昭和を代表する教育実践者である斎藤喜博が考えた、教材研究と授業とは
教材研究をよくしていったとき、子どもたちは、よく動くものである。
力のある先生が話をすれば、子どもたちは自然に真剣にきくものである。
子どもたちがうるさくするのは、先生に力がないからであり、先生の教材研究なども足りないからである。
集会の話なども同様である。よい話なら「静かにしなさい」などといわなくても、全員がよく聞くのである。
それを自分の力不足、教材研究の不足と思わないで子どもたちを叱るのはもってのほかのことである。
ある若い女性の先生が「私は教材研究のよくできていないときは自習させる」と言ったことがある。
この先生はいかにも怠け者のようにみえる。けれどもそれはまちがいである。こういう先生はかならず良心的な努力家である。
教材研究がよくできていないのに、できているような顔をして、子どもたちの前に立つ不遜な教師にくらべて、どれだけ良心的な謙虚な真摯な教師であるかわからないのである。
しかも、この態度は自分を尊重し、子どもを尊重し、自分の仕事を尊重する態度である。そういう態度でなくて、どうして教育ができるであろうか。
「先生は、今日はよく調べていません。これから調べますから、皆さんも調べてください。いっしょに調べましょう」
これでよいではないか。こういう態度こそ、真に子どもを教育するのである。
授業は、どんなに教材研究を精密にし、方法プランを正確に立てても、それだけでうまくいくものではない。
教材研究や方法プランをつくることはできる。しかし、それは最後には教師自身の身体から出たものになっており、教師の強い主張になっていなければならない。
授業が展開し、教材や子どもと衝突するにしたがって、教師や子どもの解釈や思考が否定されたり、変革されたり、方法がより必然的な方向に変更されていったりしなければならないものである。
よい授業は、教師が生身の人間としての教材解釈を持ち、方法プランを持っており、それを生身の人間である子どもと授業のなかで激突させ、そのなかで自分の解釈も方法も変更していくような質の授業である。
だから、授業は、生身の人間を感じるようなものであり、授業に迫力があり、授業のなかにつぎつぎと新しい問題が生まれ、それが否定されたり、発展したりしていくものである。いつでも何かを追い求めているような授業になっているものだ。
人間が豊かになるためには、明確になった科学の法則を授業という生身の集団のぶつかり合いのなかで、相互に発見し合い、生きたものにしていく、そういう作業のなかで教師や子どもが豊かになっていくのである。
そのためには、教師はつぎのような順序で、教材と授業を考えてみる必要がある。
(1)教材を解釈するすじみち
教師として、一人の人間として、教材をどのようなすじみちで解釈していくか。
(2)授業を構造化する
その教材の解釈を、どのようにして学級の一人ひとりの子どもとつき合わせ、かみくだいていき、授業を構造的なものにしていくか。
(3)教材を分析する
教材にはかならず授業展開の核とか中心とかになるものがあり、どのようにつかまえていくか。授業はそれを手がかりにして展開していく。
(4)授業展開のなかでの新しい発見
実際の授業展開になると、教材に対する新しい発見をするものである。
授業展開のなかで教材や子どもと衝突することによって新しい発見をしたとき、教師はどのように対処したらよいか。
以上のようなことが、ひととおり行われたとき、すぐれた授業展開は保障されるのだと考えている。
この四つのことを、できるだけ正確に、精密に、法則的にとらえておくことが授業者として心がけておかなければならないことだと考えている。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)
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