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生徒の問題行動が起きたとき、体験の中でつかみとった考え方や指導の方法とは

 私は前に勤務した学校で、生徒の問題行動によって多くのことを学んだ。
 生徒の問題行動に対する指導の原則は、生徒を人間として扱うことにつきる。
 生徒が教師である自分と同じ人間であることを、どのくらい深く考えて行動するか、ということで決まるのである。
 私が体験の中でつかみとったことをまとめてみる。
 生徒はさまざまな問題をひき起こす。
 タバコ、酒、カツアゲ、集団暴行、万引き、不純異性交遊、授業中に騒ぐ、器物破損、ツッパリグループの結成、など出るべきものはほとんど出た。
 では、このような問題を起こした生徒に、どのように対応すべきなのだろうか。
1 生徒を道徳的に断罪するな
 大切なことは、生徒を傷つけないこと。道徳的に断罪しないことである。
 生徒が問題を起こすと、教師は「悪いことをやった」と考え、ほとんどの場合、生徒に「すみません。もう二度とやりません」と、反省させることを目標とする。
 しかし、教師は神様ではない。道徳的に断罪できる位置にない。
 だから、こういう方向で生徒を追及したとしても、生徒を傷つけ問題をこじらせるだけである。
2 生徒を呼ぶときの教師の顔つき・態度
 まず、生徒を呼ぶときの教師の顔つき・態度が大切である。
 なれなれしく、優しく対応するのは論外で、ピリピリした厳しい顔で臨むのもまずい。
 生徒に対して、教師である自分を無化するような、落ち着いた、冷静な態度がとれるといい。
生徒にやったことをしゃべらせる
 生徒を緊張させつつ、リラックスしてしゃべらせる、といい。次のように始める。
(1)
「何をやったか順を追って言ってごらん」と切り出し、生徒がしゃべり始めるのをゆっくりと待つ。
(2)
話し出したら「いつ」「どこで」「誰と」「何をした」と、教師が口をはさんでやり、生徒が具体的に、自分がやったことを整理できるようにする。 
 これがきちんとできれば、教師の仕事はほとんど終わったも同然である。
 言いにくいことを無理にしゃべらせる必要はまったくない。
 生徒自身が、しゃべっていく中で、自分が何をやったのかを対象化できればいいのである。
 もっとも大切なことは、具体的に何をやったのかということを、生徒自身にハッキリさせることなのである。
 生徒は、ほとんどの場合、自分がやったことがどういうことなのか、何もつかんでいない。
4 生徒にやった理由は聞かない
 生徒はその時の気分で行動するのだから「べつに理由なんかない」のである。
「どうしてそんなことをしたんだ!」と詰問調に迫ることは、絶対に避けなくてはいけない。
「別に」という返事がはね返ってきて、教師がカーッとして「別に、とは何だ!」とケンカ腰になっていくのがオチである。
 たとえ理由があったとしても、それは生徒の心の領域に属することだから、聞いたってどうにかなるわけではない。
5 生徒を説得しようと思うな
 問題を起こした生徒を呼んだとき、ほとんどの教師は、やったことがどうして悪いのかを説明し、納得させようとする。
 くどくどと理由をつけて「だから、やっちゃいけないのよ」と言うわけである。
 ほとんどの生徒は、自分のやったことの整理がつけば、まずいことをしてしまった、ということが分かる。
 生徒にしゃべらせたあとで説得を始めるから、ウヤムヤになってしまうのである。
 仮に教師がつけ加えるとしても「まずかったな」の一言でいい。
6 生徒にやったことをしゃべらせた後
 生徒がしゃべり終わったら、教師が順を追って確認し「まずかったな。で、どうするの?」と、次に進む。
 やったことの責任のとり方を次のように教えることになる。
(1)
他人に迷惑をかけた場合は、謝罪し、具体的に償えるものは償う。
(2)
自分に何かを強制することによって、今後頑張っていくことを示す。
 処置の実行には、教師は最後まで立ち合い、手助けをし、やりとげさせねばならない。
 そのことによって、生徒が一区切りをつけ、次の生活に入っていけるようにしなくてはならないのである。
7 校内で事件を処置できなければ警察へつき出せ
 前述のような処置は、教師の指導力が確立していなければ不可能である。
 校内で処置できず、問題を放置することがもっとも悪い。
 処置できなければ警察にまかせ、きちんとした法的な処置を受けさせる方がずっといい。
 法律に違反すればこういうことになると、身をもって体験させることである。
「教師が生徒を警察につき出すのはよくない」などというおしゃべりにつき合う必要はない。
 教師が校内でケリをつけられるかどうかが問われているのであり、できないなら警察にまかせるしかないのではないか。
 それをいい加減にするから、問題が大きくなるのである。
 社会で生きていくための、公の人間として生きていくためのルールを、しっかり教えていくことが大切なのである。
(
河上亮一:1943年東京都生まれ、埼玉県公立中学校教諭、教育改革国民会議委員、日本教育大学院教授を経て、埼玉県鶴ケ島市教育委員会教育長、プロ教師の会主宰)


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