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2019年2月に作成された記事

何でもうち明けられる教師になるには、どうすればよいのでしょうか

 教育という仕事は、相手の生命に火を点じて、目覚めさせる点にある。
 それには、何よりも先ず教師たるわれわれ自身が、みずからの生命に火を点じなくてはならない。
 子どもたちの心をつかむには、子どもたちが、自分の考えていることを、何の遠慮もなく、自由に話させるようにさせることだといえましょう。
 そのためには、まず教師自身がその根本において、自分も子どもも、共にひとしく一人の人間であるという自覚に立って、子どもたちに接することが、基盤だろうと思います。
 生徒たちから、何でもうち明けられる教師になるために、
 第一に必要なことは、教師が生徒と人間的に同一の基盤に立つということではないかと思うのです。
 そのうえに、さらに必要なものとして、教師は何よりもまず人間的な暖かさが必要だと思うのです。
 それには、生徒のために、常に親切に尽くしてやるように努力することでしょう。
 そのうえに、今一つの条件はといえば、相手の心の扉を「開けるこつ」とか、テクニックとでもいうものを、身につけることでしょうね。
 もちろん、生徒から信頼されることが必須の条件となってきます。
(
森 信三:1896年-1992年、愛知県生まれ、哲学者・教育者。全国を教育行脚した。神戸大学教育学部教授、神戸海星女子学院大学教授。1975年「実践人の家」建設)

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子どもたちのおしゃべりで授業が進まないとき、若い教師はどのような工夫をしているのでしょうか

 子どもたちのおしゃべりで授業が進まないとき、若い教師の工夫をしている方法は
1 とにかく待つ
(1)
おしゃべりに教師も混ざって、楽しみ、話の空白で瞬時に
「さて、この楽しい雰囲気で授業を進めよう。次は」
などと言って、教師のペースに戻ります。
 とにかく待つ。静かになるまで絶対に始めない。
(2)
無理に進めない。しりとりとかして、落ち着いたら始める。
(3)
気づくまで黙ってみんなを見る。
(4)
教師が子どもの目を見て黙る。
(5)
教師が話さず待っている。
2 しゃべってはいけないことを「きまり」する
(1)
なぜしゃべってはいけないのか、きちんと説明します。
 教師や友だちの話を聞きたい人や、学習したい人がいるので、じゃまをしてはいけない、ということを「きまり」と位置づけます。
(2)
始めに「このカードが出ているときは、だまって話を聞こう」と約束して、しゃべってしまう子がいたときに「お静かにカード」「聴く時間カード」のプラカードを掲げる。
(3)
教師が「グーのハンドサイン」をしたら注目するという約束を4月にしておく。
 黙ってハンドサインをする。
3 授業に時間の区切りを入れる
「聴く時間」「書く時間」「話し合う時間」などのメリハリをつける。
 45分間ずっと黙っているのではなく「ここは全員聴いて」「今は書く時間だから、おしゃべりはいりません」「隣の人と2分間、話し合って」とわける。
4 よく聞いている子どもをほめる
 早く静かにできた人や班をほめる。
5 音を鳴らす
(1)
旅先で買ったベルを鳴らします。すぐに静かになり注目します。
(2)
チャイムや楽器の音を鳴らし、静かにする合図にする。 
6 ゲームをする
(1)
「これ何本?」と言って指を立て、「じゃあこれは?」と続けるうちに、子どもたちのほとんどが「〇本」と反応してくれるので
 そこで「いい集中力じゃん! そのまま聞いてね」というようにしていました。
(2)
簡単なゲームをして、注意をこちらにむけ直す。
7 叱る
 静かになるまで待つ。うるさいときは、思いっきりしかります。
 そして説明します。「勉強したい人がいるのに、その権利を奪うな」と。
8 小さな声で静かに語る
(
佐藤/隆:1957年生まれ、都留文科大学教授。教育科学研究会副委員長、『教育』編集長。教育学、教育実践学、教師教育論を主な研究領域としている)

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学校に厄介な要求・苦情を言う凶暴な保護者の4タイプと、どう対応すればよいのでしょうか

 学校に特に厄介な要求・苦情を言う保護者のタイプは大きくわけて次のタイプがある。どう対応すればよいのでしょうか。
1 わが子を溺愛する保護者
 わが子を愛するがあまり、少しでも有利になるよう、不利益を受けないように、学校にねじ込んでしまうタイプ。例えば、
「新年度は、ウチの子どもと仲のいい友だちを同じクラスにしてほしい」
「先生の叱り方が悪いから、子どもが傷ついた」
 学校に寄せられる理不尽な要求・苦情の大半がこのタイプである。
 教師の指導方法やクラス替えに文句を言うといった表面的なできごとに惑わされないようにする。
 その裏に潜む本音や真意、つまり「わが子が、かわいくてしかたがない」という気持ちを察し、共感できれば解決の糸口が見える。
2 欲求不満解消型(自己愛型) 
 学校を責めることで「自分が子どものために行動した」「子ども思いのいい親だ」と思い込んでいる。
 こういう保護者は自己愛が強いため、少しでも反論しようものなら、いきなりキレるおそれがあるので、粛々と話を聞きつつ、ゆっくり真意を探る必要がある。
3 理解不能型の保護者
 精神的に不安定になっているかもしれない保護者である。
 もっとも対応が難しい。
 主張が二転三転するうえに、何の原因で要求や苦情を入れているのか、どんな行動に出るのか、まるで読めない、という。例えば、
 夜中に教師の家に電話したり、車に押し込み連れ回す保護者もいるという。
 偽物の弁護士やマスコミの人間を引き連れて学校を訪れ「出るとこ、出るぞ」「新聞に書き立ててやる」と脅しつけるケースもある。
 保護者のメンタルヘルスの問題を学校の教師が解決できるわけでもない。
 保護者の言葉や行動を逐一記録しておいて、スクールカウンセラーなどの専門家に相談するほかはない。
4 利益追求・金銭要求型
 苦情の対価として金銭を要求する保護者である。
「金をよこせ」とやってしまうと、恐喝になってしまうため、慰謝料や休業補償、交通費など、手を替え品を変え、金をせびる。
 実際に恐喝まがいの保護者に出くわしたA校長は「学校には、払えるお金なんてありません」と笑うが、学校に金品を要求する保護者がいる。
 金品を要求する以上、事件性は高い。教師や学校は警察と連携するなど、毅然とした態度を取るべきだ。
(
成松 哲:1974年大分県生まれ、ジャーナリスト)


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叱られたと感じさせない、ほめられていると感じさせる叱りは、どのようにすればできるのでしょうか

 子ども自らが、反省し改善に向かう力を身につけさせるのが「叱り」本来の目的です。
 子どもはほめられることが好きです。
 子どもが「ほめられている」と感じることができるような叱り方を意識していきたいものです。
 子どもたちが「叱られたと感じさせない」ような「上級の叱り方」をするには、どのようにすればよいのでしょうか。
1 自分も認められたいという思いにさせる
 どんな子でも、他の子を意識しています。
 友だちが教師にほめられると、自分も同じように認められたいと、良い行動を見習おうとします。
 その習性を理解すれば、叱り方にも効果的に応用することができます。
 例えば、
(1)
授業中に姿勢が崩れてきた時、正しい姿勢で学習している子をほめるようにします。
(2)
素早く準備させたいと思えば、早くできている子をほめます。
 そうすれば、できていない他の子どもたちは、それに触発されて自然に正しい行動に改善していきます。
2 その子を期待しながら叱る
 子どもを伸ばすために叱るのです。
「先生に期待されているから叱られる」と思わせる叱り方をします。
「先生は、やればできる子を叱る」
「きみなら、分かると思うから叱る」
と伝えることで、子どもは自信をもつことができます。
 成長しようと、素直に叱られることを受け入れ、反省することもできるようになります。
3 叱られることを、素直に受け入れる姿勢を子どもにつくる
「叱られることは、大切にされていること」と、子どもに伝えよう。
 子どもを叱るときは、
「素直に叱られることはすばらしい」
「きみは伸びる子だ」
と、必ずつけ加えることが重要です。
 教師のひと言で、子どもは叱られることの真の意味を理解し、成長するための姿勢を身につけるようになります。
 叱りを受け入れる姿勢ができている子には、教師はより良くなるように指導したいと思うものです。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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教師が陥りやすい思考パターンと、ストレスで心身に悪影響を及ぼさないようにする具体的方法とは

 認知が偏り、うつに陥りやすい思考バターンというものがいくつかあります。その一つが
「〇〇すべきだ」
「〇〇すべきでない」
「〇〇でなければならない」
「〇〇であってはならない」
という考え方で「べき思考」と呼ばれています。
 教師は子どもを指導する職業なので、日頃からこうした「べき思考」に馴染んでいます。
 長年教職についていると、ある意味「職業人格」と言えるかもしれません。
「自分は教師だから、お手本にならなければならない」
「自分は教師だから、間違えてはならない」
「自分は教師だから、分からないことがあってはならない」
「自分は教師だから、子どもに弱い姿を見せられない」
 こうした思考にいつも縛られていると、理想通りにいかない場合に、過度に落ち込んだり、自分を責めたりしまいがちです。
「保護者にクレームを言われるなんて、教師として失格だ」
「子どもに聞かれたことに答えられなかった。教師として情けない」
 そんなふうに思ってしまうかもしれません。
 もちろん、多くの教師が職業への使命感や責任感、誇りを持っているからこそ、学校教育が成り立っています。
 一方で、そうした職業的思考が、教師自身を追い込む「もろ刃の剣」となってしまうのは皮肉なことです。
「教師たるもの、いい加減になってはいけない」のはその通りですが、いつも同じ「べき思考」で無理を重ねると、いつかポッキリと心が折れてしまうかもしれません。
 教師として生きるべきとき以外には、理想通りにいかない現実を見つつ「良()い、加減」に考えてもよいのではないでしょうか。
 思考のクセやこびりついた考えを止めるには、まずそのことに気づくこと、次に思考を入れ替えることです。
 生きていくうえで、ストレスはつきものです。問題が起こる場所は、自分の心身です。そこで、心身をケアすることが必要になります。
 陥りがちな勘違いが「ストレスの原因を何とかしなければならない」という発想です。
 例えば「ああいう態度がストレスだ」「こんなこと言われて頭にきた」という場合に、
「あの態度を改めてもらわねば」と考えてしまう人がいます。
 相手の態度が変わらなくても、ストレスマネジメントに取り組むことはできます。
 原因となったストレスがどこにあっても、自分自身をケアすることでしか、ストレスによる反応を緩和することはできないのです。
 ストレスで心身に悪影響を及ぼさないようにする具体的方法は、
1 マインドフルネス
 ストレスがたまるのは、いやなこと、つらいことを頭の中で繰り返し再生してしまうことによります。
 繰り返し再生してしまうのを止めるには
(1)
別の考えに置き換えること
(2)
今起こっていることだけに集中すること
 身体の感覚を感じることから始めてみましょう。呼吸に伴う体の感覚、動くときの筋肉の感覚など、ふだんは気づかない感覚を感じとり、観察することで、ストレスをため込む「負の思考」から離れることができます。
(
具体的な方法は「月曜日がつらい先生へ-不安が消えるストレスマネジメント」真金薫子著 時事通信 2018)参照してください)
2 趣味・スポーツに興じる
 好きなことに没頭すれば、その間、嫌なことやつらいことは忘れることができます。お勧めはスポーツです。手軽にできるものはウォーキングです。
 歌が好きならカラオケもよいでしょう。
 趣味がない人は、何か新しい習い事にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
3 自然・動物と触れ合う
 自然には癒し効果があります。また、動物との触れ合うと、ストレス軽減や自尊感情向上などをもたらす力があります。
 植物の香りにはリラックスやリフレッシュの効果があります。緑茶も効果的です。
4 良質の睡眠を取る
 睡眠は疲労回復やストレス耐性が高まり、心身の健康を保つうえで非常に重要です。
 具体的には、朝必ず日光を浴びる。可能なら30分の昼寝。夕食は就寝の3時間前までに済ませ、ぬるめのお湯にのんびりと浸かる。
5 コラム法
 書く作業を通じて頭の中が整理されると同時に、異なる視点から物事を見直し、感情や考え方を見つめ直せる。
 読み返すうちに、自分の思考の癖に気づくかもしれません。
 例えば、自分がつらい思いをした出来事、その時の気分、考えたこと、別の考え、別の考えを書いた後の感情を書く。書き終えたら読み返す。
(
真金薫子:東京都教職員互助会三楽病院精神科部長、東京都教職員総合健康センター長、東京医科歯科大学臨床教授
)

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部活動中に足を骨折した子どもの保護者から、タクシー代金を請求され「誠意を見せろ」と言われました、どう対応すればよいのでしょうか

 部活動中に足を骨折した子の保護者から、病院から自宅に帰るために使ったタクシー代金を請求され、3000円支払いました。
「登下校もタクシーが必要だな」「子どもも親も辛い思いをした」「誠意をみせろ」
と、きつい口調で言われました。どうすればよいのでしょうか。
 学校管理下の事故に対しては日本スポーツセンターの災害共済給付制度が適応され、ケガの場合は、医療費給付金が支払われます。
 医療費給付金は総医療費の1割増しとなります。これは通院費等を考慮したものです。ですから、タクシー代金の支払いは出所のない出費ということになります。
 骨折事故に施設の安全性を欠く状態や、指導上に事故予見性があり、回避する可能性があったにもかかわらず防止を怠った場合があったなら、損害賠償の請求をすべきです。
 それをしないで「誠意を見せろ」というのは、治療費・交通費・慰謝料・休業補償を暗に要求しているのかも知れません。
 そうであれば、理不尽なクレーマーと言われてもやむを得ないでしょう。
 このようなクレーマーには、次のようなクレーム対応の基本に従って長期戦覚悟で臨んでください。
1 一人で対応しないこと。
2 面接の原則は
(1)
あらかじめ会う人を決めておく。
(2)
場所は学校を基本に
(3)
時間は常識的に1時間程度
 この「人・場・時」を崩されると防戦一方にならざるを得ないことがあります。
3 細かな記録をとる。
 保護者の言葉等、なるべく忠実に再現しておくことが大切です。
 同席した同僚の位置等の位置関係も図示しておくとよいでしょう。
4 相手の気持ちは受容しても、事実には安易に同調しないこと。
 例えば「〇〇さんを不憫に思われているんですね」「怒りをぶつけたいお気持ちでしょう」など
5 理不尽な苦情・要求にはきっぱりと断ること。
 ケガをした子どものことを第一に考え、学校と保護者とは誠意をもって対応することが大事です。
 学校と保護者とがいがみあっていたのでは、中に入った子どもが気の毒です。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師、教育研究所指導主事、中学校長、日本学校教育相談学会会長等を経て神田外語大学教授
)

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いじめを克服するには、いじめる子を孤立させ、闘うことができる学級にするとよい

 いじめを克服するには、闘うことができる力のある学級にすることである。そのためには
(1)
教師が、いじめの中心の子どもと闘い、勝つことである。
(2)
クラスの子どもたちを味方にして、子どもたちに自信をつけ、いじめの中心の子どもを孤立させることである。
 このことは、特に小学校高学年で、女教師が担任になる場合は、鉄則である。
 闘う機会は、学級開きの初めのころに必ずあり、それを逃してはいけない。
 子どもたちとの初めての出会いから、全力でやりぬくことである。早ければ早いほど後が楽になる。
 私はある年、6年生の担任になった。
 4月の教室での出会いは、子どもたちの冷たい目と、暗い表情に迎えられた。
 そのクラスは前年度、一人の男の子が数人の女の子を脅し、いじめが存在するのではないかと専科の教師から聞いた。
 いじめの中心人物のA男は男子を仕切り、女子に脅しや乱暴、窃盗をしていた。男子には順番に仲間外しを行っていた。
 A男のことを聞こうとするが、みんな警戒して話さない。結局、目の前で起こった事件の時に対決するしかなかった。
 1週間後、チャンスが来た。一人の女の子が「掃除をして」とA男に注意したが「なまいきだ」と蹴飛ばされ、泣いて教室から抜け出したのである。
 私は全員の前で「掃除をしないことを注意されて、乱暴する子がいたそうです」
 A男に向かって「そうですね」と念を押す。A男はうなずいた。
「それでは、みんなに聞きます。注意して、仕返しに乱暴される。これを許しておけますか。許せない人は、手をあげなさい」
 全体の子がのそのそと手をあげた。ただ、A男のグループは手をあげない。私は、
「わかりました。『ルールを守らないことを注意されたら仕返しする』という考えの人が何人かいることがわかりました」
「これは、大変なことなので、これから保護者会を開いて、このことを家の人にも考えてもらいます」
と言うと、手をあげない子の顔つきが変わった。そこで、私は
「じゃ、もう一度、手をあげてもらいます。許せない人は、手をあげなさい」
 これで全員が手をあげた。
 初めて、全員がA男を批判した形になった。やっとA男対クラス全員となったのである。
 私と子どもとの距離が急速に縮まり、女子はいろいろ私に話してくるようになった。
 仕返しを恐れているクラスだから、情報を得て、すぐには指導せず記録に止めておくようにした。絶対に信用のある情報だけを指導するようにした。
 情報が少しの場合は、いろんな子どもに聞いて、情報を集める。確かになってきたら、A男のグループの子に確かめる。
 その時は、A男のグループの子を一人ずつ呼んで「こういうこと知ってる?」と聞いてまわった。そして、中心がA男だとわかると、最後にA男を呼ぶと、A男はうなずいた。
 このように確かなものから指導をしていった。
 授業でも闘った。
 事件が起こった時だけ指導してもまにあわない。クラスのみんなに自信をつけさせないといけない。
 授業は発言者が少なく、たった一つの正解を、A男がどなって答えるという場面をなくした。
 順番に発表させることを授業の中心においた。必ず一人一回は発表する。
 あるいは、できた人からノートに書かせて評価した。
 問題の出題に気をつけ、答えがいろいろわかると分かれる場面をつくった。
 変わった意見、独自の意見は大いにほめた。
 だんだんと教室が明るくなり、何を言っても大丈夫な雰囲気が生まれた。
 A男の発言力は、急速に低下して、他の子が圧倒するようになった。
 個人的に声をかけてA男をはげました。わからないところを聞きにくるようになった。
(
石川裕美:元東京都公立小学校教師・雑誌編集長・サークル代表
)

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百貨店のお客1,300件以上の苦情に、プロはどのように対応したか

 私は百貨店のお客様相談室の室長になり苦情対応の仕事をしていました。
 百貨店は苦情の宝庫です。苦情の種類にもいろいろあります。
 お客様が大きく変化し、消費者が守られる状態になってきて、お客様が非常に強くなりました。
 苦情というものは、不満、不公平、そして不安というものが形を変えて訴えてくるのです。
 そして今の時代は、弱者へのうっぷん晴らし、いじめという状況にもなります。一部はクレーマーになってくる方もいます。
 苦情の対応能力を養う方法は、場数を踏む、つまり経験を重ねる以外ないのです。
 相手に言い訳(説明)する必要がでてきます。
 ところが、言い訳というのは、技術的にも相当難易度が高いものなのです。
 これを言い訳と、相手にとられた場合には、相手は怒る一方ですので、そこに非常に難しさがあるんです。
 本を読む、人に聞くことは苦情対策の近道になることは確かですけれど、一つひとつ冷や汗をかき、経験すること以外に成長する糧はありません。
 また、苦情の対応にはベストの方法はありません。自分がベストと思って行動しても、相手はそれに突っ込んできます。
 そしたら、また返事をしないといけないんです。もうここまでだとは言い切れないんです。ですから、ベターのくりかえしです。
 クレームの悪い対応としては「早く終わりにさせたい」とか「言いなりになって、気分よく言わせて帰してしまおう」というものです。
 いい対応は、すべてを聴くということです。
 相手が言おうとしていることをすべて聴いてしまう。これが非常に大事なことです。
 なぜなら、すべてを聞いてしまうと、相手は武器がなくなったのと同じです。だから、言わせてしまうということなんです。
 長く聞いていくと、相手の本音が見えます。その本音が見えた時に、そちらに素早くチェンジして、本心の部分を聴いていくことによって、収まることがあると思います。
 相手の話を途中で折るなんてことはとんでもないことで「まだありませんか」「他にもありませんか」と言って聴きつづけます。
 さらに表情を読むことも大事です。
 こちらが合いの手を入れたり、説明した時の表情を、人間は読みとる能力を持っていますから、ここを突くんだと思ったらぐいぐい入っていきます。
 相手が怖い顔をしたと思ったら引きます。「今のは取り消します」って言うんです。
 そして、毅然とする時は毅然としなければいけません。「それだけは、できません」ってはっきり言うんです。
 謝罪するときは、相手の気持ちの中まで入り込んで謝罪します。
 一番大事なことは「この人に、ここから去らないでほしい。ここにいてほしいんだ」ということを願うことです。
 すると、顔が「自然と温和な顔になって、相手の気持ちまでやわらげる」といいます。最後は、やっぱりこれなんです。そして、相手は満足します。
 苦情の対応の流れは、
 まず非常に面倒なことを言われるので、お客様に心理面について謝罪します。
 解決策を提示しないと相手は黙ってくれません。
 原因を追究し、解決策を内部で検討します。そして対応にあたります。
 説明した中で「問題は、こう直します」と解決方法を伝えます。
 解決方法を了承したならば、改善を実施して、お客様を納得してもらいます。
「私はムダな時間を使って来ているのだ」というお客様の心のトゲまでとるため、
「大変ご足労をかけて大変ムダな時間をおかけしました」
「解決しましたが、お気持ちのほうもお許し願えたでしょうか」
と言います。
 そこまで言って「はい満足しました」と言わせることです。これで99%の解決です。
 クレーマーには、へりくだって、相手の分析に時間をかけざるをえません。
 相手をもちあげて、突っ込んで話をして、癖をすべて覚えます。この人はこれが強いが、これが弱いっていうことを測るんです。
 相手が無理難題を吹っかけた時は黙り考えるふりをします。
 そのかわり、できないことと分かっている時には「それは、うちではできません」と即答してください。
 この2つの間()は非常に大事です。
 苦情の対応は、ともかく「迅速に」ということが大切です。時間をおけばおくほど、相手はイライラします。そして「誠意」をもって対応する。相手の気持ちになるということです。
(関根眞一:1950年埼玉県生まれ、苦情・クレーム対応アドバイザー。百貨店に34年間在職し、お客様相談室長として1,300件以上の苦情に対応した。メデュケーション()代表取締役。新学校保護者関係研究会委員) 


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叱るとき、叱りモードを引きずらず、笑顔に戻る切り替えの早さは子どもの指導に役立つ

 いつまでも、叱りモードを引きずってはいけません。指導後は、気持ちを素早く切り替え、笑顔に戻りましょう。
 子どもを指導する時は、子どもの言動に教師の感情が刺激されることがきっかけになります。
 特に叱って指導する場合、よくよく気を付けなくては、感情が激しく揺さぶられてしまいます。
 感情に身を任せていると、どんどん怒りが増幅していき、ついに抑えきれなくなって、子どもに感情をぶつける危険性があります。
 冷静に叱るためにも、気持ちを切り替える余裕をもちましょう。
 叱りモードが長く引きずるのは、気持ちの切り替えができない未熟さが原因と言えます。
 教師は大人ですから、当然子どもと同じレベルではいけません。
 叱った後に、気持ちを切り替えて、通常モードで子どもに接するようにしましょう。
 つい先ほどまで厳しい顔をして怒っていた教師が、指導が終わったとたん、笑顔で通常モードに変わる姿は、子どもからすると、つかみどころのない怖さを感じるものです。
「先生は何もなかったような様子だけれど、本当のところは、どう思っているのだろう?」と、本心が分からない怖さです。
 この切り替えの早さは、子どもの指導にとても役立ちます。叱った後の子どものフォローのためにも、次の叱りのためにも、気持ちをすぐに切り替えることは重要です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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学級崩壊を回復するために、担任のヒントとなることとは

 学級崩壊は、クラスや担任によって違うので、一概にこれが効果的といえるものはない。
 学級崩壊になったのは、簡単に言えば、担任がクラスの子どもたちから否定されたのであるから、担任自身が変わらなければならない。
 担任が学級崩壊を回復していく際に、心がけるヒントを次に示すと
1 これまでと、声のトーンや表情、行動の仕方、態度など、すべてを変える
 担任である自分が否定されたのだから、まったく違う自分をつくって子どもの前に立つ意気込みが必要である。
 大きい声を出していた人は、少し小さめの声で、やわらかい表情で話すように心がける。
 これまで優しさを表に出していた人は、少し太いしっかりとした声で、自信ありげに子どもに語るようにする。
2 クラスの状況を分析する
 学級崩壊には、いろんな様相がある。その様相をしっかりと分析する。
(1)
誰が離席し、誰が誰の指示で動くのか。
(2)
あの子は、言って聞かせれば分かる子なのか。
 など、それらを行動心理も含め、分析する。
 問題行動の背景に発達障害などが想定される場合もある。そういった子どもたちへの対応もしっかりと勉強しておくとよい。
3 クラスの分析をもとに、一人ひとりを「はがしていく」
 クラスを分析し、大きく次の4つぐらいのタイプに分けてみる。
(1)
学習はしたいが、教師が頼りないと思っている子どもたちへの対応
 クラスが無秩序になっても、学習をきちんとしたいという子は必ずいる。
 その子たちのために、授業を思い切って進め、その子たちが自習できるところまで、もっていく。こうすることで、真面目な子どもたちがまず救われる。
 プリントなどをさせながら、復習の時間をとるとよい。
 そうすると、真面目な子どもたちは、学習が進んでいることを意識することができる。また、たいへんな子の指導もできる。
(2)
学習を乱す中心メンバーに、くっ付いている子たちへの対応
 学習を乱す中心メンバーとつるんでいる、人のよい、なんとなくくっついているような子どもたちを「はがし」にかかる。
 保護者を呼ぶことも辞さない覚悟で、多少威圧的な面を出さないといけない。
 死にものぐるいで行っていかないといけない。
 この子たちが、しっかりと学習に向かう姿勢を示すことができたときは、大きくほめる。
 この子たちが落ち着くと、中心メンバーも少し不安になってくる。
 ここまで軌道に乗せ、習慣化させていくことが大切である。
(3)
 学習を乱す中心メンバーの、学習への不安を抱えた子どもたちへの対応
 クラスを乱す中心メンバーの中には、「勉強がわからない」「集中力が続かない」など、必ず学習への不安を抱かえた子どもがいるはずである。
 面談するなどをして、おだやかに共感的に、毅然とした態度で、その子の本音を聞いていく。
「なぜ、そうしたか」「どうしてこういう態度をとったか」などが見えてくる。
 そこで、その子の思いをくんで、その子のために準備と配慮をしていく。がんばったことを大きくほめてあげる。
 また、少しでも「できた」「わかった」という気持ちをその子がもてたときに、きちんと声をかけてあげるようにすることも大切だ。
(4)
暴力など反社会的な行動をとる子どもたちへの反応
 行動が暴力的で話を理解しようとしない子どもたちもいる。
 心を許せる時があるなら「あなたの言いたいことも分かる」と相手を受けてれ、それでも、だめなことがあることをしっかりと伝えていくことも大切である。
 このような子どもとは、心からつき合わないと信じてはもらえない。
 悠長なことはしていられない。学校へ警察が介入することができる時代になっている。
 人の心と身体を傷つけてしまう行動に対しては毅然とした態度で向かうほかない。
 他の教師の力を借りたり、保護者への報告をしっかりとしつつ、そのつど行動を戒めていく必要がある。
 これらのことを行うには、相当な覚悟と強い意志がないとできない。人が変わるぐらいの意気込みで、鎮めていかないといけない。その覚悟が問われる。
4 担任として、どこがいけなかったかを分析し、変えていく
 クラスの子どもたちにとって、自分のどこがよくなかったのか、どこが合わなかったかを、冷静に考える必要がある。
 自分を分析的に見ていくことは、今の教師にとって本当に必要なことである。
 常に相手に合わせて変えていく力をもつとともに「人を育てる」という信念のもとに、変えない思いももち続けていく必要がある。
 自分を磨くこと、いろいろな子どもに対応できる人になることが、教師の能力、資質の一つである。
(
成瀬 仁:公立小学校教師。オーストラリア公立小学校での勤務経験がある。また、幼稚園の経験もあり、多彩な教職経験がある)

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新採教師はなぜおいつめられるのか、どうすればよいのでしょうか

 どんな職業でも新人として勤めることは、右も左もわからない、とまどうことばかりである。
 まして教師が初年度から小学校の学級担任になると、他の教師と何ら変わらない仕事を4月から取り組むことになる。初めての人には、ほとんど暗中模索、試行錯誤である。
 何が問題で、どうすればよいのでしょうか。
1 学級の子どもたちとの関係
 中でも一番重要でかつ大変なのが、学級の子どもたちとの関係づくりだ。
 自分が生徒だった時代の学校体験では考えられないような難しい子どもや学級の状況に慣れない教師は、誰でも当初はとまどうのが当たり前になりつつある。
2 保護者との関係
 今の保護者は、学校はサービス機関、教師はサービス労働者、親は消費者という学校観を身につけている。
 学校(教師)にどのような苦情の言い方をしようと、言う自分の側は安全だという思い込みがある。
 また、親が子育てや生活でのストレスで、ついつい言い方に性急さや攻撃性が伴ってしまうこともある。
 保護者からの厳しいクレームは、子どもとの関係に比べると、若い教師にはきついものになっている。
 その攻撃性がエスカレートしたり、不安の声が親の間に広まったりすれば、いっそうきつい。
 教師は自分の中に「教師としての誇り」が保持できなければ難しい仕事である。他者からの何らかの肯定的評価があって確保されるものである。
 保護者から「あなたの力量が足りないからではないか」と指弾されるきつさは「教師としての誇り」を突き崩されるほどのきつさであろう。
 このような保護者との関係の難しさが、多くの新採教師を悩ましており、自己否定感にまで追い込まれる例がみられる。
 そこでは、子どもや保護者とのトラブルへの対応が長時間の労働になることと、自己否定や自責による「教師としての誇り」の喪失とが重なっている。
3 管理職・同僚教師との関係
 管理職の対応のあり方が大きい。
 自殺まで追い込まれるケースでは、校長や副校長などが「あなたが悪いからだ、あなたの責任だ、謝りなさい」と、ここぞとでもいうように責める側に回っているのである。
 管理職も含めた同僚教師の職場での関係が、教員評価制度の浸透もあって、子どもの学級集団がいじめの温床になっているのと同様、学校職場の教師関係が悪質化へ誘う力も強く働いている。
 職場の管理職や同僚が、同じ教師でありながら、新採教師をサポートするとは限らず、むしろ責める側に回って追い詰めて行くケースがある。
「指導」に名を借りたある種の「組織的パワー・ハラスメント」であり、じつに恐ろしい事態である。
4 新採教師の支えは職場の同僚か、学校外の仲間か
 職場の同僚教師が、クレームを言う保護者には、担任を一人にしない教師間の連携を確保することは、大事な知恵だと思う。
 学校外のサークルや組合、大学時代からの友人などが新採教師の支えとなる場合が多い。
 そこで、新採教師などがつまずいた状況を率直に出し合い「苦しいのは自分だけじゃない」と救われたり、自分の苦闘と悩みとを受け止めてもらったりする。
 職場で受けた「管理職や先輩教師からの叱責」が実は不合理なものと気がついて自責感から解放させられたり、他の人の経験に学んだり、対処への適切なアドバイスをもらったりする。
 そういう過程で「子どもに対する見方や対処」についても新たに広がった視野を持ったりする。
 あるいは、クレームを言う保護者について新しい理解も開けたりする。
5 教師をめぐる世論と政策の転換期
 これまで、教師に対する不信・不満がマスコミの基本になり、国民の不信・不満を追い風に「いいかげんな教師たちを、仕事の成果できちんと評価し、鍛え直す」というのが教師政策・改革の指向となってきた。
 しかし、こうした教師への改革は、教師を追い詰めるばかりで、教師の精神疾患を急増させ、過労死や自殺などの悲惨な状況を生んでいる。
 成果主義の教員評価制度の導入が、教師たちを苦しめ、学校職場を悪質化している。
 教師たちが精神的にも健康で、伸び伸びと力量を発揮し、成長することは、学校を子どもの成長を助け、見守る場になる大事な条件である。
 教師に対するマスコミの論調も、政策・改革の方向も
「ここまで苦しみ追い込まれている教師たちの状況を、何とか真っ当なものにしなければ」という指向へと転換する、まさにその時期だと思う。
(
久富善之:1946年生まれ、一橋大学名誉教授。専門は教育社会学、学校文化・教員文化論)


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女児を蹴る男児を注意すると暴言し唾を吐いたので、胸ぐらをつかみ壁に押しつけ叱ったら、母親から体罰だと抗議があった、これは体罰でしょうか

 廊下を通りかかる女児を蹴ったりしていた男児を教師が注意したところ
「てめえの言うことなんかきくもんか」
と言って唾を吐いたので、胸ぐらを掴んで壁に押し当て
「そういう口の聞き方をしてはダメだ」
と叱ったところ、その夜、母親から「体罰だ」と抗議の電話をうけました。これは体罰でしょうか。
 この設問は、平成21年最高裁判例を脚色したものです。
 1,2審では「胸元をつかむ行為は不穏当」、「男児の恐怖心は相当なものだったと推認される」として
「社会通念上、教育指導の範囲を逸脱するもので体罰に該当する」としました。
 これに対し、最高裁の判決は、体罰に該当するものではないとしました。
 教師の行為は「有形力の行使」に当たるとしながらも「罰として肉体的苦痛を与えるために行われたものではない」と認定。
「目的、態様、継続時間などから判断して、教員が児童に行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱したものではなく、体罰に該当するものではない」と結論付けました。
 この判決の背景には、児童生徒による対教師暴力の増加や、授業規律の揺らぎ等の教育現場の実態、およびそれに対する世論の変化が考えられます。
 女児に暴力を振るう男児への注意は教師として当然のことです。
 誰もが安心・安全に過ごせる学校づくりを推進するには「非は非」として毅然とした指導を行う必要があります。
 単に教師の私憤による報復的行為とは思えません。
「体罰か否か」のグレーゾーンはしばしば保護者のクレームの対象になります。
「とりあえず謝っておけ」というクレーム対応は、決して「子どもの最善の利益」につながりません。
「体罰だと騒げば、学校(教師)は平身低頭、ひたすら謝る」という体験を積んだ子どもは、
「言ったもん勝ち」、「ごね得」、「自らの非は認めず、相手を責めるに限る」
といった、誤った価値判断をするようになってしまいます。
 今回の事例のような場合は、
(1)
母親と直接会う機会を設ける。
(2)
母親が子どもの訴えを聞いて、わが子を不憫に思った気持ち、教師を憎く感じた気持ち、すなわち心理的事実を受容する。
「〇〇くんをかわいそうと思う、そんな気持ちにさせて申しわけありませんでした」
と、心理的事実は受け入れ、謝罪します。
(3)
事実関係をはっきりと説明し、男児の行動の非(客観的事実)には厳正な姿勢を貫きます。
(4)
体罰との抗議には毅然とした態度で臨む。
ことが求められます。 
 なお、最高裁の判決は「体罰容認」ではなく「極めて限定的に力の行使を認めた」ものである点に留意し「胸ぐらを掴んで何が悪い」というような姿勢は厳禁です。
「うまく指導できなかった」との謙虚な気持ちは持ち続けたいものです。
(
嶋﨑政男:1951年生まれ、東京都立中学校教師、教育研究所指導主事、中学校長、日本学校教育相談学会会長等を経て神田外語大学教授
)

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「お勉強」と「学び」は明確に違う、学びの本質は没頭にある

 自分で行先を決る生き方のためには「学び」が不可欠だ。
 僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。
 わき目もふらず没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが「学び」だと僕は思っている。
 だから、没頭する対象は数学や英語、料理やダンスだろうと何でもあり得る。その人が心から没頭できていれば、僕はそれを「学び」ととらえている。
「お勉強」と「学び」とを、僕は明確に違うものとしてとらえている。
「お勉強」は、あくまで受動的な行為である。与えられたものをこなす作業である。
 いくら「お勉強」をしても、自分で行き先を決める生き方にはたどり着けない。
「お勉強」で身につくのは、敷かれたレールに乗る習慣だけだ。
 その習慣が身についてしまった人は、テストや問題集がなければ、自ら何かを学ぶことはないだろう。
 なぜなら、彼らが目的としているのは「与えられた課題をこなし、大人に認められたいこと」だけだからである。
「学び」は常に能動的だ。未知の領域に足を踏み入れ、新しい体験や考え方を味わうことのすべてがこれにあたる。
 だから、正解もいらない。すべては「自分で切り拓いていく」営みなのである。
 自ら動かなければ取り組む課題が見つからないことも、没頭する対象がある限りは「楽しい」ことだ。
 だから、彼らは好んで暗中模索を、試行錯誤を繰り返す。
 没頭は、人を立ち止まらせないのだ。常に人を前へ前へと押し出し、新しい体験をつかませようとする。
 だから、当然のことだが、イノベーションを生み出すのは「お勉強」ではなく「学び」だ。
 夢中になっているからこそ、人は一日中それについて思考を巡らし、新機軸を思いつくことができる。
 失敗を恐れずに試行錯誤を重ね、努力や苦労の過程も含めてすべてを楽しむことができるのだ。
 学問の領域も「それに没頭してしまった誰かの」姿である。
 例えば、現代物理学の父アインシュタインが自分の抱いた疑問の検証に寝食を忘れるほど没頭し、そこでの発見を後世に残したからこそ、学問の体系は成熟した。
 実際、歴史に名を残すような人たちは皆、並外れた没頭力をもっていたことで有名である。
 彼らは、心の赴くままに学び続け、道なき道を突き進んでいった。
 学びとは、知の地平線を拡大する。つまりイノベーションを起こしていく過程そのものなのだ。
 それは当然「自分の進むべきルートを自分で作り出す」こととも重なる。
 今、僕たちが目にする教科書も計算ドリルも、誰かの没頭の副産物にすぎない。
 それをただ漫然となぞるお行儀のいい「お勉強」の中に、学びの本質は存在しない。
 新しい知を切りひらき、新しい仕事を生み出し、あなたを未来へと突き動かす本当の学びは、没頭の中にこそあるのだ。
(
堀江貴文:1972年生まれ、実業家、著作家、投資家、タレント。元ライブドア代表取締役社長CEO、証券取引法違反容疑で逮捕され、ライブドアの役職を退いた
)

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生徒の問題行動が起きたとき、体験の中でつかみとった考え方や指導の方法とは

 私は前に勤務した学校で、生徒の問題行動によって多くのことを学んだ。
 生徒の問題行動に対する指導の原則は、生徒を人間として扱うことにつきる。
 生徒が教師である自分と同じ人間であることを、どのくらい深く考えて行動するか、ということで決まるのである。
 私が体験の中でつかみとったことをまとめてみる。
 生徒はさまざまな問題をひき起こす。
 タバコ、酒、カツアゲ、集団暴行、万引き、不純異性交遊、授業中に騒ぐ、器物破損、ツッパリグループの結成、など出るべきものはほとんど出た。
 では、このような問題を起こした生徒に、どのように対応すべきなのだろうか。
1 生徒を道徳的に断罪するな
 大切なことは、生徒を傷つけないこと。道徳的に断罪しないことである。
 生徒が問題を起こすと、教師は「悪いことをやった」と考え、ほとんどの場合、生徒に「すみません。もう二度とやりません」と、反省させることを目標とする。
 しかし、教師は神様ではない。道徳的に断罪できる位置にない。
 だから、こういう方向で生徒を追及したとしても、生徒を傷つけ問題をこじらせるだけである。
2 生徒を呼ぶときの教師の顔つき・態度
 まず、生徒を呼ぶときの教師の顔つき・態度が大切である。
 なれなれしく、優しく対応するのは論外で、ピリピリした厳しい顔で臨むのもまずい。
 生徒に対して、教師である自分を無化するような、落ち着いた、冷静な態度がとれるといい。
生徒にやったことをしゃべらせる
 生徒を緊張させつつ、リラックスしてしゃべらせる、といい。次のように始める。
(1)
「何をやったか順を追って言ってごらん」と切り出し、生徒がしゃべり始めるのをゆっくりと待つ。
(2)
話し出したら「いつ」「どこで」「誰と」「何をした」と、教師が口をはさんでやり、生徒が具体的に、自分がやったことを整理できるようにする。 
 これがきちんとできれば、教師の仕事はほとんど終わったも同然である。
 言いにくいことを無理にしゃべらせる必要はまったくない。
 生徒自身が、しゃべっていく中で、自分が何をやったのかを対象化できればいいのである。
 もっとも大切なことは、具体的に何をやったのかということを、生徒自身にハッキリさせることなのである。
 生徒は、ほとんどの場合、自分がやったことがどういうことなのか、何もつかんでいない。
4 生徒にやった理由は聞かない
 生徒はその時の気分で行動するのだから「べつに理由なんかない」のである。
「どうしてそんなことをしたんだ!」と詰問調に迫ることは、絶対に避けなくてはいけない。
「別に」という返事がはね返ってきて、教師がカーッとして「別に、とは何だ!」とケンカ腰になっていくのがオチである。
 たとえ理由があったとしても、それは生徒の心の領域に属することだから、聞いたってどうにかなるわけではない。
5 生徒を説得しようと思うな
 問題を起こした生徒を呼んだとき、ほとんどの教師は、やったことがどうして悪いのかを説明し、納得させようとする。
 くどくどと理由をつけて「だから、やっちゃいけないのよ」と言うわけである。
 ほとんどの生徒は、自分のやったことの整理がつけば、まずいことをしてしまった、ということが分かる。
 生徒にしゃべらせたあとで説得を始めるから、ウヤムヤになってしまうのである。
 仮に教師がつけ加えるとしても「まずかったな」の一言でいい。
6 生徒にやったことをしゃべらせた後
 生徒がしゃべり終わったら、教師が順を追って確認し「まずかったな。で、どうするの?」と、次に進む。
 やったことの責任のとり方を次のように教えることになる。
(1)
他人に迷惑をかけた場合は、謝罪し、具体的に償えるものは償う。
(2)
自分に何かを強制することによって、今後頑張っていくことを示す。
 処置の実行には、教師は最後まで立ち合い、手助けをし、やりとげさせねばならない。
 そのことによって、生徒が一区切りをつけ、次の生活に入っていけるようにしなくてはならないのである。
7 校内で事件を処置できなければ警察へつき出せ
 前述のような処置は、教師の指導力が確立していなければ不可能である。
 校内で処置できず、問題を放置することがもっとも悪い。
 処置できなければ警察にまかせ、きちんとした法的な処置を受けさせる方がずっといい。
 法律に違反すればこういうことになると、身をもって体験させることである。
「教師が生徒を警察につき出すのはよくない」などというおしゃべりにつき合う必要はない。
 教師が校内でケリをつけられるかどうかが問われているのであり、できないなら警察にまかせるしかないのではないか。
 それをいい加減にするから、問題が大きくなるのである。
 社会で生きていくための、公の人間として生きていくためのルールを、しっかり教えていくことが大切なのである。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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私はいかにしてプロ教師になったか、その方法とは

 30歳を過ぎた頃から、プロ教師としての自分をつくりあげるために、意識的に修業を始めた。
 体の動き、教師としての服装、言葉づかい、教師と生徒との関係・クラスのつくり方、行事の組み立て方にいたるまで、約10年の修業で何とか人並みにやっていけるようになった。
 学校で何年か生活していれば、自然に教師になれるというわけではない。プロの教師として生き抜いていこうと決意した時から、すべてが始まる。教師は自らの力でつくりあげていくものなのだ。
 生身の自分を教師にするということは、肉体的・精神的苦痛をともなう苦しい修業と考えていい。この修業をやり抜いてこそ、プロの教師としての道が開けるのである。
 私の修業時代の要点を簡単に紹介すると
1 学校は戦場である
 ボーッとした頭、だるい体で戦える場ではない。体調を万全に整えて臨むことが基本である。
 私の場合は、睡眠を充分にとること、毎朝15分体操することぐらいであるが、階段を1段おきに駆け上がるかどうかで体調をはかり、調整している。
2 教師を演じるには服装から
 服装は、相手をひとつの型に引きずり込む力を持っている。例えば、役者が舞台で劇を演ずるとき、衣装は力を持っている。教師も同じである。
 私の場合「スーツにネクタイ」である。真冬の寒い中、スーツでさっそうと生徒の前に登場するのは、さわやかなものである。それだけで、ずいぶんと得をするはずである。
 主役の教師が貧相な服装では劇は盛り上がらない、スーツはできるだけいいものがいい。
 以前は、ラフな服装をし、生身をさらして生徒の前に立っていた。しかし、生身の自分をさらし、生徒とわたりあっていくには、私は人間としての力量は小さすぎることに気づき、教師としての自分をつくらねばならない、と考えたのである。
3 役者のような動作を身につけろ
(1)
顔つき
 服装だけで戦えるわけがない。そこでまず、顔つきに注意しよう。自分が今、どんな顔つきをしているか、いつも意識し続けなければならない。
 生徒は教師の顔つきの変化で大きく変わるものである。顔つきを意識してつくろう。
(2)
身のこなし
 廊下を歩くとき、私は胸を張って前方を真っすぐ見て、サッサッと歩くように心がけている。
 生徒に見られているわけだから、下を向いてダラッと歩いていては、権威も何もあったものではない。 
 生徒の前に立つときは、胸を張って背筋をピンと伸ばす必要がある。
 そして、動作は大きいほうがいい。メリハリのある動作がいい。芝居のように大げさな動作がいいのだ。
(3)
メモ魔になろう
 自分の動作・言葉を対象化するため、そして他人の教師や生徒をしっかりつかむために、メモ魔になろう。
 自分の動き、しゃべった内容、他の教師や生徒の動きを徹底してメモし、これからの自分をつくる材料にしたい。
 中学校では3年が1サイクルである。3年間、ノートを片時も離さずメモし続けよう。
4 話し方
(1)
しゃべり方・言葉づかい
 しゃべり方、言葉づかいはもっとも難しい。
 原則は、教師と生徒の距離をおくこと。生徒を教師から離すことは、なかなかもって難しい。
 教師と生徒とは立場が違うのだということを、自分にも生徒にもハッキリさせることが目的である。
 服装、顔つき、動作、すべてそのためである。
 教師は一般的におしゃべりである。ペラペラしゃべることをやめることから始めよう。できもしないことは絶対に言わない。愚痴は言わない。黙って行動する努力をしよう。
 生徒のなれなれしい言葉づかいを拒否することから始めたい。教師もなれなれしい言葉づかいをやめる。
 言葉づかいは他人行儀なものがいい。
(2)
声の大きさ
 大勢の生徒の前でしゃべる場合、声が通らないというのは致命傷である。
 少しくらいうるさくとも、自分の声が教室の後ろまで通るように訓練する必要がある。演劇の発声訓練に学ばねばならない。
 できれば、体育館で千人の生徒を前にして、マイクなしで後ろまで充分に届く声をつくり出す必要がある。
(3)
しゃべる内容
 何をしゃべるか、短くまとめ、しゃべる練習をする必要がある。
 たいして考えもせずにしゃべり出し、中身がないからダラダラと枝葉をくっつけて話を長びかせる教師が多いが、そんなことをするくらいなら、しゃべらない方がよっぽどいい。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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暴力的な子どもやその保護者に、暴力行為をなくすには、どう考え対応すればよいのでしょうか

 学校で暴力的な行為があっても、保護者のなかには
「学校であったことは学校で責任を持って処理してほしい」
「家では、そのような行為がないので、暴力的な子というレッテルを貼られるのは不服です」
「自宅では暴力的な行為はありません。先生方の指導が足りないのではないですか」
「うちの子に聞きましたが、お互い様のようですよ。こんなことで電話をかけないでください」
等、いろいろな保護者の声があることを認識しておきたい。
 保護者は、自分の家庭でのわが子の様子を優先して、その姿と重ねて判断することがある。
 そして、わが子が暴力的な行為を起こすはずがないという考え方で受け答えする。
 どう考え、保護者に対応すればよいのでしょうか。
1 事実を的確に伝える
 手順よく次のように説明していく必要がある。
(1)
どのような経緯で暴力的な行為になったのか
(2)
その行為を受けて、担任が取った対応
(3)
今後の課題は何か
 その際、担任は「暴力的な行為をしないですごすための考え方を身につけさせる」ことが、目的となることを明確にしておきたい。そのために、
(1)
暴力的な行為だけを取り上げて説明するのではなく、学級で、どのように解決しようとしたかその方向性。
(2)
家庭と協力し連携していくこと
2「暴力的な行為に訴えなくてもよい」という考え方を徹底する
 つぎの考え方を子どもとその保護者に理解してもらうのである。
(1)
子どもの暴力的な行為が問題の解決につながるのではなく「自分の言葉で問題の解決が得られる」ことを十分に意識させることが大切である。
(2)
子どもにとって、暴力に訴えざるを得なかった状況も理解しつつ「暴力では物事が解決できない」という認識をもたせなければならない。
 保護者への連絡によって、学校の指導方針がどのようになっているのか、明らかにするのである。
3 担任が保護者に伝えなければならないこと
 暴力的な行為は学校でも家庭でも許される行為ではない。
 たとえ、その場で暴力で解決したとしても、形だけの解決になってしまい、お互い理解を深めたことにならないということである。
「暴力では物事が解決できない」という認識は、学校と家庭との連携があってはじめて浸透するものである。
 暴力的な行為を受けて気持ちよいと思う子どもはいないはずである。
 どんな小さなことでも、手を出したり、蹴飛ばしたりする行為はいけない。
 自分の言葉で言うことができるようにしなければならない。
 保護者との接点は、この一点でよいのである。
(
釼持 勉:東京都公立高校・小学校教師、教育庁、小学校長を経て、帝京大学教育学部教授、東京学芸大学特任教授)

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冬の寒い日、教室内で、外で着る服や手袋、帽子をつけたままの子どもがいます、どう指導すればよいのでしょうか

 明らかに誰が見ても外で着る服や手袋、帽子といった物を室内で着ている子どもの姿を見かけたら、すぐ脱ぐように指導します。
 そのつど「外で着る服だよ」と、やさしく脱ぐように促します。
 ほとんどの子は、それで気をつけるようになります。
 それでも、脱がなかったり、わざと着て反抗的な態度をとったりする子は、指導が必要となります。
 また、どのような衣服が屋外用の物なのかは、判断が分かれるところなので、学年や学校である程度、統一しておくことも必要です。
 寒い日は、下着を多めに着てくるとか、室内で羽織れる服を着ておく、などの工夫ができることを教えて、室内にふさわしい服装をするように指導しましょう。
 屋外では屋外で、室内では室内で過ごすのにふさわしい服装をするのが一般常識です。
 ましてや、教室という学ぶ場所であれば、なおさらのこと。
 このような常識を学ばせることも、教師の大切な仕事です。
 服装については、人によって考え方も様々なので、学級通信や保護者会などで、室内の服装についての担任の考え方を伝えながら、保護者の理解と協力を得ることも必要です。
(
中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校教頭。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方研究会」を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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保護者から信頼を得るには、教師の実践による子どもの変容を親が感じとることが基本になる

 掃除のとき、転校してきたばかりの子どもが、ほうきをもって大暴れをしました。
 そこで、私は掃除を中断させて、子どもたちに
「掃除は何のために行うか」
「掃除をするための方法として大切なことは何か」
ということを、時間をかけて一人ひとりに考えさせ、話し合いをさせました。
 私は、この機会を利用して、受け身で行動してきた子どもたちを、能動的な活動のできる子どもに切りかえさせたいと考えたからです。
 次のことについて、一人ひとりが掃除の必要感をもつまで話し合ったのです。
(1)
学校は自分達の学習するところ
(2)
学校は友だちと学ぶところ
(3)
先生から指導をしていただくところ
(4)
そのために、自分たちの生活の場は、自分たちがいつもきれいにしておくことが大事。そこで、教室の環境を整えるための掃除の果たす役割は大きい
(5)
小学校高学年の掃除の仕方は、低学年とどこを違えたらよいか
(6)
責任ある行動とは
と、いったことです。
 これらのことについて、十分話し合ったあと、子どもたちの中から出てきた合言葉は
「ごみの0運動・ピカピカの5年生」
でした。
 次の日から、子どもたちは時間内に順序よく友だち同士が声をかけあいながら掃除をするようになりました。
 そして、数日後のことです。保護者から担任あてに連絡帳に次のようなことが書かれてくるようになったのです。
「最近、A男が家の庭をはいているんです。何か先生が言ってくださったんでしょうか」
「先生、子どもが家で自分の周りを綺麗にしているんです」
「B子が台所を、きれいに掃除してくれるんです。かわりましたね」
と、いったようなことが書かれてあったのです。
 保護者と連絡帳を通して話が楽しくできるようになりました。
 今回の掃除の問題が結果として、何人かの子どもにとっては、家庭の生活まで波紋を広げたようです。
 子どもは、一つひとつの行動について、必要性を感じ理解すれば、積極的に物事を行うようになるということです。
 そして、今まで、細かく世話をしすぎていた親も、自律していく子どもの行動に驚き、教師の指導性を高く評価して、教師に対する信頼を絶対的なものとしていくのです。
 教師と保護者が信頼を結び、子どもの教育のため、なかよしになるためには、このように実践による子どもの変容を親が感じとることが、基本になると考えてよいと思います。
(
帆足文宏:元東京都公立小学校校長)

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子育ては年齢別にわけて考えると、どのように育てればよいのでしょうか 

1 「0~2歳」-「信頼感」の獲得
 新生児から2歳までは、しっかりと親が抱きしめ、安心感で満たしてやることで、親子の間に「基本的な信頼感」が芽生える。
 子どもにとって、母を信頼するという安心感が、これからの人生のうえで支えになり、すべての力の基本になる。母に愛され、必要としているという実感は、人間らしさを形成する。
 本能的・感情的な部分はもちろん、人間の根幹をなすあらゆる能力が0歳から2歳の間に形成される。
2 「2~4歳」-「我慢する心」を身につける
 親子の間に基本的な信頼感があれば、幼児期の4歳ころまでには「自律心」が身についてくる。
 つまり、我慢する心である。自分を抑える力というのは、基本的信頼感が基盤となって身につくものなのである。
 子どもにしてみれば、自分を理解し愛してくれている人が言っていることだから、辛くても我慢しようとするのである。
 お母さんがわが子に、「今、ママは忙しいけれど、もう少ししたら○○ちゃんと遊んであげられるから、もうちょっと待っていてね」と語りかけると待ってくれるのである。
 この時期は何をやっても、かわいいかわいいで育ってしまいがちであるが、我慢をすることも覚えさせておかないと、あとからしつけるのは難しい。
 我慢=苦しみという発想を親がしないこと。「この状況の中では我慢することがいちばん求められること」というシグナルを親が発信する。
 親子の信頼関係が本物であれば、子どもは喜んで我慢するものなのだ。
3 「4~7歳」-「自発心・積極性」を培なう
 この時期は、靴をはくのも服のボタンをかけるのも「自分でする」「イヤ」「ダメ」を連発する。
 何でも自分でやりたいという自我の芽生えは、ときとして親の目には「わがまま」に映りがちだが、ここをしっかり見守れるかどうかが、親も子どもも頑張りどころと言える。
 信頼関係があれば、親は待つことができる。
 子どもの気がすむようにじっと待ち、子どもがたとえ左右反対でも時間をかけてでも、とにかく靴を履くことができたことをほめてやるのだ。
「自分でできたね。やったね!」と喜びを共有できる親になろう。
 どうしても忙しくて子ども任せにできなかったときでも、「ママ、時間がないから今日は一緒に履く練習したけど、次は一人でやってみようか。もしもできなかったら、ママが手伝ってあげるからね」とフォローできるだけの心の余裕がほしい。
 子どもにきちんと納得できるように言い聞かせれば、何でも理解できるほどの頭脳を子どもは備えているのだ。
 自己を肯定する基盤ができていれば、自発心や積極性につながるのはもちろん、他者を肯定する心の寛容さも備えることもできる。
4 「小学校 前期」-「学び努力する勤勉性」を獲得する
 7歳までに、基本的信頼感、自律心、自発心を獲得できた子は、社会に適応する免疫力を持ち、自信と自立心が培われていく。その力が、「学び、努力する」という「勤勉性」につながるのだ。
 この時期に勤勉性をきちんと獲得することがいかに大事かは、知識をより多く身につけた子を観察してみれば一目瞭然である。
 多くの知識があれば、困難にぶつかったときに対処しやすい。また、本をたくさん読んでいれば、問題解決能力が高くなる。
 そして、一つでも熱中できる得意分野があれば、それを究めることで、ほかの知識や能力も引っぱり上げることができる。
 小学校時代は、ともかく一生懸命学ぶ姿勢を身につけさせることである。知識がつけば、自分に自信が持てる。自信がつけばどんどん学ぶことがおもしろくなる。
 問題を解決するための考える力を養い、知的創造性を育む重要な時期である小学校時代に、ぜひ学ぶことのおもしろさに気づかせ、自信をつけさせてやりたいものである。
5 「小学校 後期(10歳くらい~)」-「父性が必要となってくる」
 多くのカウンセリング体験から言えることは、子どもは小学校4年生ぐらいから確実に変わり始めるということだ。
 大人との距離を取り始める重要な時期が10歳である。
 ものごとを推論、分析をしたり想像力を発揮し始めたりする時期だ。
 だから、この時期の子どもの扱いには注意が必要である。
 それまでは母性の中に守られていた子どもは、10歳以降は父性を必要としてくるのだ。
「ここから先はやめておいたほうがいい」「これはこういうものだよ」「世の中とは、社会とは、こういうきまりがあるんだよ」という限界や社会常識、物事のバランスや優先順位を、父親から教えるべきだ。
 10歳までどっぷりと母親の世界に守られてきた子どもは、これまでの受容から一転、制限されることに欲求不満を抱き、「何だよ」という反抗心が頭をもたげる。
 そんな葛藤の中で、「父親の言うことももっともらしいけれど、僕の意見のほうが正しいんじゃないか」とか「父親にしたがうべきだろうか」などと煩悶がでてくる。
 こういった自問自答を繰り返し、父親の言動を反すうして、自分自身の心の自我を完成させてゆく。
 この段階は、大人へのステップとして非常に重要である。
 これが生きる力のフレームを形成し、子どもの人格に規律や常識を組み込んで、社会人として生きるたくましさを培うことができるのだ。
 父親の愛は、競争原理を客観的・相対的に示す教育愛である。
 ライオンの父親は、子ライオンを谷底へ突き落とすことで生きることの厳しさと勇気を教えると言われているが、これは父親の役目を象徴していると言えるだろう。
 人間も、スキンシップの裏には、突き放したり、厳しさを教えなければならない面も備えている。
 人生観や価値観、道徳観、社会観といった広い視野に立った見解を、父親がしっかりと話せるかどうかは、子どもの精神的成熟に大いに関わるところである。
 その際には、子ども自身に考察させることが大事である。父親は自分の価値観を押しつけるのではなく、子ども自身に選択させ、悩ませ、道をきりひらく手ごたえを感じさせてやってほしい。
 その手助けとして、必要とされたときだけ応援し、陰ながら見守ってゆくのが、父親の役目なのである。
6 「青年期」-自己の再認識(アイデンティティー)
 自己存在のあり方に疑問を抱いて、「いったい自分は何だろう、何をすべきなんだろう。目的は、手段は、どうすればいいんだろう」という気持ちも、思春期特有のものだ。
 同時に、他者との関わりの中で自己のあり方を見つめ直し、生きることや将来について深く考えるようになる。
 自己を再認識するというアイデンティティー(自我同一性、主体性、本質)を、迷いながらも突きつめて考え続けていくことで、少しずつ納得したり、ぶつかったりしながら、だんだん心身ともに安定してゆくのが常である。
(
(なみ)川栄太:19432009年、20年間の小学校教師を経て、ニッポン放送「テレホン人生相談」回答者、40年間つとめた教育相談では、悩める子どもたちに体当たりで励まし立ち直らせた)

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担任が保護者に「大丈夫ですよ」と言うと「親の不安がわかっているのか」と校長に苦情があった、どうすればよかったのでしょうか

 小学3年生を担任していたときのことです。家庭訪問で、ある保護者から
「隣のクラスの鈴木くんは、とても乱暴で、去年、とがったものを持ってまわりの子にちょっかいを出しているのを見た」
「去年の担任は若かったせいか、他のことに気をとられていたのか、何も注意しなかった」
「どう考えても、あの鈴木くんはあぶなっかしい。うちの子がけがでもさせられたら大変だ」
「今年の担任はどうなんだろう。そこのところをしっかり見てほしい」
 それを聞いた私は
「大丈夫ですよ。隣のクラスの武田先生はベテランですから。子どもをよく見ていますよ。心配しないでください」
と、安心してもらえるように言いました。
 ところが、学校に戻ってみると、もう校長にその保護者から苦情の電話が入っていたのです。
 校長から、保護者からの苦情の内容を聞きました。
「こちらが『しっかり見てほしい』と、担任の先生に言っているのに『大丈夫ですよ』だなんて、軽く受けとめている」
「こちらの不安がわかっているのか。私の気持ちが学校に伝わったのか」
というものです。
 私の話し方が悪かったのではないかと、校長は私を責めてきました。
 私としては、保護者の話に同調して不安を増幅させてもいけないし、同僚の武田先生の悪口を言ってもいけないと思い、保護者を安心させたいという気持ちから言ったのです。
 しかし、保護者には、私がその保護者の不安な思いをきちんと受けとめていないという印象を与えてしまったようです。
 どのように対応すればよかったのでしょうか。
 保護者は「昨年伝えたことが、どうも実行されていない」と思っていたのに、教師が「大丈夫ですよ。ベテランですから」と応じたことで、不満が怒りに転じたようです。
 乱暴な子を放っておいた学校側の対応への不満が根底にありますので、その子への対応について各教師の心構えと役割分担を説明することが必要でしょう。
 具体的には、校内で教職員への伝達を行うと共に、その乱暴な子どもへの基本的な対応についての打ち合わせ会議を開き、結果を担当者が保護者に説明すると効果的です。
 一般的に、他者のことで不満を述べる保護者には、対策委員会を構築し、対策を立てると、納得が得やすいものです。実践してみてください。
(
諏訪耕一編集:1937年愛知県生まれ、元愛知県公立中学校教師。長野県に不登校の子どもの回復施設「浪合こころの相談室」を開設した
)

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秋田県が全国学力トップクラスである要因は「探求型授業」と「共同研究システム」にある、どのようなものか

 秋田県は2007年以来、全国学力調査で全国トップクラスの成績を残してきた。
 その要因として「子どもたちの授業姿勢のよさ」「家庭学習が充実」「学校・家庭・地域の連携」などがある。
 なかでも重要なのが「探求型授業」と「共同研究システム」である。
1 探求型授業
 探求型授業は、子どもたちの、話し合い、意見交換を重視した授業である。
 例えば、次のような授業スタイルである。
(
)導入(学習課題の設定)
 教師と子どもたちで学習課題を決める。
(
)展開
1.
自力思考
 子どもたち一人ひとりが思考を展開する。
 自力思考がむずかしい子どもには教師が援助を行う。
2.
グループで対話
 すべての子どもが考えを持てた段階で、4人程度のグループで、考えを出し合いながら対話をしていく。
3.
グループの発表
 ある程度グループでの対話が煮詰まったら、各グループの状況を学級全体に発表する。
4.
学級全体で学び合う
 各グループの発表を、教師と子どもで整理し、共通点、相違点、論争点を明確にする。
 そのうえで、学級全体で学び合う。再度グループの検討に戻す場合もある。
 グループの対話や学級全体の学び合いの過程で、教師は必要に応じて
 ・助言をし、発問をする。
 ・「ゆさぶり発問」をする。
 ・重要な点を取り出して、再度全体の課題として返す。 
(
)授業の終末
 授業の終末で、構造的な板書を振り返りつつ、それまでの探求を振り返る。
 そのうえで、子どもたちは自分の学びを振り返り、文章にし、発表し合う。
 そういった探求によって、より高次の試行錯誤、判断・批判、推理・検証、発見・創造が展開される。
2 共同研究システム
 探求型授業は、深く豊かな教材研究、具体的な目標・ねらい・切れ味のある学習課題や指導言、グルーピングなど、通常の授業以上に高度な指導を求められる。
 そのため、教師一人ひとりの準備が必要となる。
 しかし、一人の努力だけでは限界がある。教師同士が共同して探求型授業をつくり出していく必要がある。
 秋田県では優れた共同での授業研究システムがある。
 そのシステムのなかで、若手教師も質の高い探求型授業を展開する力をつけていく。
 共同研究システムは、校内研究会、小中連携研究会等で研究授業を行う場合、
「事前研究」→「研究授業」→「ワークショップ型検討会」→「事後研究」
が基本となる。
 はじめは学年、教科で研究チームをつくる場合が多い。少しずつ学年や教科を越えた合同研究チームをつくっていくと効果的である。
 教科の専門性は重要である。しかし、専門外だからこそコメントできるというよさもある。
(
)事前研究
 研究会前までの事前研究が重要である。これが授業研究の成否を決める。
 事前研究の弱い授業研究では限られた成果しか得られない。秋田県ではていねいに行う。
 そのために研究チームをつくり、次のような項目について、ていねいで厳しい検討を行う。
1.
教材選択
 単元の系統性を意識しながら、教科書等から選ぶ
2.
教材研究
 深く豊かな教材研究が探求型を実質化する。
3.
目標・ねらいの決定
 この具体性が授業設計を緻密にする。
4.
指導計画の作成
 単元全体の指導過程と到達点・各授業の到達点。
5.
本時案の作成
 はじめは本時の大きな流れから始め、次の細案に進む。
6.
本時案を具体化した細案の作成
 学習課題、指導言、板書を含む
7.
細案に基づくプレ研究授業
 研究チームで授業を行う。教師が子ども役になり実際の流れで授業をしてみて検討し合う。
(
)研究授業
 教師全員が参加する。授業を撮影し映像記録をとる。
(
)研究授業後のワークショップ型授業検討会
 もちろん教師全員が参加する。教科や学年が違う教師が授業検討にかかわることが鍵になる。そのために「ワークショップ型」検討会が有効である。
 まず、教師全員が付箋紙に授業についてのコメントを記入する。
 例えば、授業で評価できる点について水色の付箋紙、課題・改善すべき点はピンクの付箋紙を使う。その2種類の付箋を持ってグループごとに集まる。
 グループ編成は、学年や教科、研究メンバーは分散させる。
 各グループには司会役のリーダーを置く。授業の優れた点と課題・改善点を鋭く抽出する役割を担う。
 模造紙に付箋を内容別に分類しながら貼り付けていく。それらをマジックインキ等で囲み、グループで検討を深めていく。
 全体会で各グループが発表する。
 多くのグループから出された課題・改善点が見えてくる。とくに重要な点については、再度グループで検討する時間を取ることが効果的である。かなり多様な代案が出てくる。
(
)事後研究
 授業を撮影した映像記録を使って、授業研究会の少し後に事後研究をすると、授業の成果と課題・改善点が具体的により鮮やかに見えてくる。
 研究チームで映像を再生しながらリフレクションを行う。
 授業のポイントとなる部分で再生をストップし、検討会で指摘された点を再度確認しつつ、新たな優れた点と課題・改善点を発見していく。
 以上のような共同研究によって若手教師を含め多くの教師が高い授業力を獲得していく。
 主体的、対話的で深い学びを有効に授業に生かせるかどうかは、共同研究を実質化できるかどうかにかかっている。
(
阿部 昇:1954年生まれ。秋田大学教授、附属小学校校長も勤める。専門は国語科教育学。全国大学国語教育学会理事。日本NIE学会理事。秋田県内の小中学校を数多く訪れ、全国学力テストの好成績について分析。私学中高校での教師経験もある)

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子どものけんかの仲裁で気をつけることは何んでしょうか

 ある教師が「最近の子どもは、けんかの仕方を知らない、だから本当にけんかになった時には、加減がわからず大変な結果を招いてしまう」と言っていました。ほんとに一理あると思います。
 子どもはけんかをしながら成長していくものだと思います。
 自分の意見だけを通そうとしても無理なことは、けんかをしてみて、よくわかることです。
 仲よく協力するすばらしさも、けんかをしてみてわかることです。
 学級の子どもたちのけんかの仲裁ではつぎのことに気をつけたいものです。
1 すぐに、けんかを仲裁するのはどうだろうか
「先生、〇〇くんと、△△くんがけんかをしています」「はやくとめてください」と、連絡を受けることがあります。
 危険な場合には、すかさずやめさせなければならないことは言うまでもありません。
 子どものけんかにも、それなりの理由があります。
 時には、けんかも必要といった立場に立って見守ってみることも必要です。そして、タイミングをとらえてやめさせるのです。中途半端ではしこりを残します。
2 言い分をよく聞いてあげる
 けんかは双方の言い分があるものです。
 よく聞いてあげることです。
 2人一緒に聞く場合には、弱い方、不利な方から聞いてあげるのがコツです。
 また、話の途中で教師の体験を話したり、お互いの立場を認めてあげることも大切です。
 また、よいこと、悪いことの判断やけじめはしっかりと教えます。
 2人の納得のもとに今後の約束を誓わせるのもよいでしょう。
3 必要に応じて保護者への連絡も考える
 その場で解決する場合が多いですが、後に持ち越すようなもの、例えば、けがをしたとき、持ち物を壊した時、子どもの心の痛手が大きいような場合は、必ず家庭へ連絡することです。
4 けんかをした子どもは、特に注意して見守る
 うまく仲裁したつもりでも、十分納得していなかった、ということがあるものです。
 けんかをした子どもは特に注意してそれとなく見守ってあげるようにします。
 元気がなかったら、何かあるのです。
 2人の間がうまくいってないとか、仲間はずれにされているとかが意外に多いものです。
 また、仲裁のときの約束を一方的に破っているような場合もありますので、注意が必要です。
(
石川正夫:元埼玉県公立小学校教師・大宮市教育長・埼玉県教育委員会委員長。凡事徹底」の教育を推進した
)

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授業はわからせようとする気迫が大事、「下手でも教えられる」という自信を持つことも上手な授業をする条件

 授業は上手であることに越したことはありません。
 けれども、はじめから、そうそう上手にできるわけでもありませんし、いつもいつも上手にできるものでもありません。
「下手でも教えられる」という自信を持つことも、上手な授業をする一つの大事な条件ではないかと思います。
「なんとしてでも。わからせるぞ」という自信が授業には大切です。
 授業に必要な自信は「なんとしてでも、わからせる、わからせることができる」という自信です。
 上手そうに見えた授業なのに、案外、子どもに力をつけていないことがあります。
 逆に、下手としか言いようのない授業が、意外に子どもに力をつけていることがあります。
 それは「本気で子どもにわからせようとしたか」どうかの違いだと思います。
 授業はうやむやにしてはなりません。
 そのためには、下手でも自分の納得にいくまで教え込もうという構えが必要です。
「うん、わかったッ」と子どもが思わず目を輝かせるのを見届けるまでは、決して後ろに引き退がらないぞ、という構えが必要なのです。
 教え方というものは、いろいろあるにちがいありません。
 一つの文章を読み取らせるにも、さまざまな方法があるでしょう。ことばの意味一つわからせるのさえ、その方法は三通りや四通りではないでしょう。
 それも教材により、子どもにより、ということになれば、さらにさまざまになるでしょう。
 そういうものを、早く知り、自分の中に取り込んでいきたいと思います。
 そのために、本を読んだり、話を聞いたり、授業を見たり、研究会に出たりして勉強を続けるのです。
 そうして取り込んだものが、自分の中にうまく位置づくと、それは授業への糧になります。
 ところが、自分ではうまく取り込んだつもりでいても、なかなか位置づかないことがあります。
 私の長い教師生活でも、何回かそういう時期が何年目かするとめぐってきて、苦しんだり悩んだりすることがありました。
 それを乗り越えるのに「下手でも教えられる」ということが、いつも私の支えになっていてくれたように思います。
 とっさにいい方法が出てこないかもしれません。まずい方法しか出てこないかもしれません。
 いずれにしろ「なんとしてでもわからせたいと思う」と、きっと何かを見つけ出すことができるでしょう。
「下手でも教えられる」という自信は、それをやり通してみた時に、自分のものになってきます。
 そこは、誰の助けもない場です。今の自分の持っている力を、精いっぱいぶつけるより、しようのない場です。迷ったり、わからないなどと言っておれない場です。
 そこで出てきた方法は、まずかろうと、まずくなかろうと、ともかく自分でつかみ出すよりしようのなかった方法です。
 それは、自分の創案でないかもしれません。
 いつか読んだ本の中にあったことかもしれません。
 いつか、だれかに聞いた話の中に出ていたかもしれません。
 いつかどこかで見た授業の中で感じ取っていたことかもしれません。
 それらを組み合わせたり、こねたりしたところで浮かんできたことであったかもしれません。
 もし、そうであっても、そうして出てきた時には、それらの勉強が自分の中に生きてきているのです。
 自信のない授業を続けていては、そういうことにはなってきません。
 いろいろな勉強が生きてくるのも「わからせることができる」という自信のある授業が土台になっている時です。
 繰り返します。授業に必要な自信は、下手だから持てないという自信ではありません。「下手でも教えられる」という自信なのです。
(
戸田唯巳:1919- 2009年、元兵庫県西宮市立小学校校長、小砂丘忠義賞受賞)


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教えにくい難しい子どもが今は増えてきています、子どもが変わるハッピー・コミュニケーションとは

 コミュニケーションにつまずきがある子どもに個別指導するだけでは、指導の効果は上がりません。
 その子とかかわりあっている、まわりの子どもたちへの働きかけも必要になってきます。
 担任の先生から「どう対応したらいいのか」という質問を受けることがあります。私は次のような話をします。
 コミュニケーションのつまずきは、やりとりやかかわり合いの最中に起きるため、立ち止まって、整理して、子どもたちに返してあげることができません。
 そこで、エピソードとして集めておきます。
 集めたエピソードの中から「どんな場面でよくつまずいているのか」「どんな言葉かけにうまく対応できていないのか」といった事柄を見つけていくのです。
 つまずきの傾向と対策をいっしょに考えていくようにします。
 つまずきの原因を子ども側に求めがちですが、ちょっとした大人側の配慮で、その場面を乗り越えることができるのです。
 担任の先生にとっては、その子のためと思ってとった行動が、逆効果になったりすることもあります。
 例えば、元気づけようとかけた声の大きさに驚かれたり、スキンシップを図ろうとしたらかえって嫌がられたりすることもあります。
 今は、先生から見ると「教えにくい子ども」、保護者から見ると「育てにくい子ども」が、けっこういる時代です。
 そんな子どもたちに共感し、教師と保護者が手を組んで支援していくことができたら、どんなによいでしょう。
 私がこれまで担任の先生方と考えてきた傾向と対策のいくつかを紹介します。
1 口調を変えて、子どもたちに呼びかける
 相手の耳に届きやすい声、心地よく聞こえる声があります。
 ゆっくり、高いトーンの声は、相手の警戒心を解き「聞こうかな」という気持ちにさせます。
 子どもの反応が薄い、指示を出してもバラバラという場合は、教師の語気が強く、早口になっているためかもしれません。
 また、小学校高学年に通じる言葉づかいが低学年には難しい場合があります。
 例えば「集合、整列」より「ここに集まって、並んでください」のほうが低学年には通じます。
 それから「名前は歌うように呼ぶといい」とも言われます。「鈴木くーん」と抑揚をつけて呼ぶと、子どもの耳に入りやすいでしょう。
 口角を上げれば、一瞬で笑顔をつくれます。
 明るい声は、明るい表情から。このように口調を変え、笑顔をつくるトレーニングをするもの一考です。
2 子どもたちに指示を出しても、その通りにならない
 どうして言われた通りにしないんだろう、と思う場面が学校で繰り広げられています。
 子どもには、具体的に言わないと伝わらないのです。
 例えば「体育は校庭に集合!」と言っても、子どもたちは「朝礼台の前で整列して待つ」ことまで考えて行動していません。
 指示を出すなら具体的に「誰が、どこで、いつ、何をする」を、簡潔で明確な言葉にしていく。すると、期待した状況に近づきます。
3 人の話を最後まで、静かに聞いていられない
「話は長い」とかんじさせてしまう話し方があります。
「だけれど」「なので」のような接続助詞でつないでしまうと、話に切れ目がなくなり、肝心なことが伝わりにくくなります。
 文を短くして、接続詞で話をつなぐといいのです。要点を黒板に書くと、さらに伝わりやすくなります。
4 あいさつを無視する、慰めると反発をかう
 先生が校門に立ち「楽しい学校は朝のあいさつから」と、子どもたちに声をかけることが行われています。
 その時、気になるのは、あいさつを返してくれない子、目を合わさない子です。
「朝から機嫌が悪いなんて、家で何かあったかな」と心配になり、つい「元気ないぞ」と励ましたりすると、子どももますますかたくなにする場合があります。
 声をかけても返事がないときは、目が合っただけでもよしとする。
 目をそらす子には、いろいろな子どもに声をかけながら、一瞬でも目が合ったとき、ニコッとしてあげる。
「目をそらすのは、それだけこちらを意識している証拠だ」と思えばいいのです。
 低学年、中学年の子どもには、スキンシップもお勧めです。
 肩をポンとたたいて「おはよう!」、頭をなでて「今日も学校に来てえらいね」、子どもの目線までしゃがみながら、肩に手を置いて「どうしたの?」とか。
 ただ、これが高学年になると難しい。下手に肩をたたこうものなら「セクハラ」なんて言われかねません。
 また、泣いている女の子を慰めるつもりで男の先生が「何かあったの?」と声をかけたら、それっきり口をきいてくれなくなったという話も聞きます。
 高学年の子には、声をかけていいものかどうか、まわりの子どもたちに聞いたり、養護の先生に連絡する、友だちに声をかけてもらうといいようです。
 そういうちょっと難しい子どもが、今は増えてきています。
 気づかって「ここが難しいの?」と声をかけると、それっきり何もしなくなったりする子がいます。
「先生は教室を回っているから、困ったときは声をかけてね」
と、授業スタイルを巡回型にし、歩き回りながら、それぞれの様子を見て声をかける必要性やタイミングを計るのも一案です。
 そうしていると、やがて子どものほうから声をかけてくるようになります。
5 言葉づかいが乱暴で、いじめにつながりそう
 子どもは流行語や短絡的な表現、「死ね、バカ、うざい」など攻撃的な言葉を使いたがります。
 そういう言葉はひとことですむし、武器になるからです。
 放っておくと、言葉の暴力はどんどんエスカレートしていきます。
「このクラスでは、こういう言葉は使わないし、私のクラスでは許しません」
という宣言を先生がしてくれると、子どもたちは意識するようになります。
 また、保護者会でも、このような言葉は家庭や学校でも使わせないようにお願いします。
「口にしたら、そのとき、すぐに注意しましょう」と、大人たちが毅然とした態度をとらなければ、なかなか改まりません。
(
阿部厚仁:東京都公立小学校教師、特別支援教育コーディネーター
)

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教師が技を磨くことによって、よい授業ができ、子どもや保護者に信頼されるには、どのようにすればよいか

1 本物の技を身につけるには
 本物の技というものは、生半可な努力で身につくものではない。
 何の世界でもプロといわれる人は、普通の人には見えないものがプロには見える。
 技を体得するには工夫しながら経験を積み重ねることである。
「予想をもって仕事をし、仕事をした後は記録し、反省を加え、次の予想をたてる」といった工夫の積み重ねが大切だ。
 その日ぐらしでは、何年たっても技は向上しない。
「何とかしなくてはならない」という、切羽詰まった場に自分の身を置き、挑戦することが大事だ。
 新しいものを追い求めるだけでなく、ふと立ち止まって、斎藤喜博や東井義雄などの技をあらいなおしてみることも必要かもしれない。
 成長のもとは、いい技を身につけたいという意欲の強さである。
 新しいものに挑戦しなければ技を磨くことはできない。
 努力と挑戦を継続できるかが問題である。
 技を磨くには、「この発問が有効かどうか確かめてみよう」といった、「めあて」を持って授業を行ってみるとよい。
2 授業の技を磨くには
 研究的な授業を実際にやってみるに限る。
 何かを工夫してみるとか、試すために研究的な授業を行ってみなければ腕は上がらない。わたしは年30回くらい行っている。
 ただ授業をやるのではなく、小さなことでよいから、何か一つ研究的にやってみることだ。
 例えば、今日は「この発問が有効かどうか、確かめてみよう」と考え、その発問を慎重にやってみる。うまく反応すれば自分の理論や技になる。
 逆に、子どもが反応せず、授業にならないこともある。こんなとき「どこが、どのように悪いのか」よく反省し、記録をとっておく。
 自分の授業の記録をとらない人が多い。これでは反省もできないし、前向きに考えることもできない。授業がうまいなあと思う人は記録もうまい。
3 子どもや保護者との信頼関係を築く
 教師は子どもや保護者から心服される知識・技術・人間性をそなえなければならない。
 授業の技というのは、究極的には、その人の人間性であり人間力である。
 単なるテクニックではない。小手先で子どもを動かすものでもない。心眼ともいえるものをそなえた人でなくては、技を持っているとはいえない。
 信頼関係をとりもどすには「やさしさと厳しさの使い分け」をすることだ。
 ふだんはやさしさが必要だし、子どもをかわいがらなければならない。
 しかし、時には、厳しく叱り正さなければならない。
 最も大切なことは、教師が身をもってことばや態度で示さなければならない。
 軽いことばをちゃらちゃら使わないことだ。
 教師のしていることを見て、まねて子どもが育ってくると、保護者が教師を信頼するようになる。
 これが一番早い信頼関係のつくり方である。
 子どもが心から教師を信頼するようになったとき、保護者も教師を信頼するようになるのである。
 人間性を磨き、子どもや保護者との信頼関係を持とうではないか。
4 教材に強くなり、内容に精通した教師になること
 多くの教師は、教科書の内容をきっちりつかんでいない。
 教科書を最低20回くらい読む。すると、そこで教えなければならない内容が鮮明になる。
 これを単元単位でやることだ。単元の中心になることや、最も面白いことが見えてくる。
 教科書の順序にとらわれることはない。「最も面白いところから切り込む」ことだ。これが導入の技である。
 子どもの学習意欲も高まりやすいので効果的である。
 面白いところから切り込めば、子どもが次は「何が食べたいか」教えてくれる。教えてくれた内容へ進めば、子どもの意欲も下がることはない。
 教科書の中に書き込んだり、紙に書いてはりつけて折りこんだりする。これは付け加えたい内容である。ごれで、教科書は教師のものになるのである。
5 私が常に心がけていること
 具体的にほめること。子どもはほめられた方向へ育つ。ほめ言葉は植物にとっての太陽のようなものである。
6 今の教師に足りないもの
 教師の仕事の中心は、授業を通して子どもに学力をつけ、モラルを育て、学級づくりをしていくことである。
(1)
知性:教材が決定的に弱い
 調べる時間がないという。時間は自分で工夫してつくるのである。今できることは今やること。これにつきる。始めからきちんと方針を決めて仕事をする。
(2)
モラル
 大半の校長は「何しろ、挨拶一つできない、教師としての最低限のモラルさえ身につけていない教師が多い」となげく。
 ある若い教師が、突然連絡もなしに学校を訪ねてきた。「授業を見せてくれ」という。
 四時間参観して、お礼もいわずに帰っていった。礼状もなかった。
 常識を疑うような人に時々出会う。教師の人間教育をやり直さなければならないのかと思う。
(3)
スマイル
 私は、スマイルのある表情をするように努力している。
 だから子どもたちの前に立つと自然にスマイルができるようになったと思っている。
 しかし、飛行機の客室乗務員にはかなわない。教師はサービス業である。客室乗務員に負けないスマイルを身につけたいものだ。
 ある客室乗務員は疲れたりすると笑顔が少なくなるので香水をハンカチにしみこませておいて、においをかぐことで元気になり笑顔もつくれるようです。
 教師に足りないのはスマイルである。話をしても、授業をしてもニコリともしない。まるで能面のようである。
「ニコニコしていたら、子どもにバカにされる」と、ある中学校の教師がいいかえしてきた。
 それで、私は「ニコニコしなくても、すでにバカにされていますよ。今日見た授業でもそう見えましたよ」といったら、ムッとした顔をしていた。
「授業は楽しいものだよ」ということを教師は表情でしめさなくてはならない。
 スマイルは教師の義務だと私は考えている。これは技というより、人間性といった方がよいだろう。ネクラからネアカに。これも教師の義務であると考えている。
 せめて子どもの前だけでもスマイルを絶やさないようにしたいものである。わたしが見た名人や有能な教師はみんな笑顔がすてきである。
 スマイルのある教師の授業は、やわらかく、暖かく、子どもたちものびのびと学習している。
 表情は練習で変わる。わたしがやっている方法は、机の上に常に鏡を置いて、時々表情を見る。電話するときどんな表情で話しているか、メモすると同時に見ている。
 スマイルのないときは、言葉もきつくなっている。これではいけないと反省し、急に笑顔をつくってみると、何と言葉が変わってくる。
 鏡の大きさは10cmで足がついている。毎日、何度となく自分の表情を見ているうちに、自分の表情のクセがわかる。そして、ふだんどんな顔で話しているかわかるので、反省の材料になる。
7 見ることも技しだい
 授業を見るのも「その人の実力のほど」にしか見えないのである。ある人には見えて、ある人には見えない。そのことに気づいていない人が多い。
8 言葉づかい
 名人といわれる人たちは、声は適度の大きさで話し、適度の大きさで笑う。どことなく品がある。
 教師に大切なのは品のよさである。教師がいつも笑顔で、大きな元気な声で、やさしく話しかければ、子どもたちはちゃんと応えるものだ。
9 教材のよしあしが授業の死命を制する
 つぎの教材を使えば、よい授業である。
 教材の面白さである。間口は狭く奥行きの深い教材である。今も昔も、教材がよいと子どもが熱中する。
(1)
固定観念をひっくり返す教材
 例:「大井川に橋をかけなかったのは、幕府の政策であった」(子どもたちの考え)に対して、「橋ができたら生活に困る人たちが橋をかけさせなかったのだ」という考えを提示した。
(2)
意表をつく教材
(3)
新鮮な出会いをさせる教材
(4)
思考のあいまいさをつく教材
(5)
事実を確かに見させる教材
10
よい授業には技術も必要
 教材がよいだけでよい授業ができるかというと、技術も必要である。
 技術の中でも大切なのは「発問・指示」である。
 発問のしかたによって授業は全くかわったものになる。
「発問・指示が鮮明である」ということがよい授業の大切な条件である。
 よい授業には、「わかりやすくて、問題をはらんだ資料が提示されている」ということである。
 資料収集、作成、提示がものをいう。「見せたいものは、なるべく見せるな」といわれている。授業の上手な人は、さり気なく、周到に準備して提示している。
(有田和正:19352014年、福岡教育大学附属小倉小学校、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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生徒を叱る目的は、集団の秩序を守ることです、その手段として叱る・説教があります、どう区別すればよいか

 教師が生徒を叱る時は、生徒が自分の悪行を自覚している時だけです。
 生徒が自覚していない時は説教して教えます。
1 生徒を叱る
 生徒を叱るのは、生徒が自分の悪行を自覚している時だけです。
 叱るときは、単純明快に「やめなさい!」「やめろ!」「やめ!」と叱ります。
 制止を命じるだけです。これが叱る行為のすべてです。
 必要なものは先生の勇気と気迫です。
 なぜなら、叱る対象は生徒の悪行で、しかも、生徒は自分が悪いことを自覚しているからです。
 多少の言い回しは違っても、本質は同じです。
 叱るときは理由はいらない。
 叱る時に、その理由をつけ加えると失敗します。
 わかりきったことを言うと、生徒はついつい反論したくなります。
 先生のくどい話を聞いているうちに、屁理屈を考え始めます。
2 生徒を説教する
 生徒が悪行を自覚していない時は、叱りません。説教し、やさしく教え説きます。
 善悪の区別がつかない生徒には「それは悪いことです。なぜなら・・・・・」と、わかるように教えます。
 生徒は子どもだから、知らないことがあれば、ていねいに教えます。
 当たり前だろうと思う常識でも、知らなければ教えるのが教師の仕事です。
 授業ができる教師は、説教がうまい。
 説教は、決まりきったことを教え説くことです。
 授業がうまい教師は、相手に合わせて説教するための方法を数多く知っています。
(
福地孝宏:1962年名古屋市生まれ、名古屋市立中学校教師。教育に関するHP開設し、実践で得た技術を紹介している。教師の悩み相談にも応じている)

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子どものケガなど、学校での緊急時の事故対応はどうすればよいか

 学校で子どもがケガをしたり、学校での事故で救急車を呼ぶことがある。
 学校で事故が起きれば、その学校の速やかな対応と保護者との連携がどのように機能していたかが問われることになる。
 学級担任の判断が信頼をなくすことも考えられる。
 どの手順ですればよいか、学校の中の風通しを十分にしておかないと、緊急時の対応ができなきなってしまう。
 自分の学校の緊急時の体制を確認し、いつでも起こり得ると、状況を見据えて対応をしていかなければならない。知らないでは通用しない。
 ケガや事故が起きた時の対応が学校マニュアルとして設定されているので、その状況に合わせて、報告・連絡・相談をする。
 事故が起きれば、必ず管理職に報告して状況の確認と養護教諭の判断で、生命を最優先に、確実に次の対応をしなければならない。
(1)
養護教諭、管理職に速やかに報告する。
(2)
ケガの状況により救急の要請をする。
(3)
保護者に報告し連携する。保護者に希望病院等の確認し、速やかな搬送をする。
(4)
その日のうちに子どもの状況の把握をする。
(5)
ケガの状況を把握し、その日からの指導に生かす。
(6)
状況を教育委員会に報告する。
(7)
保護者からの連絡を受ける。
(8)
子どもへの対応策を明確にする。
(9)
事故防止の対策をまとめる。
(10)
事故防止策を教育委員会に報告する。
(釼持 勉:東京都公立高校・小学校教師、教育庁、小学校長を経て、帝京大学教育学部教授、東京学芸大学特任教授)

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子どもが教師の問いかけに無反応で、私語が多く集中しないとき、どうすれば教師力をつけることができるか

「先生、授業うまいなぁ」「先生に教えてもらったら、ようわかるわ」と、子どもに言われるのは教師冥利である。
 教師から一目置かれる先生に共通しているのは「授業が上手で、子どもに好かれ、保護者からも信頼され、職場で人望が厚い」教師だ。
 では、そうした「教師力」の根元になる授業づくり・学級経営の基本は何か。
 授業とは「何ごとかを、わからせようとする教師の活動と、何ごとかをわかろうとする子どもの活動との統一」といえる。
 子どもが、教師の説明や問いかけに、何の興味や関心を示すことなく、無反応であったり、私語が多く態度が横柄で、集中しなかったりすれば「授業が成立していない」ことになる。学級も「荒れ」てくる。
 成立していない授業の特徴は、教師と子どもの信頼関係が崩れている時である。
例えば
(1)
教師の一方的な話に終始する
(2)
よく手を挙げる子どもや「できる子」だけを相手に進める
(3)
わからない子を無視する
(4)
子どもの失敗や間違いに無関心である
(5)
威圧的な叱責だけの対応をする
教師の存在である。
 ひと言でいえば、子どもたちの「安心感」や「居場所」がなく、何か「ギスギス感」が支配的な学級である。笑いもなくなる。
 どうすればよいのでしょうか。
 改善策は、そんなに難しいことではない。
 要は学級の子どもたちが「居心地よく感じる」環境を整えればいいのだ。
 この学級は「安心していいところ」と子どもが感じた時「学習意欲」も湧き上がる。
そのポイントは、
(1)
子どもの気持ちを受けとめること
(2)
話をよく聞くこと
(3)
教師と子ども、子どもと子どもを「つなぐ」視点をもつ
ことだ。
 学習内容が理解できない子どもが
(1)
どこで誰が「不満」をもっているのか
(2)
どこで誰が学習の「つまずき感」をもっているのか
と、原因や背景を真剣に吟味し、そのことをきっかけにそのことをきっかけに、他の子どもの認識も子どもの認識も発展させるような学習内容を構成・展開することである。
 すると、教師は、それまでの学習としての子どもが「生活者」として見えてくる。
 一人ひとりの子どもの生活背景が見えた時に、授業に深みが出る。
 学級集団が一つにまとまるのもそういう時だ。
 教科指導と生活指導の統一が「授業づくりの基本」である。
 学級経営も授業づくりも一日ではできないが、一日一日の積み重ねが大事だ。
 あなたは、子どもが好きですか?
(明石一郎:1955年大阪府生まれ、貝塚市立小学校教師、全国同和教育研究協議会事務局長、大阪府教育委員会首席指導主事、貝塚市立小学校校長を経て関西外国語大学教授)


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