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新任のとき自分の指導力のなさを痛感させられ、先輩教師の実践の中から価値あるものを見つけ自分を鍛えていった

 新採教師となり、夢に見た教師の仕事ができる喜びをかみしめながら赴任校に向かった。学校に着くと「ようっし、やるぞ」と感激が体中を走った。
 教師の仕事が本当に楽しかった。休みの日にもよく学校に行って仕事をしていた。学校で子どもたちと遊ぶ約束をして一緒に遊んだ。
 当時、私の赴任した学校では、郡内の絵画展に力を入れる教師が多かった。授業が進み作品が次々仕上ってきたころ、前担任のM教師が私のクラスの子の絵を見るなり
「高本先生、絵の具の塗り方を指導しましたか」とたずねられた。M教師が担任していたときは特選が数人いたらしい。
 私は、塗りたい色で塗ることしか言ってなかった。私の指導力不足を感じられたのだろう。私はその場で、M教師に絵の具の塗り方を教えていただいた。
 しかし、時すでに遅し、私の学級からは、入選に入ったのが数人いただけであった。
 このように、新採用の私は、自分の指導力のなさを日々痛感させられた。とにかく悔しかった。
 私にもっと力があれば、子どもたちをたくさん伸ばし、自信をつけてやれたのに。そういう悔しい思いでいっぱいだった。
 ただ、このように悔しい思いがあったからこそ、教師としての勉強がしたいと強く思うようになり、次のステップがあったのだと思う。
 悔しさをかみしめた分だけ、得るものも大きい。私の修業の始まりは、この悔しさを味わったところから始まった。
 私の性格上、悔しくて落ち込むことはあっても、ずっと沈み込んでいるということはない。むしろ、必ず相手を見返すぐらいに大きくなってやるという意欲が湧く。
 力のなさを痛感させられていた私は、先輩方の授業に興味を持った。先輩教師がどんな授業をして子どもたちに力をつけているのかを知りたいと思っていた。
 幸いなことに、そのときの学校では、年に数回は必ず授業公開があった。私は食い入るように先輩方の授業を見つめた。発問やちょっとした声かけも聞き漏らさず、いいと思うことはどんどんメモをとった。もちろん録画できるときは録画させてもらった。
 先輩教師の授業には驚かされた。授業が指導案通りに流れていく。教師の発問に子どもたちがどんどん食いついていく。
 教師の指示も的確で、その通りにやれば必ずできるような気がした。授業のリズムもよく、流れるようだった。
 こんな授業をすれば子どもは伸びていくに違いないと思った。私もあんな風に力をつけたいと感じざるをえなかった。
 M教師の道徳の授業では環境問題を取り上げて、その教材を読むことで、子どもたちの討論が生まれた。
 子どもらしい意見がどんどん出された。その授業では「教材づくりの大切さ」や「討論を仕組むコツ」などを学んだ。
 校内だけでなく、郡内の研究会で他校の教師の授業を見せていただいた。
 サークルでは、他府県まで出かけ、向山、野口、有田、酒井、根本先生など、著名な方々の授業にも出会えた。
 こうしたすばらしい授業を見ることは、自分の力量を高める糧となった。生の授業を見ることで、声の大きさや話すスピード、ちょっとした仕草、授業のリズム、間の取り方など、教師としての技術をつかむことができた。
 鍛えられた子どもとはどんなものか、を目にすることは自分が指導するときの達成度をイメージすることができる。
 良い実践をたくさん見る。見た中で価値あるものを自分のものにする。そうすることは、自分の力量を高める近道である。
 授業を見るときには、私流の見方がある。
(1)
授業を肯定的に観察し、良い点を盗む。
(2)
子どもたちが、どれくらい反応するかで、その指導効果をはかる。
(3)
その授業で提案されていることが何であるかを判断する。
(4)
子どもたちを向上的変容に導く技術を見つけだす。
 だが、いつもすばらしい実践が見られるわけではない。だから、本を読むのである。できればたくさん読むといい。
 たくさん本を読んでいる人は、たくさんの知識をためている。そのときに役に立たないと思っても、将来役に立つことが必ず出てくる。また、たくさん本を読むと読むスピードも速くなるので、気楽に読むことができる。
 すばらしい授業を見たり、本を読んで勉強したり、研修に行って教わったりしたことは、そのままにしないで、必ず実践してみるべきである。
 使えるものは、すぐ使ってみる方がよい。つかんだ技術や授業のネタも、まだ自分の中で十分再現できるときに使ってみるのである。そうしないと身に付いていかない。
 また、実践したら必ず評価することが大切である。本当に子どもができるようになったか。子どもたちが喜んで授業に取り組んだか。子どもたちにとって、どうであったか、だけを見つめるのである。
 うまくいかなければ、何が違うのか考えてみる。もう一度、本や研修記録を読み返したり、授業を見せていただいた先生に聞いてみたりしてみる。
 それからもう一度やってみる。それでもダメなときがある。そのときは、もう一度確認してみる場合と、切り捨てる場合がある。
 価値あるものだけを選び身につけていけばよい。見抜く力を同時に鍛えていなければならない。これも実践の中で磨かれる。だから実践を通すのである。
 実践の中から価値あるものを見つけ、実践の中で自分を鍛えていくのである
 たまには、自分の実践を誰かに見てもらって評価してもらうとよい。自分では気づかないことを教えてもらえることがある。
 H教師は私にこんな話をしてくださった。
「自分が若い頃は、とにかく一流の授業がしたくてしょうがなかった。だから体育の授業を見てもらいたいと思ったら、教育委員会に電話して、体育で有名な教師を教えてもらって見ていただいた。それぐらいこだわってやっていたよ」
私はすごいと思った。
 すごい実践家の人に自分の授業を評価してもらうのは、とても勇気のいるものである。しかし、これも修業である。
 心ある教師ならば、このプレッシャーにひるむことなく立ち向かっていくだけの勇気は必要である。
 確かに厳しいことを言われるかもしれないが、その分、得るものは大きい。
(
高本英樹:岡山県公立小学校教師。学級崩壊で苦しんでいる教師の支援を行っている。初等教育研究会岡山支部理事長。サークル「GROWUP」代表
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