教師が身につけておくとよい「生き方や考え方」とは何か
教師はプロフェッショナルであると私は考えている。
しかし、人並みのあいさつもできず、時間も厳守できず、人とも談笑もできないプロフェッショナルになってはならない。
教師は人間味があって世間の常識もわきまえ、人生を肯定的に生きている人である。
教師がそうなるためには、何を心がけるとよいでしょうか。そのためには
1 生き生きとした教師
生き生きとした教師とは、若年寄でない教師のことである。
若年寄の教師は、よくいえば素直であるが、わるくいえば覇気がない。
若年寄りの教師は、いかにも重厚で人生のことは何もかも承知している雰囲気の人である。
若年寄の教師は、子どもとの心のふれあいがもちにくい。
こういう人は、本当の自分を抑えて外界にあわせて生きている。
人に気に入れられるための人生であったことにやがて気づき、ある年齢になってから猛烈に自分を取り戻したくなる。
しかし、今さら人の期待にそむくわけもいかず悩むことになる。
人生は人に好かれるために生きているのではない。何かをなすために生きているのである。
教師は無軌道になるくらいの自由な精神の持ち主になる方がよい。
仕事も楽しくなるし、私生活も豊かになるからである。
2 創造性のある教師
創造性は感情と知的レベルのものがある。
(1)感情レベルの創造性
感情レベルのものとは、うれしいときにはうれしい顔ができ、泣きたいときには泣けることである。
つまり感情表出の豊かな教師が創造性の高い教師ということになる。
これをタイミングよく行っている教師が「自己開示」の上手な教師である。
教師が自己開示するから、子どもたちも自己開示しやすくなり、そこに心のふれあう人間関係が生まれるのである。
(2)既存のものに「新しい関係」を発見する能力
これは知的で思考を要する作業である。じっとしているだけでは出てこない。
つぶさに知りつくそうとしているうちに、新しいアイデアが生まれるのである。
(3)既存のものを「発想の転換、柔軟思考」で、新しい意味を発見する能力
創造性の乏しい人は、それまで教わった意味づけしか知らないので、それ以外の受け取り方が思いつかない。それゆえ、世も末だと思い込んでしまったりする。
創造性が育つためには、行動の自由と特定の「ねばならぬ」思考から解放されることである。
創造性の育成がなぜ大事なのかを考えると。今の世の中は昔のように行動様式や教育の指導法が一定していないからである。
それゆえ、そのつど頭を働かす必要がある。
3 生きがいをもつ
教師は子どもの模倣になる立場である。
それゆえ自分の実感から生きがいのある人生観をもつ必要性がある。
生きがいとは、人生に生きる意味があり、虚無感や無気力、自暴自棄にならず、人生を楽しんでいる状態である。
生きがいが生じるためには、
(1)時間の流れの中で今を見つめること
悩む人、落ち込む人、絶望する人は、今が人生のすべてであると、今しか目には入らないからである。
行動科学の理論を知っていれば先を推論できる。またイマジネーションを利用し、自分が子どもや親に感謝されている状況をイメージして生きがいを作り出すのである。
もう一つあげると、自己暗示で「人生に八方ふさがりはない」「朝の来ない夜はない」等を信じるのである。
私は苦境のとき、こういった教えを心に秘めて人生の希望を見出したことが何回もあった。
(2)自分の役割をもつ
自分の居場所があるということである。
それゆえ、教師が学校、家庭、サークル、仲間づきあいで自分の役割をもつ体験はきわめて大事である。
役割には必ず権限と責任が伴うのでグループ体験をすることが自分の「生きがい」を育てることになるのである。
学校行事を教師が協力してこなす体験は、他の関係の中で自分を自覚する生きがいの源泉であるといえよう。
(3)人と感情交流をもつ
人は孤立感が強いとき生きる意欲は出てこない。
他とのつながりがあるときには人生のフラストレーションに耐えることができる。
これまで親・配偶者・上司・同僚に今まで「してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を思い出す。
これによって感謝の念が湧きおこってくるのである。
4 人生哲学
哲学というのは私たちの言動の前提になるものである。
哲学(思想)があるから感情も生じるのである。
生活を通じて哲学を吟味することである。
この前提が定まらないと、子育ても教育も一貫性が出てこない。
日常生活の前提(哲学)を提言すると
(1)自分が人生の主人公である
自分が自分の主人公であるという勇往邁進(目的に向かって,わきめもふらず勇ましく進んで行くこと)の気概をもつことは好ましいものである。
(2)「べき」からの解放
「人は○○すべきである」等の「べき」がある限り、自己嫌悪、人を嫌悪、人生をうらむという結果になるのが常である。
5 余暇と教養
教師の仕事はストレスの多い仕事である。
良心的な教師ほど「燃え尽き症候群」になりやすい。
燃え尽き症候群にならないためにも、人生を楽しむためにも余暇の使い方と教養を豊かにすることは大事である。
人生とは時間をいかに費やすかである。
時間の費やし方にバランスのある人が生き方のモデルになる。
人生は仕事のほかに、余暇活動、つきあいなど時間の費やし方がいくらでもある。
それぞれを上手にバランスをとって生活に組み込んでいる人が人生の達人である。
完全癖から脱却することである。
時間がいくらあっても足りない。そこで重要度にランキングをつけて、低位のものは切り捨てることである。
教師にとって教養は、人生を自分の専門である教職以外の目で見るという意味がある。
プロは時々刻々と変動する状況の中でそのつど、自分で判断して行動を選ぶところにある。
自分の専門だけを拠りどころにしては判断を誤ることがある。
子どもの人生に関わる教師としては、幅広い教養にふれて、できるだけ複数の観点になじんでおく方がよい。
例やたとえ話に不自由しないし、子どもたちに共感的に理解を示すことができる。
(國分康孝:1930年大阪府生まれ、 東京理科大学教授、 筑波大学教授、東京成徳大学副学長などを歴任。日本カウンセリング学会会長、日本産業カウンセラー協会副会長なども歴任し、日本教育カウンセラー協会会長。構成的グループエンカウンターを開発した)
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