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ノイローゼ気味になっていた私を治してくれた名医が、川であった

 医者になって三年経った頃、いくらかノイローゼ気味になっていた私を治してくれた名医が、ほかならぬ川であった。
 総合病院に研修医として勤め始めてみると、治る病気は教わったマニュアルの適用をまちがわなければ、ほとんど自然に治っていった。
 そして、まるで目の粗いフルイにかけられたように、治らない病気が残り、いかに努力してみても患者さんたちは亡くなっていった。
 長男が生まれた頃、私は死のことばかり考えていた。
 生まれて数か月の長男を風呂に入れていると、病院から呼び出しの電話が鳴る。病棟で患者さんの最期を看取って帰宅すると、新しい生命は妻の乳房を一生懸命に吸っている。
 数時間の間に、人間の出発と臨終の光景を交代に見せつけられる生活を繰り返しているうちに、思考が停止してしまった。
 ある日、病院の中にこれ以上居続けていると発狂しそうな気がして、裏を流れる川の岸に出てみた。
 おだやかな初夏の陽光を体一杯に受けて、川岸の石に腰をおろし、川面を見ていた。
 水の反射に目が慣れてくると、水中の様子がよく見えてきた。生まれたばかりらしいハヤの子たちが浅瀬に群れていた。
 これから待ち受けているはずの自然淘汰の荒波も知らぬげに、精一杯水流に逆らっていた。
 そして、さらに深い流芯を、アユの群れが泳いでいた。たった一年しか生きないこの魚たちも、自分たちの受けた貴重な生を完全に燃焼しつくそうとしているかのように、鋭い泳ぎで上流に登っていった。
 川岸の乾いた砂の上に、私の猫背の影が映っていた。静止し、活気のないその影を見ているうちに、なぜだか目頭が熱くなってきた。
 思考するのを拒否していた頭の中に、生命の誕生と死の間を結ぶ川のようなものが流れ出した。
「あいつらとおなじなんだ」
 ほとんど声に出して叫びたい衝動を抑え、大きな深呼吸を二、三度してから、私は背を伸ばし、一歩一歩に力を込めて病院にもどった。
 それ以来、なにかあると川を見る。
 誕生が山の湧き水だとするなら、死は海であり、人生は川の流れそのものだと言えるだろう。
 人間は川の流れに乗った考える藻にすぎない。どんなに考えたところで、川は海に向って流れて行く。それならば、まず流されている自分を自覚するところから、考えることを始めればいい。
 生まれたばかりのハヤの子や、短命のアユ、そして、流れている川そのものが、生きることに疲れたふりをしていた私に、貴重な忠告をしてくれたのだった。
(南木 佳士:1951年群馬県生まれ、芥川賞作家、医師)

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