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2018年12月に作成された記事

教師は人間関係のプロであれ               諸富祥彦

 教師という仕事は、絶えず人間関係の中で行う仕事である。
 教師の悩みは、子どもや保護者との対応にかかわる悩みと、教師同士の人間関係にかかわる悩みである。いずれも人間関係にかかわる悩みである。教師は人間関係のスキルを磨くほかはないのである。
 教師が身につけるべき人間関係の定石は、たとえば、次のようにである。
(1)自分がカーッとなったとき、すぐに言動に移さず、一呼吸置くべし。
(2)自分の考えが正しいか、間違っているか以上に、それを言うことが、相手にどんな影響を 与えるかを考えよ。
(3)同じ内容でも、どんな言葉、どんな言い方であれば相手が抵抗なく聴くことができるか、相手によく伝わるか、考えてから言葉にせよ。
(4)相手が興奮しているとき、さらに追いつめるひと言を放ってはならない。火に油を注ぐだけである。しばらく”間”を置き、クールダウンすること。
(5)相手を理解したら、理解していることを言葉や態度、表情で伝えよ。
(6)相手を落ちつかせたら、まず自分が落ちつくこと。ゆったりしたペースでやわらかい口調で語りかけれこと。
(7)相手に何か伝えたいことがあるときは、まず、相手の話を聞いたうえで、相手の自尊心を損なわない仕方で、わかりやすく伝えること。
 そして、こうした人間関係の定石を、ハウツーの形で具現化したものが、カウンセリング・テクニックなのである。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学)

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教師の指示に従わない子どもがいるクラスを、指示が通るクラスにするにはどうすればよいか

 担任が大きな声で必死に言っているのに、指示に従わない子どもがたくさんいます。
 聞いているのは側にいる子だけで、少し離れている子には、全く指示が通りません。
 どう指導すればよいのでしょうか。
 例えば、集会で整列するように指示を出したとします。すると、指示を聞いていない子どもがいます。
 指示通りに行動できていない子がいた場合、重要なことは、
「クラス全員に向けて指導する」
ことです。
「先生は、何と指示しましたか?」
「ちゃんとできてませんね」
などと、あくまで、クラス全体として指示通りに出来ていないことに対して、指導することが重要です。
 教師がクラス全体を意識して指導することで、一人ひとりの子に指示が浸透するようになります。
 指示を聞いていない子に対しての個別指導は、基本的には、休み時間などにじっくりと行うようにします。
 指示を聞いていない子に、全体の場で個別指導に時間をかけると、指示通りにしていた子の集中力が切れてしまい、「自分には関係ないや」と、全体がざわつき始めます。
 そのようなことが続けば、徐々に教師の指示に従う意識が低くなり、最悪の場合、クラスが騒乱状態に陥る恐れがあります。
 教師1人で、クラス全員の指導を完璧に行うことは不可能に近いことです。
 教師の目が行き届かないところで、指示を守れていない子が必ずいると考えなければなりません。
 教師の指示をクラス全体に行き渡らせるためには、子どもの力を借りることが必要です。例えば、
「できていない友だちがいたら、注意してあげてね」
「ちゃんと、教えてあげて、すごいね。自分たちで注意し合えるんだね」
と、互いに注意し合うことのできる関係づくりを進めることが必要です。
 指示通りにできた後には、必ずほめることが必要です。
 このとき、気をつけたいのが、叱られた後に、行動を改めた子だけを、ほめるやり方にならないようにしましょう。
 クラス全体をしっかり認めてあげるような、ほめ方を心がけなくては、最初からちゃんとできていた子はやっていられません。例えば
「さすが、〇年△組のみんなは、すごいよ」
など、クラスとして向上したことをほめる言葉を準備しておきましょう。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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授業中に私語が多く、周囲の生徒の学習に迷惑をかけている生徒に、どう指導すればよいか

 授業不参加型の私語が、授業妨害になるレベルに至れば、まず教師として私語を止めさせることが重要です。
 具体的な方策は、
1 私語があったときは、直地に止めるように注意し、毅然と対処する。
2 私語があったときは、授業を一時中断し、私語をしている生徒を凝視し、その生徒が授業妨害していることをわからせ、静かになるまで待つ。
 しかし、これには限度がある。長時間授業を中断することはできない。
3 私語をしている生徒に、教師が質問をする。
 今、教師が説明している内容、板書した内容等について質問し答えさせる。
4 授業の規律や授業のリズムを確立する
5 私語が少なくなるよう授業を改善する
 一斉授業で、教師の説明や解説が中心の授業は、私語が起きやすいものです。そこでつぎのような工夫をします。
(1)
授業中に生徒に質問、発問をしながら授業を進めていく。
 生徒はいつ質問がくるかと、気が抜けない。私語がしづらくなる。
(2)
生徒の活動の場を多く取り入れたり、ノートをとらせる、生徒間で協議させる、発表させる、板書させる、調べさる、視聴覚資料を活用する。
 なお、授業中の私語の原因として、
(1)
学業不振のため、授業についていくことができないため。
(2)
性格上の問題
(3)
情緒障害(LD<ADHD等)
(4)
さまざまな原因が複合的に起きる
(
緑川哲夫:1948年東京都生まれ、元東京都教育庁主任指導主事、東京都公立中学校長、東京農業大学教授
)

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クラスに反抗的な子どもがいるとき、クラス運営に悪影響を及ぼさないよう、どのように指導すればよいのでしょうか

 クラスに反抗的な子どもがいると、指導を素直に受け入れず、ささいなことでも注意するとソッポを向いたり、反抗的な言動で向かって来たりします。
 なかには、追従いる子も出てきて、クラス運営に悪影響を及ぼすようになります。
 子どもに反抗的な態度をとられると、つい感情的になって冷静さを失ってしまいがちです。しかし、教師が感情的になるのを、反抗的な子は待っているのです。
 教師を怒らせて、自分と対等に渡り合っているところを、友だちに誇示したいのです。
 では、どのようにすればよいのでしょうか。
1 反抗的な態度で挑発されても、冷静さを保つ
 反抗されて、教師の感情が爆発しそうになったら
「悪いことは悪いと、注意するのが当たり前です」
「先生は伝えたよ」
と、言って、その場をさればいいのです。
 反抗的な子を指導するときは、クラスの他の子に見られていることを忘れてはなりません。
2 担任の統率権を守る
 教師に反抗的な子の指導で、最も気を配らなければならないことは「統率権を教師がしっかり守る」ことに尽きます。
 反抗されると、指導する気持ちが揺らいでしまうことがありますが、気持ちを奮い立たせて「ダメなことはダメ」と、指導しなければなりません。
 少しでも、反抗的な子に譲る姿勢を見せれば、他の子からの信頼は地に落ち、統率権を奪われてしまいます。
 反抗的な子が教師よりもリーダーシップを持っていると感じた瞬間、他の子どもたちは、教師の指導を聞き入れなくなってしまいます。
3 正論をクラスで確認する
 反抗的な子どもは、自分に都合のよい理屈をこねて、さも教師が間違っているかのように言い逃れをする子がいます。
 このような子を相手に、一対一で言いあっても意味がありません。
 教師の指導が正しいと認めさせ、自分勝手な言い分を防ぐには「クラスの子どもを味方につける」ことです。
「先生の言うことが間違っていると思う人は、手を挙げてみて」
というように、クラス全体が正しいかどうかが、分かっている現実を、その子に見える形で伝えながら指導しましょう。
4 反抗的な子を指導した後、フォローする
 実は反抗的な子は、友だちを必要としている子が多いものです。
 クラスの子を見方につけての教師の指導は、反抗的な子に孤立感を与えてしまいます。
 そこで、クラス全体の前で教師が指導した後は、必ず個別指導を行うようにします。
「叱るのはあなたのため」「友だちも、あなたがよくなることを願っている」
と、担任がクラスの一員として心配し、応援していることを、根気よく伝えましょう。 
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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子どもたちとうまく対応している教師の共通点    河村茂雄

 教師の感覚と、今の時代に育った子どもたちの感覚がずれていても、それはごく自然なことです。子どもたちの心情を察することが難しくなったのもうなずけることです。
 大事なことは、かかわろうとする教師のほうで、自分たちの感覚とはずれているという事実をまず受け入れることです。
 今の子どもの特徴を前提とするのです。
 前提と考えておけば、必要以上に腹を立てることも、少なくなります。そして、そういう状態の子どもに見合った対応を、そのレベルからしていこうとするのです。

 私の調査したなかで、子どもたちとうまく対応している教師たちがいます。その先生方に面接した結果、大きな共通点があったのです。それは、
 ささいなかかわりの中でも、小さな言葉がけのレベルで「最近の子どもたちの実態を、とりあえずそのまま受け入れ、そのうえで、それに対する対応を具体的に実施していた」ということです。
 特に印象に残った中学校の男性教師がいました。一見厳しそうな先生でしたが、通りかかった生徒たちが、気さくに先生に声をかけていました。彼は
「叱れば子どもたちがよくなろうと努力するなら、しつこく叱る」
「でも、今の子どもたちは頭から叱るとへそを曲げて、叱った内容について努力しないばかりか、余計やらなくなる」
「子どもをよくしてあげたいと思ったら、結果として、自分から努力する方向に心を向けてあげないといけない。その方法を工夫しないといけないと思う」
「自分はそのことを、十年前に痛感した」
と言っていた。

 ただし、強調しておきたい点が一つあります。
 それは、子どもたちとの対応がうまい教師と、そうでない教師とには、能力的に大きな違いはない、という点です。
 子どもたちの実態を受け入れ、それに応じて、一つ一つ具体的な対策を取り入れているかどうかの差なのです。

 事前にそういう心構えをし、具体的な対策を立てておけば、子どもを叱りたくなる場面が少なくなり、自然とほめることが多くなります。
 このようななかで、教師と子どもたちとの人間関係が、だんだんと良好になっていくのでしょう。

(「教師のためのソーシャル・スキル-子どもとの人間関係を深める技術」河村茂雄著 誠信書房 2002年)
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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多くの教師が求めている校長とは、どのような校長か

 人事考課の導入に伴って、職員室の雰囲気が悪くなっている学校が少なくないと聞きます。
 そんな学校では、管理職と教師の関係が、管理的関係、評価的関係になってしまっているのではないでしょうか。
 その雰囲気をつくっている要因の一つは、管理職の伝え下手にあります。
 管理職として評価するのですから、厳しいことを言わざるをえないときもあるでしょう。例えば、
「あなたの自己評価は高すぎます」「あなたの問題は〇〇ですね」
などと、教師の意欲を低下させる伝え方をしていないでしょうか。
 教師になる人の多くはまじめな優等生です。そのため傷つきやすく、叱られるとやる気を失ってしまう人が多いのです。教師はほめられて育つ人が多いのです。
 教師の評価は、本人の自己評価をもとに、コーチングの技法を生かして、その教師の持ち味を生かして肯定的にかかわっていくことが大切です。例えば、
「あなたは自分のよさをよくわかっておられますね。その資質は私たちの学校に、とても必要なものだと思います」
「私は、その資質をもっと○○に生かしていただきたいと思います」
「その具体的な方法として何か考えられることはありますか」
 まず、教師の持ち味となる点に着目して、ほめ「この学校はあなたを必要としている」
というメッセージを伝えます。
 そのうえで、その資質を学校をよくするためにどのように生かしてほしいか、具体的な方法を本人と一緒に考えていくのです。
 その教師の持ち味を生かし、そこを伸ばして、足りない点を補えるのが、できる管理職、伸びていく学校です。
 リーダーシップとは、モチベーションを高めるような指導性です。
「私はこういう学校にしたいんです。そのためにみなさんの力がどうしても必要です。ぜひ力を貸してください」と言える校長先生。
 個々の教師に対して、「あなたに期待していますよ」「あなたが必要なんですよ」と言える校長。
 校長は「私のことを必要としてくれている」という感情を一人ひとりの教師が抱くことができれば、やる気もわいてくるというものです。
 いっぽうで、「何かあったらいつでも相談してくださいね」と気楽に相談にのってくれるカウンセリングマインドも必要です。「弱音を吐ける職員室」をつくっていく最大の役割をはたすのが校長です。
 ぜひ、教師が弱音を吐けるようなあたたかい雰囲気を、校長自らリードしてつくっていただきたいと思います。
 以前、ある小学校の教師が「私にとって校長先生は、学校における親のような存在です」と私に言ったことがあります。
 小学校教師の管理職に対する依存と期待は、並はずれて大きなものがあります。逆にそれが得られなかったときの教師のダメージは非常に大きくなります。
 保護者から攻撃や学級崩壊で教師が傷つき、私のもとに相談に来られた先生方が嘆きます。「校長先生は私を守ってくれませんでした」と。
 ある教師が不登校になりかけた子どもの父親に刃物を突きつけられ「どうしてくれるんだ」とすごまれたそうです。
 それを校長に相談しにいったら、「あなたも大変だね」と受け流されたそうです。
「次に来たら一緒に会いましょう」と言ってもらえなかった・・・・・・。これがショックで大きなダメージを受けられました。
 いっぽう、いろいろな組織の役員をしている大物校長で、一週間に一度くらいしか学校にこない評判の悪い校長がいました。
 ところが、ある父親が学校に乗り込んで来たときのこと。強面で、「娘が学校に行きたくないと言っているぞ。担任を出せ!」とすごんでいます。
 ここで、たまたま、その時に学校にいた校長が登場して、
「ちょっと待ってください。この担任の先生は、私が信頼をおいてお願いしている先生なんです」
「文句があるなら私がお聞きしましょう。さあ先生、あとは私に任せてください」
 このことで、校長の支持率が急上昇したそうです。
 とても荒れていた小学校に校内研修に伺ったときのことです。確かに惨憺たる状況です。
 授業中に物は飛んでくる。子どもが教師の足を引っかけ「くそじじい」「くそばばあ」と言う。黒板には毎日「死ね」の文字。
 しかし、校内研修は和気あいあいとしています。
「あらら、また『死ね』って書かれたの、一週間連続じゃない?」
「足ひっかけられて、あざできちゃうなんて、なんだかK-1みたいね」
 いちばん荒れているクラスの担任は
「職員室がこんなにいい雰囲気だから、なんとか続けることができているんです」
と。
 この学校の校長が実に脱力しきったいい雰囲気を出しています。
「先生方、ほんとうによくやってくれていますよね。私にできることですか・・・。研究指定校をお断りすることくらいでしょうか(笑い)
 管理職がリードして、お互いに弱音を吐いていいんだよ、支え合っていこうという雰囲気をつくること、これはとても重要なことなんです。
 講演会などで担任の先生方にお聞きすると、およそ6割が「うちの校長は頼りない」「リーダーシップが足りない」と感じているようです。
 また、理想の校長像をお聞きすると、最も多い2つが、
「こちらの話もよく聞いてくれて、フットワークもよく、頼りがいのある校長」
「いざというときに守ってくれる、親分肌の校長」
です。
 先生方は、きまったように、
いざというとき守ってくれる、親分肌の校長がいなくなったと嘆いています。
 保護者の攻撃や学級崩壊で心身ともに疲弊しきったとき、「それでもがんばろう」と教師を続けられる教師と、「もうだめだ、限界だ」と辞められる教師。
 この違いが、管理職の対応一つにかかっていることは少なくないのです。
 多くの担任が求めているのは、「いざというとき」に「必ず守ってくれる」と思える「親分肌の校長」です。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授。専門は臨床心理学、カウンセリング心理学。悩める教師を支える会代表。現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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飴やガム、スマートフォンなどの不要物を学校に持ってくる生徒は、どう指導すればよいのでしょうか

 生徒指導の悩みの種の一つが飴やガム、スマートフォンなどの持ち込みの指導です。
 生徒に、毎日のように「学習に必要のないものは持ってきてはいけない」と指導しても、なかなか改善されません。
 生徒の側も不要な物の持ち込みを続けるうちに、罪の意識が薄れていき「これくらい、たいしたことではない」と考えてしまうようになります。
 不要物はほとんどが家庭からの持ち込みです。不要物をなくすには、どうしても保護者の協力が必要不可欠となります。
 そこで、不要物の持ち込みが発覚した場合は、保護者に来校してもらって返却するようにします。
 こうすることで、保護者にわが子の不要物の持ち込みを認識してもらうことができます。
 保護者との面談を通して生徒の内面を探るてがかりができます。
 学校全体が、罪の意識が薄れている状況であれば、最初に不要物が発覚した段階で学年集会を開き、教師全体で「大事件」として対応していくようにします。
 大事件にすることで、罪の意識を変えていくことができます。
 このように生徒集団の空気を変えていけば、不要物の持ち込みが続いても、他の生徒による密告が期待できるようになります。
「いつ誰に見られているかわからない」と生徒が感じると、抑止力が機能します。
 不要物は仲間に見せるために持ってくることがほとんどです。
 仲間の関心を引きたい、注目を浴びたいという心理状態にあると言えるでしょう。
 みんなの注目を集めたいと思っている子が多いものです。
 不要物の指導は、生徒の内面に迫る指導を続けることが重要です。
 そこで、こういった傾向のある生徒には、短期集中型で誰の目にもその活躍が見えるような仕事を積極的に任せてみましょう。
 生徒同士が互いの行動をほめあう実践をするのもよいでしょう。
 例えば、生徒同士のさりげない活躍を紙に書き、掲示物をまとめていく実践が効果的です。
 不要物を持ち込んでしまう生徒にこの掲示物を作る係を、任せてしまうこともできます。
 不要物を持ち込む生徒が無意識に求めているのは、自分のことを見ていてくれる人がいるという感覚です。
 このことが実感できれば、負の行動で注目を浴びる必要がなくなり、少しずつ正しい行動で活躍し注目される存在に成長するでしょう。
(
高橋和寛:北海道札幌市立中学校教師
)

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けんかが起きたとき、どう介入すればよいか

 けんかを見ている見物人を排除し、凶器となりうるものや、机、椅子等の危険な障害物をその場から排除します。
 見物人がいると、どちらかの肩を持ったり、はやしたてたり、面子を失わずにやめることが難しくなります。
 本を落とすか、ドアをバタンと閉めるなどして、大きな音を立て、けんかをしている当事者の緊張した状況に水をさします。
 けんかをやめさせることはできませんが、けんかをしている生徒を我に返らせ、言葉による介入をしやすくします。
 口論の真只中にあせって飛び込まないこと。
 生徒と面と向き合って立つ姿勢では、攻撃的だと受け取られてしまいます。
 安全を期して、興奮している生徒から少なくとも50センチから1メートルほど離れて立ちます。
 パーソナルスペースに侵入すると生徒の不安が高まる傾向があり、暴力行為へ発展する可能性があります。
 生徒が自制心を失うほど、教師の言葉が聞こえなくなります。
 声かけの内容よりも、声の調子やポディランゲージの方が明瞭に伝わります。
 身体暴力に及んでいても、声かけがけんかの制止に効果があります。
 どのような状態でけんかをしているのか、よく観察して劣勢な生徒に
「〇〇さん、けんかを今すぐやめて、こちらに来なさい」などと、声をかけ、面子を保つやり方でけんかをやめさせる助け舟を出します。 
 けんかをしている生徒は、立ち去る口実を先生が与えてくれるのを実際には待っているのです。口実を与えるチャンスを逃がしてはいけません。
 けんかが終わった後、すぐさま当事者を別々の部屋に引き離します。興奮を冷まして気持ちを落ち着かせます。
 けんかはどのような結果をもたらすのか説明し、今後どのような行動をとって欲しいのかという教師の期待を伝えます。
 今回のことを教訓として、成長する機会を与え、コミュニケーションをとって仲直りする手助けをします。
(
新福知子:千葉県スクールカウンセラーを経て、CPI危機予防研究所代表
)

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中学校の学級が荒れ崩壊したときに、先輩教師の親身になったアドバイスに救われた

 私は支援学校を4年勤務し、中学校に転任して1年生の担任になりました。
 学校がかなり荒れていました。注意すると屁理屈をこね、あきれて黙ると「勝った」と大騒ぎ。
 次第に私の指導が入らなくなり、周囲の生徒の失望感になっていることに気づきました。
 私は班編成や行事の取り組みなど、生徒の意見を聞いてみようという立場でやっていました。
 私は、生徒を好き勝手にさせているつもりは全くなかったのですが、私自身、生徒を深く観察する目がなかったので、現実には生徒に押されていました。
 生徒たちの意見を取り入れるどころか、発言力のある子、押し出しの強い子のペースでクラスのことが決定されていきます。
 私は、私の思いとは別な方向にクラスが向かっていることに焦りました。具体的にどうしたらよいかわからない状態でした。
 朝、教室のドアを開けると、積まれた机や椅子が崩れ、チョークが飛んでくる。
「先生失格、早くやめろ。あたしたちは、小学校の先公も辞めさせたんだから」
「てめえなんかに用はねぇんだよ、死ね」
「顔が気持ち悪いんだよ、担任かわれ」
などの暴言の嵐。注意すれば
「うざってぇんだよ」「なんで俺ばっか注意するんだよ。ひいき、ひいき。教育委員会に訴えてやる」
と、その生徒のまわりに、はやしたてる生徒が加わります。
 生徒を叱りながら、私の膝が本当にガクガク震えます。
「きみたちのやっていることはおかしいよ、どうして」
と言いながら、毎日泣いていました。
 このひどい状態をどうするか、私は本や講演会を参考にして、私なりにやってみました。
 教室に入る時は笑顔でとか、生徒の登校時に教室が整理整頓されているようにとか、休み時間はなるべく教室にいようなどです。
 しかし、やればやるほど自分がみじめに、空しくなっていくのでした。
 私が笑顔で教室に入ったとき、生徒のイタズラで机が滑ってきて私に激突したらどんな顔をしたらいいのでしょうか。まるでピエロです。
 休み時間に教室に残ることほど怖いものはないのです。何かしよう、言ってやろうと生徒が手ぐすね引いて待っているのですから。
 私を支えていたのは「こんなのおかしい。負けてたまるか」という憤りでした。
 しかし、だんだん「どうでもいいや」という気持ちになっていきました。職員室でも毎日泣いていました。
 二学期になると、朝起きたとき、全く声が出ず、欠勤するようになりました。
 心配したM先生が同期の友人に「気晴らしに誘ってやったら?」と言ってくれたので、友人と夜飲みに行きました。他の若い仲間も来てくれて元気が出ました。
 私の副担任はベテランの男の先生でした。私が立ち往生していると、代わって叱ったり説明したり、熱心にカバーしてくれました。
 しかし、副担任の先生が助けてくれればくれるほど、私の立場は悪くなり、底なし沼に入っていくような感じがしました。
 M先生たちの助言は具体的で本当に私を支えてくれました。やってみようという気持ちになりました。例えば
 ある朝、職員の打ち合わせで「今日は学活の席替えと、委員の選出と、今学期の目標です」と指示されたとき、M先生に
「この順番でやってはだめよ。一番に、黙ってやれるもの。二番に、口を使うもの。最後に体を動かすものよ」
「一度、生徒を動かしたら、落ち着かなくなって、集中しにくくなるからね」
と言われました。
 こんな簡単なことだったのかと思うほど、やりやすかったことを鮮明に覚えています。これが「技術」と呼ばれるものだったんだ、と思いました。
 また「生徒が誰も私の話を聞いてくれない」と私が泣いていたときは、A先生に
「何となく全体を見渡して話していない?」
「後ろの端から、一人ずつ順番にしっかり見てごらん」
「必ず目が合う子がいるから。そういう子が一人でもいたら、その心に答えなくちゃ」
「こんなのおかしい、嫌だって思っている子、いるはずよ」
 そうやったら、見ているのです。話を聞いてくれそうな生徒が。
 また、A先生はつぎのような助言をしてくれました。
「悪いことを見て見ぬふりはだめ。自分が今できることをやればいいのよ」
「必ず一声かけるのよ」
「生徒がうるせえな、と突っかかってきても立ち止まらなくいいから、穏やかに、でもあきらめず必ず声をかける」
「そういうジャブがだんだん効いてきて、話が入りやすくなるのよ」
 この実践はかなりつらいものでした。しかし、うまくはできなくても、やっていることは生徒全員が見ています。
 また「叱るとき、いつもわかりましたと言わせる必要はないのよ。考えてみてね、と終わらせる方がいいときもあるでしょ」
 そして、保護者との話し合いがうまくいかず、悩んでいると、
「子どもの悪いところを並べられたら、親もいい気持ちはしないでしょ。親はどうしたらいいか困ってることが多いのよ」
「お母さんも大変だと思いますが、子どものために一緒に頑張りましょうし言ってごらん」
 また、つぎのようなことも教わりました。
 生徒の投げやりな態度には愛をもって、屁理屈にはユーモアと、皮肉も混ぜて、時には熱っぽく、時にはサラリと、あきらめず何度でも話します。
 それはまさに、ものの見方、考え方を教わったことでした。
 M先生たちは生徒に「自分は見捨てられなかった」という思いを心に残したい。
 この子が社会に出るのに、今どんな力が必要か、どういう人になってほしいか、人として大事なものは何か、それをあきらめずに言い続けようとしていた。
 それには、私自身がどういう人間になりたいか、何を大切にしているかを考えないといけない。
 自分の思いをどう伝えたら相手にわかってもらえるか、いろいろやり方を工夫しないと。
 など、私はそういうM先生たちの言葉や、さまざまな場面を想定しての言葉を、聞いたり自分で考えたりしてノートに書きとめ、何度も何度も、せりふを覚えるように声を出して練習した。
 結局、最後は、自分の人間としての姿勢を問われているのだ。ごまかしはきかない。
 私がつらさを乗りきれたのは、苦しい時に、感情をそのまま受け止めてくれる何人かの人々に出会えたおかげです。
 また、同世代の仲間にもずいぶん助けられました。同じ悩みの人と話すと、自分を客観的に見やすくなります。
 また遊びや趣味など、仕事と全然関係のない話で盛り上がれると、気持ちが開放されます。
「独りぼっち」と思ったとき、勇気をだして、こちらから声をかけてみませんか。自分が困っている時こそ、痛みが共感でき、助け合えるチャンスかもしれません。
 私は人に助けられたので、困ったときには手を差し伸べ、支え合いたいと思っています。
(
東京都公立中学校教師)
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表
)

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子どもの成績に保護者から苦情を言われたとき、どう対応すればよいか

 わが子の成績に敏感な保護者がいます。成績評価の基準があいまいだと保護者は納得しません。
 なかには、前年度や前担任と比較して成績が下がったと訴えてくる保護者もいます。
 日頃から評価規準について学年や学校で十分検討し、統一しておきます。
 さらに、個別の成績について、根拠となる資料を用意し、いつでも明確に示せるようにしておきます。
 保護者はわが子に期待を寄せるあまり、わが子の現状をきちんと把握できていなかったり、子どもの課題を受け入れられなかったりします。
 成績の評価が低いと過剰に反応し、教師の指導内容や子どもへの評価に対して不満や不信感を抱くようになり、教師への苦情となって表れます。
「わが子をよく見てほしい」「目をかけてほしい」という保護者の気持ちをくみ取りつつ、成績評価の資料を用意し、子どものよさと課題を伝えます。
1 よくない対応
 教師の成績評価の規準や根拠があいまいなため、保護者に明確な説明ができません。
 保護者はもっと話したいのにも関わらず、教師は自分の評価の正当性を訴えたいがために、保護者の話をよく聞かずに、子どもの課題ばかりを伝えがちです。
2 望ましい対応
(1)
保護者の話を十分に聞き、思いを受けとめる
 保護者のわが子に対する期待や、成績に対する不満点、教師に期待する指導などを十分に聞き、受け止める姿勢を示します。
 同時に、子どものよいところを具体的なエピソードを交えて話し、教師に対する保護者の不満や不信感を少しでも軽減させます。
(2)
成績評価の基準と子どもの課題を伝える
 指導法や評価基準について、日頃から学年や学校で十分に話し合って統一し、いつでも明確に説明できるようにしておきます。
 そのうえで、子どものテスト結果などの資料をもとに、評価の理由と子どもの課題をしっかり伝えます。例えば、
「テストの点数とノートや提出物の内容で評価しています」
「ノートが適切にまとめられているか、自分の考えが書かれているかも評価しています」
「〇〇さんは、自分の考えをまとめるところに苦手があるようです」
(3)
今後の対応と協力方法について話し合う
 子どもの力をさらに伸ばしていきたいという教師の思いを伝えます。
 今後の指導方法を示し、保護者との連携を要請し、家庭でもできる具体的な手立てを提案します。例えば
「〇〇さんは、読む力はありますので、読み取ったことを、自分の考えとして文章にまとめることができるようになると、さらに力を伸ばすことができると思います」
「ご家庭でも、新聞や本を読んで、感想を話し合っていただけると幸いです」
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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休み明けに茶髪やピアスをしてきたとき、どう指導すればよいか

 夏期・冬期休業前に、集会などで茶髪やピアスに関する事前指導が行われます。
 しかし、休み明けには、事前指導の効果もむなしく、茶髪やピアスをしてくる現実に直面することも多いのではないでしょうか。
 茶髪やピアスに対する指導には2つ考えられます。
1 校則を破ったことへの指導
 茶髪やピアスを直させる指導です。この指導は、生徒が素直に直さない場面も予想されます。
 茶髪にしてきたら、いつまでに黒く直すのかを約束させます。できれば即日中に直させる。
 ピアスは外させて教師が預かります。そして、いつ、どこで誰と誰が穴を開けたのかを確認します。
 どちらの場合も、2度としないことを約束させましょう。
 また、保護者にも必ず連絡を入れ、学年主任や生徒指導部の先生とともに家庭訪問に行くことをお勧めします。
 複数体制で取り組んだ方が、生徒を大切にしているという思いが伝わりやすいからです。
2 生徒の内面の理解に向けた指導
 なぜ校則を破ったのかという生徒の背景に迫り、直させていく指導です。 
(1)
生徒に存在が認められていることを意識させる
 茶髪やピアスをする生徒たちの内面は、自分自身に自信がもてない、自分を認めてほしいなどの気持ちが考えられる。
 ほとんどの場合、親の愛情不足や放任されている状態です。
 まずは、教師がふだんからあいさつや声かけを行い、生徒の存在を認めていきましょう。
 もし、髪の毛を黒く戻す、ピアスを素直に外した場合は、生徒がそれなりの覚悟を決めた行動の表れです。
 必ずその行動自体をほめ、生徒の自己有用感を高めましょう。
(2)
級友からの評価を意識させる
 茶髪やピアスをする生徒は、なかなか素直には直せないのです。
 しかし、級友による声かけが、茶髪やピアスを直させるきっかけになることもあります。
 級友のひと言は、教師の説教じみた説諭よりも何十倍も有効です。
(3)
雰囲気づくりを意識させる
 生徒たちが自分たちで決まりを守っていこうという学級や学年の雰囲気をつくり上げることが大切です。
 茶髪やピアスをする背景や気持ちについて、生徒に考えさせ、話合わせます。それにより、生徒たちは、他人事ではないと考え始めます。
 もし学級に茶髪やピアスをする生徒が現れても、排除ではなく、一緒に過ごすために何ができるのかを考えるようになります。
 そんな思いやりのある学級の雰囲気が出来上がると、茶髪やピアスの生徒は、その思いを敏感に感じ、その思いに応じていくのです。
(
北原英法:北海道室蘭市立中学校教師
)

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教師に怒りや敵意を持った保護者と、共に協力して解決するための道筋とは

 怒りや敵意の感情は、自分の願いが満たされないことから起きます。
 まずは、保護者が何を願っているのかを把握することが基本になります。
 怒りや敵意をもつ人は、必ず状況や相手を変えさせたいとの願いがあるはずです。
 その願いは、どのようなものなのか、その願いを読み取ることが大切なのです。
 本当の願いは、強い怒りに覆われます。
 保護者は「先生は、自分の願いに耳を傾け、味方になる人なのか」を探っています。
 教師は、保護者を分かり、理解してくれる存在になるよう心がける必要があります。
 そのために、教師は意識して保護者の心情に寄り添わなければならないでしょう。
 保護者の願いに意識を集中し、理解した部分を言葉にします。
 あわせて、それまでの保護者の苦労をねぎらいます。 
 教師という立場は、子どもの味方になるのは簡単ですが、保護者の味方になるのは難しいのです。「親がもう少し努力してくれればよいのに・・・・」と願うことが多いからです。
 保護者の願いが分からない段階では、不用意な解釈は慎みます。
 保護者の心情に寄り添い、願いをじっくりと感じとるようにします。
 保護者の願いや心情が分かったら
「〇〇してほしいんですね」「〇〇ということで、腹立たしく感じるわけですね」
などと、怒りを要求に置き換え、願いとして理解し、その願いがかなわないことを受け取って、言葉にします。
 大事なのは「今の問題を少しでも上向けるために、自分はどのようにすればよいか、何ができるか」を考えることです。
 保護者の怒りや敵意を保護者のせいにすると、関係の悪化は続きます。
 問題の解決に歩み出すには、見解の相違を見ないようにします。
 保護者の願いを正確に読み取り、見解が一致する点を探し、その一致点の上に立ち、具体的な解決策を探すのです。それ以外に抜け道はないのです。
 そのためには「どうなりたいのか」「どうしたいのか」について、保護者と共有できるレベルにまで願いを広げ、一致点を見出します。
 広い視点に立って、大きな目標で一致点を見出すようにします。
「お子さんに、幸せになってもらいたい」
「お子さんが、辛い思いから解放されるようにお手伝いしたい」
「お子さんが、今よりも快適な生活を送れるようにしたい」
 この程度まで、共有できる目標レベルを広げれば、保護者も異は唱え難いはずです。
 共通の願いに立っていることを確認し、学校側の願いと保護者の願いの一致点を、さらに狭いレベルでも見出すようにします。
 目標を共有することで、仕切り直しをするためには、学校側が、今後の大目標や当面の目標、そのための方針、方法について、事前に具体的に整理しておかねばならないでしょう。
 そのためには、学校側が様々なレベルでの対応策のアイデアを腹案としてもたねばならないのです。
 現実的な目標が共有できる関係になれば、もはや敵対関係ではなくなります。
 目標に向かい、何をしていけばよいのか、解決策や工夫について、額を寄せ合って考えます。
 学校側は話し合いで、保護者に
「学校にしてもらいたいことがありますか」
「してほしくないことがあれば、おっしゃって下さい」
と尋ねます。また、
「何か変えてみたいと思っていらっしゃることはありますか?」
「何かしてみたい工夫があれば、教えていただけますか?」
と尋ねます。
当面、何ならできるのか」を中心に、極めて具体的に考えます。実行できやすいプランを選択します。
 プランを定めて、一定期間実行した後で、評価し必要に応じて変更します。
 成果の出ているプランは続け、出ないものは取りやめを考えることも考えればよいのです。
 大事なことは、一緒に歩む保護者の意欲や意志を支え続けることです。
(
小林正幸:1957年群馬県生まれ、東京都港区教育センター教育相談員、東京都立教育研究所相談部研究主事等を経て東京学芸大学教授。不登校を始め学校不適応、ソーシャルスキル教育、教育相談、教育技術を研究
)

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子どもとの関係がぎくしゃくした新採教師の余裕のない息がつまる授業を参観して思ったこと

 新採教師の授業を参観しました。
 小学校1年国語の授業で話すこと・聞くことの教材文「みぶりでつたえる」を読み取るのに「ジェスチャー大会をしよう」に作り変えて実践していました。
 つまり、楽しく、しかも意欲的に学習できるように工夫しました。
 ところが、残念ながら、子どもと先生の関係が、ぎくしゃくしているのです。
「円になって、やってみよう」と先生が言っても「いやだ」という子が何人もいてびっくりしました。
 そんな中、一人の女の子が「ちゃんとやんないと、いけないんだよ」と促して、ようやく男の子たちが動いて授業が始まりました。
 私が新採のときの授業を思い出しました。一人、言うことを全く聞かない子がいたなあと、苦い思い出がこみあげてきました。
 先生は笑顔がありません。思いつめた顔をしています。
 私には、その先生が心の深いところで絶望し、疲れきっていて、子どもたちの行動を怒っているように感じられました。
 私も当時はきっと、そういう余裕のない顔になっていたに違いないと思いました。
 参観している私も、息が詰まってくるような授業でした。
 いくつかの身振りを、代表の子に、やってもらったのですが、それに対して、何人かの子どもたちが「へただ」などと言うのも、びっくりしました。
 先生が、やってくれた子どもたちへの拍手も、ねぎらいの言葉かけ一つしないのにも、びっくりしました。
 毎日が辛いだろうなあと、感じました。先生と子ども双方が疲れています。
 あきらめずに、子どもとのよい関係を授業の中で作っていってほしいと、祈らずにはいられませんでした。
 できたら、拍手をし、いいことをしたらほめる、ということをするといいと思いました。
 やっていいこと、悪いことを示し、いいことはいい、悪いことはいけないと教えていけばいいのではないかと思いました。
 何でも、少しでもできたら、ほめていけば、逆らっていた男の子たちも、少しずつ、変わっていくと思うのです。
 おとなしい子に目をかけて、いっぱい話しかけたり、遊んだりして、なかよくなっていけば、あったかい雰囲気ができてくるのではないかと思いました。
 授業の技術などは二の次です。一人ひとりを大事にした、あったかい雰囲気を作っていって、この先生が楽しく笑顔になっていけば、子どもたちも自然と変わっていくことでしょう。
 道は遠いけれど、全身全霊をこめていけば、少しずつよい方向に向かっていくことでしょう。
(
卯月啓子:1949年東京都生まれ、元公立小学校教師。NHK教育テレビ「わくわく授業 卯月啓子さんの国語」(2002)で好評を得る。「卯月啓子の楽しい国語の会」代表。現職教員のための国語教育研究会の常任講師を務め、後進の指導にあたってまいる
)

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教師が「辞めたい」という気持ちに追いつめられるものは何か

 教師の仕事の多忙化による疲労の蓄積に加え、子どもの問題行動の指導や、保護者からの苦情への対応で日常的なストレスにさらされた結果、「うつ状態」などに陥って病気休職となるケースが増加しています。
 実際、私の大学院で、長期派遣の現職教師236名を対象に学校現場での心の危機について、その原因を尋ねたところ、つぎのような結果になりました。(20092011年度)
1.
手に負えない子どもに振り回される   97
2.
職員間の共通理解や協力が得られず孤立 64
3.
保護者との人間関係 51
4.
管理職とのあつれき 43
5.
同僚とのトラブルやいじめ 33
6.
多忙     30
7.
他校への転任 14
8.
新任         10
9.
部活動の子ども・保護者とのあつれき 9
10.
望まない担任や分掌                9
 教師が仕事に対する無力感や無意味感、あるいは自己否定的になり「辞めたい」という思いに陥っていく背景には、何があるのでしょうか。つぎのようなことが考えられます。
 教師のパーソナリティ要因がある
 挫折や危機から抜け出すことを妨げる性格として
(1)
自己の信念や、やり方に固執して、柔軟性にかける
(2)
他者の期待に応えようとする
(3)
仕事が競争的で、目的達成志向が強く、他者に対して批判的、攻撃的になりやすい 
 自分は教師に向いていないのではないかという揺らぎ
(1)
子どもの指導や保護者対応などに対する自信の低下
(2)
教職適性感の低下
 職場の要因
(1)
仕事の多忙感
(2)
管理職との共通理解の不足や意見の対立による葛藤
(3)
同僚教師が協力的でない
 教師に「辞めたい」という気持ちを抱かせるものは、教師個人の性格というよりも、むしろ自分は教師に向いていないのではないかという揺らぎや職場の要因から生じるものが多いように見受けられます。
( 新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)


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授業名人有田正和の逃げ場のある叱り方とは

 ほめることより、叱ることの方がはるかにむずかしい。叱り方によっては、一人の人間をだめにしてしまう場合もあるからだ。
 私もこれまで失敗しながら何とかやってきた。
 私の体験では「8割ほめて、2割叱る」くらいの割合がいいように感じている。
 私は、担任を持ったとき、つぎのようなことをしたら叱りますと宣言した。
(1)
命にかかわるようないたずらをしたとき。
 3階の窓から身を乗り出している子を、後ろから押した子がいたことがあるから。
(2)
人権・人格にかかわること
 他人をばかにしたり、さげすんだりしたとき。
(3)
同じような注意を3回しても聞かないとき
 このほかのことでは叱らないといっておいた。
 こうしておけば、子どもも安心で、どんなことをしたら叱られるかわかる。だから伸び伸びと生活ができる。
 ぶれないことが大切で、むやみに叱らないことが、子どもを育てるうえで大切なことだ。
 叱った後には、必ずケアをすることが大切だ。
 あとで、別なことでほめるとか、何かいいことを言ってやるのだ。
 叱りっぱなしでは、子どもの立つ瀬がない。育てるために叱るのだから、ケアが必要なのだ。
 叱るとき、子どもの言い訳を聞かない、逃げ場のない叱り方をしている教師がいる。
 私は、小学校6年生のとき、校長先生からひどく叱られたことがある。明らかに校長の誤解であった。
 私が言い訳をしようとしたら「そんなもの聞きたくない。お前のやったことに間違いない」といって、長々と叱られた経験がある。
 このとき、子ども心に「何で間違っているのに聞いてくれないのだろう。校長の資格がないのではないか」と思ったことを今でも覚えている。
「逃げ場のない叱り方」をされた方は、心に傷がつき、長く心に残る。
 近頃は、教師も忙しい。このため、つい「言い訳」を聞かなくなる。自分がその立場に立ったらどうか、と考えることだ。
 子どもは「言い訳」をしたら、すっとするようだ。
「言い訳」を追及しないことだ。少しおかしいなと思っても、見逃してあげる。これが逃げ場のある叱り方である。
 要は、子どもが育てばよいのだから、多少の「うそ」はあってもよいのではないか。「うそ」を追究しても、子どもを追いつめるばかりである。
 子どもは、叱りながらほめ、ほめながら叱らないと育たない。このかねあいがむずかしい。
 クラス全員に厳しく注意をしたり、叱った後は、必ず「笑い話」をした。
 叱ったまま帰らせると、いたずらしたり、事故をおこしたりする。だから、帰るときには絶対に厳しく叱らなかった。
 逆に、大笑いさせて、いい気分にさせて帰すように心がけていた。
(
有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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保護者からの苦情を防ぎ、保護者と関係を築くには、どうすればよいか

 保護者対応と聞くと、苦い経験がある。
 初任者のとき、私はまだまだ未熟で、保護者から信頼されているとは言えない状況だった。学校に電話が鳴るたびに「自分ではありませんように」と願った。
 二つ目は、教師になって7年目。初めて1年生の担任になった。
 私のクラスには毎日遅刻する子どもがいた。そこで、家庭でもしっかり指導してもらおうと、連絡帳で「登校時間に間に合うように協力してください」と伝えた。
 私は心の中で「どうして、家庭で、ちゃんとしてくれないんだろう」という思いがあった。
 次の日、母親から返事があった。「家でも声をかけているが、うまくいかず、つらい思いをしている」ということが書いてあった。
 私は「母親を傷つけた」と後悔した。もっと他に伝え方はなかったのか。今、思いだしても、申し訳ない思いでいっぱいになる。
 私は一目見ただけで「この先生なら安心だ」と思ってもらえるようなタイプではない。
 こんな私でも保護者に信頼してもらいたい。どうしたらよいのか考えた。
 私は自分のキャラクターを考えて、まず、保護者に笑顔になってもらうことから始めてみようと思った。
 保護者と笑顔で話ができるようになることで、私への安心感の第一歩につながるのではないかと。
 同僚の教師が
「職員室に保護者が来たら、立ち上がって、ドアまで用件を聞きに行くようにしている」
「保護者も職員室にそんなに来たくないと思うから」
と教えてくれた。
 その日から、私は職員室に来るお客さんには立ち上がって対応するようにした。
 廊下で会った保護者には、笑顔で「いつも、ありがとうございます」「お疲れ様です」などと挨拶するようになった。
 そして、他にひと言、付け加えるようにしている。そこから、話が広がることもあったし、家での生活の問題などを教えてもらえることもある。
 それは、安心感につながっていくのではないかと思う。
 3年生の担任のとき、父親から学校に苦情の電話があった。
「わが子が友だちに傷つく言葉を言われた」と。
 そこには、わが子がいじめにあっているのではないかという、心配と怒りがあった。
 学校はどういう指導をしているのか、という不信感もあったと思う。
 私は、心臓がどきどきしながらも、頭は冷静になろうとした。
 私は、子どもたちから聞き取りしたメモを持ち、状況を説明し、子ども同士で解決したことを伝えた。
 電話対応では、保護者の話を穏やかに聞き、保護者の思いをくみとる。
 詫びるところは詫び、最後に自分の考えを冷静に伝えることが大切だと私は考えている。
 ここで、失敗すると後から大変なことになってしまう。
 電話対応で、30分以上かかりそうな場合は、家庭訪問させてもらったほうが、お互いの話が伝わりやすいので、その見極めも気をつけている。
 苦情などの電話があった場合は、当たり前のことだが、その子の様子をいつもよりよく見て、声をかける。
 事態が好転すると、つい忘れてしまいそうになるけれど、保護者の心配は続いている。
 参観日などで保護者に合えたとき「この前は、ご心配をおかけしました。その後どうですか?」と必ず声をかけている。
 また、学級でのトラブルで保護者に伝えて分かってもらった方がよいと思ったときには、学級通信で伝えて問題を共有できるようにしている。
「先生、うちの子のこと、お願いします」と言ってもらえるように、笑顔と心配りで関係をつくっていきたい。
(
戸来友美:北海道千歳市立小学校教師)

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子どものやる気を最大限に引き出し自立を促す、バラエティ番組を参考にしたMC型授業とは

 最近のテレビのバラエティ番組の多くは、仕切ることがうまい芸人が司会者(MC)になり、ひな壇の芸人に話を振って、面白い話を聞き出す形で進行していきます。
 その原型を作った一人が明石家さんまです。
 さんまさんの番組を見ていると、MCは、出演者を順番に指名しながら、面白い話を大笑いしながら聞いているだけのように見えます。
 しかし、さんまさんは、話を広げたり、上手に話を引き取って別の人に振ったり、突っ込みを入れたり、だれてくると話題を大きく変えたりと、出演者を自在にコントロールしている。
 さんまさんの立つ位置は、話が盛り上がってくると発言者のすぐそばまで行って大きくうなずいたり、突然振り返って別の人に話を振ったり、せわしなく動きます。
 すると、出演者もどんどん乗ってきて、さんまさんの手のひらの上で踊らされて、話すつもりのなかった話まで披露してしまうのです。
 このMCとひな壇芸人の関係を授業に応用できないかと考えたのが、MC型授業の始まりです。
 MC授業で大切なのは、教師が「なんでもあり」という姿勢を見せて、子どもたちが、どんな意見でも出してみようという雰囲気を作ることです。
 子どもが何かを話す。それを受けて、私が「それって、どういうこと? 詳しく説明して」と興味を示す。
 その子が説明できなくても、別の子が引き取って「こういうことだと思う」と話し始める。
 詰まったら私が助け船を出す。そうやって話の輪を広げていく。
 途中で話が途切れそうになったら、クラスの中のしゃべり好きな子に振る。
 正解だけを求めているわけではないのです。
 私が考える教育とは、子どもが自分の頭で考えたことを、クラスの仲間と話し合って、自分たちで判断して正解に近づいていくことです。
 それが自立につながります。世の中に出れば、いやおうなく自分で正解を探すことになるからです。学校は社会で生きる力を身に付ける場所なのです。
 それなのに教師が「答えは?」と子どもに聞いて、違ったら、別の子どもを指す。正解が出なければ正解を教える。
 そのような受け身の姿勢で教師から知識を授けてもらうという授業の形が、正しい教育につながるとは思えません。
(
沼田晶弘:1975年東京都生まれ、アメリカのポールステイト大学職員を経て東京学芸大学附属小学校教師。教育関係のイベント企画を多数実施し、企業向け講演も行う
)

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子どもの靴がなくなった、探しても見つからないとき、どうすればよいか

 学校の靴箱から靴がなくなった場合、誰かがいたずらで靴を隠したか、靴がなくなったと言いにきた子どもの狂言などが考えられる。
 いろいろな可能性を視野に入れて指導にあたることが大切である。
 靴隠しをつぎのようにして解決した。
 いろいろな問題を抱かえている6年生のクラスで「靴が見つかりません」と私にA子が言いにきた。
 子どもたちと靴を探すと、A子の靴は、溝に落ちていた。
 その後、数日おきにA子の靴がなくなり、その都度みんなで探した。
 全員で探すことが大切だ。
 仮に、クラスに靴を隠している子どもがいたら、みんなで靴が出てくるまで探す姿を見せて、反省を促すようにした。
 A子の場合、なかなか靴隠しは終わらなかった。
 そこで、学級通信に「靴を隠す人へ」という次のような長文のメッセージ文を書いた。
「そのときのきみの顔はどんな顔だろう」
「さびしくて悲しい顔をしているのだろうか」
「人の靴を持って、人に見られないように、こっそりと歩くきみの姿が、どんな情けないか先生は知っています」
 この学級通信を出したあと、靴隠しはなくなった。
 靴隠しをなくす、他の方法をつぎに示します。
 靴を隠された子に、靴箱ではなく、教室に靴を持ってくるよう指示を出したことがある。
 私の見えるところに靴を置かせた。
 これを1カ月以上続けた後、また靴を靴箱に置くようにした。
 この後、靴隠しがなくなった。
(
蔵満逸司:鹿児島県公立小学校教師
)

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まったく掃除をしようとしない子を、どう指導すればよいか

 掃除になると、どこかに消えてしまう。いても、ほうきをもって立ち話をしている子がいる。どう指導すればよいのでしょうか。
 掃除を強制されることへの反発ではないかと考えてみる。
 掃除を「しなければならない」と、決められること、強制されることに対して反発することで、自分の存在をアピールしているのではないか、と考えたい。
 注意するより「ストレスの原因は何か」を読み解く努力をしたい。
 本人と直接話すのが手っ取り早いが、拒否された場合には回復が難しい。
 まず、親しい友だちを呼んで事情を聞いた。
 本人に伝えたいメッセージをまわりの友だちに話すことで、間接的に本人に伝わることを目的に次のように話した。
「先生は怒っているんじゃない」
「何か不満や困っていることがあるんじゃないかと思って、〇〇さんのことを心配しているんだけど」
「何か相談にのれることや先生が力を貸せることがあったら、言ってほしい。〇〇さんにも、そう伝えてほしい」
 次に、本人と直接話すことにした。
 親友が本人を連れてきて、一緒に話す場をつくった。
 本人を交えて話し合う中で、やっと友だちとの人間関係に原因があることがわかった。
 掃除をしようとしない子を、指導する、その他の方法を次に示す。
 担任が掃除をしながら「△△くんの掃き方はじょうずだね」「□□さん、家でも手伝っているでしょ。手つきがいいね」と、まわりの子の動きをほめた。
 そうして頃合いをみて「〇〇さん、黒板を消してもらえるかな?」と依頼口調で語りかけた。
 活動すると具体的に評価ができるからである。
 仕事が終わったら、できは不十分でも「ありがとう。きれいになったね」と声をかけた。
 子どもは、そのひと声を待っているからである。
 よくない方法をつぎに示すと、
 掃除の点検表を作って、チェックを厳しくしたり、掃除のマニュアルを作って、とにかく「掃除をやりなさい!」という高圧的な指導では、本人のストレスをさらに増やすだけである。
 掃除当番全体の責任を追及したりすると、掃除をやらない子だけでなく、まわりの子も「なんで私たちが責任をとらなくちゃいけないの!」と教師への反発を強めることになる。
(
及川宣史:札幌市公立小学校教師
)

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教師は自分を保護者にどう見せるか、自分をプロデュースする能力が必要だ

 私は、保護者にどう見られているかを一番気にしている。そして「良い先生だ」と思われるように気をつけている。
 これからの教師には、自分を保護者にどう見せるか? 自分をプロデュースする能力が必要だと言えるだろう。
 たとえば、学級通信である。私は基本的に、学級通信を毎日発行している。年間200号以上である。
 毎日発行していれば、保護者は「熱心な先生だ」と思ってくれる。少なくとも、サボっているようには見えない。そして
「先生、毎日、学級通信をありがとうございます。毎日作るなんて、大変でしょうに」なんて感謝の言葉をくださることも多い。私は
「いえいえ、子どもたちが素晴らしいからですよ」
「毎日、記事にしたいことがいっぱいです」
「それに、学級通信づくりは、楽しくて趣味みたいなもんですからね」
「毎日作っても、全く苦になりません」
などと、さわやかな笑顔で答える。
 私は、初任者の時から、ほぼ毎日、学級通信を発行し続けてきた。だから、頭の中に文例が入っているので、学級通信を作るのに時間をかけていない。
 今はA4サイズで出しているが、1号を作るのに10分もかからない。時間が取れる時に作り貯めしている。
 学級通信の内容は、子どもの良さを伝えるものが多い。特に小さな良さを見つけて伝える。
 たとえば、次のような記事である。
 前半は、私がきちんと子どもたちを鍛える、学力をつける教師であることを宣伝する。
「子どもたちを鍛えるために、毎日漢字テストを行っています。間違った漢字は10回やり直しさせるという厳しさですが、子どもたちはがんばって取り組んでいます。100点を取る人も、とっても増えてきました」
「漢字テストの時に、〇〇さんが「テストの紙が1枚足りないのでくださいと言いに来ました」
「〇〇さんは、テストの紙が足りないことに気づき、先に後ろの人に紙を回してあげたのです」
「〇〇さんの優しい行動に、心が温かくなりました。幸せな気持ちになりました」
「クラスも、〇〇さんのような優しい行動が増えるといいなあと思います」
 こういう記事を読めば、保護者は
「子どもの細かい所までよく見てくれている先生だ」「子どもの良さを認めてくれる先生だ」と。
 学級通信でほめると、口でほめる100倍の効果がある。
「教育熱心で、真面目な先生が子どもたちのことを思って、毎日コツコツと時間をかけて学級通信を作ってくださる」
 そんなイメージを持ってもらえるようにしているのである。
 自分をどんな「良い先生」と保護者に見せようと思うのか? まずそのイメージを持つことが必要だろう。 
 そして、イメージを持ったら、どうすれば保護者にそのイメージを持ってもらえるか? 自分の立ち振る舞いを考えないといけない。
 教師は、自分を良い先生だと宣伝することが大切である。
 ちなみに、学級通信で一番のコツは「必ず読み聞かせること」である。配っただけでは、子どもたちは読まない。
 学級通信は読み聞かせて、みんなの前でしっかりほめてやることが大切なのだ。
 保護者への「良い先生アピール」が裏の目的だとしたら、表はやはり、子どもへの指導だろう。
 学級通信を発行することは、まさに一石二鳥である。どんどん発行しよう。
(
中村健一:1970年山口県生まれ、山口県岩国市立小学校教師。授業づくりネットワーク、お笑い教師同盟などに所属。笑いとフォローをいかした教育実践は各方面で高い評価を受けている。 また、若手教師を育てることに力を入れ、多くの学生に向けて講演も行っている)

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子どもが思わず集中して聞く、話し方の3つの技とは

 子どもに話をするとき、「目線」「抑揚」「ジェスチャー」の3つを押さえれば、子どもたちもグッと集中して話を聞きます。
(1)
視線
 子どもに指示、説明するときは、視線を合わせます。
 子ども一人に2秒くらい視線を置くと「先生は今、私に話している」と思わせることができます。
 視線はNやZの形に動かします。学級の全員を見渡すのに効率的だからです。
 視線を合わせて指示する方法と、視線を合わせないで指示する方法を試してみてください。子どもの注目度がまったく違うはずです。
(2)
声の抑揚、間、声の大小
 自分の指示や説明を録音して、聞いてみてください。
 私が初任者のとき、声が単調だったり、冷たい感じの声になっていました。
 子どもが集中するようにするためには、抑揚(高低)、間、大小をうまく工夫することです。
 文章を読むとき、言葉と言葉の間は、しっかりと間を取るようにします。あるいは、縮めて読むようにします。
 一文の中に、強く読むところ、弱く読むところ、抑揚を意識して読みます。
(3)
ジェスチャー
 話をするとき、ジェスチャーを入れると、多くの子どもに興味をもたせることができます。視覚が優位の子にとって理解しやすい。
 話すときは、ストーリー仕立てにします。
 教師は、その話の登場人物になりきり、俳優のように演技をしながら描写して語るようにします。
 恥ずかしがらずに、表情も豊かにすると、子どももグッと集中します。
 特に生活指導、安全指導には有効です。例えば、
「先生が一昨日、学校帰りに、〇〇道をこうやって歩いていました。(歩くジェスチャー)
「すると、ずっと遠くの方向から、自転車に乗ってくる子が見えました(遠くを見るジェスチャー)
「あっ!(驚く)
(
小声で)「急に、車道にはみ出たかと思うと、すぐそばを走っていたトラックとぶつかりそうになって・・・・・・」
というように、演技、描写を交えて話すと、子どもたちはシーンと集中します。
(
西野宏明:1983年生まれ、東京都公立小学校教師。教育サークル「オリエンタル・レボリューション」代表
)

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学級崩壊に苦しみ退職したが、再び教師に復帰し、仕事が管理職から評価されるようになった

 中学校の教師が学級崩壊に苦しんで退職し、その後、採用試験を受け教師に復帰した。その教師の経験を取材した。
 初めての担任で、生徒との4月の出会いは、準備することなく、行き当たりばったりだった。
 やんちゃな生徒が「〇〇しなくてもいいですか?」と、担任を試す言動(アドバルーン)をくり返し、担任が思いつきの対応し、他の生徒たちも真似るようになった。こうなると崩れるのは早い。
 優れた実践を知らなければ危機意識も持ちようがない。
 できない自分に非があるという反省には至らずに、生徒のせいにしたり、家庭や地域のせいにしてしまう。
 当時の本川先生もそうであった。我流を通しているうちに生徒たちが荒れていった。
 本川先生の問題点は
(1)
挨拶ができていなければ、何度もやり直しをさせた。
(2)
一部の生徒の問題を、全体の問題にして、くどくどと説教をした。
(3)
過去のことを持ち出して「あの時もそうだった」などと責め、生徒の変容を認めなかった。
 どれも「禁じ手」である。生徒の自己肯定感を、むやみやたらに傷つける方法だからである。
 自己肯定感を高めていくために私たち教師の仕事がある。それを傷つけては生徒から忌避されて当然なのだ。
 生徒たちは次第に本川先生を呼び捨てにするようになり「タメ口」をきき、指示に従わなくなっていった。授業ができなくなっていった。
 心底困り、信頼できる教師に相談した。しかし、納得のいく答えは返ってこない。
「原因はこれだから、こうすればよくなる。そのためには、まずこれを学べ」というような具体的な対応策が一つも出てこなかった。
 教師が学ばず、実力を高める努力をせずに、失われた信頼と尊敬を取り戻すことはできない。
 信頼と尊敬のないところでいくら指導をしても、叱責をしても、生徒は聞く耳を持たない。
 だが、若い本川先生はそのことに気づかなかった。
 何をどうしたらうまくいくのかがわからず、指示してくれる教師もない。崩壊状態に悩み苦しみ、自分の力量では教師は務まらないと、ほどなくして退職をした。
 一旦退職した本川先生に臨時採用の話が舞い込んだ。数学の教師を探しているが見つからず困っているという。人助けのつもりで引き受けた。
 いざ赴任してみると、その学校は学級崩壊どころか、学校そのものが崩壊していた。授業中にもかかわらず廊下に生徒たちが寝そべり、罵声が飛び交っていた。
 その学校の教師たちの多くは、すべてを生徒のせいにするばかりで、悩んでなどいなかった。教師自らの非力が生徒に荒れた言動を取らせているのだという認識がなかった。
 ちょうどその頃、本川先生の子どもが中学生になろうとしていた。「こんな教師たちに子どもは預けられない」と憤り、教師に復帰することを決意した。
「今度こそ、学級崩壊はさせない。そのためには勉強するしかない」と意気込んで本屋に行って「女教師ツーウェイ」の本を買った。何度も読み込んだ。そこから、つぎのような変革が始まった。
(1)
全体を優先、個別対応は後にする
 一部の生徒ができていなくとも、全体を動かしてから、個別対応をするようにした。すると、まじめな生徒が安定した。
 また、ヤンチャな生徒も目立たずに指導されるので、素直に直すようになった。
 教師が怒る必要もなくなり、教室に明るい雰囲気が保てるようになった。
(2)
一時に一事の指示を徹底する
「教師がしゃべりすぎてはいけない」と本に書かれていたので、一時に一事を意識して指示を出すようにした。
 すると、全員が一つの指示で反応するのがよくわかるので、指示に従わない生徒への対応もしやすくなった。
 朝の会、帰りの会もプログラムをシンプルにし、司会者にテンポよく進めるように指導した。無駄を省くことも信頼を深める大事な術だと気づいた。
(3)
サークルに入り、模擬授業で指導を受けた
 自分が模擬授業を受ける身になると、教師の立ち居振る舞いの重要性が身にしみてわかった。
 例えば、生徒全体をくまなく見渡す。板書するときは、生徒に背中を向けずに半身になる。教科書を読むときは、どこから読むのか指を置いて見せるなど。
(4)
机間指導に赤鉛筆指導を取り入れる
 赤鉛筆で、勉強の苦手な生徒のノートに途中式を書き込む。時には答えを書き込む。全員のノートに丸をつける。
 そのような支援をすると、授業に参加する生徒が増えていった。
 自分の書いた答えが教師の目を通過していることで自信がつくのか、発表する生徒も増えた。
 生徒全体が思考している最中に、黙って個別対応ができるので、どの子も満足していった。
(5)
ノート指導を徹底する
 行間をあけた、余裕のあるノートを作らせるように、指導を徹底した。
(6)
趣意説明をする
 ノート指導、音読、鉛筆を使う理由など、趣意説明することで納得して行動する生徒が増えた。
(7)
個別評価する
 ノート指導、生徒の解答、一分間スピーチ、日記に対してその場で個別評価すると、生徒はより高い方向へ、さらに伸びようと努力をするようになった。
(8)
生徒の3倍動く
 清掃指導では、生徒の模範となるように、まず自分が動くことを心がけた。
 それも生徒と同じスピードではダメだ。教室・廊下・トイレ掃除をして教室にもどることが常となった。
 模範を示せば、生徒は自然と掃除をするようになる。
(9)
ほめて、ほめて、ほめまくる
 出会いからほめて、ほめて、ほめまくった。授業でも些細なことをほめた。
 よくやっている生徒をほめることで、生徒全体がほめられたいというムードになり、クラスが安定していった。
 静かな生徒も、赤鉛筆でノートにほめ言葉を書き込むとにっこり微笑んだ。
(10)
教師が笑顔で、自分自身が楽しむ
 どんな時も、どんなことも、笑って吹き飛ばすことにした。
 指示に従わないときも、アドバルーンが上がったときも、掃除をしない生徒がいても、笑顔を忘れないことを心がけた。
 全体の場では明るく、短く指導することで効果がでてきた。
 笑顔を保つことで、教師も生徒も楽しく授業ができることを学んだ。
 管理職から「管理職試験を受けてみなさい。あなたのやりたいことを実現する手段です。なってほしいと思う教師に声をかけているのです」と言われたという。仕事が評価されている証である。
(
本川由貴子:中学校数学教師
)

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子どもと関わり、成長していくのを見ることが教師としての私の喜びです

 東京都内の公立中学校に勤務する20年目の美術科女性教師。美術教師は「風変わりな教師が多い」とは世の風評だが、この先生もかなりユニークで、元気印教師。話を聞いてみた。
 私が教師になったのは「教師は時間があるから自分の絵を描ける」と思ったから。じつは大間違いだったけど。
 でも今は自分の作品を描くより、子どもに描かせる才能のほうがはるかにあると思う。
 ちょっとアドバイスしたら「あらら、この子、どうしちゃったの?」と思うくらい、いきなり二段階ぐらいうまくなっちゃうことがあるもの。
 そういう意味では、やっぱり私には教師が天職なんだと思うわ。
 私、中学教師って「おいしい仕事」だなって思う。ちっちゃな子どもだった子が3年間の間に一人前になっていく姿を目の当たりにする。
 しかも、家族にも見せない顔を、私たち教師は間近かでみることができるんですよ。
 中学時代って精神的に不安定なぶん、一生のうち一番キラキラ輝いているときじゃないかな。
 たとえば、すごい感性を持ってて、将来どんな作家、どんな芸術家になるんだろうって子がいる。
 そういう子を見ていると、きっと私たち教師だけが、その子の一生のなかで一番の輝きを見ているんだなって思うんです。
「最近、教師と子どもは信頼関係がないのでは?」なんて問われても、私にはなんとも言えないな。
 だって、子どもとの関係なんて、それこそ一人ひとり、みーんな違う。生徒も親も3年ごとに変わるでしょ。
 でも、私は子どもたちの本質は、どの学校でもそんなに違わないと思うんですよ。
 やっぱり、可愛がられたい、評価されたいという気持ちは同じだと思う。ただ、その表現の仕方が違う。
 中学生といえば思春期まっただ中。一年生のときは緊張感もあって大人しくても、二年生になると反抗期で生活が乱れたり、やる気をなくしたり、悩んだり。三年生になって受験体制に入るのが最近は遅い。
 子どもたちってね、あるとき教師を乗り越えていく瞬間がある。たとえば、教師の意図を超えていい企画が生まれたり、あっと思うような行動をすることがあるんです。
 それと「つぶしがきかない」というかな、生徒指導の方法として、一度失敗させて、自分たちで考えさせるという方法があるんですけど、今の子はそれができないんですよ。失敗するとシュンとなっちゃう。だから生徒との会話でもすごく気を使う。
 私は、生徒との関係に一番気を使っているんじゃないかな。なるべく子どもを追いつめないようにね。
 どんなふうに話すか、言っちゃいけない言葉は何か。その子との対話のなかで素早く嗅ぎ分ける必要がある。
 例えば、受験の前日に夜遅く生徒から電話があって、寝ぼけまなこで電話にでると「先生、明日の試験に行けません」と。
 最初の1,2分が勝負で、まず気を落ち着かせるために、私は「何があったか最初から話してごらん」と、その間にこっちはどう言うか考えるの。時間かせぎね。結局その子は説得されて受験しました。
 そんなふうに落ち着かせるときもあるし、場合によっては泣かせることもある。
 子どもへの対処は毎回違うんですよ。それがうまく当たると「ヤッた」という快感があってね。
 私は、いつも「基本的に、あんたが好き」って態度で生徒に接している。
 なかには合わない生徒もいますよ、合わない生徒に合わないことを悟らせないために、相手のいいところを探して「好き」になる努力をしますからね。
 だから、生徒がいやで教師を辞めたいと思ったことは一度もないな。
 私は、けっこう生徒たちと人生を語り合っちゃうんだよね。放課後とか委員会の後とかに。
 教師と生徒の関係って不思議でね。ときには恋愛関係よりも深いつきあいがあるんですよ。すごく深いむすびつき。なんていうか「あうん」の呼吸なのね。
 いわば会社でチームの仕事をしていて、有能な部下を持った上司の気分なのね。
 私は昔から、クラス担任だけじゃなくて、生徒会とか委員会とか、いくつも担当しているの。なんでかといえば、面白いから。
 それぞれの子どもへの関わり方が違うし、生徒を動かすというか、一方的な命令や管理じゃなくて、いろいろ指導していくうちに、こちらの意図を裏切って育っていく姿を見るのは本当にうれしいですね。
(
東京都公立中学校の美術科女性教師
)

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悩みや憎しみは、どんどん膨らんでいく、どうすれば楽になるのでしょうか?

 悩んでいる自分を認めず「こんなふうに悩んでいてはだめだ」と責めてはいけません。
 悩みは鎮まるどころか、かえって膨らんでいきます。
 悩みや憎しみや不快などのマイナス感情は、それを否定すればするほど、どんどん膨らんでいくのです。
 悩んでいる自分を否定するのではなく「ああ、自分には『教師を続けられないのではないか』という不安や自信のない気持ちがあるんだな」と、まず、認めること。
 そして、それをただただそのまま認め、眺めるような姿勢でいるのです。
 これができるようになり「ダメ教師としての自分」も、自分の一部として認めることができるようになると、そうした否定的な気持ちそのものが小さくなっていきます。
 重要なことは、何が出てきても、ただただそのまま認め、眺めるという姿勢です。
 実際に、悩みと上手につきあえるようになると、それまでのクヨクヨした心の重さが消えていき、生きることがだいぶ楽になっていくはずです。
 私のカウンセリング室に来られる人に「あなたは、どうなりたいですか」と尋ねると、多くの人は「悩みのない人生を送りたい」と言います。
 しかし、悩みがまったくない人など一人もいません。
 カウンセラーである私は、相談にくる人を「悩みがまったくない人」にしようとは思っていません。
 むしろ「悩みと上手につきあう方法を学んでもらう」お手伝いをしています。
 自分の悩みとの関わり方は、つぎのように3つあります。
(1)
感情を押し殺してしまう方法
 自分の悩みを自分から切り離して、自分の外に閉め出し、あたかも悩みなどないようにふるまう方法です。
「私は大丈夫、私は大丈夫・・・・・」と感情を押し込めていると、いずれ症状に出てきます。
(2)
いっぱい、いっぱいになって苦しんでいる状態
 悩みと自分が同一化してしまい、それにとりつかれてしまっている状態です。
「教師として、自分はやっていけないのではないか」という、いやな感じばかりが膨れあがり、やがてその悩みに覆い尽くされてしまう。
(3)
悩みを認めて、距離をとる
 自分の悩みを認め、それと同一化してしまうのではなく、外に追いやることもせずに、それを「認めていき」「距離をとる」方法です。
 悩み、うつ的な気分がある。そんな自分を否定するのではなく、そういう自分も、自分の一部だとそのまま認めていくのです。
「うつ」の人は考えすぎる傾向にあります。考えすぎると心のエネルギーは奪われていってしまいます。
 私は相談に来られた人に「どうやったら、考えすぎずにすむか、その工夫を一緒に考えていきましょうね」と言うことがよくあります。
 そして「悩みを認めて、距離をとる」方法を学んでいただくのです。
「私はダメな教師ではないか」とまじめな人ほど、ひたすら考えます。前向きな人であればあるほど、そこから脱出しようとして、もがき苦しみ続けます。
 しかし、それは不可能なので「やっぱりダメだ」となってしまう。脱出できるような悩みでしたら、うつにはなりません。
 どうしても自信がない。そうしたら、自信のなさやうつ的な気分をそのまま、認めていくしかないのです。
 認めて、しかしそれにどっぷりつからない。「自分の悩み苦しみと、一歩距離をおく」のです。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授。専門は臨床心理学、カウンセリング心理学。悩める教師を支える会代表。現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)

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子どもが変われば、保護者も変わり、教師を信頼する

 新年度が始まった4~5月。保護者たちからは、クラスへの不安が多くよせられました。
「いじめの加害者の〇〇さんと、また同じクラスになってしまった」
「うちの子は△△さんから手を出されたことがあるので心配」
など、わが子にのみ関心が向いている保護者がおおぜいいました。
 家庭訪問でこうした保護者の話を一つひとつていねいに聴きながら、学級経営と授業をしっかりやっていくことをはっきりと伝えました。
 子どものよいところを見つけて、教師がほめることからスタートし、子どもたちがお互いにほめ合う。
 さらに「ほめ言葉のシャワー」「成長ノート」などを通して、友だちのよいところを積極的に見つけていく。
 こうした繰り返しの中で、少しずつ自信をもっていった子どもたちは、学校での様子を積極的に家庭で話すようになりました。
 今まで、友だちや学校への不満をこぼしてばかりいたわが子が、ほめられた喜びや友だちのよいところを話し始めたことに気づいた保護者は「今年は、今までと違う」と感じてくださったようです。
 保護者が学校に抱くマイナスの気持ちをプラスに転換してもらうために、私は最初の授業参観で子どもたちの学び合いの姿を見てもらい、これまでの不満・不安をふっしょくしてもらおうと考えました。
 授業では、話し合いの場面を多く取り入れました。話をしている人の方に体を向けてしっかりと話を聴き、全員が自分の考えを自由の考えを自由に出し合う。
 正解を求めるだけの授業とは全く異なる話し合いの授業に、保護者は驚かれていたようです。
 授業参観の後、子どもたちの「成長ノート」を各自の机の上に置いておきました。懇談会で、わが子の席に座った保護者おもむろに「成長ノート」を広げました。
「成長ノート」は、筋目筋目に合わせた規範意識や育てたい目標など、学級の中で学ばせたい“価値ある行為”を、書くことによって意識化させるノートです。
「今日の話し合いの授業で学んだこと」など、私が提示したテーマについて、子どもたちは意見や感想を書いていきます。
「うちの子が自分の意見をこんなに書けるなんて知らなかった」
 初めて見るわが子の「学びの軌跡」に、保護者は高い関心を示していました。
「うちの子は、新しいクラスでやっていけるのだろうか」という不安が「子どもたちは変わろうとしている」という期待に変わっていく様子がまざまざと感じられました。
 教師の仕事は、日々の授業が中心です。全ての大切なことが授業の中に入っていると思っています。授業づくりには「これくらいでいいだろう」という妥協点はありません。
 私は一人ひとりの子どもの学習ノートや「成長ノート」に必ずコメントを添えます。
 子どもたちに伝えたい大切なルールや学習のポイントをまとめたプリントや、子どもたちの意見や感想を集約したプリントを作って配ることもあります。
 結果的に、子どもたちの学びの姿を保護者に伝えています。
 日頃のつながりとは、日々の授業の積み重ねです。あくまでも教師は、授業で子どもたちと向き合っていくことが大切だと思っています。
 日々の授業で子どもたちが育てば、それを実感した保護者も成長するのです。
(
菊池省三:1959年生まれ 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞)

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教師が学級崩壊など危機的状況になっても、乗り越え教師人生をまっとうしていくうえで支えになることとは

 教師の抱かえる悩みが、最初は子どもとの関係、保護者との関係などによって生み出されたものであったとしても、それだけで退職や休職に追い込まれるケースはそう多くはありません。
 同僚や管理職に仕事の悩みを相談できると答えた教師は約14%しかいません。学校現場において教師がいかに孤立しているかがよくわかります。
 同僚や管理職との人間関係ができていない教師が精神的に追い込まれていくのは、精神疾患による休職教師の約半数が、その学校へ転勤して2年以内に休職している、という事実にも示されています。
 こうした現状の中で求められるのは「お互いに、お互いを支え合う職員室」づくり「弱音を吐ける職員室」づくりです。
 私が多くの学校現場に足を運んできて最も強く感じたことのひとつは「管理職によって職場の雰囲気はこれほどまでに大きく影響されるのか」ということです。
 ある学校の教頭は、かつて担任だったとき、クラスが崩壊した経験があります。うつ病を患い、精神神経科のクリニックに通院していました。彼は次のように言います。
「今はこれだけ教師が大変なんだから、うつ病になるのは、まじめに教師をやっている証拠でしょう」
「だから、担任の先生方には、みんな抱え込まずに、支え合っていきましょう、口をすっぱくして言っているんです」
 この教頭先生は、自らつらい経験にしたことで、今、担任が助けを求めやすい雰囲気づくりに努めています。
 また、ある小学校教師はかつて学級崩壊を体験し、うつ病になった折り、休職をしようと相談にいった校長から、こう言われたと言います。
「うつ病になったのは、むしろ真剣に責任感を持って仕事をやっていた証拠だ。うつ病は教師の勲章だよ、きみ」
 校長からこの言葉をもらったのをきっかけに、この教師は回復していきました。
 結局、一度も休職せず、通院治療でうつ病を治すことができ、今では、ある小学校の校長になっています。
 この教師は言います。
「もしあのとき、校長はじめ、同僚の先生方から、厳しいことを言われて突き放されていたら、私はたぶんもう退職していたと思います」
「今、こうやっていることができるのも、校長や同僚に支えてもらったおかげです」
「教師にとって、同僚や管理職による支えほど、教師人生の危機を乗り越えるうえで大きな力になるものはないですね」
 学級崩壊のような危機的状況にあっても、その問題をみんなで共有できる学校では、ともに危機を乗り越えていくことを通して、一人ひとりの教師が成長していくことができるのです。
 教師には「学級経営の失敗をさらすのは恥である」といった意識の人がいます。
 しかし、担任が問題を抱え込むと、保護者との関係の悪化など、二次的な問題が生じる可能性が高くなります。
 このような悪循環を防ぐために必要なのは、早期発見、早期対応である。そのため教師には「じょうずに助けを求める力」が求められます。
 それが、これからの教師に求められる資質であると考えられるのです。
 不運にも現任校でそうした人が見つけられない場合には、一人悩みを抱かえるのではなく、外部の仲間や専門家に助けを求めることです。
 かつての同僚や管理職、初任者研修のときの同期の仲間、大学時代の仲間、教師のサポートグループや研究会で知り合った仲間などの中から、一人でもいいので「何でも言える人」「わかり合える仲間」を見つけていきましょう。
 そんな存在が見つかった教師は、回復を見せていく場合が多いのです。
 このような仲間の存在こそが、教師が幾度かの不調を乗り越えながらも、数十年の教師人生をまっとうしていくうえで、最大の支えとなるのです。
(諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)


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あなたに中学生の心が聞こえますか?

 中学校時代は小学校時代に比べて、あらゆる分野との関係が一気に拡大する「黄金時代」であるといえる。
 まず第一に、行動範囲が大幅に広がり、何かを実現することが可能になる。
 学校の自治を自分たちで行うという意識が生まれる。
 校則を吟味し、批判的精神をもって全てに耳を向け、受け入れるか否かを判断し始める。
 学校のひとつひとつの教科について「誰が」「何を」「どのように」教えているのか、そこにどんな価値が生まれるのか、実に気難しく考えるようになる。
 そして受け入れがたいものは、自らの手で行動を起こして、変えていこうという自主性が芽生える。個の確立にとってある意味、革命的な時期でもある。
 だから「黄金時代」と言ってみたものの、その反面、様々な抵抗を示す時期でもあり「暗黒時代」という、諸刃の剣的な言い方もできる。
 それと同時に、自分が不得意なものに粘り強く挑戦し、それを克服して自分を高めたいという知識欲も大変強くなる。
 例えば、私の場合、苦手だった数学を強くするため、1日に問題集を何十ページも自分に課し、正答率が自分の定めた基準以下だと、間違えた問題1題につき問題集を1ページを追加した。
 中学生にとって、自分の努力に対する他人の評価はもちろん大切である。
 その一方、「評価されればそれでいい」ではなくて、その真価をちゃんと評価してくれているのかどうか、評価の理由付けも大きな意味を持つ。
 ちゃんと相手が自分を見て、理解した結果の評価なのかが、逆に相手への、自分なりの評価軸になる。
 受け入れるものと、受け入れないものとの、自分なりの基準を作り上げるのも、この時期である。
「認められたい相手」と「認めない相手」とを明確に差別化する。
「認めない相手」に対しては「一見、従順な無視」をもって向き合う、静かなる反発も始まる。
 また「無関心さ」が顕著に現れるのもこの中学校時代である。
 中学校時代は自分の力を最大に発揮する挑戦の始まりの時期です。
 それだけに、定められた規範が与える保障と制約をうとましく思い、自我の芽生えて、その保障と制約から飛び出して自分独自の何かを確立したいという葛藤が生まれる。
 その結果、自分を取り巻く人間関係もより複雑になり、ぶつかり合うことが多くなる。
 この繰り返しからの中から「過去」を壊して「未知なる何か」を求めるため、楽しいようで、全ての挑戦からあらゆる不協和音が生まれる。
 あまり良い思い出がないと中学生時代を振り返る人が多い。
 中学校時代は、皆、自分を発揮し始め、人間関係での葛藤や自意識過剰や人に認められたい願望が高まり、そこからいろいろな新しい視座獲得の時期を迎えている。
 中学校時代とはまさに「過去と現在から離脱し、未来へ向けての冒険の旅につながる第一のトンネル」である。
 そんな中学校時代でもがいている時、言葉はある意味、当てにならず、その答えは中学生の行動、まなざしの中にあるのだ。
(
長谷部葉子:東京都出身、慶應義塾大学准教授。不登校、高校・大学受験失敗などの経験から、20歳代半ばで寺子屋を立ち上げ、教育支援に携わる。教育とコミュニケーションを研究
)

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教育実践で、一般的法則をつくり出すことができるか

 教育実践家の中で一般的法則をつくり出す教育実践「学」への志向をもっていた人はそれなりにいるが、その強さにおいて昭和を代表する教育実践家の一人の斎藤喜博は特筆すべき存在である。
 斎藤喜博は、次のように書いている。
「教育実践家の幸福の一つは、実践がわれらに無限の教育問題を投げかけてくれるということである。実践によってわれわれ自身の学問ができるということである」
「われわれの研究は教育することである。それは、われわれ自身を高め、同時に子どもたち一人ひとりを高める仕事である」
「教育実践家は指導記録をとって、学者はそれを読み、実際を見て、それを理論づける義務がある。そういう立場から打ち立てられた教育学は、実践家の役に立つ科学的な教育学となるわけである」
 そして、この主張は後年まで変わることなく「科学的な教育学」つまり「教授学」となっていくのである。さらに
「つくりださなければならい問題は、教授学および授業展開の一般的法則をつくり出すことである」
 そして、斎藤喜博が教育研究者に要請することは、
「人間として豊かなものをもつ。事象を全体的・総合的にとらえる。ひとつの具体的事実の中に本質的なものをつかみとる力をもつべき」
「そのためには、創造体験をもつべきであるし、自分で授業に立ち向かう体験をしてみることが必要ではないか」と
 斎藤喜博の教授学のキーパーソンになったのが元東京大学教授の稲垣忠彦氏である。その稲垣氏は授業の定型化を基本的には否定的に評価している。
「授業の定型化は、現象としては授業の手続きが固定化し、授業が一定のパターンによってわくづけられていることを意味している」
「実践の主体である教師に即してみるならば、授業における目的・内容の選択が限定され、授業の過程における子どもへの対応力が失われ、教師の方法の選択が限られていることを意味している」
「明治以降の規範的な定型の支配が一般的であった」
「このような状況の克服の努力の一つに斎藤喜博の実践がある。39年間の教師生活を通じて、多くの教師との協力によってつくられてきた授業の事実を重要なてがかりとして、授業を創造しつつ、その理論化をすすめている」
 しかし、教育実践、特に授業実践を科学研究や芸術創作の成果と結びつけながら、新しい教育学、いわゆる教授学をつくり出す仕事は言うほどには容易なものではなかった。
 斎藤喜博にしても稲垣忠彦氏にしても、教科の最新の研究成果、すぐれた授業実践、それを理論化する研究の成果を総合することが教授学構築の課題であることを鮮明にしていたが、実際は高い壁に直面していたことになる。
 授業は基本的に教師と子ども集団との間の言語的コミュニケーションの過程である。
 その進行過程ははなはだ不安定なもので、常に予定する軌道からはずれる危険性をはらんでいる。
 しかも授業というものはテレビ番組のように予定通りの進行が保たれることに価値があるものではない。その安全な進行を虜るあまり、子どもたちの感性の発想から遠くなってしまう事態がしばしばおこる。
 教師の予定や想定を越える進行が起こったとき、子どもたちの認識活動がかえって活性化するという性格をはらんでいる。
 それはある意味で授業というものがもつ宿命なのである。
 斎藤喜博は、島小学校の実践を背景にして、次のように書いている
「一時間の授業で、子どもや教師が対決し、火花を散らし、つぎつぎと真理を追及し、子どもたちがへとへとになって、満足しきる」
「このような授業をしていれば、子どもたちは自分を出しきり、つかみとった満足がそこにはある」
「専門家である教師がやる授業は、子どもたちが自分の力を出しきり、正確な知識を獲得し、新しい認識とか創造とかをし、それを翌日の授業に持ち込むようなものでなければならない」
「そうなるような必然性とか法則とかを、授業はもったものでなければならない」
 斎藤喜博は学校における一時限の授業の充実、そこに生きる子どもたちの集中と解放にすべてを賭けたのだと思う。
 斎藤喜博がたくさん書き残した教師論も授業技術論もそのためにあり、そういう授業の実現を可能とする学校を各地につくろうとして晩年、全国を行脚することになったのである。
 しかし、教育の世界は、このような方向を追究することにはならなかった。
 子どもたちのために一時限の授業づくりに苦闘する道を選択することはしなかった。
 それよりは、できるだけ楽にやれる道を求め、教育ジャーナリズムもそれを推奨したのである。
 しかし私は、日本の教師たちが一時限の授業に集中と解放を実現することに、教師としての生きがいや喜びを見出す日がいつかきっと来ることを信じたい。
 そのときのために、斎藤喜博の思想や真の姿を後世の伝えておこうとしているのである。
(横須賀 薫:1937年生まれ、元宮城教育大学学長・十文字学園女子大学学長。教員養成や授業に関する研究を主に行った)

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ささいなことで苦情を言い、攻撃的になる保護者にどう対応すればよいか

 6年生の保護者のDさんは、自分の気持ちが滅入ると担任や教頭に電話をかけてくる。
 内容は「子どもが遅く帰ってきた」とか「子どもがすり傷をしているがどうしたのか」というささいなことなのだ。
 会話をさえぎったり否定するようなことを少しでも言うと、豹変して攻撃的になる。
 自分の正当性を主張し、さらに恫喝したり、威嚇するようなことを言い、気持ちがおさまるまで延々と続くことがしばしばある。
 教育委員会などに、学校や教師のうそを言い広め、担任は精神的に消耗してしまった。
 どうすればよいのでしょうか。
 苦情を言うことで自分の気持ちをはらそうとする保護者は、時間も気にせず、あることないことを言いふらすことも多く、相手をしていると精神的に消耗してしまう。
 実際、担任が電話で対応すると教頭や校長の悪口を言い、教頭が対応すると担任を批判する。校長が対応すると担任と教頭の批判をする。
 組織内の人間関係を悪化させるような発言をする保護者がいて困ったというケースもある。
 この保護者のDさんの場合、虚言、操作性、衝動性、依存と攻撃の併存など、母親本人の心の問題が懸念される。
 対応にあたっては、必要以上に巻き込まれないように注意する必要がある。
 具体的には
(1)
だめなこと、できないことは、はっきりと言う。
(2)
身の上話に同情しすぎない。
(3)
あわてず騒がず、冷静に対処するように心がける。
 保護者から聞かされた内容を一人で持ちこたえるのが大変な場合には、信頼できる先輩教師や管理職、スクールカウンセラーなどに相談しアドバイスを受けるようにする。
 少しでも心の負担を軽くすることが自分自身のメンタルヘルスのために必要である。
 また、校内の教職員間の連携をしっかり取って情報を共有すること、関係する外部機関とも情報交換をこまめに行うことも忘れてはならない。
(新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)


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授業崩壊の予防に効き目バツグンの予防薬とは

 授業崩壊の予防の秘訣は、子どもたちが静かに集中している状態を自覚させることです。
 子どもたちの中には「集中しなさい」と言われても、何をすることが集中することなのか分からない子がいます。
「集中する」とはどんなことなのか、体験的に理解させます。
 子どもたちがわき目もふらず、無言で学習に取り組んでいる瞬間をとらえて、
「みんな、鉛筆を一度置いて聞いてください」
「今、みなさんは、とても集中していました。立派です」
「これが集中して学習するという状態です」
「これを1年間続けましょう」
「そうすると、とても賢くなり、勉強ができるクラスになります」
「集中しようと、先生が言ったら、この感じ、この雰囲気を思い出してください」
「集中しているみんなの姿を見ていると、とても気持ちがよいです」
「では、続けてください」
 このように、子どもたちが静かに集中している瞬間に、そのことを自覚させ、それはよいことだと価値付けるのです。
 すると、集中する状態がさらに定着するようになります。
 授業が荒れ崩壊する予防に役立ちます。
 子どもが静かに集中する状態になるためには、私が「この状態が続けばいいのになあ」と感じた瞬間に次のようにほめて、その輪を広げます。
「言われなくても、姿勢のよい人がいる。すばらしい」
「とても姿勢のよい人が3人います」
と言いながら、姿勢のよい子にハイタッチをしにいきます。
「さすが〇組、やる気が姿勢と目に出ているねぇ」
「うなずきながら聞いてくれる、うれしいな」
「だれも、しゃべらないで、書くことができています。さすがだなー」
「足をしっかりと床に付けている。だから姿勢がいいんだねぇ」
 そのときの状況に合う言葉かけ、自分に合った言葉かけを見つけて試してください。
 ほめるときは、声に抑揚をつけると子どもの反応が変わります。例えば、静かな状況では、ささやくように小声でほめると効果的です。
(
西野宏明:1983年生まれ、東京都公立小学校教師。教育サークル「オリエンタル・レボリューション」代表
)

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