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四月から五月の学級づくりはどのようにすればよいか

 四月の学級づくりの仕事は、子ども同士の「つながり(関係)」を心地よいものにすることである。
 小学校高学年の子どもたちと初めて出会う始業式の日、私が必ず一緒に考えてもらうことがある。「クラス」とは何だろうということだ。
「クラスとは何だろう」と、私が子どもたちに問うと
「先生、教室だよ」
「友だちとのつながりのこと?」
と、すぐに元気な答えが返ってくる。私が
「そうだね、クラスって、つながりだね」
クラスって、手でさわれる? 目で見える?」
 こう話していくと、子どもたちは「そんなこと、考えたことないなあ」と、きょとんとした顔をする。
 クラスを「つながり」としてとらえ、つながりを育てていくという視点は担任として欠かせないものである。
 どのような「つながり」というと、教師と子どもの「つながり」を縦糸とし、子どもと子どもの「つながり」を横糸として編み上げる織物のような関係である。
 縦糸と横糸があってクラスという織物ができあがるのです。

 学級崩壊は、クラスの人間関係という織物が編み込まれることなくばらばらの状態になってしまった状態のことだ。
 また、いじめは、クラスの集団としての不健全な人間関係のひずみがいじめという現象としてあらわれていると、とらえたほうがよい。
 いじめられた子が転校しても、第二のいじめられる子が集団のなかでつくりあげられていくことが多い。
 始業式の日の最後に、私はこう話した。
「教室はあるけれど、クラスというのはまだできあがっていない」
「今日から友だち同士のつながりの糸と、先生とみんなのつながりの糸を織り上げて」
「すてきなクラスの織物を、一年間かけて織り上げよう。今日はその第一日目です」
 子どもの「つながり」で、まず意識するのは、子どもたちの言葉づかいの指導です。
 四月の最初に指導しなければ、それ以降は入っていかない。五月の連休明けぐらいに問題が出てきてクラスで話し合っても遅いのである。
 私は、子どもたちに、相手を「呼びつける」のをやめるように話した。担任からも、子ども同士も「呼びつけ」ないようにし、お互い気持ちよく呼び合える名前や、愛称を決めた。
 朝の健康観察でも全員その愛称で呼び、リレー式で健康観察をしたりした。時には全員立ってもらって、友だちに愛称で呼ばれたら、次の子を愛称で呼んで座るということをゲーム的に行ったりする。

「ムカツク」という言葉は、クラスで使わないようにと子どもたちに話した。
 自分にとって不快ときに「ムカツク」と言う言葉は、他者を意識しない自己中心的な言葉であるからだ。
 赤ちゃんは、自分の気分を害するとムカツク。赤ちゃんのような言葉は卒業しようと、子どもたちに話した。
 五月になると、関係づくりの仕事だけを続けていてもクラスは停滞してしまう。それなりに穏やかで楽しいクラスは続くだろうが、それだけでは新しいものは生まれてこない。
 授業を通して子どもたちの関係を高めていかなくてはならない。
 ここでは仲のよい子どもたちの関係を育てるというだけでなく、新たなよさを引き出すために、ときには居心地のよい関係を壊すということも必要になる。
 今までの関係にはなかった、子どもたちのよさを引き出すために、今の子どもたちの関係を否定するという事件をクラスに起こす必要がある。
 一つの事件が起きても、やがてその新しい波紋は日常の関係となっていく。
 その関係を壊して、また違う子どもの「よさや力」を育てる、ということを繰り返して子どもたちの関係を高めていかなければならない。
 こういう仕事は授業を通してしか創りだすことはできない。
 子どもたちの実態をふまえて、教材をどう解釈し、どう授業を組み立てていくのか。まだ学年が始まったばかりで積み上げがあるわけではない。
 それだけに授業では、ねらいをはっきりともち、具体的な手だてを考えなければならない。
(
菊次哲也:埼玉県公立小学校教師)

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