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教師が「優れた授業をする」「生徒に人気が出る」ために大事なこととは何か

 まず第一に、自分の専門教科に精通すること。
 ただ単に答え合わせをするな。自分流の教授法の確立。いわゆる教科の商品化である。
 たとえば、長文恐怖症を吹き飛ばす速読速解法。簡単に解けちゃう数学など、生徒の目線でタイトルを考えること。
 授業をストーリーに組み立てよ。
 まず、授業の導入。今日は何を教えるのか、徹底してプレゼンすること。
 大事なことを最小に絞れ。
 最悪の教師は、全部大事だと言って、最後までべたべた、だらだら。眠くなる。
 生徒に「今日は何を勉強したの?」と尋ねたとき「英語、数学、国語を勉強した」と言わせたら、その授業は失敗である。各教科の具体的な項目を言わせることだ。
 もっと思い切って、これを覚えれば、後は忘れていいぞというぐらいのことを言え。
 プロの教師とアマチュア教師の決定的な違いは、教える内容を切って捨てられるかどうかである。
 もちろん切るには、プロとして、切っても大丈夫という確信と、過去のデータを熟知しておかねばならない。
 わかりやすく、繰り返すことで、知識が定着する。そこで生徒は、わかることの喜びを体験する。
 そして、エンディング。
 もう一度、今日の重要事項を繰り返して確認する。
 そして、次回の予告をして、次回も受けなければ、「せっかく今日覚えたことが無駄になる」と、ある種の不安感を抱かせる。
 要するに、腹八分で終わることだ。生徒は「わかる」ことの喜びを期待している。
 教科書をシナリオに。
 教師が予習する段階で、授業は終わったも同然。
 答えの列記は予習ではない。結構、答え合わせだけの教師が多い。
 シナリオ作りとは、
(1)教科書にその日の授業の流れを明記する。
(2)授業の初めに、その日のテーマをまず知らせる。
(3)次に強調するテーマを示す。
(4)そして授業の展開に入っていく。
(5)大事なことは、単なる答え合わせの説明ではだめ。
 答えを導くのに、なぜ、この答えなのかを立体的、論理的に説明し、その教師の個性を生かしたテクニックを駆使する。
 一つの問題に一つの答えを出すだけでは広がりがない。その問題、答えの背景を示すことだ。
 出題者は何の根拠もない問題は100%出さない。必ず、意図がある。出題者の意図を見抜け。
(6)授業の合間に、できたら、教科書の内容に沿ったエピソードを入れれば動機付けになる。
(7)全部教えるのでなく、腹八分で終わることだ。
 来週につなげることで、来週も受けなければ損をする、ある種の不安感を持たせること。これは難しいが、挑戦してもらいたい。できればプロである。
(8)エンディングは、もう一度今日の重要事項を再度確認。来週の予告。
 授業をショウ(show)仕立てに。授業は楽しくなければならない。
 お客様は生徒である。どれだけ楽しませるか、満足させるか。
 教えてやるんだという考えは即捨てよ。
 学んでいただくのだ。
 徹底したサービスである。これが、学校の教師との究極の差別化である。
 教科書をシナリオにした上で、パフォーマンスは大いにやるべきだ。
 わかりやすい授業、すばらしい授業、感動する授業の直後にパフォーマンスをする。効果的な演出になる。
 しかも短時間に。効果抜群である。
 亡くなった落語の名人、桂枝雀の緊張と緩和である。
 気をつけなければならないことは、やたらにやると生徒からブーイングが出る。
 雑談が多いという批判を受ける。
 パフォーマンスの種類は人によっていろいろある。
 自分の個性に合わせて、無理をしないで自然に出せるとよい。例えば
(1)笑い・ユーモア型パフォーマンス
(2)語りかけパフォーマンス
(3)ためになる説教型パフォーマンス
(4)ジーンとくる涙型パフォーマンス
(5)知識、知性型パフォーマンス
 生徒は変わらない、教師が変われ。
 学校であれ、塾であれ、教師は同じ生徒たちを毎日一年間教えることになる。
 自然と教師と生徒に飽きが始まる。
 生徒が悪い悪いという前に、教師自ら努力して己を変えよ。
 そういう意味で生徒が変わることを期待してはならない。
 教師が変わる努力と工夫が必要である。
 私は36年間、一度も授業で飽いたことはない。楽しいのである。
 今日はどんな授業をしようかと思うとわくわくする。例えば、
(1)今日は徹底して基礎をやろう
(2)難解な問題をわかりやすくやろう
(3)おもしろい話をしよう
(4)苦労した経験談をしよう
 ネタはいくらでもある。
 教師は教育以外のことから学べ。
 教師はもともと社会性が乏しい。
 生徒から「先生、先生」と、父母から「先生、先生」と呼ばれると何か、自分が偉くなったような気がする。
 特に、つい最近まで大学生であった若者が、教師になるといきなり先生と呼ばれると勘違いをする。何様だと思っているだと言いたい。
 生徒は社会性を親から学ぶ。教師は誰から学ぶんだ。
 一般社会でいろいろな分野で、それこそ汗水流して頑張っている人たちを見よ。
 親の悩み、子どもの悩みをもっと直視せよ。多くの人たちから学びなさい。もっと勉強しろ。
 教師は感性を磨かなければならない。
 感性が教師の最後の砦になる。
 情熱と努力ができれば、感性は身につく。
 赤ちゃんを見よ、わが子を見よ、若者を見よ、母を見よ、父を見よ、じいちゃん、ばあちゃんを見よ。必ず感性をくすぐる心がある、話がある。
 生徒の悩み、苦労、非行から学ぶときに、教師側に感性がなければ生徒と同じ目線に立てない。
 私は生徒を変えようと思わない。自分が変わろう。そして評価は生徒に任せよう。
 教師に限って人の話を聞かない。学ぶ姿勢、社会性がないのである。
 生徒に学べという前に、教師自ら学ぶべきである。
 生徒に「勉強しろ」というまえに、先生「あんたが、勉強せえ」
 人の話を真剣に聞け。そして真似よ。
 読書、音楽、映画、スポーツなど、仕事以外のすべてに関心を持て。
 私は、水泳、マラソン、カート、四国の88ヶ所巡り、熊野古道登山から学んだことは枚挙にいとまがないと言える。
 私は、生徒から学んだのである。
 だから人気があると自信を持って言える。
 教師自ら学ぶべきである。
(瀧山敏郎:元小学校・中学校・高校教師・教頭・予備校講師(代々木ゼミナール・東進ハイスクール)経て教師アカデミー主宰。元全国英語研究団体連合理事・京都私立中学・高等学校英語研究会会長。テネシー州等名誉州民)

 

 

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