「いくら注意してもきかないです」と言う教師がいる、どうすれば言うことをきくようになるか
「あの子はいつもあーなんです」
「いくら注意したって、ちっとも言うことをきかないんです」
「私の力ではどうしようもありません」
「誰か私のかわりに叱ってください」
と、このような訴えをする教師がいると、友人が話してくれた。
この話を聞いて、
「このごろの子どもは先生の言うことをちっともきかない。だから先生は大変」
と、なぐさめ合う教師もいるそうだ。
「子どもが言うことを聞かないのは、親が家でしつけていないからだ。親に連絡をして、協力してもらった方がいい」
と言う教師もいるそうである。
「教師は誰だって苦労しているのに、他の人に叱ってもらおうなんて、何を考えているのか」
と、憤慨する教師もいるそうである。
三人三様のとらえ方をするのだが、教師としてどうかなと思うのは「あの子はいつもあーなんです」という言い方である。
この言葉の響きには、あの子はもうあきらめた、という気持ちが表れているように思う。「教師が子どもをあきらめてどうする」である。
人間というのは日々変化するものである。ましてや子どもの成長は日々、目を見張るものがある。
だから、教師は子どもの可能性を信じて、絶えず工夫する。工夫のしがいがあるのである。
それを、いくら注意してもきかないからといって放っておいたのでは、教師のプロ意識が許さない。何のための教師かである。
時には強く叱り、時には褒め、時には肩に手をかけて話し、そうして子どもを自分の掌の上を転がすようにしていく。それが教師である。
「誰か私の代わりに叱ってください」というふうになると、クラスはかなりガタガタである。
たとえ、他の教師がそのクラスへ行って指導し、子どもがその教師の言うことを聞いて静かにし、授業が成立したとしても、それは他の教師の力量があることを証明するだけである。
逆に言えば、担任の力量のなさを証明してしまうだけで、担任が戻ればクラスは相変わらず崩れる。
ずーっと他の教師がいるわけにはいかないことを考えれば、このようなやり方は、一時的な効果しかない。
肝心なのは、そうして、他の教師にかかわってもらいながら、心のゆとりを取り戻し、他の教師のやり方から学ぶことなのである。
授業を見せ合うということが、どんなに教師に力をつけることになるか、はかり知れない。
教師は授業で勝負をする。授業を見れば、その教師がどれだけの力を持っているか、怖いほどよくわかる。
教師は仲間の教師に授業を見せることによって力をつけていくものである。授業をやる教師はもちろん、参観する教師も、言葉に表せないほど多くの力を身につける。
人に見てもらい批評を受けることは、人を成長させる大きな原動力になる。だから、教師全員がかわりばんこに授業をすることが大切である。
全員が一年間に一回は授業を見せている学校があるこういう学校の教師のやる気はすさまじい。 全員が授業をして力をつけよう、子どものために頑張ろうとしている。
自分も授業を見てもらおうと思うから、他の人の授業も真剣に見る。何かを得ようと力か入る。
同じ授業を見ても、その解釈は教師によって違う。授業後の協議会でそれらが話し合われ、一人ひとりが力量を高められる。
その視点は、
・子どもに意欲はあったか
・子どもに能力がついたか
・その子の良さ(個性)は出ていたか
・学び方を学べたか
・自分で評価できたか
等である。
よい授業とは
・授業のねらいが明確で子どもにもわかる
・多様な学習方法が工夫され、子どもが意欲をもってとり組める
・身近なことを題材にして子どもに臨場感がある
等である。
このような授業にむけて教師は努力している。
(飛田貞子:元東京都公立小学校校長)
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