友だちや担任に暴力を振るう、わがままでいうことを聞かない子どものために、他の教師の力をかりる屈辱に耐えた
小規模校の田舎の小学校に転勤して、二年生を担任しました。学級崩壊の言葉が聞こえてくると、二年前のあの頃が思い出されます。
けっしてベストではなかったけれど、まあまあだったので、いままでのやり方で二年生の学級をまとめていこうと考えました。
十月をすぎるころから、クラスの一人の男の子がいうことをきかなくなりました。自分の思い通りにならなかったら、平気で友だちを殴ったり、けったりしてしまう。
その子があまりにも、わがままを押し通そうとするので、学級づくりに「わがままはダメ」を取り入れました。それが彼の心をキレさせたのでしょう。
それまでは、授業中、私が彼のいうことをかきかなかったり、彼をあててやらなかったりすると、むくれたり「先生はおれのこと嫌いなんや」などといっていた、たぐいでした。
しかし、自分の思いが通らなくと、いきなり担任の私に向かって暴力をふるってくるのです。私は、自分がいたらなかったのだと、軌道修正をしてみましたがだめでした。
一月になると授業が終わったとたん、私に向かって殴る、ける、髪の毛を引っぱる、などの行動にでてきました。
校長から「けっして、あんたからは、やりかえしはしないように」と言われました。
まだ二年生だったから、二~三回の通院ですんだのだと思います。でも、殴られた耳の聴力は悪いままです。
今日こそは彼にやさしくしてやらねばと思って学校に行くのですが、暴力を受けるともうダメでした。
暴力は毎日でした。まわりの教師がたまりかねて、当番を決めてはいってくれることになってからは、授業は少しゆとりをもってできるようになりました。
彼が暴力を振るってきたら、彼を別室にひきずりこんで、さとしたからです。
でも、二十年以上の経験があるのに、他の教師の力を借りないと、やっていけないなんて、屈辱でした。
私が、自分の経験から「やり方を固定してしまった」ことが、子どもたちの実情にあっていなかったんではないかと思えます。
彼は「愛を求めているんだ」ってことは、わかってはいたんですが、私の言葉かけや、一緒に遊んでやることに、不足しているものがあったのでしょう。
私は当時、家庭の問題をかかえていて、ゆとりなんてありませんでした。
その後、同僚教師がさそってくれた外部の生活指導研究会に参加させてもらって、自分のやり方の「かたさ」がわかってきました。
二年目になって、やっと私の心の傷もじょじょに回復に向かっています。
子どもたちに「あなたのことが大好きなんだよ」っていうメッセージをいつも教師の身体や心から発することが、学級づくりの基本だということを再確認しました。
子どもたちを笑わせてあげることも大事な学級づくりの一つのようです。子どもたちは、よく笑わせてくれる先生を心まちにしているようです。
(大阪府公立小学校女性教師)
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