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学校で体験したことからいえる授業力を高める方法とは

 教師は誰でも「少しでもよい授業をしたい」と願っています。
 授業力を向上させるということは、教師力を高めることです。
 授業力を高めるには、教育とは何かという理念を明らかにすることが必要です。
 授業は、どうあるべきかを考えることも大切です。授業の原則を明確にすることです。
 教師は即効性を求めようと、ハウツウものに引かれます。技術や方法から学ぼうとするものです。経験から導き出されたものですから、生かさない手はありません。
 ところが、それらの技術や方法は子どもの状況によって、一様にいかないことが多々あります。
 それに、授業がドラマチックになりにくく、問題場面の対応や子どもたちの把握が十分にできなくなる恐れがあのます。
 私の好きな言葉に「原則を明確に、実践を多様に」というのがあります。
 授業の理論と技術を結びつけることによって、確かな授業観が確立していきます。
 一人の教師の生きざまを知ることにより、授業論が明らかになるのではないかと考えます。
 私は小学生のときに体験をとおして学んだことは、いまも記憶していることが多いように思います。記憶中心の授業には、よい印象がありません。小学校の教育を考えるヒントになると思います。 
 私の教師人生は、社会科をとおして授業と一体でした。いまにして思えば厳しい教師修行、授業研修だったと思います。
 1970年代のわが国は公害が問題になっていました。5年生で三重県の四日市ぜんそくを教材に公害の学習に取り組んだとき、ぜんそくに苦しむ中学生の写真を活用して研究授業をしました。
 そのとき、感受性の強い一人の子どもが写真に共感し泣き続けていました。そのとき、人間の生きる姿を直視させることにより、社会が見えてくるようになるのだなと痛感しました。
 子どもたちにとって、教材は共感的に理解したり、批判的に検討したりしながら、時には楽しみ、悲しみ、憤ります。子どもたちは学びを実感します。
 子どもたちの発言などがはっきりと私の頭に蘇るのは、授業に深い思い入れがあったからだと思います。
 私は授業に当たって教材研究と子どもの理解を深めます。それにもとづいて指導計画を作成し、授業に臨みます。実践の場は、子どもとの真剣勝負です。
 授業は一過性であり、消え去っていきます。私は授業での教師の発言や子どもの発言などを記録するために、録音しました。
 録音したものを何度も聞き返しながら、授業を文字にする作業は容易なことではありません。45分の授業でも7から8時間はかかります。
 録音した授業を聞いていると、いろいろなことに気がつきます。例えば、
(1)
同じことをくどくど何度もしゃべっている。
(2)
子どもたちが理解できないことを言っている。
(3)
子どもたちの思考や関心とは無関係に問いかけたり、資料を提示している。
(4)
取り上げるべき、子どもの発言に気づかずに通り過ぎている。
(5)10
分の作業時間を与えているのに、5分間でストップをかけている。
(6)
せっかちな指導をしている。
これらは、すべて自分の指導の実態です。録音は、すべてをさらけ出してくれます。「自己反省」の連続です。
 授業の記録を分析していると、例えば
(1)
子どもの思考はどのようなときに、ゆさぶられるのか。
(2)
資料の提示の仕方をどのように工夫すると、より効果的になるか。
(3)
子どもの発言をどのように取り上げていくと授業の質が高まっていくか。
など、記録から多くのことを学びます。
 これらのことは、すべて自分の授業力の向上に影響を与えたのではないかと思います。
 授業の記録を取ることによって、授業が見えてきます。分析する目が自らの授業力を高めることにつながるのではないかと思います。
 私が特に目をつけるところは、教師の一つの発問に対して、子どもたちから多様な考えを引き出された部分です。
 教師がたくさんの答えを用意すると、どの子も生かされます。教室に居場所ができます。
 そこに教師のふところの広さと、その学級の子どもたちの発想の豊かさを感じるからです。
 一つの発問に一つの答えしか出されないような授業はあまり感心されません。まして、一つの答えに「同じでーす」と、子どもたちが反応する学級に拒否反応さえもちました。
 授業の中で友だちの意見を聞き、それを評価しながら、自分の意見を述べている子どもにもに注目しました。
 友だちの意見に学びながら、自分の意見を変えること、修正していくことはとても大事なことだと思います。
 学び合うとは、自分と違った考えをまず認め、友だちの優れた考えから学び、つまずいている友だちの支え合いが、展開されることです。
 こうした関わり合いを大切にした人間関係の中から、学び合う心や能力や態度が育っていきます。これは子どもたちの言動や表情に現れます。
 学校参観者が多い学校に勤務したとき、私に突然、授業を参観させてやってくれないかと言われることがたびたびありました。いつ参観者があってもいいようにと、毎日が緊張の日々だったように思います。
 第三者が教室に入ると教室の雰囲気が変わります。授業に緊張感が生まれます。
 教師は無理な質問や無駄な言葉が少なくなります。子どもたちの発言や行動を大事にしようと努力します。
 いたずらに叱ったり怒ったりするなど、子どもの意欲を削ぐような言葉かけはいっさい慎みます。たとえ、子どものつたない発言でも、精一杯生かそうと努力します。
 子どもを生かした授業を展開するようになり、子どもたちが育っていきます。
 教師の授業力を高めるためにも、第三者に授業を公開することです。これが私が実感した体験的な授業力向上論です。
 授業をするとき、私はつねに緊張します。しかし、授業は苦痛なものかと問われれば「そんなことはない」と即答します。
 その学級の子どもたちを知りつくしている教師しか味わうことができない、授業の醍醐味を味わうことができるからです。
 私の発した発問に対して、子どもたちがどれだけ多様な反応を示すかということが一番の楽しみです。子どもたちが私の予想を超えた反応をすることも楽しみでした。
 授業を子どもたちと一緒につくっていることを実感したとき、授業の面白みを感じます。子どもたちが少しずつ授業に参加するようになることも授業の楽しみでした。
(北 俊夫:福井県に生まれ、東京都公立小学校教師、東京都指導主事、文部省初等中等教育局教科調査官等を経て、国士舘大学教授)

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