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子どもたちの「学びからの逃走」や「学級崩壊」をどう克服していけばよいか

 私は、子どもたちの「学びからの逃走」をどのように克服していくか、「学級崩壊」の場に直面したとき、どう対処したらよいかを研究しながら教育実践に取り組んでいる。
 現代の子どもは「はい勉強です、静かにして」と言ってもだめです。集中させるには、あらゆるところで、子どもたちに推理・想像をはたらかせるように仕向けることが必要です。
 子どもたちに「どうしてだろう、なぜだろう」という内的な緊張がなければだめだ。
 例えば、地理の勉強でも黒板に少しだけ線を書いて「はい、これは何県ですか」聞くと、初めは「分からない」というが、そのうち「海はどっちですか」とか本質的な質問が出てくる。
 また質問が幾度かあって当てる。そうすると、子どもたちは主体的に勉強しようという姿勢になる。
「問いつつ学ぶのが学問ですが、みんなは問いながら分かったのだから学問ができてる」といってあげると、子どもたちは心底から喜ぶ。
 それを「はい、今日は〇〇県の勉強です。初めに地形は・・・・」なんてやってはだめ。授業の初めの10分間が面白くなかったら、今の子どもはだめ。授業は初めが全てとも言える。
 私は、学問は現実の自然から生まれてきていることを、子どもたちに分からせたい。例えば、理科は毎日の暮らしのなかから工夫が生まれることに気づく。
 算数もいろんなものを数えることから起こる。例えば、水の量を数えるために容器に入れて数えることが考え出された。大きな箱と小さな箱とを考えると小数の計算につながるとか、いちばん初めに自分の身の回りをよくみなさいというところから始めた。
 私は、荒れた学級を担任したが、暴力を振るう子がいたり、立ち歩きはふつう、一切発言なんかしない子とか大変だった。しかし、その子たちを一度も叱らなかった。
 クラスで議論したかったが成り立たない。そこで、みんなに紙に書いてもらい、この意見についてどうなんだという形で進めた。それを繰り返していくうちに、問題を起こした子も態度が変わっていった。
 この子たちが変わっていった根本の理由は「先生は、楽しくさせてくれたから」だと言った。
 教育の仕事は、できる・分かるだけでなく、楽しいということが実感できるような内容にしていかないと、学びから逃走している子を、教育の中に入れることはなかなかできない。
 私は、基礎基本的なことを、豊かに学べるようにすることに、一貫して関心を持ってきた。もう一つは対話とか推理・想像が重要だと考えている。
 授業は、子どもたちがただ静かに座って聞き、考えるのではなく、わくわくしながら子どもが身体を使って参加できるところに値打ちがあると思う。
 私は「教えたいことを、教えるのではだめだ」という考え方を持っている。
 例えば、山に登るのにロープウェーで登るように、やり方だけ教える。これでは子どもたちの成長にプラスにならない。汗水流して登っていき、ときには道を間違え、やっとたどり着くと、筋力も判断力も育っていく。
 歴史の授業では徹底的に推理・想像を働かせることにしている。
 例えば、奈良時代では、唐へ行った人たちは、いったいなんのために行ったのだろうと考えさせる。答えの根拠も聞いていく。すると食べ物を知るため、町のようすなど答える。
 そして教師がヒントを示す「実は行った人の中には貴族、坊さん、学生がいた」と。子どもたちは政治、仏教、文化と答える。
 私は「海をどうやって渡ったのかな」と聞く。つぎにルートを考えさせる。さらに「船にはどんな人たちが必要か」「どんな困難があっただろうか」など考えさせる。
 答えなんか間違っていてもかまわない。推理・想像が大切である。
 授業は対話形式が良い。小学校から大学までずっとこういう授業をやっていくと、第一線の科学者レベルに達するのではないか。
 学校では時間が限られているので、最も大事なこと、本質的なことが分かれば、あとははしょる。時間をかけることと捨てることを仕分ける必要がある。
 私も初めのころは、問いと答えみたいな展開をやっていた時期がある。それては子どもの意見を本当に大事にするような授業はできなくなる。
 教師の発想を超えた子どもの意見こそが授業を深めていく。その発言から展開すれば本質的なものが見えてくる。 
 授業で育てたい力は
(1)
勉強、学問の世界はどんなに面白い世界かということを子どもに体験させ、成功すれば「学びからの逃走」とか、いろんなことは解決していく。
(2)
推理・想像する楽しさを獲得した子どもは、人の話を聞くことが身につくようになる。文化に接し面白い世界に入っていける。
(3)
学習は、実際の生活、人間が見えてくる学習でないとだめだ。
 自然の法則が世界の中で貫かれていることを発見することによって、学習する意味も出てくる。もっといっぱい勉強したいという気をおこさせることだ。
 文化の担い手になりたい、自分も何か発明・発見をして世の中の役に立ちたいというような思いを持つことも大切である。
(4)
リアルにものをとらえること。ものを見るには必ず視点、焦点がある。点が大事。
 漠然と見るのではなく、針の穴みたいな点から入っていくほうが、よく分かっていく。こだわって見ていくと実態に迫ることができる。 
 ある時期まで日本の教育は、教師が子どもを従わせてきた。ところがそれではにっちもさっちもいかない。
 したがって、子どもは教師から独立した存在であるというところから出発しなければ教育は創れないということだ。納得とか合意とかを大事にしなければならない。
 授業そのものを変えていかなければならない。日本の教育が本当に再生する時期に入ってきていると思う。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師を経て北海道教育大副学長(釧路校担当)、「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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