« 一人も見捨てられない「学び合いの授業」をするには、どうすればよいか | トップページ | 今の保護者は人の話を聞けなくなっている »

教師が話術をみがき、魅力ある話し方ができるようになるにはどうすればよいか

 教師の声は全員の子どもに聞こえるように、しかも、明瞭で明るいトーンで発せられなくてはならない。これが基本である。ついで、表情や手振り身振りの豊かさも重要で、とくに、笑顔が欠かせない職業である。
 こうした表現力は、意識しないと高まらない。ときどき、自分の話を録音して聞いてみたり、大きな鏡の前で手振り、身振りやいろいろな表情をつくったりして、それらが子どもたちにどのような印象を与えるか分析的に検討してみたい。
 そうした努力なしに、魅力ある話し方はできないだろう。教師の話術をみがくには
1 命令調から勧誘調に
 教師の話術の基礎は、子どもとの対話や会話にあるから、暇さえあれば、子どもたちと雑談して、おしゃべりを楽しむことを勧めたい。
 教師は多忙で、子どもたちと言葉をかわす余裕もなく、とかく命令的・指示的にふるまいがちである。「静にしなさい」「早くやりなさい」・・・・・。
 この命令的・指示的な話し方が、教育現場に習慣化し、子どもに向かって命令や指示はできるが、話し合えない教師を増やしている。
 教師の命令的な話し方は、子どもをいらだたせる。子どもがクラスの友だちにたいしても、同じような口調で接するようになり、攻撃的な人間関係をいっそう強める結果になる。
 そこで、すぐにできることは、指示的・命令的な口調から「勧誘(誘う)」話法に切り替えることである。
 例えば「早くやれ」ではなく「早くやろうな」「早くやろうぜ」「早くやりましょうね」という「誘う」いい方に切り替える。
 こうすると、横並びの関係に立って、子どもたちの自発性にはたらきかける親しみのある表現にかわる。
2 子どもへの注意は楽しく
 子どもに注意するときは、楽しいエピソードにして伝えるようにする。
 例えば、教室のほうきが壊れていたとき、どのように注意すれば徹底するでしょうか。
「掃除用具をていねいに扱うこと。わかったか」と注意する。だが、こんな注意のしかたで徹底するわけはない。楽しい話に仕立てて伝えるのである。わたしが小学生のとき担任の先生がこんな話をしてくれた。
「先生が夜遅く教室の前の廊下を歩いていたら、教室のなかからだれかの泣き声が聞こえる。そっと戸を開けてのぞいてみたら、ほうきが泣いていたんだ」と、こわれたほうきを見せながら、
「見てくれ。このわたしのからだ。頭と胴体がばらばらだ。トホホホ」と泣き真似してから、
「ほうきだって痛がっているんだ。かわいがってやろうな」わたしたちは大笑いしたが、二度と掃除用具を乱暴に扱うことはなかった。こんなたわいもない話でも、子どもとは、おもしろがって聞くものなのである。
3 善意で子どもをとらえる
 いま、なにごとによらず、あくまでも善意を尽くして子どもをとらえることが望まれる。
 例えば、子どもが遅刻したとする。時間を守らない、規則を破る、だらしのない子ども、だととらえると、腹が立って叱りたくなる。
 しかし「熱をおして遅れて学校に来たのではないか」「なにかわけがあって時間には、まにあわなかった。だが、がんばって登校してくれた」とみたらどうだろうか。
 そうすれば、ちょうど長距離走で、一周遅れでゴールする子どもを拍手で迎えるように「よくがんばって学校に来てくれたね」と、ねぎらいの言葉をかけたくなる。
 遅刻した子どもを「規則を破った子ども」とみるか「遅れてまで学校に来てくれた子ども」とみるかのちがいである。
4 かぎりなくやさしく接する
 やさしい態度で子どもに接するようにしたいものである。
 例えば、入院したとき、お医者さんが注射を打ちにやってきた。
「注射ですよ」と医者はつとめて明るい声で告げる。そして注射をうつ前に「ごめんなさいね。痛いですよ」といいながら注射したのには驚いた。
 注射は痛いにきまっているが、患者のためにしているのであって、医師が勝手に好きにやっているのではない。だから、なにも「痛い注射をしてごめんなさいね」と謝ることはないのである。にもかかわらず「ごめんなさいね」といいながら注射をした。
 これが医療現場の患者にたいする接し方である。人間にたいする共感的な、かぎりないやさしさの話法である。ひるがえって教育現場ではどうだろうか。あまりにも権力的ではなかろうか。
 例えば「朝からいやな話で悪いが」と前置きして暗い話をするといった、やさしい気配りがあってもいいのではないだろうか。
5 ありがとうと言う
 教師の中には「子どもは教師のいうことを聞くのはあたりまえだ」と思い上がっている人はいないだろうか。
 教師も、たまには、授業の終わりに「今日はみんな、いっしょうけんめい勉強してくれて、ありがとう」と、いってみたらどうだろうか。
 教師の指導が上手に展開したのは、子どもたちが協力してくれたからだ。ありがたいことだ、こう思える教師になるということである。
 教師の「ありがとう」は、子どもたちに、自分たちは人に感謝される存在なのだということを教え、自尊感情を育てることにも役立つのである。
6 ほめ上手になる
 子どもは「ほめて育てること」だとわかっていても、どうほめたらいいか、むつかしい。
 ほめるというと、なにか気のきいた感動句を用いたりしなくてはならないと思いがちだが、そんなことはない。
(1)
事実を認める
 子どもたちにとって、「事実を認められること」が、ほめられることなのだから、教師は事実を認めてやればいいのである。掃除当番をいっしょうけんめいにやっていたら「いっしょうけんめい働いているな」と笑顔で評価する。
(2)
普通であることをほめる
 もう一つは、「ふつうであることがりっぱなのだ」という観点である。とくに、すぐれていなくとも、ふつうであることをほめるようにしたい。
これがほめ上手のコツである。
7 身体からアプローチする
 子どもの行為はすべて心からでているが、その心は、身体が生みだしたものである。だから、子どもの問題行動にでくわしたら、まず、身体を見て、つぎに心をみるのである。まず「身体の具合が悪いのではないか」とみるようにしたい。
 例えば、掃除をさぼっている子どもがいる。この場合、どうするか。「どこか、身体の具合が悪いのか」と話かける。子どもが「いえ、何でもありません」といったら、「それはよかった。じゃ、掃除をやろうな」と、勧誘形でうながす。
それでもぐずぐずと掃除に身が入らないようだったら、つぎに心をみる。
8 長い話は聞かせる工夫をする
 教師の話はどちらかというと長い。子どもたちは「この先生の話は長い」と思うだけで最初から聞こうとする意欲を失う。
 そこで、話はなるべく短くする。一分間で、一つの概念を説明できるようにする。
あきあきさせない工夫は
(1)
笑いをとること
 笑いはCMタイムと考えればいいだろう。CMタイムのない話は、今の子どもたちを引きつけることはできない。
(2)
簡潔に話せるように、箇条書き話法を用いる
 例えば「これから三つの話をします。その一つは」と箇条書きのように話す語法である。ただし、小学校五年生でも、三か条まで、時間にして三分が限度である。
(3)
一人芝居話法を用いる
 落語家が、長屋の大家さんと熊さんの二役をこなすような、一人芝居話法を用いる。話を具体化する方法でもある。
(4)
具体的に物を提示する
 具体的に物や図を見せながら話す具体物提示話法を用いる。聴覚だけでなく視覚にも訴えて話すということである。
9 聞き上手になる
 教師は、話すことに長けなければならないが、同時に、子どもの話を上手に聞けるようにならなくてはならない。
子どもの話を上手に聞くには、
(1)
感情を聞く
(2)
「くり返しの技法」を用いる
ことである。
 例えば、子どもが教室で騒いでいて、机の角にぶつかって「痛いッ」と座り込んだような場合を想定してみる。
 痛がっている子どもに必要な言葉は、その痛いという感情をやさしく受けとめてくれる存在である。
  そこで「痛いッ」といったのだから「痛いの」とくりかえす。このくり返しは「先生はきみの痛さを受けとめているんだよ」ということを子どもに伝える。やさしさの語法である。
(家本芳郎:19302006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校で約30年、教師生活を送る。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)


|

« 一人も見捨てられない「学び合いの授業」をするには、どうすればよいか | トップページ | 今の保護者は人の話を聞けなくなっている »

教師の話しかた」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 教師が話術をみがき、魅力ある話し方ができるようになるにはどうすればよいか:

« 一人も見捨てられない「学び合いの授業」をするには、どうすればよいか | トップページ | 今の保護者は人の話を聞けなくなっている »