教育は人格形成をめざすが、授業で子どもたちを指導することと、子どもの人格形成とは、どのようなかかわりがあるのか
私は戦前、広島県の江田島にあった海軍兵学校で終戦を迎えた。約20km離れた広島市の上空にくっきりとキノコ雲が浮かんでいるのが今でもはっきり目に焼きついている。
混乱する中、ともかく人生はじめからやり直しということで、理系の大学に編入学し卒業後は横浜市立の中学校教師なった。
横浜市は米軍の爆撃で市内一面焼け野原になっていたので、人々は小さな小屋を作り、食べ物は農家へ芋や麦など買い出しにいってなんとか生きていた。
生徒たちは盗みなどの問題行動も多い。日本を背負っていく子どもがこんな状況ではどうなっていくのか「教育」がよほどしっかりしなくてはと私は思った。
私の周りには問題をもつ子どもがたくさん集まってきた。学校の宿直の日には、夜になると男子生徒7,8人がやってきて、雑魚寝となる。トランプをしたり、芋をふかしてみんなで食べた。
私は教育学も心理学も学習していないが、熱意だけはあった。
理科教師で、ボイルの法則やエンジンの構造などを教えながら、これが「人格形成にどうかかわるのか」ということがいつも気になっていた。
「教育は、人格の完成をめざし・・・・」といわれるが、これと理科の指導はどうかかわるのか。
先輩教師に聞くと「態度の乱れは、心の乱れだから、態度を正せば、心の乱れも直るんだ。きみも経験を積めばわかるよ」
と言われておしまい。
私は、どうしても納得できなかった。やはり教育学を学ばなくては、また人格論について研究しなくてはと考え、4年間の中学校教師をやめて、東京教育大学に入学し研究を始めた。
教育は「人格形成」にかかわる。人格形成をめざす各教科の授業のあり方が求められる。
子どもが立派な行動をとるようになるためには、まず大人が模範を示すことが基にある。人格形成をめざす教育活動は、
「よくわからせる」(理解)
「やり方を身につけさせる」(技能)
「やる気を引き出す」(意欲)
の3つそろった指導を行うことである。
心の教育という場合、心とは何であろうか。
心とは、人間すべてを「かけがえのない存在」と考えて、自分・他人の区別なく、すべてをいつくしむ態度をもたらす働きである。
われわれが、親近感をもつ人間は、完成された人格よりも、欠点や悩みをもつ人間性のあふれた人であろう。
子どもが親近感をもつ教師も、やはり人間的な教師であろう。
例えば、廊下ですれちがったとき、肩をたたいて、ほほ笑みかける教師、子どもといっしょに昼休みに遊ぶ教師、このような教師に子どもは人間性を感じるだろう。
子どもと共感的な関係になるためには、まず、教師が赤裸々な人間になり、子どもに開放する。そして、教師は自分自身の人間性そのもので、子どもに応じる。
教師は、子どもから「生成しつつある人間」と、みられること。つまり、目標に向かってつねに努力し続けている人間とみられることが大切である。
そのような「生成しつつある教師」は、自分の人間的な弱さを子どもの目の前にあらわにすることができる。
教師が自分自身の人間性そのもので子どもに応じるならば、子どもも自分の心を開放して、ありのままの姿(人間性)を示すだろう。
そして、教師と子どもは「人と人」の共感的関係をつくりだすことができる。
生徒指導は、教師の人間性、生き方(人間観)をぬきにしては成り立たない。
その教師の生き方(人間観)、それから出てくる目標、その目標を具体化した指導内容、その指導内容に最も適切と思われる指導方法・技術が、首尾一貫していなければならない。その人間観にはどんな内容が考えられるか
(1)人間は自由意志をもって自分の行動を決定する
このような人間観に立つから、子どもの自主性を育てることが成り立つ。
生徒指導の究極のねらいは、子どもに自己指導能力を育てることである。
(2)あるがままに人間を見る
人間と行動を結びつけて、悪い行動をしたから悪い人と決めつけると立ち直れなくなる。
これまでの過去の先入観にとらわれず「いま」の子どもをありのままにみる。
(3)人間は発達の可能性をもっている
教師が子どもに対してやるべきことは、子どもが発達の可能性を自分で発見し、発達させることができるように、多様な活動の場と機会を与えることである。
(4)人間は、相手を自分の一部として関係づけてとらえる
子どもの行動を教師が自分のあり方と関係づけてとらえる。例えば、授業中、子どもが私語したら、自分の授業の進め方と関係づけて考えることである。
教師が自己変革へと努力する。そこに子どもと共に努力する教師の姿がある。
生徒指導を支える人間観から、次の生徒指導の機能が引き出される
(1)子どもに自己指導の能力を育てるために「自己決定の場」を用意すること。
(2)子どもが「役に立つ」存在であることを経験することにより、一人ひとりの子どもたちが、独自性と自己存在感を得るようにする。
(3)「教師と子ども」また「子ども同士」が共感的な関係(出会い)を基盤にして生徒指導が展開されること。
(坂本 昇一:1927年神奈川県生まれ、横浜市中学校教師、都立教育研究所員、千葉大学教育学部教授を経て、同名誉教授、聖徳大学教授、同児童学研究所長。2000年日本生徒指導学会を設立。学校五日制の提言者)
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