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2018年9月に作成された記事

私の教師人生の最大の失敗から学んだこととは、失敗をどう乗り越えたか

 学級活動を軸に学級づくりのスタイルが自分なりに確立してきた教職10年目に5年生を担任した。
 係活動や学級会を重ね、1学期の終わりには学級のまとまりが出来てきた。
 2学期の学芸会で一人ひとりの個性を生かした「オズの魔法使い」を演じ、大好評だった。学級も大盛り上がりで、しばらく興奮状態が続いていた。
 子どもたちと共に学芸会を作り上げてきたのだから、子どもたちと心が通じ合っていると私は油断していた。
 それは、ほんのささいな、私と女子との会話から始まった。
 A子との会話の中で、A子の大ファンの野球選手のことを茶化してしまった。私自身は冗談のつもりだったのだが、A子はずいぶん腹を立ててしまった。
 そして、A子と仲のよい数人の女子が、反抗的な態度を取るようになってきた。授業中の私語が増え、注意しても「うるさいなあ」と反抗。
 私の教師経験でも初めてのことだった。これまで築いてきた学級経営への自信が音を立てて崩れていくようだった。
 私は、何とかして立て直しの方策をと、まず、A子との関係を取り戻そうとした。それに、一人ひとりの子どもたちと会話をしていくようにした。
 こんな時にこそと、学級活動の力を活用して、A子と仲のよい子を切り離し、それぞれ別の係で活動できるようにした。
 学級の雰囲気が悪くなっているという問題点を、学級活動で、子どもたちで解決するような題材で取り組ませた。
 私の努力が報われ、何とか3学期の半ばには学級を立て直すことができた。
 学級づくりには「教師と子どもの関係」「子ども同士の関係」の二つが大切であることを改めて痛感した。
(1)
教師と子どもの関係
 教師がアンテナを高くして、子どもの課題に対して直接、子どもに声かけをして、教師と子どもとの関係を築いていく。
 この事件のときは、A子とのコミュニケーションは簡単には取り戻すことはできなかった。
 さりげなくA子に話しかけるのだが、ぷいと横を向いて去っていってしまう。
 A子のよいところを、みんなの前で認めてあげようと考えた。
 それで、A子の様子を注意深く観察した。
 すると、A子は、他の子が掃除を終えても、掃除道具をきちんと整頓するまで仕事を終えないことに気づき、みんなの前で、それを紹介した。
 A子は横を向いて聞いていたが、みんなから拍手を受けると、照れたような表情になった。
 A子の周りの子にも、個別に話しかけるようにした。グループでいると反抗的な子も、一対一だと話しができることが多かった。
 こうして、少しずつではあるが、A子たちとのコミュニケーションを取り戻していった。
(2)
子ども同士の関係
 A子たちの反抗に他の女子は恐がり、男子は嫌悪感を抱いていた。こんなときにこそ、学級活動の力を活用するときだ。
 そこで、学級目標の振り返りの学級活動を行った。
 学級目標をできているか、できていないかを振り返るために、評価用紙に理由も入れて子どもたちに記入させた。
 そして、今後どうすればよいかをプリントに書き、発表させた。
 すると「先生に反抗して、言うことを聞かない人がいる」という意見がでた。
 A子は少し不服そうな顔をしてうつむき加減にしていた。
 A子のプリントには「私たちのことを言われているようで、ちょっといやだった。でも、やるときにはやるということは大切だと思う」と書かれていた。
 この頃は、自由勉強ノートに私が朱書きするなどの取り組みをしていたので、A子なりに素直になることができたのではないか思う。
 学級目標の反省だけで終わっては学級活動の成果は生かされていない。子どもたちが前向きに取り組むことのできる活動へとつなげたい。
 議題カードに「お楽しみ会をしたい」という意見があったので、計画委員会で話し合った。どんなプログラムを考えたらよいかを話し合うことにした。
 そこで、一人ひとりがアイデアとその理由を書いて、みんなで話し合った。
 そのとき、A子が
「今、係の活動をみんなが頑張っているから、係のグループで出し物を出し合ったらよいと思います」
と発言し、それをきっかけに「係の活動内容に関係のある出し物を出し合うということに決定した。
 お楽しみ会当日は、A子たちのミユージック・エンジョイ係は、みんなから歌いたい曲をつのって、楽器で伴奏して楽しそう発表していた。
 A子は以前のような反抗的な表情はまったくなかった。一生懸命に練習したことを学級のみんなから認められた。
(
亀山 敦:愛知県名古屋市立小学校教師
)

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教育は人格形成をめざすが、授業で子どもたちを指導することと、子どもの人格形成とは、どのようなかかわりがあるのか

 私は戦前、広島県の江田島にあった海軍兵学校で終戦を迎えた。約20km離れた広島市の上空にくっきりとキノコ雲が浮かんでいるのが今でもはっきり目に焼きついている。
 混乱する中、ともかく人生はじめからやり直しということで、理系の大学に編入学し卒業後は横浜市立の中学校教師なった。
 横浜市は米軍の爆撃で市内一面焼け野原になっていたので、人々は小さな小屋を作り、食べ物は農家へ芋や麦など買い出しにいってなんとか生きていた。
 生徒たちは盗みなどの問題行動も多い。日本を背負っていく子どもがこんな状況ではどうなっていくのか「教育」がよほどしっかりしなくてはと私は思った。
 私の周りには問題をもつ子どもがたくさん集まってきた。学校の宿直の日には、夜になると男子生徒7,8人がやってきて、雑魚寝となる。トランプをしたり、芋をふかしてみんなで食べた。
 私は教育学も心理学も学習していないが、熱意だけはあった。
 理科教師で、ボイルの法則やエンジンの構造などを教えながら、これが「人格形成にどうかかわるのか」ということがいつも気になっていた。
「教育は、人格の完成をめざし・・・・」といわれるが、これと理科の指導はどうかかわるのか。
 先輩教師に聞くと「態度の乱れは、心の乱れだから、態度を正せば、心の乱れも直るんだ。きみも経験を積めばわかるよ」
と言われておしまい。
 私は、どうしても納得できなかった。やはり教育学を学ばなくては、また人格論について研究しなくてはと考え、4年間の中学校教師をやめて、東京教育大学に入学し研究を始めた。
 教育は「人格形成」にかかわる。人格形成をめざす各教科の授業のあり方が求められる。
 子どもが立派な行動をとるようになるためには、まず大人が模範を示すことが基にある。人格形成をめざす教育活動は、
「よくわからせる」(理解)
「やり方を身につけさせる」(技能)
「やる気を引き出す」(意欲)
の3つそろった指導を行うことである。
 心の教育という場合、心とは何であろうか。
 心とは、人間すべてを「かけがえのない存在」と考えて、自分・他人の区別なく、すべてをいつくしむ態度をもたらす働きである。
 われわれが、親近感をもつ人間は、完成された人格よりも、欠点や悩みをもつ人間性のあふれた人であろう。
 子どもが親近感をもつ教師も、やはり人間的な教師であろう。
 例えば、廊下ですれちがったとき、肩をたたいて、ほほ笑みかける教師、子どもといっしょに昼休みに遊ぶ教師、このような教師に子どもは人間性を感じるだろう。
 子どもと共感的な関係になるためには、まず、教師が赤裸々な人間になり、子どもに開放する。そして、教師は自分自身の人間性そのもので、子どもに応じる。
 教師は、子どもから「生成しつつある人間」と、みられること。つまり、目標に向かってつねに努力し続けている人間とみられることが大切である。
 そのような「生成しつつある教師」は、自分の人間的な弱さを子どもの目の前にあらわにすることができる。
 教師が自分自身の人間性そのもので子どもに応じるならば、子どもも自分の心を開放して、ありのままの姿(人間性)を示すだろう。
 そして、教師と子どもは「人と人」の共感的関係をつくりだすことができる。
 生徒指導は、教師の人間性、生き方(人間観)をぬきにしては成り立たない。
 その教師の生き方(人間観)、それから出てくる目標、その目標を具体化した指導内容、その指導内容に最も適切と思われる指導方法・技術が、首尾一貫していなければならない。その人間観にはどんな内容が考えられるか
(1)
人間は自由意志をもって自分の行動を決定する
 このような人間観に立つから、子どもの自主性を育てることが成り立つ。
 生徒指導の究極のねらいは、子どもに自己指導能力を育てることである。
(2)
あるがままに人間を見る
 人間と行動を結びつけて、悪い行動をしたから悪い人と決めつけると立ち直れなくなる。
 これまでの過去の先入観にとらわれず「いま」の子どもをありのままにみる。
(3)
人間は発達の可能性をもっている
 教師が子どもに対してやるべきことは、子どもが発達の可能性を自分で発見し、発達させることができるように、多様な活動の場と機会を与えることである。
(4)
人間は、相手を自分の一部として関係づけてとらえる
 子どもの行動を教師が自分のあり方と関係づけてとらえる。例えば、授業中、子どもが私語したら、自分の授業の進め方と関係づけて考えることである。
 教師が自己変革へと努力する。そこに子どもと共に努力する教師の姿がある。
 生徒指導を支える人間観から、次の生徒指導の機能が引き出される
(1)
子どもに自己指導の能力を育てるために「自己決定の場」を用意すること。
(2)
子どもが「役に立つ」存在であることを経験することにより、一人ひとりの子どもたちが、独自性と自己存在感を得るようにする。
(3)
「教師と子ども」また「子ども同士」が共感的な関係(出会い)を基盤にして生徒指導が展開されること。
(
坂本 昇一:1927年神奈川県生まれ、横浜市中学校教師、都立教育研究所員、千葉大学教育学部教授を経て、同名誉教授、聖徳大学教授、同児童学研究所長。2000年日本生徒指導学会を設立。学校五日制の提言者
)

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保護者が授業について様々なクレームを言ってくるとき、どうすればよいのでしょうか

 保護者がわが子の学力に関心を持つことは、親なら当然である。
 例えば「授業中に漢字をしっかり教えてください」とクレームがあった。どうすればよいか。
 漢字のような基礎学力は、学校で保障しなければならない。宿題で身につけるのだと考えていれば、大きな間違いだ。
 即座に次のように弁明しよう。
「申し訳ありません。不十分だったのかもしれません。教え方を改善して、子どもの身につくようにいたします」
 漢字の教え方で有名なのは向山洋一のTOSS方法だ。
「指書き」「なぞり書き」「うつし書き」という手順で行う。
 なかでも、大事なのが「指書き」だ。鉛筆を持たずに、人差し指で机の上に漢字を書く。筆順に注意して「イチ、ニーイ・・・・」と画数を口で唱えながら書くのである。
 加えて「空書き」も行う。人差し指を空中に上げて漢字を書く。もちろん画数も唱える。
「学校では、こういった指導をしていますので、おうちでも『イチ、ニーイ・・・・・』と指書きさせてみてください」
と、保護者にお願いするとよいだろう。 
 つぎのような苦情も、しばしばある。
「うちの子がワークテストを持って帰ってきたら、60点しか取っていません。びっくりです。うちの子は、ちゃんと理解しているのか心配です。授業中は、どうなのですか?」
「ワークテスト」を実施したら、そのまま持ち帰らせるのはよくない。きちんと間違い直しをさせるべきである。
 ひどい点数を取らしてしまうのであれば、やはり授業の改善が第一である。日々の授業がまずければ、得点も上がらない。
 このときは、謙虚に授業を反省し、教科書、ノートを基本に地道な授業改善に取り組むべきである。
 また、授業参観の後に苦情が届く場合も、しばしばある。
「うちの子は、ボーッとして、人の話を聞いていないようですし、一度も発言しませんでした。うちの子は、ちっとも勉強していないようです。大丈夫でしょうか」
 もし、子どものノートを授業中に活用させているのであれば、
「いえいえ、〇〇さんは自分から進んで発言する場面は確かに多くはないのですが、ノートにはきちんと自分の考えを書き、問題を解いているのですよ。心配ありませんよ」
 また、そんな授業参観にならないように、全員に何らかの活躍の場があるようにすべきである。例えば、一人ひとりずつ順番に音読するとか、発表するとか工夫する必要がある。
(
浅野秀之:1963年新潟県生まれ、新潟県公立小学校教師、新潟大学附属新潟小学校教師、上越教育大学等を経て新潟市立小学校長
)

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子どもたちの「学びからの逃走」や「学級崩壊」をどう克服していけばよいか

 私は、子どもたちの「学びからの逃走」をどのように克服していくか、「学級崩壊」の場に直面したとき、どう対処したらよいかを研究しながら教育実践に取り組んでいる。
 現代の子どもは「はい勉強です、静かにして」と言ってもだめです。集中させるには、あらゆるところで、子どもたちに推理・想像をはたらかせるように仕向けることが必要です。
 子どもたちに「どうしてだろう、なぜだろう」という内的な緊張がなければだめだ。
 例えば、地理の勉強でも黒板に少しだけ線を書いて「はい、これは何県ですか」聞くと、初めは「分からない」というが、そのうち「海はどっちですか」とか本質的な質問が出てくる。
 また質問が幾度かあって当てる。そうすると、子どもたちは主体的に勉強しようという姿勢になる。
「問いつつ学ぶのが学問ですが、みんなは問いながら分かったのだから学問ができてる」といってあげると、子どもたちは心底から喜ぶ。
 それを「はい、今日は〇〇県の勉強です。初めに地形は・・・・」なんてやってはだめ。授業の初めの10分間が面白くなかったら、今の子どもはだめ。授業は初めが全てとも言える。
 私は、学問は現実の自然から生まれてきていることを、子どもたちに分からせたい。例えば、理科は毎日の暮らしのなかから工夫が生まれることに気づく。
 算数もいろんなものを数えることから起こる。例えば、水の量を数えるために容器に入れて数えることが考え出された。大きな箱と小さな箱とを考えると小数の計算につながるとか、いちばん初めに自分の身の回りをよくみなさいというところから始めた。
 私は、荒れた学級を担任したが、暴力を振るう子がいたり、立ち歩きはふつう、一切発言なんかしない子とか大変だった。しかし、その子たちを一度も叱らなかった。
 クラスで議論したかったが成り立たない。そこで、みんなに紙に書いてもらい、この意見についてどうなんだという形で進めた。それを繰り返していくうちに、問題を起こした子も態度が変わっていった。
 この子たちが変わっていった根本の理由は「先生は、楽しくさせてくれたから」だと言った。
 教育の仕事は、できる・分かるだけでなく、楽しいということが実感できるような内容にしていかないと、学びから逃走している子を、教育の中に入れることはなかなかできない。
 私は、基礎基本的なことを、豊かに学べるようにすることに、一貫して関心を持ってきた。もう一つは対話とか推理・想像が重要だと考えている。
 授業は、子どもたちがただ静かに座って聞き、考えるのではなく、わくわくしながら子どもが身体を使って参加できるところに値打ちがあると思う。
 私は「教えたいことを、教えるのではだめだ」という考え方を持っている。
 例えば、山に登るのにロープウェーで登るように、やり方だけ教える。これでは子どもたちの成長にプラスにならない。汗水流して登っていき、ときには道を間違え、やっとたどり着くと、筋力も判断力も育っていく。
 歴史の授業では徹底的に推理・想像を働かせることにしている。
 例えば、奈良時代では、唐へ行った人たちは、いったいなんのために行ったのだろうと考えさせる。答えの根拠も聞いていく。すると食べ物を知るため、町のようすなど答える。
 そして教師がヒントを示す「実は行った人の中には貴族、坊さん、学生がいた」と。子どもたちは政治、仏教、文化と答える。
 私は「海をどうやって渡ったのかな」と聞く。つぎにルートを考えさせる。さらに「船にはどんな人たちが必要か」「どんな困難があっただろうか」など考えさせる。
 答えなんか間違っていてもかまわない。推理・想像が大切である。
 授業は対話形式が良い。小学校から大学までずっとこういう授業をやっていくと、第一線の科学者レベルに達するのではないか。
 学校では時間が限られているので、最も大事なこと、本質的なことが分かれば、あとははしょる。時間をかけることと捨てることを仕分ける必要がある。
 私も初めのころは、問いと答えみたいな展開をやっていた時期がある。それては子どもの意見を本当に大事にするような授業はできなくなる。
 教師の発想を超えた子どもの意見こそが授業を深めていく。その発言から展開すれば本質的なものが見えてくる。 
 授業で育てたい力は
(1)
勉強、学問の世界はどんなに面白い世界かということを子どもに体験させ、成功すれば「学びからの逃走」とか、いろんなことは解決していく。
(2)
推理・想像する楽しさを獲得した子どもは、人の話を聞くことが身につくようになる。文化に接し面白い世界に入っていける。
(3)
学習は、実際の生活、人間が見えてくる学習でないとだめだ。
 自然の法則が世界の中で貫かれていることを発見することによって、学習する意味も出てくる。もっといっぱい勉強したいという気をおこさせることだ。
 文化の担い手になりたい、自分も何か発明・発見をして世の中の役に立ちたいというような思いを持つことも大切である。
(4)
リアルにものをとらえること。ものを見るには必ず視点、焦点がある。点が大事。
 漠然と見るのではなく、針の穴みたいな点から入っていくほうが、よく分かっていく。こだわって見ていくと実態に迫ることができる。 
 ある時期まで日本の教育は、教師が子どもを従わせてきた。ところがそれではにっちもさっちもいかない。
 したがって、子どもは教師から独立した存在であるというところから出発しなければ教育は創れないということだ。納得とか合意とかを大事にしなければならない。
 授業そのものを変えていかなければならない。日本の教育が本当に再生する時期に入ってきていると思う。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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怒鳴らずに学級が成り立つほど学校現場は甘くない、教師には怖さも必要、怒鳴ることも大切だ

 私は、教師にはある種の怖さが必要だから、怒鳴ることも大切だと考えている。
 いつも怒鳴っている教師は子どもたちも嫌うし、子どもに背を向けられる。
 たまに雷が落ちるから怖いのであって、月に1回が限界である。
 効果的なのは、クラス全員の前で怒鳴ることだ。「こんなことをしたら厳しく叱られるんだ」と伝えることができる。
「いつ、何について、どの子に」にカミナリを落とせばいいのか、冷静な策略が教師には必要だ。
 特に「どの子」を怒鳴るかは大切だ。
1 怒鳴っていけない子
(1)
発達障害をもつ子
 みんなの前で叱ると、クラスのみんながその子の問題に気づく。その子はクラスに居場所がなくなり、ますます問題行動を起こす。
 その子が問題行動を起こしてもじょうずに「流し」、その子の良さを教師がどんどん宣伝していくと、その子はクラスに居場所ができ、問題行動を起こさなくなる。
(2)
女子
 女子はレディとして接する。その子の好きな男子がいるかもしれない。恥をかかせたら、その子は教師に背を向けるに決まっている。女子をみんなの前で怒鳴ったらゲーム・オーバーだと心得る必要がある。
(3)
やんちゃくん
 対峙して反抗的になるぐらいなら、放っておけばいいのだ。2,3人いてもクラスが壊れることはない。 
 どの子にも言えるが、最近の子はプライドが高い。原則、みんなの前では怒鳴らないほうがいい。原則、叱るのは、呼んで個別に叱るのがベストである。
2 怒鳴ってもよい子
(1)
「やんちゃくん」の周りの子どもを個別に叱る
 やんちゃくん予備軍の子どもたちがやんちゃくんの真似をして悪いことをしようとしたら、怒鳴って止める。
 やんちゃくんが4人、5人、6人と増えていくと、学級崩壊の危険が高まる。
 だから、やんちゃくんが増えないように周りの子を厳しく叱るのだ。
 ただ、みんなの前で怒鳴られたことを恨みに思って、やんちゃくん化されても困る。だから個別に呼んで叱る方が効果的だ。
(2)
叱られ役の子どもを、怒鳴って叱る
 私は、いつも叱られ役の子をつくっている。
 明るい男子で、教師のことが大好きで、絶対に背を向けない子どもがいい。
 みんなの前で怒鳴る代わりに、その子のことは全力で可愛がる。ドッジボールをすれば、その子にパスを出す。もちろん、一番多く話しかけるし、手伝いもその子に頼む。そして、うるさい保護者でないことが大前提である。
 今どきの子どもは、叱られ慣れしていない。きちんと策略を練って叱らないと、子どもたちの心は離れていく。
 怒鳴るには気を遣う。しかし、全く怒鳴らずに学級が成り立つほど学校現場は甘くない。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている)

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「ペア学習」で学級づくり、聞く姿勢ができ、となりの子が認めてくれ、達成感を感じることができる

 私たちの脳の中で、達成感を感じた時にエンドルフィンという脳内物質を出すそうだ。
 私は、これを「やったあホルモン」となづけている。
 私は、いつも目の前にいる子どもたちが、どんな脳内ホルモンを出しているのかを考えて教育実践を行ってきた。
 若い先生方には、授業が終わった時など「やったあホルモン」が出る実践をしてほしいのである。「いやだなホルモン」では学級づくりはできない。
 毎日繰り返される授業で「やったあホルモン」が出されるために、教師は教材研究をするのである。
 授業は、学力の向上はもとより、学級づくり、仲間づくり、生活指導をも行うのである。そういう視点を持ってほしい。その核になるのが「ペア学習」である。
 毎日、繰り返される授業の中で学級づくりをするのである。
 授業力の向上は学級づくりに直結する。
 どうすれば授業で「やったあホルモン」がでるのか。その一つに「ペア学習」がある。
 ペア学習で「自分の考えが隣の子に認められた」「二人組で活動して楽しかった」という実体験が大切なのである。こういう肯定的な感情が学級をつくっていくのである。
 ペア学習は簡単に取り組めるが、奥の深いものである。ぜひ極めてほしい。
 ペア学習で聞き合う姿勢が養われると、不思議なことに3人4人と人数が増えていっても、話し合いがスムーズに進む。
 ルールを決めたり、班やグループ活動で話し合いをするときに、大切なのは相手の考えを受け止め、聞く力である。その姿勢をペア学習で作るのである。
 ペア学習の利点をあげてみると
(1)
必ず、自分の考えを聞いてもらえるので、全員参加型の授業ができる。
(2)
相手に認められた考えは、自信をもって発表することができるようになる。
(3)
自分の考えをしっかりと書くようになる。
(4)
「聞く、話す」「伝える、受け止める」などのスキルが身につく。
(5)
苦手な子の考えを引き出すことができる。
(6)
できる子だけで進められる授業を打破できる。
(7)
子どもたちは、役立ち感や、有用感を感じ自尊感情を高める。
 口だけで「友だちを大切にしましょう。仲良くしましょう」と何回言っても安心、安全な学級はつくれない。いじめをなくすのも授業からなのである。
 ペア学習で、となりの子を大切にする風土をわが学級につくろう。
(
三谷祐児:鳥取県公立中学校長
)

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授業中、クラス全体が落ち着かず、集中力に欠けるとき、どうすればよいのでしょうか

 授業中、クラス全体が落ち着きません。授業に集中できない子が多く、教師の目を盗んで手遊びや落書きなどをする始末です。
 教師の目を盗んで好き勝手なことができる環境をつくっていることが問題です。
 つまり、授業に参加していなくても、おとなしくしていれば、叱られることも、困ることもない授業に教師がしてしまっている、ということです。
 どうすればよいのでしょうか。
1 授業に参加せざるを得ない指導をする
 クラス全員が授業に集中するように、考えを書かせたり、突然、指名して発表させたり、ぼうっとしている子に声をかけたりと、様々な指導の工夫が必要です。
 いつ指名されるかわからない、いつノートチェックが入るかわからない、となれば、子どもは嫌でも授業に参加せざるを得なくなり、教室が心地よい緊張感に包まれます。
2 授業に短時間のユニットを組む
 世の中全体のテンポが速くなっています。昔のように、1つのことに長時間、集中できる子が減っています。
 子どもの実態に対応して、授業スタイルを変えることも必要です。
 授業のねらいは1つでも、ねらいに迫るための授業の組み立てを工夫して、変化を加えねばなりません。
 例えば、導入の10分間は計算や漢字のゲーム、次の15分間は教師の発問を考える、その次の10分間は意見の交流の時間、最後の10分間はドリルで練習を行う。
 このように、授業の組み立てを工夫することで、集中力が持続する授業づくりに努めましょう。
3 ダメな叱り方
 教師の目を盗んで、勝手なことをしている子を、個別に集中して叱ってはいけません。
 おそらく、その子は運悪く、見つかっただけで、他にも授業に集中できていない子はたくさんいたはずです。
 叱られた子にすれば「何で、オレだけ?」と反抗したくなります。
 どんなに授業を工夫しても、何度も注意したくなる子もいます。そのようにならないように「隣の子は、できているか、お互いに確認してね」
と、子ども同士で気をつけ合うような指導法を取り入れて、直接、教師が指導する機会を少なくする工夫が必要です。
 教室の雰囲気が何となくだらけてきたと感じたら、一斉に教師の方を向かせたり、少し息抜きの時間をつくったりして、思い切って授業を中断してしまいましょう。
 クラス全体の雰囲気を変えたうえで、授業を再開したほうが、集中して学習することができます。 
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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手に負えない生徒に出会っても過度に落ち込まず、弱音を吐くことが、辞めたいと思う危機を乗り越える第一歩となる

 中学校で国語を教えるA教師は、16年目の女性教師です。どの学校でも熱心に取り組み教師という仕事に自信を感じていました。
 しかし、二年生の担任となり、はじめて手に負えない生徒と出会いました。
 他の生徒に暴言を吐いたり、暴力行為をすることもあり、学級全体が落ち着かなくなっていきました。
 何とかクラスのなかに溶け込ませようとして、あらゆる手を講じてみましたが、どれもうまくいかない。
 担任である自分が、一人の生徒を指導できずにいる状態を、悔しく、許せなく思いました。
 同時に、他の生徒にも嫌な思いをさせて、申し訳ないという思いで胸がいっぱいになりました。
 女性であるという、どうしようもできない部分も含めて、すべては自分の責任であると、自分を追いつめていきました。
 教室では、その生徒の言動に自分の感情が振り回され、常に張り詰めた緊張状態に置かれていました。
 職員室で、周りと和気あいあいとやっていくことが好きなA教師でしたが、学級がうまくいっていないことを正直に言えなかったため、同僚の教師との間に自分から垣根を作ってしまいました。
「大変なのは、わかっているはずなのに、誰も助けてくれない」と孤独感と不信感とが募っていきました。
 家でも学校のことが頭から離れなくなり、悶々とした日々を送っていました。
 食事もおいしく感じられず、食欲も落ち、眠りが浅くなったり、朝起きるのが辛くなったり、身体に変調も来すようになりました。
 しかし、放課後の掃除のときに、被害を被っていると思っていたクラスの女子生徒から
「先生、具合、悪くない。みんな心配しているよ」
と声をかけられ、ハッとしました。
 教師とはこうあるべきという自分の思い込みにだけとらわれて、生身の人間としての思いに正直に向き合ってこなかったのではないか、と気づかされました。私は
「もいいい。彼を何とかしようと思うのは、やめた」
「批判的に冷ややかに見ていると思ったクラスの生徒のなかにも、心配してくれている子もいるんだ」
「担任だけが必死で、性急に頑張るのではなくて、生徒たちと一緒に考えながらやっていこう」
「彼を何とかすることができなくても、周りの生徒たちをもっと大切にしよう」
と開き直ることができました。
 A教師は同僚の教師に「自分の手には、負えません」と宣言しました。
 その後は、少しは余裕をもって、当該の生徒と接することができるようになりました。
 余裕をもって接すると、その生徒の悪い面ばかりでなく、良いところが少しずつですが見えるようになってきました。
 その生徒の適切な行動に対して、自然にほめ言葉も出るようになり、ギクシャクした関係も徐々に改善の方向に向かっていきました。
 また、学年の教師の協力を得ながら、学級の立て直しも図ることができました。
 A教師が、この危機を乗り越えることができたポイントは
「自分が努力すれば何とかなる。自分だけで何とかできる」と過信していたところから、
「自分には、できないところもある。他の教師の助けが必要なときもある」
という考えに至ったところにある。
 教師が自分の思いとかけ離れた状況であっても、ありのままの現状をさらけ出すことは、自分自身のためだけでなく、ひいては子どものためでもあるのです。
 自分の限界を知り、難しい問題にはチームで、ときには、周りの子どもの力も借りながらかかわることです。
 問題を一人の教師が抱え込むのではなく、できるだけ多くの教師が組織的に関わることで、柔軟な子ども理解や、ていねいな対応も可能となります。
 教師も、おとなしい教師、怖い教師、お茶目な教師、しっかりとした教師、失敗するけど頑張る教師など、教師の世界も様々な個性の人間がいるほうが集団としての力を発揮することができます。
 誰かが「大変だ、しんどい」と声を出すことが、時には必要です。
 そうしないと、教師各自がバラバラになって、悩みを抱かえ込みながら孤立感を強めるだけの職員室になってしまいかねません。
 頑張り過ぎて、限界になる前に「しんどい」と言える温かい職員室の人間関係をつくることが、辞めたいと思うほどの危機を乗り越えるための第一歩となるのではないでしょうか。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究
)

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授業がうまくなる板書の技術のポイントとは

 板書は、豊かな内容を美しく、大きく、目立つように書くべきである。板書計画を立てておかねばうまくいかない。
 私は授業を行うとき、いつも「芸術的な板書をしたい!」と考えている。
「芸術的な板書」というのは、美しいだけではなく、内容のポイントがきちんと書かれ、正確で、見やすい板書である。子どもたちが、黒板に吸いつけられるような板書である。
 また「子どもを引きつけて離さない板書」である。板書の「内容のおもしろさ」が第一のポイントである。
 いくら、きれいに、ていねいに、カラフルに書いても「内容のポイント」が書かれていない板書には、子どもたちは関心を示さない。子どもたちは、内容のよしあしをかぎ分ける臭覚を本能的にもっている。
 板書するとき「何を書いて」「何を書かないのか」ということを、常に考えることだ。そこに教師の教育観があらわれる。
「この時間に、これだけは何としてもわからせたい」というものを、きっちり書くべき。他のものは極力書かないようにする。
 内容のポイントを書いて、よぶんなことをなるべく書かないことだ。そうすれば、教師の書くことに重みが出てくる。
 そして、毎日の授業で、それを実験的に行ってみることだ。これが、板書の技術上達のポイントである。
 つまらない内容を黒板いっぱいに書く教師は、内容のポイントをつかんでない。
 つまらないことをたくさん書くから、子どもたちは「見てもしかたがない」「ノートしても意味がない」と、子どもが考えるようになってしまう。
 チョークは白が基本である。それは黒板が黒だからである。対照的で見やすいからである。「見やすい」ことが極めて大切である。
 文字を書くときは、原則として、白、赤、黄色を使うのがよい。赤や黄色がまじると、白が鮮やかに見える。
 色チョークは、色で強調したり、区別したりするときに使う。大きな文字で書くようにすると、いっそう見やすい。
 私はチョークの色を「問題・はてな?」は黄色、「大切な言葉・用語」は赤色、「覚える用語・その他」は白色という約束を子どもとしていた。
 青色は、川や海など水に関係のあることを着色するとき、緑色は、平野や平地の着色するときに使うようにした。
 チョークはやわらかいものがよい。
 文字の大きさは、一番後ろの子どもにちょうどよい大きさで書くことだ。
 小さい文字を書く教師が多い。一番前の子に合わせているから、小さすぎて見にくいのである。
 教師は、子どもの力に合わせて、文字の大きさと書くスピードを調整するとよい。
 教師が発問したとき、子どものいろんな反応をしっかり「板書」して、これを一つにしぼるのだぞ、ということに子どもたちに気づかせなければならない。
 きちんと板書して、話したり、説明すれば、子どもたちの認識率は80%になる。板書せず口頭で話すだけだと認識率は20%におちる。
 私は、毎時間「日付」を書くことさえ考えて行った。大きく書いたり、小さく・漢字・英語・昔の月の呼び名も使った。子どもたちは「今度はどんなことを書くか」と楽しみにしていた。
 板書に興味をもたせることは、ひいては子どものノートに関心をもたせることになる。「いいノートは、いい板書から」と言える。そして「いい板書は、子どものやる気さえ引き出す」ものである。
 教師が板書していると、子どもたちに考える間ができる。
 教師は子どもたちに文字が見えるように、しゃがんだり、体をずらすようにして板書するとよい。子どもたちは筆順も確認できる。
 子どもの意見を的確なことばで書く。そうすることで、構造的な板書ができ、今、何を学習しているのか、この1時間どんな学習をしたのかが、はっきりとした板書になる。
 板書は固定観念にとらわれないこと。これは大事だと思ったら、びっくりするような大きさで書いたり、逆に小さな字で書いたりする。強調した板書にしたいものだ。
 ワクにはまらない思考をさせるには、ワクにはまらない板書や発問が必要である。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)


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教師が出した指示に、子どもたちを必ず従わせるには、どのようにすればよいか

 教室で子どもの能力を引き出し伸ばすためには、子どもたちと闘わねばならない。
 私の学級では、10個の漢字を練習させるとき、5つごとに教師のチェックを受けるきまりになっている。
 練習を始める前、子どもたちに予告をする。
「線から大きくはみ出していた場合や、丁寧に書いていない場合は、書き直しをしてもらいます」
 漢字を乱雑に書いてくるやんちゃな子がいる。ここで妥協してはならない。教師の姿勢を問われる場面である。
 やや厳しい口調でやり直し命じる。指示どおり書き直してきたら
「素直に聞ける人は、何をやっても伸びる人だ。えらいぞ」
などと、大いにほめてあげる。
 子どもに「やり直し」をさせる場合は、必ず予告することを忘れてはいけない。
 授業という真剣勝負の場で勝つために最も必要なことは
「一度出した指示には、必ず従わせる」ことだと、私は考えている。
 子どもが教師の指示に従わなければ、授業は成立しない。教師の生命線に関わることである。教師が、なまはんかな気持ちでは通用しない。
 子どもは教師に本気で体当たりしてくるのである。それを受ける教師も覚悟が必要だということだ。
 教師が「気持ち」で、子どもたちに負けていては、勝負にならないのである。
 教師の指示に学級の子どもが従わなくてよいと考えている場合は、指示を考え直す必要がある。
「一時に一事の原則」を守って指示を出しているか。
 教師の思いつきで指示を出していないか。
「教師の思いを込めて」指示を出すことが大切である。
「このように動いてほしい」という思いを言葉に乗せて指示を出すのだ。
「子どもに分からせる」という気迫を持って指示を出す。
「言葉を削り、分かりやすく」指示を出す。
 この意識を持つだけで、指示の通り方がずいぶんと変わってくる。
 教師の話し方も大切だ。
 子どもたちと「目を合わせて」話すようにする。
 視線を合わせることで、教師が「自分に話をしている」という意識をどの子にも持たせることができる。
 授業開始の第一声も極めて重要だ。教師の力量が表れる。授業の流れを大きく左右するほどの意味を持つ。
 力のある教師の第一声はぐいと引きつけられる。言葉に力を感じるのだ。
 授業開始の第一声で、教室の空気を支配してしまう。
 日々の修業の積み重ねがあって身につくものである。
 指示が通るためには、教師と子どもの人間関係が大切である。
 教師は感性の鋭い子どもを動かすのである。
 子どもを動かすには、子どもに対する深い理解を必要とする。
 技術だけで子どもを動かすことはできない。
 子どもを動かすうえで重要なことは、教師の「子どもに対する気持ち」である。
 子ども一人ひとりに対して
「あなたのことを真剣に考えているのですよ」
という気持ちを忘れてはいけない。
 教師の気持ちの持ち方が、指示や表情に表れる。
 子どもたちは、それを敏感に感じとる。
 子どもに対する愛情や気持ちがあったうえで、一つ一つの技術が生きてくる。
 授業が「真剣勝負の場だ」ということが、子どもなりに感じるようになるのだ。
 そのことに子どもが気づいたとき、子どもの動きが格段に良くなった。
(
吉元輝明:鹿児島県公立小学校教師)

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学級崩壊が起きないために一番必要なことは「怖さ」を知り、具体的な策を巡らせ、崩壊したときは「しのぐ」こと

 もし、学級担任が学級づくりの作戦や武器を持たず、それこそ丸腰で子どもたちに向かうとどうなるのか。最悪の場合には学級崩壊、さらにはメンタルヘルス面で休職に追い込まれるケースも出てくる。
 力量のない教師ほど、この具体策が貧弱なのである。
 当たり前の話だ。目の前の子どもたちは、具体的な存在であるからだ。目の前の子どもたちを「どうするか?」具体的な「策略」を巡らせて取り組むことが大切である。
 私はプロ教師として一番必要なことは「怖さ」を知ることだと思う。
「怖さ」を知っているからこそ、学級崩壊が起こらないように全力で学級づくりに取り組むのだ。覚悟を持って学級づくりに取り組むのだ。
 思いつきの、その場しのぎの教育が通用する訳がない。学校現場は非常に厳しいのだ。
 特に4月は学級づくりに全力で取り組む。毎日分刻みで細かく具体的な策略を練り、それを確実に実行していく。そして、失敗がないようにチェックしながら学級づくりをしていく。
 学級づくりは4月が全てである。4月の失敗は絶対に取り戻せない。
 始業式から子どもたちをほめるための勝負が始まっているのだ。子どもたちは自分の良さを認め、ほめてくれる教師が好きになる。そして信用する。「やんちゃくん」の心をつかむためにもだ。
 叱る武器を使用するにはリスクが伴う。ほめる武器は使わないのはもったいない。
 私も4月はキツイ。死ぬほどキツイ。4月は後で楽するための投資だと言ってもいい。
 それなのに策略を巡らせることなく、のんきに4月を過ごしてしまう教師がいる。そういう教師に限って、指導技術に乏しい。楽しい授業も知らない。たくさんのネタも知らない。武器すら持っていないのだ。
 戦場に丸腰で向かうと戦死してしまう。学級崩壊したり、病休や辞職に追い込まれたりしてしまう。そんな事態は、絶対避けねばならないのだ。
 まずは怖さを知ろう。子どもたちは本当に残酷である。気に入らない担任を休職に追い込もうと、策略を巡らせてくることさえある。
 怖さを知り、子どもたちに負けない策略を練り、厳しい学校現場に出ることが絶対に必要である。
 一番いいのは、戦わなくてもすむ状態をつくることだ。戦わなければ決して負けることはない。戦わなくてすむような策略が教師には必要なのである。
 怖さを知りながらも、絶対にそれを表に出してはいけない。特に子どもたちに絶対、気づかれてはダメだ。自信のないリーダーは、子どもたちに信用されない。
 話をするとき、堂々と大股で進み出て、落ち着きはらったように正面を向き直り、いかにもスピーチを楽しむというふうに話し始める。
 リーダーである教師は、教室で大きなトラブルが起きても、平静を装い自信のあるフリをし続けるべきである。子どもたちにも余裕が生まれる。
 安定感のあるリーダーに子どもたちは安心する。そして信頼する。
 学級が崩壊したら、戦わず、「しのぐ」ようにするとよい。
 担任以外の教師や管理職が教室に入れば、担任の権威は急速に喪失する。しかも、サポートに入った人の言うことも徐々に聞かなくなる。崩壊した学級とは、そういう所なのである。負のエネルギーに満ちている。
 基本的には、担任ががんばるしかない。どんな手を打っても、逆効果に違いない。では、どうがんばるのか。「しのぐ」のである。
 授業は、授業妨害する子を放っておいて、淡々と進める。休み時間は職員室に戻って、子どもたちと距離をとる。
 一番大切なのは、とにかく辞めないことだ。学級崩壊を起こすような子どもたちのために、あなたの体と心を壊す必要はない。
 1年間しのげば、絶対に楽になる。次に受け持ったクラスは、絶対に楽勝に感じられる。
 それなのに、戦わせようとする管理職が多い。
 子どもたちに不満を書かせ、担任が不満を解消しようとしても、子どもたちはそれを受け入れなかった。
 保護者会を開いて、保護者から様々な提案が出された。しかし、子どもたちはそれを受け入れなかった。
 子どもたちが受け入れない。だから、学級崩壊なのである。
 私は、学級崩壊の状態を恋愛にたとえることが多い。担任は子どもたちに「ふられている」ようなものだ。なにをしようが、気持ち悪がられるだけだ。子どもの心はどんどん離れていく。
「しのぐ」ために担任に協力してあげられないのか?
 崩壊した学級の担任には「しのぐ」という策略しか残されていないのだ。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ講演も行っている
)

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いじめ加害者を注意したところ、保護者から「根拠を答えなければ裁判する、授業を見に行く」とクレームがあった、どうすればよいか

 生徒Aが生徒Bを日ごろからいじめている事実が発覚した。教師Cが生徒Aを叱責し、二度といじめをしないよう指導した。
 すると、生徒Aの保護者が学校に電話をかけ、教師C対して
「何を根拠に、うちの子がいじめをしたと言っているのか。個人的な見解を答えろ。答えなければ裁判の場に引っ張り出す」
と言ってきた。その対応に2時間も要した。
 その後も、生徒Aの保護者は事あるごとに、電話(1回:23時間)をかけてきて、最近では
「どういう教育をしているのか、学校の授業の様子を見に行く」
と要求している。どうすればよいか。
 学校で発生した問題について、教師の個人的な見解を求められた時には、教師個人が回答すべき法的義務はない。
 いじめの有無についての調査義務は、あくまでも学校が負担する義務であって、教師個人が負担するものではない。
 仮に学校としての見解との間で食い違いがあった場合、更なる混乱を招くおそれがあるため、回答を拒絶するべきである。
 したがって、教師個人が一定の事項について個人的な見解を回答する義務はない。
 なお、保護者が教師個人の見解を求め続けることは、その態様によっては強要罪に該当し得ることとなる。
 また、学校としては、学校内でいじめがあったのではないかとの指摘があった場合には、すくなくとも、教育的な観点から一定の調査を行うのが相当であろう。
 その結果、いじめの事実が発覚すれば、速やかに適切な対応を行う必要がある。
 保護者等に授業を見学させるか否かは、学校教育の方法に関するものであり、学校の裁量によって決定し得る事項であると考える。
 したがって、学校側にはこの要望を受け容れる法的な義務はない。
 また、授業等の見学については、他の生徒に与える影響が小さくないと考えられるので、基本的には拒否すべきであろう。
(
近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会)

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保護者が「学級崩壊では」と校長に訴え、保護者会で責めたてられ担任が体調くずした、どうすればよいか

 年度当初から騒がしい状態が収まらず、保護者が「学級崩壊では?」と校長に訴えました。
 解決策を話し合う保護者会が開かれ、保護者が担任を一方的に責め立てる場になってしまいました。
 それ以来、担任は「学校が怖い」と感じるようになり、体調を崩して休みがちとなりました。
 長年、精神科の医師として教職員を診療してきて、以前と大きく変わったと感じることは、教師と保護者の関係です。
 保護者が学校に対して意見を述べる力を持ってきたと同時に、一方的に権利を主張する保護者も増えていることを痛感します。
 担任が学級崩壊など、子どもとの関係で悩み、体調を崩して休職するケースは少なくありませんが、最終的に決定的な影響を与えるのは保護者です。
 担任が保護者から責め立てられると、管理職が休ませる方向を選ばざるを得ないことが多いわけです。
 私どもの調査でも、保護者対応のストレスが加わると、休職率が高まることがわかっています。
 復職も保護者の動向が重要です。保護者が応援している場合と、バッシングされている場合とでは、復職できる時期がまったく違ってきます。
 休職して病状が回復しても、学校が怖いと思うほど心が傷ついていては、復職する自信が持てません。
 保護者に要望したいのは「子どもの前で担任の悪口を言わない」ということです。
 批判力がまだ育っていない子どもたちがまねをすれば、担任に必要以上の心理的負担がかかってしまいます。子どもの成長にも良い影響は与えないでしょう。
 また、管理職が担任の意見を聞かずに一方的に保護者に頭をさげることも少なくありません。
 管理職は担任と保護者の双方の言い分を聞いて、保護者の「わがまま」であれば、毅然と対処すべきです。
 重要なことは、担任の挫折体験を癒せるのは同僚教職員だということです。
 同じような立場で共感し合えるのは、同じ教職員です。
 悩みを打ち明け合うことで、挫折体験が癒され、結果的には症状も和らぐことが期待できます。
 専門家である教職員からの意見であれば、納得できるでしょうし、先輩や同僚から評価されることは自信につながります。
 もし、学校で相談することができないのであれば、病院などでカウンセリングを受けることをお勧めします。
 学校でのサポートと病院を受診して悪循環を断ち切るという、二本立ての取り組みが有効でしょう。
 教師自身のメンタルヘルスがプラスに作用するには、
(1)
子どもたちとメリハリをつけて接する
 杓子定規に、ただ厳しいだけ、正論を通す、優しいだけではだめではないでしょうか。
 子どもたちとメリハリをつけて接することができる教師は、生徒指導がうまいと思います。
 子どもの気持ちをフィードバックしながら、その心情を理解するコミュニケーションをはかる。
「叱るときは叱る。ほめるときはほめる」といったことをうまく使い分けできる教師であってほしい。
(2)
子どもの話を聴くだけでもだめです。子どもを理解するには、同じ目線に立ちながらも、あくまで友だち風になることなく、指導するときは毅然とした態度をとる柔軟さが必要ではないかと思います。  
 こうした子どもへの接し方が、結果的には教師自身のメンタルヘルスにもプラスに作用するのではないでしょうか。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師
)

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困っている生徒や指導に困っている教師に養護教諭や同僚教師が協力して指導に生かすようにするには、どうすればよいか

 私が養護教諭として保健室で毎日生徒たちと接するなかで、保健室に生徒がやってくるのは、体の具合が悪いだけで来るのではなく、その奥にある心の具合の悪さも訴えて来るのだということを実感しました。
 それは、生徒たちの自覚のあるなしにかかわらず、不満であったり、不安であったり、虚ろな心を抱かえていることでした。体の不調として訴えながら、心の問題と密接な関連がある場合も少なくないことも分かってきました。
 たくさんの生徒たちと出会いました。保健室での生徒たちは、楽しかったことよりは、苦しみや悲しみ、つらさや切なさを、時には涙を流しながら話してくれました。
 生徒たちの体と心の問題に対応しながら、私自身も悩んだり、喜んだり、教えられたりして、生徒たちと一緒に成長してきたような気がします。
 養護教諭が生徒たちに対応している姿を見れば、単なるおしゃべりとしか映らないかもしれません。
 しかし、体のことを通して、さりげなく、どうしても聞いて確認しておかなければならないことは、会話の中に取り入れます。
 できるだけ話しやすく、答えやすいように質問して、生徒の思いのたけを聞き取ることができるように配慮しながら対応しているつもりです。
 養護教諭には特権があります。それは、生徒たちとゆとりを持って十分に時間をかけて会話することができることです。養護教諭は、よく話を聞いてくれるといわれます。
 担任は、次の授業を気にしながら、生徒たちの話を聞いたり、短い休み時間に対応しなければなりません。何か問題が起きたときや、生徒の様子の変化に気づいたときでも、さりげなく話を聞こうにも時間が少なすぎます。
 生徒がいま何に困っているのか、どうしてほしいと考えているかを養護教諭が耳にすることがあります。
 そんなとき、生徒の秘密を守ることに気をつけながら、担任に伝えます。担任と問題を共有しながら指導にあたります。
 そのとき担任は、生徒に養護教諭から聞いたと言わないことを約束してもらいます。
 生徒が養護教諭に話してくれたことを、担任は必ず生徒の口から聴き取ってもらうようにしなければなりません。
 そうしなければ「養護教諭しか知らないはずなのに」ということで、私と生徒の信頼関係はなくなってしまうからです。
 養護教諭がそっと担任に伝えておくと、担任も、生徒が何に困り、悩んでいるのかをあらかじめ知っておくことになります。それほど難しくなく話がすすみます。
 気になる生徒の指導に苦慮している担任から、私に「あの生徒に聞いてみてください」とお願いされることもあります。
 養護教諭と担任との間にかぎらず、学校の中で、信頼関係ができている教師間でも可能です。生徒に対する指導に生かすことができます。
(
白鳥クニ子:1944年福岡県生まれ、元福岡県公立高校養護教諭)

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けんか相手の子どもに学校で面会させろと保護者から要求があったとき、どのようにすればよいのでしょうか

 法的な義務の有無について
 子どもがけがをしている等の事情がある場合には、相手方の保護者に損害賠償請求をすることは可能である。
 しかし、その場合でも、保護者が相手方の子どもと直接面会することを求めるといった法的な権利はない。
 学校が子ども同士のけんかについて、損害賠償責任を負う場合であっても、相手方の子どもと直接面会することを求めるといった法的義務を負うわけではない。
 したがって、学校は、いかなる場合においても、けんかの相手方の子どもと直接面会させる法的義務はない。
 具体的な対処法について
 子どもに対する安全配慮義務をまっとうするという観点からみて、保護者がけんかの相手方の子どもと直接面会させることは避けるべきである。
 保護者が感情的になり、とっさに相手方の子どもに手を出すことは十分にあり得る。
 もし、保護者がそのような行動に出た場合、それを阻止して相手方の子どもの安全を確保することは容易なことではない。
 また、保護者が怒鳴ったり、暴言を吐くことも考えられる。そのような言動はなくても、子どもが保護者と対峙すること自体が相手方の子どもの心理面に悪影響を及ぼす可能性も否定できない。
 したがって、けんか相手の子どもに学校で面会させろと保護者から要求があったとき、面会させるべきではない。
(近畿弁護士連合会 民事介入暴力及び弁護士業務妨害対策委員会)

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生徒をやる気にするコツとは何でしょうか

 中学生をやる気にするには「コツ」がある。
 どんな教師も生徒を良くしたい、成長させたいと考えている。目的は同じでも、教師がやっていることに大きな違いがあるのだ。中学生をやる気にするには、次のような「コツ」がある。
 気になることがあると、生徒にエピソードを語り、よい考え方を話す
 私は、気になることがあると、忘れないようにノートにメモをし、朝の会、帰りの会で生徒に話すことにしている。
 私が気になると判断するポイントは「これは人としておかしい」ということである。
 私は未熟な人間で、感覚がおかしなときもあるから、学年主任や教頭などに話をし、フィルターをかけてから話すことにしている。
 気になることを放っておくと、あとで大変なことになることが多かった。
「これはおかしいな」と感じたことを、そのときに生徒たちに投げかけておくと、抑止力になることがある。
 教師が「これはおかしいな」と感じたことは、必ず「おかしいな」と生徒も感じる。
 そのおかしなことを放っておくと「あの先生は、おかしなことをしても許される」と生徒は思う。
「おかしいな」という行為は、限られた生徒で始まる。しかし、それを放っておくと、普通の生徒に広まる。
 それをくい止めるのは、教師が「エピソードを語り、よい考え方を話す」ことだ。生徒をやる気にさせることができる。
 教師は本を読み、人と会って話を聞き、良い考えを身につけることでよい実践ができ、生徒によい考えを伝えることができる。
 エピソードは本当にあった話である。場面や人物を生徒がイメージできるように話すのだ。そのときの、思いや考えを話すのだ。
 信頼したい教師のエピソードなら、中学生は聞く耳を持っている。
 初恋の思い出や、失恋の話、進路決定の話や失敗談、中学生は本当にあった体験談を待っている。
 生徒に語るとき、もっとも多いテーマは「友情」と「本当の友だち」である。
 どんなにやんちゃな生徒も、どんなに指導が通らない生徒も、この二つのテーマは理解できる。
 どんなことをすること、どんな言葉をかけることが「友情なのか」
 どんな姿が「本当の友だち」の姿なのか。
 そのようなことを教師が見ていて語ってあげることだ。
 何が「友情」で、どんな友だちが「本当の友だち」なのか、生徒が理解できても、自分の目の前の現実と結びつけられないのだ。そこを繋いであげるのが、教師の話だ。
 生徒に話すとき注意することは、中学生には直球の指導はなかなか通じないことだ。そこで、AさせたいならBと言うとよい。
 教師が直球で指導する内容なら、中学生にもわかっていることなのだ。わかっているけれど行動できない生徒の心をくすぐるBのフレーズを考えるのだ。
 例えば、授業を妨害することが悪いことだと誰でもわかる。それをもうやるなというのは直球の指導である。自分の何が悪かったのか思春期の心をくすぐる話をするのだ。
 その話をするときの前提になるのが「教師と生徒」との関係である。
 生徒との関係づくりが一番大切だ。
 自分のことをほめてくれる人の話なら生徒も聞く耳を持つようになる。
 笑顔で自分のことを迎えてくれる大人に中学生は安心する。
 教師と目が合うと生徒がやる気になる。
 教師からの朝のあいさつが大事だ。生徒は声をかけられると、関心を持ってくれている、理解しようとしてくれていると感じる。自分と関係を作ろうとしている人なのだと感じる。
 教師の一番の仕事は生徒をはげましつづけることと考えている。どの子も一人の例外もなく励ますことだ。
 教師の言うことを無視し、指示に従わない生徒は、自分を見つめ自分を変えられるはずがない。
 そうできるように教師が励ますのだ。大人の私が別の方法でかかわり続けることしか方法はないと私は思うようになった。
 それからは、その生徒に毎日一回は声をかけること、休んだときは家庭訪問すること、話を聞いてもらえなければ、手紙やはがきを書いてなんとか思いを伝えようとし続けた。
 どんな手のかかる生徒でも、教師がかかわり続け、励まし続ければ、生徒は必ず変わっていく。自分で動き出し、やる気を持つようになる。
 生徒の考えていることを一度は受け入れてみることだ。生徒はなかなか自分を変えられない。ならば、教師が生徒の考えや行動の意味を受け入れ、対応を考えていくことが今後ますます必要になる。
 そのとき必要なのが生徒と教師の「理解と納得」の関係である。
 思春期を迎えた生徒は、大人の言動を批判的に見ている。生徒の目の前で一緒に生活する教師がまじめでかっこよい、あこがれるような姿を毎日示すことだ。
 特別なことではない、進んであいさつをする。掃除をする。給食の配膳をする。このようなことを毎日積み重ねるのだ。そういう姿を生徒は見ている。
 中学生が望んでいる教師は、
(1)
どんなに勉強ができない生徒も、最後まで面倒をみてくれる教師。
(2)
口だけではない、自らやってみせる教師。
 中学生は口だけの大人の言うことをきかない。中学生がやる気になるのは、言ったことをやっている教師である。
 教師が生徒に言ったことは、教師が生徒の何倍もやることだ。そういう教師の姿を中学生は必ず見ている。
 毎日、教師が一緒にやるから、教師が「〇〇しなさい」という指示もきくようになる。
(3)
どんな困難なことでも、あきらめない教師
 学級で問題が起きたとき、教師が何と言うか生徒はいつも注目している。教師の腕の見せ所だ。問題は生徒が成長し教師が成長するために欠かせぬものだ。
 問題を解決しようと、やり続ける教師なら、中学生は認めてくれる。
 何もしない教師や、何も言わない教師を見ると、生徒は確実にやる気をなくし、学級をよくしていこうという思いをあきらめていくことになる。
(
垣内秀明:1965年長野県生まれ、長野県公立中学校教師。教育サークルTOSS中学信州代表
)

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教材を開発するために、たいせつなポイントとは何か

 子どもに生きる教材を発掘するには、子どもの興味のあり方や、能力の実態をつかんでおく必要がある。
 しかし、子どもをとらえることは容易ではない。私は「子どもの事実」確かにとらえた、と思ったことは一度もない。
 とらえたように思っても、次の瞬間、子どもは変化していることを、何度も体験しているからである。
 長年の経験と常識、それに、何よりも子どもを愛してやまない心がなければ、子どもをとらえることができない。
 じっと子どもを見ているだけでは、とらえられない。
 一番とらえやすいのは、子どもに、いろんな活動をさせてみることである。子どもの動き方で、子どもの本音がどこにあるかわかる。
 これを積み重ねていくと、ある傾向がつかめてくる。それを使って、またさぐってみる。新しいことにぶつけてみる。
 これを繰り返しているうちに、一つの原理原則のようなものがつかめる。しかし、まだ奥があるのではないかと、追究の手をゆるめないことだ。
 クラス全体の子どもの事実をつかむことは容易ではない。
 そこで、抽出児童を決め、その子をつかむ努力をすることだ。すると、抽出児童を通して、他の子どもの事実がよく見えてくる。
 私の教材開発の原点は、常に一人の子ども、それも、学習にのってこない子どもを意欲的にしようと考えることである。
 動かない、学習をおもしろがらない子どもを、おもしろがらせようと考えるところから出発する。
 一人の子どもを思い浮かべて、教材開発をするようになってから、失敗は少なくなった。
 一人の子どもを思い浮かべ、その子を熱中させるための教材をつくり出すことが、結局、クラス全員を熱中させることになるのである。
 私たちの身の回りにも、よく考えてみると、おかしなことがたくさんある。ところが、これが常識だということで、見えなくなっている。
 見る目を妨げているのは先入観であり常識といわれるものであることを肝に銘じておくことである。
 身の回りを見直すことからも、見る目や新しいセンスを身につけることができる。
 目的以外の使用法を発見する訓練をすることが頭を柔らかくする極意である。
 たとえば、レストランで食事をするとき「おしぼり」が出る。「おしぼり」の本来の目的以外の使用方法をどれだけ考えられるか。おおくなればなるほど、物が豊かに見えるようになる。
 例えば、手を拭く以外に、熱いものを持つ、ぞうきんのかわりにする、コップに巻いて水滴がつかないようにする、頭を冷やす、敷物にする、折り紙にする、などいくらでもある。
 物ごとを広く、深く見えるようになるには、一つの知識だけではできない。
 知識や方法、見方・考え方などを、さまざまに組み合わせて、新しいことを発見していくようにすることである。
 つまり、物を見るのは「目」ではなく「心」である。心がなければ何も見えないのである。
 教材を開発する場合にも、ふだんの生活でも、いくつかのことを組み合わせて考えないとうまくいかない。
 具体的に見る訓練、関係的に見る訓練、そして、視点を変えて多様に見ることができる訓練を、私たちはしなければならない。
 教材を発掘していく人間であるためには、常に、何らかの問題を持ち、それを常に考えていることである。
 常に問題意識をもって、一歩ふみこんでみるくせをつけることが大切だ。
 教材を発掘するには、多くのヒントを集め、それをあたためることから、よい教材が発掘できる。そのためには、常に「メモ用紙」を身につけて、たえず持ち歩くことだ。
 ヒントになるものや、おもしろい情報に気づいたら、いつでも、どこでても、書くくせをつけることだ。それをもとに私は教材を発掘している。これを継続することが大切だ。
 問題意識をもっていると、不思議に情報が集まってくる。逆に関心がないと、よい情報が素通りしてしまう。すぐれた教師になるためには、問題意識を常にもち続けることだといえよう。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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保護者からの苦情対応で、トラブルを引き起こす教師側の原因とは

 保護者からの苦情対応において、トラブルを未然に防ぐためには、まず教師の姿勢を変えなければならない。姿勢を変えることによって、多くの問題の解決が図れる。
 では、トラブルを引き起こす教師側の原因はどこにあるのでしょうか
 それは、教師が「私は教師だ」と思っていることである。一般企業と大きな差が生じる。
 教師の上から目線である。教師は「教える者」なのであるが、それは子どもに対してであり、保護者に対しては必ずしも教える者ではない。この違いは大きい。
 ただ、思っているだけなら問題はないのだが、それがプライドとなると時として自己防衛になることがある。
 保護者から強い口調や強硬な態度に出られると、日頃、子どもを相手にしている癖で、無意識のうちに保護者相手に、教えたり叱ったりする立場になり、それが言葉と態度に出てしまうのだ。
 その結果、保護者は教師にバカにされたように感じ、さらに怒ってしまうことも多い。
 教師というプライドさえなければ、保護者と対等の立場で聴くことができるだろう。
 教師には、教師特有の弱点がある。保護者の苦情を「聞くことすら嫌だ」と思う教師はたくさんいる。
 とくに教師自身が一番気づいていないことは、相手の言い分を受け入れてみようとする姿勢が最初からないことだ。
 こうした教師の初期対応は、相手に対する思いやりやりがなく、自ら問題をこじらせてしまう。
 教師は「教師は正しく、保護者は間違っている」と断定することが多いのである。
 これが原因で、学校と保護者の問題がうまく解決できないことに教師は気づいていない。それでは自分を窮地に追い込むだけだ。
 保護者の言っていることが嫌だと、保護者を一方的に押し返そうとしてしまう。それも態度や言葉による圧力で対抗する。その結果、保護者の逆鱗に触れてしまう。
「うちの子が言っていることが絶対正しい」と、わが子の言うことを信じたい一心で、子どもの言うことなら何でも真に受けて行動を起こす保護者がいる。
 このように保護者にも落ち度があるが、子どもを思う気持ちが強いあまり、ということが背景にあることをふまえて対応せねばならない。それには一歩引いて話を聞くことから始めるべきだ。
 教師は、苦情を言ってくる保護者の存在とその文言や表情に対して動揺しているように感じられてならない。
 文言や表情にとらわれてはいけない。ここはひとつ冷静になるところである。
 次にしなければならないのは、苦情内容を聴いたときの分析である。
 言わずにいられない保護者の気持ちの「落としどころ」が見つかるかどうかがポイントである。
 保護者の苦情を最初に受ける担任は対応の仕方をつぎのように心得ておくべきである。
(1)
保護者の要求が無理だとわかっていても、黙って聴くこと。
(2)
担任は自分で判断せず「ご提案は、お預かりして、校長や教頭に相談してみます」とその場で伝える。
(3)
実現が困難だとわかっている場合は、つぎのように軽い予防線をはる。例えば
「たいへん貴重なご提案をいただき、ありがとうございます」
「さっそく会議にはかれるよう提案してみます。少しお時間をください」
「しかし、その会議で検討しても実現できるかどうか、という問題も出ます」
「なぜなら、学校では年度当初に、子どもの安全を最優先に計画的に決定がなされていますから、変更はとてもむずかしいと思います。その点だけはご承知ください」
「でも貴重なご意見です。ありがとうございます」
というふうに。
(
関根眞一:1950年埼玉県生まれ、苦情・クレーム対応アドバイザー。百貨店に34年間在職し、お客様相談室長を経て、メデュケーション()代表取締役。新学校保護者関係研究会委員) 


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担任がリーダーとしての責任感があり、「うちの担任が一番」と子どもたちが誇りに思うクラスは荒れることはない

 担任のリーダーとしての責任感がクラスを荒れから守ります。
 若い教師は、率先して子どもたちと身体を動かして遊ぶことで、リーダーシップをとっていきましょう。
 担任は、リーダーの自覚がないと、子どもの荒れは止められません。
 担任は「ここで担任として踏ん張らなければ、これから先、指導できなくなるぞ」と、リーダーとしての自覚を持って指導する必要があります。
 子どもを指導することを躊躇したり、他の教師に頼ったりすると、子どもたちの信頼を失います。
「この先生、全然怖くないや」「好き勝手なことをして楽しんじゃえ」
と、子どもの荒れは止められず、1年間クラスをまとめていくことはできないのです。 
 子どもたちの気分を盛り上げるのも、クラスを明るい雰囲気にしていくのも、リーダーである担任にかかっています。
 クラスの雰囲気が暗く沈んでいるようなとき、子どもの力に任せていては、どんどん暗くなり、大きなトラブルが起こる恐れがあります。
 明るく元気な空気を担任が率先してつくり出すことが、クラスの乱れ、ひいてはクラスの崩壊を防ぐことになります。
 子どもたちが誇れる担任をめざすとよい。
 子どもたちは、自分のクラスの担任が、学校で一番「いい先生」であってほしいと願っています。
「いい先生」とは社会的に高い立場にある教師ということではなく、
「子どもたちのために一生懸命」「誠実に指導する」「授業がうまい」といった、子どもの指導に重きを置いている姿勢を、子どもたちが感じることができる教師です。
「うちのクラスの先生が一番」と、子どもたちが誇りに思っている教師のクラスが荒れることは、まずありません。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる
)

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授業が成立しないとき、どのように工夫して授業をすればよいか

 すばらしい授業を創り上げるには、目的意識を持って実践し、経験を自分の血となし肉となす努力が必要です。
 苦労し、悩み、工夫することです。工夫には、小さな工夫、大きな工夫、模倣、創意工夫もあります。
 その積み上げが、すばらしい授業を創り上げていくようになるのです。
 授業は、教育内容を教師と生徒との関係の中で成立させるものです。
 教師の一人相撲だけでも、生徒の意欲だけでも、教育内容のすばらしさだけでも成果はあがりません。
 そこで、授業成立に困っている教師は、授業に入る以前の生徒との関係を見直してほしいのです。
 授業の流れを工夫するというのも一つの方法です。
 私は、次のようにしました。
 私は始業のチャイムで教室に入ります。そして、座席カードを用意して、遅刻、欠席、生徒の机の上の教科書、ノートを見て回り、記録します。5~7分かかります。
 その間、生徒たちは漢字の練習などさせてもよいが、初めは、ただ調べて記録しておくだけです。
 次に「黙想をします。30秒ですよ」といって、私は立ったまま目をつぶります。時計係は授業不参加者、問題を持っている生徒でよい。教師の時計を持って号令をかけるのですから、引き受けてくれます。
 次は授業に入り、黒板を活用して講義をします。10分から15分間です。ノートをさせません。
 もし、私語をしたり、立ち歩きの生徒がいてもかまいません。頑張って一生懸命に勉強を受けようとしている生徒に、学習の保障をします。
 私は、この15分間に教科書のエキスになることを準備しました。中学3年生の時は、高校の入試にも耐えられるものも用意しました。
 私は教室の管理ができない、ふがいなさを詫びる気持ちで、応えてくれる生徒の目をみつめ、全力投球で話し、黒板に書いた。
 次に黒板に書いたものをノートに写させます。
 早く書いた生徒用に、次のような自主学習プリントを作成しました。
1番:最も基本的な内容である、漢字、語句。
2番:今日の授業で、私が話したり、黒板に書いたりした内容です。答えられます。
3番:生徒が自分で教科書から取り出します。今日の授業で、私が指摘しておいた内容です。
4番:高校入試も含めた、若干むずかしい内容です。
 この時間が15分か、20分です。私はこの間、机間巡視します。
 そして、不適応生徒、不振生徒がいる場に腰かけを用意しておきます。そこに座り込んでプリントの説明をしていきます。
 時にはプリントの解答を写させることだけをさせます。
 または、昨夜のこと、今日の朝のこと、友だちのこと、日頃の悩みのこと、いろいろと話しました。
 最後の10分間は、教師の独壇場か、生徒が少し落ち着いていたら、生徒にも発表させて、教師と生徒、生徒同士での、みがき合いをさせたいものです。
 ひっよっとしたら、この10分間が授業の場らしい雰囲気であるかもしれません。
 授業の最後は、また30秒の黙想をします。
 チャイムと同時に授業が終わるようにします。チャイムが鳴っても授業が終わらないのはよくない。教師の情熱だけが空回りしているといわれてもしかたありません。
(
陣川桂三:1939年生まれ、福岡市立中学校教師、福岡教育大学附属中学校教師、福岡市教育委員会指導主事、中学校長、福岡市教育委員会部長、福岡大学教授を経て退職
)

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笑いのある授業を行うには、どうすればよいか

 世の中全体がユーモアを求めているように思う。
 教室の中にはユーモアがすくなすぎる。私は多くのクラスを見たが「笑い」のある授業は極めて少なかった。暗く、ぎすぎすした授業が多い。
 学力のないクラスは笑わない。いや、笑えないのである。「笑える子どもを育てる」ということは「学力のある子どもを育てる」ということとイコールである。
 いい授業というのは、ユーモアがあるし、ゆとりがある。
「笑いのある授業」を行うには
(1)
指導すべき内容を、ぎりぎりまでしぼり、ゆとりをもつ。
(2)
それをきっちり教えようとしないで、子どもと共に楽しみながら追究しようと考える。
(3)
教師がさりげなく、わざとぼけたり、まちがえたり、へまなことを行ってみせる。
(4)
おもしろい子、ユーモアのある子を大げさにほめる。
(5)
教師が笑い話を準備しておく。
といったことを心がけることである。
 そして、教師がもっと「楽天的になる」ということである。表情を明るくすることである。「楽しいなあ」と自分に言いきかせることである。
 こういう努力をしているうちに、笑顔がふつうになってくる。子どもの前に立つと自然に笑顔になってくる。
 私が担任した子どもたちは、底ぬけに明るくなったし、よく笑った。
 ユーモアのある楽しい授業をするには、何といっても「教師自身のユーモア力をアップする」ことが必要である。
 私は新採用の頃、子どもから「先生は暗い」といわれた。
 それからは、子どもの前に出るときは、鏡を見て、笑顔をつくってみてからにした。
 ユーモア力を身につける努力をした。笑い話・ジョークなどの本をかたっぱしから読んだ。
 その中から使えるものを選び出し、子どもに話してみた。うけるものと、全くうけないものがあった。
 そのうち「自分が本当に面白いと思い、他人に話してみたくなるもの」が、子どもたちにも通ずることがわかってきた。
 そして、話し方は「自分が体験したように、実際見たように話すこと」が大切なポイントであることもわかってきた。
 自分は何てバカなんだ、といように、失敗したことや、しくじったことなどがよいこともわかってきた。
 さらに、ヒントをもとにして「さも、自分が体験したように話を創り変える」と、面白くなることもわかった。
「明るいことにあこがれをもって、努力すること」が大切だ。
 私は「人間は努力によって変わる」と信じている。とにかく、毎朝、笑い話をして、大笑いさせるようにしていた。
 笑いはクラス全体で行ったほうが効果は大きい。私は担任したら、毎朝、笑いの練習を行う。一か月続けると、すごく笑うようになる。
 効果的なのは、二人ずつくらいで、交代で笑い話をさせることである。順番を決めて、何月何日が誰と誰れというように。
 話を聞く方は、あまり面白くなくても、大笑いすることと決めておく。笑い話のネタ集めと、話す力が育つことはまちがいない。
 ユーモアとは「対応の技術」だと私は考えている。子どもが何か言ったとき、かんぱつを入れず面白い対応ができること。これが本当のユーモアではないだろうか。
 子どもが冗談をいったとき、オーバーに笑ってあげることだ。これができない教師が多い。
 教師が明るくユーモアのある人だと、クラスがまたたく間に明るくなり、笑いの絶えないクラスになる。
 教師の話術によっても、子どものユーモア力をアップできるものだ。
 教師の人間性や技術もあるが、何よりもユーモアを含んだ教材を開発し、それを子どもたちに提示することが効果的である。このような教材を開発できるかが大きなカギとなる。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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学級が荒れないようにするには、どのようにすればよいか

 朝は明るい笑顔で教室に入りましょう。
 たとえ何か注意することがあっても、はじめから注意することを言ってはいけません。三つほめて、ついでに一つ注意するくらいの気持ちでいきましょう。明るくいかなくてはなりません。
 子どもが悪いことをしたら、少しは反省しているものです。その行為をしかったら、さっさと授業を始めて忘れてやることです。
 悪ぶった態度まで叱ってはいけません。さっさと切り上げることが大事です。
 子どもは心で反省しても、口ではかっこつけて反抗している。そんなところをわかってあげましょう。
 そんなとき、真正面から受け止めて、その悪ぶった態度を怒ってはいけません。反抗的な子どもたちにも、やさしく接してあげるのです。嫌われていると思い込ませたらかわいそうです。
 明るく授業をしようと努力することです。教師の明るさと元気さだけが学校に登校した子どもたちのストレスをなくすことができるのです。
 どんなに反抗したった、憎まれ口言ったって、平然とした顔をして無視するのが一番です。教師が知らん顔だとそれ以上は、子どもは言えなくなります。
 応戦しようものなら、授業は中断、騒ぎは大きくなってしまいます。かっとせずに、穏やかに言うだけのことを言ったら、すぐ場を離れて相手にしません。他の子の方へ行って、平然としていることが大事。
 いやがらせを無視して、勉強を進めていると、不思議な空気が流れます。「先生って、ちゃんと勉強教えてくれるよな」と。
 みんなの視線が「おまえ、なにバカやってんの」というように、その子に向けられます。いやがらせのパワーは大きくはなりません。
 集団の力は大きい。集団を味方につけるためには、カッとならないこと。
 平然と授業を進め
「そんなこと言ったって、あんたのことは、わかっているよ。ちょっとかまってもらいたいだけでしょう」
 そんな態度で接することです。
 あんたたちのために授業するんだからという気持ちはいつか伝わるのです。
「いつのまにか先生の言うとおりになっている」という状況を作るとよい。
 笑顔で強引に押し進めます。
「嫌でもやるんです」
「大丈夫だから、やるんですよ」
「人生、長いんだから、嫌なこともやれるようになりましょう」
と、ひたすら笑顔でかわして、指示します。
 子どもたちは「何でこんなことやっているんだろう」と思いながら知らないうちにやってしまう、そんな感じです。
 笑顔で強引に決めたら、子どもたちに、大丈夫、大丈夫と安心させ、ほめて、レールに乗せます。
 文句はひたすら笑顔でかわし、決めるときはびしっと決め、何事もなかったように授業にもっていくたくましさ。
 授業さえ、しっかりしていたら、あとは心に余裕と温かさをもって対します。
 やさしい教師は、ズルのアドバルーンを次々とあげられます。「先生にやられた!」という経験をさせなくてはなりません。
 学級がうまくいかなかったら、チャンスです。教師は自分を鍛え直すチャンスなのです。小手先の技術は通用しません。
 子どもたちは教師に遠慮しません。楽しい授業は楽しいし、つまらなかったら、それまでです。教師に気を使ってくれませんから、つまらなかったらすぐ騒ぎだしてくれます。 いい授業をしているか、リトマス試験紙のようです。
 子どもたちは、本物の話は聞きます。自分たちのためになる話ならちゃんと聞きます。反対にちょっとでもごまかしたり、教師の見栄が入ったり、かっこつけた話だと見破られてしまいます。
 毎日が試練です。生活指導なんて役に立ちません。助けてくれるのはよい授業だけです。
 私は学級が荒れたとき、船井幸雄さんの言葉を自分用に変え、紙に書いて持っていました。
「私は、いまクラスが荒れていますが、このことを喜び感謝します。クラスが荒れるのも必要、必然の結果なのです。乗り越える必然に目覚めました」
「創造の理が働くから、学級が必ず治る方に向い、完治した学級になることをイメージ化し確信します」
 私は学校に向かう途中で何度も声に出して自分に言い聞かせました。
「私は負けないよ、くそっ」と、ストレスでつぶされないように、一人になったら言いたいことを叫びましょう。
(
岡 恵子:神奈川県公立小学校教師
)

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子どもの知的興味を引き出すにはどうすればよいか

 子どもの知的興味を引き出すには
(1)
こんな子どもだから(能力の実態)
(2)
こんな教材を使って(能力にマッチした教材)
(3)
こんな指導をして(子どもに合った指導法)
(4)
こんな力をつけたい(目あてを鮮明に)
ということを考えて授業を組み立てることである。
 学力低下が叫ばれているのは「こんな力をつけたい」という目当てを鮮明に持って授業を行っていない実態があるからだ。
 何をしているのかわからない、遊びのような授業が多すぎる。
 子どもの能力や実態、興味・関心・欲求といったものを把握すれば、この能力実態を向上させるべく「何としても、これだけは教えたい、考えさせたい」という教材が鮮明に見えてくる。
 例えば、歴史的な用語に興味・関心を持っていないとすれば、面白い用語を教材として選定し、それに付加価値をつけることだ。
 大和朝廷の学習をしているときならば「大和昼廷」「大和夕廷」「大和晩廷」というものがあったのだろうか、と投げかければ、子どもたちは必ず膝を乗り出してくる。
 実は、私が子どもから授業中に質問されたことなのである。
 子どもたちは「これは面白い、聞いたこともない!」と燃えた。
 私も燃えたが正解はわからなかった。それで必死に調べた。
 その結果、当時の国家公務員は、午前中しか仕事がなく、昼前には家に帰ったということがわかった。
 だから「朝廷」なのであった。
 それ以降、子どもたちは「歴史用語」に興味を持つようになった。
「貴族とは」「荘園とは」というように「はてな?」を持つようになった。
「卑弥呼は、固有名詞か普通名詞か?」「正倉院は、固有名詞か普通名詞か?」といったことにも興味をもつようになったのである。
 子どもたちは、興味を持てば、必ず調べる。
 しかし、調べるとき行き詰まる。そこで「(3)こんな指導をして(子どもに合った指導法)」というところで、調べ方の指導が必要になる。
 私は「このことは、どのようにして調べたらよいか?」と、調べ方をみんなで考え合う授業もした。
 これは「(4)こんな力をつけたい(目あてを鮮明に)」ということが、はっきりしているからである・
 つまり「多様な調べ方を身につけさせたい」ということであり「面白い『はてな?』をみつけさせたい」ということである。
 授業を組織するとき、(1)(2)(3)(4)のことが、はっきりと指導案の中に見えるようにしておくと、知的な興味を引き出したり、伸ばしたりすることができる。
 これに私たち教師は、こたえる授業を組織しなければならない。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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集合写真や遠足や行事などの写真で不満を保護者から言われたとき、どう対処すればよいか

 集合写真や遠足や行事などで撮影・販売する写真に「わが子があまり写っていない」「集合写真のとき、わが子の位置が真ん中でない」など、不満を言ってくる保護者がいて、困ります。
 このような保護者にどう対応すればよいのでしょうか。
 このような自己中心的な不満を言ってくる保護者には、誰が聞いてもおかしな話ですから、取り合わないのが基本です。
 あからさまに「常識はずれ」であると指摘すると、相手を怒らせることになり、対応に苦慮することになります。
 やんわりと受け流して、終わるようにもっていきましましょう。
 例えば
「すべての子に配慮しているつもりです」
「活動的で、なかなか、とらえられなかったのでしょうか」
 厳しい要望がくるからといって、このような不満をまともに受け止め、学校が悪かったと謝罪したり、「次からは、配慮します」などと要求を受け入れたりすることは、何があっても避けましょう。
 このような自己中心的な保護者は、不満を言えば教師が対応してくれるものだと解釈すると、どんどん身勝手な要求をしてきます。
 やむを得ず配慮が必要だと判断した場合であっても、苦情を言ってきたことが原因で学校が対処したのではないことを押し通さなくてはなりません。
 集団で生活していると、個人の希望や意思が制限されるのは当然です。
 何かしようと思えば、多数決をとらざるを得なくなり、意に沿わないことをやらざるを得ない場合も出てきます。
 それが集団生活であり、社会の中で生きていく力を身につけることになります。
「思うようにならないのが普通」ということを、常日頃から子どもや保護者に伝えていきましょう。
 無理な要求には、保護者を怒らせないように、受け流すことが大切です。
 このような保護者がいるクラスでは、集合写真は、いつも同じ並び方ではなく、さまざまなパターンを考えておくことも必要です。
 常に同じ基準で判断しなければ、後のトラブルの種になります。基準がぶれてはいけません。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方研究会」を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる
)

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一人ひとりの保護者とつながるには、どうすればよいか

 私は、保護者と話すことが苦手だ。20年以上教師としての経験を積んできても苦手だ。
 その理由は「保護者の思いは一人ひとり違うという意識があること」である。
 これまで経験してきた保護者対応で、経験を重ねれば重ねるほど、保護者一人ひとりの思いが違うということが痛いほど、よく分かり、よく見えてくるようになった。
 保護者懇談会で保護者を前に話すとき、保護者一人ひとり異なる思いや価値観がある。力のない私には、これらを受け止め、話すことができているのか、いつも不安でいっぱいだった。
 クラス全体の様子は、保護者にとって知りたい情報のひとつである。しかし、もっと知りたいのは、クラスの中でのわが子の様子ではないだろうか。
 そう考えると、懇談会でクラスの様子を話している時に、どれだけ一人ひとりの保護者に私の話が届いているのか、不安になるのだ。
 一人ひとりの保護者と話せる、家庭訪問や個人懇談以外にも、こまめに家庭に電話をして、子どもの様子を伝える。
 学校の廊下などで保護者を見つけると、そばに寄って、いろいろな話をしながらコミュニケーションをとるようずっと努力してきた。
 しかし、私のキャラクターと能力では、なかなか思うようにできなかった。
 そこで、一人ひとりの保護者とつながるチャンネルを持つことができる、次のような実践を行うようにした。
1 ハガキ作戦(野中信行氏実践)
 一人ひとりの子どもの様子をハガキで伝えるものである。直接、話をすることが苦手でも、これならできると思えたのである。
 子ども宛てに送られるものだが、私は保護者もハガキを見ることを強く意識して取り組んだ。
 私は学期に1枚、年間で3枚のハガキが一人ひとりに届くことを目安にしていた。
 1週間に2枚書けば、クラス全員分を学期中に送れるという見通しで書き始めた。
 ハガキの内容は、例えば
「Aさんへ、今日、ポツンと残っていた牛乳バックを片付けていたよね。自分のじゃないのに、やってくれてうれしかったよ。ありがとう」
「気づいても、なかなか行動に移すことが難しい人が多いのに、Aさんはさすがだと思ったよ。いろんなことに気づけて、行動に移しているね」
 その子のよさは、クラスの様子の中でどうなのかを伝える。
「〇〇を頑張っていたね」ではなく「△△という中で、〇〇を頑張っていたね」と伝えることを意識した。
2 一筆箋(ちょんせいこ氏実践)
 一筆箋に子どもたちのよさを文章にし、保護者に伝えるものだ。私は、一日1枚と決め、本人に渡した。
 学期に一人1~2枚という見通しを持って取り組んだ。
 例えば
「Bさんへ、今日、Bくんが友だちに分からないことを教えている時、膝をついて、同じ視線になって教えてあげていました」
「Bくんのやさしさがあらわれている。とてもステキな姿だと思い伝えました」
 継続できるように、特別なことでなくても書くこと。
「ハガキ作戦」「一筆箋」も、双方向のコミュニケーションではない。しかし、文字情報ならではのよさもあるし、間違いなく一人ひとりとつながるチャンネルになる。
 一人ひとりの保護者とどうつながり、どう信頼を築いていくかという課題を考える時、大切なのは、これなら自分でもできるという発想やツールに出会い、保護者とかかわっていくことである。
(
大野睦仁:1966年生まれ、北海道公立小学校教師。「教師力 BRUSH-UPセミナー」事務局長
)

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現在の学校に異動になり、雰囲気に慣れず、担任するクラスは騒がしく、自信を失い気力もわきません、どうすればよいのでしょうか

 精神科を受診する教師は、異動1,2年目が多い。また休職する例も圧倒的に多い。
 理由は2つあります。
(1)
新しい学校の子どもたちや保護者の雰囲気に慣れていないということです。
 前任校までのやり方をそのまま当てはめることができないため、不適応を起こしやすいのです。
(2)
異動したばかりで、同僚との間に相談やサポートし合う関係がつくれていないため、悩みを一人で抱え込んでしまいやすい。
 診断的には、反応性のうつ病が最も考えられます。気力低下や不安感などが主な症状として現れるものです。
 実際のところ、カウンセリングや薬物療法などを受けながら、1,2年目を乗り切り、上記の理由がうまく回るようになれば、自信を持って仕事に取り組めるようになる教師が少なくありません。
「1,2年目が要注意です。それを乗り越えれば大丈夫です」と励ますだけでも「今、耐えればよいのか」と気持ちを入れ替えて、なんとか気力をわかせることができる教師もいます。
 この時期は教師としての力量以上に、柔軟な適応力が必要となってきます。
 まじめすぎて、抱え込んでしまう性格の教師ほど要注意といえます。
 異動1,2年目はだれでも適応力が試される時期だということを自覚して、自分を責めすぎないことです。
 慣れさえすれば、以前のように、十分な能力を発揮できるのですから、まず慣れることだけを考え、肩の力を抜いてみることが大切です。
 しかし、結果的に疲労や悩みによって抑うつ状態になってしまったのであれば、早めの病院受診をお勧めします。
 カウンセリングやクスリの手助けで、休職するほどこじれる前に、健康管理を積極的に行うことです。
 受診された教師に「あなただけではないですよ。異動1,2年目に受診される方は、本当に多いんです」と客観的なデータをお話しするだけで、気が楽になって余裕も生まれ、前向きな姿勢になる教師は、とても多い印象があります。
 この時期、先輩や同僚にグチを聴いてもらったり、悩みを話してアドバイスをしてもらうことが難しいかもしれません。
 その点、病院などのメンタルヘルス相談窓口の方が、気軽に話ができるのではないでしょうか。自分の悩みを言葉にして聴いてもらうことが、すでにカウンセリング効果といえます。
 一方で、異動直後の教師は、まだ学校の雰囲気になれておらず厳しい状況に置かれているのですから、学校全体として配慮できる体制をつくることが、管理職の大切な役割といえるでしょう。
 ふだんから気軽に相談し合うことができる、カウンセリングマインドのある組織づくりが求められています。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師
)

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子どもが願う「おもしろい授業」とおもしろくない授業とは、どうすればおもしろい授業ができるか

 小学校4年生の子どもたちに、どんな授業が「おもしろい」ととらえているのか書いてもらった。それを整理してみると、つぎのようなになった。
1 おもしろい授業
(1)
論争のある授業
 まちがった意見や、いろんな意見がどんどん出てきて、考えが広がり、深くなる授業。
(2)
教科書に書いてあることに反抗する授業
 教科書は「まちがいない」と思っていたが、けっこうおかしいところがあることに気がつく。
 反抗してみると、おもしろい考えが出ることがわかった。
(3)
教材に本物の材料を用いる
 さとうきびやキャベツのように、本物の材料を見たり、さわったり、食べたりしながらする授業。
 本物はやはり迫力がある。黒砂糖を食べたりして学習意欲が出てきた。ごみを調べたのはおもしろかった。
(4)
資料をたくさん使ってやる授業
 いろんな資料を組み合わせて使うおもしろさを知った。資料には多くの「はてな?」が入っているからおもしろい。
(5)
「はてな?」がたくさん出てくる授業
「わかった」「わかった」で終わる授業はつまらない。「はてな?」がでると、調べるたのしみが出る。
(6)
みんなでいろいろ考えて「わからない」ことがわかった授業
(7)
むずかしい問題を、みんなで一生懸命考えて解く授業
(8)
クイズのような問題のある授業
 考えて解く問題、「はてな?」のある授業
(9)
必ず笑いが出てくる授業
 1時間に一回くらい笑わないと息がつまる。なるべく大声で笑いたい。
(10)
団子の串刺しのような授業
 ある子の考えに、次の子の考えが合わさっていい考えになり、それにまたちがう子の考えが付け加えられて、どんどんいい考えにふくらんでいく授業。
(11)
何かを作る授業、体を動かす授業
(12)
楽しい先生とやる授業
 おもしろくない授業は「おもしろい授業の裏返し」といってよいと思うが、子どもたちが書いたものをあげてみよう。
2 おもしろくない授業
(1)
ノートばかりする授業
 例えば、計算ばかり、漢字ドリル、先生の書いたものを写すばかり
(2)
教科書を読む授業
(3)
くそまじめな授業
(4)
テストの多い授業
(5)
いいあいのない授業
(6)
資料を使わない授業
(7)
みんなの意見が一致する授業
(8)
もりあがりのない授業
「はい、これを読みましょう」「これはこうですね」などと、講義みたいな授業
(9)
ネクラな先生とやる授業
(10)
自分の意見が言えない授業
 子どもたちは、明るく、おもしろい授業が好きである。もともと子どもは明るく、ネアカだからである。
 子どもたちがあげた「おもしろくない授業」の条件を、一つでも減らして、よりおもしろい授業づくりをめざしたい。
 子どもたちのいう「おもしろい授業」というのは、だじゃれのあるような授業を言っているのではない。本質的なおもしろさのある授業である。
 子どもたちは内容の濃い、簡単に解けないようなものを求めている。だから、学年にふさわしい内容のあるネタを提示しないと、子どもたちにそっぽをむかれる。
 子どもたちの「おもしろい授業」のとらえ方・考え方をみると、
「むずかしい問題を、せいいっぱいの力で解こうとする」
「みんなの力、話し合いや考え合いで解決しようとする」
こういう困難を乗り越えることを「おもしろい」ことだと考えている。
 決して楽をしようと思っていない。
 これに私たち教師は、こたえる授業を組織しなければならない。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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生徒が教師を信頼し対話するようになるには、どのようすればよいのでしょうか

 私が中学1年生を担任したとき、学級が荒れ、立て直せなかった。
 原因はいろいろある。その中の一つに「生徒とふだんから対話ができていなかった」ということがあった。
 担任になって最初はよかった。生徒は私になついて「先生、先生」とくる。
 そのうち、学級でトラブルが起きる。うまく解決できない。廊下にいてもだれも近寄ってこない。「おはよう」とあいさつをしても無視される。
 私に対する、不信、幻滅。これまでの指導がそうさせてしまったのだ。
 私は落ち込んだ。「避けられ、嫌われている」と思うと、話しかけることができなくなった。生徒が帰るとほっとした。そんな自分が情けなかった。
「下を向いていちゃダメだよ」と学年の教師に言われたが、自分を変えることができなかった。
 向山洋一氏の本に
「教師に絶対必要な心構えがある。それは、子どもを包み込み、暖かく接することができること。先生なんか大嫌いという子も、包み込まなければならない」
「子どもが自分で自分をどう思っているのか、将来どのようなことをしたいのか、理解することである。子どもにはそれぞれ事情がある」
と書いてあった。
 どんな状況であっても対話を忘れてはいけなかった。生徒の事情を聞き、私の思いを伝えねばならなかった。どんな生徒も受け入れることが、私にはできていなかった。
 私は考えを変えた。生徒とかかわっていこうと、前向きになった。明るく声をかける。とにかく何でもいいから話をする。
 生徒と対話するのは、生徒との人間関係をつくるためである。学級経営も授業も生徒との人間関係、信頼関係がなければ効果を発揮しない。そのために対話をするのだ。
 とにかく声をかけてみる。苦手と思う生徒ほど声をかける。
「無理やり話題をつくっているな」と思われてもいい。「かかわりたいんだ」というメッセージが伝わればよい。
 無視されても、いやな顔をされても気にしないようにした。生徒の雰囲気、その場のムードに流されてはいけない。「言うべきことは言い、ネアカに振る舞うこと」である。
 私は生徒と対話するとき、次のことを心がけている。
1 いつ対話するか
(1)
朝早く出勤したら教室に行く。ひと言声をかけるだけでもいいと考えている。
(2)
休み時間はできるだけ早く教室に向かう
(3)
掃除の時間や放課後は気分が開放的になるのか「先生、先生」と気軽に声をかけてくる生徒が増える。
2 対話が成立しにくい生徒
 反抗的だったり、意識的に避け、対話が成立しにくい生徒は、他の教師に協力を仰ぐ。情報を得るのである。
 問題のある生徒も、がんばっているところ、ほめるところはある。それを周りの教師から聞き出し、本人と話をするとよい。
 生徒と対話が成立しなくても気にしない。その生徒に「自分のことを気にしてくれている」ということが伝わればよいと、私は考えている。
3 教師と対話できる生徒を育てるための工夫
 埼玉県の中学校教師鈴木勝浩氏は次のように書いている。
 教師と生徒の間に信頼関係があれば対話ができる。信頼関係は日々の生徒理解の積み重ねによって可能となる。
 昼休みや放課後など、生徒が活動しているところに行く。そして言葉をかける。「この先生は私のことを分かってくれている」ということが多くなると、生徒との間に信頼関係が生まれてくる。
 教師にとって生徒についての情報が多ければ多いほどよい。生徒がどんなことをしているのか知る必要がある。それには時間をかけるしかない。
 昼休みなど、教室で何かの仕事をしながら生徒をウォッチングするのもいい。また外に出て、どんな遊びをだれとやっているのか見るのもいい。
 時には一緒に遊んでもいい。休み時間や放課後など、自分のクラスにちょっと寄るだけでもいい。思わぬ生徒のよい面をみることができるものである。
 部活動の顧問や教科担当の教師から生徒のよい面を教えてもらう。
 それには、ふだんからよい教師同士の人間関係をつくっていくことが大切である。生徒のよい面の情報が入り生徒と話すこともできる。
 何度、生徒に裏切られたとしても「生徒を信頼すること」「生徒を自分のことのように考えること」、そうすれば必ず荒れた教室も再生するのではないでしょうか。 
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杉村繁治:北海道公立中学校教師
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