担任すると「いいクラスにしたい」と入れ込んで硬くなり、すぐに怒り、子どもに嫌わる。どう改善すればよいのでしょうか
学級を担任すると「いいクラスにしたい」と思うのか、私はどうも硬くなる。
それがつまずきのもとであった。
自分のクラスとなると、過度に指導責任を感じてしまうのだろうか。
いざクラスの子どものことになると、気持のうえで「わが子」になり、愛し過ぎて、入れ込んでしまうのだろうと思った。
学級が荒れて困っている教師がいる。
「いいクラスにしたい」という思い入れが激しい余り、逆に、子どもたちを追いこんでいって失敗する例も多い。
そういう芽は昔からあった。
それに近い状況に追いこまれている教師もいた。私はそうはなりたくないと思った。
自分のクラスに対して甘くしようとしたが、だが、いざとなると、なかなかそうはなれなかった。
「だんだんとクラスの子どもたちに嫌われてきた」と感ずるようになった。
これが高じると、指導拒否がおこり、指導不成立がおこってくる。
クラスの子どもたちと親しく交わっている教師をみると、力んでいないことに気がついた。
私のように「いいクラスにしよう」とあせって硬くなっていない。
子どもたちに対しては「師弟」でも「親子」でもなく、「友だち」感覚で接していた。
だから、多少、だらしないところもあったが、そこに親密な人間関係があった。
見ていると、そういう教師は、自分のクラスには甘かった。
たとえば、よそのクラスの担任が子どもに三回注意してのち怒るとすれば、自分のクラスの子どもたちと親しく交わっている担任は、四回注意してのち叱るというようにしていた。
ところが、わたしは逆だった。自分のクラスの子どもには一回目の注意で、もう怒っていた。
また、自分のクラスの子どもたちと親しく交わっている担任は、ほめることの上手な教師でもあった。
よそのクラスではあたりまえのことも、それができたら「よくできた」とほめていた。
これだと思った。
クラスの子どもは「わが子」ではない「他人の子」なのである。
「自分のクラス」・「わが子」と思うから私物化し、自分の思いとおりにしようと力むのである。
教師感覚・親子感覚はやめ、友だち感覚で接しよう。そうすれば、多少甘くもできると思った。
怒るときにも、頭ごなしではなく、忠告ということになろうと思った。
学級生活のみならず、授業のなかでも甘くした。
たとえば、提出物も 「よし。そんなにたいへんなら、この提出物はあさってまでに延ばそう。でも、秘密だぞ」
と、担任の授業だから得をするというようにした。
「そのかわり、忘れるなよ」というと、ほんとうに忘れずに提出した。
結果的には、他のクラスより早く全員提出できた。
こう気持を切りかえると、肩から力が抜けた。
ほっとしたのか、他のクラスの子どもたちと接するように、自分のクラスの子どもとリラックスして接するようになった。クラスの子どもとの距離がぐんと縮まった。
もともと子どもたちも、担任とは仲良く接したいと思っていたのである。
教師の態度が変わったから、子どもたちもリラックスして接してくるようになった。
授業も、少しずつ、自分のクラスが一番やりやすくなった。
私の国語の授業が好きだという子どもがふえてきた。
ときどき、けじめのつかなくなることもあったが、「気持を切りかえようぜ」「ここは、いいとこ見せようぜ」というと、その気になって、ほかのクラスに負けないようにとりくむことができた。
(家本芳郎:1930-2006年、東京都生まれ。神奈川の小・中学校教師(約30年)。退職後、研究、評論、著述、講演活動に入る。長年、全国生活指導研究協議会、日本生活指導研究所の活動に参加。全国教育文化研究所、日本群読教育の会を主宰した)
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