授業で、教師の話し方技術を高めるには、どのようにすればよいか
教師が授業や教室での話し方の技術を高めるということは、そのまま教師の識見や、人格を高めることを意味する。どのように話すようにすればよいか。
1 授業の導入
命令調でなく、誘いこむような口調で語りかける配慮が欲しい。たとえば、
「ここ10年ばかりの間に、こんな急速に農家の数が減っていったのはどうしてなんだろう。この一時間でそれをはっきりさせてみようね」
このような話し方は、子どもたちの立場に立って、やる気を起こさせる話し方だと言えよう。
一人残らず、子どもたちを同一線上にそろえることが大切である。
「よし、やるぞ」という期待をすべての子どもに持たせるように、親しみやすく述べることを目指さなければならない。
課題についての説明を聞いたら「何をすればよいのか」が子どもにイメージされるようでなければいけない。「鳩は、心の中でどんなことばを言いながら飛んでいったのでしょう。ノートに書いてごらん」この指示のしかたならば、子どもたちが何をどうすればよいかが具体的によくわかる。
子どもたちの興味や関心に合うように提示していく。たとえば、一つの事実をめぐって判断が対立するということは、子どもたちにとっていやおうなく関心を持たざるを得なくなる。
2 明快に話す
はっきりしていて、よくわかるということである。
明快に話にするための配慮は、まず「何を話すのか」を自分がはっきりととらえていることである。
「これとこれを教えよう」というように整理されていなければならない。
つぎに「平易なことば」で話すということである。たとえば、
「雑沓」は耳で聞いただけではよくわからない。「人ごみ」と、なるべくやさしく言いかえるようにしたい。
さらに「構造的」に話すことである。たとえば、
「時間的経過に沿って述べる、具体的事例から一般化して」話す、など構造化していく習慣を身につけることがじょうずな、効果的な話し方を身につける早道なのである。
3 簡潔に話す
話す内容を簡単にして、要領をつくすのである。
話そうとすることの内容を、本当に理解している人の話は必ず簡潔である。
複雑なことがらも、要領よく整理してまとめられていれば話はずっとわかりやすくなる。
簡潔に話すためには
(1)短く話す
必要なことだけをできるだけ短く話すことである。一言で言ってみることである。
深い理解、正しく豊かな知識も必要であるが、一言でずはり言えるまで取捨選択され、要約されていなければ本当にわかっているとは言えないのである。
授業時間の中ては、あれもこれもと話すことはたくさんあるのだが、つまるところこれ一つというところがおさえられていなければならない。そうすれば話は簡潔になり、授業運びも簡潔になる。
子どもたちは全員が勉強好きで授業が好きであるわけではない。
つまらなさや、苦痛を忍んでいる子もいる。そういう子どもたちに、せめて簡潔ですかっとした話をプレゼントしたいものである。それによって、子どもたちは新しい興味や関心を育てられることにもなるだろう。
(2)箇条的に話す
上手な話し手は「三つのことを話す」とかの予告をする。聞き手は心の準備ができて、話はうまくつたわることになるのである。
(3)横道にそれない
授業中の脱線はしばしば子どもたちに喜ばれる。
脱線できる教師は話題を豊かに持っている教師であり、脱線できない教師よりはましであるが、脱線によってしか子どもを惹きつけられないというのでは情けない。
4 具体的に話す
具体的に話すには、つとめてくだいて話すことが必要である。たとえば、
「りっぱな人になりなさい」よりも「誰からも好かれる人になれ」という方がわかりやすい話し方である。
具体的に話せるということは、教師が本当にわかっているということでもある。それを支える豊かな実力を高めることが大切なのである。
例示は、なるべく身近なものをとりあげるとよい。わかりやすくなる。
子どもたちに歓迎されるものに「先生の子どものころの思い出の話」がある。目の前にいて、親しみやすいのである。
つとめて子どもたちには具体性を持った話し方をするようにと心がけたいものである。
5 沈黙と間を生かす
聞き手は疲れるので、ときどき休まなければならない。
のべつ幕なしにしゃべる人があるが、こういう人の話は、案外、話を聞かれていないものである。時には騒音でもある。
話には適当な沈黙と間が必要で、話がわかりやすくなり、話上手な人ほど、この沈黙と間を生かして話すことができるのである。
話の中に沈黙と間をとり入れる効果は、聞き手を話し手の側に引き込むことにある。
話し手が沈黙している間に、聞き手は話の内容を咀嚼しているのである。そして次の話し手のことばを期待する。話してと聞き手とが結び合っている。
一方的なおしゃべりは、聞き手を単なる受動的で消極的な立場に追いやる。
授業中の沈黙に不安を覚えるのは、教師が、まだ未熟な証拠である。ベテランの教師は沈黙の中で行われている活発な思考活動を見ぬいている。
有効な沈黙とは、たとえば次のような場合である。たとえば、
「どんな本を読んでいますか?」、「こんなことでよいと思いますか」、「重大な発言をした後」、「主張や意見の後」
この他にも、いろいろな場合がある。
6 聞き手を分析する
話し手は、常に聞き手に、受けとめられ納得されているか、察知することが大切である。
反応が最も鋭敏なのが、子どもである。楽しければ引き込まれ、つまらなければ見向きもしない。飽きてしまってよそ見をしたり、無駄話をしたりする。
子どもたちのさまざまな反応は、そのまま「教師の話し方に対する注文である」ことを知るべきである。
教師は話者としての反省を忘れてはいけない。
教師はつねに子どもの聴衆反応を鋭く察知し、話題を適切に転換したり、話法を変えたりして、自分の話し方をよりよい方向に変えていくように心しなければならない。
7 視線を合わす
真剣な話は必ずお互いに顔を見合ってする。私は子どもたちに「話は目で聞け」とよく言う。話す人の顔を見つめながら話を聞くようにしつけることが大切である。
教室には多勢の子どもがいる。最も理想的には全体を見わたしていて、しかも一人ひとりの子どもの表情が見えていることである。修錬を積めば誰でもその域に達することができる。
そこまで行かないうちは、せめてどの子どもにもかわるがわる視線を向けるように気をつけるとよい。教師の話し方はかなりよくなるはずである。
7 ぶらずに、らしゅうせよ
「ぶらずに、らしゅうせよ」というのは芸の道を教えたものである。
「ぶる」とは「いい気になる」「いばる」というような感じである。
先生ぶった話し方というと、傲慢、思いあがり、独善、偏狭、形式的、教条的、威圧的というような悪い傾向が浮かんでくる。
これでは聞き手に反感を持たれ、受け入れてもらうようなことはまずなるまい。
「らしゅう」というのは「ふさわしい」「似合う」「自然である」というような感じである。
先生らしい、誰にも好感をもたれるような話し方というと、誠実、丁寧、やさしさ、識見の高さ、公平、謙虚、温和、というような、教師というものの良い点が私の頭には浮かんでくる。
「ぶらずに、らしゅうせよ」というのは、話し手の態度の心得であり、この一点を踏みはずさなければ、たとえ技術的にまずい話し方をしようとも聞き手は話し手についてくる。それほど根本的で重要なことである。
8 時に応じて、ことばの社交機能をとり入れる
ことばは、交わし合うことによって楽しみを得るという側面を持っている。お喋りの楽しさは誰でも知っている。
教師が子どもたちに最も多く繰り返すことばは「静かにしなさい」という一語であり、子どもたちがどんなにお喋りが好きかわかる。
お喋りは、認識とか伝達とか思考とかいう堅苦しい目的のためにのみ成り立つのではない。屈託のない、目的の明らかでない一種の社交である。それによって人々の心は明るくなる。
授業の中にも時に応じて、この社交機能をとり入れ活用することは、ゆとりのある教師のよくするところである。
杓子定規で融通のきかない、こちこちの先生の授業は、もっぱら認識と伝達と思考の機能のみに依存するからかえって子どもに、うとまれることになるのである。
(野口芳宏:1936年生まれ、元小学校校長、大学名誉教授、千葉県教育委員、授業道場野口塾等主宰)
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