私の学級づくりの核になるのは「読み聞かせ」による学級づくりである
私の学級づくりの核は「読み聞かせ」である。名づけて「読み聞かせる学級づくり」である。その主な内容は、三つからなる。
(1)絵本の読み聞かせ
(2)物語の読み聞かせ
(3)学級通信の読み聞かせ
1 絵本の読み聞かせ
私が中学校の教室に「読み聞かせ」の手法を持ちこむきっかけになったのは、初任者の時の経験である。
初めて授業を持った中学校三年生の教室は、授業にならなかった。
立ち歩き、授業妨害、トランプをする生徒。私になどお構いなく「談笑」しつづける生徒。激しく反抗し、時には机を投げつける。
担任の教師が、何度も家庭訪問をしてくださるが、状況は好転しない。くやしさとみじめさに身の置き場もない。
私が最後に教室に持ち込んだもの、それが「絵本」だった。半ばやけくそであった、と思う。
私がこの時、教室に持ち込んだ絵本、それはC.V.オールズバーグ(村上春樹訳)「急行「北極号」」(河出書房新社)である。ゆっくり読むと15分以上かかる作品だ。
教室の前の席に座り、絵本のカヴァーをはずし、おもむろに読み始める。生徒はいつものように立ち歩きしているが、もうお構いなし。ひたすらただ読む。
するとナント、立ち歩きの男子たちがいつのまにか、読んでいるぼくの前に座って聞いているではないか。最初の5分で、騒然とした学級が静かになった。
ふだんは大騒ぎをする男子生徒が、かぶりつきで読み聞かせを受けた。読み終わると拍手が…。
「石川、こういうんならまたやってもいいぞ」とかぶりつきの生徒が言った。その場面まで、今でもはっきりと覚えている。「急行「北極号」」の物語のストーリーとは、
主人公の少年は、急行「北極号」に乗り、北極点へと向かう。北極点でプレゼントをサンタクロースからもらった少年は、喜びいさんで再び機関車に乗りこむが、もらった鈴を落としてしまう。
その鈴は首尾よく戻ってくるが、鈴の音を父も母も聞くことが出来ない。最初は聞こえていた妹でも、大人になるにつれて聞こえなくなる。
しかし、主人公の少年の耳には、今も聞こえる。少年は言う。「本当に信じていれば、ちゃんと聞こえるのだ」と。
教師には、学級づくり授業づくりの中で折々に伝えたいメッセージがある。でもそれが生徒の中になかなか通っていかないという現実がある。
しかし、絵本や物語をはさみこめば、柔らかく教師からのメッセージを伝えることができる。しかも、生徒も教師も気持がいい。本当に読み聞かせはすぐれた手法なのだ。
2 物語の読み聞かせ
以来、私は担任として、国語教師として、たくさんの絵本を教室に持ちこんできた。市内の大規模校に異動してからは、加えて、「物語」の読み聞かせも行った。
「物語」の読み聞かせをしようと考えたきっかけは、大西忠治氏の文章との出会いである。
大西氏が、読み聞かせの効用を説いておられる一文がある。本誌1989年5月号。「読み聞かせ-読み聞かせの継続が教師を鍛える-」というその文章に大変引きつけられた。
大西氏は、『ジャンバルジャン』(岩波少年文庫版)を毎年のように読み聞かせしてきたという。大西氏は言う。
「方法そのものは単純である。私は給食の時間(学級担任をしている時)、あるいは授業の終りの五分間を、『ジャンバルジャン』を読みつづけた」
というだけである。
私の「物語」の読み聞かせも、この『ジャンバルジャン』から始まったが、どうもおもしろくない。楽しくない。『ジャンバルジャン』に責任があるわけではない。私自身の内発的な動機を欠いたものを読んでしまった…。読み手が共感を持って読めない作品は、聞き手の心に届かない。基本をはずしていた。
今まで読んだ物語の中で、圧倒的な支持を得たのは、森絵都『宇宙のみなしご』(講談社)である。出会った時、『あ、これだ』と思った。読みながら、夜ごと屋根に登る少年たちの姿が目に浮かんでくる。
毎日五分間ずつ国語の授業の最後に読み聞かせた。生徒には大好評。先が待ちきれなくて、買いに行った生徒も数名。
3 学級通信の読み聞かせ
ところで、私は学級通信も必ず読み聞かせる。授業記録を載せた通信や、親向けのメッセージを含んだものでも構わず読む。
実は、学級通信を読むという教師は少数派らしい。誰もが読んでいると思いこんでいた私は、その事実に、少なからずショックを受けた。
私は毎日学級通信を書く。年間200号前後になる。生徒へのメッセージ・願い、学級についての基本的な考え方が書かれていく。
今日も帰りの会で、学級通信を読む。日によっては、学級通信の「読み聞かせ」で始まる。
学級通信は、読むに限る。その理由は、次の2点だ。
(1)内容が生徒に正確に伝わる。
(2)通信に込められた教師の思い・願いも伝わる。
内容がきちんと伝わるというその一点だけでも、読み聞かせることの意義は明らかだ。しかも、良さはそれだけではない。
学級通信を「読み聞かせる」ことにしてから、通信の文体自体が、担任の身体感覚に近くなっていくのを実感する。担任の思い・メッセージが伝わりやすい文体に変わっていくから、どんどん伝わるのだ。学級通信は是非、自分の言葉で読み聞かせたい。
4 読み聞かせ合う学級づくりへ
「読み聞かせ」は、伝えたい内容が伝えたい相手に届くまでに、「緩衝物」が入る。緩衝物は、絵本であったりプリントであったり様々だが、いずれにしても、メッセージが直接でなく伝わるところに、強圧的な指導に従わない生徒の心に届く理由があるようだ。
生徒の誕生日には、仲の良い友達からの手紙を学級通信に載せることにした。本人から朝の会で直接読んでもらう。読む方も聞く方も照れくさい。だが、本人の肉声によって初めて伝わるものがある。ことばが輝いている。
「絵本」の読み聞かせも、生徒同士でさせたい。「読み聞かせ合う」ことで、「聞き手」への関心が広がる。聞き手への関心の広がりが関わり合いの心を育てていく。
「読み聞かせ」は人生を豊かにし、人と人とをつなぐアイテムにもなるのだ。好きな絵本を読んで聞かせることの素晴らしさを体験した生徒は、大人になった時、きっと絵本を自分の子供達にも読んであげたいと願うはずだ。
(石川 晋:1967年北海道生まれ、北海道公立中学校教師。NPO法人授業づくりネットワーク理事長。教科指導と学級経営の連動を意識した読み聞かせ活動を展開中。また、教師の学びの場づくりを精力的に展開中である)
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