教材を開発するために、たいせつなポイントとは何か
子どもに生きる教材を発掘するには、子どもの興味のあり方や、能力の実態をつかんでおく必要がある。
しかし、子どもをとらえることは容易ではない。私は「子どもの事実」確かにとらえた、と思ったことは一度もない。
とらえたように思っても、次の瞬間、子どもは変化していることを、何度も体験しているからである。
長年の経験と常識、それに、何よりも子どもを愛してやまない心がなければ、子どもをとらえることができない。
じっと子どもを見ているだけでは、とらえられない。
一番とらえやすいのは、子どもに、いろんな活動をさせてみることである。子どもの動き方で、子どもの本音がどこにあるかわかる。
これを積み重ねていくと、ある傾向がつかめてくる。それを使って、またさぐってみる。新しいことにぶつけてみる。
これを繰り返しているうちに、一つの原理原則のようなものがつかめる。しかし、まだ奥があるのではないかと、追究の手をゆるめないことだ。
クラス全体の子どもの事実をつかむことは容易ではない。
そこで、抽出児童を決め、その子をつかむ努力をすることだ。すると、抽出児童を通して、他の子どもの事実がよく見えてくる。
私の教材開発の原点は、常に一人の子ども、それも、学習にのってこない子どもを意欲的にしようと考えることである。
動かない、学習をおもしろがらない子どもを、おもしろがらせようと考えるところから出発する。
一人の子どもを思い浮かべて、教材開発をするようになってから、失敗は少なくなった。
一人の子どもを思い浮かべ、その子を熱中させるための教材をつくり出すことが、結局、クラス全員を熱中させることになるのである。
私たちの身の回りにも、よく考えてみると、おかしなことがたくさんある。ところが、これが常識だということで、見えなくなっている。
見る目を妨げているのは先入観であり常識といわれるものであることを肝に銘じておくことである。
身の回りを見直すことからも、見る目や新しいセンスを身につけることができる。
目的以外の使用法を発見する訓練をすることが頭を柔らかくする極意である。
たとえば、レストランで食事をするとき「おしぼり」が出る。「おしぼり」の本来の目的以外の使用方法をどれだけ考えられるか。おおくなればなるほど、物が豊かに見えるようになる。
例えば、手を拭く以外に、熱いものを持つ、ぞうきんのかわりにする、コップに巻いて水滴がつかないようにする、頭を冷やす、敷物にする、折り紙にする、などいくらでもある。
物ごとを広く、深く見えるようになるには、一つの知識だけではできない。
知識や方法、見方・考え方などを、さまざまに組み合わせて、新しいことを発見していくようにすることである。
つまり、物を見るのは「目」ではなく「心」である。心がなければ何も見えないのである。
教材を開発する場合にも、ふだんの生活でも、いくつかのことを組み合わせて考えないとうまくいかない。
具体的に見る訓練、関係的に見る訓練、そして、視点を変えて多様に見ることができる訓練を、私たちはしなければならない。
教材を発掘していく人間であるためには、常に、何らかの問題を持ち、それを常に考えていることである。
常に問題意識をもって、一歩ふみこんでみるくせをつけることが大切だ。
教材を発掘するには、多くのヒントを集め、それをあたためることから、よい教材が発掘できる。そのためには、常に「メモ用紙」を身につけて、たえず持ち歩くことだ。
ヒントになるものや、おもしろい情報に気づいたら、いつでも、どこでても、書くくせをつけることだ。それをもとに私は教材を発掘している。これを継続することが大切だ。
問題意識をもっていると、不思議に情報が集まってくる。逆に関心がないと、よい情報が素通りしてしまう。すぐれた教師になるためには、問題意識を常にもち続けることだといえよう。
(有田和正:1935-2014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)
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