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すばらしい授業は「攻めと受け」が絶妙なバランスで成り立っている

 授業の目的は,学力を形成すること。  学力が形成されたかどうかは,子どもが変容したかどうか。  学力形成とは「獲得・習得(入手)」「訂正・修正(変更)」「深化・拡充(向上)」のどれかがあればその授業は学力が形成されたことになる。  すばらしい授業は「攻めと受けの論理」が絶妙なバランスで成り立っている。 「攻め」は計画。つまり指導案。  授業は計算して組織しなければならない。思いがけない質問に答えられないことが続くと授業は壊れる。だから、深い教材研究を。  指導案は5つも6つも作る。授業になったらそれをすべて捨てよう。  授業設計という人がいるがそれはダメ。設計図通りしなくてはいけないと思うから、設計図から狂ったら困る。情況にあわせて授業をするものだ。  教師は指導案の研究はよくやるが「受け」の研究はあまりしない。 「受け」は難しい。受けは、出た時の瞬時の判断。絶妙な状況の論理。  発問したあとの間。わずか2~3秒程度の短い時間だがこれで授業の緊張感を高めることになる。  笑顔、真剣な表情,遠くを見つめる表情,宙を仰ぐ表情など,答えに対して様々な表情で反応し,生徒の気持ちの高揚を図る。 「受け」のことは本にも書けない。 「受け」を鍛えるためには、経験を意図的に積んで整理するしかない。僕は寄席が好きで行くよ。落語から学べるよ。  子どもが発言したあとの一言,これには様々なバリエーションがある。たとえば、  「ふーん」「立派」「上手に逃げたね」「無難に逃げたね」「うーんと簡単に言えば」  「何か文句あるの」「OK」「ちょっとピント違うではないの」「へーーー」「へ」  「もう少し詳しく」「何だって」「なかなか」「うんうん」「何か出てきましたか」  「おーーーっ」「こりゃ複雑だ」「これはそうですよ」 「うーーんよかった」  「いいです」「そのとおり」「正解」  授業において,子どもが発言した時の教師の瞬時の言葉が重要である。  どの子どもにも同じ言葉をかけても、子どもの意欲は引き出せない。  答えの内容、姿勢などをビシッと評価できる言葉を数多く持っておくことだ大切だ。  語彙力をつけるために,本や映画,新聞,講演会,落語,コントなどなどで心のひだにひっかかった言葉をノートに書いている。  もっと話術を磨き,人を引きつける力を身につけることが教師の指導力向上の一つの条件である。  子どもを向上的な変容をさせないような指導ではダメ。授業は一人ひとりをきちんと参加させること。そして鍛えること。  全員参加の授業にするために、答が〇か×を問う質問をして、全員に○×かをノートに書かせる。  参加者全員に意志決定を強制する。「教育は強制である」という野口芳宏氏のポリシーが顕著に表れている。  ○×をつけることにより、次の展開が楽しみになるという学習意欲も向上できる。  そして、最初に必ずこう問う。 「○と×どっちが多いと思う」  これにより、子どもの緊張感を高め、次の展開の期待度をより高めることができる。  また、手を挙げたら、隣や全体を見てごらんと言う。  自分の意見と同じ人を確認させ、指名した時に○と×を急に変えて逃げないような布石を打っておくことも忘れない。ここが鍛えるということにつながっている。  抽象的な発問後、重苦しい空気が漂ってきたら「隣近所で答えを見せ合ってください」という指示を出す。  このことにより,空気が和み意見が言いやすくなる。しかし,間延び過ぎると授業の緊張感を崩す原因となるので要注意である。  小集団学習は授業の雰囲気を和らげる。子どもが固くなった時、公的私語を許す意味で小集団学習を入れても良い。  板書しながら声を出すと、子どもがノートを書くとき、助けることになる。  活動主義の授業はダメ。今の授業で先生は何を指導したのか分からないような授業ではダメ。  聞き慣れない言葉でも反対語を並べ書くことにより分かりやすくなる。  たとえば「利己的」と「利他的」,「即効的」と「遅効的」、「俗人」と「聖人」と「悲観と「楽観」 タイミングよく故事成語やことわざなどを持ち出すと,説明を分かりやすくすることができる。  たとえは「悪銭身につかず」「正直の頭に神宿る」  私の知っているすばらしい教師に共通しているのは、どの先生も、その年齢や地位にかかわらず「謙虚」であり、「素直」であることだ。 「謙虚」であり、「素直」である人の「心のコップ」はいつだって上向きに置かれている。  だから、教えをどんどん受け入れて自分の力を高めていけるのである。  心ない若い教師は、心のコップを伏せてしまっている。いくら価値あるものを注いでもみんな外にこぼしてしまう。身に入らないのだから伸びようがない。  学校の教師は、異がきらいである。野口芳宏氏は講演などの後の感想は「批判」のみしか目を通さないと言う。こうした、異に学ぶ姿勢には敬服されられる。 (野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)

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