教師は自分を演じなければプロとしてやっていけない、どうすればよいか
私が小学校に勤めていたとき、新任の若い女の教師が4年生の担任になった。
言葉遣いや身のこなし方など魅力的なセンスをもっていた。
ところが、どうしたことか子どもから嫌われ、多くの保護者から「うちの子どもの担任をやめて」と言われるようになった。
髪の毛が抜けるくらい悩み、放課後、3階の教室のベランダから飛び降りようとしたこともあった。
幸い、同じ学年の教師に止められて大事にはいたらなかったが。結局、1学期の終わり頃から教室に入れなくなって、そのまま退職してしまった。
周りにいた私たちは、オロオロするばかりで、どこからどのように話しかけてよいのか迷って、適切なアドバイスができないまま状況が悪化してしまった。
彼女は、なぜそのようになったのか、私なりに次のように分析をしてみた。
(1)表情が硬く、子どもと一緒に笑ったりくやしがったりすることがなかった。
(2)声が小さく、平板なので、聞いている子どもたちも話の内容に興味や関心がもてないようで、私語が多かった。
(3)感情的になることが多く、子どもたちは何で怒られているのかが、わからない時があった。
(4)子どもを評価したり、ほめたりすることが非常に少なかった。
(5)子どもの話を聞かず、命令調の言葉や指示的な言葉が多かった。
これらのことは、彼女が気がつくように何回も話した。当然分かってくれていると思っていた。
しかし、学級のスタイルや子どもたちとの関係ができ上がってしまうと、なかなか崩せないのが学校現場である。
彼女自身が納得したところは直そうと努力したことは強く感じられるが、やろうとすればするほど、子どもとの関係は「あり地獄」のような状況に陥ってしまったのである。
私が自分の経験をふまえながら、大切にしていることは教師の「演技力」である。
私の先輩教師は
「教師はどんな状況でも、どんな子どもたちの前でも、自分を演じなければプロとして生きていけない」
「教師は、役者、医者、易者、芸者、忍者、学者を演じなければならない」
と、教えてくれた。
教師は次のような演技をすることで、自分を変え、子どもたちとの関係を組み替えることをしたい。例えば、発声について次に述べる。
私は、子どもたちが気持ちよく身体に染みこませていけるような発声を絶えず研究している。
体育館の壁に円を描いた的に目がけて発生する。発声を磨くと言葉にメリハリが生まれる。間を取り、歯切れよく発生すると、子どもたちの心に響く声が出せるようになる。
声量と声質を使い分けられるようにしておくことが大切である。
例えば「大小・強弱・長短」「明るい・元気・やさしい・厳しい・渋い」
これらを使い分けるように教師としての技を磨いておくとよいであろう。
そのお手本として落語が参考になる。一人で何人もの話し方を使い分け、巧みに表現し、聞き手の客を引き寄せている。寄席に通うことを勧めたい。
(志賀廣夫:元埼玉県公立小学校、愛知教育大学教師)
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