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授業の腕を高めていくポイントとは、また発問で子どもの思考を活性化するにはどうすればよいか

 国語科「ごんぎつね」の授業で考えてみる。
「ごんぎつね」の授業における「眼目」は、要するに「ごんの、哀れさ」をとらえさせる一点にある。その一点に子どもを迫らせるための「骨格」はつぎの通りである。
(1)
「ごん」の善意の読みとりとそれへの共感
(2)
善をなすことにさえ、人目を常に、はばからねばならぬ、立場の理解とそれへの共感
(3)
「ひきあわぬ」と思いつつも、毎日続けていく「ごん」のつぐないのいじらしさの理解とそれへの共感
 このように、すっきりと授業の大筋をとらえていれば、指導案などは見なくてもよい。この骨格をはずしさえしなければ、授業が失敗することにはならない。
 要するに、この授業でなすべきこと、めざすべきことは、ぎりぎりのとこで何なのか。そのことを、自らに問いつめていくことが、授業の腕を高めていく要諦である。
 発問で子どもの思考を活性化するにはどうすればよいのでしょうか。
 発問は簡単なものから徐々に発展性のある問いへと導いていけば、子どもの思考も活性化され、考えやすくなります。たとえば、
問1「ごんは、何を盗みましたか」の答えは「いわしです」と答えれば終わりです。
問2「ごんは、どうやって盗んだのですか」の問ではさまざまな答が考えられます。
 例えば「すばやく盗んだと思います」「びくびくしながら盗んだと思います」・・・。
問3「ごんは、なぜ盗んだのですか」になると、子どもの読み取りの深さの差が明瞭になってきます。
 そうやって教師が導くことで、子どもの思考力は鍛えられていくのです。
 授業にドラマ性を生みだすには、まず子どもたち自身で検討評価させることが大切です。
 教師が一言の下に正誤を判定してしまっては、盛り上がりは生まれません。
 子どもたち相互の対立や差異、これを顕在化させるのが教師の総合的な力量です。
 例えば、ノートに評価・判定を書かせる。グループ学習で気軽に話し合える場をつくる。教師が机間巡視して対立や差異を発見し、討論に導く。
 これらの方法を使って、監督やシナリオライターのように導いていくのが教師の役割です。
 私たちは、いろいろなものを見、聞き、考えているようでありながら、実はあまりそれらを確かには認識していないものである。だから、私はしばしば「問われることによって見えてくる」のだと思っている。
 問われてみて、あらためて「はっ」とするのである。問われるということは、改めて見直すということであり、新しい自覚を生むということであり、新しいものを発見させられることなのである。
 さればこそ「何を、問うか」ということが大切にされなければならないのである。つまらぬ問いは、つまらぬものしか見せはしない。
 すぐれた問いは価値あるものを発見させる。授業における問いの大切さは実にこの一点にあると言ってよい。私は、授業の案を立てるとき「何をこそ問うべきか」ということに、いつでも腐心する。
 このようにしても、会心の問いはなかなか生まれるものではない。
「はだかの王様」における「最も愚かな者は誰か」という問いの見事さは、倉沢栄吉先生の名著「読解指導」(朝倉書店刊)で初めて知ったのだが、さしずめこれが「問い」への私のこだわりを生むきっかけとなった原点と言えるであろう。
 問われることによって、それまで見ることのできなかった作品の深奥の光が見えてくるような、そういう問いこそが子どもを変えていくのである。
(
野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)   

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