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教育実践で、一般的法則をつくり出すことができるか

 教育実践家の中で一般的法則をつくり出す教育実践「学」への志向をもっていた人はそれなりにいるが、その強さにおいて昭和を代表する教育実践家の一人の斎藤喜博は特筆すべき存在である。
 斎藤喜博は、次のように書いている。
「教育実践家の幸福の一つは、実践がわれらに無限の教育問題を投げかけてくれるということである。実践によってわれわれ自身の学問ができるということである」
「われわれの研究は教育することである。それは、われわれ自身を高め、同時に子どもたち一人ひとりを高める仕事である」
「教育実践家は指導記録をとって、学者はそれを読み、実際を見て、それを理論づける義務がある。そういう立場から打ち立てられた教育学は、実践家の役に立つ科学的な教育学となるわけである」
 そして、この主張は後年まで変わることなく「科学的な教育学」つまり「教授学」となっていくのである。さらに
「つくりださなければならい問題は、教授学および授業展開の一般的法則をつくり出すことである」
 そして、斎藤喜博が教育研究者に要請することは、
「人間として豊かなものをもつ。事象を全体的・総合的にとらえる。ひとつの具体的事実の中に本質的なものをつかみとる力をもつべき」
「そのためには、創造体験をもつべきであるし、自分で授業に立ち向かう体験をしてみることが必要ではないか」と
 斎藤喜博の教授学のキーパーソンになったのが元東京大学教授の稲垣忠彦氏である。その稲垣氏は授業の定型化を基本的には否定的に評価している。
「授業の定型化は、現象としては授業の手続きが固定化し、授業が一定のパターンによってわくづけられていることを意味している」
「実践の主体である教師に即してみるならば、授業における目的・内容の選択が限定され、授業の過程における子どもへの対応力が失われ、教師の方法の選択が限られていることを意味している」
「明治以降の規範的な定型の支配が一般的であった」
「このような状況の克服の努力の一つに斎藤喜博の実践がある。39年間の教師生活を通じて、多くの教師との協力によってつくられてきた授業の事実を重要なてがかりとして、授業を創造しつつ、その理論化をすすめている」
 しかし、教育実践、特に授業実践を科学研究や芸術創作の成果と結びつけながら、新しい教育学、いわゆる教授学をつくり出す仕事は言うほどには容易なものではなかった。
 斎藤喜博にしても稲垣忠彦氏にしても、教科の最新の研究成果、すぐれた授業実践、それを理論化する研究の成果を総合することが教授学構築の課題であることを鮮明にしていたが、実際は高い壁に直面していたことになる。
 授業は基本的に教師と子ども集団との間の言語的コミュニケーションの過程である。
 その進行過程ははなはだ不安定なもので、常に予定する軌道からはずれる危険性をはらんでいる。
 しかも授業というものはテレビ番組のように予定通りの進行が保たれることに価値があるものではない。その安全な進行を虜るあまり、子どもたちの感性の発想から遠くなってしまう事態がしばしばおこる。
 教師の予定や想定を越える進行が起こったとき、子どもたちの認識活動がかえって活性化するという性格をはらんでいる。
 それはある意味で授業というものがもつ宿命なのである。
 斎藤喜博は、島小学校の実践を背景にして、次のように書いている
「一時間の授業で、子どもや教師が対決し、火花を散らし、つぎつぎと真理を追及し、子どもたちがへとへとになって、満足しきる」
「このような授業をしていれば、子どもたちは自分を出しきり、つかみとった満足がそこにはある」
「専門家である教師がやる授業は、子どもたちが自分の力を出しきり、正確な知識を獲得し、新しい認識とか創造とかをし、それを翌日の授業に持ち込むようなものでなければならない」
「そうなるような必然性とか法則とかを、授業はもったものでなければならない」
 斎藤喜博は学校における一時限の授業の充実、そこに生きる子どもたちの集中と解放にすべてを賭けたのだと思う。
 斎藤喜博がたくさん書き残した教師論も授業技術論もそのためにあり、そういう授業の実現を可能とする学校を各地につくろうとして晩年、全国を行脚することになったのである。
 しかし、教育の世界は、このような方向を追究することにはならなかった。
 子どもたちのために一時限の授業づくりに苦闘する道を選択することはしなかった。
 それよりは、できるだけ楽にやれる道を求め、教育ジャーナリズムもそれを推奨したのである。
 しかし私は、日本の教師たちが一時限の授業に集中と解放を実現することに、教師としての生きがいや喜びを見出す日がいつかきっと来ることを信じたい。
 そのときのために、斎藤喜博の思想や真の姿を後世の伝えておこうとしているのである。
(横須賀 薫:1937年生まれ、元宮城教育大学学長・十文字学園女子大学学長。教員養成や授業に関する研究を主に行った)

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