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教師が子どもを叱ることの神髄とは、何か

 私たち教師は、ほめるのが上手でない。生徒のころから、コツコツ勉強するタイプの教師が多いからではないか。
 だから「なまけて、いたずらをする」子どもに対する、教師自身の実感がないので、そういう子どもの理解が乏しい。
 いたずらをする子どもをほめても、心の中でそう思っていない顔をしている。子どもは敏感で、そういうことはすぐわかってしまう。
 ほめるとか叱るとかは、相手の心、子どもの気持ちに訴えて、相手が変わることを期待してのことで、その根底には相手への愛がある。
 わざとらしくなく、自然のうちに出てくるような、そんな愛情に裏うちされたものが望ましい。例えば、叱るとき
「きみが、そんなことやったとは、いまだに信じられない」
「失敗をどうしたら生かすことになるのか、一緒に考えて行こう。自分の失敗を考えるのは、つらいことだろうが、失敗を薬にするために、じっくり考えてほしい」
 こういう言い方の中に、教師のあたたかい愛情がにじみ出ていく、そんな気づかい、心くばりが大事だと思う。
 ほめた自分、叱った自分が、相手によく思われたいとか、感謝されたいとかいう気持ちがひとかけらでもあったら、そのイヤラシサが見透かされてしまう。
 叱った教師が自己満足に過ぎない場合などは、なおさらである。そういう場合は、効果がないどころか逆効果になる。
 ある行為を直させようとして叱ったつもりが逆効果になる。そういうことは、よくあることだ。
 そのときの叱り方がいけないとか、もっと厳しく叱らなければならないとか、叱り方が問題になるが、もっと大事なことは、叱った自分の気持ちなのではないか。
 どんな気持ちで自分は叱ったのか、どんな気持ちで、その生徒にそんな話をして聞かせたのか、そういうことではないだろうか。
 親が自分の性格で自分の嫌いなところを、わが子に見いだして不機嫌になる。そういうわがままが人間にあるものだ。
 そして「自分がこんなに一生懸命にやっているのに、お前には、わからないのかァ!」などと相手のせいにする。
 教師とても同じことだ。自分と同じ立場の同僚が
「そうだそうだ、もっと厳しくやったほうがいい!」
「〇〇先生、あなたが怒るのもムリはない」
などと言うから、教師は、つい、叱る自分の気持ちをつきつめずに終わる。
「どんな気持ちで、自分は叱ったのか」
「どんなことを期待して、自分は〇〇しようとしているのか」
 そして、それは「子どものため」なのか「子どものためだけなのか」それとも・・・・と、つきつめて考えることが、非常に重要である。
「人に物をあげるのに、一番よいあげかたは、相手に物をもらったという気持ちを起こさせないことである」
これは、ある先哲の言葉である。
 教師がだれをも叱っていない。しかし、学級の生徒一人ひとりの心に、自分を叱る自分を感じさせる。こういう実践こそ、叱ることの神髄といっていいと私は考えている。
(
関根正明:1931年生まれ、小・中学校教師、指導主事、東京都公立中学校校長、大学助教授を経て、元山形大学講師
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