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2020年3月に作成された記事

学級が荒れないように予防したり、学級が荒れたとき、どのようにすればよいでしょうか

 学級が荒れないように予防したり、学級が荒れたとき、次のようにすればよいと思います。
 新しいクラスを持った最初の一週間は、担任と子どもたちとのお見合いの時期といえます。
 子どもたちは、この担任は合格か、ダメか判断するのです。
 また、どこまでこの担任は許してくれるのか、この担任は何を大切にしているのかを子どもが試すのです。
 この一週間で、「楽しい担任なんだよ」ということを子どもたちにメッセージしていくようにします。
 担任に「遊び心」があるか試されていると思うんです。
 ゲームをしたり、ボケてみたり、突っ込む楽しさとか、教師に遊び心があると、子どもたちとの距離感を縮めてくれるのです。
 クラスが荒れる要因のひとつは、子どもたちに「指示する言葉が多すぎる」ことです。
 子どもに、できないことがあると、担任が繰り返し注意して、言葉で子どもを支配しようとするため、言葉が多くなるのです。
 管理的な担任に対して、子どもたちは黙って従いながら、反抗の時期をうかがっています。
 子どもたちが反抗したとき、怖がり、担任が一歩引いてしまうと、子どもたちは勝ったと判断し、甘えと反抗を担任にぶっつけてくるようになります。
 担任が子どもを抑えられなければ学級は「正義を失う」わけです。
 そうなれば、子どもたちは互いに注意しなくなるし、荒れる子どもは自分を客観視できないので勝手なふるまいを続けていくことになります。
 教師の目は荒れている子どもだけに向いてしまいがちですが、学級に正義を取り戻すには、荒れの外側にいて「黙っている子どもたちをどう援助していくか」ということが大事です。
 荒れの外側にいる子どもたちが声をあげられないと学級に正義を取り戻せません。
 そのために、これまで、ありとあらゆる援助を試みましたが、良かったのは「いやし隊」(学級内クラブ)でした。
 たとえば、ケンカで殴られた子をそっと気づかってあげるのが「いやし隊」です。それが学級の世論のようになっていった。それでケンカの再現タイムをやったら、この子たちが証言したのです。
 ケンカをめぐって話し合いをするとき、事前に班会議を開くようにします。班だと小さい集団なので安心してものが言えます。こんな言い方をするとわかってもらえそう、という練習にもなります。
 担任と子どもとの関係がこわれてしまっているとき、関係を取り戻す決めては「ほめ続ける」ことです。ほめることは、見捨てないよ、大事にするよというメッセージです。
 学級活動をたくさんつくり出し、「ほめる材料をつくる」ようにします。いろんなケースを想定して「様々なほめ言葉を用意」しておきます。
 もうひとつは「子どもと遊ぶ」ことです。
 遊べば、ほめることがいっぱいできます。担任は「楽しい遊び」をやるようにします。そう思ってやらないと明日、学校に行く元気がでなくなります。
 トラブルには必ず「わけ」があって、悪いことをして、みんなにわかってもらいたいことがあるということなんです。その「わけ」をわかってあげないとトラブルは繰り返します。
 子どもって、学校と家では同じでないことが多い。
 家でいい子が学校に来ると「うっせいな」とバランスをとっていることがある。大変な子どもほど、激しい言葉の裏に寂しさが隠れている。そういう言葉に出会えたときに、「彼らとの出会い直し」ができるのです。
 実際、たとえば「おめえなんか、死んじまえ!」と、私を蹴飛ばしながら叫ばれたことがあります。
 その「おめえ」って私じゃないんですよね。背景に何かがあって、それに向かって叫んでいる。そう思うと気が楽になるし、「わけ」がわかるまで、まあ、何を言われてもいいかと。
 トラブルを起こす子どもに対しては、「早めに援助」しながら、「作業を成功」させて、「ほめる電話」を家庭に入れると、子どもと保護者のつながりができます。
 子どもたちから投げつけられる暴言・悪罵に苦しんで心身を病み、そのため、途中退職を余儀なくされる担任もいます。
 子どもの「暴言の返し方もいくつか用意」しておかなくてはなりません。
 「くそばばあ」と言われたら、「誰に口きいているの」と言わず、「よかった、くそじじいじゃなくて」とか、そんな言葉では傷つかないよ、というメッセージを送るようにします。
(
斎藤 修:千葉県公立小学校教師、篠崎純子:神奈川県公立小学校教師 ともに全国生活指導研究協議会常任委員)

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親から多いクレームとその対応方法

 サービス社会になって親が学校にサービスを求めるようになった。とうぜん親からのクレームも多くなっている。教育雑誌()には親のクレームについてつぎのような記載があった。
 教師の学習指導力の不足を心配するクレームは多い。中学受験ブームが定着してからは、小学校低学年の親からも学習指導力不足を指摘するクレームが舞い込むという。
 例えば「子どもの算数の成績が急に落ちました。学年が変わって、指導力のない先生に習っているような気がしてなりません。手遅れにならないうちに担任を代えていただきたいです」といったクレームがある。
 クレームは、基本的に親が不安だからいってくることが多いのです。
 親とのコミュニケーションが不足すると、クレームは増えます。ですから、このような不満に対しては、親にきちんと説明責任を果たすのが理想です。
 日頃から学習指導の方針について親へ説明していれば、極端に子どもの成績が落ちないかぎり、大きなクレームはないと思います。
 また、学級通信や親と教師の間の連絡帳でこまめに情報を伝えていくなどの方法も有効です。
 クレームの内容でもっとも目立つのは、教師の生活指導力の不足についての批判である。
 学級運営を円滑に進めていく「生活指導力」が不充分だと、学級崩壊などにつながるので、最近は保護者のほうも敏感になっているようだ。
 年齢が若く、経験の少ない教師の場合は、実際に生活指導力が不足なことも多い。教師になったばかりでは、荒れ気味の子どもたちに対してリーダーシップをとることなどむずかしい。
 相性が合わなかったり、いつも自分が注目されてチヤホヤされていないと満足できない子どももいます。
 そういった子どもには教師はきちんと指導して、ときにはきちんと叱るなどしないといけないのですが、子どものほうは教師への不満が募り、家で親に訴えます。自分の都合のいいように親に伝えて、それを親がうのみにしてしまうケースはやっかいですね。
 このような親子は、繰り返し、それも些細なことでクレームをくり返すことが多いので、教師同士で情報交換して、必要なら教頭や校長などに出てきてもらって、親をなだめて、帰ってもらうようにしています。
 担任相手には、いきまく親でも、教頭や校長など偉い立場の肩書きに弱い親って、けっこう多いんです。校長に文句を言ったということで、それで満足してしまう親もいますしね。
 親からのクレームでいちばん多いのは、担任の頭越しに校長へいきなり連絡がいくものです。
 クレーム内容は担任への不満が多いという。担任に対して直に言うことができないので校長に伝えてしまうというわけです。
 また、なかには担任への嫌がらせとしか思えないクレームもある。
 ふだん担任には笑顔で接していて、いきなり校長の元にきつい抗議をするのです。暗に担任の能力不足を訴えるという心理的な打撃を狙ったものもあります。
 保護者同士でそういう話をしていたりしますから。昔、教師に冷たく扱われるなどして、教師に対して恨みやコンプレックスを持っている親に多いです。
 とくに若い教師にはマジメで繊細な人が多いので、ショックは大きいかもしれませんね。
 このようなクレームは受けたくないからと、自分はなんのクレームも受けていないのに、すごく保護者の動静にビクビクしている教師もいます。
(
)「ザ・小学校教師 別冊宝島」宝島社 2007

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指導者にとって自分を高めるために大切なことは何か

 指導者として仕事が好きであるということが一番大切だと思う。
 指導者は決して楽なことはない。文句をいう人もいれば、反対する人もいる。その中で仕事をしていくのだから、ずいぶんと気の疲れることである。
 まして、いろいろな困難が次つぎと生じ、それに的確に対処していくことは大変なことである。
 だから、それを大変だな、苦労だなと思う人は、指導者にはなれない。
 そういう、他人からみれば大変な苦労でも、本人は楽しんでやっているのだから、いくらやっても疲れることがない、いいかえれば、そのことが好きであることが必要なのである。
 この「好き」ということは、何をやるにしても一番大切だと思う。
 指導者は自分の利害とか感情というものをすて去って、何が正しいかを考え、なすべきことをなしていくところに、力強い信念なり勇気が湧き起こってくるといえよう。
 指導者として、人を動かすには、根本に正しい理念、方針をもたなくてはならない。そういうものがなくて、人を動かすことはむずかしい。
 けれども、正しい考え、主張であれば、人は何でも受け入れ共感してくれるかというと必ずしもそうではない。
 それを強引に相手に押しつけようとすれば、反発を招くこともある。説き方、訴え方が大切で、説得力が必要になってくる。
 根底に何が正しいかという信念を持ち、時や場所を考え、相手を考え、情理を尽くした配慮があって、はじめて主張や訴えが説得力を持ってくるのだと思う。
 人間は、疑いの気持ちを持って人に接すれば、そのように人は反応し、信頼の気持ちを持って接すれば、人はうれしいと思う。
 指導者はまず、強い信頼感を持って人に接するということがきわめて大事だと思う。
 たとえ裏切られても本望だというぐらいの気持ちがあれば、案外に人は信頼にそむかないものである。
 何か事をなしていく場合に、信用というのはきわめて大事である。「あの人なら大丈夫だ」といった信用があれば、容易に事が運んでいくだろう。
 自分が信用しない人には、誰もついていかない。信用している人には、ついていこうとする。
 指導者は私情をすて、きびしさとやさしさが必要である。
 すぐれた働きや成果があればほめ、あやまちがあれば叱ることが適切に行われてはじめて、集団の規律が保たれ、人々も励むようになる。
 やさしさばかりでは、人々は甘やかされて成長もしない。かといってきびしい一方では、うわべだけ従うというようになって、自主性をもってやるという姿が生まれてこない。
 だから、ほめ、叱るということはぜひとも行われなくてはならないし、適切、公平になされなくてはならない。
 軽すぎては効果がうすく、重すぎても逆効果ということになり、まことむずかしいものである。
 きびしさはなるべく少なく10~20%ぐらいにして、きびしさがみんなによく浸透していることが望ましい。人情の機微に通じてこそできるのだと思う。
 そのさい、大事なのは私情をはさまないということだろう。私情が入っては納得させることはできない。
 適切にできれば、それだけで指導者たり得るといってもいいくらいである。
 指導者は、たえず自問自答していくことが大切である。
 指導者はあやまちのないように、毎日自分の行いについて、自らに問い、自ら答えるということをくり返していかなければならない。
 自分一人ではわからない場合は、他の人にたずねてみる。
「自分はこう考えているが、どうだろうか」と。得た答を自分自身の考えに加味して検討していくということを重ねていけば、あやまちを少なくやっていけるのではないかと思う。
 人にはそれぞれにちがった持ち味がある。
 一人として全く同じということはない。
 他の人の通りにやったらうまくいくかというと、そうではない。むしろ失敗する場合が多いと思う。
 人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせて生かすことが大事なのである。
 すぐれた指導者は、組織の中で一番謙虚で、感謝の心がつよいように思われる。
 私がお会いした、すぐれた成果をあげておられる指導者に共通していることは、どの人もまことに謙虚で、きわめて感謝の念にあつい人である。
 人につねにそうした態度で接しているので、だれもが好感を持つから、多くの人々の知恵があつまってくる。
 それが会社を発展させる最大の力になっているのだと思う。
 指導者にとってその大切さが改めて痛感された。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

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他の教師から悩み相談を受けた場合、アドバイスするときに気をつけることとは

 他の教師から、悩み相談を受けた場合に気を付けておいた方がいいことは、
1 話をじっくりと聞く
 まずは「その人の話を興味を持ってじっくりと聞く」ことが一番必要なことです。
 話をよく聞かないと、困っていることの内容も、本人のつらさもイメージできなくて、何が問題となっているのかわかりません。
 話をよく聞かないと、共感もできないから、アドバイスのしようがないと思うのです。
 じっくりと聴いているだけで、相手は「自分の苦しさを分かってもらえたみたい」と、ずいぶん落ち着くこともあるようです。
 だから、いいアドバイスをすることが答えじゃなくて、一生懸命に聞いて、共感できたりすれば、それが一番いい形の援助になるんじゃないかと思うのです。
 聞いているうちに「わかる、わかる。あるある、私にも」と、一緒になってグチを出しあう感じになることもあります。
 そうなったら、もうアドバイスなんか必要ないかもしれません。
 相手が自然に答えをだしていることだってあります。
2 アドバイスには危険性もある
 悩んでいる人にとっては、誰もが思いつくようなアドバイスは、本人はそれができないから悩んでいて、追いつめられ、苦しんでいるのです。
 いくら一生懸命「こうすればいいのよ」とアドバイスをしても「アドバイスされたことが実行できない」ということで、自分を追い込んでしまうことも少なくありません。
 だから「この人の気持ちが少しでもラクになればいい」という配慮が必要です。
「ラクになり、元気にさえなれば、自分で解決法も思いつくし、対処もできるだろう」と思うのです。
 私は、相手のできていないところや、欠点などを指摘してみても、まずは元気になれないと思っています。
 それより「そういう悩みを抱くのは、あなただけではない」と、いうことを伝えたいものです。
 自分で自分を責めて苦しんでいるところを、少しでも減らしてもらえたらと思います。それが何よりの力になると思うからです。
3 アドバイスは具体的に
 教師の悩みは、ほとんど「明日からどうすればいいのか?」という切羽詰まったものがほとんどです。
 たとえば「クラスの子とうまくいかない。管理職からは厳しく指導しろと言われるけど、本当にそうなのか?」などといった、ものばかりです。
 こういう悩み相談には、良い結果が出るようなアドバイスでなくてはなりません。結果が求められるのです。
 適切な対処の方法を選んでいくには、学校で起きるさまざまなことを実験結果として見ていく視点が必要です。
「そのやり方で効果があったかどうか」を意識して見ていれば、有効性もおおまかに判断できます。
 そういう風にまわりのやり方を見ていて「ああやると失敗するんだ」と学ぶこともたくさんあります。
 サークルで悩み相談がでると、私自身も「自分もそれが聞きたかったんだ、ラッキー」などと、いろんなことを学んできました。
(中 一夫:1960年鳥取生まれ、東京都公立中学校教師。仮説実験授業研究会会員)

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学級崩壊になったクラスを何回か任されて分かった学級が崩れる要因と、対応の「ツボ」とは

 私は何回か学級崩壊に陥ってしまったクラスを任されたことがある。
 そこで、子どもたちと格闘しながら分かったことがある。
 それは、次のような、「学級が崩れやすくなる時や要因がある」(難所がある)ということ。そして、それに対応するさいの「つぼ」があるということである。
1 学級が崩れやすくなる時や要因がある」(難所がある)
(1) クラスの子どもに問題がある
 クラスの子どもの側に問題がある場合は次の二つのパターンがある。
(イ)暴れん坊の子どもが数人いるとき
 力量のある教師でも学級経営が難しくなる。原因となる子が明らかな場合は急所がはっきりしているので、その子に何らかの手を打てばよいのである。
(ロ)原因となる子どもがはっきりせず、どうしてあの子がと思われる子まで荒れてしまう場合
 この場合は簡単にいかない。原因が何か、一つ一つ解明する必要があり、急所はつかみづらい。
(2) 担任が原因となる
 担任が原因となる場合も少なくない。
 担任が難所の原因である場合は、担任する学級が毎年同じようなトラブルが起きているはずである。
 そこを分析すれば「急所」は明らかになる。
(3) 保護者が遠因となる
 学級崩壊の遠因となるのは保護者である。
 担任にとって一番の味方にもなり、敵にもなるのが保護者である。
 是非とも味方にして共通の歩調で課題にあたりたい。
2 学級崩壊に対応するさいの「つぼ」
 学級崩壊を攻略するためには、子どもの思考に沿った対応が必要になる。
 子どもの思考は柔軟で、あらゆる方向に向かっていくが、その方向の幅を決めなくてはならない。
「だめなことはだめ」と、きっちり教え、その後に自主的な活動を促すようにすることが肝心である。
 攻略の手順は
(1)「押しつけ」は「しつけ」の第一歩
 子どもは時には残酷である。
「絶対に許されないこと」(安全や人権)は初めにしっかりと示すことが大切である。
 これは納得させるものではない。「だめなものはだめ」と問答無用でしっかり押し付けるのである。
(2)子どもの声に耳を傾ける
「だめなものはだめ」としっかり押し付けて子どもに「これはまずい」ということを分からせたら、次はじっくり子どもの言い分に耳を傾けよう。
 問題を起こす当事者は「子ども」である。当事者の意見が一番重視されるはずである。
 どんなに一方的なトラブルがあったとしてもきちんと話を聞くということ。これは「急所」である。
(3)子どもを信じて任せる
 トラブルをそのまま放置してしまったらとんでもない結果となる。
 しかし、真の問題解決は、子どもたちが自分たちの力でやるしかない。
 教師は、手助けができるだけである。
 しっかり押し付けるべきものを押し付け、子どもの話をじっくり聞いたうえで解決する方法を考えたら、後は子どもを信じて任せるべきである。
 もちろん、任せっぱなしではなく、要所、要所での指導は必要である。
 学級崩壊の対応例を次に示します。
 私は2学期から、いわゆる学級崩壊をした6年生の学級を受け持ちました。
 私は、子どもと接するときに最も大切にしてきたことは、丸ごと受け入れ、何がしたいか引き出すことです。
 まず子どもたが何をしたいのか、その声に耳を傾けました。しかし、子どもたちの目線はバラバラで宙をさまよっていた。
 そこで、毎日1時間、授業時間に机を教室の後ろに寄せて車座になり、どんな学級にしたいかを話し合わせました。
 子どもが何を考えているのかを引き出し、自分に何が出来るのかを探ろうとしたのです。
 子どもたちは、 始めは「協力する」「仲良くする」と表面的な言葉ばかり言いました。
 私は「本当にそう思っているのか」と何度も問い返すと、次第に思いを口にしていきました。
 最終的に学級のめざす姿を決めることになり、「チャーハン」と「ミックスジュース」のどちらかを、学級の目指す姿に決めることになりました。
 それぞれへの支持が拮抗する中、ある子が「チャーハンは元の材料がよく分かる。でも、ミックスジュースは元が何か分からないから嫌だな」と発言。途端に、満場一致で「チャーハン」に決まったのです。
 話し合いを重ねるうちに、学級が更に一体感を持つようになりました。
「チャーハン」という目標から「集まろう、一粒、一粒おいしいクラス」とキャッチフレーズが決まり、授業にも落ち着いて取り組むようになりました。
 子どもたちはやりたいことがわからない苛立ちを発散させていたのだろうと思います。
 子どもに寄り添い、何をしたいのかを引き出し、その実現を支えることが教師の役割なのだなと、改めて感じました。
 生身の子どもたちが何十人も集まる学級である。子どもにとっては実社会そのものなのだ。
 学級は、何事もなく一年が過ぎるはずがない。難所があって当然なのである。
 要はその難所とどう向き合い、どう対応するかである。
 難所は子どもたちにとっては「最も踏ん張らなくてはならないところ」、「最も教師を必要としているところ」なのだ。そこを学級経営に生かさぬ手はない。
 子どもを導く者の第一は教師である。教師が正しく難所を認識し、急所を適切につかんで対応すればほぼ9割方解決することができるはずである。
 難所はどのクラスにも確実にある。そしてその難所は学級が飛躍する大きなチャンスにもなるのである。
(今村信哉:埼玉県さいたま市立小学校長、教育委員会課長を経て共栄大学客員教授)

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私が学級づくりで大切にしてきたこととは

 私は退職するまでの36年間、理科の教師として中学校に勤務した。
 支えになったのは多くの仲間の皆さんの存在があると痛感している。
 また、教育研究会やサークルで学んだ全国のすぐれた実践が、私の活動の糧となった。
 私が学級づくりで大切にしてきたことは、次の三つです。
 この視点を見失うことがなければ、大きく道を外れてしまうことはないと考えている。
(1)
教育にとって何よりも大切なことは信頼
 子どもと教師、保護者と教師、教師と教師などの間に信頼があってこそ、教育は成り立つものであると。
(2)
怒らないで指導する
 「子どもたちを怒らないで指導してはどうですか」と、教師に話すと、「そんなの無理」とすぐに返事が返ってくる。
 確かに「怒らんとこ」と心にきめて授業に臨むが、「怒らなければならないこと」が必ず出てくる。
 むしろ、毎日の学校生活の中では、「怒らなあかんことばかり」なのが現実である。
 しかし、少し視点を変えてみたい。
 私の場合、「絶対に怒らないで指導をする」と自分の心の中で決心していると、「それでは、どうすればよいか」と間をあけて考えることができるようになってきたのである。
 冷静になって対処できる余裕が生まれてきた。
 「感情にまかせて怒らない」ことである。
 よくよく考えてみると「怒らなくてもよかったけどなあ」と後悔することがいっぱいある。
 怒って指導すると、子どもは必ず反発する。
 また、子どもは同じことをする。口で言っても聞かない、また怒る。
 このくり返しになると、子どもたちとの関係は、うまく行かなくなる。
 しかし、「いじめ」や「命にかかわること」については例外である。
 そのときは、子どもとつながりをつくるチャンスと考えることにすればどうだろうか。
(3)
子どもたちとあそぶ
 子どもたちとの信頼関係を築くためには「あそぶ」ことをすすめたい。
 帰りの会や学活において、簡単にできるゲームや集団あそびを取りいれたい。
 学級で行うゲームには「ジャンケンゲーム」をすぐに思いつくが、何といっても「鬼ごっこ」が一番のように思う。
 そのほか「たこ揚げ」「水ロケット」「熱気球」「空気砲」「模型飛行機」など、あげればきりがない。
 あそびのネタを自分の引き出しに用意しておくことをすすめたい。
 学校行事でも、ただ計画されているから実施するのではなく、常に自分なりの工夫を加えていきたい。
 それには教師が「あそび心」をもち続けることである。
(
金子光夫:1947年高知県生まれ、元大阪府公立中学校教師)

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「教え上手」と言われる教師に共通しているものは何か

「教え上手と言われる教師に共通しているものは何か」と、私は長年の教員生活を通して考えてきました。
 それを考えるには、二つの軸が必要です。
 ひとつは「技術」、そしてもうひとつが「人間性」です。
 指導力不足教師が問題となっています。彼らは教え下手の代表ともいえる存在です。
 二つの軸に当てはめて考えると「技術」も「人間性」も低いということになります。
「技術」がないので、わかりやすく説明することができない。
「人間性」も低いので、教わる子どもを思いやることもできない。
 これでは指導力不足といわれてもしかたがありません。
 このことから、「教え上手」がどのような教師のことを指しているかおわかりでしょう。
「教え上手」とは、
(1)わかりやすく、そして、教わる子どもたちに学びたいと思わせる「技術」を持もっている。
(2)子どもたちを思いやるような、心とユーモアを備えた「人間性」を持つ。
 教師のことを指すのです。
 また、技術は「人間性」の下支え、裏打ちがあって有効になるものです。
 教え上手というのは、技術を技術に見せません。
 技術を使っているときでも「いかにも技術を駆使しています」とは、あからさまに見せないのです。
 では、どのように見せるか。「技術」を「人間性」のように見せるのです。
 たとえば、子どもたちの注意を引くために黒板にわざと日づけを間違えて書く。
 そういうときも、優れた教師は「つい間違ってしまった」かのように、つまり、それがあたかも人間性から生じたほころびやうっかりミスのように見せて、技術でやったとは子どもたちに感じさせないのです。
 子どもたちを笑わせても、それが人間性からにじみ出たユーモアのように思わせて、テクニックとは悟らせない。
 いいかえれば、「教える技術には、人間性が如実に反映する」のですから、ごまかしがききません。
「人間性」が浅い人には、薄っぺらな教え方しかできないのです。
(有田和正:1935-2014年、筑波大学付属小学校,愛知教育大学教授、東北福祉大学教授、同特任教授を歴任した。教材づくりを中心とした授業づくりを研究し、数百の教材を開発、授業の名人といわれた)

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親がわが子を勉強好きにし、学力を身につけさせたいと願うとき、どのように働きかければよいか

 私の実感では、子どもたちの勉強や学力における家庭の影響は圧倒的である。
 勉強や学力の樹の根っこを育んでいく最初の場が家庭だからである。
 したがって、子どもたちに勉強する習慣や学力を身につけさせたいと願うなら、まず家庭教育を点検しなければならない。
 家庭が、子どもたちの学習活動を促進し、着実な学習態度を育成するような環境になっているかどうかということである。
 その際に強調しておきたいのは、親の意図的な働きかけを通じてというよりも、ある環境のなかで子どもが「自ずと」学びとっていくという性格がつよいもの、ということである。
 たとえば、伝統芸能の世界では、師匠である親が「やれ! なれ」と言うからでは決してない。
 家のなかや周囲の環境全体が子どもを跡取りにしようという形になっており、そのなかで本人が時間をかけて必要な能力や意志を育んでいくからである。
 子どもは、親が「言ったように」ではなく「したよう」になっていくものである。
 私は、勉強や学力形成についても、基本的に次のように同じことが言えると思う。
(1)子どもが家で勉強できるような環境をつくっておかなければならない。
 たとえば、家に帰ったら一日中テレビがついているような家庭では、子どもは落ち着いて宿題などができるわけがない。
 一日一時間は机につく、その間はテレビを消しておくといった環境づくりを、親は心がけなければならない。
(2)親が自分の勉強をする姿を子どもに見せるというのも効果的だろう。
 本を読むことでもよいし、趣味に打ち込むことでもいい。
「お父さん、お母さんは、一生懸命やっている!」という感覚を子どもに持たせることが重要である。
 子どもが、そうした周囲の大人の姿を見て、それを真似ようとする過程を通じて、子どもたちは学習しようと方向付ける性向を自分の体のなかに形成していくのである。
(3)親が子どもと「一緒に勉強する」という機会をつくることができれば、よりよいであろう。
 たとえば、学校の宿題を一緒にすることなどは比較的簡単に実行できる。小学校の三・四年ぐらいまでであれば可能である。
 子どもの勉強を一緒に見てやり、ともに喜んだり楽しんだりすることができる親の存在は、子どもの、学習に対する動機づけを大いに高め、学力形成に積極的なインパクトを与えることができるだろう。
(4)基本的生活習慣を整える
 「朝ご飯をしっかりと食べれば、学力がアップする」ということが言われているが、私たちの調査からも、ある程度うらづけられる。
 その他にも、朝決まった時間に起きる、テレビやゲームをする時間を範囲内におさめる、宿題をやる、翌日の学校の準備をしておく、などができている子の学力は統計的に高くなっている。
 ポイントは、生活のさまざまなことを自分で律することができているかどうかである。
(5)親子の言葉のコミュニケーションをできるかぎり密に行う工夫をする
 テレビ番組や、本の内容、学校であったことの会話を頻繁に持ちたい。
 子どもを叱るときも、申し開きの機会を与え、親が叱る理由を子どもに納得させるようにしたい。
 子どもが、自分の気持ちを的確に伝えることもできるし、相手の行動や意見を適切に理解することができるという感覚を持つようになれば、しめたものである。
(6)文字との接触の機会をたくさん持たせる
 学校は文字文化が支配する場所であり、勉強の基礎に「読み書き」がある。
 本好きな子どもに育てることができれば、勝負は決まったようなものである。
 折を見て、一緒に絵本や本を読んであげたい。一緒に宿題をしてやることも有効である。
 親が「勉強しなさい」と繰り返すだけでは絶対ダメである。それは、子どもの反発心を招いて、かえって逆効果になることの方が多いだろう。
(志水宏吉:1959年兵庫県生まれ、大阪大学人間科学研究科教授。専門は教育社会学・学校臨床学)

 

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授業や子どもの記録は写真で残すのがよい、学級のルールは文章と写真で掲示する

 授業終了時の板書や、子どものノート、図工の時間に作った作品など、写真で撮影して残しておくと記録にも評価にも使える。
 記録はなるべく残した方がいいとは、誰もが思うでしょう。
 でも、手間がかかる上に、保存場所も必要だということを考えると、どうしても尻込みをしてしまいがちです。
 しかし、スマホやデジタルカメラを使うと、手軽にかさばらずに記録を残すことができます。たとえば、
(1)板書の記録
 これは授業が終わったときに黒板をスマホやデジタルカメラで撮影しておくだけです。簡単な授業記録にもなります。解像度はそれほど高くなくても十分に読めます。
(2)子どもたちのノート
 接写モードにするか、離れた所からズームアップして撮影します。後で授業記録をまとめたり評価に使ったりできます。
(3)図工の作品を撮影しておきます。
 粘土や工作物はいずれ形がくずれてしまいますので、写真に撮って残しておくといつでも見られます。印刷して子どもたちに渡しても喜ばれます。
(4)学級のルールは文章と写真で掲示する
 学級にはいくつかのルールがある。子どもにルールが浸透するまでは、ルールを文字と映像で掲示するのが効果的です。
 たとえば「次の時間の勉強道具を準備してから休みにします」というように、新学期には、このようなルールを何度も確認することになります。
 しかし、言葉というものは送り手と受け手との間で、違う意味に取られていることがあります。
 これをなるべく避けるためには、言葉と共に画像を子どもたちに示すようするとよい。
 画像で示すことで、言葉では伝え切れない多くのことを伝えることができます。
「次の時間の勉強道具を準備してから休みにします」のように勉強道具を準備するというルールだったら、机の上に教科書とノートを広げ、筆記用具を出した状態の写真を撮ります。
 この写真をA4の大きさで印刷し、画面下部に「休み時間の前に準備」とゴシック体で目立つように書きます。
 これを黒板や掲示板に貼っておけば、何をすべきか一目瞭然です。
 文字と画像でルールを掲示するのが最も効果的です。
(5)このほかにもいろんな場面を撮影しておくといいと思います。
(「できる教師のすごい習慣」山中 伸之著 学陽書房 2008年)
(山中伸之:1958年生まれ、小・中学校勤務を経て栃木県小学校教師。「渡瀬にこにこサークル」代表、実感道徳研究会会長、日本基礎学習ゲーム研究会研究部長、日本群読教育の会常任委員。多くの教師の悩みに応える活動を行っている)

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教師にはどのようなタイプの人がいるのでしょうか

 子どもに対して行う教師の行為には、指導と援助という二つの大きな柱があります。
 学習指導と生徒指導は当然、指導的側面が強いのです。子どもたちに一定の知識と技能、社会性を教え込もうとするわけですから。
 子どもの自己の確立の援助は、子どもの人間性育成の側面がありますから、当然、援助的側面が強くなります。
 指導は、どちらかというと父親的です。現実的で合理的なのです。
 それに対して、援助は母親的です。やさしさと思いやりという面があるのです。
 教師には、指導と援助の両方が必要で、両者バランスが大事なのです。
 教師は、指導と援助のバランスから、次の4つのタイプにわけることができます。
(1) 指導と援助を統合して、強く発揮する
 このタイプの教師は、子どもの心情に配慮する援助を十分に行ったうえで、結構強い指導も行っているのです。
 しかし、子どもたちは援助を十分受けていることで、その指導が自分のためであると感じて、教師の指導に自ら進んで従おうとします。
 このタイプの教師をよく見ますと、強い指導と言っても、指導の前に必ず指導の必要性と意味を説明しています。
 学習指導のなかに、子どもたちが自分の考えや感情を表現する場面を設定しています。
 生徒指導にも頭から守るべきことを子どもに強要するのではなく、規則の必要性やそれを守ることの意味を教え、子どもに納得させてから取り組ませようとしています。
 つまり、指導のなかに援助があり、援助のなかに指導があるという具合に、指導と援助が統合されて発揮されているのです。
 母親と父親の側面のバランスがいいのです。したがって、子どもたちは主体的な学級生活を送れるのです。
(2)指導に偏って発揮するタイプ
 このタイプの教師は指導を重視し、子どもへの援助が乏しいため、どうしても子どもたちから管理的と思われてしまいます。
 指導を重視すると、子どもを評価する視点で見ていることが多いので、子どもは教師を評価する人と見てしまうのです。
 それは、常に命令・評価されているような感じがするのです。
 教師と子どもの関係も、人間同士の関係が生まれにくく、教師も知らないうちに権威的な対応をとることが多くなっていくということです。
 一見、体育系の男性教師がイメージされますが、意外と女性教師が少なくありません。
「教師の力で管理された学級」に至るのです。
(3)援助に偏って発揮するタイプ
 このタイプの教師は、子どもと友だち関係に近い横の関係をとろうとするのです。
 子どもと波風を立てたくない人が多いようです。
 しかし、学校で教育実践を進めていく場合、悪いことは悪いと強く子どもに指導する場面も少なくありません。
 指導できないことが問題です。
 このタイプのなかには、カウンセラーのようになっている教師が相談的対応という看板に隠れて、指導することを避けているきらいがあります。
「バラバラでトラブルの多い学級」に至ります。
(4)指導も援助も乏しいタイプ
 このタイプの教師は、子どもや学級集団を計画的に育成していこうという試みが少ないようです。
 子どもからみて信頼感が低いのです。例えば、
「子どもをその場で叱って統制しようと感情的とみえる教師」
「気が弱いか、対人関係能力が低く、子どもに意図を伝えられない教師」
 です。
 学級が集団として成立せず、学級崩壊する可能性が高いのです。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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ノイローゼ気味になっていた私を治してくれた名医が、川であった

 医者になって三年経った頃、いくらかノイローゼ気味になっていた私を治してくれた名医が、ほかならぬ川であった。
 総合病院に研修医として勤め始めてみると、治る病気は教わったマニュアルの適用をまちがわなければ、ほとんど自然に治っていった。
 そして、まるで目の粗いフルイにかけられたように、治らない病気が残り、いかに努力してみても患者さんたちは亡くなっていった。
 長男が生まれた頃、私は死のことばかり考えていた。
 生まれて数か月の長男を風呂に入れていると、病院から呼び出しの電話が鳴る。病棟で患者さんの最期を看取って帰宅すると、新しい生命は妻の乳房を一生懸命に吸っている。
 数時間の間に、人間の出発と臨終の光景を交代に見せつけられる生活を繰り返しているうちに、思考が停止してしまった。
 ある日、病院の中にこれ以上居続けていると発狂しそうな気がして、裏を流れる川の岸に出てみた。
 おだやかな初夏の陽光を体一杯に受けて、川岸の石に腰をおろし、川面を見ていた。
 水の反射に目が慣れてくると、水中の様子がよく見えてきた。生まれたばかりらしいハヤの子たちが浅瀬に群れていた。
 これから待ち受けているはずの自然淘汰の荒波も知らぬげに、精一杯水流に逆らっていた。
 そして、さらに深い流芯を、アユの群れが泳いでいた。たった一年しか生きないこの魚たちも、自分たちの受けた貴重な生を完全に燃焼しつくそうとしているかのように、鋭い泳ぎで上流に登っていった。
 川岸の乾いた砂の上に、私の猫背の影が映っていた。静止し、活気のないその影を見ているうちに、なぜだか目頭が熱くなってきた。
 思考するのを拒否していた頭の中に、生命の誕生と死の間を結ぶ川のようなものが流れ出した。
「あいつらとおなじなんだ」
 ほとんど声に出して叫びたい衝動を抑え、大きな深呼吸を二、三度してから、私は背を伸ばし、一歩一歩に力を込めて病院にもどった。
 それ以来、なにかあると川を見る。
 誕生が山の湧き水だとするなら、死は海であり、人生は川の流れそのものだと言えるだろう。
 人間は川の流れに乗った考える藻にすぎない。どんなに考えたところで、川は海に向って流れて行く。それならば、まず流されている自分を自覚するところから、考えることを始めればいい。
 生まれたばかりのハヤの子や、短命のアユ、そして、流れている川そのものが、生きることに疲れたふりをしていた私に、貴重な忠告をしてくれたのだった。
(南木 佳士:1951年群馬県生まれ、芥川賞作家、医師)

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教師が自分の心の不調「早期発見」をするためのチェックリストとは

 どんな病気も、何より大切なのは早期発見。こころの病気も同じです。
 初期の段階で対処すれば、こじれずに済むこともあります。
 次のストレスチェックは、ストレス状態を知るうえで大変有意義なもので、ぜひ取り組まれることをお勧めします。
 自分自身の心の状態をチェックする(最近1カ月を振り返って)
【日常生活で】
□夜中に目がさめて、眠れなかったり、熟睡感がなかったりする。
□頭痛や体の痛み、コリが悪化した。
□食欲が湧かない、または過食してしまう。
□コーヒーやアルコールの摂取量が増えた。
□休日はほとんど寝て過ごす。
□朝、吐き気や腹痛が出たり、下痢しやすい。
□朝、目が覚めても疲れが取れず、体がだるい。
□動機やめまいが頻繁に起きるようになってきた。
【教育活動で】
□教材研究が面倒くさいと思うようになった。
□週案など、提出物の締め切りに遅れることが増えた。
□採点ミスなどの仕事上のうっかりミスが増えた。
□授業に自信が持てなくなってきた。
□職員室の机の上、教室の掲示物などが乱雑になってきた。
□同僚や管理職に反感を覚えることが増えた。
□同僚や管理職が自分をどう思っているのか、気になるようになった。
□児童生徒を、過度に強く叱りつけてしまうことが増えた。
□児童生徒とあまり関わりたくないと思うようになった。
□保護者への連絡が煩わしくなった。
□特定の保護者とのやり取りに負担を感じるようになった。
□自分のしていることが、無意味に感じられるようになった。
2 判定
 自分が意外とストレスを感じていることに気づいた人もいるかもしれません。
 次の判定結果に基づき、ご自身の心の健康状態を確認してください。
(1)チェック数 0~3 良好
 今のところ、心の健康状態はほぼ良好です。
 ただし、心の病は環境などが変化すると、わずか数カ月でも発症することがあります。
(2)チェック数 4~10 要注意状態
 ややストレスが多く、心の健康が脅かされている状態です。
 大きな負担がかかると、抑うつ状態など、病的な状態になる可能性がぐっと高まるので注意が必要です。
 これ以上の不調に陥らないよう、日頃からストレスコントロールを意識した生活を心がけてください。
(3)チェック数 11~15 不良状態
 ストレス過多で、心の健康が崩れかけた状態です。このまま放置すると危険すると危険です。
 まずは、良質な睡眠を十分に取るなど、しっかり休息することを優先させ、ストレスコントロールに取り組んでください。
 それでも状態が改善しないようならば、相談機関の活用や、場合によっては医療機関への受診も検討しましょう。
(4)チェック数 16~20 危険水域
 非常に危険な状態です。今すぐ、相談機関や医療機関に行き、適切にメンテナンスしましょう。
 あなたという存在は、自分だけのものではありません。家族、同僚、友人など身近な人のためにも、心の健康を回復させるため、速やかにしかるべき行動を取ってください。
(真金薫子:東京都教職員互助会三楽病院精神科部長、東京都教職員総合健康センター長、東京医科歯科大学臨床教授)

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仕事は人々に喜びを与えると考えれば喜びをもって仕事ができ、春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じる

 仕事というものは、人々に喜びを与え、世の中の向上、発展を約束するものだと考えれば、失敗や危険を恐れずに勇ましく立ち向かっていくことができると思います。
 たとえば、麻雀の道具をつくっている会社の従業員が、麻雀をするのはよくないことだ、と思っていたら、その会社の経営はうまくいかないでしょう。
 一日、一生懸命働いている人にとって、仕事後にする麻雀は気分転換になり、喜びになるだろう。
 その喜びのためにわれわれは麻雀の道具をつくって売っているのだと思ってこそ、堂々とその仕事をやっていけるわけです。
 そして、その上に、一人ひとりが喜びをもって仕事を進めていけば、会社は自然に成功するはずだと思います。
 春は、草木が芽を出し、つぼみが成長する万物が成長のときといえるでしょう。
 私たちは、春を楽しみ、大いに成長していかなければならないと思います。
 春を楽しむ心は、人生を楽しむ心に通じます。
 長い人生には不愉快なこと、面白くないときもありますが、春を楽しむように人生を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、心もやわらいで、生きがいも感じられてきます。
 野山の木々が年輪を加えていくように、去年より今年、今年よりも来年と一年一年成長していくと思うのです。
(松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

 

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子どもたちに抵抗を感じさせない指示の出し方とは

 子どもたちに抵抗を感じさせない指示の出し方には、どのようにすればよいのでしょうか。
 子どもは教師の指示を聞いて「やりたくない」と感じたら動きません。
 そこで、受容や支持、質問といったカウンセリングの考え方を生かし、子どもたちに抵抗を感じさせないような指示の出し方を身につけることが大切です。
(1)
質問形式で「こうしてみたらどうかな?」と問いかける
 「○○しなさい」と命令で指示するのではなく、「○○してはどうでしょうか?」と、質問形式で子どもたちの行動をうながします。
(2)
指示の理由を説明する
 子どもたちが納得して作業に取り組めるように、理由をていねいに説明しながら指示をします。
(3)
指示は短くして子どもに発問させる
 指示は極力短くして要点だけを述べ、子どもからの質問をうながします。
 質問させることで、子どもは教師の指示を深く理解し、自発的に取り組む姿勢が生まれます。
(
河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学教育学部教授。15年間公立学校教諭を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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私はすぐに怒りがちです、叱ることについて悩み、他の教師に相談した、もらったアドバイスとは?

 小学校教師の私はとにかくすぐ怒ります。他のクラスの子や教師が見ていてもびっくりするくらいだそうです。
 私は叱ることについて悩み、中 一夫さんにメールで相談してみました。その時のメールの内容は次のようでした。
1 基本的には「人は信頼する人の言葉しか聞かない」ってことじゃないかと思う。
 嫌いな人の話なんか、いくら正しくたってぜんぜん従おうと思わないでしょ。
 ましてや、きつく言われたりしたら、メチャメチャ腹が立つし。納得できなかったら、さんざん愚痴ったりする。
 信頼する人、あこがれるような人から言われたら、かなりきつい言葉でも、素直に聞く。
 信頼している人は、自分のことを好意的に取ってくれての上での一言だと思えるから、素直に聴けるんだ。
2 私は「叱るべきときに叱れないと、信頼されない」と思っています。
 頭に来たようなときには、きつく叱ればいいんだ。
3 感情的に叱るのも「頭にきてる、許せない」って、怒っているってことを示しているわけだから、子どもにとっても大事な教育だと思う。
4 だめなときは、きちっと駄目だしする先生って、子どもたちは評価してくれていると思っている。
5 怒らないで、子どもに寄りそう感じで接するのは、子どもにしたら、すごく押しつけ的に感じるときがある。
 やさしいのに嫌われる先生は、そういうことが原因になっていると思う。
6 子どもから見て、分かりやすい先生の方がいい。
 怒る時は怒るし、優しい時は優しい。教師が自分の正直な気持ちで接しているって伝わったら、そんなに反発されない。
7 教師には変えることのできない個性があると思うから、自分がらくなようにやるといい。
 このメールを読んで、確かに、子どもが「この人は信頼できる」と思えるかどうかで、話を聞いてもらえるかどうかが決まるということはありそうです。
 そして、子どもたちに信頼してもらう、いい関係を築く方法の一つとして、子どもたちとたのしい時間を共有することが頭に浮かびました。
 授業が楽しいということは、教師を信頼する理由の一つになるかもしれません。
 以前、担任した子どもたちとも「一緒にたのしい時間をすごせた」という部分でつながっているからこそ、今でも会うたびに「何の授業してる?」と聞いてくるのかもしれません。
 私はクラスの子どもたちに「先生の叱り方についてどう思うか」ということをアンケートにして聞いてみました。
 結果、よく叱られていた一部の男子は、叱り方が怖いと書いていましたが、8割以上の子どもたちは「特に何とも思わない」と書いていました。
 信頼関係という言葉だけにとらわれすぎずに「長い人生の中で、こんな年もあるんだな」と、自分にラクになるように考えていくことも大切かなと、今は思っています。
 私が叱るときに気をつけていることは、
1 自分の中で「これだけは許せない」ということに関して叱る
 「自分がされたら嫌なこと」「危ないこと」という基準を設けて叱るようにしています。
2 叱るときは短く
 短く叱った後、すぐに叱られた子どもたちのフォローを入れています。
 たとえば、フツーに話す、「さっきは怒り過ぎちゃったね。言い過ぎてごめんね」とかいう感じです。
3 私はこういう理由でしかっている、ということを相手に伝える
 その子の人格を否定しているのではなく、その子の行動について叱っているのだということを意識して伝えています。
 叱ることを後ろ向きに考えず、叱る自分を受け入れつつ、自分と子どもの気持ちを大事にしていこうと思っています。
(中村 文:福岡県・小学校教師、中 一夫:東京・中学校教師)

 

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親として難しいのが子どものしつけ、どうすればよいのでしょうか

 親が子どもをしつけるには「親がしっかりとした生きる姿勢を持ち、人生観を確立する」ことが、子どものしつけに十分な説得力も生まれてくると思います。
「親になるのはやさしいが、親であることはむずかしい」という言葉を聞いたことがあります。
 その親として、むずかしい最たるものが、子どものしつけ、教育というものではないでしょうか。
 人が一人前の立派な人間として成長していくためには、生まれてから大人になるまでに、人間として大切なことを、しっかりしつけられ教えられるということが、どうしても必要です。
 人間としての生き方というものは、だれからも導かれずして、自然に養われるというものではありません。
 どのような人であろうと、やはり子どものうちに、人間としての正しい方向づけがなされる必要があるわけで、大人全体が果たすべき役割であるといえましょう。
 しかし、直接的にはやはり、日々子どもに接している親が、いちばん大きな責任を担っています。
 親であるかぎり、子どもに対するしつけ、教育という形で果たしていかなければなりません。 これがなかなか難しい。 
 私自身も、一人の父親として、その役割を担う立場にあったのですが、ふり返ってみると、自分の仕事に専念してきた結果、子どものしつけ、教育については、すべて家内にまかせきりだったというのが正直なところです。
 したがって、あれこれ言う資格はないように感じますが、あえて、述べてみたいと思います。
 子どものしつけのためには、親自身が一つの人生観なり社会観というものをしっかりもつということです。
 親が直接、子どもに「こうしなさい」「こうしたらいけない」と、教えたり、躾けたりすることはきわめて大切だと私は思います。
 しかし、それとともに、あるいはそれ以上に必要なのが、親自身が一つの人生観なり社会観というものをしっかりもつということです。
 親にそういうものがあれば、それが信念となって、知らずしらずのうちにその言動に現われ、それが子どもに対する無言の教育になっていくでしょう。
 そういうものをもたずして、いくら口先だけで「ああしなさい」「こうしなさい」と言ったとしても、それは、何も言わないよりもいいにしても、十分な効果があるかどうかは疑問だという感じがするのです。
 ですから、親となった以上は、何らかの人生観、社会観を自ら求め生み出さなくてはいけないと思います。
 そのことは、もちろん、父親、母親のどちらについてもいえると思いますが、どちらにより必要性が強いかといえば、父親の方ではないでしょうか。
 父親は、私と同様、子どもに接する機会が少ない人が多いようですが、そういう場合でも、父親に人生についてのそれなりの信念があれば、母親もそれに準じたものをもつようになってくると思います。
 母親にも信念がないと、単なる感情的な愛情によって子どもを育てるといった面が強くなるでしょう。
 もちろん、母親としてそういった愛情も大事でしょうが、それだけでは、子どもも教えられるところが少ないため、欲望が善導されないままに成長してしまうということになりやすいと思います。
 昨今の世の中を見ていますと、どうも、この人生観に弱いものがあり、親自身が迷っている。
 そこに青少年の好ましからざる姿が起こる一因もあるように思えてなりません。
 価値観多様化の時代といわれ、それぞれの人生観を確立しにくい時代ではあっても、やはり親自身が日々、自らの生き方を求め、生み出していかなければならない。
 そこに、子どもをしつけ、教育するという、親としての責任を果たす出発点がある。
 またそこに、親自ら、よりよく生きる道があると思うのです。
( 松下幸之助:1894-1989年、パナソニック(旧名:松下電器産業)創業者。経営の神様と呼ばれた日本を代表する経営者)

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子どもの脳と心の成長を科学的に解明すると、どのようになるか

「イヤイヤ期はなぜ起きる」「思春期に感情が暴走するのはなぜ」等、ヒトの本質に焦点をあてて、脳と心の成長を科学的に解明します。
 チンパンジーは私たちにたくさんのことを教えてくれます。
 幼少期から集団の中で育つ機会がある野生のチンパンジーは、どんなふうに子育てをしているのかを見て育っています。野生のチンパンジーの育児放棄はほとんどありません。
 ところが、子育てを知らない経験のない動物園のチンパンジーは、出産時にパニックに陥って、足で踏み殺したり、壁に投げつけたりして、半数が育児拒否するといいます。
 大人との身体の触れ合いが乳幼児の脳を発達させます。 
 ヒトは乳児を抱っこし、なで、おっぱいをあげながら「可愛いね」と声をかけ、微笑みを向けます。こうした働きかけを乳児に行うのはヒトだけです。
 乳児が母親から授乳されると、血糖値が高まり、抱かれるとホルモンが分泌され、乳児に心地よい感覚が生まれます。
 乳児が養育者から心地よい感覚を経験し学習することが、その後の対人関係発達の基盤となります。
 この経験が中学生、高校生になった時に、親から離れて自立しても「いざとなったら、頼れる」というイメージを沸き立たせることができます。
 さらには、この乳幼児の対人関係が、親以外の他人に対する期待にも関連していきます。
 子どもの脳の発達には、他者との身体を介した経験が不可欠なのです。
 ヒトは、ことばを獲得する前から他者の行為を真似し始めます。
 そこには、他者の行為から効率よく学習したり、行為の背後にある心を読み取ったりするという、発達における重要な意味があると考えられています。
 異年齢の子どもたちが遊ぶことは非常によい方法だと思います。
 なぜなら「イヤイヤ期」をこれから卒業していく子どもたちは、自分にはできるけれども、自分より小さい子どもにはできないのかなと、視点変換させてイメージする機会を多くもつことになります。
 ヒトの心は他者との関係なくして育ちませんから、ヒトの心を育む環境、つまり、親や社会が果たすべき役割が重要で、「ヒトの子育ては共同養育が基本」ということです。
 ヒトは、所属する集団のメンバーが共同で子育てをしながら進化してきた動物であるからです。
 ヒトの子どもは自立するまでに、たいへんな時間と労力がかかります。ヒトは本来、子どもを複数の手で育ててきました。共同養育を基本として進化してきた動物であるはずです。
 思春期の子どもたちは、この時期特有の脳と心をもっています。彼らは決して、病んだり壊れたりしているわけではない。
 その事実を科学的根拠に基づいて説明します。
 大脳皮質の奥の方には「大脳辺縁系」と呼ばれる場所があります。ここは、自分の意思ではコントロールできない感情が湧き立ちます。
 例えば、何だかいらいらするとか、おかしくて仕方がない、ドキドキするとか、無性に腹が立つ。
 こうした感情が起こる場所が辺縁系です。性ホルモンの影響を受けて、辺縁系が急激に発達するからです。それに伴い、感情爆発が起こり易くなるからです。
 これに対して、脳の前頭前野の重要な働きの一つは、辺縁系の感情爆発を抑制することです。
 しかし、思春期の子どもたちは、辺縁系は活性化しやすいですが、それを抑制する前頭前野が完成するのは25歳です。
 こうしたミスマッチが10年以上も続くわけです。彼らは感情を抑えたくても、それを抑制する脳がまだ成熟していないのです。
 この辺縁系と前頭前野の発達のミスマッチが10年以上も続くことは、精神疾患を発症する時期とも関連するとも言われています。
 ADHD、不安障害、気分障害、統合失調、薬物乱用、その他の精神疾患者の78%は思春期に発症しています。
 IQが高いと評価された人も、子ども期に前頭前野の発達がゆっくりであったという報告もたいへん興味深いものです。
(明和政子: 京都大学霊長類研究所研究員等を経て京都大学教授。専門は比較認知発達科学)

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「もしかしたら、いじめかもしれない」と、とらえ観察することがいじめの早期発見と解決につながる

 中学校1年生女子のいじめ対応が成功した事例を考えて見ます。
 状況はつぎのようでした。
 中学校入学直後の校外宿泊学習の際の様子がおかしいと思っていた担任が、何気なく読んだ掃除日誌に「私を汚いというし、一人で掃除をして悲しかった」と書いてあるのを見つけ、その女子生徒を呼び出して面談をしました。
 すると、同じ小学校からきた女子生徒二人からいじめられていることを語った。
 真面目でおとなしいこの女子生徒は、小学校3,4年で同じクラスだった加害女子生徒とは仲良しグループであった。
 ところが、この女子生徒のみ中学受験を志していて、成績も良く、学級委員やクラス代表になるなど、クラスの人気者だった。
 先生方からも一目置かれ、この頃から加害女子生徒2名からの嫌がらせが始まったらしい。
 笑い方がおかしいと真似されたり、ノートを破かれたり、靴の中に虫の死骸を入れられたりした。
 被害生徒は家族と担任に相談したところ「優秀だし、大丈夫でしょう」と言われ、具体的な対応はしてもらえなかった。
 そのうえ、チクったと、ますますいじめがひどくなり、大人に話したことを後悔した。
 中学受験に失敗して打ちのめされたうえ、加害者生徒のうち1名と公立中学の同じクラスになってしまった。
 その子のクラスにもう1名がしょっちゅう遊びに来ては、嫌がらせが繰り広げられた。絶望的な気持ちのなか、なんとなく掃除日誌に書いたらしい。
 いじめにどのように対処すればよいでしょうか。自分ならどのようにアプローチするかを考えてみましょう。自分の考えをまとめたら、次に読み進んでください。
 担任は被害生徒に、保護者から話を聞くこと、学年の教師とスクールカウンセラーが情報を共有すること、守秘義務を約束することを話し、了承を得た。
 被害生徒の保護者に来校してもらい、担任がいじめの経緯を聴いた。事実関係を学年の教師に伝えた。
 学年の教師が観察したところ、たしかに加害生徒2名が被害生徒のクラスにいるところを見かけ、悪口を言っている場面に遭遇したので、口頭で注意をした。
 その後、加害生徒2名を呼び出し、担任がいじめの話をした。
 加害生徒は、被害生徒は頭が良く、人気があるのでムカついて意地悪をしたなど、事実は認めたが、やめてとは言わないので、悩んでいないはずだと語った。
 担任とスクールカウンセラーが、加害生徒を呼んで、被害生徒の気持ちを代弁し、他者の気持ちを想像することや、コミュニケーションの持ち方など、加害生徒たちに考えさせる機会を数回持った。
 被害生徒には、今回話してくれたのが良かったことを伝え、継続的に面接を行った。
 そのうち、被害生徒はクラスの子どもたちとも話すようになり、また教師たちと話すうちに、この中学が好きになり始め、登校するのが楽しくなってきた。
 加害生徒たちも、教師と話す機会を持ち、自分たちの良い部分を認めてもらえていることも感じるうちに、被害生徒への嫌がらせは消失した。
(原田眞理:玉川大学教授。専門は臨床心理学、精神分析)

 

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教師をギャフンといわせたいクレーマーには、どう対応すればよいか

 教師を打ち負かすことで、自らの存在を証明したいという欲求を持っている保護者がいます。
「何か教師や学校に落ち度はないか」と、攻撃の機会をねらっているのです。
 やっかいなのは、その計画性としたたかさです。よく周囲の様子を観察したり、自分に絶対的な分があるとき、怒涛の攻めをしてくるのです。
 自らの優位性を示すために準備をしてくるからこそ、対応が難しいといえるでしょう。
 現在、圧倒的に増えているのがこのタイプです。
 教師が対応に苦慮したり、苦痛に顔をゆがめたりする様子を見て、自己肯定感を持つのです。「間違った相手を退治してやった」くらいの感覚です。
「うちの担任ったら、こんな対応をしたのよ。信じられる。まあ、ガツンと言っておいたから、みんなも気をつけてね」
 などという調子です。
 以前、教師の心の傷の程度を調べたことがあります。(神奈川県小学校教師524人)
「とても傷つく」という割合が多かったのもこのタイプです。
「精神的にまいってしまい気分が晴れない」と訴える回答もありました。 
 弱みを見せれば増長し、強く出ればそれを逆手に被害を受けたと訴えてくる場合もあります。
 クレームの内容も絶対的な答えが存在しない問題であることが多い。どうすればよいのでしょうか。
 たとえば、何かその子が問題を起こしたとき、厳しく注意することがあったとします。
保護者「うちの子が悪いことをしたのは分かりますが、注意するにしても、もう少し言葉を選ぶことはできなかったのですか」
教師「悪口がひどかったものですから、今後のことも考えてしっかり指導していくことが大切だと考えました」
保護者「他の言い方はなかったんですか。あれじゃ、先生がうちの子に悪口を言っているようなものです。うちの子に謝罪してください」
 言い過ぎかどうかは、個人の感覚によるもので、絶対的な答えはありません。言った者が勝ちなのです。このような保護者に対する対応術は、
「問題の本質に目をむけさせ、一人では対応せず、保護者自らが線引きしたと錯覚させる」ようにします。
 話し合いは、ここは譲れる、ここは譲れないといった線引きが必要です。
 そこで、あたかも保護者自身が線引きしたかのような錯覚をさせるのです。
教師「そもそも問題の根本は何でしょう?」と、反対に問いかけるのです。ここから先は教師に主導権が移るのです。
主任教師「担任に後で私の方から言っておきます。ここで重要なのは、なぜ子ども同士のもめ事になったのかどうかです。お母さん、思い当たることはありますか?」
主任教師「どうすれば改善できるとお考えですか?」
保護者「私たち大人の姿勢が大切なのではないでしょうか」
 教師が言いたいことを保護者に言わせるのです。
 保護者は自ら口にした線引きは守らなければならず、それ以上教師に悪態をつくことは遠慮するはずです。
(齋藤 浩:神奈川県公立小学校教師。日本国語教育学会員、保護者対応に詳しい)

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問題行動を起こす子どもを回復させるためにはどうすればよいか、そのプロセスとは

 問題行動や非行、不登校などを起こす子どもたちを回復させるためのプロセスは、次のように考えられる。ある子どもが金髪やピアスしたケースを例に取り上げてみる。
1 子どもの本人の存在を認める
 子どもが金髪やピアスにしても、本人を否定も許可もせず、受け入れた。
 本人は、学校がどう出るか、勝負しながら見ていた。これまでとは違う教師たちの対応に、少しずつ努力して馴染もうとし始めた。
 だが、こういった曖昧さを許容する指導は、学校側にとってはリスクの高い難しい指導である。
 他の子は認めないのに彼だけ認めるというふうに見られると収拾がつかなくなる恐れがある。そのためのフォローが重要だ。
 他のこどもたちから出てくる不満や意見を個別に聞きながら、その都度、「お前の言うこともよくわかるよ」「様子を見ているんだ」と説明する。
 そのうち、周囲の子どもたちも、試験観察中ということや、先生たちの苦慮している姿に、大変なんだな、まぁ、あいつは仕方ないかと受け入れ、大きな目で見守る方向に動いてくれた。
 その後、本人は、金髪の色がだんだんと落ち着きピアスも減っていった。最後は真っ黒い髪で卒業していった。
 このケースの場合、良いか悪いかという対応をしていれば、失敗していたであろう。中間の柔軟な対応ができるかどうかがカギになる。
 そして、もう一つ忘れてならないのは、非行のケースの立ち直りには、時間がかかるということだ。
 一進一退の局面を丁寧に乗り越えていくことが成否を左右する。じりじりと焦らないで見守るかが問われる。
 こういった指導は、教師側の足並みがそろわないとできない。日頃の意思統一と、何かあるとすぐに教師が集まって対応するというチームでの対応、支える体制があってこそできる指導である。
2 安心できる居場所の確保
 子どもたちが落ち着くために必要不可欠なものは、安心できる居場所である。
 家庭と学校に安心できる居場所があれば、たいてい、それだけで落ち着いていく。
 居場所をどう作っていくかということがポイントになる。
3 一対一の関係を作る
 一対一の関係をつくるためには、その子のいる世界をそのまま知るということである。
 さまざまな教師が日々、子どもによく声をかけ、勉強や友だち関係、家での様子など、話をする。
 相談室で私と話すのは、主に雑談だった。バイクが好きだということがわかってきた。 寂しさや不安がバイクを見ていると忘れられるのだ。
 不思議なもので、一対一の関係が安定してくると、それが他の子どもや教師、親ともつながり始める。
 他愛ないことを話せる友だちができ、教室がだんだんと居場所になっていき、クラスでの活動も広がっていく。
 安心が芽生え、対人不信から信頼関係ができていく大事なプロセスである。
4 トラブルを成長のきっかけに
 居場所ができ、友だちとの関係ができると、本音と本音のぶつかり合いも出てくる。
 キレたときこそ、学びのチャンスである。そのときは、いったんクールダウンするために切り離し、双方の思いを聞く。
 聞き手が丁寧に思いを言葉にして整理していく。いったん自分自身の思いを聞いてもらうと、子どもは相手の思いを聞き入れる余裕ができる。
 怒っていることがらを客観的に見られるようになり、相手の意図を知る中で、少しずつ、自分が自分の思いにとらわれすぎていたこと、相手は自分のことを思って叱ってくれたのだといったように、気づきが芽生える。
 さらに、それを伝え合う中で、受け入る、受け入れられるという経験を積んでいく。 
 それが、自分のキャパシティを広げ、生きやすくさせていく。
5 やればできるという達成感をもつ
 居場所がある中で、がんばったら「俺だって、やればできるんだ」という達成感が湧いてくる。
 さらに、トラブっても、話し合い、解決できることの経験も大きな自信になっていく。
 これが、自己否定から自己肯定へと切りかわっていく大事なステップである。
 周囲とつながり、自分ともつながると、子どもは自分の足で立って歩こうとし始める。
 自分とは何かと模索を始め、自分の将来像を夢見、それに向ってできる課題を模索し始める。
 思春期以降の子どもたちの課題は自立である。
 居場所と存在価値を身につける中で、自分らしく歩き始める。
 そのプロセスに身近な大人が寄り添えるか、私たちの対応こそが、回復を支える鍵なのである。
(魚住絹代:1964年生まれ、大阪府教育委員会スクールソーシャルワーカー。1982年法務教官となり、以後、福岡、東京、京都の少年院に12年間勤務。非行少女の立ち直りに携わる。2000年に退官後は京都医療少年院で音楽療法の講師となるかたわら、2002年から、大阪府の公立小・中学校に、スクールサポーター、家庭教育サポーターとして勤務。子ども、家庭、教師の相談支援をしている)

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仕事で重要なことは「フットワークの軽さ」、忙しくとも心に余裕もって仕事をするにはどうすればよいか

 仕事はためないことが大原則です。
 頼まれ仕事が舞い込んできたら、とにかくすぐに行動開始することです。
 依頼してきた相手の気持ちを考えれば、できる限り早くするようにします。
 時間をかけて準備をしてからと考えず、とりあえず迅速に行動を起こすことが重要です。
 素早く行動する姿を見た依頼主は「本気でやってくれるのだ」という安心感と「こんなに早くやってくれるのだ」という信頼感をもってみてくれるようになります。
 反対に、仕事を頼んでから、三日たっても動かなければ、相手は「いつになったら、やってくれるの?」と不満をもちます。
 仕事を終えても、時間を置いてしまえば「やっと、遅いわよ」となってしまい、相手に感謝の気持ちは生まれません。
 もしも、途中で他の仕事が舞い込んできたら、素早く順位をつけ、そのときやっている仕事を続けるのか、その仕事は一時切り上げて新しい仕事に着手するのかを決めてしまいます。
 提出期限に余裕のある仕事がやって来たとき、「まだ余裕があるから」と、そのままにしておくのは、大変危険です。いつ何時、トラブルがやって来るか分かりません。
 ですから、たとえ提出期限まで余裕のある仕事であっても、手元にやって来た瞬間に着手するようにしましょう。
 他のやり残しの仕事に時間をとられ、その日は、ほんのわずかしか時間がとれなかったとしても、その日のうちに、10分間だけでも手を付けておくことをお勧めします。
 必ずやらなくてはならない仕事はいくらでもあります。いつ何時、急を要する仕事に変わるかもしれません。
 そのようなときに限って、他の仕事がどんどん舞い込んでくるものです。
 仕事がたくさん重なって、時間にも心にも余裕がない状態で仕事をすると、必ずと言ってよいほどミスをし、それを取り戻すために、さらに時間と労力を要し、苦しい状況に陥ってしまいます。
 わずかな「すき間時間」をも無駄にせず、コツコツと仕事を進めておく習慣を身につけましょう。
 ダラダラと時間をつぶせば、後で苦しむのは自分だと心して仕事に臨みましょう。
 貴重な時間を大切に使うために、通勤の電車の中で、その日の仕事をイメージしながら、気分を徐々に仕事モードに切り替えていきましょう。
 また、前日帰宅まえに、つぎの日の仕事をメモしておけば、出勤してすぐに仕事に取りかかることができます。
 1日、気持ちよく仕事をするためには、朝一番のスタートが非常に大切です。得意な仕事から始めるに限ります。
 すんなり入ることができ、仕事もはかどりますから、気分ものって状態で、次の仕事に取りかかることができます。
 仕事内容や精神状態によって、どうしても仕事がはかどらないときがあります。
 今ははかどらないと感じたら、きりのよいところで早々に切り上げて中断するに限ります。そして、身体を動かす仕事をするなど、気分転換をしましょう。
 同じ仕事をしても「忙しい感」は人によってまちまちです。大変な仕事でも何食わぬ顔で、ひょうひょうとこなす姿を見せると信頼を得ます。
 忙し感を漂わせないためには、無理にでも忙しいとは思わないように努力します。
 忙し感は自分の気持ちの持ち方次第で変化するので、仕事を忙しいと思わない努力を重ねることで、心の余裕を生み出すことが可能になります。
(中嶋郁雄:1965年鳥取県生まれ、奈良県公立小学校校長。子どもを伸ばすためには、叱り方が大切と「叱り方&学校法律」研究会を立ち上げる。教育関係者主宰の講演会や専門誌での発表が主な活動だったが、最近では、一般向けのセミナーでの講演や、新聞や経済誌にも意見を求められるようになる)

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どうしても好きになれない子どもがいるとき、その子が苦手でなくなるようにするには、どうすればよいか

 どうしても相性が悪い、どうしても好きになれない相手はいるものです。
 これが自分の担任する子どもであったりすると、非常に悩ましいものです。どうすればよいのでしょうか。
 学校の先生方に聞くと、どうしても好きになれない子どもの対処法は
(1)好きになるように、良いところを探す
(2)我慢する
(3)なるべく関わらないようにする
 と言っておられました。
 どうしても好きになれない子どもを理解するには、まずは自分がその子のことを苦手だ、嫌いだということに気づき、認めることが必要です。
 嫌いだから、叱るというように、自分の主観が行動に出てしまうことが一番の問題です。
 さらに、嫌いだということを認めないでいると、人間の無意識が悪さをして、平常心の自分ならしないような行動がふと出てしまったりします。
 また、ストレスが溜まります。これも避けなければならない状態です。
 ですから、まずは「私はこの子が苦手だな」と冷静に自分の気持ちに向き合い、「なぜ私はこの子が苦手なのだろう?」と考えてみます。
 この子について考え、理解してみるということです。
 すると、何か理由が見えてくるかもしれません。たとえば
「以前、トラブルがあった子どもと顔が似ている」
「自分の子どもの頃に似ている」
 など、自分の色めがねに気づくことができるかもしれません。
 理由が見えてくる、すなわち、自分のこころの理解ができると、それまで苦手だった子どもが苦手でなくなり、ストレスも軽減するのです。
(原田眞理:玉川大学教授。専門は臨床心理学、精神分析)

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教材研究と発問づくりの方法がよくわからない、どのようにすればよいのでしょうか

 授業は発問によってつくられます。発問の良否は、授業の良否を決めるといってもよい。
 発問は、問いのかたちをとって、学力形成のために、子どもたちを指導する教育技術である。
 発問づくりには、次のような段階があります。国語科の読み取りに関する発問を例とします。
1 正解を具体的に把握する
(1)教材研究(素材研究・教材研究)をする
 正解を具体的に把握するために、授業前に教材研究をします。この教材研究があやふやである場合が非常に多い。
 作品と出会った感想を自分の言葉で書き出しましょう。教師面をしたまま作品と向き合っていると意味を見つけることができなくなりがちです。
 読み取りには、登場人物の相関関係や、状況の因果関係を、頭で理解することが大切です。
 そして、関係性に基づいて、人物の行動や表情、情景などがどのように展開しているかイメージが描け、心理や感情を読みとる必要があります。
 素材研究では、この関係を読みとらせるべきだ、このようなイメージを描くべきだ、このような感情が適切だというように分析していきます。
 十分に素材研究をすると「この作品の魅力はここだ、ここはこう解釈すべきだ、ここはこう味わうべきだ」という読みの理想が生まれます。
 教師は作品を豊かに読み取れる力を備えていなければなりません。そのために素材研究を徹底的におこなわなくてはならないのです。
 念のために関連文献を読んで、自分の不足や不十分な点をたしかめます。いまは、インターネットによってさまざまな情報を集めることができます。
 作品やその背景にあるものを、深く理解することです。すると「自分なりの授業を展開したい」という意欲が出てくるはずです。
 そのとき生まれてくる発問こそが、借り物でない本物の授業を可能にするのです。
(2)指導法研究
 発問に対する子どもたちの反応はさまざまです。
「どんな発問をすればいいか」とハウツー的な研究しかしていないと、思いがけない反応をされると、教師はしどろもどろになります。自分の実力がついてないと、浅薄な授業しかできなくなるのです。
 教師がどんな「受け」をするかが、授業の良否を決めます。
2 正解から見て、子どもの不足を予想する
 教師が教材研究をしっかりおこなうと「子どもには、ここの論旨がわからないだろう」「ここで誤解するのではないか」と、予測できるようになります。
 どこを指導すべきかが判断できたら、何をどう問うべきかということも明らかになります。
 指導事項を精選し、発問の内容を決めていくのです。
3 それを診断する発問をつくる
 発問は「これを理解させるには、このことを問わざるを得ない」ということで生まれます。
 発問するときは、その問いが学力形成においてどんな面を保障するのかを明確にしておかなくてはなりません。
 発問により、
(1)新しい視野と気づきをもたらす
(2)間違いに気づかせる
(3)表面的な解釈に、ゆさぶりをかける
(4)知らなかったことを知る喜びをもたらす
(5)いくつかの答を比較させ、気づかせる
(6)学んだことを生活に役立たせる
(野口芳宏:1936年生まれ、元千葉県公立小学校校長、植草学園大学名誉教授。千葉県教育委員会委員長職務代理者、日本教育技術学会理事・名誉会長、授業道場野口塾等主宰)

 

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けんかしてケガをさせた子どもの保護者に、どのように報告すればよいか

1 よくない対応
 教師が忙しいと、けんかをした子どもたちの話を聞く時間を十分とれないことがあります。そのため、経緯を正確に把握せずにケガをさせた子どもだけを注意するなど、簡単な対応ですませがちです。
 ケガの対応に追われて、双方の子どもから話を十分に聞かずに報告してしまうと、教師の説明と子どもの話に食い違いが生じ、教師の対応に不信感を抱いてしまいます。
 教師の対応についての不満をわが子から聞くと、保護者は、わが子の言い分を十分に聞いてくれていないと感じ、いら立ちが湧いてきます。
 わが子から聞いた話と教師による説明が食い違っていると、教師に対する不信感が高まります。教師に否定的な態度をとるようになります。
2 こうしよう
 けんかが発生したその日のうちに、子どもたちから十分に話を聞き、互いに納得してもらったうえで、ケガをさせた子どもの保護者に報告することが重要です。
 かならずその日のうちに、保護者に先手を打って対応していくことが求められます。
 対応に十分な時間をかけられないと感じた場合は、管理職やほかの同僚教師に協力を要請することが大切です。
(1)ケガをさせた子どもと保護者に説明する内容を確認する
 ケガをさせた子どもの気持ちが落ち着き、話ができるようになるまで待ちます。
 ケガをさせてしまったときの感情を本人に寄り添いながら聞き、理解して子どもとの信頼関係を築きます。たとえば、
「〇〇くん、話をしてくれてありがとう。いま話してくれたことを、少し整理させてもらうよ」
「いま確認した話を、先生からお家の人に話そうと思うけど、いいかな?」
「○○くんからも、お家の人に話せるかな?」
(2)教師の推測を含めず、子どもと確認した事実を保護者に正確に伝える
 たとえば、
「今日あったことについて、○○くんから何かお話はありましたか?」
「話が重複するかもしれませんが、確認のため、私からもお話しさせてもらってよろしいですか」
 子どもがすでに話をしている場合には、どんな話を聞いたのか、保護者に尋ねてもよいでしょう。その内容に適宜修正を加えながら、状況を説明します。
(3)今後の対応と保護者との連携について一緒に考える
 学校での配慮の仕方、家庭での接し方、ケガをした子どもやその保護者への対応などについて、保護者の考えを聞きながら、一緒に考えます。たとえば、
「○○くんは、今とても動揺していると思います。明日から○○くんのようすを見守りたいと思います」
「ケガをした△△くんやご家族も心を痛めてらっしゃると思います」
「子ども同士、保護者の方同士の今後の関係にも影響が出てしまう可能性がありますので、できれば、お母さまから△△くんのご家族の方にご家族の方にご連絡をしていただきたいのですが」
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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教師は授業の「はじめ、中ごろ、終わり」は、どのように話せばよいか

1 授業のはじめ
 落語の場合、いきなり本題に入ることはありません。
 枕という、ちょっとした話が必ずあるのです。
 この枕というのは、観客を温める、これからする話の前フリをしておくなどの役割があります。
 この枕が面白い落語家は、落語も必ず面白いと言われています。
 授業の場合、枕は必要なのでしょうか。
 はい、必要です。枕が面白い教師は、授業も面白いのです。
 私の場合、授業の枕の話し方として、みんなに向って話しかける(第三の輪)と誰か特定の相手に話しかける(第二の輪)を意識的に使い分けてはなします。
 たとえば、算数の授業で、
「今日から立体の勉強やけど、教科書にはいろいろな形のお菓子の箱の写真がありますよね」(第三の輪)
「おっ、岡林くん、もう教科書、見てるやん」(第二の輪)
「えらいなぁ、よっぽどおなかすいてるんやね」(第二の輪)
 この後、子どもたちは、お菓子の箱をいくつかの仲間に分けるという問題が来ると予想していました。
 でも、この日はあえて、さらにワンクッション入れたのです。
「さて、問題です。岡林くんの好きなお菓子は何でしょう」(第三の輪)
2 授業の中ごろ
 小学生が集中できる時間は、10~15分ぐらいと言われています。
 いかなる時も、集中できる時間が10~15分ということではありません。
 楽しければ集中力は高まるのです。つまり、授業の半ばで、子どもたちが「だれてきた」ということは、授業がつまらないということです。
 授業の腕はそんなに簡単に上がらないので、45分の授業を15分の3つのブロックに分けて、そのタイミングで新たなネタを持ってきたり、その筋目付近で子どもたちの活動を入れたりすると、「だれる」ことも少なくなります。
 実際、「だれてきた」とき、どうすればよいのでしょうか。
 たとえば、「だれてきた」とき、いきなり「起立!」と大きな声で、速く、短くスパッと言い切ります。
 朝の会の時、「先生が『起立』と言ったら、何をしている時でも、それをやめて起立してください。いいですね。やってみます」と、何度か練習しておきます。
 授業の途中、少し「だれてきた」なと思うときに、「起立!」と言うと、子どもたちは慌てて立ちます。
「おっそいなぁ。何をしている時でも、それをやめて、と言ったでしょ」
 と、ここは、笑顔で優しく話します。緊張と緩和で笑い声が起こるはずです。切れかけた集中力もリセットできます。
3 授業の終わり
 授業の終わりに絶対やってはいけない話し方は「教師が話し過ぎない」ことです。
 教師が授業のまとめを長々と話してはいけない。授業の主役は子どもたちです。
 私の場合は、次の通りです。
(1)子どもたちがふりかえりの文を書く。
(2)練習問題をして学習内容を確かめる。
(3)オープンエンドで終わる。
 たとえば、社会科の授業で、
「縄文時代について、いろいろな『はてな』が見つかりましたね。つぎの時間、教科書、資料集で調べていきましょう。でも、家に資料がある子は持ってこれるといいなぁ」
 と、あくまでも、独り言のように言い切ることがポイントです。強制ではないところが、子どもたちのやる気にスイッチを入れます。
 調べてくる子も数人でてきます。もちろんほめまくります。
(俵原正仁:1963年生まれ、兵庫県公立小学校校長。笑顔の教師が笑顔の子どもを育てる実践はマスコミにもとりあげられた)

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学力が上がり、仲間とつながっている中学校は、どのような実践をすれば実現するか

 兵庫県の都市部にある公立U中学校は校区に同和地区を持ち、荒れを繰り返していたが、敏腕校長が赴任してきて、学校を大胆に立て直しつつあった。
 私はそのU中学校を調査するため1年間にわたって頻繁に訪れ、つぶさに見ることができた。
 つぎのような教職員のセリフは今でも私の胸に焼きついている。
校長
「うち先生方には、ほんまに感謝しています。ケンカするときもあるけど、腹の底ではわかりあっている。学校を思う赤い血が流れていることがよくわかる。私はしあわせもんや」
中堅教師A
「何かで生徒に勝たないと、指導なんてできない。情熱で勝つ、愛情で勝つ、腕力で勝つ、ウデで勝つ、何でもいい、勝たなイカン」
中堅教師B
「勝負の分かれ目は『やめとけ』と注意したときに、やめるのか、無視するのか」
「どろどろしたところに手をつっこんでいかんとダメ。やっぱりどこまで関わっていけるかやね」
「そら、しんどいでっせ。そのかわり、ぐぐっと手ごたえあったときはたまらんね」
 中学校は小学校よりむずかしいというのが私の印象である。荒れを見せはじめたら、お手上げである。
 思春期を迎える中学生たちは「自我」をもちはじめ、大人たちを批判的に見るようになってくる。心は不安定になりやすく、地道に勉強に取り組むことや、毎日コツコツ努力を続けることに、疑問を抱きがちになる。
 中学校の新入生たちに導入されるのは「中学校の規律」である。「授業規律」や「生活規律」という言葉がU中学校では日常的に使われる。
 小学校では家庭的なあたたかな関係のなかで子どもは生活することができるが、実社会がより近くなる中学校では、それだけでは足りない。
 U中学校のある教師は「家族的なつながりをどっかで切るのが中学校だと思う」と語ってくれたが、中学校では「きびしさ」や「ドライさ」といった社会の論理を生徒たちに経験させることが必要になってくるのである。
 U中学校では、手間ひまをかけて生徒との信頼関係を築くことで「指導」が通る状況をつくっている。
 生徒との信頼関係を築くことが今も昔もかわらぬ生徒指導の鉄則だと思われる。
 生徒たちがよく職員室に来る。質問や相談に来るたけでなく、ただしゃべりに来たり、休み時間に来たりということも多い。
「同和地区の子を真ん中にすえた学級づくり」の伝統を持ち、教師と生徒との関係はかなり親密なものになっている。
 U中学校では徹底した基礎学力保障の仕組みが整えられている。具体的には、
(1)「家庭学習の手引き」で、家庭と学校が協働して家庭学習の取り組みを進める。
(2)「習得学習ノート」を活用し「授業に結びついた家庭学習」を定着させることによって、自学自習の育成を図る。
(3)「学習を振り返って」により、学習に対する意欲・関心を引き出す自己評価とアドバイスを全教科で実施する。
(4)学力診断テストと生活実態アンケートから生徒一人ひとりの課題を把握し、指導方法の効果測定と工夫改善へつなげる。
(5)中学校区における小中連携から、指導方法の改善と、学びの継続性を図る取り組みを推進する。
(6)国数英で少人数授業、放課後の補充学習、個に応じた指導等
 U中学校の学力向上の取り組みは、きわめて体系的・組織的に展開されており、とりわけ、家庭訪問・補充学習・その背後にある個別学習を軸とする。
 低学力層の底上げ策は徹底し、成功している。
 こうした成果を生み出す秘訣は、教師集団の結束力・チームワークの高さにあると思われる。
生徒指導担当教師
「伝統的に組織で動いています。『すまん。来てくれ』と言ったら10人くらいどーんと動きます」
「個人の教師の力量で解決するんじゃなくて『私の足らん部分はあなたが補うてくれ』と」
「教師集団が個性を生かしながらやっていこうとするシステムが学校の中にありますね」
「組織として対応する。それを忘れたらあかんと思います」
校長
「先生方も個性があり、関心も力量も違ってます」
「今までの中学校には、スーパーマン的な教師がいたり、毎年同じ取り組みの繰り返しといった消極的な学校運営になっていたと思います」
「今求められているのは、新しいことにチャレンジしながら、教育課題に総合的にアプローチするような学校システムをつくることやと思います」
「すべての生徒を意識した方針か、教師集団として取り組める方針か、恒常的に取り組めるシステムをつくっているか、を常に点検しながら、新しいビジョンが求められているんです」
「生徒や教師や地域とともに新しい学校をつくっていこうという意欲が、子どもや教師をエンパワーすると思うんです」
 教師たちは忙しく立ち働いているが、多くのやりがいを感じ、達成感を得ることができているようである。
 そのようなことは、中学生たちとの日々の関わりのなかから出てきているに違いない。
 U中学校では「集団づくり」「仲間づくり」が徹底的に大切にされている。
 学級の中に「居場所」があってこそ生徒の目は輝くのであり、仲間との切磋琢磨のなかでこそ、学力や社会性が大きく伸びていくからである。
 U中学校には、ありのままの姿を受け入れてくれる仲間・友だちがいる。
 そのような「きずな」は、教師たちの信念とチームワークが創り出す「仲間とつながる」ことを徹底的に大事にするU中学校の空間が、子どもたちにそのような気持ちを起こさせるのである。
(志水宏吉:1959年兵庫県生まれ、大阪大学人間科学研究科教授。専門は教育社会学・学校臨床学)

 

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授業に無関心な子どもを、どのようにすれば引きつけることができるか

 プロ教師の第一条件は、授業で子どもを引きつける力を持つことです。
 そのためには、一人ひとりの子どもをよく捉え、一人ひとりに寄り添うことが重要です。
 そして、職場で先輩や同僚教師を大事にし、思いやりや優しさ、強さなど、教師に人間的魅力がなくては、子どもを引きつける授業はできません。
 人としての魅力は一生をかけて身につけ、磨いていくものです。
 授業に関心のない子どもがいると「子どもに問題があるのでは?」と思ってしまいがちです。
 しかし「子どもが興味を持てるような、楽しい授業をしてきたか」と、省みる必要があるのではないでしょうか。
 つまらない授業を受け続けると、子どもは苦痛でしかありません。
「何とかしよう」と、あの手この手で取り組んでみて、何年かの経験を経て、結論は「授業で勝負すること」という結論を得ました。
 子どもを引きつける授業をするには、どんな方法があるのでしょうか。
1 指示や声かけの工夫
(1)どの子どもにもできる作業を指示する
 授業の冒頭で、立ったり座ったり、手拍子をさせたり、ジェスチャーをさせたりするとよいです。
(2)「全員起立。〇〇できた人から座りなさい」
 大変効果がある指示です。子どもが集中するうえに、子どもたちの進度が目で見てよくわかります。
 また、体を動かすことで脳も活性化するので、眠気を覚ます効果も期待できます。 
 どうしてもできない子がいれば、そっと肩に触れて小声で「座っていいよ」と促し、後ほど個別に指導するといいと思います。
2 資料や教具の工夫
 指示資料としては、写真より模型、模型より実物に多く触れさせたいものです。
 写真も見せ方一つで子ども反応は全く違います。わざと一部を隠したり、拡大したりして見せるだけで、子どもたちの知的好奇心は呼び起こされるものです。
3 活動内容の工夫
(1)授業の前半にできだけ多くの子どもに発言させる
 カラオケで一度歌うと、また歌いたくなるのと同じで、授業でも一度発言すると授業への参加意欲が高まります。
 授業の始めは比較的簡単な問題で、授業への関心が低い子どもにも発言させたいものです。
(2)子どもを乗せるには、やっぱりゲームやクイズ
 今の子どもは、テレビやゲーム世代です。興味・関心を高める手段としては、ゲームやクイズがとても有効です。
 子ども一人ひとりを学びの主体にするポイントは、
1 授業の組み立て方
 子どもが集中し続けることは難しい。そこで15分程度を区切りとした活動をするとよい。
 一方的に教師の話を聞くだけでなく、作業をしたり、グループで話し合ったりと、子どもたちが主体となる活動を中心に組み立てていくと集中しやすくなります。
 子どもの立場からみて、楽しい活動や面白い活動を意識して取り上げることです。
2 指示や発問の仕方
「短く」「具体的に」「分かりやすく」が基本です。
3 人の話を聞くときのルールを決める
(1)話しているときは、必ずやっていることをやめる。
(2)口を挟まない。
(3)質問は最後にする。
4 教材・教具
 言葉で説明するだけでなく、写真や絵など視覚的な教材を用いて子ども興味を引きつけます。
(川原田友之:1952年福島県生まれ、千葉県公立小学校教師、教育委員会指導主事、課長。退職後は東京都教育研究所主任研究員)

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多くの人との出会いがあって今の自分がある、先達に学ぶということは教師の世界でも大切だ

 私は、教師になってから多くの人との出会いがあった。
 同僚や地域の先生方、授業づくりネットワークの先生方、個人的に師事した先生方、大学の先生方、教育に関わる企業や出版社の皆さん等。
 多くの出会いがあって、今の自分があるのだと思う。感謝してもしきれないほどだ。
 その中でも特に影響を与えてくださった、有田和正氏との出会いを紹介したい。
 先達に学ぶということは、教師の世界でも大切である。
 有田和正氏は、私にとっては、授業について目を開かせてくださった方である。
 私が教師になって2年目、車で3時間以上かけて、有田和正氏の講演を聞きにいった。
 子どもを見る目の大切さ、子どもの意欲をどう育てるかについて、ユーモアたっぷりに熱弁をふるってくださった。
「自分も何かをしたい」という気持ちにさせられるような、すばらしい話しだった。
 教師になって3年目。有田和正氏の多くの著書を読んでいくうちに「やはり氏の授業を見なければならない。氏が鍛えた子どもたちを見なければならない」という思いを強くもった。
 当時、氏は筑波大学附属小学校勤務である。定期的に公開研究会を開いていた。
 私は校長に「しっかり学んできたい。ぜひ有田学級を参観させてください」と頭を下げた。
 校長は「目標を持つのはいいことだ。たくさん学んで来なさい」と言われた。
 全国的に有名な氏は、参観者が数百人にのぼるので、学校では授業はできず、近くの全林野会館で行われた。
 授業は9時半からであるが、7時に会場に行った。それでも私よりも早く来ている人が20人ほどいた。
 授業が始まってからは、子どもたちの熱気あふれる発表ぶりに圧倒されっぱなしであった。
 3年生の社会科。教師が問いを発するたびに、次々と自説を主張する。「教師に対しても論争を挑んでいる」そんな感じに映った。
「どうしたら、あれほど表現力のある子どもたちが育つのだろう」
「どうしたら、あれほど調べてくる子どもたちが育つのだろう」
 と、不思議に思うと同時に「鍛えられた有田学級の子どもたち」が理想の学級となった。
 すこしでも有田学級に近づきたいという目標ができた。
 それから、授業で有田氏を追うことを始めた。
 改めて今まで購入していた氏の本を見直し、授業した通りに資料を使い、同じ発問をする。
 本に書かれている通り、そのまま追試したのである。以前よりは活発な話し合い活動になる。
 さらに、問いもオリジナルのものを加え、少しずつではあるが、社会科では楽しい授業ができるようになってきた。
 自分がたくさんのことを学ばせてもらったお礼に有田先生に手紙を書いた。すると、和紙に毛筆で、次のようなご返事をいただいた。これには恐縮してしまった。
「今後のためには、具体的なテーマをきめる。それにそって仮説をたて、気長に実践し、記録していくことが大切だと思っています」
「例えば『板書』で少ししゃべれるくらい勉強することです。研究とはいかにしぼりこむかです」
 このように書かれていた有田先生の手紙は、わたしにとっての宝物になった。  
(佐藤正寿:1962年秋田県生まれ。岩手県公立小学校副校長。「地域と日本のよさを伝える授業」をメインテーマに教材開発に力を入れている)

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偏差値60以上の生徒と50以下の生徒の習慣はどのように違うのか

1 授業を受けることが学習上、最も効率がよい
 偏差値60以上の生徒は、授業を必ずきちんと受けます。偏差値50以下の生徒は、授業は眠いし、つらいし、面白くないと思っています。
「授業を受けることが、学習上、最も効率がいい」ということは納得のいく合格を果たした受験生が散々言ってきていることです。 
 学ぶことは、まず「他人の脳」によって理解されて構築された論理を「自分の脳」で再現しようとすることから始まります。
 これを再現するためには、自学自習をして、ただ文字を追い求めるよりも、教える側の熱意や「五感で感じる体験」も交えて、理解したい事象を追体験する授業のほうが圧倒的に効率的です。
 授業があとで思い出しやすいことを、偏差値60以上の子は実感によって知っています。授業のいろいろな場面やキーワード、ビジュアルが活き活きと再現され、理解できるのです。
2 授業時間中は、受験本番のシミュレーションをする
 偏差値60以上の生徒は、授業時間中は本番のシミュレーションをします。
 目標である大学の入試問題の時間をしっかりと確認して、入試問題の大問題数と設問数、あるいは論述式なら論述答案の分量を見定め「ペース配分シミュレーション」始めるとよい。
「ペース配分シミュレーション」とは、設問1題にかけられる時間、論述答案作成時間などには、どれだけの時間を配分できるのか、という「ペース配分シミュレーション」です。
3 ノートは自分の言葉で書く
 偏差値60以上の生徒は、ノートを自分の言葉で書きます。
 ノートは、あとで読み返したときに、自分を納得させるもの。
 だから、ノートは「わからなかった理由」や「以前、習った〇〇を見よ」「ここは重要」「後で、先生に聞こう」「テストに出そう」等、自分の言葉で書き、後で読み返したときに、自分を納得させるものにしょう。 
 これに対して、偏差値50以下の生徒は、自分からメモやノートをとらなかったり、先生の言ったことを一言一句すべてノートにとったりする。
4 事務処理の能力
 偏差値の高い子は、事務処理の能力が高くて正確である。
 やらなければいけない目的が認識されていて、なるべく簡潔にすまそうとします。
5 ストレスはあって当然
 偏差値60以上の生徒は、ストレスは多少あって当然だと思っています。
 偏差値50以下の生徒は、ストレスを成績不振の原因あげ、依存性が高く精神面が弱く自分の勉強ができない。
 他人への依存性が高いと、誰かが自分のストレスを取り除いてくれるという根拠のない期待や願望が生まれます。
 どこかで「頼れるのは自分しかない」という気持ちの切り替えが必要です。
6 新聞を活用しよう
 偏差値の高い生徒の多くは、新聞を読む習慣があり、偏差値の低い生徒はその習慣がほとんどなかった。
 新聞はつぎのような学習上の価値があります。
(1)読み返せる
 文章の全体を見渡した上で読み返せる。
 入試で言えば「問題文の全体像、全体量をつかみ、わからないところをチェックしておいて読み返す」ことにつながるでしょう。
(2)関連づけられる
 新聞は手元にあるわけですから「これらの関係はどうなっているのだろう?」という関係性を見出すことがきます。
 その上、政治欄、社会欄、外交欄、スポーツ欄というようにグルーピングされている記事がならんでいるわけですから、いくつかの記事を比較したり、自分なりに結び付けたりすることができます。
 記者の考えられた記事が、自分の脳で考えるオピニオンに変わっていき、問題点の因果関係を構築していく経験といった、知のワンダーランドを提供してくれるでしょう。
(3)考える
 社説を読んで、諸々の分野の記事を教養とし、社説と自らの意見を葛藤させることは、新聞ならではの醍醐味です。
 新聞で受験的な面で価値があるのは記事の歴史や背景や側面を解説してくれる「コラム」です。
7 適度に運動する
 高い成績を維持している生徒は「決まった運動」をしているケースが非常に多い。しかも「疲労しない程度」ということも共通しています。
 偏差値の低い生徒は、運動と勉強は無関係と思っています。
 運動機能と脳は使っていないと錆びるのです。身体を適度に動かさないでいると、思考が停止するだけでなく、社会性も低下し自己中心化します。
8 時間
 偏差値60以上の生徒は、ぶち当たって苦しんだ経験をもとに学習計画を柔軟に変更していくが、偏差値50以下の生徒は、時間をかけて計画立案するのが好きで、計画を頑なに守ろうとする。 
 偏差値60以上の生徒は、時間は使い方であって長短ではない、偏差値50以下の生徒は、時間をかければかけるほど学力は上がると思っています。
(齊藤淳一:1963年生まれ、河合塾20年以上のキャリアがあり、河合塾進学アドヴァイザー)

 

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子ども同士のトラブルが原因で、保護者間のトラブルに発展したとき、教師はどう対応すればよいか

 子ども同士のトラブルをきっかけに、保護者同士のトラブルに発展することがあります。
 保護者は、わが子が話した情報を信じ、悪いのは相手の子どもであると考えがちです。
 実際は、どちらが悪いというように簡単に整理できるものではないことが多い。
 教師が善し悪しを判断する審判の役割をしてしまうと、双方の保護者から不信感を抱かれることになりかねません。
 教師は、双方の保護者の気持ちを十分に理解したうえで、納得できる折り合い点を見つける手助けをする、という姿勢で臨みます。
1 よくない対応
 教師が相手の保護者をかばうような発言をしてしまう。
 保護者の誤解や、情報不足が原因で関係がさらに悪化しないようにするため、教師は食い違いを正そうとして、結果的に相手をかばうような発言をしてしまいがちです。
 たとえば、
保護者A「うちの子が先にボールで遊んでいたら、マサシくんがボールを勝手に持っていったんです」
教師「そうですか。でも、マサシくんは、仲間に入れてもらえなくて、ボールを取ってしまったようなんです」
保護者A「じゃあ、うちの子が悪いっていうんですか!?」
 教師が客観的な根拠を示して説明をしても、保護者は、相手側の言い分を教師は信じるのだと感じます。
 保護者は感情的に納得することができず、相手の保護者や教師に対する不信感まで高まってします。
 保護者は「教師は平等に対応しない」という色メガネで教師を評価するようになります。
 教師の言動を常にネガティブに解釈してしまい、批判をするようになります。
2 こうしよう
(1)双方の保護者の感情を十分に受け止め、冷静さを取り戻させる
 どちらの訴えが正しいのか、間違っているのか、白黒をつけようとしない。
 まずは、双方の保護者の言い分を十分に受け止めることで、高ぶった感情を落ち着け、冷静さ取り戻してもらうようにします。
2 今後の行動について話し合う
 教師は事実だけを憶測を交えずに話す。
 そのうえで、子どもたちをどのように指導・支援するのか、保護者にはどのような対応をお願いしたいのかを確認する。たとえば、
教師「(事実を話した後)、学校では、2人とも楽しく休み時間を過ごせるように支えていきたいと思います。それぞれのご家庭でもサポートをお願いしたいと考えています」
保護者A「わかりました。マサシくんの気持ちについて、シンジと考えようと思います」
保護者B「納得できないときは、まずは言葉で気持ちを伝えることを、教えていきたいと思います」
3 保護者同士の今後の関わり方を具体的に確認する
 些細なトラブルであっても、一度もめ事に発展してしまうと、お互いに気まずさや不信感を拭い去ることはむずかしいものです。
 そのような感情をできるだけ残さず、学級に関わってもらえるように、対応策を一緒に考えます。たとえば、
教師「お二人には、今後ともぜひ、ご協力いただきたいと思っています。いかがですか?」
保護者A,B「子どものことでまた何か気になることがあれば、こじれる前に確認し合えるといいかもしれません」
 保護者同士の問題は、双方の話し合いで解決してほしい、深入りしたくないと感じるかもしれません。
 しかし、保護者はお互いの状況が見えず、どうしてよいかわからないということがあります。
 学校で起きたことだから、教師に助けを求めてきたのだと考えて、ていねいな対応をすることで、保護者との信頼関係を深めるきっかけにつながります。
(河村茂雄:1959年生まれ、早稲田大学総合科学学術院教授。15年間公立学校教諭・教育相談員を経験した。学級崩壊,学級経営など教育実践に生かせる研究成果を多数提供している)

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