも大事だ。その原則は
(1)
子どもをほめる
 どの教育書を読んでも、教育の極意は「ほめる」ことである。
 授業のうまい教師は、例外なく、ほめるのがじょうずだ。
 子どもはほめられることによって、自信をつけ、能力を引き出され、成長していく。
 自分の子どもがほめられたら、保護者はうれしい。たくさんほめられたら、もっとうれしい。保護者は「うちの子は、先生によく観てもらっている」と思う。
(2)
授業の腕をあげる
 保護者が学校に期待していることの一番は、間違いなく「うちの子を、勉強できるようにしてくれる」ことだ。
 学校生活のほとんどが授業だ。子どもたち全員が授業をわかり、できるようになったら、どんなに子どもたちは喜ぶだろう。保護者も幸せだ。
 保護者が教師を教えることのプロとして認めたとき、保護者は確実に教師の味方だ。
 今まで、国語や算数などの教科で低い点数しか取れなかった子に、高得点を取らせたら、保護者は心から教師に感謝するだろう。
(3)
保護者に共感する
 どんなに授業がうまい教師でも、やはり、保護者に共感する態度が必要だ。若い教師にとって難しいことだろうと思うが。
 教師も保護者も願いはひとつだ。「子どもの健やかな成長を願う」ことに変わりはない。
 保護者の話に謙虚に耳を傾け、どんなことでもすべてを聞き入れるとよい。
「そうですね」
「その通りですね」
「そう思います」
と。すると保護者は先生は味方なんだと、考えるようになるのである。
(4)
保護者にこまめに連絡をとる
 
「筆まめ」は、保護者の共感を呼ぶ。今日、子どものよかったことを保護者に知らせる。できるようになったことを知らせる。
 そのことで、親子の会話ができる。わが子をほめることができるのである。
 書く時間がなかったときは電話をする。よかったことの電話は短時間で大きな効果がある。
 けがをしたとき、速やかに連絡するのはあたりまえであるが、その後の経過を伺うのに電話を活用するとよい。
(4)
魅力のある保護者会を行う
 子どもとのかかわり合いは、授業参観で理解してもらっている。
 保護者会は、大人と大人の会話。人間性が充分に発揮される場となる。
 周到な準備をして、確実に味方につけたい。「この先生なら協力しよう」と思わせるのだ。
 そのためには、工夫のある保護者会が必要だ。たとえば、学校での子どもたちの様子がよくわかる、ゲームがある、模擬授業がある、来て得をしたと思わせるためになる話がある、など。
(
鈴木恭子:神奈川県公立小学校教師)

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担任とつながりにくいグループや子どもがいるとき、どのように人間関係を築いていけばよいのでしょうか

 担任に何かと反抗的な態度や後ろ向きな姿勢を見せる子は「困った子やなぁ」と、思っていませんか。
 教師から見て「困った子」は、実はさまざまな「困っている」ことを抱かえている子どもです。
 家庭内で問題を抱かえているかもしれません。友だちや学習のことで悩みを持っているのかもしれません。
 子どもは誰しも「認めてほしい」「わかってほしい」という気持ちを持っています。
 一見、その逆のような問題行動をとるのは「わかってほしい」という合図かもしれないし「この先生は味方か敵か」ということを見ているのだともいえます。
 したがって「つながりにくい」子どもとの関係づくりには、まず「先生はあなたの味方だよ」というメッセージを発信することが求められます。
 そのためには「つながりにくい」子どもと「素でいられる関係」を求めながら、逆の言動をとる背景をしっかり見極めるということが大切です。決して表に表れた言動だけで「○○な子ども」だと判断しないことです。
 こうした行動をとる子どもの多くは自分に自信がなかったり、自分を好きになれないのです。でも「注目されたい」という気持ちが、問題行動をとらせているのだとも言えます。
 人間関係づくりには「いいところ」を見つけることが欠かせません。とりわけ「つながりにくい」子どもたちに対しては、その子の「いいところ」を見つけることが重要になります。
 それまでの「やっかいな子やなぁ」という見方を捨て「いいところを見つけよう」という気持ちで見つめ直せば、必ず「いいところ」は見いだせます。
 見つかったら、その子との人間関係づくりは半分以上、うまくいっているといっても過言ではありません。
 
「後ろ向きな発言」「反動的な言動」の多い子には、何でもない時に雑談をたくさんすることが大切です。
 話す言葉がみつからない時でも、目で「きみのことを気にかけているよ」というシグナルは送ることはできます。目を合わせ微笑むことです。目線をはずしても、気にせずそれを続けることが大切です。
 そして、言葉かけやアイコンタクトができるようになれば、なにげなく「いいところ」をほめるのです。
「すごいなァ」「頑張ってるやん」「期待してるよ」など、認めていることが伝われば、しだいに子どもたちも変わり、人間関係も変わっていくはずです。
 学級の中には、女子のグループなど、いくつかのグループがあると思います。グループの存在が学級づくりに困難をもたらすこともあります。
 グループに属して、学級での「居場所」を求めているのです。その多くが腰かけ的なグループです。
 かりそめなグループだからこそ「一体感」を示すために、グループ内の誰かが、教師とうまくいかなくなるとグループ全体で教師に反抗して見せるのです。
 他のグループの悪口を言い合うのも「一体感」を維持しようとするからです。
 グループの存在は学級づくりをさまたげるとネガティブに考えてしまうことがあります。グループを解散させてやろうとすると、余計に団結させてしまうことになりかねません。
 むしろ「グループはできて当然」だと考えることが大切です。
 担任とうまくつながれていないグループがあったとしても、グループを解散させようとしたり、グループを分断しようとしたりすることはつつしむべきです。
 むしろ、グループの存在はそのままにして、そのメンバーの一人ひとりと、しっかりつながることが、学級づくりにつなげる道だと言えます。
「あのグループ」というように扱うのではなく、その一人ひとりの声に耳を傾け、悩みを聞き、相談にのるということこそが肝心です。
(
磯野雅治:1947年京都市生まれ、大阪府公立中学校教師。2008年定年退職。学級づくり交流センターるるる塾を主宰) 

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生徒に反発されて授業が荒れないようにするには、どうすればよいか

 授業の荒れの原因は何か。多くのことが考えられるが、最大の要因は「へたな授業」にある。授業がへただから、生徒は騒がしくなる、立ち歩く、寝る。
 授業のへたな教師は、叱り方もへただから、反発される。その結果、授業が荒れる。
 授業に信頼と尊厳を取り戻すためには、授業の腕をあげるしかない。
(1)
生徒に反発されないためには
 生徒が反発すると、教科書を読まない。ノートに書かない。私語をする。教師のあげ足をとる。
 生徒に反発されないためには、授業の腕を上げるしかない。
 生徒全員ができるように授業を組み立て、生徒全員に成功体験を味わわせると、生徒は反発しないはずである。
 生徒の反発は「授業がわからない」「授業が楽しくない」というサインである。それを真摯に受けとめ、修業をし、授業の腕を少しずつでも上げていくほか道はない。
 授業で生徒からの信頼と尊厳を得ると、反発されなくなる。
 そのためには、授業の実践情報をインターネット等で入手して追試をする。サークルやセミナーに参加する。授業を見てもらって授業力のある人に批評をしてもらう。続ければ、確実に授業の腕が上がる。
(2)
生徒の反発を見逃さず、早めに闘う
 新年度初めの、黄金の3日間で、教師が学級の統率者であることを示す。
 たとえば「うっとい」と言った生徒がいたとする。それを聞き逃してはならない。聞き逃すと教室で言ってもよい言葉になる。
「○○くん、立ちなさい」「もう一度、言ってごらんなさい」
「そんな言葉を授業中に使うのは間違っています。クラスの雰囲気を悪くします」 
「クラスのみなさんに謝りなさい」
 大きな声で叱ると、ヒステリックになっていると生徒が感じて、教師に冷たい視線を送る。声のトーンを落として、冷静に闘うのである。
 その生徒を叱るというより、その生徒の行動を叱るのである。そうすると、生徒も素直に悪いと思えるのである。
(3)
学習をせざるを得ない状況に追い込む
 教科書を一斉に音読させるときがある。声を出して読まない生徒がいる場合、全員が指示に従わざるを得ない状況に追い込む。
 列ごとに読ませると、声が出ているかはすぐわかる。「読んでない人がいます。もう一度」と指示するとよい。
 教師の指示が短く、発音が明確であり、リズムとテンポがある授業をすれば、生徒はイライラしなくなる。授業が安定すれば、生徒の気持ちも安定する。
 この教師の指示に従えば、勉強ができるようになれるし、ほめられる。そういう教師には生徒は指示に素直に従う、笑顔が増える、行動がすばやくなる。
 生徒は、力がついたという実感によって、教師への信頼と尊厳が得られるのである。
(4)
笑顔を絶やさず生徒を包み込み、やる気にさせ、叱るときはきっぱりと
 荒れた学級に向かう足取りは、実に重苦しい。生徒の前で不安げで暗い表情をする教師がいる。
 そんな表情をしていては、生徒も「この先生、本当に大丈夫かなあ」「何か頼りにならないなぁ」と思わずにはいられないだろう。
 どんな状況であっても「常に笑顔でいる」ことが一番である。
 表情は笑顔でも、その場その場で、いろいろな表情を使いわける。私は生徒に「あなたの言っていることはおかしいよ」と思ったときには、よく、目をパチパチさせる。すると、生徒も私がパチパチしている間に、自分の言ったことを考え直す。
 生徒一人ひとりと目を合わせるアイコンタクトも大事だ。目を合わせ、先生に微笑まれたら、荒れようがない。生徒だって、やりがいが生まれる。
 子どもの目をよく見つめると、聞いているか、分かっているか、明確に分かる。ほめたい子にはうなずいたり、よくない行動をしている子をにらんだりする。
 だが、生徒がだれかを言葉で傷つけたりした時は、すかさず「短く、きっぱりと叱る」のである。生徒は悪いことは頭の中では、わかっているものである。
(5)
荒れているクラスほど、すぐに授業を始める
 荒れたクラスでの授業は正直きつい。授業開始のチャイムがなっても、着席しない生徒、おしゃべりに夢中になっている生徒、教科書を出そうとしない生徒などがいる。
 そのような状況であっても、私はいちいち注意をしたり、説教したりはしない。
 授業の始めから注意ばかり与えていては、教室の空気が悪くなってしまう。だから、私はどんな状況でも、授業を始めてしまう。
 クラスの中には、まじめに勉強したいと思っている生徒は必ずいる。荒れていれば、淡々と授業を進めていくのがいい。
 
「授業をするために、先生はこのクラスに来ているのだ」という姿勢を生徒に示していくのである。
(
月安裕美:大阪府公立中学校教師、西邑裕子:新潟県公立中学校教師、我妻佳代:宮城県公立中学校教師我妻佳代:宮城県公立中学校教師)

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感情がたかぶっている相手を落ち着かせるには、どうすればよいか

 感情がたかぶっている相手を落ち着かせるコツは、「落ち着かせようとしないこと」が一番です。
 本能的に「急いで、鎮めなきゃ」と考え「落ち着いて」というのは逆効果です。
 相手の感情を否定し、抑えつけるのではなく、まずは認めてあげましよう。
 怒っているのであれば「怒るのも、無理ないよね」と、その感情を承認する。
 そうやって、あせらず、ゆっくり時間をかけて落ち着くのを待つほうが、効率がよいのです。
 大切なのは、常に自分は冷静であること。一緒に感情に流されては、相手を救ってあげることはできません。
 たとえば、相手を怒らせてしまった場合
 できれば、まずは謝ることが一番です。
 自分に明らかに非がないときには
「そんなに怒らせちゃって、ごめん」
「嫌な思いをさせて、ごめんね」
と、相手の状態に対して謝罪を述べましょう。そして、
「どうしてそんなに怒っているのか、聞かせてくれる?」
「詳しく教えてくれる」
と、言い分を聞いてあげることが重要です。
 どうして嫌な気分になったのか、迷惑をこうむったか、そういったことを存分に吐き出すと、人は落ち着きます。
 怒りや不満をぶつけられたときの聞きかたで重要なのは「うなずき」です。
 相手のリズムに合わせることが大切です。
 相手が激しく怒っているときには、激しくうなずき、深刻に怒っていれば、うなずきは深く、ゆっくりとするのです。
 うなずきのリズムに合わせることで、気持ちがわかったという合図になります。
 人は、相手に感情を受け入れてもらえると落ち着くのです。
 ほとんどの場合、怒っている人は、ただ発散したいだけですから、まじめに受けとめすぎると、自分が疲弊してしまうので「そうなんだ」「へえー」と、上手に相づちをうって流しましょう。
 吐き出した後であれば「実は、こういう事情があってね」とか「聞いてもらえると、うれしいんだけど」と、こちらの言い分も聞いてもらいやすくなります。
 先に言い分けから入ってしまったり、「私は悪くない」と開き直ってしまうと、何の解決もしません。
 最初は我慢して、長期的視野にたって良好な関係を築くことをめざしましょう。
(
伊東 明:1969年東京都生まれ、心理学者。ビジネス心理学など、企業研修や執筆活動で活躍)


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こだわりの強い子は、どのように支援すればよいのでしようか

 日常生活に支障が出るほどのこだわり行動をする子がいる。
こだわり行動のみに注目し「やっちゃダメだよ」と無理やり封じ込めようとしても、よけいに強いこだわりになったり、他の形で出るようになったりすることがある。
 
「禁止」することよりも、まずは、なぜそんな行動をしなくてはならないのか、その意味や意図を「理解」することから始めたい。こだわり行動の果している役割があるはずだから。
 こだわり行動を理解するには、どのような条件、状況、環境において出るのか、子どもを観察する必要がある。
 こだわりは、その子にとって「信念」「価値」「プライド」「人生を支えているもの」の場合もあるので、大事にしたい。
 こだわる理由や苦しさを理解し
「これをすると、すっきりして気持ちがいいんだね」
「安心するんだよね」
と声をかけて、その子の満足感をわかってあげるだけでも、悪化を防ぐことにつながる。
 効果的な支援をあげると
(1)
こだわり行動ができる時間と場所を保障する
 自閉症の小学六年生の子は「下品な言葉」にこだわりがあり、みんなが嫌がる表情をすればするほど、喜々として言い続けていた。
 そこで、通級での活動メニューの中に「下品な言葉タイム」を設定し
「今から思う存分、下品な言葉を言っていいよ」
と、聴くようにしていると
「何か、言う気持ちがなくなった」
と言うのをやめたのである。
 保障されたことで、執着がなくなったようだ。
(2)
見通しを持たせたり、練習したりする
 急な変更にどう対処してよいかわからず、パニックになる子もいる。
 よく変更があるのは水泳の授業であるが、晴れていても水温が低い場合は、プールに入れないこともある。
 そこで、未然に混乱を避けるために、水温計を示して「この水温より高かったらプール、低かったら体育館」と、ルールを明確にした。  
 伝えたいことは、写真や絵など、視覚的なものを提示するとわかりやすい。
(3)
こだわりを生かしたり、活用したりする
 ゲームやアニメが好きな子は、登場人物の名前を漢字で書く練習をしたり、主人公が登場する問題を作って解いたりした。
 一つのことにこだわれる、ということは、強みにもなり得て、その道の第一人者として活躍できる可能性も秘めている。
(4)
別の行動や物に替える(代替え)
 代替え行動は、本人にとって魅力的である必要がある。そうでなければ、また元の行動に戻ってしまう可能性が高い。
 その子の好きな他の行動に切り替えることも効果的である。
(5)
「○○でなければダメ」を「○○でも大丈夫」という言葉に変える
 こだわりの強い子は「○○でなければダメ」という思考パターンであることが多い。
 それを「○○できたらいいなぁ」「○○でも大丈夫」「まぁ、いいか」という言葉に変えていくだけでも、少し楽になれる。
 頑なに一つの方法にこだわっている子には、変化していくことは成長であるという価値観も教えてあげたい。
「自分でコントロールできるって大人だね」と声をかけていくのも、効果的である。
 大好きな人の言葉、信頼している人の言葉は、すっと入るものである。
 うまくいかなくても「失敗は成功のもとだよね」「失敗体験も役に立ったよね」と声をかけてあげたい。
 そうすることで、安心して新しいことにもチャレンジしていけるようになっていくのである。
 やはり、一番大切なのは「理解者」と、「安心して生活できる環境」なんだろうな、と私は感じている。
 これからも、子どもたちにとっての安心できる人、場所であり続けたい。
(
森 亜矢子:静岡県総合教育センター指導主事)

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大正自由主義教育と綴り方教育とは、どのようなものであったのでしょうか

 大正デモクラシーにより、明治時代の画一的で注入主義の授業に対する批判から、教育方法の改革をさまざまな形で試みられるようになった。
 大正新教育運動は、欧米諸国の人材育成を目的とした教育改革の影響を受けていた。たとえば、子どもの自発性を重視するデューイの児童中心主義などに象徴される新教育運動の影響である。
 日本の教師は、これらを背景にした新教育運動のもとで、子どもの自発性を尊重しようとする自由主義的な教育実践を展開することになった。
 大正新教育運動は、子どもの主体性などの思想を教育実践に組み込もうとしたものであった。
 第一次世界大戦を経て、日本の経済が発展し経済的に安定した中間市民層が創出されて、大正新教育を支えることになった。
 私立学校が相次いで設立された。1917(大正6年)の成城小学校の発足を皮切りに、羽仁もと子の自由学園、明星学園、池袋児童の村小学校などが設立され、教師は様々な実践を展開したのである。
 大正新教育のもうひとつの特徴は、師範学校の附属小学校を中心として、その実践が展開したことである。
 たとえば、明石女子師範附属小学校主事であった及川平治は、経験主義の立場から、児童の生活経験を基盤として自律的な活動である「分団式教授法」で、知識や技能を身につけさせようとした。
 奈良女子高等師範学校附属小学校における木下竹次の「生活即学習」という考えに基づく「合科学習」、千葉師範付属小学校の手塚岸衛の自由教育などの実践が展開された。
 しかし、これらの自由主義的教育運動は、その後、日本が軍国主義へと傾斜していくなかで衰退してゆかざるをえなかった。
 これを象徴する事件が川井訓導事件である。
 松本女子師範附属小学校の訓導であった川井が、修身科の授業改革に取り組み、副読本の文学作品を用いて実践していた時、視学官に国定教科書を使用していないことをとがめられ、休職処分にまで追い込まれたのである。
 彼は、国の教育方針に背くつもりはまったくなく、教育方法の改良を図ろうとしたのにすぎなかったが、教育における国家主義を脅かすものとみなされたのである。
 大正自由主義教育運動は、明治時代に日本に移入されたヘルベルトの5段階教授法に見られる形式主義を批判するものとして、大きな意味をもつものであった。
 しかし、国家主義により教育目的の自由な議論が封じられて、教授方法に限られ、方法主義的にならざるを得なかったのである。
 昭和初期の1920年後半から30年代初頭は、たびかさなる経済恐慌の影響を受けて国民生活は窮迫した状況となった。
 この時期の教育運動として特筆すべきは、生活綴方(せいかつ つづりかた)教育である。
 生活綴方とは、子どもたち自身に、生活上の出来事や、それに関わる思考や感情を作文に素直に綴らせるのである。
 その作品をみんなで検討する作文指導を通じて、生活現実のリアルな認識や文章表現力、自己意識や仲間との連帯感、主体性などを育てることをめざす教育方法である。
 その担い手となったのは、農村部の若い教師たちで、貧困という窮迫した生活を生きる子どもたちを、作文教育を通じて生活指導を進めていったのである。
「綴方生活」や「北方教育」などの雑誌は教師たちの交流の場となった。
 生活綴方の運動は1920年末から30年代に各地で展開されたが、特に東北地方で盛んに行われた。
 しかし、生活綴方の運動は、子どもたちに悲惨な生活の現実を直視させることで反政府的な思想を育てるものとして警戒され、1940年以降、治安維持法により綴方教師は検挙されていった。
 戦後、1951年の無着成恭編「山びこ学校」の刊行などを契機として運動が復興し、その実践は新たな展開をみせながら現在も継続されている。
(
櫻井 歓:1972年生まれ、日本大学准教授。専門は教育学、哲学・倫理学)
(
岩本俊一:法政大学非常勤講師)

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学校の外部からの苦情やクレームにどう対応すればよいか

 教師は生徒とのやりとりでも疲れるが、学校の近隣など、外部からの苦情やクレームがあったときも、その対応に精神的に消耗する。たとえば、
「おたくの生徒が商店街を横に広がって歩いている」
「今、おたくの生徒が、ウチが経営している駐車場にはいってボール遊びをしている。車に傷がついたら校長が弁償してくれるのか」
「おまえの学校の生徒が、自転車でオレの車の前を横切った。急ブレーキをかけたから事故にはならなかったが、おまえの学校はどういう指導をしているんだ」等々 
 学校により差があるが、こういう電話が毎日のようにかかってくる学校も少なくない。
 こういう電話の主は、ほとんどの場合、名前を名乗らない。また、その場で直接、生徒に注意しようとする気持ちもないようである。
 だから学校に電話をかけてくるのである。にもかかわらず、学校に対しては非常に高圧的である。
 こうした電話がかかってきた場合の対応としては、まず
(1)
自分の名前を名乗る
(2)
相手の名前を聞く
(3)
場所や状況について細かく質問する
(4)
「今すぐに、そちらに伺いたい」
と言うのがよいと思う。
 要するに、事件として冷静に対応すればよいのである。
 相手の感情や迫力に押され、事実確認もしないまま、名前もわからない人間に対し電話口で平身低頭するのは下の下である。
 学校に文句が言いたいがため、クレームをつけたいがために電話してくる人がいないとも限らないからである。
 たとえば、数年前こんなことがあった。男性が執拗にクレームの電話をかけてきた。
 内容は、自分の住むアパートの階段に生徒が座り込み、パンなどを食べたうえ、物を散らかすので困るといったことなどである。
 名前も名乗らないし、場所もハッキリとは言わない。ただ、話の内容から大体の場所が推定できたので、私は空き時間を利用し、そのあたりを歩きまわってみた。
 数日後、またクレームの電話がかかってきた。私は住宅地図を手にしながら、こう聞いた。
「最近、三丁目を中心に巡回していますが、あなたがお住まいのアパートというのは、○○アパートではありませんか」
 相手は一瞬、言いよどんで「違います」と言った。
 しかし、私はズバリだと確信した。
 さらに「今、そこに生徒が来ていますか?」と聞くと、今はいないという。
 そこで、私は
「学校も巡回を強化していますが、もし生徒がご迷惑をおかけすることがあったら、あなたのほうからも、一言注意していただけませんか」
「それでも聞かないようでしたら、学校に電話してください。もちろん110番されても結構です」
 この男性からのクレームは、そのあとピタリと止んだ。
(
永野恒雄:元東京都公立高校教師。東京都高等学校教育法研究会事務局長。日本教育法学会理事、ことわざ学会理事。明治大学兼任講師)

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教師の心が健康であるためには、ストレスにどう対処すればよいのでしょうか

 教師が心の健康を害してしまうと、その教師の挫折という個人的な問題ではすみません。ただちに、学校現場に混乱が生じ、子どもの学習に支障をきたします。
 教師の心が健康であるためには、学校現場はどのように対応していくべきなのでしょうか。
 教師一人ひとりがストレスを抱かえこまないように、同僚教師の相互支援が必要です。また、管理職主導で、教師の健康管理に留意することが重要です。
 なかでも、異動したばかりの教師に対して、こうした対応がとりわけ重要です。問題になるのが前任校と赴任校の違いです。子どもの指導の困難さや指導方針の相違に戸惑います。
 それに、職場内での新しい人間関係のありようがストレス要因になることが多い。
 異動したばかりで、管理職や同僚教師との人間関係も成立していないと、相談も十分にできず、孤立感を味わうことになります。
 とくにベテラン教師が異動すると、指導困難な学級の担任を依頼されることが少なくありません。
 教職経験が豊富であるがゆえに、うまくいかない状況になると挫折感は深刻で自信をなくしてしまうこともあります。
 教師自身が心の変調を防ぎ、ストレスをコントロールにはどうすればよいのでしょうか。
 ストレス状況になった場合、多くの人は、逃げようとします。困難から逃げると、かえて事態の悪化を招くことがあります。
 ストレスは達成感や満足感を得るために欠かせないものです。したがって、まずストレスに気づき、向きあってみることです。つまり、ストレスに「直面」することが大切なのです。
 たとえば、苦手な同僚教師がいたとしたら、どういう点が苦手なのか、どうして身構えてしまうのか、自問自答してみます。
 自分のおかれたストレスを自覚し、積極的に直面していくうちに、ストレスに耐える力は強化されていきます。打たれ強くなり、不安や変調を自分で癒す技術が備わってくるわけです。
 ストレスに向き合う試みをじっくり進めていけば、より困難なストレスに立ち向かえるようになります。
「自分は、こういうストレスに弱い。以前はこうやって乗り越えたから、今度もそうしてみよう」といった取り組みが自然にできるようになれば、もう安心です。
 教師一人ひとりが心の健康の重要性を認識し、日常的にストレスコントロールを実践していくことが重要なポイントといえるでしょう。
 それと、人間関係上のトラブルをつくりださないような、風通しのいい職場環境にしなければなりません。それを主導するのは管理職です。養護教諭は支援的な役割を果すことが期待されています。
 こうした体制のなかで、教師一人ひとりが気軽に相談し合える雰囲気づくりをしていくことが大切です。
 相手を思いやり、共感を大切にする姿勢をみんながもてるかどうかで、職場で教師が心の健康が保てるかどうかの成否が左右されるといっても過言ではありません。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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モンスターペアレントの問題はどうすれば解決できると思いますか、その解決法とは

 モンスターペアレントの問題の解決策とはなんでしょうか。2008年に保育士にアンケート調査しました。解決法を自由に書いてもらった結果を次に示します。
(1)
保育園依存型の保護者
○園全体で話し合い、できること、できないことをはっきりとさせ、対応を統一する。
(2)
心に病を持つ保護者
○パーソナリティ障がいの疑いがあると思われる人には、話を聞くだけ聞いて保護者をスッキリさせ、話の内容は気にせず、受け流す。
○心理の専門職の職員に相談したり、直接、間に入ってもらったり、チームで保護者の心のケアをする。
○あきらめるしかないように思う。
(3)
保護者を受容し共感する
○結局、人間関係なので、前向きに取り組んでいく。
○寄り添って心を通わす努力をしてみる。しかし、限界もある。職場の支えがあるかが一番のキーポイントと思われる。わかってくれる仲間がいると心強い。
○今の親は、まず自分を見て欲しい、ほめてほしい、認めてほしいという親が多い。「この先生は、私のことを見てくれている」と感じれば、話を聞いてくれるのではないか。
○日頃から親とのコミュニケーションを密にし、傾聴、共感を心がけ、信頼関係を積みあげていく。 
○なんでも親の要望を受け入れるのではなく、子どもにとってどうなのか、子どもにとって最善の利益を共に考えていく。
○常識で考えられないようなことを言ってくる親の場合は。心の奥にある問題を解決しないと難しいと思います。ただし、相手の気持ちや思いを受けとめることが第一段階では必要なことだと思います。
(4)
保護者をケアする
○親自身の育ちに問題がある場合もあるので、子どもの成長を一緒に喜び、親を支援しながら、子育ての喜びが味わえるようにしていく。
○親のがんばっている姿を認めながら、親の気持ちを受け止め、言うべきこと、大切なことはキッパリと言って伝えていく。
○親もさまざまなストレスを抱かえ、発散しきれずにいる。親の会(飲み会も含む)を提案すると、親同士も急に生き生きと相談しはじめ、親の会も実現し、交流を持てたようだ。親の孤立感が減り、相談できる人間関係ができたのはよかったように思う。 
○親の話を聞き、子どもの成長過程をわかるように伝えていく。
 学校現場も、ぜひ、この保育の「育てる」感性と呼吸を学びたいものです。
(
尾木直樹:1947年生まれ、教育評論家。高校・中学校教師22年間を経て退職し臨床教育研究所「虹」を設立。早稲田大学客員教授、法政大学教授などを経て、法政大学特任教授)

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学級崩壊の危機を、子どもの力と子どもへの信頼を信じて乗り越えた

 荒れている六年生を担任しました。全校朝会に並らびません。校長先生の話に駆け回る子どもがいました。学校のきまりもあちこちで破りました。
 教師が注意すると「うるせぇんだよ」「死ね」「消えろ」と、多くの教師が子どもたちの言動に傷つき苦しみました。
 授業も大変でした。最初は専科の先生から「とにかく見に来てください」というので図工室に行きました。一人は床に寝ころび、二人が床に座り込みおしゃべりしていました。
 男子たちは作品を分解したり壊したりしていたのです。物を作るという楽しい作業にさえ子どもたちは反応しないのです。
 私は、危機をはらむクラスを、叱ることなく、子どもたちが楽しいという授業を続けていましたが、授業妨害や物を粗末にあつかう姿に注意せざるをえませんでした。
 二学期になってから中学受験する四人の子どもたちが、授業に集中できなくなりました。マンガを読み始めたり、消しゴムを削り続けたりしました。
 声をかけると「もう俺をほっといてくれ、これ以上近づくとキレるよ」と、心を閉ざし、近づいてくるものを寄せつけません。ストレスに耐えきれず人格が崩れてしまったかのような姿でした。
 しかし、私は彼らを無視せず声をかけ、常にクラスの仲間に位置づけながら、辛抱強く再生を待ちました。
 攻撃的でルールを無視する子どもたちを前に、私ができることは何だろうかと考えました。指導の基本をどこに置き、何ができるかと。
 私は、子どもたちが自分や仲間や人間への信頼を取り戻すことが何よりも大切だと考えました。
 そして、子ども自身の力を励まし、その力に依拠して実践を進めることが困難を切り開く力になるのではないかと。
 子どもたちは「教師の善意が、自分たちを傷つけ、不快感を与える」と、らえているところがある。そうであるなら、その不信を取り払ってあげたいと思いました。
 恫喝で子どもたちを羊の群れのように支配することが根本的な解決にはならないという思いが私にはありました。
 共感、対話、納得を中心として、子どもたちに対する要求を持ちつつ、ねばり強く、子どもたちと向い合おうと考えました。
 実際の日々は、揺れ、悩み、傷つき、立ち往生するばかりの毎日でした。
 しかし、困難の中ではありましたが、信頼や希望につながる流れを子どもたちの中に育て、励まし続けたので、学級崩壊の最悪の事態は避けることができました。
 子どもたちは、私の前で荒れる姿を見せる一方で、子どもたちの発言がクラスの中でいきいきと位置づく国語や社会などの授業は集中し「授業が楽しい」と言ってくれました。
 絵本や本の読み聞かせもしました。「さんまいのおふだ」の絵本を読んであげると、じっと耳を傾け、静かに話を聞いてくれました。
 ゲームや遊びも取り入れました。笑い声がはじけました。
 子どもたちの、やさしさと人間らしさ、子どもらしい輝きを信頼し続けることに「荒れた子どもたち」と共に生きる基盤をおきました。
 何度も裏切られるような「荒れ」は続きました。それでも私は、根本的なところで、彼らを受け入れ、子どもたちの変革を信じました。
 だれかが寄り添わずには、希望へと歩みだせないのです。しかし、人権を傷つける言動は否定しなければなりません。
 要求して「待つ」という私のやり方をクラスの女の子が支持してくれていました。
 しかし、スクールカウンセラーから
「女の子たちが相談にきました。担任は、男子を大切にするのに、女子の気持ちをわかってくれないと話していました」
という内容の電話がありました。
 私はクラスの女の子の声を聞きました。クラスでサッカーの試合をしたとき、終わった後で、女子の靴に石灰を男子に入れられて嫌だったし、解決されていないと話しました。担任の私にしっかりと受けとめてもらいたかったのです。
 学級会でこのことを話し合うことは、大きな危機をはらんでいました。男子が暴発する可能性がありました。キレて収拾がつかなくなることは明らかでした。
 しかし、私は腹を決めました。「状況を明らかにしよう。この問題を乗り越えない限り学級の前進はない」と。
 子どもたちの声を書いてもらうことから始めました。「学級が少しでもよくなるために、今、思っていること、解決してほしいことを率直に書いてほしい」と子どもたちに言いました。
 すると「これは俺たちをはめるものだ。こんなのやってられないよ」と三人の男子が叫び用紙を捨てました。
 翌日、子どもたちの書いたすべての声をプリントにして配りました。サッカー事件のことが書いてありました。
「なんだよ、こんなのいらねいよ」と、男子が叫び、教室が騒然としました。
 私は、混乱の状況の中にあっても恫喝せず、丁寧に彼らの声に耳を傾け、学級全体の問題として子どもたちに返し続けました。
 子どもたちは次第に落ち着きを取り戻し、問題の解決に向かって少しずつ話し合いを続けていきました。
 男子が靴に石灰を入れたのは、サッカーでの女子の行動を怒ってのことでした。
男子「おまえたちは逃げてばかりじゃないか」
女子「だって、勝手にキーパーにされ、ボールが怖かったの」
A子さんが
「私たちも、ちゃんとやらなかったこと謝ります。でも男子も靴に石灰を入れたことを謝ってほしいです」
と、スクッと立って言いました。その潔い姿にみんなは心をうたれました。
「ゴメンョ! おれ、謝ります」
と、それに応えるようにB男が立ち上がりキッパリと言いました。C男もD男も。
「拍手!」と私は言いました。
 みんな笑いながらパチパチと拍手しました。
 子どもたちの力を信じ、話し合ってよかったな、と深く思いました。
 学級はその後も、さまざまな危機に遭遇し、揺れながら卒業式へと向かっていきました。
 今を生きる教師は、子どもたちの危機や困難と向かい合うことなくして、本当の教育はできないのだと思います。
 今の子どもたちが心に抱く危機への教師の共感がとても大切であること。同時に、それにふさわしい、子ども観、教育観、指導観をもった新らたな教師としての出発が求められているのだと思います。
(
山﨑隆夫:1950年静岡県生まれ。元東京都公立小学校教師。学びをつくる会世話人、教育科学研究会常任委員、都留文科大学非常勤講師)

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学級を荒れないようにするために、子どもに合わせて授業スタイルを変える勇気を持とう

 私は、学級崩壊しているクラスに何度もサポートに入りました。学級崩壊しているクラスでは授業は成り立ちません。おしゃべり、立ち歩き、子どもたちはやりたい放題です。
 そんな中、力のあるベテラン教師が指導する音楽の授業にサポートに入ったことがあります。
 このベテランの教師は、子どもたちを低音と高音に分けて、合唱の指導を始めました。低音の子が練習をしている間、高音の子に5分間、聞くだけの時間を与えてしまったので、おしゃべりを始めました。
 このクラスの子どもたちに5分間、聞くだけの時間を与えてしまったら、それこそ「おしゃべりしなさい」「立ち歩きなさい」と言っているようなものです。
 5分を2分にして時間を短くする、高音の子にも何か課題を与える、などの工夫が必要だった。
 しかし、力のあるベテラン教師にとって、自分の築き上げてきた授業スタイルを変えるのは難しいことのようでした。
 教師には「私語」に対する対応に、次の2つのタイプがあると思います。
(1)
子どもたち全員が、教師の話を聞こうとしないと、気がすまない
(2)
子どもたちがおしゃべりをしても、あまり気にならないタイプ
 (1)のタイプの教師が多いと思いますが、神経を図太くして、少しくらい子どもがおしゃべりをしても気にならない教師に変身する必要があるでしょう。
 ある程度、許容していかないと、いまの子どもたちと付き合えない。子どもたちの変化に教師は対応していかざるを得ないのです。
 目の前の子どもたちの変化に合わせて、自分の授業スタイルを変える勇気が必要だと私は思います。
 自分の指導スタイルを変えるには勇気が必要です。しかし、このままでは授業が成り立たないと強い危機感を持つと、変えざるを得なくなります。
 私は、つまらない授業に、無理やり、授業に子どもたちを乗せてしまう方法を、野中伸行氏、上條晴夫氏から多くのことを学びました。
 たとえば、
(1)
授業の最初、教室を勉強する空気にすることが、教師の一番の仕事ということ。
(2)
子どもたちを授業に乗せる一番のコツは、テンポをあげること。テンポさえ良ければ、子どもたちは乗ってきます。
(3)
授業にクラス全員を参加させる。授業に参加しない傍観者を作っては絶対ダメです。
これらの方法をたくさん学びました。
 自分の指導スタイルを変えることは、本当に勇気のいることだと思います。しんどいことだと思います。
 しかし、これができなくては、いまの子どもたち相手に授業は成り立たないのだと思います。
 お互い、大変な時代に教師になってしまいましたね。
 でも、この職業を選んだ以上、がんばるしかありません。お互い、戦っていきましょう!
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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授業がうまくなると保護者からも信頼される、どうすれば授業がうまくなるのでしょうか

 教師の原点と言えば授業です。
 授業のうまい先生は「熱」もあるし「元気」だし「一生懸命」だし、子どもの「生活態度」にも、うるさいものです。
 そして、何よりこのような教師は「子ども理解」がしっかりしています。そうでないと「うまい授業」は決してできないからです。
 授業がうまくなるということは、教師としてあらゆる条件が成長するということです。
 
「いい授業」ができたとき、子どもの反応もいいし、「いい表情」になり、次への意欲もみなぎります。そして、保護者からも信頼されるようになります。
 授業の名人と言われる先生は、本当に多くの研究授業をされています。
 授業の力を伸ばすためには、人にみてもらう「研究授業」を行うことです。この経験が後々に大きく影響してきます。
 この経験をたくさんすればするほど、授業は必ずうまくなっていきます。
 若いときに、どれだけ研究授業をして、どれだけ批評してもらうかによって「授業のうまい先生」になれるかが決まってくると言っても過言ではありません。
 研究授業をする場合、教科が決まり、単元が決まったら、次にするのが授業の構想を立てることです。ここが研究授業で一番重要な点になります。
 まず、自分のクラスで一番気になっている子どもを思い浮かべます。そして、その子が「ああ、おもしろいなあ」と目を輝かせるようにするためにはどうしたらいいかを考えます。
「あの子はこの質問にどう反応するだろう?」「あの子はこの図を理解できるだろうか?」「あの子とこの子との関係はどうなるだろう?」
そんなふうに考えながら授業を組み立てていくことが大切です。
 ときには「この教材はこうだから、こう進めていくのがいい」と、教材研究ばかりに目がいってしまうことがあります。
 また、いろいろな先生がそれぞれの経験を話してくれますが、それをただ真似するだけでは駄目です。
 そのやり方であの子がどう反応するだろうかと考えてこそ、初めて「私のクラスの授業」となります。
 研究授業をする際、一番やっかいなことは、指導案を書くことです。大変な時間を費やされることになります。
 苦労して指導案を書き、研究授業をしても、指導案どおりにはいきません。
 でも、それは無駄ではありません。授業が失敗した理由がわかるからです。
「ここはこう考えていたが、子どもたちの思考はこっちだった。それなら次はこのやり方でやってみたらどうだ」
と、授業の進め方や子どもの気持ちがだんだんとわかるようになっていきます。
 指導案を書いたことによって、授業のイメージが自分のなかにしっかりできていた結果、そのズレに気づくことができるようになっていきます。
 ふだんの授業では見過ごしてしまう意見や行動も、指導案を書くことによって意識づけられていたからこそ、気づくことができるわけです。
 授業のことも、子どものことも、自分自身のことも、頭ではわかっているつもりでも、いざ書こうとしても書けないものです。
 しかし、苦労をしながら指導案を書くことによって、それらが少しずつ整理されていき、そこからいい授業が生み出されていくものです。
 指導案がうまく書けるようになったら、おのずと授業はうまくなっていくはずです。
 指導案の一番大切な部分は趣旨です。「この子どもたちに、こんな教材を使って、こんな指導をしたい」という教師の思いが、次のように、しっかり書かれていることです。
(1)
児童観
 クラスの子どもをどう理解しているかを書きます。注意を個に向けることによって、全体がみえてきます。気になる子の様子を書くことによって「この授業をどうしたいのか」がわかってきます。 
(2)
教材観
 その教材とクラスの子どもがどうかかわることができるのか、を書きます。
 この教材はこんな点で子どもを生かす。だからこの教材を使っている、というのが教材観です。
 クラスのあの子がこの教材を使うことによって、こんな心の揺れが起こるであろう、ということが書かれていることが大切です。
(3)
指導観
 この子どもたちを、この教材で「どう指導するか」を、具体的な手だてを含めて書いていきます。
「気になるあの子」の心をどういう手だてで揺らすのかをはっきり書くことが大切です。
 授業がうまくなるには、とにかくたくさんの授業をみること。授業の名人と言われる人の授業は、何があっても何度も見に行くとよい。
 授業を見に行ったときに何をみるか。どこで子どもの目が輝き、心が揺れたか。子どもの変化や変容に目を向けてください。
 記録しておくのは、指導のなかで子どもの心が揺れたところ。なぜ揺れたかを後で分析します。逆に揺れなかったところを記録し、分析します。
 子どもの心が揺れる授業をした教師に、そのコツを、しつこいぐらいに教えてもらいましょう。そのコツをひそかに盗むことです。
(仲島正教 1956年生まれ 小学校教師を兵庫県で21年間勤務。指導主事を5年間勤務。48歳で退職。2005年より教育サポーターとして、若手教師対象に「授業づくり」や「学級づくり」等のセミナーを開くかたわら、講演活動は全国各地にわたり年間150回を数える。2016年「西宮市教育功労者表彰」を受ける)

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保護者対応を最初に面倒くさがると、後で大変な思いをするようになる

 保護者対応を最初に面倒くさがると、後々、面倒くさい事態に発展してしまうことが多い。
 後で「ものすごく」大変な思いをするぐらいなら、先に「少しだけ」大変な思いをしておいた方が楽だ。私は、このことを経験上、知っている。
 最初の対応を面倒くさがって、後でもっと面倒くさい目にあう同僚教師をたくさん見てきたからである。
 たとえば、保護者から連絡帳で苦情をもらった時、あなたなら、どうするでしょうか。
 私は、連絡帳には書かず、保護者に電話をします。
 電話をすれば、相手の様子がよくわかる。連絡帳では相手の様子がわからない。
 電話をして、怒りを少しでも感じれば、私はすぐに家庭訪問する。その方が、相手に誠意が伝わるからだ。
 家庭訪問をした途端に「先生、わざわざ来てくださらなくても。ありがとうございます」と、怒りが収まるケースさえある。
 相手が思っているよりも、一段上の丁寧な対応をすることが大切なのだ。そうすれば、保護者の怒りも少しは収まる。
 また、顔と顔を見合わせると、相手はなかなか怒りを表現しにくい。電話では怒鳴る保護者も、面と向かっては怒鳴れない人も多い。
 教室で起こったことの責任は、全て担任にある。そう思って、まずは保護者に頭だけは下げておこう。
 保護者に協力を求めることもあるだろう。それならば、最初にすべきは謝罪である。
 学校で起こったことは、とにかく校長に報告しておく必要がある。校長に報告すれば、学校で起こったことは、校長の責任になる。
 私が一番言いたいのは「予防」の大切さである。
 学級崩壊してしまえば、為す術はない。いじめが起これば解決は非常に困難だ。やんちゃ君が反抗すれば指導が入らない。
 そうならないように「先行投資」して「予防」をしておこう。
 面倒くさいと思う気持ちを我慢して、時間と労力を「先に」使って、家庭訪問をしておこう。
 多少のコストはかかるが、後でもっと大きなコストを支払うようになるより、よっぽといい。
 どれだけ大きなコストをかけても、取り返しがつかないような事態になるより、よっぽどいい。
 保護者が教師を信頼していれば、少々のことは問題にならない。
 しかし、不信感を持っていれば、どんなことでも問題になる。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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教室内で器物の破損を見つけたとき、どうすればよいのでしょうか

 昼まで何でもなかった教室の照明のスイッチが、放課後、ひどくへこんでいるのを見つけた場合、どうすればよいのでしょうか。
 器物の破損は子どもがフラストレーションを発散するために行う場合が多い。
 何らかの葛藤を抱かえた子どもがいると考え、
(1)
子どもの理解を深めるきっかけと、とらえる。
(2)
自分と他人との関わりについて考えさせるチャンスである。
(3)
自分の行動に責任を持つことの大切さ。
を学ばせたい。
 次の日、朝の会で照明のスイッチを壊してしまった人は、名乗り出てほしいと呼びかけた。
 壊した本人は名乗りでなかったが、いろんな情報が集まり、スイッチを壊した子どもがわかった。
 休み時間に、その子に声をかけたところ、最初は自分ではないと否定したが、多数の子どもが見ていることを告げると、しぶしぶ認めた。
 二人で話をする場を設けて「どうして、壊してしまったんだい」と理由をたずねた。すると、友だちにバカにされてカッとなってやってしまったようだ。
「壊して、すっきりしたかい?」と、たずねると「別に」と答えた。
「壊れた箇所を修理してくださるのは、いつもきみたちを陰から支えてくださっている用務員さんだね。がっかりするだろうな」
と、話したところ、うなだれていた。
「用務員さんに謝りたい」と申し出たので「教室をあずかる先生からも、おわびをしたいな」と話し、一緒に謝罪に行く約束をした。
 器物破損の指導で、よくない方法は、誰がやったか執拗に調べ「物にあたるなんて最低だ。考えればどうなるかわかるはずだ」などと、一方的に叱ることです。
 壊れたスイッチを見て、多少、後ろめたさを感じている子どもにとって、追い打ちをかけられている気分になり、反省を引きだせない。名乗り出にくい雰囲気にもなる。
 腹いせに、器物破損をする、後先を考えない行動を改善することが重要なのであって、やった子どもを特定することが指導の最終の目的ではない。
(
荻原 啓:札幌市立中学校校長)

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職員室での同僚教師との豊かな人間関係は、心の支えになり、子どもの指導に生きる

 私がまだ20歳代だったころ「職場は仕事をするところ。同僚とおしゃべりをしたり、お茶を飲んでくつろいだりするのは、無駄なことだ」と考えていました。
 だから、放課後は自分の教室でテストのマル付けや環境整備をして過ごしました。
 職員室に帰っても、学級通信を書いたり事務仕事をしたりするなど、無駄な時間を過ごしたという記憶がほとんどありません。
 若い頃に勤務していた学校は、子どもたちが落ち着いていて保護者も学校に理解があったので、それで通用していたのだと思います。
 ところが、その後、転勤して勤めた学校は、子どもや保護者が様々な問題を抱かえている学校でした。
 子どもの指導は思うようにいかないので、自信を失うことも多々ありました。放課後になれば、保護者からのクレームが続きました。
 ある日、私がクレームで来校した保護者と夜遅くまで話し合いをして職員室に帰ってくると、同じ学年の先生方が残って私を待ってくれていたのです。
 先生方は、心配そうに「あの保護者は昔からこうなんだから・・・・・」「子どもは近所で、こんな様子らしいよ」などと、声をかけてくれました。
 私はその瞬間、張りつめていた気持ちがやわかぎ、心配して待っていてくれた同僚たちのあたたかさが心にしみました。
 それまで職場の同僚の先生との人間関係をないがしろにしていた自分の至らなさに涙が止まりませんでした。
 何か問題があった時、同僚の先生のサポートがどれだけ心強く、頼りになるかを思い知らされた一件でした。
 日頃の同僚の先生とのなにげない会話の中にも、子どもや保護者、地域を知る貴重な情報があることに気づくことができたのです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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保護者から、子どもがいじめられていると相談を受けたとき、どうすればよいか

 保護者はわが子からいじめにあっていると打ち明けられると、とても動揺します。
 その根底には、わが子のダメージへの心配と不安、そして、教師の指導力に対する不信感があります。
 まず、保護者の心配や不安を軽減し、教師への信頼を回復させることが必要です。
 最初の段階で、きちんと時間をかけて、ていねいに対応しないと、保護者の不安感と不信感は、学校全体への強い非難につながってしまいます。
1 よくない対応
「保護者の切迫感にそった対応ができない」
 慎重になるあまり、状況の把握の必要性ばかりを強調し、保護者の切迫感への対応をおろそかにしがちです。たとえば
「承知しました。しかし、実態をきちんと確認しないことには、たしかなお答えできかねますので、当事者から話を聞いてみて、また報告させていただきます」
2 保護者の気持ちと反応
(1)
教師への不信感が高まる
 教師が十分に対応してくれないのは、教師が保護者の不安を理解していないからか、わが子へのいじめの事実を隠しているからだと感じ、教師に対する不信感が高まります。
(2)
教師や学校の説明や対応を疑い批判する
 教師の説明を疑うようになり、わが子はいじめの被害者に違いないと確信します。
 いじめの解決を教師や学校に任せておけないと感じ、どんな対応策にも批判的になります。
3 望ましい対応 
(1)
まずは、保護者の話を十分に聞いて、不安をやわらげる
 保護者の話を途中でさえぎらずに、最後までよく聞きます。
(2)
保護者の訴えを整理し、対応策を確認する
 保護者が動揺していて、話にまとまりがない場合があります。
 教師は話を聞きながら、事実と憶測を識別してメモし、保護者の訴えたいことを整理して確認します。
(3)
実態を調査し、確実に対応することを伝える
 確実に対応するためにも、まずは実態をしっかり調査します。
 その後、この問題にどのように取り組んでいくか、学校と保護者が一緒に考え、連携していく。
 今後の対応を共有した後は、具体的に連絡し合う時間や方法を確認します。
4 配慮すべきポイント
 いじめの問題の取り扱いには慎重さを要します。まずは保護者の不安や不信感を軽減させなければなりません。
 教師や学校が子どもを心配し、真剣に取り組もうとしていると保護者が感じられれば、保護者も冷静に話し合うことができ、問題解決の第一歩を踏み出すことができます。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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一筋縄ではいかない生徒とつきあうには、どうすればよいか

 中学生も大物になると教師を教師とも思わない生徒がすくなくない。
 しかし、これが自分のクラスの生徒となると、文句ばかり言っていられない。何よりも担任は彼らの味方という立場にならざるを得ない。
 さて、私は彼らとの付き合いの段階を三つの段階に分けてみている。
(1)
彼らが担任の私と全く会話が成立しない状態
 問題がある生徒は、はなから教師を疑っている。ほとんど信用していない。教師の話を聞かなければならないという前提がない。
 この状態では担任はお手上げである。まず会話が通じるようにするしかない。
 まずやることは、必ず声をかけるということだ。廊下をすれちがうときに、黙って通り過ぎてはいけない。必ず何らかのアクションをかける。
 少しぱかりでも耳を傾けてくれるというのであれば、これは脈がある。
 一ヶ月もアプローチしていると少しずつ関係ができてくるから不思議だ。問題がある生徒も生身の人間なのだと思う。
(2)
本人と担任の関係ができてくれば、時にはこちらのペースで話を進めることができる
 学校は、事務的なことなど、本人の確認や了解を取らねばならないことが少なくない。そのため一対一で話す必要があるのだ。
 彼らの本音を引き出す場合、学校では難しいことが多い。ドロップアウトしたい生徒は学校に対して身構えているのだ。
 私は、頃合いを見つけて放課後、学校の外で話をする。喫茶店やファミレスなどでジュースなどをご馳走する。
 そうすると、威圧的な態度をとっていた生徒が軟化し、対等のようになって本音を引き出せることが多い。
 私も本音をいう。誠意を示さなければならない。そこが一番重要だ。
 他の客がいる手前、彼らは暴れたり大声を出したりはまずしない。そういう場の設定も重要である。
 これは一対一という条件で一度だけ行う。
(3)
学校の秩序の中で行動できる状態
 指導するチャンスだ。時には強気に出ることも可能だ。
 くり返すが、重要なことは彼らとの関係作りである。一筋縄ではいかない生徒の多くは人間不信である。 
 親との不和や、教師や仲間との関係不全が原因となっている。彼らと付き合うときに殺し文句のようなものは役立たないと思う。一つの言葉や方法で解決するということはないのだ。
 むしろ大切なことは、時間はかかるが、彼らとの関係作りである。少しでも話を聞いてやろうと彼らが軟化したりするようにもっていくことが大切なのだと思う。
(
徳永忠雄:1952年生まれ、元千葉県公立中学校教師)

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相手の心を動かす叱り方とは

 「私、打たれ弱いんです」と言う人も多い。優しくしてもらいたいのは、みんな同じ。
 ただ「人間も鉄のように打たれることで強くなることがあるんじゃないか」と、私は、わが身をふり返ってみて思います。
 人と衝突して「自分と違う考えの人がいるのだ」ということを知ったり、逆に「お互いの距離が縮まったり」していくものでしょう。
 どうやら、今の若い人たちは「注意される」とか「叱られる」という経験が少ないようですね。
 親は子どもに嫌われたくないから叱らない。だから、子どもは叱られることへの耐性がなくて、ちょっと厳しいことを言われただけで、すぐにへこんでしまう。
 ほめられると、人は図に乗るというか「自分は絶対だ」と思ってしまうような気がします。自分に心地いいことしかやらなくなって、他人への配慮が欠けた人間になるかもしれない。
 叱ることと、ほめることのバランスが問題なのでしょうね。
 叱られ続けると自信を失ってしまうかもしれない。一方、叱られることによって、自分は正しいと思っていたことが「実はそうではないかも」と気づいたりする。
 叱られると「今に見返してやる!」と発奮するエネルギーが生まれるかもしれません。そう、叱られるのも悪くはないんです。
 昔から「叱られなくなったら、おしまい」とも言いますし、とくに若いうちは「私、打たれ弱いんです」なんて言っていないで、どんどん叱られたほうがいいんじゃないでしょうか。
 叱られたことを、のちのちの笑いのネタにするくらいのつもりで。
 叱られ下手が増えると、「叱り下手」も増えるようですね。
「叱り方がわからない」と頭を抱かえている人がいます。
 そうやって「どのタイミングで、どう言えばいいか。ああでもない、こうでもない・・・・・」と、ぐずくず考えていると結局、要点のはっきりしないことを言うことになって、相手には何も伝わりません。
 私の個人的経験から言うと、叱るときは「要点だけをバシッ」と言って「わかればいいのよ」というふうに、いさぎよく。そして叱った後は、ケロリとしているというのが、効くように思います。
 また、叱るときは、ヒステリックに聞こえないよう、声を低めに、お腹の中から落ち着いた声を出すようにするといいかもしれません。
 相手に「この人が怒るのだから、やはり自分が悪いんだ」「この人に叱られたら、怖い」と思わせる。
 いざとなったら、怖い存在になるということを、相手に知らしめなければ、効果はないでしょうね。
 私自身、叱られるのはやっぱり嫌いですし、人様を叱るなんてことも、うまくできません。
 ただ、こうして改めて考えてみると、叱るのも叱られるのも人生修業のうち。
 叱られるうちが花だし、人を叱ることも自分を成長させてくれるのだと思うのです。
 叱るときの心得としては
(1)
相手のことが大事だと思うなら、叱らなければならないときがある。
(2)
迷惑をこうむった人がいるなら、叱る責任がある。
(3)
今叱っておかないと、取り返しのつかないことになるかもしれないと、思おう。
(4)
感情的にならず、相手の言い分にも耳を傾ける余裕を持つ。
(5)
反感を抱かれては叱り損。相手が納得できる言い方を。
(6)
必要のないことは言わない。
(7)
割り切って「叱る役」に徹してみる。
(
阿川佐知子:1953年東京都生まれ、エッセイスト、小説家、タレント)

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保護者の理不尽なクレームで、指導力のない教師とみなされた

 理不尽なクレームの標的となった教師は実に非力です。自校の管理職に信じてもらえなければ、孤立感・無力感はいっそう高まります。
 保護者の中には「他人から批判されることに慣れておらず、自分の子どもが批判されると、あたかも自分が傷つけられたかのように思って逆ギレしてしまう」保護者がいます。
 つぎのような、心の問題を伴った理不尽なクレームの事例があります。
 教員採用試験に合格したJ教師は、初めて担任を持つことになった。
 毎日、教材研究に熱心に取り組み、学習指導も学級経営も無難にこなしていたので、子どもたちからの評判もよく、連絡帳に保護者から感謝の言葉が並びました。
 しかし、五月に起こった事件をきっかけに、すべての歯車が噛み合わなくなり始めました。
 当初から身勝手な言動が気になっていたK男が、休み時間に同じクラスの女の子に突然、暴力を振るったのです。
 J教師はすぐに制止し、K男を叱りつけました。すると、K男は教室を飛び出し、一目散に走って自宅に帰ってしまった。J教師は教頭に報告すると、K男のあとを追い家に到着しました。
 玄関で母親に事件の報告をすると、途中で話をさえぎり
「小学二年の子どもを怒鳴りつけ、恐怖心を与えたうえ、追いかけ回すなんて教師のすることですか!」「担任が替わるまで、学校にいかせません」
と、一方的にドアを閉めた。
 J教師は学校に戻り教頭に報告すると、教頭は苦り切った表情になり、J教師を校長室に招き入れた。校長は「もう一度、教頭と家庭訪問して謝罪しなさい」と告げました。
 二人で家庭訪問し「お話ししたいことがあります」と申し出ると、母親は「話なんてありません。これから、教育委員会と市の人権相談の窓口にいきます」と、ドア越しに答えました。
 教育委員会の指導主事の説得や校長の謝罪もあって、学校を休ませることはありませんでしたが、J教師は「指導力のない教師」ということで、管理職から指導を受けることになりました。
 母親が教育委員会に訴えたのは、J教師の叱責の仕方でしたが、すぐに指導力への苦情に変わっていきました。クレーム内容の入れ替わりはよくあることです。
 母親は、同じクラスの母親を誘い「授業点検」と称して頻繁に授業を参観するようになりました。参観した日の夜には母親の家に電話をかけさせ、指導批判を1時間もくり返しました。
 母親の次の手は、担任変更の要求でした。授業点検で仲良くなった5人の母親とともに、校長に申し入れ、教育委員会に要望書を提出しました。
 J教師の落ち込みは一段と激しくなりました。幸い、教職員の誰もが励ましの声をかけてくれましたが、母親のエスカレートする要求に管理職の態度は厳しく、授業観察と批評は続けられました。
 それでも、何とか7月を迎えることができました。J教師が一生懸命に努力する姿に、多くの保護者が理解を示すようになってきました。子どもたちの評判も上々でした。
 K男の母親と行動をともにしていた母親も徐々に離れていきました。
 それが、K男の母親に第3弾の攻撃を決意させました。今度は子どもの人権侵害問題です。
 基本的な生活習慣のしつけに対して「強圧的で、子どもの心を傷つけている」と、人権擁護委員会に訴えたのです。この件は、その後、K男の母親の「心の問題」が表面化しました。
 J教師は再び元気に教育活動に取り組むようになりました。しかし、一歩間違えば、J教師の教師としての人生を台無しにするところでした。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師・教育研究所指導主事・中学校長等を経て神田外語大学客員教授)

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私たちが生きている意味、人生の目的はどこにあり、素晴らしい人生をおくるにはどうすればよいのでしょうか

 私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。
 私は「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると思います。
 欲に迷うのが人間のさがです。私たちは財産や地位を欲しがり、快楽に溺れかねない存在です。
 しかし、そういうものは、いくらたくさん溜め込んだとしても、あの世へ持っていくことはできません。この世のことは、いったん清算しなくてはならないのです。
 だから「この世へ何をしにきたのか」と問われたら、私は「生まれたときより、少しでもましな人間になる。わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」と答えます。
 様々な苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながら、息耐絶えるその日まで、うまず、弛まず一生懸命に生きていく。
 その日々を磨き砂として、人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも、少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。
 私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。
 昨日より、ましな今日、今日より、よき明日であろうと、日々誠実に努め続ける。そのたゆまぬ営みにこそ、私たちが生きる目的や価値が存在しているのではないでしょうか。
 生きていくということは、苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏を恨みたくなることもあるでしょう。
 しかし、そのような苦しき人生だからこそ、その苦は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。
 人生における苦労とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。
 試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人。さらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人。
 そういう人こそが、限りある人生を、豊かで実り多いものとし、周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。
 素晴らしい人生を送るためには「心に抱く思いによって人生が決まる」という真理に気づくことが大切です。
 心に善き思いを持ったとき、それは善き力となって出ていく。
 幸福で満ち足りた人生を望むならば、善き思いをベースとして生きなければならない。
 
「そんな思いやりに満ちた心などと言っていて、厳しいこの社会をわたっていけるのか」と、疑問に思われることもあるでしょう。
 そうではありません。善き心こそが、強大なパワーを持っているのです。純粋で気高い思いには、素晴らしいパワーが秘められています。
 
「与えよ、さらば与えられん」と、愛が持つ偉大な力が古今東西で説かれているように、あなたが差し出した愛は、必ずあなたに返ってきて、あなた自身を幸福にしてくれるのです。
 心に抱く「思い」が純粋で善き思いであるように努めて、誰にも負けない努力を重ねれば、人生は必ず豊かで実りの多い、素晴らしいものとなることが約束されているのです。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)

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教師の職員室での人間関係は、どういった様子なのでしょうか

 教師は、お互いを「○○先生」と呼び合う関係上、一般企業ほど、露骨に関係がこじれたりしないのが普通ですが、それでもやはり職員室という小さな部屋の中での人間関係はさまざまです。
 職員室の人間関係もそれなりに複雑ですから、先生たちは同僚に対する不満をだれにでもぶちまけてしまうわけにはいきません。
 でも、本当はいろいろと言いたいことは山積みのようです。温厚に見える先生ほど溜まっているストレスは多いようです。
 子どもたちとの関係がよければいいのですが、子どもたちともうまくいかなかったら、悲劇。逃げ場がなくなり、へたをするとノイローゼになってしまうでしょう。
 中学校から小学校に異動して、保護者があまりにもうるさいことに閉口する教師がいるように、教師の最大の敵はストレスと言って過言ではない。
 教師と管理職との関係も、私立と公立では違ってくる。私立において、管理職は絶対。へたをすればクビを切られてしまうのですから、滅多なことはできません。
 一方で、学校に利益をもたらす能力があれば、学校側も少々のことには目をつぶるという能力重視の一面もあります。
 それに対して、公立の教師はあくまで公務員なので、管理職から嫌われてもクビの心配はありません。
 ですが、出世は別。出世するためには、校長の覚えがよくなければダメ。小学校では1校の教員数は少なく、比較的若くして管理職になるのも可能なので、出世競争も露骨に行われます。
 また、女性の教師が管理職になりやすいという面もあるので、女性の教師も率先して仕事を引き受けます。
 中学校でも、出世する、しないはシビアな問題。管理職になれば、かなり仕事も軽減され、威張れるということもあって、少しでも早く管理職になりたいと思うものだからです。
 ただし、女性の管理職は少なくなるため、女性の教師で出世競争に参加する人は少なくなります。
 最後に高校ですが、学校数が少ないため、管理職になれる人数に限りがあります。管理職になれなくても当たり前、みたいな開き直りがあります。
 教師の宴会はベテランになると、酒が入らないうちに、偉い先生のところには、一気に注ぎに行ってしまうのも常套手段。
 教師というのは、本質的に細かくいろいろなことを覚えているものなので、自分のところに誰が来たのかを、よく覚えているもの。
 そういうことを見越して、先手を打って行動にでるのです。
(
上田 浩:公立高校教師10年を経て、教育ライター)

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騒がしさを教室から追い出すのは至難の技です、どうすればよいか、その対応策とは

 教室が騒がしいと教師が「ダメなものはダメ」と叱るだけでは収まらない。もう少し別の対応策が必要になってきた。
 その一つが「毅然とした態度」です。それは規範を明示して叱る指導法です。この「叱る指導法」は効果があります。
 それは「最低限のルールについて、その善し悪しを明示し、断固として叱る」方法です。
 この方法は少しずつ広がり始めました。
 しかし、この方法には条件がつきます。教師の言葉に説得力があるという限定条件です。
 たとえば、ザワザワしている子どもたちに「静かにしなさい」と何度もくり返しますが「なぜ静かにする必要があるか」を子どもたちが納得できるように説明できる教師は案外少ないのです。
 そういう言葉の力の弱い教師が、いくら「毅然とした態度」で子どもたちを叱っても、逆効果になることが多いのです。
 二つ目は、子どものおしゃべりと対決せず、教室の空気を変えることで解決しようとします。
 たとえば、子どもたちが楽しくなるような「つかみネタ」をぶつけてみる、というようなことです。
 空気を変える方法は、ある種の発想の転換です。
 三つ目は、おしゃべりを利用して授業をしてしまう方法です。
 従来の授業は「おとなしく座って、黙って話を聞く」ことを前提にしていました。騒がしい教室ではこのルールが守れません。それで授業がやりにくくなっているのです。
 これを前提としない新しい授業もあります。
 たとえば「アクティブ・ラーニング」として話題になっている問題解決学習と呼ばれる、学習者の活動を中心とした授業です。
 この授業では、子どもたちの学習の流れを途切れさせないように、授業の冒頭で活動内容をあらかた伝えてしまいます。従来の授業のように教師の指導の言葉で、随時学習をコントロールすることが少ない。
 たとえば、学習遊びを中心にした授業、表現活動を中心とした授業、グループ討論を中心とした授業など、活動中心の授業がそうです。
 騒がしさを教室から追い出すのは至難の技です。少なくとも叱るだけでは、むずかしいのです。
 騒がしさとつき合っていくには、ザワザワしている教室の空気を変えたり、ザワザワしていても、授業ができる授業方法の工夫が必要です。いま、そういうことが必要になってきていると思います。
(上條晴夫:1957年山梨県生まれ、小学校教師(10年)、作家、教育ライターを経て東北福祉大学教授。学習ゲーム研究会代表、お笑い教師同盟代表、実践!作文研究会代表)

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反抗的な子どもの指導に日々悩んだが、クラス全体で指導する方法に切り替えると、よくなっていった

 私も、何度か反抗的な子どもを担任した経験があります。
 反抗的な子どもは、集団のきまりを守らず、友だちに迷惑をかけたり、周りの子どもたちを率いて悪さをしたりと、とにかく問題行動が目立ちました。
 そのつど、反抗的な子どもを指導するのですが、なかなか指導を聞き入れようとはしません。その場をはなれたり「うるさい」「だまれ」と、暴言をはいたりしました。
 指導すればするだけ、反抗的になるので、どのように指導してよいのか悩む日々が続いたものです。
 ところが、こういった子どもをよく観察していると、クラスの友だちが離れていくことに、とても敏感になっていることに気づきました。
 そこで、本人に直接注意するという方法をやめ、クラス全体に指導するという方法に切り替えることにしました。
 例えば、その子が数人の友だちと掃除をさぼっていれば、
「掃除の態度はどうあるべきか」
「なぜ大切なのか」
といったことを、クラス全体で考えさせ、意見を述べさせるといった具合です。
 クラスを正当な方向に導くことで、反抗的な子どもも、それに従わざるを得なくなります。
 また、直接、自分が指導されるわけではないので、素直に受け入れることができるのでしょう。
 徐々に、反抗的な子どもの問題行動は影を潜め、そのうち、私との関係も良好になっていきました。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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