生きた話には命があり、必ず子どもから子どもに伝わるものです
子どもを知るということが教育の命だと私は思っています。
私がしてきた仕事にいいところがあるとすれば、子どもの心を知ることができたことでしょう。
どういうふうにやったかというと、私のほうから、心から、いろいろな話を子どもたちにしました。
そうしますと、何か話の雰囲気と言うんでしょうか、心が開けてくるような雰囲気ができるものです。
教室の隅だったり放課後の廊下だったり、いろんな場所で、話をしました。
それが子どもの心に入って、大事な役目をしてくれるのです。
私は子どものころから話し好きで「おしゃべりはまちゃん」の名前がついていました。
教師になって、それは自分の宝物のような気がします。
子どもというのは、自分が心に響いたお話なら、黙っていることはないのです。例を挙げてみます。
私は教室にいろいろなものを持っていきましたが、花もその中の一つです。
そして、花を長くもたせるのが私の得意技の一つでした。
コツはちょうど、花が生を終わりたいその時期に切るんです。
そうしますと、また元気になって長くもつわけです。
ですから、私は教室に花を置いて、毎日のようにはさみで少し傷んできた花を切り落としていました。
その朝も、私は傷んだ花を落として、英気を取り戻すことができるように花を仕立てていました。
そうしましたら、女の子がそばに来て
「先生、そんなことしたら花がかわいそうじゃないの」
「まだきれいよ、こっちから見ても」
そう言いました。私は、
「そうね。だけどこれくらいの時期にこの花を切らないと、長く花はもたないの」
と言って花を続けて切っていました。そして続けて、
「そうね。私なんかも神さまが、『この花、ここらで切ろうかな』って、はさみを持って待ってくるかもしれないね」
って言うと、その子は「やあだ」と、どこかへ行ってしまいました。
また、私はちょんちょんと花を切っていました。今度は男の子が、
「先生、今何考えているか当ててみようか」
って言うんです。だから、
「どうぞ、当ててごらんなさい。当たらないから」
って言いました。男の子はやがて、
「いいや、かわいそうだから」
と言って走っていきました。
私はさっきの女の子が何か話したな、ということに気がつきました。
先生は歳をとったこと、やがてどこかへ行く日が来ること、そんなことを考えて
「先生はかわいそうなようだ」
って話したんでしょう。
それで、その話がその男の子に伝わっています。
子どもは、何か肝心なときには黙っているっていうことができないものです。
その女の子が男の子にどんなふうに話したんでしょうね。
それを「ふうん」と男の子が聞いて、やや感ずるところがあったんでしょう。
こういうふうに、何かがある話だったら、生きたお話だったら、必ず子どもから子どもに伝わるものなのです。
話というものは、命のあるものです。
すぐ伝わらなくても、「よーく聞いていなさい」と言わなくても、そのお話に命があれば、ちゃんと一人で子どもの心を訪ねていくものなのです。
(大村はま:1906-2005年、長野県で高等女学校、戦後は東京都公立中学校で73歳まで教え、新聞・雑誌の記事を元にした授業や生徒の実力に応じた「単元学習法」を確立した。ペスタロッチー賞、日本教育連合会賞を受賞。退職後も「大村はま国語教室の会」を結成し、日本の国語科教育の向上に勤めた)
| 固定リンク
「教師の話しかた」カテゴリの記事
- ふだん発している言葉が毎日の生活に影響を与えている 中井俊已(2022.01.12)
- 声が変われば自信が生まれ人生が変わる 白石謙二(2021.09.04)
- 子どもたちに印象に残るような話し方とは 大内善一(2021.06.08)
- 発声の練習(あくび卵発声トレーニング)とは 平田オリザ・蓮行(2021.05.02)
- 子どもに話をするときのコツ 大村はま(2021.03.09)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント