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学ぶことが嫌いな子どもが多い、勉強の喜びを得るにはどうすればよいか

 世の中で最も「学ぶ」ことが嫌いなのは、中学生や高校生ではないでしょうか。「学ぶ」ことにネガディブなイメージを持っています。
 それは「学ぶ」ということが、テストや受験のために直結していて、やらされているとしか感じないためです。
 学ぶことそのものがつまらない、おもしろくないと感じてしまっています。
 ところが、自分が社会の一員として仕事をするようになってから、私は受験勉強にも意味があるということに強く気づきました。
 受験勉強を通じて行ったトレーニングが、仕事をする能力の基礎になっている。いまこうして活動する私自身を形作っているのです。
 勉強すること、勉強そのものが、人の能力を磨く、ひいては社会で活躍できる人材を作るということです。
 また、知的なことに上手に触れると、すごくわくわくしてくる。
 この知的興奮というものは、何事にも置き換えることができない充実感と幸福感をもたらしてくれます。
「学ぶ」ということに背を向けずに、真っすぐな気持ちで取り組むことができれば、誰もがその充実感と幸福を手に入れられるのです。
「勉強の喜び」とは、知的興奮との出会いです。知的な興奮って、かなりいいものなんですよ。
 興奮と聞いて想像するのは性的なことや、アクション映画を見たり、音楽で気分が盛り上がる感じでしょう。
 でも、知的な興奮を巻き起こされたときの感触というものは、人生でも華ですね。ソワソワするほどです。
 しかし「まったく知的興奮の経験がない」という人が多い。
 知的興奮を経験すると、いままで知らない快楽を知ったなあと感じます。
 勉強という行為でも、ドーパミンを出すことは可能なんですね。性的興奮と同じメカニズムで起きるのです。
 だから、極端なことを言えば異性にモテなかったとしても、勉強でドーパミンを出せば、似たような興奮や快楽が得られて、人生寂しくなくなるという大きなメリットもあるわけです。
「学ぶ」ということで得られる興奮や喜び。それは「感動」です。
 知らないことを知ったとき、疑問に思ったことが解決したときの「そうだったのか!」という感じのことです。例えば次のような話があります。
 古代ギリシャのアルキメデスは王様から「王冠が純金製か調べよ」と命ぜられました。王冠をつくるとき、金を減らし、銀を混ぜたという噂があったからです。
 解き明かそうと、悩みに悩んでいたアルキメデスは、気分転換に公衆浴場に出かけます。
 浴場の湯船に入ったところ、満たされたお湯がザーッと流れ出ました。
 その瞬間、アルキメデスは「わかった!」と叫んで裸のまま、飛んで家に帰り、王冠が純金でないことを突き止めました。
 発見した方法は、満水の容器に王冠と同じ重さの金を沈めて、あふれた水の体積を測る。同様に銀でも測る。
 すると、金のほうがあふれる水が少ないことがわかった。金の方が重く比重は19.3、銀は10.5でした。
 最後に王冠を水に沈めると、金よりあふれた水が多かった。そこで、銀が混ぜられていたことがわかったのです。
 アルキメデスは、発見したとき、興奮と感動で裸で走り出したのでしょう。
 歴史に名を残す人は、みんな裸で走り回りたくなるほどの発見に、興奮し感動を味わっています。
 誰も知らなかったことを知る。これは知的な興奮の結晶です。
 実は、その結晶が集まっているのが教科書なのです。歴史学者の知的興奮があつまって歴史の教科書になる。化学者の発見が化学の教科書に満ちている。
 人類の偉人や天才たちが発見したその驚きがつまっているのが教科書なのです。
 でも、そういうふうに教えてもらっていないから、感動すべきことなのかどうかがわからない。
 知的感動にはポイントがあり、それを教えてくれる導き手が必要なのです。
 教科書の中に冷凍保存されているものをちゃんと解凍して味わえば、学者が発見したときの興奮を、私たちも再体験することができる。
 そういう知的興奮をどれだけ自分に巻き起こせるかが、勉強する上でのカギです。
 いかに学んで感動するか。学ぶ感動を日々得ることができたら、学校での勉強はもちろんのこと、人生そのものがものすごく楽しくなります。
(齋藤 孝:1960年静岡県生まれ、明治大学教授。「身体感覚を取り戻す」で新潮学芸賞を受賞。専門は教育学、身体論)

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