聞き手の反応を分析できるか
私は「聴衆のつかみ方」(諸星龍著)という本を読んで、次の一節にたいへん感動した。
「熟練した演説家は、場面に応じて話の組み立てや、進行速度をコントロールする。そして、終始聞き手に適応し、密着しようとつとめる」
「そうすれば、聞き手は羊のようにおとなしくついてくることを知っているからだ」
「不用意な話し手が失敗するのは、話し手のこうした配慮が欠けるからだ。かれは、いつも聞き手から遠くはなれて孤立する」
「スピーチを行う人は、予想される聴衆の状況についてできるだけ多くの情報を集め、反応の予測をしておかなくてはならない」
今までのつまらない話を思い出してみると、ほとんどがこの原理に無理解だったということで解決がつく。
聞き手が飽きてくれば、それはすぐ表情に表れてくる。目がうつろになってくる。いねむりや、脇見がはじまる。このような反応が表れてきたならば、直ちに話し方を切り替えていかなければならない。
例えば、聞き手の一人を指名して前に出てきてもらって問答することもよい。聞き手に問いを発して作業をさせるのもよい。今までと話調をがらりと変えて、自分の体験を生々しく語るのもよい。
このように、聞き手の反応によって話し方を切り替えていけるかどうかが、話し方の巧拙を決めるのである。
切り替えることのできない人は、聞き手に見放され、一人しゃべりに追いやられる。
そうなると話から脱け出てしまった聞き手には、どんなに大声を出しても話は通じなくなる。こういう時が一番疲れるし、話の効きめもない。
上手な話し手になれるかどうかの大きな条件の一つに、この「聞き手の反応」を分析できるかどうかという問題がある。ここを適切に読みとって、場に適した対応ができるようになれば、話し手としてもかなりの水準である。
実は、これは授業技術にもそっくり当てはまる。指導案にだけしがみついて、ただただその規定路線のみを走る教師の授業には、子どもたちはだいたいついていかない。
教師の授業の脱線が子どもたちに歓迎されるのは、指導計画よりも、聞き手の状況を優先してくれる好意をうれしく受けとめるからである。
授業案はたいせつに違いないが、そこから多少はずれても、いつか再びぴしりと元のレールに戻れるほどの臨機応変の力を教師は持たなければならないだろう。
むろん、何よりも話の中身の質の高さや話題の適否がたいせつである。
だがしかし、それのみではやはり話はうまく聞き手に受けとめられはしないのである。中身と技術とが相まって初めてよい話になるのである。
よい話し手になるためには、その両者への関心を常に持ち続けて自分を磨いていくことが必要である。
(野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校長・北海道教育大学教授。植草学園大学名誉教授、千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)
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