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2019年1月に作成された記事

子どもは気質によって受け取り方が違う、気質によってどのような言葉かけをするとよいでしょうか

 人間はそれぞれ違った気質を持って生まれます。同じ言葉をかけても、ある子は喜び、別の子は傷つくことがあるように、気質によって受け取り方が違います。
 ですから、子どもの気質を知ってそれに合った言葉かけをするとよいでしょう。
 また親と相性が合う子、合わない子がいます。親は自分の気質を知るとともに子どもの気質にも目を向けてみると、子育ての大きな助けになるでしょう。
 気質は胆汁質・多血質・粘液質・憂鬱質に分けることができ、シュタイナー()はそれぞれの気質をよく知って教育を行うことが大切だと述べています。
(1)
胆汁質の子ども
 自己主張がはっきりしていて、意志が強く、言葉もはっきりしています。口答えする生意気な子どもに見えてしまいます。
 意志がはっきりしているので反抗もしますし、生意気な行動を取って怒られたりします。
 叱られやすいので、納得できないと荒れてしまいます。子どもの話を「そうだったんだ」と同調して聞いてあげることが大切です。
 「子どもだから仕方がない」ではなく、どこかで「これはすべきではない」という止める規準をつくり、ブレーキをかけます。
 頭ごなしに叱るのではなく、子どもが落ち着いてきたら、話をしたり、手で示したりして実際にやってみせてあげて、なぜいけないのか納得させるとよいでしょう。
 小学三年生くらいから考える力がついてくると自己分析もでき抑制力がついてくると努力をするようになります。
 正義感が強く論理性があり弁も立つので優れたリーダーシップを発揮できるようになります。
(2)
多血質の子ども
 いろいろなことに興味を持つために、落ち着きがなく、一つのことに集中するのが苦手です。
 遊びが定まらず、今ここにいたかと思ったらすぐ次の遊びに行きます。
 何にでもすぐ反応してしまいますから「落ち着きなさい」と言いたくなりますが、そうすると余計に落ち着かなくなってしまいます。
 おおざっぱな生活リズムをつくることが大切です。
 朝は散歩をする。時間になったら昼寝をする。起きたらおやつにする。寝る時間になったら寝かせる。といった大きな生活リズムにだけ神経を使い、それ以外は使わないようにしましょう。
 次々関心が移る子どもにいちいち対応していると親の方が疲れてしまいます。淡々と生活しましょう。
 子どもが目移りしないように、たくさんの物があふれないよう、余計なものはしまっておいた方がいいでしょう。狭い閉じられたところで自由に遊ばせるのがよいと思います。
 話言葉は「やった」「だから」と言うように、脈絡がわからないので何を言っているのかわからないことも多いです。
 人と接するのが好きで、どんな人ともつきあうことができ、まわりの人を明るくさせ、大人からは可愛らしく見え好まれます。人と人を結びつける潤滑油的なところがあります。
(3)
粘液質の子ども
 ゆっくりしすぎるほどゆっくりしています。一つのことをすぐに止めて、次のことに移ることが難しい傾向があります。
 言葉を発しにくく何を言っているのか分からない場合があります。
 遊びを邪魔されても、ぼーっとしていて抵抗があまりありません。言葉をあまり発しません。
 目立たないけれど、存在感がある。任されたら仕事はきちっと仕上げるので、まわりから信頼を得られる人です。
 こつこつ仕事をこなしますから、同じことを緻密にやらなければならないような仕事に能力を発揮します。
 間違いをして叱られてもそうひどく落ち込まないのも特徴です。
 ゆっくり話ますので、聞くのに時間がかかります。やさしく、できるだけゆっくりと話を聞いてあげることです。
 基本的に豊かなファンタジーの力を持っていますのが、身体が重いような感じで、動くことが少なくなりがちです。
 そこで意識的に少しでも動きやすい、まわりでみんなが遊んでいるような場所に連れて行った方がいいでしょう。
 大きくなってから動かそうとしても無理ですから、小さいときから動く喜びを体験させてあげてください。
(4)
憂鬱質の子ども
 孤独感がただよい、社交性がなく、何かを極めていく人という感じがします。
 特定の人以外は自分を閉ざし、顔つきもあまり明るくはなく、いつもちょっと悲しそうな表情をしているように見えます。
 言葉ははっきり出てくる方ですが、砂遊びのようなことはあまり好みません。
 自分のことが話題になるのを好まないので、ほめられたとしても傷つくときもあります。
 叱られたりすると「自分はダメだ」とひどく落ち込みます。傷つきやすいのが特徴です。
 基本的に脚光を浴びることを好まない。仕事にじっくり取り組むことが好きで正確さを重んじます。
 緊張度が高いので親には本心が話せても、教師には話したがらないことがあります。その意味では、親が話を聞いてあげることが必要な子どもだと言えます。
 育てやすいと感じる子どもは自分の気質によく似た子どもでしょう。
 しかし、可愛くない、憎らしいと思ってしまう子どもも自分の気質に似ていることがあります。
 親が自分の嫌なところをわが子に見てしまうと、その子が嫌いになり、自分にないものを持っている子どもが可愛く感じるということもあるのです。
 つまり、親が自分の中の何を見ているかが、子どもの好き嫌いを左右しているわけです。
 気質はあくまで子どもを見るときの視点の助けです。気質を裏付けにして子どもを観察するのです。
 それなのに「だれだれは、どういう気質である」という決めつけをして、それだけで子どもを見ようとすることは、子どもを見る目をさまたげることになります。
 どうかこのことを忘れずに、上手に気質を利用してください。
(
)ルドルフ・シュタイナー:1861- 1925年、 オーストリア出身の神秘思想家、哲学博士。シュタイナーの人間観に基づき、独自の教育を行うヴァルドルフ学校は600校。
(
堀内節子:小学校教師を経て1975年に愛知県豊橋市に「にじの森」幼稚園を開園し前園長。シュタイナー教育を取り入れた幼児教育を実践)


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親に反抗的な態度をとって、親の言うことを全く聞かないと悩む保護者に、どのように言えばよいのでしょうか

 わが子が何かと親に反抗的な態度をとって、親の言うことを全く聞かないと深刻になっている保護者がいます。どう助言すればよいのでしょうか。
「甘やかしすぎたのでは」と、保護者のせいにするような助言は、ますます保護者を悩ませます。
 よく保護者が教師に「先生から、きつく言ってください」と、頼むことがあります。
 それを真に受けて厳しく子どもを叱っては、子どもはさらに親にも教師にも反抗的になり、信頼関係にも悪影響が出てしまいます。
「お母さん、心配してたよ」と、子どもを優しく諭すことです。
 小学校の高学年になると、親の言うことを聞かなくなり、注意すると「ウルセー」と反抗的な態度をとる子が増えます。
「素直な子だったのに」と、わが子の態度にいらだつ保護者も少なくありません。
 保護者会や個人面談で、わが子の反抗的な態度に悩む保護者をよく見かけます。
 子どもは成長するにつれて、大人の行動を客観的に見るようになります。最も身近な大人は親です。
「お母さんも、できてないじゃん」「口ばかり」と、理想的なことばかり望む親に反抗的な態度をとることもしばしばです。
 それが、子どもの自立の準備であり、成長とも言えます。
 子どもは自立するものです。
 親は頭では、わかっているのですが、わが子となると、つい感情的になってしまうのです。
 客観的な立場から、子どもの成長を保護者に伝えるのも教師の役目です。
 子どもは、注意すればするほど反発するものです。
「誰もが通る道」「反抗期があるほうが、健全なおうちですよ」と、子どもの成長を喜ぶことで、保護者が対応を考えるきっかけにしたい。 
 決して頭ごなしに叱るのではなく、例えば「いつ勉強を始めるの?」と、子どもが自分で決めて行動できるような方法で導くことが大切だと、保護者に助言しましょう。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる) 

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教師が最初の3年間をどのように生きるかは決定的な意義をもつ

 教育という仕事は、子どもたちの生命に火を点じて、これを目ざめさす点にある。
 それはまた、真に主体的に自己を確立させることだといえましょう。
 それには、何よりも先ず、教師自らが生命に火を点じなくてはならぬからです。
 かくして、真の教育は、教師自身が自ら主体的に生きることによってのみ、行われると言えましょう。
 教師として、ひとかどの生き方をしようとするためには、最初の3年間をどのように生きるかは、その人にとって決定的な意義をもつ。
 これは不動の真理といってよいと思います。
 では、その3年間の基礎時代に、われわれ教師はいったいどのような生き方をすればよいでしょうか。
 大別すると。
(1)
教材に関する問題
 子どもの実力に大きなひらきができるということは、教師の教材に対する研究というか、そのこなし方が不十分ということが、何といっても一番大きな原因といってよい。
 教科書の研究は、少なくとも3種類以上の、他の教科書会社の教科書の研究を全学年にわたりする必要があると思う。
 次に、教授法の研究です。学校現場のすぐれた実践人の実践記録につねに最大の関心を寄せる必要があると思います。
 こうした研究は、自分ひとりでやるよりも、グループでやる方が、比較的やり易いと思います。有志が集って、そうしたグループを作るようにするのがよい。
(2)
授業の仕方に関する問題
 学習指導で一番大事なことは、基礎学力です。
 どうすれば子どもたちの基礎学力をつけることができるでしょうか。
 要するに、まず国語の本をスラスラ読めるようにすること、算数の四則をしっかり身につけさせることは、不動の鉄則といってよいでしょう。
 教師は1時間に少なくとも3回は机間を巡視して、1回に3人から5人くらいの子どもに、たとえホンの一言でもよいから言葉をかけて、その子どもの学習状態に一つのクサビを打ち込めるようでありたいと思います。
 板書は、芦田恵之助先生に教わったことですが、一字一字を清書のつもりで、ていねいに書くように努力してください。
(3)
学級経営
 学級経営の一番大事なことは、いうまでもなく、子どもたちの心をつかむことであるといえましょう。
 それには、教師も子どもも等しく一人の人間であるという自覚に立って、子どもたちが考えていることを、自由に話させるようにさせることだといえましょう。
 たとえ教師が、子どもを思い心から愛していたとしても、それが保護者の心に通じる具体的な通路がひらかれていなかったとしたら、保護者は心を開いてはくれないでしょう。
 教師の子どもたちへの愛情が、親たちに分かるようになるには、持続的な努力以外にその途を知りません。
 例えば、ノートや作文など子どもたちの提出物を、丹念に心をこめてみてあげることも、保護者の立場からは、その教師の愛情を最も端的に伺い知る事柄といってよいでしょう。
 家庭訪問で大事なことの一つは、必ず長所を聞き出すことを忘れてはならない。
 そうすると、その後親たちにも、わが子の教育方針に、方向転換を与えるキッカケともなります。
 教師の実践の研究は、到達した結論のみでなく、プロセスの記録の方がより大切であり、意義が深いと考える。
(4)
生活指導
 非行の問題は、その原因が家庭における愛情の欠乏にあるわけですから、根本対策としては、保護者を説得して目覚めさせるしかない。
 しかし、それが不可能な場合は、教師自身が、親代わりになって、どこまで愛情を注いでやれるかの問題だといってよいでしょう。
 そして、クラスの子たちが「あんな子にしたのはわれわれの共同責任だ」と考えるようになり、クラス全体の空気を高めることが出来たら最高です。
(
森 信三:1896年-1992年、愛知県生まれ、哲学者・教育者。全国を教育行脚した。神戸大学教育学部教授、神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設)

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教師が身につけておくとよい「生き方や考え方」とは何か

 教師はプロフェッショナルであると私は考えている。
 しかし、人並みのあいさつもできず、時間も厳守できず、人とも談笑もできないプロフェッショナルになってはならない。
 教師は人間味があって世間の常識もわきまえ、人生を肯定的に生きている人である。
 教師がそうなるためには、何を心がけるとよいでしょうか。そのためには
1 生き生きとした教師
 生き生きとした教師とは、若年寄でない教師のことである。
 若年寄の教師は、よくいえば素直であるが、わるくいえば覇気がない。
 若年寄りの教師は、いかにも重厚で人生のことは何もかも承知している雰囲気の人である。
 若年寄の教師は、子どもとの心のふれあいがもちにくい。
 こういう人は、本当の自分を抑えて外界にあわせて生きている。
 人に気に入れられるための人生であったことにやがて気づき、ある年齢になってから猛烈に自分を取り戻したくなる。
 しかし、今さら人の期待にそむくわけもいかず悩むことになる。
 人生は人に好かれるために生きているのではない。何かをなすために生きているのである。
 教師は無軌道になるくらいの自由な精神の持ち主になる方がよい。
 仕事も楽しくなるし、私生活も豊かになるからである。  
2 創造性のある教師
 創造性は感情と知的レベルのものがある。
(1)
感情レベルの創造性
 感情レベルのものとは、うれしいときにはうれしい顔ができ、泣きたいときには泣けることである。
 つまり感情表出の豊かな教師が創造性の高い教師ということになる。
 これをタイミングよく行っている教師が「自己開示」の上手な教師である。
 教師が自己開示するから、子どもたちも自己開示しやすくなり、そこに心のふれあう人間関係が生まれるのである。
(2)
既存のものに「新しい関係」を発見する能力
 これは知的で思考を要する作業である。じっとしているだけでは出てこない。
 つぶさに知りつくそうとしているうちに、新しいアイデアが生まれるのである。
(3)
既存のものを「発想の転換、柔軟思考」で、新しい意味を発見する能力
 創造性の乏しい人は、それまで教わった意味づけしか知らないので、それ以外の受け取り方が思いつかない。それゆえ、世も末だと思い込んでしまったりする。
 創造性が育つためには、行動の自由と特定の「ねばならぬ」思考から解放されることである。
 創造性の育成がなぜ大事なのかを考えると。今の世の中は昔のように行動様式や教育の指導法が一定していないからである。
 それゆえ、そのつど頭を働かす必要がある。
3 生きがいをもつ
 教師は子どもの模倣になる立場である。
 それゆえ自分の実感から生きがいのある人生観をもつ必要性がある。
 生きがいとは、人生に生きる意味があり、虚無感や無気力、自暴自棄にならず、人生を楽しんでいる状態である。
 生きがいが生じるためには、
(1)
時間の流れの中で今を見つめること
 悩む人、落ち込む人、絶望する人は、今が人生のすべてであると、今しか目には入らないからである。
 行動科学の理論を知っていれば先を推論できる。またイマジネーションを利用し、自分が子どもや親に感謝されている状況をイメージして生きがいを作り出すのである。
 もう一つあげると、自己暗示で「人生に八方ふさがりはない」「朝の来ない夜はない」等を信じるのである。
 私は苦境のとき、こういった教えを心に秘めて人生の希望を見出したことが何回もあった。
(2)
自分の役割をもつ
 自分の居場所があるということである。
 それゆえ、教師が学校、家庭、サークル、仲間づきあいで自分の役割をもつ体験はきわめて大事である。
 役割には必ず権限と責任が伴うのでグループ体験をすることが自分の「生きがい」を育てることになるのである。
 学校行事を教師が協力してこなす体験は、他の関係の中で自分を自覚する生きがいの源泉であるといえよう。
(3)
人と感情交流をもつ
 人は孤立感が強いとき生きる意欲は出てこない。
 他とのつながりがあるときには人生のフラストレーションに耐えることができる。
 これまで親・配偶者・上司・同僚に今まで「してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を思い出す。
 これによって感謝の念が湧きおこってくるのである。
4 人生哲学
 哲学というのは私たちの言動の前提になるものである。
 哲学(思想)があるから感情も生じるのである。
 生活を通じて哲学を吟味することである。
 この前提が定まらないと、子育ても教育も一貫性が出てこない。
日常生活の前提(哲学)を提言すると
(1)
自分が人生の主人公である
 自分が自分の主人公であるという勇往邁進(目的に向かって,わきめもふらず勇ましく進んで行くこと)の気概をもつことは好ましいものである。
(2)
「べき」からの解放
 「人は○○すべきである」等の「べき」がある限り、自己嫌悪、人を嫌悪、人生をうらむという結果になるのが常である。
5 余暇と教養
 教師の仕事はストレスの多い仕事である。
 良心的な教師ほど「燃え尽き症候群」になりやすい。
 燃え尽き症候群にならないためにも、人生を楽しむためにも余暇の使い方と教養を豊かにすることは大事である。
 人生とは時間をいかに費やすかである。
 時間の費やし方にバランスのある人が生き方のモデルになる。
 人生は仕事のほかに、余暇活動、つきあいなど時間の費やし方がいくらでもある。
 それぞれを上手にバランスをとって生活に組み込んでいる人が人生の達人である。
 完全癖から脱却することである。
 時間がいくらあっても足りない。そこで重要度にランキングをつけて、低位のものは切り捨てることである。
 教師にとって教養は、人生を自分の専門である教職以外の目で見るという意味がある。
 プロは時々刻々と変動する状況の中でそのつど、自分で判断して行動を選ぶところにある。
 自分の専門だけを拠りどころにしては判断を誤ることがある。
 子どもの人生に関わる教師としては、幅広い教養にふれて、できるだけ複数の観点になじんでおく方がよい。
 例やたとえ話に不自由しないし、子どもたちに共感的に理解を示すことができる。
(
國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長なども歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)
 

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俺流の生徒の叱り方と学級崩壊に陥らないようにする方法とは

 学校の教師というのは勉強を教えるだけが仕事じゃないはずです。その子と向き合って心を揺さぶることも仕事ですから。
 俺は生徒たちと対立しても、気持ちでは絶対に引かない。自分が引いた線からは絶対に引かない。
 俺は生徒たちに情熱と正論で突っ張る。生徒たちは彼らなりの理屈で突っ張ってくる。
 その二つがガチンコになると、最後には絶対に、情熱と正論が勝つんです。教育の場では、絶対にそうなるんです。
 おまえの人生のためにおかしいだろうっていうのが教育の場では正論なわけです。
 今やっていることは正しいのか、正しくないのかは、生徒たちの心の中では、みんなわかっていますからね。
 しっかりと叱って、その子が涙を流した後に、黙ってギュッと抱きしめてあげれば、それでその子が変わってくる。
 問題児として、くくってしまったら、どんどんひねくれた方向に行ってしまう。
 俺なりに気をつけていることは、叱りっぱなしではなく、叱った理由とか、俺の本気の思いなどを、後からしっかり伝えてあげるということです。
 ほんとうに思いがあるなら、それはできるんです。
 もちろん、俺が叱ったら、生徒たちはみんな泣きます。俺は本気で叱りますから。
 でも、その後に「ちょっと来い」と。
 それで「叱った理由はわかるか?」って話をする。延々と説明します。
 そうなると方法論じゃないんですね。
 ほんとうにこの子のことが大事だと思ったら、ダメなことはダメと言わなきゃいけない。
 なのに、今の大人は、子どもたちを叱らなきゃいけないときも「いいよ、いいよ」と言って、優しさと甘さの線引きをぼやかしてしまう。
 そうすると、必ず子どもは、ぼやかされた線のところを行ったり来たりする。
 思いっきりそのままの気持ちを伝えることのほうが大切だというのに。
 俺は、教育にとって肝心なことは、今、自分の気持ちが子どもたちに届くときに、何をするかということに尽きると思うんです。
 先生が迷っていたら教育の答えは絶対に出ない。精一杯、動くほうが大切なんだと思います。
 知らない街を旅しているのが子どもで、教師はガイドだと思うんです。
 教師は「大丈夫だよ、この道だ」と言って、子どもと一緒に歩いていく。信念をもって共に道を探すガイドが、今の子どもたちに必要なんです。
 教育困難校などで、普通の教科書どおりの授業をしたら、間違いなく学級崩壊します。
 そうなると、ポイントになるのは、授業をする人、つまり教師の在り方になってきます。
 教師がどういう教材をつくって、どういう授業をするかになるんです。
 俺なんかは、教科書を参考にしながら、生徒たちの興味を喚起するような身近な事例を織り交ぜたプリントを作成して、授業をすすめています。
「一年間、このプリントをしっかり学び、一冊のファイルが完成したら、それがおまえらの教科書になる」
「俺の授業では、教科書がはじめからあるのではなく、みんなで1年かけて、教科書をつくっていくんだ」
と。
 日々の激務のなかで行う教材作成は、正直しんどいです。でも、学級崩壊が続くよりは、よっぽどいいですから。
 それに、本気で準備して、本気で授業をやれば、生徒たちに絶対に伝わるんです。
 やっぱり、授業こそが生徒たちの生活指導の中心です。その授業を適当にやっておいて、問題があったときだけ叱るなんていうのはダメで、不断の努力が必要になります。
(
義家弘介: 1971年長野県生まれ、高校で退学処分となったが、北星学園余市高校を卒業し、塾講師、母校の教師となり活躍し2005年に退職する。横浜市の教育委員、教育再生会議担当室長を経て国会議員となる
)

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教師を中傷し、あらぬ噂を流す保護者がいて困るとき、どうすればよいか

 学校のある地域を素通りする通勤が大多数を占めていることもあって、先生の姿が町では見えにくくなっている。
 それだけに、先生についての話が保護者の間で一人歩きしたり、曲げて伝えられたりすることがある。
 ほんの少しだけ垣間見た先生の言動、子どもの口から知った先生の学校での様子、そんなところから「話」が始まるのは怖いことである。
 それだけに、ふだんの子どもへの接し方には十分に気をつけた方がよい。
 もちろん、私生活についてもである。
 中傷のねたになりそうなもの
 例えば、中傷のねたになりそうなもの、注意することを挙げてみると
(1)
子どもの指導について
 ひいきの子をつくる。公平な目で見ない。乱暴な言葉遣い。怒るときの言葉が汚い。授業がへた。間違ったことを教える。誤字脱字が多い。話が脱線する。
(2)
ふだんの生活について
 整理整頓が悪く、だらしない。服装が派手、汚い。金銭にルーズ。遊びが好きで教材研究はどうなっていると疑われる。男女の関係。飲酒のトラブル。
 これらのことが、例え本当のことでなくても、尾びれがついて、広がっていく。用心、用心。
 教師を中傷し、あらぬ噂を流す保護者
 何といっても被害者は教師である。「火の無い所に煙は立たぬ」とは言うものの、本当に気分が悪くなるものである。
 教師を中傷し、あらぬ噂を流すような保護者とは、例えば、
(1)
井戸端会議のネタにして面白がる保護者
 笑い話として教師をこきおろすことに楽しさを求める。
(2)
わが子の担任を取り替えてほしいと考えている保護者
 たまにあることだ。校長や教育委員会に乗り込む場合もあり、本気で事にあたる。
(3)
わが子がかわいがられていない、差別されているなどと思い込んでいる保護者
 不満やうらみをはらすことと、賛同する仲間を増やし、教師にプレッシャーをかける。
 教師を中傷し、あらぬ噂を流された場合、多少なりとも身に覚えのある点については、直すようにする。
「人の噂も75日」と構えて、いつもの通りに生活する心を持つことも大切である。
 教師の本分である「子どもの教育に誠心誠意ことに当たる」ことをしていれば、あらぬ話は消えていくと信じてがんばっていくしかないだろう。
(
佐藤信彦:元宮城教育大学附属小学校教頭・宮城県公立中学校長・仙台市立中学校校長
)

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有田正和先生の有名な「郵便ポスト」の授業(小学校2年生)を参観し、これが本当の宿題の出し方だと感銘を受けた

 もう20年以上も前のことになるが、筑波大学付属小学校の公開研究会で有田正和先生の有名な「郵便ポスト」の授業(小学校2年生)を参観した。これが本当の宿題の出し方だと感銘を受けた。
 1日目の授業で有田先生が大きなボール紙を教室に持ち込んで
「これで郵便ポストを作ろうじゃないか」
と子どもたちに呼びかけるところからスタートした。
 途端に、子どもたちは
「そんな紙じゃポストは作れないよ!」
と口々に言い始めた。
 その後は、いかに子どもたちがポストについてあやふやな知識しか持っていないかを自覚させることに有田先生は全力を挙げる。
 ポストの色は「赤」という子に対して「オレンジだ」と言い張る子。
「いや青いポストを見たことがある」と言う子。
「色は決まっていない」と言う子。
 言い合っているうちに
「じゃあ、調べて来ようよ」
と、誰からともなく、そういう声が挙がる。
「じゃあ、形は?」
「差し出し口はいくつ?」
「ポストの回収の時間は決まっている?」「それが書いてある?」
「ポストにポストと書いてある?」
「いや、POSTと書いてある?」
 授業は、ふだん見慣れているはずのポストを「自分たちはよく見ていなかった」と、子どもに自覚させるだけで終わった。
 その間、
 有田先生は何も教えなかった。
 有田先生は何も次の活動の予告をしなかった。
 有田先生は何もまとめをしなかった。
 と、当時の私はただ、茫然とするだけだった。
 帰りの会が終わると、待ちかねたように子どもたちは校外へ飛び出して行った。
 有田先生はひと言も「宿題です。調べてきましょう」とは言わなかったのにである。
 次の日「いったい今日はどのように授業が展開するのだろう」とわくわくする気持ちで、また朝から参観に出かけた。
 子どもたちは、昨日、ランドセルを背負ったまま下校途中に授業で話題になったことについてポストを調べてきたらしい。
 昨日には、あやふやだったことが、子ども同士の情報交換によって、どんどん確認されていく。
 そして、その過程で新たな課題が生まれ、この日も子どもたちは調べる意欲満々で帰っていった。
 1時間目の授業では気がつかなかったが、2時間目の白熱した話し合いの中で、自然と調べる視点について、子どもの理解が深まっていくことが私にもわかった。
 授業の名人と言われる人の力量はすごい。
「宿題です」なんて言わなくても、子どもが自分で課題意識を持って学校から飛び出して行きたくなるような、あんな授業をしてみたいと強く願ったものである。
(
宮津大蔵:石川県金沢市生まれ、桐蔭横浜大学教授)
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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一斉授業で、一人ひとりの子どもを生かしていく方法がわからない、どうすれば意欲を高め、生かせるのか

 一人ひとりの子どもをよく知って、その能力を授業で最大限に伸ばすことが教師の責務である。
 実際には、一斉授業で教師が子どもたちに課題を投げかけたとたん、一人ひとりが、個性的に、理解程度に応じて自らの考えを働かせる。
 教師が、子どもたち一人ひとりの思考を、教師が確実に把握して、授業でどう生かすか、その方法を見通しておくことが大切である。
 一人ひとりを生かすポイント(視点)は、一人ひとりの子どもが
1 個性を生かして授業に参加する
 算数や理科の学習は、答えを一つに導き出す過程で、子どもたち一人ひとりのさまざまな見方や考え方を大切にする。
 お互いの考えを交換し合う場を設定すると、それぞれの考えが生かされて多様な解決の方法が発見できる。
 一つの見方にとらわれることなく、どの子どもの考えも大切にして、いろいろな角度からの考え方を授業で取り上げることが個性を生かすことになる。
(1)
一人ひとりの子どもが、自分の考えを素直に出し合える学習活動の場をもうける
(2)
子どもの考えを出させる場合、教師の意見に流されないように、まず、子どもから考えを出させる
2 子どもの能力を生かす
 それぞれの能力にあった学習の成果を上げるようにする。
(1)
子どもの把握
 子どもたち一人ひとりの
「理解・解決するまでの時間」
「既習の知識・経験」
「興味・関心の度合い」
の違いを把握していると、一斉授業の中で適切な機会をとらえて援助できる。
(2)
コース別による学習形態の工夫
 理解を主とした学習では「早く分かる」「まだ分からない」など、理解状態に応じた学習コースを構成しておく方法もある。
(3)
小集団活動の利用、能力別編成
 技術的な面では、能力別のグループ学習が有効である。
 学習内容に応じて柔軟に編成し、固定化しないように配慮する。
 子どもの意欲を高める授業をするには、
1 興味・関心を呼び起こし行動してみたくなる好奇心をそそる課題を与える
(1)
自分の能力で解決できる能力にあった課題
(2)
好奇心をかき立てる新しい課題
(3)
学習する手順、過程が見通せると自分でやれる自信が生まれる
(4)
直ちに努力の結果が知らされる喜び、成功感・成就感が味わえる
2 学習意欲を高める学級経営
 学習意欲は、学級の雰囲気によって左右されやすい。学級意欲を高める学級経営のポイントは、
(1)
認め合う学級
 全ての子どもを教師が認め、子ども同士が一人ひとりの活躍を喜び合えるようにする。
(2)
分かる授業をする学級
「分かった!」という満足感や成就感を与えられる授業をする。
(3)
安心感のある学級
 学習上の不安、友だち関係の不安、先生との問答への不安などのない学習活動にする。
3 学習指導の工夫
 学習意欲とかかわる欲求には例えば「好奇心」「活動」「探索」「達成」「承認」「自己実現」などがある。
 子どもの活動の様子をとらえて、あの子は、どのような欲求を刺激すると学習意欲が高まるのか判断するとよい。
(1)
適切な目標を与える
(2)
疑問や矛盾を感じさせる
(3)
「やった!」「できた!」の経験をさせる
(4)
子ども自身に資料を集めさせる
(
関口 寛:1931年生まれ、宮城県教育研修センター指導主事を経て元仙台市立小学校長)

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学級が荒れ・崩壊したときの経験は必ず生きる、自分なりの実践を創造していくうえで貴重な経験となる

 学級が荒れたときの精神的な苦痛は、他の仕事と比較にならないほど大変なものです。
 子どもたちから「うるせー」「ボケ」「死ね」などという暴言を浴びせられることだって少なくはなく、ときには小学校においてさえ、子どもから暴力を受けることだってあります。
 その屈辱たるや、おそらく想像しがたいほどだと思います。
 授業中立ち歩いたり、四六時中おしゃべりがあり、授業妨害などがあれば、教師としての自信が急速に失われていきます。
 疲れきって、退職を余儀なくされる教師も見られるのは、そのためです。
 それでは、荒れ、崩壊した学級を担任したとき「教師にとってプラスになることはないか」と言えば、けっしてそんなことはありません。
 大変な学級をもつことで、見えてくることも少なくないからです。
 むしろ荒れた子どもたちと接することが、指導力をアップしていくきっかけになることも事実です。
 自分の実践の問題点も浮き彫りになることもしばしばあり、教育観や子ども観を深める機会になることも多いものです。
 そういう意味では荒れた子どもたちと出会うということは、教師が従来の指導の枠や固定観念を崩し、新たな成長を遂げていく時期でもあるのです。
 それは、教師が子どもと教育を再発見する旅立ちでもあります。
 自分の感覚、感性をもとにつかんだものは、本を読んで学んだことと違い、自分なりの実践を創造していくうえで貴重なものです。
 ひとつの発見が実践を豊かにしていく場合が少なくありません。
 私がこれまで、何度か荒れた子どもたちを担任する機会がありましたが、その中で得たことの一つは、度胸がついたということです。日常の実践では重要な意味をもつものです。
 私の場合、荒れた学級を担任した経験によって度胸がつきました。
 度胸がつくと、教師が子どもたちに同じことを言ったとしても、教師のまなざしや顔の表情などの微妙な違いが生じ、子どもたちの受け取り方はかなり違ってくる。
 度胸は実践が困難なときであっても「なんとかなるさ」という思いにさせてくれます。余裕を生むのです。
 ああ、どうしようという焦りを緩和する役割を果たします。必要以上のストレスを防いでもくれます。
 冷静に判断することが可能になり、管理主義的な対応を避けることができるのです。
 このような教師の姿勢は、子どもとの信頼関係をつくっていくうえで不可欠です。
 学級が荒れた場合には「なんとかなるさ」という思いになれるかどうかは、かなり重要なことです。
 荒れをくぐり抜けることで、度胸はつくられていきます。
 一回や二回クラスが荒れてどうしようもなくなったとしても、長い教師生活からみれば、決して無駄なことではないのです。
 人間の心理は複雑です。子どもの心理も複雑です。教育という仕事が毎回毎回うまくいくなどと考えること自体が、そもそも無理なことです。うまくいかないからと言って、落胆ばかり必要はないように思います。
(今泉 博:1949年生まれ、東京都公立小学校教師、北海道教育大教授を経て松本大学教育学部教授。「学びをつくる会」などの活動を通して創造的な授業の研究・実践を広く行う) 

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保護者と担任が信頼関係を築くためには、たくさんの連絡方法があるとよい、どのような方法があるか

 保護者が一番知りたいことは、学校でのわが子の様子です。
 もし、わが子に心配なことが起こったとき、状況がわからなければ悪い想像が膨らみ、不安がどんどん増して「一体どうなっているんだ!」となります。
 しかし、学校でのわが子の様子が少しでも見えていれば、状況がつかみやすくなり、落ち着いて「学校での様子を詳しく聞いてみよう」となります。
 人は隠されていると悪い方向に考え、見えていれば安心できるものです。
「学校での様子がよくわかる」と、保護者が安心できるようにすることが、学校と保護者との信頼関係を築く基礎となるのです。
 最初の保護者懇談会で、担任から「保護者への連絡方法」について話します。
「連絡ノート」「学校の電話」「携帯電話」「一筆箋」「学級ブログ」「学級通信」
を準備していることを伝えます。
 保護者から「子どもが、お便りを見せてくれなくて」という声を聞くことがあります。
 保護者と直接つながるチャンネルがいくつもあるというのは、教師も保護者も心強いものです。
 その中から「一筆箋」「学級ブログ」「学級通信」について次に述べます。
 まず「一筆箋」です。用意しておいた一筆箋に、子どもたちのよさを文章にし、本人に渡し保護者に伝えるものです。
 誰でも自分の子どもがほめられれば、うれしいものです。そして、担任は一人ひとりをよく見てくれて、いるんだなあと感じるはずです。
 短い文章で気軽に書け、ちょっと特別な感じが出せるので、私は一筆箋を愛用しています。
 次に「学級ブログ」です。4月に管理職や保護者に実際に見てもらいながらルールを説明し、理解を得るようにします。例えば、
(1)
メリットやデメリット
(2)
「パスワード」を知っている人しか見られないこと
(3)
名前や地名などの固有名詞は載せないこと
(4)
掲載されては困る場合は、写真を載せないこと
(5)
クラスが変わった場合はプログを削除すること
などの運用ルールを説明します。
 内容は、翌日の時間割と持ち物、宿題などの連絡事項と、その日の子どもたちの様子です。子どもたちの様子は、写真に短いコメントをつけるだけという簡単なものです。
 基本的に毎日更新しています。更新に要する時間は5分程度です。
 写真と短い文章だからこそ「この写真は何をしているの?」と、わが子との会話のきっかけになっているそうです。
 最後に「学級通信」です。学級通信は担任と子ども、保護者の交流の場です。
 子どもたちの声を中心に、楽しかったこと、悩んでいること、自分が学んだことや成長したことなど様々です。
 保護者にわが子だけでなく、クラスの子どもたちの考えが見えるように意識して子どもたちの声を選んでいます。
 子どもたちの声にコメントする形で担任の思いや保護者からの感想も載せていきます。
 保護者には、行事や学習発表会などの感想をカードに書いてもらうようお願いしています。届いたカードを学級通信に匿名で紹介します。
 担任からの思いを一方的に伝えるよりも、保護者がどう見ているか、分かる場を用意することが大切だと考えています。
 子どもの成長を願って、学校と保護者が「いつでも」「多チャンネル」「双方向」の情報公開を心がけ、共に手を取り合って進むパートナーとして協力していきたいと思っています。
(
白井 敬:長野県公立小学校を経て信州大学教育学部附属長野小学校教師)

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「私は教師に向いていない、辞めるか」とばかり考えていた新任教師が、どのようにして教師の仕事を続けたいと思うようになったか

 A先生は、新任の小学校女性教師で、地方の小規模校(全学年が単学級)の4年生の担任になりました。
 幼いころから先生になることをめざしていたA先生は、理想に燃えて一人ひとりの子どもの個性を伸ばすことを目標に積極的に関わっていこうとしました。
 しかし、授業中に立ち歩いたり、突然大きな声で話し始めたりする多動傾向の子どもへの指導に手を焼いているうちに、周囲の子どものなかにもそれに同調して騒ぐ子も出てきました。
 多動傾向の子の保護者に協力を求めると「去年はそんなことはなかった。うちの子ばかりを問題視するのはおかしい」と批判された。
 昨年度は厳しい指導をするベテランの男性教師が担任をしていましたが、転勤し、十分な引き継ぎを受けることができなかったようです。
 他の保護者からは「きちんと授業を成立させてほしい」と強く要求されるようになってしまいました。
 A先生は真面目で責任感が強く、自分一人で問題を抱え込みがちなところがある。
 子どもたちにも「こうあるべきだ」と固定的な期待感を抱きがちで、どちらかというと柔軟な対応が苦手なタイプです。
 また、他人に頼まれると嫌とはいえない性格で、後で後悔することもよくあると言います。
 A先生からの次のような相談メールがありました。
「朝は気合い入れて出勤しますが、時間が経つにつれ、だんだん無気力になり、逃げたいという気持ちになってしまいます」
「他の先生に助けてもらっても、私一人になれば元通り。『私は教師に向いていない、辞めるか』と、気づいたらそればっかり考えています。すぐに涙が出てしまいます」
 私は、次のような返信をしました。
「多くの新任教師があたる壁ではないでしょうか。思うように子どもたちが動かないもどかしさや焦りなどから、理想と現実の落差でショックをうけているのでは」
「他の先生が入ると子どもたちが落ち着いているのは、A先生の前だから、自分たちの素顔を出しているとも考えられます」
「子どもたちはA先生に安心感を抱いて、ありのままを出しているとも言えます。子どもの成長には安心感が何よりも必要です」
「子どもの気持ちで学び合おう、一緒に遊ぼうという感じで接したら、少し変化が出るかもしれません」
「難しい子どもばかりでなく、しっかり頑張っている子、楽しそうにしている子にも目を向けてみたらどうでしょうか」
「いいとこ見つけの名人先生をめざしてみたら」
「すごくいい先生になろうとするのではなく、一緒にいて楽しい先生をめざしてみるのも一つの方法です」
「それと、周りの先生も忙しいでしょうが、相談されたり、頼られたりするのは嫌なものではない。信頼できる先輩や管理職にかたひじ張らずに相談してみてください」
「人と話すと、少し気持ちが楽になります。相談することは恥ずかしいことではないし、自分のためというよりも、子どもたちのためと思って相談してみてください」
「うまくいかなくて当たり前。そんな気持ちでやってみたらどうでしょう」
 A先生は「一人で無理にやってもどうにもならない」と開き直ってから、気持ちが少しずつ和らいでいったようです。
 A先生は同じような悩みを抱かえた新任の仲間や職場の先輩と、子どもへの対応について相談し合うようになりました。
 話を通じて自己理解が進み、自分が身にまといがちな固い殻にも気づき、もののとらえ方も少しずつ変わっていきました。
 反抗的な子どもも「心のどこかで変わりたいと願っている」と思えるようになり、以前に比べ、授業に行くのが苦痛でなくなったと言います。
 自信が100%回復したわけではありませんが「教師の仕事を続けたい」と思いはじめるようになっていきました。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)

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教育の原点とは何でしょうか、原点を踏まえて何をすることが教育なのでしょうか

 教育の原点は「子どもを見る」ことです。子どもの実態をつかみ、その実態を良い方向に変えることこそが教育です。
 では、子どもをどう見ればよいのでしょうか?
 大前提として、教師は子どもに興味や好奇心を持ち、大好きになること。
 そのうえで、減点主義で子どもを見ず、育てる目で見ることです。
 私はよく、この子は何のプロになれるだろうということを考えていました。
 私は特別な用事がない限り、教室にいて子どもたちと過ごしてきましたし、毎朝20分間は必ず子どもと汗まみれになって遊んでいました。
 というのも、子どもがいちばん本音を出すのは遊びのときだからです。
 普段は元気な子が一人教室にぽつんと残っている。みんなでドッジボールをしていても、その子にだけボールが回ってこない。こうしたことはすべて異常なのです。
 子どもは笑顔が普通なのに、いじめられていたり、何か不満があると途端に笑顔が消えてしまいます。こうしたサインを見落とさないことが大切です。
 より深く子どもを知るには、子どもの考えを積極的に引き出さねばなりません。
 そこで、子どもに「書かせる」ことが重要になります。
 私が子どもに書かせるために活用していたのは「はてな?帳」です。
「はてな?帳」には、子どもたちが疑問に思ったことを何でも自由に書き込みます。身の回りの疑問や、自分自身や家族のこともよく書いてきます。
 提出されたものに、私は良かったところにアンダーラインを引いてたり、すばらしいと一言だけ書く程度に留めていました。
 教師が書き込むのはよくありません。子どもの発想力を奪って書けなくなってしまいます。
 子どもをどう育てれはよいのでしょうか。
 笑いの多い子どもにそだてなければいけません。
 笑いは「ゆとり」です。ゆとりがあれば、少々のことは笑い飛ばせるもの。
 ですから、私は「1時間に一度も笑いのない授業をした教師は直ちに逮捕する」と言っているのです。笑いの多い授業を心がけてください。
 今の子どもたちを相手にするには「ボケ」と「ツッコミ」の技術が役立ちます。
 子どもがまともにきたときには、少しボケて、かわしてみたり「えっ、そうかなあ」とわざと知らないふりをして、とぼけてみたり。そして、ここぞというときに突っ込むのです。
 子どもたちは乗ってきますし、授業が盛り上がります。
 笑いは雰囲気をつくらないと、いきなりは出ません。私は新しいクラスを持つと、一番大切なことは笑うことだと説いて、初日から笑う練習をさせました。
 笑いの絶えない学校づくりこそが、いじめ等の問題発見にもつながるのです。
 もちろん、時には子どもたちを叱ることも必要です。
 私は注意するときは「8:2の原則」に従っていました。8つほめて、2つ注意する。それも、まずほめて、最後に叱ります。
 子どもの考えを引き出すには、面白い教材を使った、面白い授業をすることも大切です。
 子どもが身を乗り出してくるようなネタを用意して、その考えを引き出し、討論したり、ほめたりしながら鍛えていく。
 教材とともに大切なのは、教師が「教えすぎないこと」だと、私は考えています。
 例えば、包丁を使ってリンゴの皮むきをさせるとしましょう。危なっかしい手つきに、思わず手を貸したい衝動に駆られますが、じっと耐えて待つ。子どもが自分で工夫をしてなしとげることが大事です。
 時には、待つことが子どもを大きく成長させるのだと思います。
 私は授業の最後に、黒板に板書した大事なところを消しながら、毎時間その場で復習するようにしていました。
 その時間にあまり集中していなかった子を指名して、消した部分を答えさせるのです。
 その子がわかっていれば、クラス全員がわかっているだろうと評価できるからです。
 評価とはテストすることだと思わないほしい。点数だけが評価ではありません。
 今まで発言が少なかったが、少し増えた。笑いが少なかったのが、みんなと同じように笑えるようになった。動作が少し俊敏になった。こうしたちょっとした成長を教師の頭のカルテに収めるようにします。
 子どもはそれぞれ成長のタイプが違うので、一人ひとりにあった指導、評価をすることが大切です。
 もう一つ、有田学級にとってなくてはならないものが、学級通信「おたよりノート」です。
 私が保護者に伝えたいことや明日の予定、時事問題や季節の変化などを板書し、それを子どもたちが書き写します。
 ただ書き写すのでは、飽きるので飽きがこないよう語尾を「ございます」や「でR」にするなど工夫をしていました。 
 効果は、書く力が圧倒的に身につくこと。私が黒板に書き終わるのとほぼ同時に、子どもたちも写し終わるほどに成長します。
 また、保護者との信頼関係を築き、共通認識を持つのにも役立ちます。
 私は、子どものことや家庭のことでわからないことがあれば、保護者に「教えてください」と素直に言えるくらいでないといけないと考えています。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)
 

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自分らしさを発揮でき、一人では考えつかなかった答えにたどり着く、対話のある授業は、どうすればできるか

 私の授業の最大の特徴は「対話・話し合いのある授業」だということです。
 授業の初めに「今日は、話し合いをします」と言うと、子どもたちは「ヤッター」と一斉に歓声を上げます。
 ある子が話し合いについて、つぎのように作文に書いています。
「話し合いが好きになりました。自分らしさを発揮できるからです。教室の中で、そんなことができるとは思っていませんでした」
「クラスのみんなで考え、考え合う。そして、一人では考えつかなかった答えにたどり着く。その瞬間が特に好きです」
 それに、じっと座って先生の話を聞くのではなく、お互いが、自分らしさを発揮し合える学び、が楽しいのでしょう。
 話し合いでは、答えが分裂するようなテーマを用意します。大きくわけて、次の2種類があります。
(1)
正解のないテーマ
 例えば「奈良の大仏は、もっと小さくてもよかった」といった、正解のない、話し合ってお互いが納得しあうテーマです。
(2)
正解のあるテーマ
「筆者のいちばん言いたい段落はどこか」といった、正解のあるテーマです。
 白熱した話し合いを生み出すために、次のような流れで話し合いをさせます。
(1)
テーマを理解させる
(2)
立場を決めさせる
(3)
理由を箇条書きで書かせる
(4)
同じ立場の者同士で話し合いをさせる
(5)
違う立場の者同士で話し合いをさせる
(6)
振り返りを行う
 話し合いの授業のスタイルは、次の4つがあります。
(1)
ペア学習
「よりよい話し方」や「聞き方」という対話の基本を指導し、実際に対話を体験させます。
 繰り返すことで、友だちとの人間関係もより良いものになっていきます。
(2)
グループ学習
 グループで協力することの良さを体験します。
 協力することの良さを実感した子どもたちは、話し合いにきちんと参加し、すすんで自分の考えを表現しようとします。
(3)
ディベート学習
 言い始めた人が立証する責任をもち、質問と反論をして判定します。各持ち時間は1分程度である。
 不満だけを言っていればよかった子どもの日常の生活から、一線を画した話し合いの世界が展開される。
 競い合いのある話し合いの中で、教えてもらったり、気付かせてもらったりします。
(4)
自由対話
 考え続ける楽しさやすばらしさを実感できるようにします。友だちの様々な考えに触れることにより、より良いものを考え続ける力が育っていきます。
 話し合うためには技術的なことももちろん必要ですが、友だちとの関係性が良くなっていくことが何よりも大切です。
 様々な機会で「ほめ合っている」「心が通じている」「相手の気持ちが想像できるようになっている」という土台があってこそ、安心して自分の意見を人前で堂々と言うことができるのです。
 何のために話し合うのか、どのような話し合いが望ましいのかということを、体験をとおして日常的に学んでいくのです。
 ただ意見を言えば良いのではありません。学級全員が一人残らず参加者となり、お互いの良さを引き出し合い、新しい考えや納得した意見を導き出し合うような話し合いができることが目標です。
(
菊池省三:1959年生まれ、 福岡県北九州市公立小学校教師、2015年に退職。コミュニケーション教育を長年実践した。「プロフェッショナル-仕事の流儀(NHK)」などに出演、「 菊池道場」(主宰)を中心に全国で講演活動をしている。 北九州市すぐれた教育実践教員表彰、福岡県市民教育賞受賞
)

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子どもが集中して教師の話をきくように、伝える力を磨くには、どのようにすればよいのでしょうか

 わかりやすい授業は、教師が端的なことばで子どもたちに伝えることから始まります。
 授業を録音し聞いていると、余計なことばが多く、わかりにくいことに気づきます。
「えーっと」「あのー」「前にも言いましたが」と、いちいち前置きが入ることもあり、余計なことばが多々あります。話に集中できない子どももいます。
 授業は短く、端的なことばで、発問・指示・説明をしていきます。端的なことばだからこそ、子どもにもわかりやすい授業になります。
 教師は人前で話す機会が多くあります。そのような時に、短く端的に話す練習をしてみるとよいでしょう。
 例えば、全校朝会で「今週のめあて」を話すことになったとしましょう。
 このとき、30秒ぐらいで端的に話す練習をしてみます。
 最初は、話す内容を紙に書き出してみるとよいでしょう。
 いらないことばも見えてきます。余計なことばは1文字2文字でも削っていきます。すると、わかりやすい話にすることができます。
 端的に伝える力は、一朝一夕では身につきません。意識して練習・実践をしてきた人だけに磨かれる能力です。
 教師は人に見られる職業ですから、姿勢や態度も望ましいものにしていく必要があります。次の3つが自然とできるように意識して練習しましょう。
(1)
声をはっきり出す
 教室の一番遠くの子どもにも、聞きやすい、ちょうどよい大きさで話す必要があります。
 話の最後の方が聞きとりにくいときは、語尾までしっかりと発声すれば、聞き取りやすくなります。
(2)
笑顔で子どもに視線を送る
 自然なやわらかい、微笑んでいる表情をつくるようにします。
 口を少しだけ「い」の形にすると、自然な笑顔がつくれます。
 教師はキョロキョロとせず、子どもにしばらく視線を置き、子どもたちの表情を確認してから、別の方へ視線を動かします。
(3)
腰骨を立てて、自然に立つ
 下肝に力を入れ「りん」とした姿で、腰骨を立て、背骨をまっすぐにして立ちます。
 できているかどうかは、教室の一番後ろの端にカメラを置き、自分の授業を録画するとよくわかります。
 確認するとき、自分が子どもになったつもりで見るとよいでしょう。
 できていないところを1つ、また一つと減らしていくと、1年後には劇的によくなります。
 学校には、すばらしい教師がいるはずです。その教師をよく観察し手本にすることをおすすめします。
 例えば「手の位置」「視線」「どんな表情」か、一つひとつ細かな動作に注目してください。
 また、授業をする前に、鏡の前で練習するのもおすすめです。
 教師は、子どもたちに長い話をすることもあります。
「語り」の技術がある人とない人では、子どもの集中力が違ってきます。
「語り」では説明をダラダラとすることはしません。「エピソード」を語るようにします。 
 エピソードを話すときのコツは「聞き手の頭に映像が浮かぶように話す」ことです。
 つまり「描写しながら語る」「周りの様子がわかるように話す」ことです。
 エピソードを伴った語りで、具体的な状況をイメージさせながら、大切なことを理解させていくことが重要なのです。
 描写の語りは、練習するとうまくなります。子どもを相手に時々、描写を意識して話をするようにしてみるとよいでしょう。
 語りの上手な教師が話すと、長い話になっても、子どもたちは食い入るように耳を傾けます。
(
大前暁政:1977年生まれ、岡山市立小学校教師を経て、京都文教大学の准教授(理科教育)。理科の授業研究が認められ「ソニー子ども科学教育プログラム」入賞)

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若手教師がぐんぐん育つ秋田県と福井県は、どのようにしているのか

 どの県でも、優秀な校長の学校では、教師が育っている。
 特に、秋田県と福井県は、若手教師を育てる校長・学校が多い。校長のリーダーシップが高く、目的意識が一致して授業研究に取り組んでいる。
 秋田県と福井県は、学校経営がすぐれていること、教師間のコミュニケーションが活性化し、目的意識が共有され、若手教師が育っている。
 秋田教育は、つぎのような3大要素がある
(1)
授業の開始時における「めあて」の明示
(2)
授業中の協議時間の確保
(3)
授業の終了時における「まとめ」と「振り返り」
 全国学力・学習状況調査では
(1)
授業の冒頭で目標(めあて・ねらい)を示す活動を計画的に取り入れましたか
(2)
学級やグループで話し合う活動を授業などで行いましたか
(3)
授業の最後に、学習したことを振り返る活動を計画的に取り入れましたか
などの項目が学力と有意な相関を示していて、しかも「よく行った」と回答する学校の割合が秋田県がトップクラスとなっている。
 それに対して、福井教育はわかりにくい。「福井らしさを探る会」の探求で明らかになった福井教育の強みは、教え方よりも校内体制にある。
(1)
単元ごとに教えるべきことがらが教科会や学年会で共有されているため、教師みんなが同じ教え方で子どもに接する。
(2)
授業の進度に合わせて宿題が出される。年間計画の元に出される宿題もある。
(3)
宿題のチェック体制が緻密だ
 毎日のチェックと宿題を忘れた子どものフォローが教師たちのチーム体制のなかで実施されている。
(4)
学年会や教科会を機能させるための校長の配慮が深い
(5)
市町の教育長は校長たちの学級担任のような存在である
 校長の資質を引き上げるために、教育長は校長一人ひとりのことをよく理解し、足繁く学校に通っている。 
 秋田県も福井県も教師集団の結びつきが強い。秋田県は校内研修を通じて、福井県は教科会や学年会を通じた結びつきが強い。
 秋田県は授業研究や学力調査を学校全体のPDCAサイクルに組込んでいる。
 年度当初に研究テーマを策定するが、それを具体化するのに年度当初に実施される全国学力調査を活用している。
 調査実施後は、すぐに自校採点し、学校の課題を明らかにして研究構想を具体化する。
 研究構想に従い各教師が研究授業を準備するが、学校全体の研究テーマを深める観点で授業の準備、公開、事後検討のサイクルを流していく。
 教師たちは研究授業の指導案検討と事後協議を通じて学んだものを日々の授業に反映させている。
 福井県の授業研究も秋田県と同様に流れているが、それに加えて学年会や教科会の結びつきも強い。
 学年会や教科会のなかで、教師たちは年間計画の策定、進度の調整だけでなく、指導方法の情報交換も行っている。
 このようにして若手教師は鍛えられ、育っていく。
 秋田県総合教育センターの初任者研修の資料を見ると、板書や授業の進め方に関するマニュアル的なものはなく
「なぜ、ねらいを設定する必要があるのか」「探求型授業とはどのようなものか」などの本質的な内容の解説がある。
 板書はどうやって鍛えているのかと尋ねると「学校で指導されているからセンターでは不要」とのことだった。
(
千々布敏弥:文部省、私立大学教員を経て、国立教育政策研究所総括研究官、調査研究協力者会議など多数の文部科学省関係委員を歴任
)

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子どもが先生の言うことを聞かないのはなぜでしょうか 

 子どもが先生の言うことを聞かないのはなぜでしょうか。
 私たちは、誰しも学校の先生に習って育ちます。しかし、習う割には、子どもの頃は先生の言うことを聞きません。
 先生は、必ず立派なことを言わなければいけないと決まっています。しかし、その「立派そうなこと」を自分自身がやっていない先生が多いのです。
 人に優しくしましょうと言うけれど、あの先生は優しくない。
 あの先生は「みんなのためを思って自分は言っているのである」という態度をとっているけれど、子どもが騒いでいるときに、丁寧に言い聞かせず、自分の思い通りにならないことに腹を立てて、威圧的に怒鳴っている。
 そういう矛盾が、子どもの目についてしまうのです。子どもが先生の言うことに反抗し、うんざりするのは、そこで言われていることに嘘があるから。
 もし本当に、子どもが騒いでいるとき、怒りを混ぜることなく、自信を持って毅然と注意ができるとか、頼れるリーダーシップがあると感じられたら、子どもも先生の言うことを聞こうとするでしょう。
 優しくすることが実践できていない大人が「人に優しくしましょう」と言ったら、その子が人に優しく穏やかになったら、周囲の大人が楽になる。
 大人は自分の利益のために、子どもを洗脳しようとしている、と敏感な子どもは心のどこかで気づいています。
 人間は本心から相手に優しくすると、心は真から満足して幸せであることを認識するものです。
「人に優しくすることは、自分にとって得くなのだなあ」と、わかっている人は、人に優しくできるわけです。
 そういう人が確信をもって「人に優しくすることは、自分にとって良いことなのですよ」と言うと、説得力があります。
 実際に人に優しくできている人は、その人自身が幸せそうなので、周囲の人も「この通りに真似してみよう」と思えるのです。
 もともと「学ぶ」は「まねぶ」から来ていると言われますけれども、真似したくなるような大人なら、人はそのようにしてみようという感じになります。
 実際にやっていて、気持ちが充実しているという事実に基づいていますので、言葉があいまいになったり、表情が嘘っぽくなることがありません。
(
小池龍之介:1978年生まれ、僧侶。2003年ウェブサイト「家出空間」を立ち上げる。住職をしている「正現寺」(山口県)と「月読寺」(神奈川県)を往復しながら、自身の修行と一般向けの瞑想を指導)

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子ども同士のトラブルがあったとき、どう保護者に対応すればよいか

 保護者対応でたいへんなのが、子ども同士のトラブル対応である。子どもも保護者も納得できるような解決になるよう綿密に検討してから対応する必要がある。
 まず、保護者から相談を受けたら、すぐに動くことだ。24時間以内に回答できるようにすることが大事である。
 すぐに対応してくれることに、保護者が教師に対して信頼感を持つからである。たとえ、解決にいたらなくても、経過を報告するようにしたい。
 一番重要なのが事実確認である。
 まずは、加害者に気づかれないように、被害を受けている子どもから話を聞く。
 次に、加害者の子どもの話を聞く。複数いる場合は、口裏を合わさせないように一人ずつ聞く。
 必要に応じて目撃している子どもがいれば話を聞いておく。
 加害者の子どもが認めない場合、その言い分を聞く。食い違いは、どちらかのうそか、感じ方の違い、勘違いであることが多い。
 いずれにしても、被害を受けている子どもがそう感じているので、そう誤解するような言動はなかったかを聞く。
 加害者の子どもが認めれば、対面させて、被害者子どもがどう思っていたのか、ひどいことをしていたかを分からせ、謝罪させ、もうやらないことを約束させる。
 管理職や生徒指導主任、学年主任に報告し、どのように対応したかを伝え、保護者にどう連絡したらよいかを相談する。
 程度が軽ければ電話でもいいが、できれば、すぐにそれぞれの子どもの家庭訪問をするとよい。顔を見て話すことで、保護者は落ち着くし、何よりも信頼感が増す。
 程度が深刻であれば、保護者と子どもに学校に集まってもらい、一連の出来事のてんまつを知らせる必要がある。
 その際には、教頭にも入ってもらうとよい。集まる人数が多い場合、生徒指導主任、学年主任にも入ってもらうと、なおいいだろう。
 管理職が出てくることで、きちんと対応してもらっているという印象を与えるからだ。
話す内容は、
(1)
出来事の顛末を知らせる。一応の解決を見たことを伝える。
(2)
被害者の子どもには、これからも気をつけて様子を見ていくことを伝える。
(3)
加害者の子どもには、何かしらのストレスや問題を抱かえているのだろうから、ただ単に叱るだけでなく、生活の様子をよく観察していってほしいことを伝える。
 もちろん、学校でも叱るだけでなく、その子の感情を尊重しながら対応していくことを話しておく。
(4)
きちんとした形で被害者とその保護者に謝罪をしてもらい、そのことが加害者側の子どもにとって大切なことだ、ということをその保護者に伝える。
 加害者の子どもが親の頭を下げる姿を見て、事の重大さを認識させるためである。
 保護者へは、学校がどのように対応してきたかということと、保護者お互いの言い分をそのまま伝えてよい。へたに隠すとあとで面倒なことになる。
 被害者、加害者のメンツをつぶさないようにするためには、これ以上言い合っても仕方がいなことや、保護者がまず歩み寄る姿勢を、子どもたちの見本として見せてほしいことを伝える。
 保護者同士が言い争うような事態は、子どもたちの今後にとって最も悪い結末であることも話すとよい。
 また、継続して話を聞いて解決に向かわせることを学校側からの今後の対策して伝えることも重要である。
 対応後も日頃の子どもの表情や行動をよく観察し、定期的に両方の子どもから話を聞くようにする。
 また、何もなくても保護者に定期的に連絡した方がよい。保護者はその後の経過を心配しているので、今の様子を話すことで安心するものである。
(佐々木 潤:1962年、宮城県生まれ、宮城県石巻市立公立小学校教師。授業づくりネットワーク・東北青年塾スタッフ。お笑い教師同盟・東北支部長。笑えて,知的な社会科授業を目指して実践研究、講演などを精力的に行っている。「一番受けたい授業」(朝日新聞社編)で全国76人の「はなまる先生」の一人に選ばれる
)

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すばらしい学級をつくる責任は教師にある、自覚した教師だけが、すばらしい学級をつくりあげられる

 すばらしい学級をつくりあげる責任は教師にある。教師だけが、すばらしい学級をつくりあげられる
 一人の教師と数十名の子どもたちが、1年間教室で生活すれば、それなりのドラマは生じる。
 自然なままの教室からは、自然なままの子どもたちの集団が形成される。
「勉強ができる子」が上位にして「勉強できない子、嫌われる子」が下位にいる構造である。
 この構造は1年間崩れない。子どもは子どもなりに、宿命的な社会構造を学ぶ。
 ここから「あきらめ」も生じる。ここから「いじめ」も生じてくる。
「あきらめ」「いじめ」は、子ども社会の奥深いところで生き続ける。
 これを破壊できるのは、教師だけなのである。それも、自覚した教師だけなのである。
 思いつくままの教室経営、赤本通りの授業をするだけで、子どもたちが変わることはない。教育とは、それほどお手軽なものではない。
 子どもの心の奥深くへ働きかけ、訴えていかなければならない。
 では、何をしたらいいのか。では、どのようにしたらいいのか。
 クラスには、いろいろなドラマがあり、さまざまな事件がある。一つひとつは別の出来事である。同じことは何もない。学級が織りなすドラマは一つひとつ異なる。
 しかし、教えているのは同じ教師である私である。年ごとに少しは成長しているとはいえ、どうということのない人間が教師をしているのである。
 だから、子どもが入れ変わってもクラスの出来事には、ある種の共通性が見られる。知らず知らずのうちに、同じような事件・出来事が生じている。
 担任である私が意図的に仕掛けるからである。およそ次のような6種類ある。学級集団形成の向山法則と呼んでもいい。
1 子どもの中にある、差別の構造を破壊する
 もちろん、平等な学級は、つくるのは不可能であろう。能力も違えば個性も異なる。しかし、目にあまるような差別の構造は破壊しなければならない。
 まず、私は教室の中に典型的な現象をとりあげる。クラスの中で、最も嫌われ、最もいやがられている子に私が味方をする。
 クラスで最も嫌われている子がひざの上に来るような教師なら「子どもを大切にしている」と私は判断する。
 口先だけ、うまいことを言う教師ではだめだ。子どもは敏感なのである。内心「嫌だ」と思っていることは相手にも伝わるのである。鏡の原理が働くのである。
「最も嫌われている子どもがひざの上にのる」ことは簡単ではない。どうしても通過しなければならない心の革命を必要とする。
 これは、変にやるとこわいことでもある。クラスのほとんどの子を敵にまわすということになりかねないからだ。
2 授業で「多数決が正しいとは限らない」という場面をつくりだす
 子どもたちにカルチャーショクを与えるのである。
 これは、かなり衝撃的なことである。特に「勉強ができる」と思い込んでいた子どもたちに与える衝撃は大きい。
 今まで、勉強の時はまるでバカにしていた子が正しかったという、考えもしなかったことが生じたからである。
 今まで「自分はダメだ」「特に勉強はダメだ」と思い込んでいた子にとってもショックである。「自分だけが正しいなんて、こんなことがあろうか」と半信半疑なのである。
 この授業の場面から、子どもたちの心の奥で、何かが変わり始める。地殻変動が生じるのである。子どもを内面から動かすのである。
 子どもを変革するのは教師の腕力ではない。管理技能ではない。知的権威である。
 教師の知的権威にふれてこそ、子どもは変わり始めるのである。
3 子どもたちの組織をつくる
「やらねばならぬこと」「やりたいこと」の2つの組織化が必要である。
「やりたいこと」は、係りが中心になる。
 係りとは、文化・スポーツ・レクレーションが中心になる。楽しいこと、面白いこと、やりたいことを、次から次へと企画させる。
 楽しいことを企画し、実行するから、子どもたちは規律をつくり出していくのである。
「忘れものをなくすための班競争」など、子どもにとってつまらないことをいくら仕組んでも、子どもの内面は育っていかない。
 まず、以上のことをやってから、後は徐々にやっていく。
4 授業を知性的にする
 知性的な中でこそ、子どもたちは育っていく。知性的とは何か。
(1)
今まであたり前と思っていたことが、見方によって異なるということである。視野が広げられたということである。
(2)
ささやかと思える言葉の指示範囲が、厳密で正確であるということである。
 教師の言葉づかいは、あいまいなことが多い。「理解させる」「分からせる」「知らせる」「気づかせる」という指導案の用語さえ、まともに使いこなせる人は少ない。
(3)
多くの意見の存在が認められることである。
 ただし、それぞれの意見には根拠がなければならない。好き勝手に、思いつきのままを言わせるだけの授業は非知性的である。
5 イベントを仕掛ける
 学級全体が、燃えるように何かに取り組むこと。その非日常的な生活の中で、子どもたちはきたえられる。
 一度、イベントの楽しさを味わうと、子どもたちは自分の手でそれを再びつくりあげようとする。
 教師が何もしなくても、さっさと企画・実行してしまうようになる。
6 教師が許せないことは、学級全体を相手に対決する
 これには注意が必要だ。
 学級全体を相手にしなくてはいけない。小数の人間を相手に対決してはいけない。それも「やんちゃの集団」を相手に、けんかのアマの新卒の女教師が対決したりなどすると、まず教師は負けるだろう。
「やんちゃ集団」は。けんかのセミプロである。けんかのセミプロにアマが勝てるわけがない。もしやるなら、十分に戦略・戦術を考えなくてはいけない。
 学級全体だと別である。学級全体だと「解決しよう」という意志が必ず存在する。そういう子どもがいるものである。
 解決しようとする子どもたちがいれば、必ず解決できる。子どもたちは自分で解決する。その中で成長するのである。
 だから、1学期のうちに全面対決をしてはいけない。まだ早い。学級がしっかりしていないからだ。ある程度、集団として成長してから仕掛けることである。
(
向山洋一:1943年生まれ、元東京都公立小学校教師、教育技術法則化運動代表を務めてきた。教師を退職後、TOSSインターネットランドの運営に力を注いでいる
)

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多種多様な問題を持つ大変な学級を担任したが、学級崩壊に陥る危機をやり方、見方を見直して回避した 

 私は教師生活30年目に小学校3年生の担任を受け持った。
 積極的な明るい子どもが少ないと感じつつも、5月末の運動会までは、クラスもまとまっていました。
 ところが、運動会が終わった次の週から、活躍したAくんのわがままが急に目立ち始め、担任の制止も聞かず騒いだり、友だちに嫌がらせをするのです。
 私が「そんな事してはいけない」と、Aくんの体に手を出して止めようとすると、わざとひっくり返って「ていっ」と叫んだのです。
 私は驚いてしまい
「先生はたたいていないのに、自分から倒れたの」
「注意しても聞かないし、わざとこんなことするなんて絶対にいけないわ」
と、その場は終わらせましたが、これ以降、彼はことあるごとに挑戦的な態度をとるようになりました。
 Aくんは、気に入らなかったり、わからないと自分のところだけに来て、教えてくれないと騒ぎました。
 私にとって理解しがたかったのは、学級の他の子どもたちの態度です。
 Aくんの自分勝手な態度に、他の子どもたちは、落ち着いて学習できないと感じているはずなのに、時には痛快とさえ感じていたり「Aくんもいいところがあるよ」と弁護したりするのです。
 私は子どもたちと心が通わないような気がして「このままでは学級崩壊にすぐなるのでは」と、ため息の出る毎日でした。
 そこで、今までのやり方、見方を見直して、別の方法がないか努力してみようと考えました。
 まず、どんな時も、授業の成立の努力をすること。
「今日は、こんなことを学んだね」と、帰りの会で確認して帰すこと。
 このことにより、学習が遅れてしまうのではないかと思う子どもたちの不安をある程度おさえることができました。
 活気がなさそうに見えていた学級の子どもたちも、明るい方がすきなのがわかったので、私が怒っている時間は、学級にはマイナスだと気がつきました。
 できるだけ、子どもたち一人ひとりのよさをみつけ、私自身が楽しく生活していることを示すようにしました。 
 わざと担任を怒らせるために、教卓にふざけた絵を描いたり、悪口を書いたメモを置いたりした時、その場で叱るのは、できるだけやめました。
 自分に振り向いてほしいという、子どもの行為の一つととらえ、時間が少したってから、
(1)
必ず気づいていること。
(2)
あのようなことをされた相手は、気分を害していること。
(3)
心が傷つけられていること。
(4)
友だち同士のこういう行為が「いじめ」といわれている。
ということを伝えました。
 不思議なもので、1日ぐらい経ってからだと「自分はやっていない」と言い張るより、素直に「ごめんなさい」というケースが多いのです。
 やがて私は、子どもたちを自分の思うようにすることなど無理だし、そのように考えるのは傲慢だと思うようになりました。
 子どもたちには、つぎのような話をしました。
「先生たちは、みんなで話し合いながら、決めているのよ。騒がれて授業ができないようになって、困ったら、いつでも校長先生が見てくださるわよ」
と話しました。
 実際いくら注意しても聞き入れない時は「校長先生と話していらっしゃい」と言うと、その子が自分から校長室に行って、話してくることもありました。
 私の学校では、職員会議に学級の様子を伝える時間があるので、報告しておき、校長、教頭先生に連絡できるように下地をつくっておきました。
 だから、私の言うことを聞かない子が、校長先生と話せたことがうれしくて「ちゃんとやる」と場面が好転しました。
 3学期は、簡単な復習の宿題を毎日出して、翌朝、登校すると全員、黒板に書かれている問題に答えるようにしました。
 1日も欠かさず続けると、ランドセルを置く前に、黒板に自分の名前を見つけて答えを書いてから席に着く子もでてきました。
 国語のお話作りも、全員が大喜びで本の制作に取り組みました。他の子の作品を読んで互いにシールを貼り合うという活動にも楽しんでいました。
 磁石を利用してゲームを作り、お楽しみ会を開いたり、国語の教材をパネルシアターにして、音読発表会をしたりしました。
 その結果、卒業の時に開けようとタイムカプセルが提案されるくらい、かなり落ち着いてきて、3学期を終えることができました。
 ただ、このクラスには、ADHDの子、喘息発作で遅刻・欠席の多い子、友だちとコミュニケーションを取るのがへたな子、女の子同士の勢力争い、仲間はずしなど、抱かえた問題が多種多様で、大変な学級でした。
 苦労したと思う反面、今までになかった「子どもとのつき合い方」「解決への道」を示してくれた、学ぶべき点の多い学級でもありました。
(
東京都公立小学校教師)
(
諸富祥彦:1963年福岡県生まれ、 明治大学文学部教授。「現場教師の作戦参謀」として、抽象的ではない実際に役立つアドバイスを先生方に与えている。悩める教師を支える会代表
)

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子どもはほめて育てるのが一番よく成長します、私は子どもを見る目を変えることを、子どもに教えられた

 「どの子にも、どの先生にも、必ずいいところがある」という先入観をもって子どもや人を見ることで、人を見る目を変えることができる。
 ある子どもが、偶然、友だちのよいところを見つけて、私に知らせにきた。よほど知らせたかったのであろう。
 私は、驚きながらも
「えらいね。Aさんのいいところを見つけて、先生に知らせるなんて。すごいことだよ」
「きみを見直したよ。他人のいいところなんて、知らせたくないのにね」
と、この子をほめた。
 そのことをクラスのみんなの前で話した。そして、
「このクラスは、とてもいいクラスだよ。友だちのいいところを見つけて、先生に知らせるなんて」
「日本一のクラスだよ。先生はうれしくてたまりません。だから、クラスみんなをほめます」
と言って、パチパチと拍手をした。
 これが契機となって、子どもたちの「告げ口」の内容が一変した。
 それとともに、私の目も変わってきた。子どもに教えられた。子どもに教育されたのだ。
 子どもを見るとき
「何かいいところはないか」
「今までにない、新しい、いいところはないか」
という目で見るようになった。
 自分のクラスだけでなく、隣近所のクラスの子どものいいところを見つけては、担任に
「Bくん、見かけによらず、やさしいね。女の子に手を貸していたよ。いい子が育っているね。先生の指導の賜物でしょう」
などと話した。
 その先生も喜んでくれ
「先生は、いつも子どものいいところばかり見ているのですね。まねをしなくては」
と言った。
 このことは、徐々に子どもたちにも広がり、教師の間にも広がっていった。保護者にも広がっていった。
 子どもはほめて育てるのが一番よく成長します。もちろん、ときには叱らなくてはなりません。叱ることで、ほめる効果が出るのです。
 私は「自分で、自分をほめる」ということを身につけて、自分を成長させました。
 ほめるということは。ほめられた人も気持ちがいいが、ほめた人も気分がよくなるのです。
 たくさんほめ、自分もほめて、楽しい人生をおくってください。
(
有田和正:19352014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた
)

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3学期、学級崩壊したクラスの担任が休職し、代理担任になり、どのように脱出する糸口を見つけたか

 2学期半ばに、5年生のあるクラスが学級崩壊になりました。表面化してきたのは11月に入った頃からです。
 担任への嫌がらせや授業妨害が激しくなりました。複数教員の体制で担任を支えてきましたが、3学期に入ると担任が身体の不調から病気休職になりました。
 そこで、生徒指導主事のJ教師が、かけ持ちで担任代理となりました。
 学年を中心に、管理職、スクールカウンセラー等とケース会議を何度ももちましたが、いったん崩れた学級集団を立て直すことは、困難を極めました。
 J教師は「先生なら何とかなるから」「子どもたちと話ができるから」と周囲から期待されました。
 生徒指導主事もこなすのが当然という雰囲気のなかで、精神的なプレッシャーがJ教師に重くのしかかりました。
 保護者から「早く立て直しを」という要求も強まり、焦燥感にも襲われました。
 現状を知ってもらおうと保護者会を開きましたが、十分な協力を得ることはできず、「生徒指導主事でも、あの程度か」と見られているのではないかという思いも、焦る気持ちに拍車をかけました。
 J教師は、もともと責任感が強いため、うまくいかないことで自分を責めたり、自分の非力さを思い知らされたようで落ち込んだりしました。
 また、思うように動いてくれない子どもたちへの怒りの感情もわいてきました。
 耳鳴りや頭痛、持病の腰痛もひどくなり、朝起きるのが辛くなっていきました。
 J教師は「ここで踏んばらないと」という気持ちと「もう投げ出したい」という気持ちの間で揺れ動いていました。
 しばらくは渦のなかに巻き込まれているようで、どうしたらよいのかわかりませんでした。
 しかし、一度、立ち止まって自分を翻弄している渦がどのようなものか、あらためて見てみようと思うようになりました。
 一人の保護者から
「先生、本当に大変な学級を担任してくれて、ありがとうございます。担任してもらっているだけで感謝しています。頑張りすぎて、つぶれないでくださいね」
と、心配そうに言われたことが
「クラスが落ち着かないのは、私の力が足りないからではない」
と、少し肩の力が抜けるきっかけになりました。
 J教師は、自分の優先すべきことは、何かを考え、周囲に自分の考えをはっきりと伝え、できないことは断るようにしていきました。
 また、思いつきで動かず、必ず他の教師に相談するように心がけました。
 学級の問題をケース会議だけでなく、職員会議でも取り上げて、全体で考えてもらうようにしました。
 そうすることで、J教師の学級や校務分掌の動きに関心を持つ教師が増えていきました。
 ねぎらわれたり、励まされたりすることもあり、そのおかげで
「もう少し頑張ろうという気持ちにになった」
とJ教師は言います。
 子どもたちに対しては、逃げずに話をすることにしました。
「クラスを良くするには、どうしたらよいのか」と問いかけ、一人ひとりに考えさせるようにした結果、少しずつ子どもたちにも変化が見えてきました。
 あきらめずに、子どもたちと向き合うことができるようになると、逆に、
「先生、学校に来るの、楽しくなったよ」
と、子どもたちから励まされることもあり、それがJ教師の心の支えになったようです。
(
新井 肇:1951年生まれ、埼玉県公立高校教師を経て、兵庫教育大学教授。カウンセリング心理学を基盤とした生徒指導実践の理論化、教師のストレスとメンタルサポート等を研究)

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保健室に頻繁に行く生徒がいるとき、担任はどのようにすればよいのでしょうか

 その生徒がどのような状況なのかを把握するため、学級に足をよく運ぶことです。
 休み時間、昼食時間、清掃時間に生徒の動きを見届けたりすることによって、どの生徒がどのような動きをしているかを知ることができます。
 また、見逃さずに指導すると、生徒も担任が見てくれているという安心感が生まれます。
 家庭での問題や性に関する悩み等、担任に相談しにくいことは、養護教諭からの情報が生徒理解に大きく役立ちます。養護教諭の連絡でわかったという例があります。
 必要に応じて担任が保健室に足を運び、保健室がどんな様子なのか常に知ることが必要です。
 養護教諭は、保健室での課題を抱え込まず、ふだから、保健室と職員室を行き来したり、学年会で担任に連絡し、生徒指導部会と連携していくことが望ましいと思います。
 保健室に頻繁に行く生徒は
(1)
対人関係、いじめなどが原因で教室などに居場所がなかったりする生徒
(2)
学校生活や家庭に悩みや相談があって担任や教科の先生には相談しづらいことを養護の先生に相談する。
(3)
生徒同士のもめごとをさけるために、保健室が逃げ場になっている。
(4)
体調が悪いわけではないのに、怠惰な生活態度から、授業中も休み時間も問わず保健室に行く。
(5)
保健室を遊び場として、意図的にたまり場的にする。
 保健室は、生徒理解を進めるうえで、情報を得たり、教育相談やカウンセリングのきっかけとなる場でもあります。
 当然、その中心となる養護教諭の指導姿勢が大切になります。
 担任と養護教諭との連携や学校全体での養護教諭の支援が重要です。
(
緑川哲夫:1948年東京都生まれ、元東京都教育庁主任指導主事、東京都公立中学校長、東京農業大学教授
)

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若いとき多くの挫折を経験したが、うまくいく人といかない人がなぜいるのだろうか 

 稲盛和夫は、若いときに大学受験失敗、就職試験も失敗と、ことごとくうまくいかず、多くの挫折や苦労を経験しました。
 大学を卒業後、松風工業というつぶれかけた会社にようやく入社することができた。
 セラミックの研究に寝食を忘れて打ち込み、新しい材料の開発に成功することによって、挫折続きの人生に終止符を打ち、新しい人生の扉を開いてくれたのです。
 独立して京セラという会社をつくり、燃えるような情熱を持ち、先頭に立って身を粉にして働きました。
 同時に、私心を無くし自らの人格を高め、社員から信頼されるように努力しました。
 社員たちも、苦労を苦労とも思わず、夢中になって働き通しました。そんな仕事への打ち込みが素晴らしい人格を育んでくれました。
 前向きに必死に働いたことで、今日の自分があることに気づき、世のため人のために一生懸命に働くことの大切さを痛感した。
 このようなことから、私のような平凡な人間が、人生を生きていくには何が必要なのかと考えた。
 また、人間には人生や仕事でうまくいく人といかない人がなぜいるのだろうといった疑問があった。
 考えだした結論は「考え方」「熱意」「能力」の要素が影響するということであった。
 頭脳が優秀であっても、才能を過信して努力を怠り熱意が少ないとすばらしい結果は得られません。
 稲森は三つの要素の中で「考え方」がもっとも大切であると思っています。
 苦労をいやがらず、みんなのために一生懸命に生きていく考え方は人生や仕事によい結果をもたらす。
 人をねたみ世の中をすねるマイナスの考え方はお金をもっていても、みじめな結果になってしまうと。
 ささやかなことに喜びや感動を感じる心を持ち、その感動から懸命に生きるエネルギーをもらう。
 悪いことをしたら素直に反省し、明日からやり直そうという反省のある日々を送れば人生において心を高めていくことができるのです。
 稲森の、人生や仕事に実りをもたらしてくれる考えかたは、つぎのように、つねに前向きである。
(1)
協調性がある。
(2)
肯定的で明るい。
(3)
善意に満ちている。
(4)
優しく思いやりがある。
 他人の悲しみを自分のことにように嘆き、励ましてあげる。さらには他人への憎しみや怒りを抑え、優しい思いやりの心で接する
(5)
素直で謙虚で努力家である。
 成功を収めても、謙虚さを忘れず、足ることを知り、すべてのことに感謝し続けること。一方、不運にであっても、それを素直に受け入れ、前向きな生き方を続けること。
(6)
利己的でなく、利他的である。
 こころのなかに利己的な自分だけがよければいいという気持ちを抱けば、その抱いたようなことが周囲にあらわれるし、逆に美しい思いやりに満ちた心、利他の心を抱けば、やはり周囲にそういうものがあらわれると思っています。
 善きことを思い、善きことを行えば人生はいい方向へ変わるし、悪いことを思い、悪いことを行えば、悪い結果が生じる。人生とはそういうものだと考えています。
(7)
感謝の心をもっている。
といった考え方である。
(
稲盛和夫:1932年生まれ、実業家。京セラ・KDDI創業者、稲盛財団理事長として国際賞「京都賞」を創設し人類社会の進歩発展に功績のあった人を顕彰、日本航空を再建し取締役名誉会長、若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長)


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現場教師の大きな悩みは「困った親」とのつきあい方、どうすればよいか

 私は学校を訪問し教師の悩みの相談に乗っています。
「ああ、学校現場はこれほど厳しいのか」と改めて教師の大変さを実感します。
「私には現場教師は務まらない」それが正直な気持ちです。
 現場教師の大きな悩みが「困った親」とのつきあい方です。
 先日訪れたある学校の研究主任の教師がタメ息まじりに
「子どもはいいんです。問題を起こしても指導できますので」
「ただ、親の扱いが難しい」
「こちらの言うことを聞いてくれない。親には指導ができないですからね」
と漏らした。
 なぜ、教師にとって「困った親」がこんなに多いのでしょうか。アプローチとして、親のタイプに注目してみたいと思います。
(1)
 個人主義で自己中心的
 個人主義で自己中心的で、人間関係が苦手です。
 傷つきやすく、耐性が低い親なので、自分の子どもが批判されると、自分が傷つけられたかのように思って逆ギレしてしまうのです。
 つねに自分と子どもが中心に置かれているのです。
(2)
 我慢することを学んでいない
 我慢することを学んでいない親です。
 生まれて初めて、我慢を強いられる「子育て」をしている親です。
 思うようにいかず児童虐待が起こっているのもこの親です。
 親からのクレームを受け続けた教師はどんどんやる気を失っていくだけです。そして教師は次第に親とその子どもに距離を置こうとするでしょう。
 親と教師の相互不信が、子どもと学校をダメにしてしまうのです。
 親と教師の歩み寄り、信頼と協力の関係が、いまほど求められている時はないでしょう。そのためにも教師は、カウンセリングの研修を受けるなどして人間関係の勉強をし、もっと親とのつき合い方を学ぶべきです。
 理不尽なことを言ってくる親に「正論」での説得は通用しません。「急がば回れ」の精神で、まずは親との関係づくりからじっくりと取り組んでいきましょう。
 そのためのポイントは
(1)
とにかく親の話をよく「聞く」こと。教師はやたらとしゃべり過ぎる。
(2)
親を尊重する。その気持ちをかたちで伝える。一人ではなく管理職と一緒に会う。お茶をお出しするなど。
(3)
まず、子どもをほめる。問題をもつ子どもはいつも批判ばかりされてきています。ほめると親との関係が良くなります。
 このように、まず「関係づくり」に徹したうえで、最後に具体的なお願いをしましょう。
 教師は自ら積極的に親との信頼関係づくりに打って出てほしいと思います。
 たとえば授業参観後の保護者懇談会。
 これに出席する親は、教育に熱心な人が多い。教師にとって親との関係をつくる絶好のチャンス。
 そのためのベストな方法のひとつが、構成的(グループ)エンカウンターです。これは、心と心の触れ合いを促すことによって、人間関係を育てる心理学技法です。
 まず教師が自分について(趣味・家族のこと・子どもの頃のこと、好きな食べ物など)を親たちに語ります。これを自己開示といいます。
 教師の人柄が分かると、親は教師に親しみを感じます。親たちも、そのような教師には心を開き、説得にも耳を傾けてくれるようになるでしょう。
 親と教師のさまざまな問題は、お互いのコミュニケーションギャップが大きな原因。まずは親しみのもてる関係づくりが大切です。
 親同士も自分のことを語り合うので親しくなりやすい。これにより「みんなでクラスの子どもを育てよう」という意識が育まれやすいのです。
(
諸富祥彦:1963年生まれ、明治大学教授,臨床心理学、カウンセリング心理学、現場教師の作戦参謀としてアドバイスを教師に与えている)


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課題のある子が気になる、明日の授業は大丈夫だろうかと考えて、夜なかなか眠れません、どうすればよいのでしょうか

 眠れないことが、病気の症状なのか、そうでないのかは、自分で判断することが難しい場合もあります。
 日中、気分の面も身体の面でも特に問題がなければ、病気とはいえません。
 ところが、日中も気分や体調に問題がある場合や、心配事が解決したり、身体的な病気が治癒したのに不眠が続く場合には、心の病気を疑うべきでしょう。
 ただし、実際の学校現場では、次々と心配事が起きるでしょうし、多忙も続いて一息つくことさえ困難かもしれません。
 常にストレス状態が慢性的に続いているわけですから、いつ心の病気になっても、おかしくない状態です。
 不眠症にはさまざまなタイプがあること、長引けば病気のサインであることを知っておくのがよいでしょう。
 次に不眠症の具体的な解決法について述べます。
 眠りやすくする方法
(1)
寝る前に熱すぎない風呂にゆったりつかり、血液の循環を良くして、身体をほどよく温めれば眠りやすくなります。
(2)
午前中に日光浴をする
 午前中に日を浴びると、脳内の睡眠物質の量が調整され、夜眠りやすくなります。
(3)
短時間の仮眠を取る
 短時間、軽く仮眠を取ると、その後、集中して活動できるため、夜、すっきりと眠れるでしょう。
(4)
楽観的な気持ちを持つ
「眠らなければ」と、強く考えれば考えるほど、意識がはっきりして、かえって眠りにくくなるのです。
 基本的に、不眠そのもののために死ぬことはありません。
「2,3日眠らなければ、その後は疲れ果てて眠れる」というような、眠りに対する楽観的な気持ちを持つことが眠るコツといえるでしょう。
 過労だけが原因であれば、いずれ夜も眠れるようになるものです。
(5)
気分転換を図る
 楽しい出来事を思い出すことで、気持ちがリラックスでき、眠りやすくなるということもあります。
 寝酒の量が増えることは好ましくありません。
 夜、眠れないという理由で、お酒を飲む人が少なくありません。
 確かに酔ってくれば寝つきは良くなるのですが、酔いが覚めてくれば脳も覚めて浅い眠りになり、目ざめやすくなります。
 ですから、寝酒の量が増えることは好ましくありません。アルコール依存症になる人もいます。
 睡眠薬は専門医の処方で
 不眠がある程度続き、昼間に眠気が強くなったり、集中力が低下してミスが増えるといった、日常生活や仕事上でも支障が出てきた場合には、治療的な対処が必要です。
 安全で副作用の少ない睡眠を助ける睡眠薬があります。
 睡眠薬に対する悪いイメージもありますが、一時的に合理的に使うのであれば、まず問題はありません。
 日常的に使うぶんには、効かなくなることがないため、中毒を起こすことはほとんどありません。
 ただし、睡眠薬を使うのであれば、専門の医師に相談して、自分の不眠のタイプに合った薬を処方してもらうことが、一番効率的です。
 そのうえで、決められた量をきちんと守るなど、正しい使い方をしてほしいと思います。
(
中島一憲:19562007年、1990年より東京都教職員互助会三楽病院勤務し部長、東京医科歯科大学教授を歴任した。精神科医師)

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担任の対応を保護者が納得し、連携してもらうにはどうすればよいか

 まず、担任が保護者の気持ちを受け止めることができれば、保護者は冷静になり、担任の言葉に耳を傾ける余裕が出てきます。
 担任が、主観や推測はおりまぜず、保護者に子どもの行動と担任の対応をそのまま伝えます。事実を行動レベルで分析的に伝えます。
 そうすれば、保護者も教師も感情を高ぶらせることなく、冷静に話すことができます。
 ポイントは、担任の説明が言い訳や釈明になってしまわないことです。
 保護者が、わが子の問題点と向き合うと、感情が揺れるのも仕方がないことです。
 保護者の不安な気持ちに寄り添いつつ、状況を一つひとつ順番に、具体的に伝え、担任が勝手な判断に基づいて、過剰な指導をしたと受け取られないようにすることが大切です。
 担任が対応を説明したとき、保護者が、わが子の問題点を認めたくないあまり、わが子が悪いのか、正しいのか、はっきりさせることにこだわる保護者もいます。
 保護者が自分の望む結論を出さない担任に不信感が高まり、何を言ってもむだだと感じ、その後の話し合いや対応に非協力的になる恐れもあります。
 話し合いの視点を原因追及から、保護者と担任との連携に変えます。
 保護者に、学校にどのような対応を期待されているのか尋ねます。
 保護者の要望が少々、自分勝手であっても、途中で遮らずによく聞き、保護者の思いを理解します。
 保護者の要望の内容が受け入れられない場合には、その対応を取ることによって予想される周囲の反発などを伝え、保護者に考えてもらい、意見を求めます。
 大切なのは、子どものために何ができるのかを、保護者と一緒に考えることです。
 担任の対応によって、起こる子どもたちの反応を予想しながら、保護者が自分の気持ちに折り合いをつけ、子どもたちのために、保護者と担任とが協力できる関係性を構築することがポイントです。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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小学校の母親が求める「よい担任の先生」とは、どのような担任か

 小学校の母親が求めるよい担任の先生とは、どのような担任なのでしょうか。
 小学校は一人の先生が一つのクラスを、授業から生活まですべて見守るシステム。だからこそ親の願いはただ一つ「よい先生に受け持ってほしい」です。
 でも「よい先生」の条件ってどのようなものでしょうか。
 そこで、小学校ママ100人委員会の母親に、過去にわが子を受け持ってもらった小学校の担任の先生についてアンケート調査をしてみました。
その結果は
(1)
奇跡と思うほど、よい先生:23人(9.2%)
(2)
よい先生:111人(44.5%)
(3)
そこそこの先生:77人(30.9%)
(4)
まったくダメ先生:38人(15.4%)
でした。
 アンケートを見ても、母親たちが求める「よい先生像」はいろいろですが、代表的な「よい先生」の条件は
(1)
わかりやすい授業(先生の本分はこれでしょう)
 生活科で育てたにんじんでクッキーを作って、にんじん嫌いな子にも食べられる工夫をしたり、ほかの先生にはない工夫が魅力的でした。
(2)
「ほめ」じょうず(子どもたちのやる気をアップ)
 親が気づかなかった子どもの様子を本当によく見てくれ、しかもじょうずにほめてくれます。
 それで子どもは張り切り、ますますがんばり、目に見えて成長しました。
(3)
魅力的な人柄(子どもにだって伝わる!)
 去年の担任は子どもたちに大人気。
 個人面談で私ともさまざまな話題に花が咲きました。
(4)
豊かな学級通信(心の交流を形にしてくれる)
 私の娘は手のかかる子で、先生はかなり苦労し、努力を重ね信頼を得ました。
 そんなエピソードを含めた「もうひとつの学級便り」が最後の懇談会のときに配られました。読むと感激で涙。すばらしい先生です。
(5)
トラブルへの対応(フットワークの軽さが必要)
 子ども同士でもめたことは、必ず親にも状況を報告してくれます。
 何かトラブルがあったとき、先生は必ず、子ども自身にじっくり話し合いをさせます。しかも解決するところまで見守ってくれる。
 そのほかにも、「えこひきしない先生」「冷静な先生」「ちゃんとしかれる先生」などの声がありました。
(
小学校ママ100人委員会:女性雑誌「Como(コモ)(ファション、美容から料理、子育てまで幅広い記事を掲載)のアンケート部隊)

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教師になって30年、教師人生の中で唯一誇れることは、教師を辞めたいと思ったことは一度なかったこと

 私は教師になって30年になります。
 そんな教師人生の中で唯一誇れることは、教師を辞めたいと思ったことは一度もなかったということです。
 今、教師は難しい状況の中におかれています。
 教師は日々、多忙を極めています。
 子どもたちと、うまく関係を築けず学級運営に困っている教師。
 授業がうまくいかず四苦八苦している教師。
 多忙さから辞めたいと思っている教師。
 このような教師が、どの学校にも多くいます。
 私が辞めたいと思わなかった理由は、つぎのような「人との出会い」があったからです。
(1)
子どもたちとの出会い
 子どもたちの言葉、子どもたちのサインから教師としてどのように立ち振る舞うべきなのかということを突き付けられました。
 たくさんのことを子どもたちから、どうすればよいか学んだように思います。
(2)
研究会で出会った仲間
 研究会で出会った仲間です。困ったとき、行き詰まったとき、多くの仲間からアドバイスをもらいました。
 同じ志を持つ仲間を持つことは、教師として成長するには欠かせないことだと思います。
(3)
アーティストとの出会い
 そして、三つ目は、アーティストとの出会いです。この出会いが、もう一度、自分の実践を見直すことになりました。
 また「どう生きるべきか」ということについても、考え直させてくれたのです。
 例えば、世界的に名声のある穐吉(あきよし)敏子(米国在住ジャズピアニスト)にお願いして学校鑑賞で演奏してもらいました。
 そのとき、穐吉さんから「レベルの高い音楽をめざしたかったのでアメリカに行った。迷いはなかった」という話をお聞きしました。
「道を決めたら迷わない」という、大事なことを私は教わった。
 いろんな出会いが、私の教師人生を豊かなものにしてくれたのだと思います。
(
糸井 登:1959年生まれ、京都府公立小学校教師を経て、私立立命館小学校教師)

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自分にしかない武器となる魅力的な話し方をするにはどうすればよいか

 人間、誰でも自分にしかないものを持っています。自分にしかない顔、自分にしかない声、自分にしかない人柄、自分にしかない興味や体験から得た知識・・・・・。
 そんなものが素直に発揮されているのが、私が考える、いちばん魅力的な話し方です。
 そういう自分の武器となるものに気づけるかでしょう。
 気づくには、やっぱり場数が必要です。
 人とたくさん話をしているうちに、自分のこういう話は受けるんだというのが分かると思います。
 それを意識して利用しようとすると、鼻持ちならなくなることがありますが、それは一時的なこと。さらに場数を踏んでいくと、また自然になっていくものです。
 芸人というのは怖いもので、場の「空気」を目で見るというより、肌で感じて対応しているようなところがあるんです。
「今日のお客さまはこうだな」「空気がこう変わったな」ということが、頭で考えなくても分かる。
 その直観を育てたものが何かといったら、やっぱり一つには場数でしょう。
 いろいろなお客さまの前でお話をして、いろいろな状況を経験してきた。その蓄積が瞬発的な対応力、引き出しの多さになっているんじゃないかと思います。
 しかし、ただ場数を踏めばいいというものでもありません。分かりやすく、面白く伝えようという意識が必要ですし、その根底には、人に対する思いやりがなきゃいけません。
 場の「空気」が読めるか読めないかは、一つには思いやりの差です。ふだんから、相手の身になって物事を考えているかどうか。
 思いやりのたりない人が人前で話をすると、自分勝手な話し方をするものです。話というのは、自分が何を言ったかではなく、相手にどう伝わったかが大事です。
 ところが、それが分かっていない人は、自分の言いたいことを言いたいようにしゃべって満足する。
 そういう人がいくら場数を踏んでも、場の「空気」がよめるようにはなりません。
 ふだんから相手の身になって考えられるかということが、人前で話すときの、場の「空気」を読めるかということに関わってくるんです。
 もっとも、どんなに思いやりがあって、ふだんから相手の身になって考えている人でも、経験が少なければ、場の「空気」を読みながら話すことは、できるようになりません。
 と同時に、もっとも大事なのは、毎回、必ず反省することだと思います。
 上手くいかなかったときは、なぜ上手くいかなかったのか、上手くいったときには、どこが良かったのか、どうすればもっと上手くできたのかということを必ず反省する。
 失敗してもいいんです。その失敗をどう活かすかということが本当に大事です。これもふだんからの心がけで「失敗はかならずするもの。その経験を活かそう」とする姿勢が大事です。
(一龍斎貞水:1939年東京都生まれ、 講談師、人間国宝。「講談は守るべきものと開拓すべきものがある」が座右の銘)

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