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板書のうまい教師はいい教師、子どもの注意や意欲を刺激する板書のポイントとは

 板書は、大切なポイントを黒板に書いていく作業ですが、この板書には何を書いて、何を書かないか。書くべきことも、どれだけわかりやすく短くまとめるか。そうした選択と省略と凝縮の技術が必要になってきます。
 教師にとって、この選択と凝縮の技術がいちばん求められるのが板書です。
 板書の上手な教師は、かならず的を射た内容の選択や凝縮が行われていて、そのときに教えたいことの必要最小限の要点がわかりやすいかたちで記されているものです。
 余分なことは省かれていながら、核となる部分や勘どころはきちんと書かれているので、それを読み返せば、教えたことの内容や流れがしっかり理解できる。そういう板書です。
 よい板書は、要領よく、美しく、構造的に書かれています。
 一方、板書がへたな教師は、書きすぎる傾向があります。省略や凝縮の技術が甘いのです。
 要点を絞って、単語に近いような簡潔な文で記すのが板書技術の大原則なのです。
 板書は授業内容の簡潔な記録です。
 それは、教わる子どもたちの学習意欲を引き出したり、考えを深めたり整理したりするための記録である。
 また、板書は教師と子どもたちの「交流」の場でなくてはなりません。
 交流がない、すなわち教わる子どもたちの意見の反映のない板書は、生きた板書とはいえません。教わる子どもたちの反応を、教師がどう受け止めたか。その双方向的な記録が欠けているからです。
 したがって、板書は、学習内容の要点のほかにも、授業中の発言内容のポイントも記されている必要があります。
 また、その発言を全体と関連づけ、全体のなかで位置づけてあげることも大切です。
 このように、板書は、子どもたちの意見や考えも拾い上げて、全体に反映する場所でなくてはなりません。
 学習内容とそれに対する、教わる子どもたちの反応。それが交錯する場が黒板なのです。
 板書のうまい教師は、いい教師といっても過言ではありません。
 板書は、何をいつどこに書くか、授業の流れ沿って書く順番やタイミング、場所などを事前にイメージして、その完成図を頭に描いているものなのです。
 下書きを紙に書く場合もあれば、実際に黒板を使って予行演習する場合もあるのです。
 私も教師になって何年間かは、ノートを利用してページの半分に授業内容を書き出し、残り半分のスペースに平行して板書をするという勉強をつづけたものでした。
 とはいえ、事前の計画どおりに板書がなされた授業というのも、けっしていい授業とはいえません。
 事前の予想どおりに進んだということは、すなわち、予想どおりにしか進まなかったということであり、それは教わる子どもたちの発言が少なく、交流にも乏しい、ダイナミズムに欠けた授業であることの証しだからです。
 したがって、板書は、その授業が子どもたちの理解が進んだいい授業であったかは、板書を見れば、ほぼ一目でわかるものなのです。
 黒板は教わる子どもたちと教師の交流の場ですから、ていねいな板書をすれば、教わる子どもたちのノートも自然にきれいになります。
 板書の大切さはもっと見直されてしかるべきだと思います。
 板書の技術をつぎにあげると
(1)
黒板を広く使う
 黒板の全面をいっぱいに使うのが板書の原則です。
 ただし、黒板の両端の左右の下端は、子どもたちの視界に入りにくいので、大切なことを書かないようにする。
 大事なことは、一番目立つ、真ん中の上部あたりに書くようにするのが原則です。
(2)
文字は大きく書く
 板書の文字が小さすぎる教師が多い。教師が自分で書きやすい大きさで書くと、子どもたちの目には必ず小さすぎるものなのです。
 あくまで、子どもたちの主体に考えて「少し大きすぎるかな?」と思えるくらいの大きさでちょうどいい。
 板書がへたな教師は、たいてい字が小さいものですし、大きな字を書いているうちに板書もうまくなってくるものなのです。
(3)
板書の消し方を工夫する
 授業の途中や最後で、終わった部分の板書を「もう用ずみ」とばかり、消してしまう教師がいます。そういう場面を見るたびに「何と、もったいないことを」と私は思います。
 消し方を工夫することで、学習内容の確認や復習をさせられるのです。
 たとえば、白で書かれた部分を消し、赤の重要な部分や、黄色の「はてな?」部分だけを残して、それを復唱させる。
 逆に、重要ポイントだけを消して「いま消したところに、どんなことが書いてありましたか?」などとたずねる。
 教え終わったあとも虫食い状態の板書を残しておいて、つぎの時間の始めに埋めさせてから消すという方法もあります。
 こうした方法によって、子どもたちの理解力はより深まります。また、板書というものを子どもたちはとても大切に考えるようになり、ノートの取り方にも反映していくのです。 
 よい消し方ができるということは、よい板書のしかたをしているということであり、よい教え方をしているということの証なのです。
(4)
子どもの注意や意欲を刺激する
 私は授業の最初に、黒板に日づけを記入するとき、いろいろ変化をつけていました。
 たとえば、バカでかい文字で書いたり、極端に小さく書いたり、やたらと細長く書いたり。六月なら水無月と書き、十月ならオクトーバーと書いてみる。そんな工夫をしました。
 そうすると、よそ見していた子どもも黒板を注視するようになります。それが集中力や学習意欲につながっていくのです。
 わざと日づけを間違えて書き、子どもの注意を喚起することもありました。
 授業中に、子どもたちの気持ちがダレているかなとか、集中力を欠いているなと思えたときに、たとえば数字の6を8と間違えて書き「先生、数字が違っているよ」などと指摘させることで、彼らの注意力を再喚起させるような方法もあります。
 そういう場合、私は子どもといっしょに、お笑いのコントを演じる芸人のようなつもりでした。
 そうすることで、教室にオープンでくだけた空気を醸し出し、授業を少しでも楽しく、おもしろく感じさせる工夫をしていたのです。
 このようなユーモア、明るさや楽しさというのは、教える行為のかなり重要な部分なのだと思います。笑いは教わる子どもたちを学習好きにするための潤滑油であり、添加物でもあるのです。
「授業が楽しい」「勉強するのがおもしろい」と感じられれば、子どもの学力は自然に伸びていくからです。
 逆に、一時間の授業のうちに、一度も笑いがない、ユーモアの要素がない教室は、子どもにとって牢獄に等しいものでしょう。
 日本の教育現場にもっとも不足していて、もっとも必要とされているのが、その笑いでありユーモアなのです。
「笑いを持ち込むと教室の空気が緩んでしまう」「笑わせたら、子どもになめられる」と、笑いを敬遠する教師も少なくありません。
 しかし、笑いの効果はそれとはまったく逆のものです。
 教師がすました顔で、ユーモラスな話をすれば、教わる子どもたちは身をのりだして聞くはずです。そのときにも集中力や注意力、学ぼうというエネルギーが生まれているのです。
 むろん、いつまでも笑わせていてはダメで、次の瞬間には、そのエネルギーを学ぶほうへと仕向けていく必要があります。
 教えるという行為は「空気」がするものです。子どものやる気を刺激する空気、楽しく学べる空気、はつらつとできる空気。そういう空気をいかにつくり出してやるかが教える教師の大事な役割なのです。
 そんな空気を醸成するのは、しかつめらしい、もったいぶった態度ではありません。楽しく明るい、フランクな姿勢です。
 ユーモアや笑いは学びの敵どころか、大いなる援軍なのです。そのための秘訣は
(1)
教師が「自分を笑う」こと
 教師が自分の失敗やとんちんかんな言動を笑いのネタにするのです。自分を笑っているかぎりは誰かを傷つけることもありません。カラッとした自虐ネタはユーモアの原点だといえます。
(2)
教師が「自分が笑う」こと
 子どもを笑わせようとしたら、まず教師が自分から笑うことが大事です。それだけで教室の空気はなごむのです。
 子どもたちが何かおもしろいことを言ったときには、いの一番に教師である自分が大いに笑うように私は努めていました。
「子どもといっしょに笑える教師は子どもといっしょに歩める教師であり、子どもとともに進める教師だ」という信念が私にはあったのです。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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