« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »

2018年6月に作成された記事

教師が話術をみがき、魅力ある話し方ができるようになるにはどうすればよいか

 教師の声は全員の子どもに聞こえるように、しかも、明瞭で明るいトーンで発せられなくてはならない。これが基本である。ついで、表情や手振り身振りの豊かさも重要で、とくに、笑顔が欠かせない職業である。
 こうした表現力は、意識しないと高まらない。ときどき、自分の話を録音して聞いてみたり、大きな鏡の前で手振り、身振りやいろいろな表情をつくったりして、それらが子どもたちにどのような印象を与えるか分析的に検討してみたい。
 そうした努力なしに、魅力ある話し方はできないだろう。教師の話術をみがくには
1 命令調から勧誘調に
 教師の話術の基礎は、子どもとの対話や会話にあるから、暇さえあれば、子どもたちと雑談して、おしゃべりを楽しむことを勧めたい。
 教師は多忙で、子どもたちと言葉をかわす余裕もなく、とかく命令的・指示的にふるまいがちである。「静にしなさい」「早くやりなさい」・・・・・。
 この命令的・指示的な話し方が、教育現場に習慣化し、子どもに向かって命令や指示はできるが、話し合えない教師を増やしている。
 教師の命令的な話し方は、子どもをいらだたせる。子どもがクラスの友だちにたいしても、同じような口調で接するようになり、攻撃的な人間関係をいっそう強める結果になる。
 そこで、すぐにできることは、指示的・命令的な口調から「勧誘(誘う)」話法に切り替えることである。
 例えば「早くやれ」ではなく「早くやろうな」「早くやろうぜ」「早くやりましょうね」という「誘う」いい方に切り替える。
 こうすると、横並びの関係に立って、子どもたちの自発性にはたらきかける親しみのある表現にかわる。
2 子どもへの注意は楽しく
 子どもに注意するときは、楽しいエピソードにして伝えるようにする。
 例えば、教室のほうきが壊れていたとき、どのように注意すれば徹底するでしょうか。
「掃除用具をていねいに扱うこと。わかったか」と注意する。だが、こんな注意のしかたで徹底するわけはない。楽しい話に仕立てて伝えるのである。わたしが小学生のとき担任の先生がこんな話をしてくれた。
「先生が夜遅く教室の前の廊下を歩いていたら、教室のなかからだれかの泣き声が聞こえる。そっと戸を開けてのぞいてみたら、ほうきが泣いていたんだ」と、こわれたほうきを見せながら、
「見てくれ。このわたしのからだ。頭と胴体がばらばらだ。トホホホ」と泣き真似してから、
「ほうきだって痛がっているんだ。かわいがってやろうな」わたしたちは大笑いしたが、二度と掃除用具を乱暴に扱うことはなかった。こんなたわいもない話でも、子どもとは、おもしろがって聞くものなのである。
3 善意で子どもをとらえる
 いま、なにごとによらず、あくまでも善意を尽くして子どもをとらえることが望まれる。
 例えば、子どもが遅刻したとする。時間を守らない、規則を破る、だらしのない子ども、だととらえると、腹が立って叱りたくなる。
 しかし「熱をおして遅れて学校に来たのではないか」「なにかわけがあって時間には、まにあわなかった。だが、がんばって登校してくれた」とみたらどうだろうか。
 そうすれば、ちょうど長距離走で、一周遅れでゴールする子どもを拍手で迎えるように「よくがんばって学校に来てくれたね」と、ねぎらいの言葉をかけたくなる。
 遅刻した子どもを「規則を破った子ども」とみるか「遅れてまで学校に来てくれた子ども」とみるかのちがいである。
4 かぎりなくやさしく接する
 やさしい態度で子どもに接するようにしたいものである。
 例えば、入院したとき、お医者さんが注射を打ちにやってきた。
「注射ですよ」と医者はつとめて明るい声で告げる。そして注射をうつ前に「ごめんなさいね。痛いですよ」といいながら注射したのには驚いた。
 注射は痛いにきまっているが、患者のためにしているのであって、医師が勝手に好きにやっているのではない。だから、なにも「痛い注射をしてごめんなさいね」と謝ることはないのである。にもかかわらず「ごめんなさいね」といいながら注射をした。
 これが医療現場の患者にたいする接し方である。人間にたいする共感的な、かぎりないやさしさの話法である。ひるがえって教育現場ではどうだろうか。あまりにも権力的ではなかろうか。
 例えば「朝からいやな話で悪いが」と前置きして暗い話をするといった、やさしい気配りがあってもいいのではないだろうか。
5 ありがとうと言う
 教師の中には「子どもは教師のいうことを聞くのはあたりまえだ」と思い上がっている人はいないだろうか。
 教師も、たまには、授業の終わりに「今日はみんな、いっしょうけんめい勉強してくれて、ありがとう」と、いってみたらどうだろうか。
 教師の指導が上手に展開したのは、子どもたちが協力してくれたからだ。ありがたいことだ、こう思える教師になるということである。
 教師の「ありがとう」は、子どもたちに、自分たちは人に感謝される存在なのだということを教え、自尊感情を育てることにも役立つのである。
6 ほめ上手になる
 子どもは「ほめて育てること」だとわかっていても、どうほめたらいいか、むつかしい。
 ほめるというと、なにか気のきいた感動句を用いたりしなくてはならないと思いがちだが、そんなことはない。
(1)
事実を認める
 子どもたちにとって、「事実を認められること」が、ほめられることなのだから、教師は事実を認めてやればいいのである。掃除当番をいっしょうけんめいにやっていたら「いっしょうけんめい働いているな」と笑顔で評価する。
(2)
普通であることをほめる
 もう一つは、「ふつうであることがりっぱなのだ」という観点である。とくに、すぐれていなくとも、ふつうであることをほめるようにしたい。
これがほめ上手のコツである。
7 身体からアプローチする
 子どもの行為はすべて心からでているが、その心は、身体が生みだしたものである。だから、子どもの問題行動にでくわしたら、まず、身体を見て、つぎに心をみるのである。まず「身体の具合が悪いのではないか」とみるようにしたい。
 例えば、掃除をさぼっている子どもがいる。この場合、どうするか。「どこか、身体の具合が悪いのか」と話かける。子どもが「いえ、何でもありません」といったら、「それはよかった。じゃ、掃除をやろうな」と、勧誘形でうながす。
それでもぐずぐずと掃除に身が入らないようだったら、つぎに心をみる。
8 長い話は聞かせる工夫をする
 教師の話はどちらかというと長い。子どもたちは「この先生の話は長い」と思うだけで最初から聞こうとする意欲を失う。
 そこで、話はなるべく短くする。一分間で、一つの概念を説明できるようにする。
あきあきさせない工夫は
(1)
笑いをとること
 笑いはCMタイムと考えればいいだろう。CMタイムのない話は、今の子どもたちを引きつけることはできない。
(2)
簡潔に話せるように、箇条書き話法を用いる
 例えば「これから三つの話をします。その一つは」と箇条書きのように話す語法である。ただし、小学校五年生でも、三か条まで、時間にして三分が限度である。
(3)
一人芝居話法を用いる
 落語家が、長屋の大家さんと熊さんの二役をこなすような、一人芝居話法を用いる。話を具体化する方法でもある。
(4)
具体的に物を提示する
 具体的に物や図を見せながら話す具体物提示話法を用いる。聴覚だけでなく視覚にも訴えて話すということである。
9 聞き上手になる
 教師は、話すことに長けなければならないが、同時に、子どもの話を上手に聞けるようにならなくてはならない。
子どもの話を上手に聞くには、
(1)
感情を聞く
(2)
「くり返しの技法」を用いる
ことである。
 例えば、子どもが教室で騒いでいて、机の角にぶつかって「痛いッ」と座り込んだような場合を想定してみる。
 痛がっている子どもに必要な言葉は、その痛いという感情をやさしく受けとめてくれる存在である。
  そこで「痛いッ」といったのだから「痛いの」とくりかえす。このくり返しは「先生はきみの痛さを受けとめているんだよ」ということを子どもに伝える。やさしさの語法である。
(家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

一人も見捨てられない「学び合いの授業」をするには、どうすればよいか

「学び合い」とは、一人も見捨てられない教育の考え方です。そのために、次の考え方を共有します。
(1)
子どもたちは有能である。
(2)
教師の仕事は目標の設定、評価、環境の整備をおこなう。
(3)
学習は子どもたちに任せる。
(4)
学校は多様な子どもたちと折り合いをつけて学び、目標の達成を経験する場である。
「学び合い」授業は、目標を示して、子どもたちに任せて、評価して、振り返りをします。
 例として、小学校2年生の「学び合い」の授業の展開はつぎのようになります。
(1)
授業の最初に、子どもたちに対して目標(課題、めあて)を示す。
教師「今日の課題は、全員の子どもたちができる〇〇です」
(2)
教師「はい、ぞうぞ」と、子どもたちに活動を任せる。
(3)
教師は子どもたちに任せたら、じゃまはない。すると、子どもたちは一緒に考え出す。
(4)
子どもたちは、あちこちで自由に説明し合う。 
(5)
教師は、残り時間がどのくらいあるのかを子どもたちに知らせる。
教師「あと、3分です。まだ分からないという、お友だちいないかなあ」
 みんなができているかどうかが大切です。
(6)
振り返りをする
 みんなが目標を達成したかどうかを、みんなで確認して、振り返りをする。
「学び合い」は、30年後の未来に生きる子どもたちを一人も見捨てられない共生社会を実現できる人として育てる教育です。
 それは言い換えると教師自身「〇〇しなさい」の文化から「考えなさい」の文化の構築への転換を求めている考え方の教育であるとも言えます。
 それは「子どもたちの有能な力を信じ」て、判断と決定、そして実行を「子どもたちに任せる」という「学び合い」の考え方と、教師自身の「ぶれない考え」と「一貫した本気」に支えられることになります。
 教師が何とかしようと思っている限り、状況はあまり変化しません。
 教師には限界があるので、子どもたちの力を信じて任せてみようと、発想を変えたとたんに、状況は劇的に改善します。それが「学び合い」です。
 学級づくりが基礎となって教科指導が行われるだけに、学級づくりがしっかりしていないことには、なかなか一人も見捨てない教育が花開きません。
 学級の持つ文化がそうでない場合には時間がかかります。
 そのときには「みんなが目標を達成するには、どうしたらよいのだろうか、みんなで話し合ってみよう」という働きかけを繰り返します。
 子どもたち自身による、子どもたちのためのサポートと、みんなができる学びを醸成していくことが必要です。
 学級づくりによって、一人も見捨てられない文化が構築されているクラスですと、爆発的でミラクルな子どもたちが展開されます。
 短期間で効果を期待する場合、異学年の「学び合い」がお薦めです。
(
三崎 隆:1958年新潟県生まれ、信州大学教授。専門は臨床教育学。一人も見捨てない教育の実現をめざしている
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級の荒れが起こるのは、どんなときなのでしょうか

 学級はなぜ荒れるのでしょうか?
 はっきり言って、教師の力量不足が8割くらいでしょうね。多くの場合、いわゆる子どもとの関係づくりの失敗が大きいのです。
 教師と子どもとのつながりができていないのです。なぜ、できないかというと、一つは、教師が子どもに対する武器を持っていないからです。
 子どもたちをひきつけるもの、子どもたちが尊敬できるもの、そういうものが何でもよいから教師にあると、子どもは教師を一目置いて見ます。
 サッカーが上手でも良いし、走るのが速いでも良いし、絵を描くのが得意なのもありです。
 そういうものが一切なしで子どもたちの前に立って、ああしろ、こうしろと命令を繰り返しても、子どもたちにはひびいてきません。
 次に、教師と子どもの間にコミュニケーションがとれないからです。コミュニケーションは、授業中にもあるし、日常のありとあらゆる機会にも存在します。
 この日常的に行われているコミュニケーションのときに、教師はきちんと子どもたちと言葉を交わしていっているでしょうか。
 それができないと、本来、教師が子どもたちのために行っている全ての事が「先生が勝手にやっていること」になってしまうのです。
 学級の荒れが起こるときは、どんなときなのでしょうか。
1 トラブルで教師が子どもを納得させられないとき
 いじめや暴力等の複雑な問題は複数の教師や管理職であたるのが基本です。
 ちょっとした小競り合いやけんかのような場合は、まずは、トラブルがあったときに、子どもの思いをよく聞かねばなりません。一部の子どもの声だけを取り上げて、子どもを叱ると不公平になります。
 複数の子どもたちから話を聞くことで、事実を正確に把握することができます。
 私は、子どもたちからの話を聞いて、A3の大きな紙に描き込んでいきました。全員から一通り聞き終えたところで「付け足すことは?」と尋ねて、確認して事実の把握していました。
 保護者から「なんで、うちの子が叱られたのですか?」というクレームがきたときに説得することができます。
2 教師に笑顔がない
 子どもたちと一緒に笑うって、とても大事なことなんですよ。一緒に笑うと、安心感が生まれやすいのです。
 荒れる学級にしていく教師には、間違いなく笑顔が足りません。
3 子どもたちのガス抜きができない
 教師が子どもたちをぎゅうぎゅうに締め付けて、学級を維持させて、荒れをつくるバターンです。緊張を長い時間続けることには、限界があります。何かの出来事をきっかけに崩壊します。
4 授業が分かりにくい(おもしろくない)
 分かる授業は、どの子どもにとっても楽しく、授業が嫌じゃなくなってくるのです。
 分からない授業は退屈です。そういう授業をしている教師に対して否定的になるのは当然ですよね。
 1日に一教科でも、おもしろいなと感じさせられたら荒れる確率も少しは抑えられるでしょう。
5 子どもを教師の思うようにコントロールしようとする
 子どもに恐怖心を与え、プレッシャーをかけて、子どもをコントロールしていくやり方をする教師がいます。
 子どもは人格を持った人間です。ペットのように厳しさで調教することはできないのです。
6 子どもとのコミュニケーションが成立しない
 全国各地で若手教師の授業を観ていると、子どもたちとコミュニケーションが成立していない状態を見かけます。
 コミュニケーションのある授業とは、子どもたちの反応に応じて
「今のは、どこか分かりにくかったかな?」
「なんだか、みんな困ったような顔をしているね」
とか、問い直す授業です。
 また、一人の子どもの発言に対して
「みんな、Aくんの言ったことを、どう考えるかな」
とクラス全体に返す授業のことです。
 自分勝手なペースで授業を進めている教師がいます。そういうクラスでは、子どもたちは授業が進むにつれて、どんどん学習から離れていきます。子どもたちは教師からも距離をとるようになっていくのです。
7 子ども一人ひとりとのパイプがない
 子どもとは、教師と一人ひとりつながっていくパイプが必要です。パイプとは
(1)
子どもたちと一緒に遊ぶ
 一緒に遊んでいると、子どもたちは素顔を見せてきます。どこか仲間意識が芽生えて、話を聞いてくれることもあるのです。
 教師は遊んでいるとき、公正なお山の大将になれます。
(2)
趣味を共有できる
 子どもと趣味を共有できたら、その子とつながることができます。
(3)
日記でつながる
 日記は子どもたちと個別につながる有効な手立てです。
 学級崩壊状態の五年生の担任が、個々の子どもたちとの日記のやりとりをしていたら、何人かの子どもたちが「わたしは今のままではいやなんです」という声を聞かせてくれました。
 それで、その子たちのために最後まで続けることができました。
 教育は、結局は一人ひとりとの関係の上に成り立ちます。日記は関係づくりの手立てのひとつです。
この7つです。
((
多賀一郎:1955年生まれ、神戸大学附属小学校を経て私立小学校教師。退職後は追手門学院小学校講師、専門は国語教育。在職中に日本私立小学校連盟国語部全国委員長歴任。親塾・教師塾等で保護者・教師教育の手助けをし、全国で講演
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師を攻撃する方法から見た、モンスター・ペアレントのタイプとその対応

 学校現場をかき回し、教師をおびやかし、消耗させていくモンスター・ペアレントは教師を最も悩ませる存在となりました。
 激しい罵声を浴びた教師は心を病みます。その破壊力はまさに怪物そのものです。
 行動面とくにエネルギーの出し方から見たモンスター・ペアレントのタイプとその対応方法は
(1)
突発型
 モンスター・ペアレントが話をしているうちに、怒りがこみ上げてきて爆発し、会話がまったく成り立たなくなるタイプです。
 自分で感情を制御できなくなっていると、教師がいくら論理立てて説明したり、説得しようとしたりしても効果がないので、熱が冷めるのを待つことが優先されます。
(2)
粘着型
 モンスター・ペアレントが執拗に教師と接触を図り、ねちねちと同じ話を繰り返してくるタイプです。
 一度、話を聞いて納得しても、再び不安が襲ってきて、電話をかけてしまうバターンが少なくありません。
 邪険にすることは避けねばなりません。ただし、教師の都合を考えられなくなっているので、対話する時間を区切ったり、同僚教師に対応の協力を頼んだりするなど、教師が自分の仕事やペースを乱されないようにする必要があります。
(3)
怒り放出型
 言いたいこと、怒りたいことをため込み、エネルギーを満タンにしてくるタイプです。
 電話口でいきなり怒鳴り始めたり、突然、乗り込んできて、まくし立てる場合が少なくありません。
 モンスター・ペアレントが最大のパワーの状態では、対話も成り立ちませんから、まずはモンスター・ペアレントのエネルギーを放出させます。
 タイミングを見計らって切り返すことが必要です。
 何時間でも平気で話し続けるモンスター・ペアレントがいますが、必ず息継ぎをする瞬間があります。そのときに、やや強い言葉を発することで、相手の勢いを止められる場合もあります。
(4)
怒り循環型
 怒っているときと、そうでないときが交互にあらわれるタイプです。
 常に怒りをぶつけ続けているわけではなく、ふだんどおりに会話できることもあるので、話を理解してくれているのかなと思ってしまう。
 しかし、怒りのモードになると、すべてを忘れてしまったかのような言動を繰り返すので、受け止める教師側は、エネルギーを消耗してしまいます。
 教師はどの段階で話を締めくくりにするかを見極めながら接する必要があります。
(5)
無言型
 黙ったまま居座り続けたり、対話の途中で困った状況になると何も言わなくなってしまったりするタイプです。
 あまりに長時間にわたって居座り続ける場合は、仕事に支障をきたすことにもなるので、警察など外部の力を借りることになりますが、まずは、相手が反応する言葉を質問によって引き出すことに努めましょう。
 ひとつだけの特色だけが前面に出ているモンスター・ペアレントもいれば、二つ以上のモンスター・ペアレントもいます。こうしたタイプにあてはまらない相手もいます。
 モンスター・ペアレントを決めつけてはいけません。あくまでも、一人ひとりの状態を把握し、冷静に接するための第一段階をクリアできたと考えることが大切です。
(
本間正人:1959年生まれ、ミネソタ州政府貿易局日本室長、松下政経塾研究主担当等を経て京都造形芸術大学教授。学習学協会代表理事、学習学の提唱者)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師の「話す力」とは、どのような力でしょうか、そのポイントとは

 話す力とは、いったいどのような力でしょうか。
 話す力とは「話す内容+声+態度」×「相手への思いやり」です。
1 話す内容
 話の内容は、事前に準備することができます。十分な準備を心がけるだけでも話す力が伸びます。
よい話の条件は
(1)
わかりやすい
(2)
ためになる
(3)
ユーモアがある
(4)
結論が先にきている
(5)
 
話の最初に「番号」や「見出し」をつけて、しっかりと伝わるように整理して話す
ア「第1に、第2に、第3」とポイントを絞って話す(ナンバリング)
 複数のことを伝える時には、冒頭に数字を示すとよい。それによって話の中身を整理することができる。
例えば、
「先生が話すのは3つです。1つめは、~。2つめは、~。3つめは、~。以上3つがポイントです」
 話す数だけでなく、その順番も考えておくといい。また、話す数は3つ程度がよい。
イ 話に見出しをつける(ラベリング)
 話に見出しをつけ、何を話すのかを聞き手の子どもに伝えるのも1つの方法である。
 話に見出しをつけると、話の予告をすることにもなる。例えば、
1つめは、○○○○ということです。(説明)
2つめは、△△△△ということです。(説明)
 こうすることによって、子どもたちは教師が今、何の話をしているかがわかり、安心して聞くことができるようになる。
2 声
 声の大きさだけの問題ではありません。同じ内容の話でも、ボソボソと話すのと、ハキハキ話すのとでは、伝わり方が全く違います。
 声の高さは、無理なく出せる高さがいいでしょう。ふだん話している声の高さがいい高さです。
 母音(あ・い・う・え・お)の発音に気をつけながら壁に向かって声を出します。例えば「アー」と長く発音した方が、壁から跳ね返ってくる自分の声が聞き取りやすくなる。繰り返すうちに発音がハッキリとしてきます。
 まず、壁から50cmの位置から始め、自分の声を聞き取れるようになったら、1m、2mと壁との距離を伸ばしていきます。壁から離れるにつれて、声が大きくなっていきます。
 話し手は、聞き手に向かって、意識して相手に伝えようとする「届ける声」で話すことが大切です。
 例えば、話し手は、4~6m離れた複数の背中を向けた聞き手に「おーい」「こんにちは」「お元気ですか?」などの短い言葉をかけます。何回か繰り返すうちに、特定の人に声が届くようになっていきます。
 なかなか声を届けられないときは「3秒間、息を吸って、2秒止め、15秒で吐き出す」というトレーニングを繰り返して行い、力強い声を出せるようにします。
 何もせずに「出てくる声」を話す声だと思っている人が多い。まずはその意識を変えることが大切になります。
 声はすぐに変化するものではありません。時間をかけて育てるようにしましょう。
3 態度
 姿勢や視線、身ぶり、手ぶりなどです。
 話に合わせて表情を変えたり、身ぶり手ぶりをしたりすることで、話を「見える化」することが大切です。
 話は聞かれていると同時に、見られています。目からの情報が聞き手に大きな影響を与えています。
4 相手への思いやり
 聞き手の立場になって考えることができるか、ということです。自分よりも相手を考えることが大切です。
 この「相手への思いやり」だけが、かけ算になっています。もし、これが0だったら、話す力は0です。
 つまり「相手への思いやり」が話す力の最も重要な要素なのです。「相手への思いやり」を高めることが、話す力に大きくつながります。
(
菊池省三:1959年生まれ、 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級の荒れをなくすには、話し合いをしても、具体的な活動がなければできない

「明るい楽しいクラスにしよう」と呼びかけても、そのようなクラスにはならない。そのための具体的な活動がなければできない。例えば、
(1)
「明るく楽しい」とはどういうことか。
(2)
それを具体化するために、どんな活動をすればよいか。
(3)
目標を細分化することによって、自分たちが何をすればよいか。
(4)
活動を組織した後、その活動が尻すぼみにならないように、どのようにチェックしていくか。
を考え、具体的に活動していくことが大切である。
 私は異動して来て、いきなり六年生の担任になり、何の引き継ぎも受けなかった。
 前年度、クラスが学級崩壊していたことを知ったのは、家庭訪問で保護者と話をしているときだった。
 私のクラスは二学期後半から荒れ出し、学級崩壊した。
 授業中の私語が止まらない。窓から物が捨てられる。教室内にゴミが散らかっている。ケンカが絶えない。「地震が来た」と言って机を倒す。
 そんな中、私は何一つ指導できず、小学校卒業まで時は流れたのである。
 その兆候を感じたのが、夏休みの自由研究の作品を見たときである。一つの作品に二人の名前がある。後に荒れの中心となるHとSである。
 Sの名前の横に付け足したようにHの名前があった。Hがさぼって作品を作ってこなかったのだ。
「共同制作なの?」とたずねると、ニヤニヤしているだけであった。「もしや」と思ったが、私はそこで何も対処しなかった。そのまま流してしまった。
 この時点で、私は二人に負けていたのである。その後、二人は学級で荒れの中心となり、それに周りが同調し始め、学級が崩れてしまった。
 学級が荒れた状態にある中、何度か、学級をよくしていくために学級会を開いた。子どもたちに、
(1)
今、困っていること
(2)
今困っていることを直すために、どのようなことをしたらいいか
を意見として書いてもらい、話し合った。
 これらの話し合いは、その後の学級生活の改善につながらなかった。子どもたちの心に響かない話し合いはムダであった。原因は「具体性のない対応策」であった。
 あれから数年がたったが、現在の私なら、次のような方策をとる。
1 何をするのか明確にした活動
 年度始めに、子どもたちの願いや教師の願いを込めた学級目標をつくる。
 何をしたらいいのかがわかるように、目標に具体性を持たせる。
 例えば「明るく、楽しいクラス」という目標を立てたとする。そのために、どんな活動をするのかということを具体的に考えさせる。
「明るく、楽しいとは、どういうことですか」
「みんなで、よく遊ぶこと」
「では、みんなで遊ぶためには、どうすればいい?」
「遊ぶ係を作ればいいよ」
「係の活動に、チャレラン係、レクレーション係をつくる」
というふうに、目標を行動化できるようにする。
 また、取り組んだことを、みんなでお祝いできるように、ゲームやパーティなどを企画するものいいだろう。
 みんなで何かを達成したら、成就感を味わわせるために、簡単なゲームでいいから、
「今から、何でもバスケットをやります。机を廊下に出して丸くなります」
と、すぐに実行するのである。
 これが楽しければ、継続して取り組む目標に意欲的になる。
2 子どもの活動をチェックする
 活動の組織ができれば、次は実際の活動である。係の活動が軌道に乗るまで教師の方で進めてしまえばいいのである。教師の進め方が、のちの係の参考にもなる。
 係が活動するようになってくれば、全体でチェックできるシステムをつくる。私は次のような評価活動を考えた。
(1)
係の活動に対して、楽しかったこと、よかったことなどの感想を書いてはる。
(2)
活動をあまりしていない係は、教師が少しの活動を見つけ、それを紙に書いてはる。
「楽しいレクレーションをしてくれて、ありがとう」などの感想を読めば、次の活動も頑張ろうという気持ちになるし、活動をあまりしていない係に対しても刺激にもなる。
3 対応の迅速さと綿密さ
 私の場合、夏休みの作品をやってこなかったことがわかったとき、すぐに手を打つべきだったのだ。
 学級の話し合いを、その後に生かすためには、もっと用意が必要だったのである。
 保護者や管理職と相談して協力をお願いしたり、話し合いで出された意見をどう具体化するか、前もって綿密に考えておかなければならなかったのである。
 子どもたちが反抗のアドバルーンを上げているときから、1(教師)対多(子ども)ではなく、多(教師+子ども)対1(ボス)という陣形であることが、荒れに勝利するカギである。
 最後に、最も大切なことは「授業の腕を上げる」ことであろう。1日の大半は授業である。授業の力がなければ、子どもたちは荒れる。
 子どもが授業中うるさいというのは「授業がつまらない」というサインだと考えればよい。
(
安野信人:北海道公立小学校教師)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自然の本質にふれ合うと、子どもの本質とふれ合うことができ、子どもの事実を動かし、子どもをよくしていくことができる

 私は、私が歌人であったことが、教育の仕事のなかでどんなに役に立ったかわからないと思っている。
 自然をよくみることは、子どもをよく見つめることと同じだからだ。
 自然と心をふれ合わせることは、子どもとか、同僚の教師とかと、心をふれ合わせることと同じだからだ。
「自然の本質」とじかにふれ合うことができるということは「子どもや同僚の教師の本質」と、じかにふれ合うことができるということだからだ。
 正岡子規が明治33年につくった歌
真砂なす数なき星のそのなかに吾に向かいて光星あり」
という歌がある。
 私はこの歌がすきで、よくそれを口ずさみながら、星をみたり、草や木をみたりするが、真砂のようにたくさんある星のなかから、自分と心を通い合わせている星を持つことのできる人間に私は感動する。
 こういう自然との心の通い合いのできる人間であってはじめて、子どもとも心を通い合わせることができるのだ。
 教師はもっと自然をよく見、自然から学び、自然と心を通い合わせ、自然や人間の本質と、じかに交流できるようになる必要がある。
 自然や人間から豊かに、ものを学びとり、自分を豊かに変革していけるような謙虚な人間になる必要がある。
 教育という仕事は、具体的な子どもの事実についていき、具体的に子どもの事実を動かし、子どもをよくしていかなければならない仕事である。
 事実をつくりだしたり、事実を動かしたりするためには、それまでに自分が持っている、知識とか経験とか技術とかを総動員して、立ち向かわねばならない。
 それとともに、事実にしたがって、あたらしく創造もしていかなければならないものである。事実はいつも同じだとはかぎらないからである。子どもの事実にしたがって考え、創造的な仕事をしていかなければならないものである。
 教育の仕事は、教師の精神の飢えを感じることによってつくり出されていくものである。
 絶えず自分自身や子どもたちの現実に対して飢えを感じ、そこから抜け出そうとして、何かを求め続けることによって、はじめて創造は生まれるからである。
 飢えを感じないということは、現状に満足し、停滞し固着していることであり、自分自身や子どもたちの現実に鈍感になっているということである。
 これでは、創造的な教育の仕事などとおよそ関係のないところにいるわけであり、子どもを固着させ、停滞させてしまうだけである。
 そう考えると、自分自身や子どもの事実に対して飢えを感じるということは、教師としての一つの重要な資質となると考えてもよい。
 飢えを感じることがあってはじめて、きびしく仕事をしていくことができるからである。また、一つの地点に到達したときも、その地点での新しい飢えをつくり出し、さらに別の世界を追い求めていくようになるからである。
(斎藤喜博:1911年-1981年、群馬県生まれ。1952年に島小学校校長となり11年間子どもの可能性を引き出す学校づくりを教師集団とともに実践し、全国から一万人近い人々が参観した。退職後全国各地の学校を教育行脚、「教授学研究の会」を主宰した。多くの教師に影響を与えた昭和を代表する教育実践者)


| | コメント (0) | トラックバック (0)

7月にはどのような学級づくりができるでしょうか

 7月は、1学期を振り返り、子どもたちが自分なりに成果を確認し、達成感をもたせることで、2学期への意欲を引き出す時期でもある。また、夏休みを有意義に過ごすための動機づけも大切である。
1 学習成果や作品をまとめさせ、子どもたちに達成感をもたせる
 話し合いだけだと、4月当初からの記憶があいまいとなり、1学期全体を振り返ることがむずかしいので、記録や作品を手がかりにする。
(1)
子どもたち個人の作品やワークシートなどをまとめたり、ファイルしてあった物を見直したりして、学習の成果を実感させる。
(2)
カードへの書き込みや相互評価などを通して自分の努力を確認する。
 振り返ることで、努力の成果や成長を実感できれば、子どもたちは「自分はやればできる」という自信となって、これからも努力する意欲が高まる。
2 個人のめあてを反省させ、次の意欲をもたせる
 振り返ることは、これまでの自分の努力や成長を確認する機会である。
 結果のよしあしではなく、それを受けて次にどうするかに目を向けさせることが大切である。
(1)
めあてを達成できたか、どんなところができなかったかを振り返らせる。
(2)
達成できなかった場合は、目当ての立て方を検討したり、次のめあてにつなげるための援助をする。
3 学級の成長を振り返り、帰属意識を育てる
 みんなで学級のめあてを決め、それに向かって協力して活動してきたことを振り返ることは、一人ひとりの学級への帰属意識を高める。
「自分ががんばったこと、誰かががんばったこと」を話しましょう。
 学級集団での活動で「このクラスでよかった」という手ごたえは、積極的にかかわろうとする意欲を生み、マナーやルールの理解が深まります。また、対人関係能力を育成することにもつながります。
(1)
学級のめあてが達成できたかを振り返る
(2)
行事での学級のみんなの様子を教師が語り、努力を振り返る。
4 夏休みで、子どもたちの気持ちをとぎれさせない工夫
(1)
子どもたちがお互いに認め合い、人間関係を深める
 仲間に愛着を感じ、夏休みで教室を離れても、良好な人間関係を築いていこうとする意欲をもたせる。そのためにも構成的グループエンカウンターの「いいとこ探し」で認め合いを行う。
(2)
夏休みや2学期の行事に向けて、準備や目的意識をもたせる
 夏休み中に学校生活と家庭生活を完全に立ち切らない工夫を考える。
「9月の水泳大会に向けた夏季プールへの参加」「秋季運動会に向けた体力づくり」「補習」等で、かかわりが不足した子どもたちとふれあう。
(
品田笑子:1954年生まれ、東京都公立小学校教師を経て都留文科大学特任教授。上級教育カウンセラー)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級の子どもたちの「もつれた糸」を、どのようにすればときほぐすことができるでしょうか

 担任Sのクラスの女生徒Aさんが9月中旬になっても学校を休み続けている。理由は「親しかった友だち3人とのトラブルで、クラスのみんなから無視され耐えられないから」ということだった。
 担任がAさんの家に電話すると、母親は「クラス中が無視するなんて、ひどすぎます。子どもと話し合った結果、転校した方がいいということになった」と話し、家庭訪問も断られた。
 若い担任Sは困って、学年会で知恵を借りたいと言ってきた。学年主任の私は次のことを提案し了承された。
(1)
すぐに転校と、あせって結論をださないように、少し待ってもらうこと。
(2)
「一方的ないじめ」ととらえずに、両者の誤解にもとづくものとしてとらえ、もつれた糸をときほぐすのが、私たち教師の仕事と考えること
(3)
事実関係を3人の女の子から慎重に聞くこと。
 担任はAさんとトラブルがあった3人の女の子たちから事情を聞いた。すると「ぜんぜんそんなことはしていない。直接本人と会って話がしたい」ということだった。
 誤解があるということがわかったので、誤解をとくという方法だと、明るい見通しが持てるようになる。
 でも、誤解を解くにはAさんに学校に来てもらわなければならない。担任に電話してもらったが「子どもの気持ちが整理できていないので」と断られてしまった。
 私は困ったときには、子どもたちに聞いてみるようにしています。私のクラスの女子グループに聞いてみた。
 すると、Aさんのことが心配でAさんの家に行って話をしてきたそうで、内容は
「イジメがあったみたいなんだけど、私も経験あるから、そんなことでくじけちゃだめよとはげましたら、転校って、だんだん言わなくなってきた」ということです。
 その後も説得を続けてくれた。おかげで数日後には、Aさんは校門のところまで来て担任と話ができるようになった。
 担任は最後のチャンスと思い、長時間Aさんと話し合い、翌日に対立関係のある3人の女の子たちと話し合いができるようになりました。
 私は両者とよい関係にあったので、話し合いに立ち会いました。私ははじめにつぎのように宣言しました。
(1)
この話し合いは、両者とも明日から気持ちよく学校に来てもらうために開いた。
(2)
私は両者の言いたいことと事実をひとつずつ整理し、誤解があるなら、それを解くためにいる。だからどちらの味方にもならない。
(3)
ここでは「自分の出会った事実」が優先し「人から伝え聞いた話」は信用度が低いと考える。
(4)
自分が誤解していたり「悪かったな」と素直に思えたときは「ごめめんなさい」を言ってほしい。
 こうして、事実の一つひとつについて確認し、そのときの自分の真意を言ってもらうと、3人の女の子たちは知らないうちにAさんをキズつけることを言っていた。
 一方、いじめられたというAさんも、自分の思い込みや、他人のうわさをそのまま信じていたことがわかってきた。
 一つずつ解決していったが、両者は「なかよくなれそうにもない」という答えが返ってきた。私は
「そういうのを相性が悪いって言うだよね。大人の世界でもよくあることだよ」
「じゃあ、これからは事務的なことはしかたがないけど、それ以外は関係ないでやってください」
「この学年には170人もいますから、明日からは、それぞれに『仲の良い友だち』をつくってください」
「ただ、関係ないとはいっても、またいつか仲良くなる可能性も残しておいてね」
 あれから1か月、Aさんには新しい友だちができ、元気に学校に来ている。一方、3人の女の子たちにも笑顔がもどった。
 Aさんのお母さんが参観日に私のところまで来て「何とお礼をいったらいいか」と涙を流していた。私は「よかったですね」と言った。
(
山路敏英:元東京都公立中学校教師、明星大学の講師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ふれあいのあるクラスづくりをするには、具体的にどうすればよいのでしょうか

 ふれあいのあるクラスは伸びやかな、楽しい雰囲気が生まれ、人間関係や学力の向上が見られる。
 ふれあいのあるクラスは、子どもたちが楽しそうで、のびやかである。教師も明るい。子どもたちも明るく、笑い声が絶えない。
 何かをするときは、集中して、真剣に行う。緊張感がある。終われば、和やかな雰囲気になる。
 ふれあいのないクラスは、子どもたちの顔がこわばっている。どこかぎこちない。差別がある。どこか暗い。さめている子がいる。どこか真剣みがない。
 今、子どもたちはクラスとしての意識がないままバラバラな状態で学校に来ている。
 今こそ、ふれあいのあるクラスづくりを行う必要がある。
 ふれあいのあるクラスづくりの根底にあるものは、子どもたち一人ひとりを受け入れるということである。
 どの子に対しても、どんな場合でも「ほめ、話しかけ、励まし」続けることである。
 ひと言をプラスして、ふれあいのあるクラスにするには、どのようにすればよいのでしょうか。
1 教室でのあいさつは「おはよう+ひと言」でふれあう
 子どもの名前を呼んで子どもをほめる。
「〇〇さん、おはよう。今日も元気に来たね」などと、気づいたことを、元気の出る言葉にしてほめることである。
2 握手+ひと言でふれあう
 係の仕事が終わったら報告させる。そのとき、握手をしながら「ありがとう(ご苦労様)、助かったよ」と、目を合わせ笑顔で対応する。
3 ワークテストは「点数+ひと言」でふれあう
 ワークテストを返すとき、ひと言書き添えて返したい。短い言葉でズバッと書くのがよい。保護者も見るので、担任の姿勢を見せることにもなる。丁寧な字で書きたい。
 例えば「おめでとう、よくできたね!」「おしかったね!」など、もらってうれしいひと言を添えるのがコツである。
4 ノートには「名前+ひと言」でふれあう
5 お誕生日は「学級通信+ひと言」でふれあう
 お誕生日のお祝いのひと言は、本人とクラス全体のきずなを深める貴重なメッセージである。
 誕生日には、学級通信(号外)をだしている。次のことを載せている。
(1)
本人の「がんばりたいこと・すきな遊び・得意なこと・できるようになりたいこと・ゆめ・たからもの」を載せる。
(2)
本人の写真(友だちも周りに集まり笑顔で撮る)
(3)
「先生から」「学級全員」からのお祝いの言葉
お祝いの言葉を読み上げると、本人もうれしいし、クラスの仲間もにこにこしている。
6 欠席する子どもに「お見舞いカード」+ひと言でふれあう
 欠席した子が一番心配なのは、どんな勉強をしたかである。その内容を伝え励ますのが「お見舞いカード」である。
 カードの記入は、欠席した子がいる班が書く。
(1)
一時間目からの教科名と授業の感想と書いた子の名前
(2)
先生からのひと言
(3)
おもしろい出来事と書いた子の名前
(4)
連絡事項
 届けるのは、カードと、その日に配布したプリント類。近所の子か担任が届ける。
7 授業で指名するときに「ひと言+名前」でふれあう
授業で教師の発問で子どもを指名するとき
「姿勢のりっぱな〇〇くん」
のように指名すると、ただ名前を呼ばれた時よりも、ずっとうれしそうである。
「聞き方のいい人に当てようかな」などと言って、指名すると学級全体が引き締まる。ちょっとした緊張感が教室を包む。
 ときどき「このクラスは、みんながにこにこしていて教えるのがとっても楽しいね」と、クラス全体をほめることも必要である。
 このように、個人とクラス全体を意識して、ひと言を添えるとクラス全体が明るくなり、楽しくなる。
8 黒板に「キャラクター+ひと言」でふれあう
 教師が早く教室に行けないとき、黒板にキャラクターの絵を描いて、ふきだしにひと言書くのである。私の場合は「きりん」がメッセージを伝える。
「今日の朝学習は、プリントです。日直さん渡してね」
「みなさん、おはようございます。今日もあつくなりそうですが、元気にがんばりましょう」
 こうすれば、朝の活動をスムーズに進めることができる。また、教師が出張でいない時もメッセージやお願いを伝えることができる。
9 帰りの会のあと「見送り+ひと言」でふれあう
 毎日はできないが、帰りの会の後、校門まで子どもを見送る。週末や学期末などに行う。
 ふだん会話が少ない子や家でのくらしが気になる子などに「これから、帰ってなにをするの」「だれと遊ぶの」と声をかける。
 時には、子どもたちと一緒に校門の外にまで出れば、誰と帰るのか友だち関係もよくわかる。遊びながら帰るのかがわかる。ふだん見えないことが見えてくる。
 子どもたちも先生に見送られていると思うと、うれしいし安心する。教室でさよならするよりも、ずっと親近感が増す。
(
平藤幸男:1960年生まれ、岩手県公立小学校副校長)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもをほめることは、叱ることよりも難しい、ほめ方がうまくなるにはどうすればよいか

 人の短所は、見ようとしなくても見えてしまいます。しかし、長所は意識しないと見えません。「ほめる」ことを意識すると長所が見えてきます。
「ほめたいのだが、ほめるところが見つからない」という教師は「できて当たり前」と考え、評価基準が高すぎることはないでしょうか。
「欠席しない」「忘れ物をしない」「元気がよく、活発である」など、本気でほめたいと考えているならば、どんなことでもほめる要素は無尽蔵にあります。
 教師は、子どもと信頼関係をつくり、子どもの個性や夢を引き出し、実現させることが大切です。
 ほめるというのは、この信頼関係を築くためです。信頼を得るまでには、手間も時間もかかるものです。
 教師も人間です。「どうしても気が合わない」という子どもがいたら、どうしますか。
 気が合わない子どもは、なおさら、悪いところばかり目についてしまうので「気の合わない子どもの長所を探しながら見る訓練」をします。
 長所は行動に表れますから、その行動をつぶさに観察し、記録しましょう。私は一日に三つ、子どもの長所を記録しています。
 さらに、私は気が合わない子どもをほめるとき、ほかの子どもを使ってほめています。
 そのほめ言葉が、回りまわって、本人の耳に入り、人間関係の修復に役立つことがあります。
「うなずき」や「あいづち」は、ほめしぐさです。
 話をしているとき、相手が「うんうん」と、うなずいてくれると気分がいいものです。話を理解し肯定してくれていると感じるからです。
 やや前かがみになり、目を見て、タイミングよくうなずいてください。話に熱が入ったところなどには、より深くうなずきます。
 教師が子どもに信頼されるためには「あなたの存在を感じていますよ」と、子どもを認知することから始めます。
 それによって、人間関係の土台ができれば、ほめる効果は確実に積み重なっていきます。
 子どもを喜ばせることばかりを意識すると、わざとらしいほめ方、口先だけのほめ方になりがちです。これでは、子どもに不快感を与え、逆効果になってしまいます。
 教師の心理状態は無意識のうちに、表情やしぐさににじみ出るものです。言葉だけでどんなに繕っても本心が見抜かれてしまいます。相手を心からほめる気持ちを持つことが大切です。
 子どもから信頼を得るためには、次のように順序があります。
(1)
子どもの可能性を認める
(2)
子どもの行動や気持ちに注意を払ったり、気にかける
(3)
子どもの立場や気持ちをくみとる
(4)
子どもの良い点も悪い点も受け入れる
(5)
子どもの実績をほめる
どんな子どもでも、高く評価してくれる教師の話には熱心に耳を傾けます。
 教師は、子どもをほめることを通して、新しい発想ができるようになり、能力を高め、人間力も高まります。
(
神谷和宏:1960年生まれ、愛知県公立中学校教師。 読売教育賞などを受賞。教育コーチング、心理カウンセラー)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師の話し方は教師の武器だ、大切なポイントとは

 話は誰でも簡単にできる教師の武器である。しかし、効果的に使うとなると奥が深い技術です。よい教師の話し方は 
(1)
話し方に「切れ」がある
 教師の話には「切れ」が必要です。例えば
「今月は〇〇さんと△△くんの誕生日だね。おめでとう! 拍手―!」
「今月は五月(さつき)だね」
「この時期や、梅雨の間の晴れの日を『五月晴れ』って言うんだよ」
「『五月の鯉の吹き流し』という言葉を知っているかな?」
「鯉のぼりのように腹の中に何もない、さっぱりした性格のことで、江戸っ子の気質を表しているんだよ。いい性格だね」
なとど、切れのよい話題を添えて祝ってあげられるかどうかで、人気度は変わってきます。
 逆に、よくない教師の話し方は、例えば、
 言葉がうまく出てこないとき「エー」が乱発される話し方ほど、聞きづらいものはありません。
 同じ話題の中で2回以上「エー」と言わない教師になりますという誓いでも立ててもらいたいくらいです。
「いわゆる」「つまり」「ですから」が口癖になっている教師もいます。
(2)
話の最初(つかみ)を30秒以内に収める
 話の最初(つかみ)を30秒以内に収めることも大切な技術です。
 30秒かかっても、子どもを引きつけられない話題は、面白くない話題です。
例えば国語で
「昨日読んだ『ごんぎつね』では、きつねが兵十の撃った鉄砲で死んでしまって悲しかったね」
「でも実は、きつねは今も生きているかもしれないよ!」
「知多半島の山で、きつねの巣みたいな穴が発見されたっていう新聞記事がありました」
というような入り方を心がけたいものです。
 つまり、子どもを驚かせる意外な話題から入ることをお勧めしたいのです。
 どんな授業でも最初の30秒が決めてになります。「今日、先生はどんな授業を用意してくれているのかな?」と楽しみに待たれるくらいの教師になりたいものです。
 教師は自分のオリジナルの「つかみ」を何種類か開発してください。
(3)
授業にノッてくる指名のコツ
 指名は、教師と子どもの信頼関係を強める機能があります。授業にノッてくるためのきっかけにもなるので、教師に必要な力量として身につけたいものですね。例えば、
「まず、最初にAくんを指名して答えてもらおう。そうすれば、引きずられてCさんも手をあげるに違いない」とか
「最初から答えに近づく回答がでると授業の深化が図れないので、まずBくんに意見を出してもらい、ほかの子に共通化してから、さらに別の子どもの意見を引き出そう」
といった、授業の流れをつくるための指名の順序の方法を考案したいものです。
(3)
ほめじょうずになる
 例えば、算数の時間で簡単な問題を間違えています。何と声をかけたらよいでしょうか。
「がんばっているね。ここは間違っているけど、ひとつ前の問題はできているね。先生はうれしいな」
 子どものがんばりを認め、できたところまでをほめてあげる姿勢が大切です。
 その子の力で「ここまで、できたね」と認めてあげることがポイントです。
 朝のあいさつは笑顔でほめる。
 朝のあいさつこそ、笑顔でしたいものです。口角をちょっと上げて微笑み、目に力を少し込めて「オハヨー」と子どもたちを見わたします。
 そして、見わたしながら、子どものしぐさの変化(よい点)に気づくように心がけます。
「〇〇くん、今日もあいさつ元気いっぱいだね」と、具体的にほめてあげましょう。
「先生が、自分を見てくれた」とうれしさで教室がぱっと明るくなり、一日のスタートがうまく切れるでしょう。
(4)
子どもの話をよく聴いて、認めてあげ、教師の気持ちを伝える
 子どもが教師に伝えようとしているときは、
 教師が子どもの言った言葉をオウム返しのように繰り返してあげることで、子どもは「先生はちゃんとぼくの話を聞いてくれている」という安心感を抱くようになります。
 さらに、教師が「先生は、いつも〇〇くんのことを心配しているんだよ」と自分の気持ちを伝える言葉をかける。
 子どもにとって「そうか、先生に心配をかけちゃったんだ。じゃあ、どうしたらいいかな」と子どもが自分自身で考えるきっかけとなります。これはとても大切な指導です。
(
寺本 潔:1956年熊本市生まれ、筑波大学附属小学校教師、愛知教育大学教授を経て玉川大学教授。中央教育審議会専門委員(社会)等を経て日本社会科教育学会評議員)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保護者の中には「話してもわからない人もいる」のだ、と心得ておくことも、教師のメンタルヘルスを守るうえで必要です

 ある中学校の女性担任の学級には、不登校の生徒が複数いました。
 学級の中に、グループのリーダー的な存在の女子生徒がいました。
 少々暴走して周囲の生徒に服従をしいたり、いじわるをしたりするので、グループから敬遠され気味になっていた。
 保護者会にその女子生徒の保護者が出席し
「不登校の生徒がいるから、クラスの雰囲気が悪いのではないか」
「先生のせいで、不登校の子が学校に来られないんでしょ」
と、一方的に担任を責め始めた。
 その保護者は、わが子の暴走が行き過ぎて、友だちに敬遠され始めたので、担任に「グループの仲間との仲をとりもってほしい」というお願いではなく「わが子は悪くなくて先生が悪い」という主張であった。
 担任は「話せばわかるはず」と、誠実に対応していた。しかし、担任はうまく事を収拾できないので、自分自身を責めた。
 保護者の執拗ないいがかりに、担任があわやつぶれそうになる寸前で、他の保護者が見かねて
「先生は、がんばっておられると思います」
と、保護者全体の前で担任をフォローしてくれたので、糾弾会の色合いが失せ、担任Aはなんとか勤務を続けることができた。
 ぶの悪くなった保護者は、その後、他の保護者のいる保護者会には出ず、矛先を管理職に変えて訴えをくり返し、わが子を正当化しようとした。
 こういうタイプの保護者は、わが子から直接、話を聞いて痛みをわが子と共にし、一緒に今後を考えようとしない。
「子どものために、学校を訴える」やり方にすり替えることで、わが子のために、親ががんばっている姿をわが子に見せることで満足を得ているようです。
 また、学校が悪いことにして、自分の弱さを見ることができないようです。未熟なパーソナリティを抱かえた親という見方もできます。
 熱心な担任は、誠実さを逆手にとられた形となりました。誠実だったからこそ、他の保護者が助け船を出してくれたケースですが、管理職や同僚教師に早めに相談しないと、紙一重でダウンしていたと思われます。
 教師は、保護者の「問題のすりかえ」に気づき、子ども本人と話をできるルートを見つけたいものです。
 このような保護者は、自分が不安なあまり、執拗に教師を責めてきますから、教師側に余裕のないときは、管理職や同僚教師と共に問題にあたり、担任が抱かえ込みすぎないようにすることが大切です。
 この世の中には「話してもわからない人もいる」のだ、と心得ておくことも、教師のメンタルヘルスを守るうえで必要です
(
井上麻紀: 臨床心理士。公立学校共済組合近畿中央病院メンタルヘルスケア・センター主任心理療法士。学校教職員の専門病院で、教員に特化したメンタルヘルスケアや職場復帰支援している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級が荒れたとき、学年団の教師の協力を得て乗り切ることができた

 中学校では教科担任制のため、学年団でのチームプレーが欠かせない。そのためには「報告・連絡・相談」(ほうれんそう)をつねに意識することである。
 私は中学校1年生の担任になった。この学年は小学校とき、かなりひどい学級崩壊を経験している。
 生徒たちは、教師への暴言が頻繁にあり、教師に対する不信感が強かった。学年の教師は日々闘っていた。
「大きな声が聞こえたら、すぐさまその場に駆け付ける」というキャッチフレーズがあったほどだ。実際に大きな声が聞こえたら、飛んでいった。
 どこかの教科が崩れると、全体が崩れていくこともある。
 学年の教師集団で学年の生徒に対応することを確認して実行していった。
 そのためには、クラスで起きたこと、授業での出来事で必要なことは、早く学年団に報告する。
 そして、自分が行った指導や、こうしていこうという指導の見通しを伝える。指導のことで迷ったり、悩んだりしたら学年団に相談する。
 学年団に報告し、相談することで、気にかけてもらったり、いざというときに助けてもらえる。教師の力不足なところを補ってもらえるのだ。
 クラスで「こんないいことがあった」ということも、どんどん伝えると、学年団の教師は幸せな気分になれる。
 私のクラスの女生徒Mは異性に興味が人一倍あり、いろんな男の子にアタックするので嫌がられ避けるようになった。
 Mがそばに来たとき、わざと体をよける。嫌なあだ名をつける。通りかかったとき「きしょい」と言う。持ち物に傷をつける生徒もいた。
 多くの男の子は「Mは悪いから、嫌なことをしてもいいのだ」と思うようになった。
 クラスの生徒のMに対する「嫌がらせ」は重大な事件であると私は考えた。
 私は、Mに対する嫌がらせをなくすために、クラスの生徒と対決することにした。
 学級活動の時間に対決するので、学年の教師に協力を依頼し、時間の空いている教師に来てもらった。
 そこで、私は生徒からもらった手紙を読んだ。
「このクラスに苦しんでいる人がいます。『きしょい』と言ってしまったとき、悪いことを言ったなと思ってほしい。自分はどこが悪いか考えてほしいと思います」
「『きしょい』という悪口をいわないということをクラスの約束にしてほしいと思っています」
 私は担任として「人の不幸の上に自分の幸せを築き上げることが許せない」と話した。
 私は目を見開いて、一人ひとりの生徒の目をゆっくりと見ながら、私は
「中学校に入って、人に対して『きしょい』と言ったり、悪口を言ったり、嫌がらせをした人は立ちなさい」
と言った。男子生徒の半数、女子生徒が二人立った。私は
「もしかすると、その人にも非があるかもしれません。しかし、相手がどうであろうと、やってはいけないことは、やってはいけないのです」
 学年の教師が1時間、ずっと教室の後ろにいてくれ、少し話をしてもらった。おかげで何とか乗り切ることができた。
(
月安裕美:大阪府公立中学校教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教師はクレームの前さばきがヘタだ、保護者の怒りのエネルギーはどこから来ているのかが分かれば「関わり方、解決の糸口」が見つかり始める

 保護者と教師は敵ではありません。子どもの成長に関わる当事者として、子どものために手をつなぎあえる存在です。
 しかし今、保護者と教師の関係性が難しくなっています。
 少数ではありますが、解決することが難しいケースも確かにあります。
 学校内外で起きたトラブルを弁護士に相談して対処するために「学校法律相談制度」(スクール・ローヤー)が、2007年6月に東京・港区で発足しました。
 私のところにコメントしてほしいと言ってきたので、私が述べたことは
(1)
それだけ事態が深刻化していること
(2)
これによって教師の心理的な負担が軽減され安心感につながる
(3)
しかし、学校に持ち込まれる要求の9割以上は、法律家が出る幕がない「ぐち」や「不満」のようなものであり、違法とか不法行為ではない
(4)
この制度が本当にいいものになるかは、もう少しの経過観察が必要だ
ということでした。
 私が主宰している学校保護者関係研究会の弁護士が
学校の先生は前さばきがヘタだ
と形容したことがあります。
 前さばきとは相撲用語で「差し手争い」のことですが、それがヘタなためにがっぷりと四つに組まれて、抜き差しならなくなる状態を意味しています。
「それは不当な要求です」と言えば簡単に済むことを、いたずらに放置することによって、法的な恐喝問題にまで発展させていったりする。
 他方で、精神的にも追い詰められたり、きちんと向き合えばすぐに解決できそうなことを、逆にこじらせていくことを意味しています。
 学校や教師には
(1)
向き合うべき課題
(2)
聞き流すだけでいい話
(3)
適切な距離を保つ必要のある問題
 それを見定めるには、まずは保護者の話を聞きながら
「怒りの源」
はどこにあるのかを見て取る姿勢が必要なんだろうと思います。
 どんなクレームかということよりも、
「そのエネルギーはどこから来ているのか」が分かれば「関わり方、解決の糸口」が見つかり始めます。
 そのことによって「踏み込んでいいもの」と「踏み込んではいけないもの」といった関わり方にも気づくことになるでしょう。
 執拗で繰り返しの要望があるとすれば、それは表向きの要求であって、真意や背景事情は別にあるかもしれないということが推測できることもあるでしょう。
 ある場合には「積極的に応じる」のではなく「適切な距離を置きながら接する」ことによって、関係当事者双方がそれ以上に事態を深刻化させないことも必要です。
 部分的な解決しかのぞめなかったり、解決できず平行線のまま終わることも当然あるわけです。
 普通には考えられない行動を繰り返す背景として、何らかの精神疾患などからくる影響だけでは説明がつかない場合、人格障害が考えられます。
 玉井邦夫は著書で
「学校現場が人格障害の問題に直面し、困難を極めるのは、保護者に人格障害が認められるケースであろう。モンターペアレントなどと呼ばれることもある」
「常識では考えられないような要求や抗議を持ち込んでくる保護者のなかには、こうした人格障害に該当するケースが考えられる」
「教師に対する激烈な攻撃や、相手の感情などしんしゃくしない挑発、自分の言動に対する極端な無責任さ、他者に対する激しい好き嫌いや、気分の変動、強い被害の訴えなどが示される」
と書かれています。
 玉井邦夫は、こういった傾向をもつ保護者と接するばあいは
(1)
早急に教育委員会や専門機関(医療・福祉・警察など)の協力を得て、今の起きているトラブルを管理者と学校現場が共に共通理解すること。
(2)
学校ができる範囲は明確に管理者から伝えること。
(3)
教師の個人的資質の問題ではないことを確認すること。
以上のような大原則を踏まえて、関係機関とのチーム対応を続け、見立てや解決の方向を探ることになる。
「良かれ」と思って親身に関わっても、何度も裏切られ、振り回され続けて、何ともならなくなるような事態に陥ることがあります。
 そうならないために「適切な関係性」や「適度な距離の維持」が大切なわけです。
 すなわち、会う場所や時間を限定していくことや、一人で対応せずに共同で向き合うなど、すべて分かり合えるという前提には立たないということが大切です。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

自分らしさを生かした学級づくりは、どのようにすればよいのでしょうか

 教師が自分らしさを学級づくりに生かしていくと、学級内のルールも人間関係も安定します。
 自分の生き方や教育観を学級づくりに取り入れて、自分なりのやり方で集団をまとめるとよい。
 そのために、教師は、自分はどのような傾向があるのかを把握しなければならない。
 教師が子どもたちに毎日行っていることは二種類ある。
 教育の専門家として子どもたちを教える「指導面」と、子どもたちの心情面を支え、子どもたちが自ら活動することを支える「援助面」である。
 教師には、ルールを重んじる「指導面」が優位な教師と、子どもたちとの人間関係を重んじる「援助面」が優位な教師がいる。
「指導面」が優位な教師と「援助面」が優位な教師に分かれるのは、その背景に教師の性格や価値観があるからである。
 あなたは、どっちのタイプの教師ですか。
(1)
指導タイプの教師
 まずは、学級をまとめたい。しっかり授業を受け、休み時間はしっかり遊ぼう、けじめが大事といったタイプの教師。
 このような教師は、子どもたちとの関係づくりにも取り組むようにするとよい。
(2)
援助タイプの教師
 まずは、子どもたちと仲良くなりたい。わからないところはないかな。一つずつ確認しながら、ゆっくり楽しくやっていきたいといったタイプの教師。
 このような教師は、ルールの定着にも取り組むとよい。
 どちらがいいというものではなく、大事なのは、教師が自分の傾向を把握して、状況に応じて二つの対応のバランスをうまく調整するとよい。
 この二つのバランスと、学級集団にルールと人間関係を定着させることは密接に関係している。
 子どもたちに人気の高い教師とその理由は
(1)
人間として魅力的
 子どもたちは「私のことを受け入れてくれる」「私のことを認めてくれる」など。
(2)
教師として魅力的
 子どもたちは「あの先生は、わかりやすく、楽しく教えてくれる」「熱心に指導してくれる」など。
 現代の子どもたちを育てるには
(1)
教師は子どもたちと肩ひじを張らずに接する
 現代の子どもたちは教師に対しても、一人の友だちとしてつきあう傾向にある。
 したがって、教師が子どもたちに、親しい関係の中で穏やかな物腰と言葉で話しかけないと、子どもたちは、抵抗を感じて、聞こうとしなくなってしまう。
(2)
子どもたちと親しくうちとける
 そこで、教師は子どもたちと親しくうちとけるようにする。それから徐々に、子どもと教師のつきあいを増やしていくと、指示も通りやすい。
 ただし、教師が子どもたちに気に入られることだけを考えて、ルールと人間関係への対応を疎かにしないように気をつける。
(3)
罰や強制は最小限にとどめる
 子どもたちを罰や強制で動かそうとすると、早い段階で教師を信頼しなくなり、指示に耳をかさなくなる。
 子どもに行動をさせたいときや、行動を改めさせたいときは「罰や強制」だけに頼らず、「ほめる」「適切に注意する」などの基本技術を活用して対応する。
  
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育・総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

板書のうまい教師はいい教師、子どもの注意や意欲を刺激する板書のポイントとは

 板書は、大切なポイントを黒板に書いていく作業ですが、この板書には何を書いて、何を書かないか。書くべきことも、どれだけわかりやすく短くまとめるか。そうした選択と省略と凝縮の技術が必要になってきます。
 教師にとって、この選択と凝縮の技術がいちばん求められるのが板書です。
 板書の上手な教師は、かならず的を射た内容の選択や凝縮が行われていて、そのときに教えたいことの必要最小限の要点がわかりやすいかたちで記されているものです。
 余分なことは省かれていながら、核となる部分や勘どころはきちんと書かれているので、それを読み返せば、教えたことの内容や流れがしっかり理解できる。そういう板書です。
 よい板書は、要領よく、美しく、構造的に書かれています。
 一方、板書がへたな教師は、書きすぎる傾向があります。省略や凝縮の技術が甘いのです。
 要点を絞って、単語に近いような簡潔な文で記すのが板書技術の大原則なのです。
 板書は授業内容の簡潔な記録です。
 それは、教わる子どもたちの学習意欲を引き出したり、考えを深めたり整理したりするための記録である。
 また、板書は教師と子どもたちの「交流」の場でなくてはなりません。
 交流がない、すなわち教わる子どもたちの意見の反映のない板書は、生きた板書とはいえません。教わる子どもたちの反応を、教師がどう受け止めたか。その双方向的な記録が欠けているからです。
 したがって、板書は、学習内容の要点のほかにも、授業中の発言内容のポイントも記されている必要があります。
 また、その発言を全体と関連づけ、全体のなかで位置づけてあげることも大切です。
 このように、板書は、子どもたちの意見や考えも拾い上げて、全体に反映する場所でなくてはなりません。
 学習内容とそれに対する、教わる子どもたちの反応。それが交錯する場が黒板なのです。
 板書のうまい教師は、いい教師といっても過言ではありません。
 板書は、何をいつどこに書くか、授業の流れ沿って書く順番やタイミング、場所などを事前にイメージして、その完成図を頭に描いているものなのです。
 下書きを紙に書く場合もあれば、実際に黒板を使って予行演習する場合もあるのです。
 私も教師になって何年間かは、ノートを利用してページの半分に授業内容を書き出し、残り半分のスペースに平行して板書をするという勉強をつづけたものでした。
 とはいえ、事前の計画どおりに板書がなされた授業というのも、けっしていい授業とはいえません。
 事前の予想どおりに進んだということは、すなわち、予想どおりにしか進まなかったということであり、それは教わる子どもたちの発言が少なく、交流にも乏しい、ダイナミズムに欠けた授業であることの証しだからです。
 したがって、板書は、その授業が子どもたちの理解が進んだいい授業であったかは、板書を見れば、ほぼ一目でわかるものなのです。
 黒板は教わる子どもたちと教師の交流の場ですから、ていねいな板書をすれば、教わる子どもたちのノートも自然にきれいになります。
 板書の大切さはもっと見直されてしかるべきだと思います。
 板書の技術をつぎにあげると
(1)
黒板を広く使う
 黒板の全面をいっぱいに使うのが板書の原則です。
 ただし、黒板の両端の左右の下端は、子どもたちの視界に入りにくいので、大切なことを書かないようにする。
 大事なことは、一番目立つ、真ん中の上部あたりに書くようにするのが原則です。
(2)
文字は大きく書く
 板書の文字が小さすぎる教師が多い。教師が自分で書きやすい大きさで書くと、子どもたちの目には必ず小さすぎるものなのです。
 あくまで、子どもたちの主体に考えて「少し大きすぎるかな?」と思えるくらいの大きさでちょうどいい。
 板書がへたな教師は、たいてい字が小さいものですし、大きな字を書いているうちに板書もうまくなってくるものなのです。
(3)
板書の消し方を工夫する
 授業の途中や最後で、終わった部分の板書を「もう用ずみ」とばかり、消してしまう教師がいます。そういう場面を見るたびに「何と、もったいないことを」と私は思います。
 消し方を工夫することで、学習内容の確認や復習をさせられるのです。
 たとえば、白で書かれた部分を消し、赤の重要な部分や、黄色の「はてな?」部分だけを残して、それを復唱させる。
 逆に、重要ポイントだけを消して「いま消したところに、どんなことが書いてありましたか?」などとたずねる。
 教え終わったあとも虫食い状態の板書を残しておいて、つぎの時間の始めに埋めさせてから消すという方法もあります。
 こうした方法によって、子どもたちの理解力はより深まります。また、板書というものを子どもたちはとても大切に考えるようになり、ノートの取り方にも反映していくのです。 
 よい消し方ができるということは、よい板書のしかたをしているということであり、よい教え方をしているということの証なのです。
(4)
子どもの注意や意欲を刺激する
 私は授業の最初に、黒板に日づけを記入するとき、いろいろ変化をつけていました。
 たとえば、バカでかい文字で書いたり、極端に小さく書いたり、やたらと細長く書いたり。六月なら水無月と書き、十月ならオクトーバーと書いてみる。そんな工夫をしました。
 そうすると、よそ見していた子どもも黒板を注視するようになります。それが集中力や学習意欲につながっていくのです。
 わざと日づけを間違えて書き、子どもの注意を喚起することもありました。
 授業中に、子どもたちの気持ちがダレているかなとか、集中力を欠いているなと思えたときに、たとえば数字の6を8と間違えて書き「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、彼らの注意力を再喚起させるような方法もあります。
 そういう場合、私は子どもといっしょに、お笑いのコントを演じる芸人のようなつもりでした。
 そうすることで、教室にオープンでくだけた空気を醸し出し、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。
 このようなユーモア、明るさや楽しさというのは、教える行為のかなり重要な部分なのだと思います。笑いは教わる子どもたちを学習好きにするための潤滑油であり、添加物でもあるのです。
「授業が楽しい」「勉強するのがおもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。
 逆に、一時間の授業のうちに、一度も笑いがない、ユーモアの要素がない教室は、子どもにとって牢獄に等しいものでしょう。
 日本の教育現場にもっとも不足していて、もっとも必要とされているのが、その笑いでありユーモアなのです。
「笑いを持ち込むと教室の空気が緩んでしまう」「笑わせたら、子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。
 しかし、笑いの効果はそれとはまったく逆のものです。
 教師がすました顔で、ユーモラスな話をすれば、教わる子どもたちは身をのりだして聞くはずです。そのときにも集中力や注意力、学ぼうというエネルギーが生まれているのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります。
 教えるという行為は「空気」がするものです。子どものやる気を刺激する空気、楽しく学べる空気、はつらつとできる空気。そういう空気をいかにつくり出してやるかが教える教師の大事な役割なのです。
 そんな空気を醸成するのは、しかつめらしい、もったいぶった態度ではありません。楽しく明るい、フランクな姿勢です。
 ユーモアや笑いは学びの敵どころか、大いなる援軍なのです。そのための秘訣は
(1)
教師が「自分を笑う」こと
 教師が自分の失敗やとんちんかんな言動を笑いのネタにするのです。自分を笑っているかぎりは誰かを傷つけることもありません。カラッとした自虐ネタはユーモアの原点だといえます。
(2)
教師が「自分が笑う」こと
 子どもを笑わせようとしたら、まず教師が自分から笑うことが大事です。それだけで教室の空気はなごむのです。
 子どもたちが何かおもしろいことを言ったときには、いの一番に教師である自分が大いに笑うように私は努めていました。
「子どもといっしょに笑える教師は子どもといっしょに歩める教師であり、子どもとともに進める教師だ」という信念が私にはあったのです。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもを指導し、指示するときのポイントは何でしょうか

 子どもに対する強制的な指導や指示は、子どもたちに受け入れられにくくなっている。
 それゆえ、強制的な指導をするときには、その前に、まず、子どもたちに意味・理由を、しっかりと説明しなければならない。
 子どもたちは、これを了解することで指導を受け入れやすくなる。
 また、強制的な指導は、一貫性をもち、規則的に行わなければならない。
「私が怒られたのは、先生の機嫌が悪かったからだ」とか「同じことをしても、私ばかり怒られる」
といった気持ちを子どもがもったとしたら、その時点で教師との関係は崩れてしまう。
 教師が本当に自分のことを思って、怒ってくれていると子どもが感じるには、それ以前に教師と子どもとの心の交流や、子どもたちにも伝わるような明確な基準が必要である。
 それなくしては、怒るという指導をする意味がなくなってしまうのである。
 また、強制的な指導によって、子どもにやらせる以上、子どもが「やってよかった」と思える結果をださなければならない。
 つまり、そのような結果を出せる課題を与える必要がある。
 強制的にやらせたあとは、子どもが結果を出し、その努力をほめることによって、はじめて子どもは「やらされたけど、やってよかった」と思えるのである。
 そこまで面倒を見ていく覚悟なくして、強制的な指導をしてはならないのである。
 教師は、日頃、休み時間や放課後に自己開示をしながら雑談をし、ユーモアを交えて話をすることで、話しやすさと、教師の人間性を子どもに表現し、子どもたちと関係をつくっていくとよい。
 教師は学級の雰囲気をつくる大きな要素である。明るく元気に子どもたちに声をかけよう。
 子どもたち全員の、小さな努力、わずかな変化も見逃さずにほめる。言葉にして伝えることが大切である。教師が感動したことや楽しかったことを、素直に言葉や表情で表現する。
 その繰り返しの中で、時に強制的な指導をし、そこで生まれた子どもたちの努力をほめ、子どもとの絆が深まるのである。
 子どもの間違った行為に、すぐに叱責せずに、正しい行動をとるための具体的な指示を与え、期待通りの正しい行動をとろうと努力したときに、ほめるという寛容さが大切である。
 子どもにはプライドがある。叱るときは個別に呼んで、じっくり話すようにする。
 反対に、ほめるときは、全体の前でみんなに伝える。多くの人に認められるのはうれしいものである。
 本人のいないところでは、批判せずに、ほめて、ほめ言葉を広めるようにする。
 教師の専門職としての技術は、子どもたちを指導する際に、いかにわかりやすく伝えるかという技術でもある。
 
私が担任をしていた学年の教師Aの言葉はソフトで、しかも信念に満ちた語り口であった。
 彼の周りには女子生徒が集まり、さまざまな相談がもちかけられていた。彼の持つ温かさという「人格的魅力」とともに、その信念からくる安心感、つまり教師としての魅力だったのだろう。
 私は多くの失敗もし、先輩教師や子ども、保護者からたくさん学んできた。
 そんな私が教師にとって、もっとも基本的であり、必要であると実感している技術は「話す技術」と「指示を出す技術」である。
1 話す技術
(1)
両足に均等に体重をかけ、すっきりと立つ
(2)
子どもたちの顔を見回して話す
 子どもたちの顔を後方の右・中・左の三ポイントを見渡しながら話す。
(3)
声は適度な音量で
 声は小さすぎず、大きすぎず、適度な音量で、メリハリをもつ。
(4)
体で表現する
 話を強調するときは、手で示すなど、ジェスチャーで伝える。
(5)
表情で話す
 話を盛り上げるときには笑顔で、注意するときは厳しい表情で。
2 指示する技術
(1)
最後の行動まで示す
 最終的に、どうするかということまで示す。
(2)
一度の指示では一つのことを
 いくつもの内容を一度に言わず、一つのことのみを言う。
(3)
一つの動きが終わったら確認する
 一つの動きが終わったら、全員ができたかを確認する。
(4)
全員ができるまで次の指示を出さない
 全員の動きが終わるまでは、次の指示を出さずに、待つ。
(5)
指示を出したら、評価する
 指示をして、子どもたちを動かしたら、自分の気持ちを語って評価する。
(
若菜秀彦:1961年生まれ、中学校教師、教育委員会指導主事、千葉県公立中学校長を経て同公立高校校長)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級の荒れや崩壊を予防する妙手とは

 教師は、学級の荒れや学級崩壊の危機にさらされている。
 学級の小さなほころびを放っておいたツケがたまって荒れはじめる。
 学級は。組織を作ったから動くわけでなく、子どもたちはルールを理解したからといって守るわけでもない。必ず少しずつほころんでくるのである。
 おおむね、六月ごろに子どもたちは荒れはじめる。小さなことも見逃さない執念で、とりくむ覚悟が必要だ。
「先生は絶対やると言ったことは通すんだ」と、徹底する執念があるかによって学級が崩壊するかどうかが決まると言ってよい。
 掃除、給食当番などの班で行う活動がうまくできないなどは、学級崩壊への予兆である。
 子どもたちは、お互いの行動について注意しあうことができない関係になっているためである。
 こんなとき、学習活動にペア学習を取り入れるとよい。学習の中で協力しなくてはいけない場面をつくる。
 たとえば、発問で選択肢を三つほどだし「二人で相談して、一つの意見を選びなさい」と指示を出すのである。
 子どもたちが向き合うようにしむけることが必要なのです。
 次に「子どもたちの持つ力を利用して導いてあげる」ことである。
 教師が子どもたちを仲よくさせるのだが、教師が頑張るのではなく、子どもが頑張るようにすることだ。
 子どもたち集団のもつエネルギーは計り知れない。明るい方へ、自然と導いてあげられれば、おのずとクラスも明るくなるのである。
 学級にはさまざまな子がいる。当然、どの学級でも問題行動が発生する。そんなとき、教師は気落ちしてしまうものである。しかし、見方を変えれば「ピンチはチャンス」である。
 教師が動揺し浮き足立てば、まずい対応となり学級の荒れや崩壊を招く。心にゆとりを持った対応が求められる。
 問題が発生した場合は、まず冷静に事実を受け入れ、事実確認をし、それを突破する方策を考えることである。
 子どもだから、つまずきは当たり前であるという度量を教師が持つ必要がある。
 問題行動を通して、子どもが考え、学ぶことができる貴重なチャンスなのである。
 指導者である教師は本筋をとらえた好手を次々に打っていかなければならない。
 本筋は、子どもに過ちを反省させることである。過ちをしてしまった本人に話させるようにすべきなのである。
 その指導にはコツがある。それは「子どもの自発的な発言を中心に対話を組み立てる」ということである。自発的な発言は子どもの内省を促すことができるからである。
例えば、
「何か悪いことしたでしょう。先生に話してごらんなさい」
「他の人から、いろいろな話を聞いたのだけど、先生は〇〇さんの口から、そのことを聞きたいと思ったんだ」
「そう、偉い、よく言ってくれました」
「でも、先生の話してほしいのは、そのことではありません」
「まだ、他にあるでしょう」
と、詰めていくのである。
 この指導のコツを知ってから、子どもと事件を共有し、怒鳴ることなく指導することができるようになった。
 真相が分かった段階で「そうしてしまったことをどう思いますか?」と反省を促し、注意すればいいのである。
 学級には、ボス的な存在の子どもがいる場合がある。そんなときは、その子一人だけの指導にこだわってはいけない。
 どうしても目立つ子が気になるが、その他大勢の子どもたちへの対応に力を注ぐことが、遠回りのようで、近道となることがある。
 授業に力を注ぐようにして、まじめに学習している子どもたちの信頼を獲得するようにする。
 戦うときは一対一で「その他大勢の子どもたちを味方につける」ことが大事なポイントとなる。
 叱ることについてもルールが必要である。何をどこまでしたら、注意なのか、それとも叱ることなのか、といったことである。
 教師は自分の中にしっかりと持っていないと、子どもたちは敏感である。見ていて、差があると、あっというまに教師への信頼を失う。子どもたちは差別に敏感である。
 もし、教師に授業の腕があれば学級崩壊はありえない。授業が退屈で、わからないと反発するのは当たり前である。
 授業を良くすること、子どもたちにとって価値のあるものにすることが、学級経営の王道である。
 しかし、残念ながらこればかりは、本を読み、研究授業をし、サークルに通い、汗と恥をかくしか上達の近道はない。
 教師が成長をとめると、子どもたちも、ついてこなくなる。
 子どもたち一人ひとりの長所が学級の風土になり、一人ひとりの子どもを伸ばそうと教師が考えているか。教師の姿勢や心構え、指導方法をチェックし、方策を講じることが何よりも大切である。
(
中島主税・矢田広和・大久保奈生子・大沼靖治:北海道公立小学校教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

保護者に好かれ、信頼される教師の話し方とは

 保護者会で保護者に好かれる話し方は、どのようにすればよいのでしょうか。
(1)
にこやかに話す
 暗い表情は保護者に第一印象として、よくない印象を与える。
 子どもに接するときと同じように、明るい表情はどの場面でも必要だ。
 やはり、何事が起っても、にこやかに話すということは大事だ。
 にこやかに話していくと、きつい話が混ざっていても、さらっと聞き流してくれる。
 例え、問題が起こったときでも、教師は希望を持っているという意志も示さなければいけない。
 そういう冷静さを保護者に感じさせる必要があろう。
 あ、この先生はいい先生だな、と言うことを第一印象にしたい。決して冷たさを感じさせないようにしたいものだ。
(2)
丁寧な言葉で
 丁寧な言葉遣いは、にこやかに話すのと同様に悪い印象は与えない。
 保護者が自分と同世代だからとか、自分より若いからと、砕けた話し方はいけない。
 仲間同士の話のように話していると、親しくなれたような気になるかもしれないが、教師だけがそう思っているだけなのかもしれない。
 聞いている保護者に合わせて、話し言葉も変えないといけない。
(3)
自信を持って話す
 保護者は子どもを安心して任せられる教師かどうかを見ている。
 丁寧に話をしていても、自信のない話し方をしていると
「この先生は、頼りがいのある先生なのだろうか?」
と、思わせてしまう。
 教育のプロとして、自信を持って話をすべきだ。
 教師は、教育に対して、どのような思いや理念をもっているのか、どのような子どもに育てたいのか、どのような実践をしているのかを明確に持って、保護者に話をしたい。
 特に、こういう実践をしたら、子どもがこうなったということを、自信を持って話したい。
(4)
謙虚に話をする
 教師は、自信を持ちすぎると、謙虚さに欠けることがある。
 若い教師なのに「教育について全部知っています」というような態度は逆に反発されるときもある。
 一歩さがって、保護者の言うことにも耳を傾ける謙虚さが必要である。
(5)
ポイントを抑えて話す
 どんなによい話でも、だらだらと話をしていると、よい印象は与えない。
 いろいろと話したいことがあっても、ポイントをしっかりまとめておいて、話したい。
 ポイントがたくさんあると、覚えきらないし、だらけてくる。ポイントを絞って簡潔に話をしたい。
(6)
資料をもとに話す
 資料を作って、資料をもとに話すと、話も整理される。聞いている保護者には、長くなる話も、だらけずに聞くことができる。 
(
磯貝定徳:神奈川県公立小学校教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「押しつけや、いや味」のない説教をするには、どうすればよいのでしょうか

 私は小さい頃から、ずっとお説教というのが嫌いでした。
 お説教されると、すぐ逃げ出したい気分になります。私は、お説教の中に「押しつけ、見せしめ、いや味」などの臭いを感じてしまうのです。
 ところが、そんな私がお説教する場面に立たされたのです。
 学年の廊下に貼りだしていた100枚ほどの「遠足のスナップ写真」の見本のうち5枚が消えてしまったのです。
 その日、朝の職員の打ち合わせで、昼休みに中学2年生全員を体育館に集めて話をしようということになったのです。
 ベテランと呼ばれても不思議でない年齢になってしまった私がお説教する役に選ばれたのです。子どもたちにつぎのように考えて話しました。
1 お説教の目標
 目標は、話が終わった時に、多くの子どもたちが「なーるほど、そういうことで、集会になったのか。それなら、しょうがないか」と思ってもらえることです。
(1)
見せしめの集会にはしない
 教師は、説教を「見せしめ効果」に使ってしまいがちです。学活や道徳の時間、授業の時などにやりがちなことです。
 だけど、この「見せしめ効果」には、充分気をつけてください。
 やられる側にしてみると「悪いことして、ゴメンネ」という気持ちになることもあるけれど、多くの場合は
「教師たちめ『みせしめ』なんて汚い手を使いやがって、俺たちを『悪者』に決めつけ、みんなの前で恥をかかせて、頭にくる。チクショウめ」
などという反感を持たせてしまうものなのです。
 その結果、集会の後に、より悪質ないたずらが勃発するということがしばしばあるのです。
(2)
必ず「問題を起こした子ども側」の気持ちにも触れる
 この事件に限らず、問題を起こした子どものことを、頭ごなしに「悪者」扱いにしてのお説教は、ただ反発を買うだけですから注意してください。
 必ずといっていいくらい本人には「もっともな言い分」があるものなのです。
 だから、どんな問題の時も、必ず「やっちゃった側」の気持ちは一度はちゃんと聞いてやるべきなのです。
 聞くのは一番始めの時が絶対にいいのです。「言い分」を充分に聞いてあげましょう。
 そして、その次に「事実の確認」と「その善悪についての判断」をさせてあげたいのです。この順番は、絶対に間違えないようにしましょう。
 子どもたちが「この先生、俺たちの気持ちを分かろうとしてくれている」と思ってくれたりしたら、教師の話も心を開いて聞いてくれるかもしれないからです。
 私は、集会で話す時間を5分以内と決めました。
2 出だしの話
 私は本題に入る前に、こんな感じでスタートしました。
「みんなにとっては、遊べる貴重な休み時間だというのに、すごいガッカリだよね。僕も同じ気持ちです」
3 なぜ集まってもらったかの説明
「みんなに話さなければいけないことが起きたので、ここに集まってもらいました。少しだけつきあってください」
「実は、廊下に貼りだしておいた遠足のスナップ写真の何枚かが失くなってしまったんです。それで困っているんです」
「もしかして、この学年の人のいたずらでないかもしれません。もし、そうだったらゴメンなさいね」
「でも、学年の廊下での紛失事件なので、とりあえずみなさんに集まってもらいました」
4 問題を起こした子どもの気持ちに触れる
「ところで、写真をとった人って、きっとほんのイタズラ心でやったんだと思うんです」
「あるいは、写真を見ているうちに、この子、かわいいな。この写真ほしいなーと、つい手が伸びちゃったとかね」
「とにかく、すごい悪いことをしたわけじゃない。ちょっとした出来心でやっちゃったことだと思うんです」
5 結果として、どんなマズイことになったか話す
「ところで、写真をとった人は、ほんの出来心でやっちゃったことなんでしょうが、それは結果として、次のことでまずかったんですよねー」
「まず、まだあの見本の写真を見ていない人に迷惑をかけているんですよ。消えてしまった写真からは選べない。だから、困っているんです」
「それから、写真屋さんにも迷惑をかけていることにもなる。あの写真は写真屋さんの私物なんです。いたずらでも、これは『盗難事件』です。これはまずいんですよ」
まずい点については、短くさわやかにハッキリと教えてあげたいですね。
6 これからどうあってほしいのかを伝える
「僕の願いとしては『できたら失くなった写真が戻ってくるといいなー』ということです。写真を戻してくれる人が現れたら、僕はすごくうれしいですよ」
「ただ、戻そうと思っても『戻しづらいなー』ということもあるものです。そんな時は、ほんと、どこにでもいいですから、そっと返しておいてくださいよ」
7 私の気持ちを子どもたちに伝える
「僕は、こういう会ってあまりやりたくないですねー。だつて,僕が一番さみしいなーと思うのは、教師が子どもたちを疑ったり、互いに不信感を持ったりすることです」
「また、子どもたち同士がお互いに不信感を持ち合うこともさみしいことですね。なんとか避けたいですね」
「できたら、お互い笑顔のたのしい関係がいい。だから、今度は、たのしいことで集まりたいですね」
「貴重な時間をつぶしてしまいました。ごめんなさいね。でも、まー、僕なりに『お互いがイヤーな気持ちにならないように』と一生懸命に話したつもりです」
「そんな僕の気持ち、分かってもらえたらうれしいです。僕の話、これでおしまいです」
 ところで、この数日後、なんとあの失くなった5枚の写真が戻ってきたのです。
「俺たち、とっちゃった」と代表のYくんが返してくれたのでした。
(
小原茂巳:東京都公立中学校教師を経て明星大学教授
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

掃除をさぼる生徒がたくさんいたが、アドバイスを受け、やり方を変えるとさぼる生徒が徐々に減っていった

 掃除の時間は、掃除をさぼる生徒を探すことに私は全力を注いでいた。しかし、さぼる生徒の数が減らなかった。
 掃除の時間になると、掃除に行かず遊んでいる生徒や、ほうきを持ったまま掃除をしない生徒などがたくさんいた。私は掃除の時間が苦痛だった。
 私は、まじめな生徒に掃除を任せ、掃除場所にいない生徒をいつも呼びに行っていた。他のクラスの生徒から「また探しているんだ」と言われた。
 さぼっている生徒を見つけると「早く掃除をしないさい!」と注意し、大きな声で怒鳴ったこともあった。
 しかし、生徒は「うるせー」「しつこい」「掃除なんか、めんどくせー」という言葉しか返ってこなかった。
 このようなやりとりをしているうちに、20分が経ち、掃除終了の時間となった。
 掃除が終わると、班長が清掃点検表に記入し、班員全員で反省会をすることを学級のルールにしていた。
 ほとんどの班は、1~2名のさぼりの生徒がいたので、班長に呼びに行かせても戻ってこないときは、私が呼びに行った。
 反省会に全員がそろわないと終わらないことを知っているので、しぶしぶ戻ってきた。
 毎日がこの繰り返しであった。当然、帰りの会は、いつも学年で一番遅かった。
 あるとき、隣のクラスの先輩教師に
「掃除をやらない生徒ばかり目を向けるのではなく、まじめにやっている生徒をほめてあげなさい」
アドバイスを受けた。
 今までのやり方では、一向にまじめに掃除をする生徒が増えないということがわかった。しかも、まじめな生徒ばかりが損をし、しかもほめられないという最悪の状態だった。
 そこで、次のように、やり方を思い切って変えてみた。
(1)
生徒といっしょに掃除をする。
(2)
反省会はしない。
(3)
まじめに掃除をする生徒を思いっきりほめる。
 授業終了のチャイムと同時に、私は授業を終わらせ、すぐに教室に向かう。
 教室に入ると、すぐに「さぁ、掃除だー」と、近くにいる生徒たちに明るく声をかけ、掃除ロッカーからほうきを取り出し、どんどん掃いていく。
 まじめな生徒たちは、私の様子を見て、あわてて掃除に取りかかった。机が運ばれていなければ、率先して運んだ。
 掃き終われば、ちりとりを持ってきて、ゴミを集めた。教室の出入口の溝など、生徒が掃除をしないような所も雑巾で拭いた。雑巾が汚れていれば、もう一度洗い直した。
 教室には、ゴム手袋を常備した。とにかく、掃除の時間は、生徒以上に動き働いた。
 すると、どうだろう。いちいち注意を与えなくても、
 教師の動きを見て、すばやく掃除に取りかかる生徒がいた。
 今まで、動きが鈍かった生徒たちも、少しずつではあるが動くようになってきた。
 掃除にまじめに取り組んでいる生徒の様子が事細かにわかるようになった。
 清掃点検表を見て、まじめに取り組んでいる生徒たちを帰りの会や学級通信で取り上げ、ほめまくった。ほめられれば、さらに働いてくれた。
 その他の生徒たちも、刺激を受けたのか、掃除をさぼる生徒が徐々に減っていった
 教師が率先して動くようになったことで、掃除をまじめにする生徒に目が向き、それをほめることだけで、学級全体の掃除に対する取り組みが確実に変化していった。
 今では、私は生徒たちにどんどん指示を出すようにしている。
「こっち、掃いてー」「机どんどん運んでー」「次にこっち!」
というように、絶えず私自身が動き、生徒の動きをあおっている。
 そんな私は動きにつられてか、生徒の動きもどんどん早くなってきている。
 おかげで、掃除・帰りの会の終了は、学年一番になった。  
(
我妻佳代:宮城県公立中学校教師
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまの若い教師の最大の不安は「保護者とうまくやっていけるか」です、どうすればよいか

 いま若い教師の間では、ちゃんと授業を教えられる技量があるかどうか、子どもや教職員とうまくやっていけるかどうかより「保護者とうまくやっていけるか」が最大の不安材料になっています。
 最初から保護者対応力を持っている新米教師はまれだからです。
 保護者対応力は経験によって身につくことが多い。
 学校現場での具体的なトラブル解決の臨場感の中で、また、職場の同僚性の発揮の中で、あるいは、教師自らが家庭を持ち子育てに関わる経験によって、はじめて身につくことが多いのです。
 最初から保護者対応力を持っている新米教師はまれな存在にすぎません。保護者対応能力を、教師としての値踏みに使わないようにしてもらいたい。
 学校現場では、苦情を受ける人は、実際に問題を引き起こした教師であり、
「〇〇先生の対応の仕方が悪いからこうなったんだ」
と、個人の問題ととらえられやすい傾向をもっています。教師個人が名指しで責められやすいという特徴があり、それがもっとも辛いといえます。
 だから「トラブルを抱かえていることを他の人に知られたくない」という意識を生みだしやすく、周りが気づいたときは「傷が深くなっている」という状態が起こりやすいわけです。
 企業の場合は、苦情対応が担当者の力量を超えてしまった場合は、別の人間に代わってもらうことができます。
 しかし学校では、苦情を申し立てる保護者の側からすれば、学級で起こっていることは担任が対応するのが当然という意識があるため、担当者が交代するのは難しい。
 そのため、学校では「相当深刻になってから」交代おこなわれることが多い。
 交代するのは、続行不可能となり、担任を降りるとか休職という、極めて不幸な形となってあらわれることになります。
 学校には、苦情対応を専門にしているプロはいません。教頭などが、それらに当たる場合が多いが、他の雑多な膨大な仕事を抱かえながらの同時並行作業です。
 担任も同じで、ふだんの仕事と併せて、苦情対応をおこなわなければならないために、負担が強くなります。
 それがさらに本業である教育指導に多大のマイナスの影響を及ぼしたり、注意力が散漫になるため、より悪循環に陥りやすいわけです。
 この4年間で教育委員会に上がってくる保護者などからの苦情やクレームが、79件から25件に次第に減少している市があります。
 その市は、教職員のスポーツ大会はあるし、宿泊を伴う職員旅行が残っています。
 そのことと、苦情が減少したこととの間に相関関係があるかどいかは、調査をしないとなんともいえません。
 ただ、トラブルが起こったときに、教職員を孤立させないようにする配慮の体制は、教育委員会の学校支援を含めて、整えています。
 少なからず、どこかで誰かとつながっているという気持ちが、それぞれの教職員の頭の片隅にあるかどうかが、一つのわかれ目のように思います。
 私は講演先で
「一見すると、ムダと思われた時間と空間がどんなに大事なことか。皆さん方の職場に、宿泊を伴う職員旅行は残っていますか」
「一学期に1回でもいい。汗を流し、笑いあうようなバレーボール大会、ソフトボール大会・・・残っていますか」
「職場の同僚性や共同性は、汗と笑いの中からしか、生み出されないのです」
と、訴えかけています。
 手探りでその日その日を、なんとか乗り切っているのが若手教師かもしれません。
 近くに頼れる先輩教師がいて、そういった人たちとうまくコミュニケーションができていますか。
 ふたんから職員室に笑い声があふれていますか。
 つらいこと、しんどいことが起きても「なんとかなる。みんなでやろうぜ」という声がかかりますか。
 若い教師は、元気いっぱいに子どもたちと向き合ってください。先生たちが元気でないと、子どもも楽しくありませんし、保護者も不安になります。
(
小野田正利:1955年生まれ、大阪大学教授。専門は教育制度学、学校経営学。「学校現場に元気と活力を!」をスローガンとして、現場に密着した研究活動を展開。学校現場で深刻な問題を取り上げ、多くの共感を呼んでいる)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもに好かれ、学級を育てる、成長する教師と、その逆の教師との違いは何でしょうか、 子どもに好かれ、学級を育てる、成長する教師になる秘訣とは

 子どもに好かれる教師と、そうでない教師とがいます。また、活気に満ちた学級を育てる教師と、学級を育てられない教師がいます。
 どこに違いがあるでしょうか。
 子どもに好かれ、学級を育て、伸びる教師と、その逆の教師との違いと、子どもに好かれ、学級を育て、伸びる教師になる秘訣を紹介します。
1 子どもに好かれる教師
) 厳しくて、おもしろくて、力をつけてくれる教師
 子どもたちが期待している教師とは「厳しい」と「おもしろい」を兼ね備えた教師です。そして、力をつけてくれる教師です。
(1)
厳しい教師
「厳しい先生」を子どもたちは、きらってはいません。このことを私たち教師は、もう一度、考え直してみる必要があります。
 ダメなことをした時には、きちんとダメであることを指摘し、そのわけを教えてくれるのが教師です。
「正しいこと」と「ダメなこと」とをあいまいにする「まあまあ教師」を、子どもたちは決して期待していません。
(2)
おもしろくて、力をつけてくれる教師
 ユーモアがあって、楽しい話をしてくれる教師。何よりも、授業をおもしろくしてくれる教師を子どもたちは歓迎し尊敬します。
 授業がおもしろくなかったら、子どもたちは毎日が退屈です。子どもたちは、勉強して力をつけたいと願っています。
) 明るく、やさしい教師
 ニコニコしていて、元気で落ち込まない教師。カッと怒らないで、話を聞いてくれる、やさしい教師が好かれます。
 教師は、一人ひとりの子どもを人格的、知的に成長させるために、もっと専門性を高め、人間力を磨かなければなりません。
2 嫌われる教師
1)
子どもが気にしていることを平気で口にする「嫌味」を言う教師。
2)
お気に入りの子どもをかわいがる「えこひき」をする教師。
3)
元気がなく、表情も暗い感じがする「暗い」教師。
4)
失敗をいつまでもネチネチと言う「しつこい」教師。
5)
気分によって話の中身が変わる「言うことが変わる」教師。
 子どもたちの指摘を素直に受け入れて、明るい元気な教師になるように努めたいものです。
3 学級をダメにする教師
1)
物事を悲観的に見る教師
 物事を悲観的に見る教師は、子どもを伸ばせません。「子どもに、やる気がなくて困ります」といっていつも悲観的に考えている。教室の雰囲気も暗くなり、学級は沈滞していきます。
2)
まじめすぎる教師
 まじめすぎる教師も、学級を育てることができません。まじめすぎるあまり、許容範囲が狭くなり、子どもが少しでもはめを外すと「ダメ」と禁止します。
 子どもたちは、いつも窮屈な雰囲気の中にいることになり、学級に活気がなくなります。
 教師自身もまじめ過ぎるため、ストレスも溜まりやすく、暗くなることが多くなり、学級は育たなくなります。
3)
友だちのような教師
 友だちのような教師は、学級が崩れ、学習も成立しなくなってきます。
 子どもたちは、しばらくは「優しい先生」と身を寄せてきますが、何となく頼りがいがなく感じ、いつしか離れてしまいます。
 気軽に話せること、子どもと一緒に遊ぶことは、子どもと教師との関係を保っていく上では大切なことですが、気軽さが信頼を生むものではありません。
 子どもは信頼できる教師についてきます。
 子どものことを真剣になって考えてくれる。問題や悩みがあるとき、どのような方法で解決していけばよいかを的確に愛情をこめて示してくれる。
 子どもが「この先生なら大丈夫」という安心感を持てたとき、初めて教師を信頼するのです。
 子どもは、教師のプロとしての力量を鋭く見抜きます。力量が低いと見破ると、教師の指示を受け入れなくなり、学級が崩れ出します。
 目をさまし、プロ教師をめざして精進していきましょう。
4 学級を育てる教師
1)
強い意志と気迫がある教師
「すご腕の教師だ」と感心させられる教師は、「すごい学級に育てるぞ」「いじめは絶対ださないぞ」「国語の大好きな学級にしてみせるぞ」という、強い願いを体中から発散しています。心に秘めた強い意志と気迫が感じられます。
2)
子どもを乗せるのがうまい教師
 また、学級を育てる教師は、子どもの乗せ方が大変うまいことにも気づきます。
 がんばっている子を見て「いい調子だ。その調子でやればどんどんよくなるよ」と持ち上げる。すると、その気になって伸びていきます。
3)
授業がじょうずな教師
 また、授業がじょうずなことも大事な条件です。
 1日に1時間は、子どもが目を輝かせる授業をする。これを本気でやり通すことで子どもの目の輝きが変わってきます。
4
)向上心のある教師
 学級を育てる最終のポイントは、教師が「自らも成長しようとする向上心」です。
 教師が腕で上げよう、成長しようと努力している姿が子どもの目に映り、子どもの成長に大きな影響を与えていくものです。
 私が授業の録画を撮り、放課後に教室で再生し見ていると、子どもたちは「先生もがんばっているね」と励ましてくれました。
5 まねをする教師は、伸びる教師
 私は、若手教師とサークルを立ち上げ、研究活動をしています。たくさんの実践報告が飛び交います。
 実践報告を、すぐに、どうどうとまねをする教師がいます。
 一方、まねをするのですけれど、自分で考えた方法でないので、引け目を感じ遠慮しながら実践をする教師がいます。
 また「どうもあの方法には問題があるようなので」と実践に取り入れない教師もいます。
 どうどうとまねをする教師は、まねている間に新しい考えを出したりします。新しい実践をつくりだします。
 遠慮しながら、まねている教師は、一つの方法を身につけますが、新しい方法を見つけ出せません。
 まして、理屈を先行させ、まねをしない人は、残念ながら伸びずに終わります。
 どうせ、まねるのだったら、どうどうとまねをして実践力を高めた方が有効です。
 実践力を高めるために、明るく堂々と他人のよい実践をまねましょう。それが、あなたの実践力を高める早道です。
6 教師よ、自信を持て
 自信のある教師は伸びるし、自信のない教師は伸びません。
 学級や子どもを伸ばすエネルギーの源は、教師が自信を持つことです。
 まず、教師自らが自信を持たなければ、学級も子どもも育ちません。
「私は、すごい教師です。明るく、元気で、子どもをぐんぐん伸ばしていく教師です」
と声に出して言ってみませんか。
 これが、子どもを伸ばす最大のコツなのですから、誰もいないところで、堂々と声を出して言ってみましょう。
 誓いの言葉を述べるように叫んでみましょう。想像しているだけで、体が熱くなってきせんか。
 ある学校の研修会で、この呼びかけをしました。終わって廊下に出たとたんに「先生の話を聞いていたら、体が熱くなってきました」と、若い教師がかけよってきました。
 学級づくりの細かなコツは学べば分かってきます。しかし、肝心の教師が元気でなければ、学級づくりのコツは生きてきません。
 いつも物事を暗く考え込んでしまう教師は、すぐに考えをやめることです。少々無理をしてでも「私は、子どもを伸ばす名人です」と叫んでみてください。何かが変わり出しますよ。
 元気を出して明るく対応していけば、難局を乗り越えることができ、大きく成長します。
 また、周りにはあなたを支えてくれる仲間がいます。一人で問題を抱え込まないで、素直に助けを求めればいいのです。
(
山本昌猷:1942年生まれ、元石川県公立小学校校長、教師の交流館「わいわいハウス」開設
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

荒れた学級を変えるには授業のとり組みが重要である、そのためには、みんなで知恵を出し合い、想像し、発見していく共同の学びの授業を創っていくようにするとよい

 荒れて集中できない学級では、静かにさせてから、授業をしようと思ってもだめです。
 授業をしながら、授業そのもの中で、集中するようにしていかないといけないのです。
 おしゃべりが止むまで待っていたら、いつ授業が始まるかわかりません。
 子どもたちも、授業の入り口で注意されたり、説教されたりすることは嫌なのです。そんなことをしていると、ますます授業にのらなくなります。
 子どもたちが深く学ぶためには、緊張が必要だと思います。
 その緊張を外からつくろうとしても、なかなか育ってはいきません。授業中の「きまり」をいくら作ったり、教師が怒鳴ったりしても、うまくいきません。
 授業で大事なことは、内的な緊張です。
「あっ、おもしろそうだ」「なぜ、そんなふうになるんだろう?」というような、内面の働きの中で、自然に自分自身で緊張をつくっていく「内的緊張」こそ大切だと思っています。
 この「内的緊張」を授業の入り口でグーンと高めていくことが、私たち教師の大事な仕事のひとつです。
 教材研究でまず大事なことは、いかに教えるということよりも、むしろ教師自身が授業で扱うことについて、どれだけ深く知り、どれだけ知的好奇心を高めることができるか、ということです。
 子どもたちが楽しく、おもしろく、深く学べるようにするためには、この教材研究が不可欠です。
 荒れる子どもたちが、授業で目を輝かすことができるかどうかは重要なことです。
「何のために、わざわざ学校に通って学習するのか」という問いに応えるような授業とは
「みんなで知恵を出し合い、想像・推理し、発見していく、共同の学びを創っていく授業」です。
 荒れた六年生の子どもたちに、私は次のような授業をおこないました。
 六年生の最初の授業は「日本における考古学の始まり」を扱いました。
 この一時間目をどのような授業にするかは、これからの一年間の学習にとっても重要な意味をもつものと思われました。この一時間が楽しければ、社会科の学習に対する姿勢が変わってくるはずです。
教師「1877年(明治10年)の6月18日のことです。横浜の港に一艘の外国船が着きました。この船には、どんな人が乗っていたでしょうか?」
子ども「外国人」「アメリカ人」「イギリス人」「外国から観光に来た人たち」「何か調べるために日本にきた外国人」
教師「実は、この船には、モースというアメリカ人が乗っていました。横浜の港についた動物学者(貝の研究)モースは、東京へ向かう列車の窓から景色を眺めていました。あるところまで列車がきたとき、ここは大昔の人びとの生活がわかるものが埋まっているはずだと思いました」
教師「モースが見たものは、いったい何だったんだろう?」
子ども「海」「魚」
教師「そういうものからは、大昔の人々の生活はわからないと思う」
子ども「貝がら」
教師「どうしてそう思ったの?」
子ども「大昔の人たちが食べた貝がらだから」
子ども「大昔の人たちが食べたものや、いらなくなったものを捨てたゴミ捨て場」
教師「そう、貝がいっぱい捨ててある場所なので、ここを掘れば大昔の人々の生活がわかるものが出てくるはずだと考えたのでした」
教師「そして、この年の10月、東京大学の教授たちといっしょに、モースはその貝塚を発掘したのでした」
教師「さて、実際に発掘してみたら、貝の他にどんなものが出てきたと思いますか?」
子ども「土器」
教師「そうです。土器もでてきました。土器はどんなことに使ったんだろうね」
子ども「食べ物を入れておいた」「煮たりするときに使った」
教師「他にどんなものが出てきたと思いますか」
子ども「魚や動物などの骨」「石でできた道具」
教師「そうです、石器も出てきたんです」
子ども「つり針」
教師「骨で作った針が発見されています」
子ども「人の骨」
教師「そうです。人骨も発見されているんです」
教師「その人骨がばらばらな状態で発見されたんです。モースはそれを見て、どんなことを考えたでしょうか?」
子ども「他の動物に食べられた」「殺されバラバラにされた」「人が人を食べた」
教師「そうです。モースは、発見された骨の多くは、真ん中ぐらいで折られているものが多かったこともあり、人が人を食べたのではないかと考えたのでした」
教師「モースが列車の窓から発見したこの貝塚は、大田区にある大森貝塚です。発掘によって、何千年も前の大昔に、人々が住んでいたことがあきらかになりました」
教師「この発見がきっかけで、日本においても、大昔の人々の研究が進んでいったのです」
 授業が進むにつれて、子どもたちの表情も変わってきました。
 全員が集中したわけではありませんし、発言も限れていましたが、子どもたちにも「学んだ」「楽しかった」という実感があったようです。
 最初は「社会科が嫌いだ」という子どもたちが圧倒的に多かったのですが、授業を積み重ねる中で「大好き」という子どもが多くなりました。
 楽しければ、深くかかわれば、子どもたちの学習の姿勢はぐんぐん変わっていきます。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う)
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

授業参観で保護者に信頼されるには、どうすればよいか

 私が、わが子の授業参観に行くようになって、保護者が授業参観に期待するものがわかった。それは
「楽しい授業」
「わかる授業」
「向上のある授業」
である。
 授業参観は、保護者が「わが子を見にくる」と言われているが、
「うちの先生は、どんな授業をしてくれているのかな?」
「どんな工夫をして、楽しく教えてくれているのかな?」
「先生の指示を、うちの子は聞いているのかな?」
「〇年生は、どんなことを勉強しているのかな?」
と、わが子と教師の授業を見ているのである。
 授業が保護者に信頼されるための原則は
1 保護者も一緒に授業を受けている
 保護者は授業を参観しながら、一緒に授業を受けているのである。子どもと同じ視線で考えているのである。
 指示が出ると、わが子は
「指示に従って、ちゃんとやっているかな。話を聞いているかな」
と、わが子の様子を見る。
 このとき、教師の指示が保護者にわからなかったら、保護者は
「今の意味どういうこと?」
と、保護者同士が顔を見合わせる瞬間がある。
「今の質問じゃわからないわ」
「どう答えたらいいのかしら?」
そうすると、保護者の評価は
「うちの先生の授業、むずかしいわ」
「うちの子、きっとわからないわ。勉強についていけるかしら。心配だわ」
2 わかる授業
「わかる授業」は、見えないものが見えてくる授業である。
 授業は、新しい学びをする場である。
「できた」「やった!」がふんだんにある授業は、子どもの笑顔がある。
 やる気が満ちている、子どもたちの様子は、保護者が一番うれしい場面である。
3 楽しい授業
「うちの先生の授業は楽しいわね」
「うちの子が『学校は楽しい』って言っている意味がよくわかりました」
と、保護者から言葉をもらうのは、教師冥利につきる。
「こういう学習をしているから、わかるのね」
「こういうふうに、仕掛けをするからできるのね」
と、教師のプロの技を期待している。
 例えば、音読。竹の子読みを披露しよう。
「追い読み、半分こ読み、1行交代読み、2行交代読み、竹の子読み」と、自分の気に入ったところだけを立って読むシステムである。
 挑発されて、どんどん行数を増やしていく。子どもは、知らず知らずに夢中になって覚えていく。子どもたちが立つ様子は、竹の子がにょきにょき生えるように楽しい。 
「こんなに楽しい授業で学ばせてもらっているなら安心だ」と、読むほうも、見るほうも満足する楽しくて、工夫があって、力のつく参観授業一押しのネタだ。
4 日頃が大事
「全員がわかる指示」は簡単ではない。だから日頃が大切なのである。
 どうやれば、やんちゃくんが話を聞くのか、指示に従えるのか、毎日真剣に悩み、改善をした教師だけが手にすることができる。
 授業が楽しい教師なら、保護者は十分味方になってくれるのである。
(
鈴木恭子:神奈川県公立小学校教師)



| | コメント (0) | トラックバック (0)

子どもが問題行動を起こしたとき、親は子どもにどう接すればよいのでしょうか

 子どもが問題行動を起こすと、親は突然の豹変ぶりに驚きあわてる。しかし、子どもの心の中では、以前から変化が生じていたのに、親はそれに気づかなかったことが多い。
 親から「こういう場合、何と言ってやれば、子どもはなおるのでしょうか」とよく聞かれる。
 子ども問題行動の多くは、それまでの親子関係を徐々に組み替えることで解決に向かっていく。
 ひと言で子どもが立ち直るといった魔法の呪文はない。
 しかし、子どもが変わるきっかけとなることはある。
 問題行動を起こしている子どもが、それを周囲の誰かのせいにしているうちは、そこから抜け出せない。
 自分の問題として引き受けたとき、はじめて回復に向かうことができる。
 子どもの問題行動を解決するには、子どもの心に働きかける必要がある。もつれた子どもの心の糸を解きほぐすのは容易ではないが、愛情と時間を惜しまなければ必ずできる。
 いつか回復することを信じて接すれば、親子の絆を取り戻すことができるのだ。
 その過程は決して平たんではないが、試練を通して、子どもが変わり、親も変わり、精神的に成長するだろう。親子の絆は以前よりずっと強くなっているはずだ。
 子どもが問題行動を起こすと、落伍者のレッテルを貼られることが少なくない。親が自分の子どもをそんな目で見てしまうのだ。
 子どもを支えるはずの親が説教したり、非難したりしがちになり、ますます子どもを追いやることになる。
 そんなときこそ、親は子どもを信頼してほしい。子どもへの信頼が何よりも大事なことは、私がスクールカウンセラーを始めたばかりのころ、一人の教師から教えられた。
 子どもに建て前を振りかざして説教するのは、親子のギャップを広げるだけだから、子どもの気持ちを動かそうとしたら、子どもと向き合い親の本音をストレートにぶつけるしかない。
 誰でも子育ては試行錯誤の連続だ。親は自分が子どもだった頃を思い出してほしい。
 思春期の頃は覚えているはずだ。そのころ、何を考えながら過ごしてきたのか、どんなことで悩んでいたのか、親との関係はどうだったのか、などを振り返ってほしい。
 振り返ってみると、親に期待していた言葉を言ってもらえなかったり、無神経な言葉に傷ついたことがあるに違いない。もちろん、楽しかった思い出もあるだろう。
 それを実感とともに思い出せば、いま自分の子どもにどう接すればいいか見えてくるはずだ。
 子どもが悩んでいたら、自分が同じ年頃のときに何を悩んでいたかを子どもに話してみるといい。子どもに本音で接することになるだろう。
 子どもの問題行動でカウンセリングに訪れる親を見ると、ほぼ例外なく、心の余裕を失っている。
 私はカウンセリングで、相談者に目のさめるようなアドバイスをしたりできるわけではない。じっくり相手の話に耳を傾け、その言葉の裏側にあるものを理解し、本当に訴えたいことを導き出そうと努めているだけだ。
 誰でも、自分の心の中にある、言いたくても言えなかったこと、それまで気づかなった本当の問題、一人で抱かえていた悩みや苦しみなどを口にしたとたん、半分は解決したのも同然だ。
 心の中で葛藤したり迷ったりする時間が必要だったのだ。
 子どもの話に耳を傾け、言いたいことを聞き出すのは、親や教師、友だちなどもできる。
 親にお願いしたいことは、子どもが問題行動を起こしたとき、子どもの様子がおかしいときは、子どもの話に耳を傾けてほしい。
「いまの気持ちを話してくれるとありがたいんだけど」
「お前もつらかったんだね」
という具合に聞き役に徹し、重い口を開いてもらう。 
 人は話すことで自分の気持ちを整理したり、言葉にすると気づくことがある。子どもも話しているうちは、自分の心を見つめることができるようになる。
 子どもが親と口を利きたくないようなら、子どもの友だちを家に呼んだり、親戚のお兄さんやお姉さんに来てもらって、話し相手になってもらう。
 心の中の葛藤というのは、何本もの糸が絡まり合った状態だ。それを言葉にすることによって、絡まった糸を一本ずつ抜き取り、ほぐしていく作業になる。
 問い詰めずに、話しやすい雰囲気をつくり、言い出すまで待つことが大切だ。
「言いたいことがあれば、今日でなくてもいいから、言いたくなったら、言いにきなさい」と促せばいい。
 自分の気持ちや言い分を言葉にすることを通じて、子どもは失いかけていた自分を組み立て直す必要がある。
 そのうち子どものほうから、言い出したら「じゃあ、どうしたらいいか考えてみよう」と親子で話し合えばいい。子どもが自分で解決策を考え、自分で選択することが大切なのだ。
 子どもの選択は最善でないかもしれない。しかし、子どもの心は大きく成長するはずだ。たとえ間違った選択でも、自分で選択したことならやり直しができる。
 子どもと気持ちのいいコミュニケーションができないという人は「私メッセージ」を発するといい。
 相手を主語にするのではなく、自分を主語にする。叱るのではなく、自分の気持ちを伝えることになる。たとえば
「あなたは、掃除するそばから、散らかすんだから!」
と叱るのではなく、
「せっかく掃除をしたのに、もう散らかって、お母さんはがっかりだわ」
と言うことになる。
 運動部のコーチに言わせると、子どもは叱るよりも、ほめたほうが伸びるが、ここ一番というときは、叱ったほうがいいことがあるという。
 例えば、いい結果が出ると、慢心する子がいる。練習に熱が入らず、手を抜く。そんなとき「少し上達したからといって、つけあがるな」と雷を落とす。
 そういうときは、やさしく言って聞かせるより、ガツンと叱ったほうが効くそうだ。
 子育ても同じで、いつも叱っていては効果は薄い。9割はほめて、1割は叱る程度でちょうどいい。
 子どもが叱られても、納得できるタイミングをとらえ、ここ一番というときに叱るのだ。ただ、叱るときは、逃げ道を残してやる必要がある。
(
吉田勝明: 1956年福岡県生まれ、横浜相原病院院長)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「うちの子と遊ばないように言ってほしい」と言う保護者に、教師はどう対処すればよいか

 小学校4年生の授業参観の日のことです。授業が終わった後に、A子の母親が相談したいことがあると言ってきました。
 A子は、物静かでなかなか自己主張できない、おとなしい性格です。
 相談の内容は、友だち関係についてでした。
「クラスの中に、わが子があまり好きでない子がいるのだが、その子は遊びの時間になると、わが子を誘ってくる。それがいやで、困っている」
というものでした。
 その子から、いじめを受けたり、何かいやなことを言われたりしているのかを聞いてみましたが、そういうことはないようです。
 ただ「あまり好きでない。他に遊びたい子がいる」と言っているだけだそうです。
 A子に聞いてみると、好きでない子の名前は、すぐに教えてくれました。B子でした。
 B子は活発に行動する子で、仕切りたがりのところがあります。おそらく、A子はB子のそういうところが好きにはなれなのだろうと思いました。
 また、遊びたい子というのはC子でした。C子はおとなしく、いつも静かに教室で本を読んでいることの多い子です。
 いつも寂しそうな表情をしているC子を思い浮かべました。家もA子の近くであり、幼い頃はよく遊んでいたそうです。
 A子の母親は、わが子がB子に振り回されているのがいやなようです。
「先生からB子ちゃんに、わが子と遊ばないように言ってください」
「そして、C子ちゃんに、わが子を遊びに誘ってくれるように言ってください。わが子は自分で言えないので、先生に言ってほしいのです」
と要求してきました。どう対応すればよいのでしょうか。
 小学校4年生の女の子は、もう自我が芽生え始め、自己主張も始める頃です。
「自分でB子の誘いを断り、C子に声をかけ、共に遊ぶようにさせる」ことが大切です。友だちは自分から求めることが基本です。
 とは言っても、まだ自我の芽生えない子もいますから、教師が友だちづくりの手伝いをすることも、ときには必要でしょう。
 まず、C子にA子への気持ちを聞き、同意を得たら、A子にC子へ声かけをさせることです。
 そして、次に、B子の誘いを「今は〇〇をしたいの」と、やわらかく断る体験をA子にさせ、それを教師が見守ってあげることです。
 どちらか一つでも、できたらA子をほめてください。徐々に自信を持つでしょう。
 母親にもそのことを伝え「もうA子さんは、自分でできますよ」と見守ることを教えてください。
(
諏訪耕一編集:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの相談室」を開設した
)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年5月 | トップページ | 2018年7月 »