« 笑いを授業に取り入れると、子どもと教師の距離を縮め、子どもたちに安心感を生み出す | トップページ | 大人との出会いで子どもは変わっていく »

木下竹次の大正時代の新教育運動「他律的教育から自立的学習へ」とは

 木下竹次は大正時代に、学習を、子どもの生活から出発し、生活の向上を図る自律的学習を説いた。
 学習即ち生活,生活即ち学習となる「他律的教育から自立的学習へ」を説き、大正時代の新教育運動を指導する一人となった。
 木下は、全国各地の師範学校を経て、1919(大正8)年,奈良女子高等師範学校教授・同附属小学校主事となった。
 1922年(大正11)に同校で学習研究会を組織し,機関誌「学習研究」を発刊した。
 機関誌「学習研究」の創刊号では、
「学習即ち生活であり,生活即ち学習となる。 日常一切の生活,自律して学習する処, 私共はここに立つ」とし、次のような記事を載せた。
「従来の教育法は、教授,訓練,養護とするのが、我が国に於ける通説であった」
「私は教育、訓練、養護に関する事柄を一括して、之を児童の側面から見て『学習』と称し研究を進めて行かうと思ふ」
 と「学習学」の立場を明らかにした。
 木下は「学習原論」「学習各論」などを著述し,独自学習・相互学習・合科学習・体操的精神・数学的精神・地理的精神などの考え方を呈示した。
 同時に同校で実践した。
 児童たちが身の回りから出発して、さまざまなことに疑問を持ち、自分たちの力で実験し、図書でたしかめていく過程で、児童相互の教えあい、学びあいができると考えた。
 学習教材は児童の生活に即してつくられ、しかも特定の教科の枠にとらわれない全教科学習であった。
「学習は、 学習者が生活から出発して、生活によって生活の向上を図るものである」 とし、分科主義による生活の分断を否定し「生活単位」を学習の題材にする「合科学習」(生活学習)を主張した。
 職員会では事務的な内容は最小限にとどめ、実践に関する論議を行う日常的な研究の場とした。
 月に2回程度、研究授業が行われ、 授業批評会が持たれた。
 一方、実践の基盤となる教養を豊かにすることが求められ、読書会や講演会、映画鑑賞などへの参加を積極的に勧めたといわれる。
 木下は「学習原論」では、
 学習は,学習者が生活から出発して,生活によって生活の向上を図るものである。
 人は人らしく生きるのが目的。学習材料は,自己建設の生活それ自身である。
 学級的画一教育法を打破した自律的学習法は,いずれの学習者も独自学習から始めて相互学習に進む。
 さらに、いっそう進んだ独自学習に帰入する組織方法である。
 実に児童の性質・能力の異なったものは、異なったように活動し,しかも,自由と協同とに富んだ社会化した自己を建設創造しようというのであった。
(木下竹次:1872-1946年福井県生まれ、大正期の新教育の指導者。奈良師範学校、福井県師範学校、鹿児島師範学校などを経て,奈良女子高等師範学校教授・同附属小学校主事。同校で学習研究会を組織し,機関誌「学習研究」を発刊した)

 

|

« 笑いを授業に取り入れると、子どもと教師の距離を縮め、子どもたちに安心感を生み出す | トップページ | 大人との出会いで子どもは変わっていく »

教育改革」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。