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教師は人好きで、子どもとエンジョイでき、気さくで、打てば響き、覇気がなければならない

 教師の性格に問題があると、よかれと思ってしたことでも、子どもを傷つけ、子どもに恨まれることにしかならない。しかし、当人は気づいていない。
 教師は人に接する職業であるから「人好き」でなくては勤まらない。教師は子ども、保護者、同僚、管理職、地域の人々などとの接触が日常の仕事の大半を占めているから「人嫌い」の教師にとっては教職が苦行になってしまう。
 では、どういう教師が「人好き」の教師なのか。「自分を受け入れている教師」である。
 たとえば、男らしくない自分を嫌悪している教師は、クラスのなよなよした男の子はとかく無視しがちになる。自分を見る思いをするからである。
 もし自分を受け入れているならば、自分と同じような男の子を見ると励ましてやりたくなるものである。
 子どもに接する教師は自分の中の子ども心を許容し、それをエンジョイできるのでなければならない。
 教師は、自分が教師であることをエンジョイしなければならない。
 自分は教師になるべきではなかったとか、自分は教師にしか向かない人間であるとか、こういう自己否定的な態度では、子どもを受け入れ、子どもとともに人生を過ごす喜びにならない。
 教師は、きさくでなければならない。子どもたちが気楽に「先生!」と寄って来やすい人柄でなければならない。
 どういう教師がきさくな教師か。人に対して構えが少ない教師である。
 構えるのは、人から攻撃されるのがこわいからである。自分の生地をまるだしにすると、人になめられる不安があるからである。
 つぎのような人たちは構えが強い。笑顔を見せない、冗談が通じない、タテマエしか出てこない、強がりを言う、人の欠点ばかりあげつらう、知らないことを聞かれたとき「知らない」と素直に言えない。
 状況に適した行動をとるという柔軟さを身につけることが「構え」をとる一つの方法である。
 そのためには、幼少期のしつけを自ら打ち破り、自分で自分の行動のあり方を変容させなければならない。この作業を自己分析という。親からの心理的乳離れである。
 教師がきさくになるための第二の方法は「教師」という役割から抜け出してもよい状況のときに抜け出す勇気をもつことである。
 教師という型にはまった人間になって、本当の自分、ユニークな自分、ホンネの自分を出さないで、世の中をわたる癖がいつのまにかついてしまっていることがある。
 あの人はきれいごとしか言わない。タテマエ主義と映る。だから心の触れ合いがもてない。
 しかし、教師は、必要な瞬間にはホンネの自分を打ち出す勇気がなければならない。
 不安があっても危険をおかす勇気をもつ。子どもたちが信用する教師というのは、そういう教師である。
 教師の仕事は、子どもの行動の良し悪しを明らかにし、これを教え導くことにその本筋がある。
 そのためには、枝葉を切り落として、本質に迫る知力と気力が必要である。毅然とした態度が求められるのである。
 打てば響く教師でなければならない。打てば響く教師とはどんな教師か。子どもたちと同じような感情体験をもっている教師である。
 子どもの頃、先生に好かれなかった教師は、教師と折り合いの悪い子の気持ちがよくわかる。
 今まで順調に人生を過ごしてきた教師は、おそまきながら、人並みの世間を知るのがよい。せめて間接体験をたくさん積むとよい。
 つまり、さまざまな人生体験を経てきた人たちと積極的につき合う、今の自分の環境とちがった状況に身を置く、さまざまな問題生徒とじっくりつき合ってその心情を教えてもらう、さまざまな異なる世界の本を読むことである。
 教師は人生をエンジョイすることが望まれる。人生に憎悪があっては人生を楽しめない。結果の良し悪し、成功・不成功を問題にする生き方では人生を楽しむ余裕がない。
 人生を生きるとは、時の流れの瞬間瞬間を味わうことである。瞬間を味わって生きる姿勢が教師にとって大切な資質ではないか。
 教師は覇気、ガッツがあること。
「子どもになめられて授業ができない」など相談にやって来る教師で、スポーツのできる人に出会ったことがない。
 こういう人の特徴は青年らしさがないことである。私は処方箋の一つとして、攻撃性を外向化できるスポーツをすすめている。
 水泳とかのように単独プレイより、剣道とか野球とか、相手に攻撃性をぶっつけるスポーツをすすめることにしている。
 スポーツにおける攻撃性は、憎悪のない攻撃性である。ゆえにスポーツマンの教師であれと、私はいいたいのである。
 人間はやさしさや、愛だけでは生きていけない。そういう母性のほかに父性つまり粉砕精神を必要とする。今日の教師にはこれが欠けているように思う。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長などを歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)

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