著名な実践家である東井義雄は、どのような考え方で教育をおこなっていたのか
1 教育と愛
愛は「私のもの」という意識のことだと私は思う。
「もの」が「人のもの」ではなくて、「私のもの」になると「あばた」も「えくぼ」に変わってくる。
「こと」が「人ごと」ではなくて「自分のこと」になると、無い力まで出てくる。そういう力まで出てくる。
そういう不思議なはたらきをするものが「愛」だ。
主体的な「愛」は、ものを自分ものもとして、かわいがり、育て、調べていく。行動的な学習を通してのみ、育て得るものだと私は信じている。
それは、身のまわりの物事を、自分のこととして考え、処理をしていくような算数の形によっても育て得るだろう。
かわいがり・育て・製作する理科というような形でも、育てられなければならない。
国語では、作文がこの大事な仕事を受け持ってくれる。読みの学習においても読みの身構えの問題として「愛」が問題にされねばならぬ。
2 学習
学習は、ものしりをつくりあげる教育体系でない。
身のまわりの事物を、算数は算数の立場で学習する。
はてな?と不思議がり、こうかもしれないぞと考え、こうしてみたらどうか、と実際にやってみて、なるほどとうなずき、でも、いつでもどこでもそうなるか、とためしてみるというような生き方を、もっと大事にしなければならない。
理科は、理科の立場から、はてな、おやおや、なぜだろう、こうかもしれないぞ、こうしてみたらどうなるか、なるほど、でも・・・と考え、やってみる、というような在り方を大事にしなければならぬ。
国語も社会科も、そういうふうな、生きて働いていくものに育てあげることで、宿命にさえ見える現実の壁をつきやぶることができるのだ。
学習は、そういう学習にならねばならぬ。
3 命の触れ合い
教師であることの、ほんとうの喜びは、子どもの命に触れないでは得られない。教師の喜びは、命と命が触れ合うところにのみ味わわれる。
命に触れ得ないような教師は、子どもの命に影響を与えていけたりする道理がない。子どもに、何もしてやることはできない。
子どもに、何もしてやることのできないような教師は、もはや、教師ではない。
子どもの命に触れるには、私は教師が「ほんものになるより道はない」と考える。
子どもが母親を慕うのは、それが「ほんもの」だからだ。
生きていることのただごとでない底深さ、根深さは、たとえ感傷的にでもいい、知っておく必要があるようだ。
そうでないと、子どもを守る運動も根のないものになってしまうし、人々の共感を誘うこともできないようだ。
そして、なにより、教育という仕事が、根のないものになってしまう。
子どものつぶやきが聞こえなくなっている先生は、先生の資格があるとはいえない。
4 ほんもの
「ほんもの」の親は、自分の子どもが、利口であろうがバカであろうが、いうことをよくきく子であろうがいうことをきかない子であろうが、ひたすら子どもを思いわずらう。
その「ほんものさ」を子どもは本能的に感じとって、母親を慕うのだ。
「ほんもの」だけが、子どもの命にふれていき、子どもの命に影響を与えることができるのだ。
私は「ほんもの」になるより道はないと考える。子どもたちが母親を慕うのは、それが「ほんもの」だからだ。
「ほんもの」だけが子どもの命に触れていくもののようだ。
子どもの命にふれ得ないような教師には、何もできない、ということが本当のようだ。
5 教える教育には限界がある
私は、はじめ、教育ということは子どもたちに「ああしろ」「こうしろ」「そんなことをしてはいけない」「それはこうするんだ」と、子どもを指図し、叱り、教えることだと、と思っていた。
「先生」と呼ばれるようになって25年、それは本当の教育ではなかったんだと、気づかせられはじめた。
それなら「教える教育」の限界をつき破るものは何か。それは「ほんもの」になることだけだ。
人を「ほんもの」にしようとして「教える」のではない。こちらが「ほんもの」になるのだ。
「ほんものでない者」が、子どもに「ほんものになれ」と指図したところで、ききめのあるはずがない。
「ほんものでない者」が「ほんもの」でない自分に対して言わなければならないことを、私たち教師は、教師顔して、他人に言いつづけてきた。
そこに、私たちの長い間の考えの誤りがあったのではないか。
以前、クラスに、ものを言わない、困った子どもがいた。
私は、ものを言わせるように、話しかけ、ともに遊ぶようにしたり、クラスにも話しやすい雰囲気づくりに協力してもらったり、いろいろと働きかけたが、だめであった。
しかし、よく見ると、その子は掃除で、ほうきの使い方や、片付けがクラスの中で一番うまいのに気がついた。
ものは言わないが、掃除の動作は、ひとつひとつ美しい言葉ばではないか。
こんな美しい言葉を毎日、自分の行動で語っている。
私は、うれしい思いでその子を見るようになった。
そのうち、その子の目が心なしか微笑んで見えるようになり、ほんのかすかであったが、声を聞くことができた。
あれだけ、ものを言わせようとしても、私がそうすればするほど、口をつぐんだ子が、だれに強いられたのでなく、自分から口を開いたということはどういうことだろうか。
指図し、教えることよりも、それを、そのまま抱きとることができるような教師になることこそ、子どもの命を開いていく唯一の道だ、ということが考えられないであろうか。
「ほんもの」の学力とは「子どもの感じ方、思い方、考え方、生き方、その論理の歯車にかみ合った力」でなければならない。これを「生活の論理」という。
この上に、教科の道筋はあくまで教師が主導権を持つという「教科の論理」を加えて東井義雄の学力観は成立している。
(東井義雄:1912-1991年、兵庫県生れ、小学校教師となり綴方教育で認められる。元兵庫県公立小中学校校長。「ペスタロッチー賞」、兵庫県知事や文部省より「教育功労賞」など多数受賞)
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