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教師が最初の3年間をどのように生きるかは決定的な意義をもつ

 教育という仕事は、子どもたちの生命に火を点じて、これを目ざめさす点にある。
 それはまた、真に主体的に自己を確立させることだといえましょう。
 それには、何よりも先ず、教師自らが生命に火を点じなくてはならぬからです。
 かくして、真の教育は、教師自身が自ら主体的に生きることによってのみ、行われると言えましょう。
 教師として、ひとかどの生き方をしようとするためには、最初の3年間をどのように生きるかは、その人にとって決定的な意義をもつ。
 これは不動の真理といってよいと思います。
 では、その3年間の基礎時代に、われわれ教師はいったいどのような生き方をすればよいでしょうか。
 大別すると。
(1)
教材に関する問題
 子どもの実力に大きなひらきができるということは、教師の教材に対する研究というか、そのこなし方が不十分ということが、何といっても一番大きな原因といってよい。
 教科書の研究は、少なくとも3種類以上の、他の教科書会社の教科書の研究を全学年にわたりする必要があると思う。
 次に、教授法の研究です。学校現場のすぐれた実践人の実践記録につねに最大の関心を寄せる必要があると思います。
 こうした研究は、自分ひとりでやるよりも、グループでやる方が、比較的やり易いと思います。有志が集って、そうしたグループを作るようにするのがよい。
(2)
授業の仕方に関する問題
 学習指導で一番大事なことは、基礎学力です。
 どうすれば子どもたちの基礎学力をつけることができるでしょうか。
 要するに、まず国語の本をスラスラ読めるようにすること、算数の四則をしっかり身につけさせることは、不動の鉄則といってよいでしょう。
 教師は1時間に少なくとも3回は机間を巡視して、1回に3人から5人くらいの子どもに、たとえホンの一言でもよいから言葉をかけて、その子どもの学習状態に一つのクサビを打ち込めるようでありたいと思います。
 板書は、芦田恵之助先生に教わったことですが、一字一字を清書のつもりで、ていねいに書くように努力してください。
(3)
学級経営
 学級経営の一番大事なことは、いうまでもなく、子どもたちの心をつかむことであるといえましょう。
 それには、教師も子どもも等しく一人の人間であるという自覚に立って、子どもたちが考えていることを、自由に話させるようにさせることだといえましょう。
 たとえ教師が、子どもを思い心から愛していたとしても、それが保護者の心に通じる具体的な通路がひらかれていなかったとしたら、保護者は心を開いてはくれないでしょう。
 教師の子どもたちへの愛情が、親たちに分かるようになるには、持続的な努力以外にその途を知りません。
 例えば、ノートや作文など子どもたちの提出物を、丹念に心をこめてみてあげることも、保護者の立場からは、その教師の愛情を最も端的に伺い知る事柄といってよいでしょう。
 家庭訪問で大事なことの一つは、必ず長所を聞き出すことを忘れてはならない。
 そうすると、その後親たちにも、わが子の教育方針に、方向転換を与えるキッカケともなります。
 教師の実践の研究は、到達した結論のみでなく、プロセスの記録の方がより大切であり、意義が深いと考える。
(4)
生活指導
 非行の問題は、その原因が家庭における愛情の欠乏にあるわけですから、根本対策としては、保護者を説得して目覚めさせるしかない。
 しかし、それが不可能な場合は、教師自身が、親代わりになって、どこまで愛情を注いでやれるかの問題だといってよいでしょう。
 そして、クラスの子たちが「あんな子にしたのはわれわれの共同責任だ」と考えるようになり、クラス全体の空気を高めることが出来たら最高です。
(
森 信三:1896年-1992年、愛知県生まれ、哲学者・教育者。全国を教育行脚した。神戸大学教育学部教授、神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設)

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